艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 MI作戦の成功から一週間が経過した。

 時雨の捜索は既に打ち切られ、轟沈判定とされた。栄光の影にあったその訃報はあっという間に鎮守府内に広まり、皆が認知するものとなった。多くの者達がそれを悲しみ、そして乗り越えていった。多くの者たちにとって彼女の死は、重要な作戦の成功の中にあった致し方ない犠牲。それ以上の意味を抱く者は少なかった。

 

 一週間後の天気は雨。その日、略式ながら時雨の葬儀が行われた。遺体はなく、海に手向けの花が投げ入れられ、慰霊碑に名前が刻み込まれるだけの儀式。一介の駆逐艦に行われるのは、そういう簡素な葬式だった。それでもきちんとした弔いをされただけ恵まれた部類である。作戦が成功し、戦況が落ち着いていた状況だからこそ参列者は多く、簡単な式ではあったが、大勢の者達に見送られた彼女は幸運であっただろう。

 

 全てが終わった後、残ったのは満潮だけだった。彼女は時雨の名が刻まれた崖上の慰霊碑の前で、何をする訳でもなく佇んでいた。右手に傘を持ち、再び負傷した左腕はギブスで固められている。シトシトと静かに降りしきる雨の中、短かった葬儀を思い返す。

 

「白露のやつ、あのままミイラになるんじゃないかってくらい泣いてたわよ。たぶんアイツが一番悲しんでた。でも大丈夫よ。あれだけ素直に吐き出せれば、すぐに立ち直れると思う」

 

 慰霊碑に語りかける彼女の声色は穏やかなものだった。

 

「扶桑達は西方に戻ったわ。アンタの葬儀までは滞在できたんだけど、山城の希望でね。アンタの葬儀なんて出たくないって、さっさと帰っちゃったのよ。……まったく、困ったやつよね」

 

 微かに笑みを零しつつ、しばらく語り続けていると、満潮の後方に人影が歩み寄る。彼女の背中を見つけ、その人影は声をかけた。

 

「満潮殿、車の用意が出来ました。いつでも医療施設に向かえます」

 

 人影──体躯に恵まれた軍服の青年は背筋を正して満潮へとそれを告げる。傘を差さない彼を待たせる訳にはいかないと、満潮は踵を返して慰霊碑に背を向けた。いつまでも佇んでいるつもりはない彼女にとって、動き出すには丁度いい機会だった。

 

「わかりました。行きましょう」

 

 手に持った傘を閉じて、満潮は青年へと歩み寄る。

 

「なぜ傘を……」

 

「そういう気分なんです」

 

「雨に濡れるのは傷によくありません。自分が持ちますから傘を差してください」

 

「そんな距離もありませんし、雨脚も可愛いものです。少しくらい平気ですよ」

 

 頑なに拒否する満潮に青年は渋々了解する。そして青年は「では自分はなるべく近くに車を移動させておきます」と告げ、駆け足で鎮守府へと降りていく。その実直で一生懸命な姿勢に満潮は「ずいぶん生真面目な人なのね」と笑みを浮かべた。

 

 急いで降りた青年を追って歩く。けれど、この雨を噛み締めるようにゆっくりと歩を進めていく。腰に差した“二つの髪飾り”は仲良く雨の雫に濡れていた。

 

「……いい雨ね」

 

 時雨のように呟き、満潮は一歩ずつ確実に、ぬかるんだ不安定な足場を歩んでいく。いなくなった彼女の尽力で掴み取った皆の未来。それはどのような歴史を歩むのかわからない白紙の未来。『運命』すらその結末を知らない未知の未来。そんな未来を満潮は既に歩み始めていた。

 

 彼女のいない道を歩く。一歩進む度に髪飾りが揺れた。しゃらん──と、もう一人分の足音を鳴らすように。

 

 

  -◆-

 

 

「医療施設からのお迎えが来たみたいよ。満潮ちゃんとも少しの間会えなくなるわね」

 

「ああ。期間は一ヶ月。慰安も兼ねた休養期間だ。……あの娘には必要だろう」

 

 指令室に入室した陸奥は、既にいた長門の隣に立つ。そして持参した資料類を机に置いた。

 

「そうね。時雨ちゃんの事もあるけど、ここしばらく戦い続けていたものね。長期休暇くらい与えてあげなくちゃ、いなくなったあの子に怒られてしまうわ」

 

 寂しそうな笑みを浮かべながら、机に置いた資料を陸奥は広げる。そこには一週間分の制圧海域に関する情報が記されていた。

 

「MI作戦が成功してからというもの、深海棲艦の活動は沈静化の一途を辿ってるわ。一昨日から観測情報すらないほど静かな海よ」

 

「恐らく一時的なものだ。我々の運命が改変されたという事は、奴等にしたら筋書きが突然変わったようなものだろう。まだどう動くべきか判断しかねているのだと私は考えている。……もっともそれはこちらも同じ事だがな」

 

 運命は変わった。その実感がある。しかし、だからと言ってこれで終わった訳ではない。誰もが望む未来を得るのはここからだ。全てはここから始まる。今度こそ本当に手探りで、自分達だけの歴史を歩んでいかなければならない。その為にどうすればいいのか、具体的な一手が未だ見えてこない長門は自虐的に呟く。

 

「不甲斐ない。時雨の命を賭した働きに報いる事が出来んとは……」

 

「……時雨ちゃんは『運命』に対するデコイ──囮だったのよね?」

 

「満潮と提督はそう言っていたな。『運命』を認知し、『運命』を変える可能性のある特別な存在。提督を含め、そういう者達が少数いたらしい。その中でも時雨は最も顕著に特別性を発揮していた事により、以前から『運命』の注目を集めていた。それを提督は利用し、彼女と──いや『かつての駆逐艦 時雨』と関わりのあった扶桑達と接触させ、刺激させる事によって更なる特別性を『運命』に見せつけた。真に『運命』を打開する為の鍵である吹雪を『運命』の目から逸らさせる為に」

 

「あの子自身は指令書に書かれた提督のメッセージを見て、自分の役割に気がついたのね」

 

「ああ、そうだ。了解もなく自分を利用していた提督の意図に気付き、時雨はその期待に応えようとした。……いいや、きっと違うな。それが自分の為でもあったのだろう。彼女が見ていたという、いずれ現実となる過去を変える為に提督の計画に乗った。そう考える方がアイツらしい」

 

「提督が期待した時雨ちゃんの役割は『運命』の影響力を最も強く受けた深海棲艦を引き付ける事。深海棲艦が提督の命を狙って鎮守府を爆撃したように、『運命』を変えようとする可能性を『運命』は許さない。当然、特別性を発揮し、『運命』の存在を認知した彼女も同様に狙われる。ましてやMI作戦という『運命』の分岐点に際して放っておくはずがない。でも、その事を時雨ちゃんは知っていた」

 

「だからこそ棲地MIに行く部隊への配属を拒んだ。主戦場となる棲地MIではなく、あえてAL方面へ向かい、そこで『運命』の申し子である駆逐棲姫を誘き出し、相手の思惑通りに事が運んでいるように仕向けながら逆に時間を稼いだ。時雨が敵の最大戦力を引き付けている間に、我々も含めた主力艦隊で棲地MIを攻略。提督の用意していた布石である大鳳に助けられながらも、我々は作戦を成功させるに至った」

 

「そして『運命』は変わった。まだ死ぬ運命になかった彼女の死によって……」

 

「そうなるかもしれないとアイツ自身もわかっていたのだろうな。恐らく満潮と提督も。……それを覚悟で時雨は戦い、自分だけにしか出来ない役目を果たした。そこに悔いはなかったと、そう思いたい」

 

「そうよね……」

 

「ああ……」

 

 長門と陸奥は沈黙して表情を固まらせる。

 MI作戦の成功の影にあった小さな犠牲。もしも将来このMI作戦が歴史書に記載される事があった時、僅か一人の犠牲によって作戦を成功に収めたとでも記されるだろう。主戦場以外で戦い、命を落とした一人に焦点が当てられる事もなく、ただただ歴史的大勝利だったと後世に残されるだろう。その一人がどのような意味を持っていたかなど知る由もないまま事実は風化していく事だろう。彼女の犠牲はそういう類いのものだった。

 

 その犠牲の価値を二人は知っている。本来ならばあんな簡素な葬儀などでは到底報いられず、手厚く扱われるべきだと二人は不服にすら思っていた。彼女の貢献を訴える事は二人の立場なら容易だ。彼女を英雄視させ、後世に語り継がせる事だって出来るだろう。けれど、彼女がそれを望む事はないとわかってもいた。あの少女が望んだのはたった一つ。『運命』に囚われない本当の未来だけ。それは自分だけでなく皆の未来を想ったもの。そんな彼女が死後の名誉など欲しがる筈もない。むしろ「大仕事をしたんだから静かに眠らせて欲しい」と願うはずだ。

 

 そんな事を考えて、長門は顔を上げる。

 

「……いかんな」

 

「長門?」

 

「これでは時雨にまた笑われてしまう。時雨が──いいや、皆で掴み取った未来だ。“どうすればいいのかわからない”など言ってられん。今は一歩一歩確実に、正しいと思った道を歩んでいくしかない」

 

「ええ、そうね。でも具体的には?」

 

「そうだな……、まずは戦況の安定化を図るべきだ。拡大した制圧海域の警備と補給線の強化。前線基地もいくつか建設できれば理想的だな。他国との連携も更に必要となってくるだろう。それから──」

 

 思考を巡らせ始めた長門は白紙に今後の課題を箇条書きしていく。その筆先は一向に止まらず、十分ほど殴り書き続けた。やがて筆を置いた彼女は苦笑を零す。

 

「フッ……。なんだ、やれる事は沢山あるじゃないか」

 

 劇的な一手など必要ない。小さな積み重ねこそが歴史となって未来に繋がる。その事に長門は気付いた。時雨の事を思い返して、曇っていた視界が晴れた気がした。

 

 ──やれやれ。死して尚、私に発破をかけるか、時雨よ。

 

「陸奥、しばし待て。これらの意見をまとめ、提督に進言する。……これから忙しくなるぞ。お前も覚悟しておけ」

 

 やる気に満ちた顔を見せて長門が笑う。それを見て陸奥も「あらあら」と笑みを浮かべた。

 

 


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