艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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epilogue
Side.満潮


 

 

 大人しそうな顔のくせに馴れ馴れしくてズルイ奴だった──と、私は回想する。

 

 土足で人の領域に入り込んで、散々人の心に訴えかけて、そして気付いた時にはいなくなっている。そんなズルイ奴だった。今でも思う。アイツは本当に酷い奴だった。けど嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。今なら声にだって出せる。

 

「私は──時雨が好きだった」

 

 その好きは勿論ライクであってラブではない。至って私はノーマルな女子だ。でもアイツと過ごした日々は本当に楽しかったんだ。鎮守府での何気ない日常も。一緒に駆け抜けた戦場も。思い返してみれば、やっぱりキラキラと輝いて見える。だから私は時雨の事が好きだったんだと思う。一緒にいて楽しかったんだから、きっと好きだったに違いない。

 

 そんな彼女はもういない。

 

 あれから一ヶ月が経つ。

 アイツが帰ってこなかった日から一ヶ月が経った。

 

 世界は大して変わっていない。活動圏を広げた艦娘達はその広がった活動圏を守る為に忙しなく働き、大人しくなったとはいえ不定期に深海棲艦は出現し続けている。暫しの平穏と言えば聞こえはいいが、この現状は膠着状態とも言い換える事が出来る。いずれこの均衡は崩れる事になるだろう。それが人類側によってなのか、或いは深海棲艦側によって崩されるのかは今のところ判断は付かない。少なくとも療養中にある私が手に入れられる情報ではどうとも言えなかった。

 

 私の休養期間も残り数日。左腕は既に完治した。それ以外の雑多な傷も治り、心身共に十分休んだ。今すぐにだって現場に復帰できる。とはいえこれは休暇でもある。休暇を繰り上げてまで仕事をしようと思うほど私は仕事中毒じゃない。なので期間中は好き勝手に過ごさせてもらう所存だ。休暇に何をしようと私の勝手なのだから。

 

 ベッドに腰をかけて空を眺めていた私は分厚い雲を見た。夏特有の大きな雲だ。冷房が利いた室内からはわからないが、恐らく外は暑いのだろう。そう何気なく思えるほどに窓の外は夏の空だった。

 

「少し早いけど、もう夏なのね」

 

 そんな予感がした。

 立ち上がり、寝巻を脱ぐ。そして小さめのタンスから着る物を選ぶ。ちょっと悩んだ後、やはりいつも通りの制服を手に取った。白のシャツに薄い紺のスカート。首元を緑のリボンでキュッと絞って、私は外出する為の着替えを済ませた。

 

「あ、これも忘れちゃいけないわね」

 

 ベッドの隣にあるサイドボードに置いている二つの髪飾りを手にして、腰──スカートのウエスト部分に差す。金色の髪飾り。私が扶桑に貰ったものと、時雨が山城から貰ったもの。今は私がアイツの分も持っている。時雨が唯一残していったもの。それがこれ。言わば形見だ。

 

「なんだったら一緒に持っていけばよかったのに」

 

 私が形見として持つよりも時雨と一緒に消えてしまった方が、これを渡した山城も幾分か楽になるだろう。わざわざこんな形見を残していったあたり本当に酷い奴だ。

 

「こんにゃろ」

 

 時雨の形見を指先でつつく。しゃらん──と、それは音を鳴らした。

 

 

  -◆-

 

 

「おはようございます」

 

「はい、おはようございます。外出ですか?」

 

 お世話になっている軍の医療施設。その受付にいるお姉さんへと私は声をかけた。怪我が完治している私は自由に外出してもいい許可を得ている。とはいえ、私は艦娘。私達の素行を信頼しているのか監視の目は驚くほど緩いのだが、それでも艦娘は軍の管理下にある最重要戦力だ。どこへ出かけて、いつ頃帰ってくるのか。その程度は伝えていかなければならない。まして今回はちょっと遊びに出かけるという訳でもないのだから。

 

「少し遠出します。出先で二泊ほどして、何事もなければそのまま帰ってくる予定です」

 

「外泊ですか。そうなりますと宿泊施設の監視許可等の手続きが必要になるので、今日中にという訳には──」

 

「いえ、そんな手間は要りません。旅行に行く訳ではありませんから。詳しくはこちらの申請用紙に記述したので確認してください」

 

 私は一枚の書類を提出し、それを受け取ったお姉さんが目を通す。

 

「外出先は鎮守府……? ああ、西方の」

 

「事前に許可は頂いています。確認してもらっても構いません」

 

「わかりました。少しお待ちください」

 

 お姉さんは電話を手に取り、慣れた手つきでダイヤルを回していく。繋がった先と短く会話を交わして受話器は下ろされた。

 

「確認が取れました。それではお車の方を用意致しますね」

 

「あ、大丈夫です。たぶんもう迎えが来てると思うので」

 

「かしこまりました。では、いってらっしゃいませ」

 

 綺麗なお辞儀をしてお姉さんは私を見送る。それを背中に受けながら私は出入り口の自動ドアをくぐった。外に出た途端、夏の熱気が身を包んだ。日差しに目が眩み、しばらくまともに目を開けられなかった。

 

「やっぱり暑くなりそうね」

 

 今でも十分暑かったけれど、未だ朝である事を考えれば気温はまだまだ上昇する事だろう。まぁどうせ出かけるのなら天気は良い方がいい。どれだけ暑くても雨よりかはマシだ。もっとも、雨の日に嬉々として外出していた友人がかつてはいたが。

 

 そんな事を思い出しつつ僅かに歩き、門から施設の敷地外に出る。出てすぐにソイツは目に付いた。

 

「よお、遅かったな。結構待ったぜ」

 

 黒いボディに金のマフラー。全体的にゴテゴテした大きなバイク。側面にはサイドカーも付いている。嫌でも目立つド派手なソレに跨った黒いライダースーツの女が私に笑いかける。見覚えがあるソイツは──天龍だった。

 

「アンタ、その格好で暑くないの?」

 

「クソ暑いに決まってんだろ。だが、カッコ良さの為だからな、仕方ねぇ。ハッ、オシャレは我慢とはよく言ったもんだぜ」

 

「そもそも隻眼のアンタが運転していいわけ?」

 

「あぁん? んなもんフルフェイス被ればわかんねぇだろ」

 

「そういう問題じゃないわよ」

 

「安心しろよ。俺はこれでも無事故無違反の優良ドライバーなんだぜ? ま、ついでに無免許も付くけどな」

 

「……歩いていくわ」

 

「待て待て、冗談だ冗談。ほれ、ちゃんと軍発行の特例免許もってっから」

 

 押し付けてくる免許を一見して一応本物であるのかを確認する。……本物ではあったが、今からこれに乗るのだと思うと気は重かった。

 

「んだよ、久しぶりに会うってのにつれねぇなぁ。せっかく迎えに来てやったんだから少しは感謝して欲しいもんだ」

 

「アリガトウ」

 

「心が一切こもってねぇな、オイ。……ま、いいや。ほら、さっさと乗れよ」

 

 フルフェイスのヘルメットを被った天龍は、サイドカーの座席に乗せてあったハーフタイプのヘルメットを投げ渡す。受け取った私は溜め息を吐きつつ、それを頭に装着した。そしてサイドカーに乗り、天龍はアクセルを捻る。マフラーが黒い煙を吐き出し、私達を乗せたバイクは走り出した。

 

 目的地は西方の鎮守府。県をおよそ五つか六つ跨ぐほどの長距離だ。バイクでは休憩も含めて一日丸ごと使う事になるだろう。つまり天龍はそれだけの時間を使って私を迎えに来てくれたという事でもある。

 

「悪いわね」

 

「あ? 何がだよ」

 

 ヘルメットに備え付けられていたインカムマイクを通じて天龍に礼を述べる。

 

「わざわざこんなところまで迎えに来てもらって。本当なら高速鉄道を用いるべきなんだろうけど、ここは郊外だから身近に大きな駅がなくて」

 

「ああ、そういう事なら気にすんな。残り僅かになった休暇を使って、ちょうど一人で遊楽してたとこだったからな。少し前までは東北をぶらぶらして、昨日は東京で美味いもん食ったりしてさ。あ、そういや土産の東京バナナあるけど食うか?」

 

「いや、いらない」

 

「あっそ。んな訳だから俺としてもそろそろ鎮守府に戻ろうと思ってたんだよ。で、お前はその帰り道に拾った旅の道連れな訳だ。だから気にする必要はないぜ」

 

 長い道中もツーリングだと思って楽しもうぜ──と天龍は続けて言った。彼女なりの気遣いに私は肩の力を抜く。

 

「ありがと」

 

「おっ、今度は心がこもってたな」

 

「まぁね。本当感謝してるわ、アンタにも、龍驤さんにも、ゴトウ提督にもね。私のわがままを聞いてくれたんだから」

 

「……そのわがままだけどよ、……いいのか?」

 

 声のトーンが変わる。おちゃらけた様子はなく、真剣な問い掛けだった。

 

「なにがよ?」

 

「意味なんてないかもしれないぞ。いいや……、ただ絶望を確認するだけになるかもしれない。希望を持たない方が楽な時だってあるんだぜ?」

 

 経験を語るように天龍は言う。それに私は小さく笑みを浮かべた。

 

「私自身、諦めがほとんどで希望なんて少ししか持ってないわ。でもいいのよ、それで。絶望を確認するって意味があるだけ上等だわ。……なんにしてもケジメは必要なのよ。これから本当の戦いが待ってる。それにちゃんと向き合う為にも決別はしておかないと」

 

 腰に差す時雨の形見を指でいじりながら私は言った。

 休養期間の最後を使って、私はもう一度だけ時雨がいなくなった海域に行こうとしている。龍驤さんに相談し、彼女がゴトウ提督に提案してくれた事で、公式にそれは実現した。……そう、正直に白状すれば私は時雨の事を諦め切れていない。どうしても“アイツが死んだ”という事実が腑に落ちない。だから諦め切る為に、もう一度だけあの海に行こうと思った。

 

「女々しいと思う?」

 

「いや……、むしろ男らしいくらいだ。可愛げがなくて困るぜ」

 

 肩をすくめた天龍はアクセルを更に捻って速度を上げる。私達は風に包み込まれた。揺れる車体。次々に変化する風景。空気の壁を突き抜けていく感覚。爽快感の中で、私は静かに瞳を閉じる。そして、ふと思った。

 

 ──希望なんて少ししか持ってない……か。その“少し”がなかなか捨て切れないのよね。だって心の底ではまだ信じているんだ。必ず生きて帰ってくる。アイツはそういう“信頼”を不思議と抱ける稀有な奴だった。残していった形見を目にして、慰霊碑に刻まれた名前を目にして、こうして一ヶ月という時間が立った今も尚、その“少し”は──“信頼”は変わらずに残ってる。……まったく酷い奴だ。私にこんなわがままをさせるくらい、自分が死んだ事を認めさせないなんて……本当にズルイ女だわ。

 

 そんな時雨らしさに私は笑った。

 

 


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