艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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Side.S

 

 無人島生活三十一日目。早いもので僕がこの島に流れ着いてから一ヶ月が経過しようとしていた。……一ヶ月か。この一ヶ月は極めて濃密で長い時間だった。ただ生きる事がどれだけ大変かを思い知った日々だった。社会という形態はやはり偉大だ。ビバ世間。文明的な生活最高。

 

 とはいえ、流石にこれだけの時間を過ごしてくれば無人島での生活も慣れてくる。手間は多いけれど、その分、充実感は得られた。全てを自分だけで賄わなければならない。寝床と食糧、そして安全の確保。それを一人で行うんだ。大変だった。本当に大変だった。当初は戦闘での負傷も明確に残っていて痛みと戦いながらの作業だったし、知識では知っていても経験するのは初めての事ばかりだった。今だって苦労が絶えない。だからこそ、こうして生きている事を実感できた。

 

「自然に教わる事は多い。艦娘として戦うだけの人生じゃ、得られなかった感慨だね。うんうん」

 

 独り言を呟きながら木のツタを絡めて作ったロープを引き寄せ、海に仕掛けていた罠を回収する。漂着していたペットボトルで作成した罠の中にはそれぞれ種類の異なる魚が三匹ほど掛かっていた。大きなもので手のひらサイズ。まぁまぁな結果だ。

 

「こんな仕掛け罠で大物は狙えないか。まぁこのくらいの方が食べ易いからいいけど」

 

 獲物を持って調理場である浜辺に向かう。白い砂浜には相変わらず漂着物が多い。どうやらこの島は大きな海流の通過点にあるらしく、毎日のように何かしらが漂着する。そういう僕がその漂着物の一つな訳なんだけれども。

 

 あの戦いの最後に海へ呑み込まれた僕は深海へ沈む事なく、海流に乗ってこの島へと流れ着いた。もちろん当時の僕に意識はなかったからこれは憶測。もしかしたら誰かが助けてくれたのかもしれないけど、気付いた時にはこの浜辺で倒れていた僕には確認のしようがない。なんにしても奇跡的な幸運だった。恐らく極限まで艤装を破棄していたのが功を奏したのだろう。ある程度軽くなっていた為、沈み切る前に海流に流される事が出来たんだと思う。そして溺死するより先に、この島に漂着した……と。

 

「……うん、やっぱり出来過ぎだね」

 

 現実は小説よりも奇なりとは言うけれど、ここまで偶然が重なると喜びや驚き以上に懐疑的になってしまう。これも『運命』の仕業なのではないかと思ってしまうほどだ。

 

「或いは僕に宿る魂の底力なのかな。ねぇ、不滅艦さん?」

 

 自分の魂に問い掛ける。返答はない。それでも答えはわかった。僕等はもう一つ。連結ではなく同調している。僕は“時雨”であり、“時雨”も僕であるのだから。

 

「そうだね。僕にそんな力はない。ただ運が良かった。それだけの事なんだろうね」

 

 運が良かった。運が悪かった。物事の大半はその言葉で片が付く。だからこそ感謝しなければならない。今、生きている事に。

 

「よしっ、なんか気合いが入った。食糧と水は安定して調達できるようになったし、昼食が終わったら住居を設計してみよう。今は夏だからいいけど、冬が来る前に暖が取れて食糧を蓄えられる場所を用意しないと。いつまでも葉っぱにくるまって眠ってもいられないしね」

 

 建築の知識はあまりないけど、漂着物の中には角材なんかもあったはずだし、ほったて小屋くらいは作れるだろう。それでも一人でやるとなれば時間はかかる。着手は早ければ早いだけいいはずだ。

 

「さて、そうと決まればご飯だ。魚は焼いて、あとは備蓄してある木の実でいいかな。干し肉は……とっておきだから今日はやめておこう。あっ、今度大きめの魚が取れたら魚の干物も作ってみようかな。お肉よりは手間もかからないだろうし、うん、いいね」

 

 今後の算段をまとめつつ、僕はてきぱきと火を起こす。砂浜を掘ってくぼみを作り、その底を土で固め、周囲に石を積んだかまどに乾燥させた枝や葉をおいてから、火きり板と火きり棒を擦り合わせる。火起こしの方法として最もオーソドックスな“もみぎり”という手法を僕は用いた。板に棒を押し付けて回転させて火種を作るアレだ。最初試みた時には火種を作るだけで三十分くらい掛かったけれど、コツをつかんだ今は一分も掛からない内に火種を用意できるようになった。火種が出来たら、それを燃えやすいもの──僕は島に生えていた植物の綿毛を利用している──で包んで息を吹きかけて火に育て上げればいい。簡単に言ったけれど、これが難しい。火種を吹き消さないように弱く、かといって弱過ぎても上手く燃え移らない。その加減を会得するのには本当苦労した。失敗すればまた火種から作り出さなければならないものだから、当時の僕はただ火を用意するだけで一喜一憂していたものだ。いやはや懐かしい。

 

「ま、もう手慣れたものだけど」

 

 ささっと火を起こした僕はそれをかまどにくべる。手のひらに収まる程度の火はすぐさま大きな炎に姿を変えた。燃焼が安定したのを確認すると、周囲に積んだ石を二段ほど下ろして、炎から少し離れた位置へと木の枝に刺した魚を設置した。

 

「魚は遠火で焼くもんだ……ってね」

 

 鼻歌混じりに僕は火加減を調整する。娯楽の限られるこの生活では一日三回の食事が一番の楽しみだ。衣食住の中でも食が最も大切な要素だと僕は学んだ。ちゃんとしたものを食べれるだけで人間は幸せになれる。それが一口でなくなる雑魚だろうと、ちょっぴりすっぱい木の実だろうと関係ない。食べれるだけで人は幸せだ。今の僕ならそれを断言できる。

 

「あぁ……なんか充実してるなぁ」

 

 しみじみとそう思った。

 最初はどうなるかと思ったけれど、住めば都というかなんというか。案外、こういう自給自足の生活が性にあっているのかもしれない。僕、基本的に一人でなんでもできるし、孤独も苦にならないタイプだし。うん。このままお婆ちゃんになるのもやぶさかではないね。

 

 そんな事を考えている内に魚が焼けた。薄い煙を漂わせながら美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐる。大きさの割には味が期待できそうだ。パンッと手を合わせ「いただきます」をして、僕は一番大きな焼き魚の串を手に取る。

 

「あ~む。ほふっ、はふっ」

 

 芯まで火の通った身の奥から油と共に旨みが口いっぱいに広がる。さっきまで海水の中にいたからか、ほどよい塩味があって尚の事美味しかった。すぐには飲み込まず多めに咀嚼する。噛む度に味が広がり、何度も僕を楽しませてくれた。名も知らぬ雑魚だと侮っていたが、その実、旨い魚の一種だったか。僕の観察眼もまだまだ未熟だね。

 

「ふふ」

 

 嬉しい誤算に笑みを浮かべる。

 

 ふと海風が吹いて僕の髪をさらった。束ねていない髪は抵抗なく風になびく。以前なら、しゃらん、と鳴ったはずの髪飾りはもうない。この島に漂着した時には既に紛失していた。心底残念だけれど、海流に巻き込まれた時に外れてしまったのだろう。本当に残念だ。

 

 そうやって僕が幸せと共に寂寥感を覚えた時だった。──久しぶりに聞く推進機関の稼働音が風に乗って耳へと届いたのは。

 

 音の方を向く。岸壁から船首がのぞき、現れたのは船。それも一般向けのクルーザー。今のご時世において、およそ外洋にいるはずもない存在だった。けれど驚きは少なかった。それに乗っていた人物達を見て僕は得心する。……なんて言えばいいだろうか。僕はこうなる事を知っていた気がする。いいや、違う。信じていた。もしも迎えに来てくれる人がいるのなら、それはきっと彼女達だろうと信頼していた。だから驚きはなかった。

 

 挨拶をしようとして口を開く。でも口にものが入っていたからすぐにやめた。とりあえず咀嚼して噛み砕き、口の中をすっきりさせる。魚の味をもっと堪能したかったけど、彼女達との再会には勝らない。

 

 ごっくん──と飲み込み、僕は向き直る。

 

「やあ、みんな元気そうだね」

 

 静寂の中に僕の声だけが響き渡る。

 船の上の彼女達──天龍・龍田・青葉・龍驤・隼鷹・満潮・扶桑は驚きに固まり、僕の事を一心に見つめたまま動かない。当然か。彼女達からすれば一ヶ月前に死んだはずの人間を見つけたんだ。その驚愕は多大なものだろう。けれど、一人だけ違った。誰よりも早く船を飛び降りた人がいた。──山城。まだ船が接岸していないというのに飛び降りた彼女は、海の上を走って浜辺へと辿り着く。その顔は怒っているのだか、喜んでいるのだか、はたまた悲しんでいるのかもわからないほど……、なんというか、いっぱいいっぱいだった。

 

 そんな彼女は一心不乱に駆け寄ってくる。揺れる瞳。もつれる足。砂浜に足を取られ、何度も転びそうになりながらも、彼女は懸命に僕を目指した。何かを言いたげな口元は吐息だけを零し、言葉にならない言葉を訴える。そして抱きしめた。僕を抱きしめた。いつかと同じようにきつく抱きしめられた。僕は手に持った串をかまどに投げ捨てて、その抱擁を受け止める。耳元には嗚咽が聞こえ、密着した頬には涙の温かさを感じた。だから僕は笑顔を浮かべる。

 

「山城、どうして泣いてるの?」

 

「嬉しいから……。嬉しいからに決まってるでしょ」

 

「だったら笑わないと。嬉しい時はやっぱり笑うべきだって、今はそう思うんだ」

 

「……うるさい。人ってね、本当に嬉しい時は涙が出るものなのよ」

 

「そっか」

 

「そうよ」

 

 耳元で囁き合って、僕等は互いの存在を確かめ合う。僕はここにいて、彼女もここにいる。もう一人じゃない。再会を果たして、その大きさを痛感する。……この島でお婆ちゃんになるのもやぶさかではない、なんて嘘だ。一人は嫌だ。一人より二人がいい。二人より皆と一緒がいい。その方がいいに決まってるじゃないか。

 

 僕は自分の強がりを認めながら、久しく感じる他人の温かさに触れる。やはり人には他人が必要なんだ。存在を確かめ合える誰かがいてくれないと駄目なんだ。人間ってそんなものなんだ。人との繋がりは素晴らしい。……あ、でもそろそろきつい。抱きしめられるのは嬉しいけど、本気できつい。

 

「や、山城……もう、もういいかな? 痛いんだけど」

 

「散々心配させたんだから、抱きしめられる事くらい我慢しなさい」

 

「いや……僕さ、駆逐棲姫との戦いで肋骨が折れてて、まだ治り切っていないんだ……。さっきからすごく痛いんだよね」

 

 それを聞いて山城はバッと身を離す。

 

「なんでそれを早く言わないのよ」──と涙を浮かべたまま呆れ顔で彼女は僕を睨んだ。

 

「だって、せっかくキミが抱きしめてくれたものだから、なんだか勿体なくてさ」──と僕は痛みに引き攣りながら笑った。

 

 そんな僕の言葉に山城は怒る事なく、小さな笑みを零す。そこには安堵と喜びが感じられて、僕も尚更嬉しくなった。

 

「時雨」

 

 不意に名を呼ばれ、山城の背後に目を向ける。一足遅れて上陸した他の皆がそこにいた。僕を呼んだのは満潮。彼女は笑顔だったけれど、なんだか嬉しくて笑っているというよりもおかしくて笑っているみたいだった。

 

「本当に……ズルイ奴ね、アンタは」

 

「いきなり酷いな。感動の再会だっていうのにさ」

 

「それがズルイって言ってんの。諦めかけてた信頼にこんな形でしっかり応えるんだからズルイわよ。……ふふっ、ま、アンタらしいけど」

 

「……? それは褒め言葉に受け取っていいのかな?」

 

「いいに決まってんだろ。ったく、俺等はすっかり諦めてたのに、コイツと山城はお前の往生際の悪さを信じてたんだぜ? その期待に応えたんだ。胸を張っていい」

 

 快活な笑みを浮かべて天龍が言う。

 

「そういう事よ。ほら、これは返すわ」

 

 満潮は手のひらを差しだす。その手の上には紛失したと思っていた金色の髪飾りが置かれていた。

 

「これ……」

 

「時雨のよ。アンタを捜索していた時に見つけたの」

 

「そうだったんだ。ありがとう、満潮。これで二度目だね、キミからこれを受け取るのは」

 

「もう失くすんじゃないわよ」

 

「うん。三度目はない……と思う」

 

「ふん。ま、もし失くしても、また私が拾ってあげるわ」

 

「あはは、頼りにしてるよ」

 

 受け取った髪飾りを早速身に付ける。久々に付けるけど、やっぱりこれがあった方が自然な気がした。

 

「よく似合ってるわ、時雨」

 

「あっ、扶桑」

 

 彼女はいつも通り穏やかな表情で僕を見つめる。その顔付きは山城や満潮とは種類が違う。感じるのは感謝と逞しさ。強い人の顔だった。

 

「無事で本当によかった。少し見ない間に逞しい顔付きになったわね」

 

「一ヶ月も無人島生活だったからね。それに、それは扶桑も同じでしょ。……わかるよ。キミはちゃんと未来に目を向けていたんだね」

 

 僕の事は過去として受け止め、未来を目指す。彼女はきっとそんな険しい道を選んでいた。

 

「……、ごめんなさい。わたしはあなたの死を受け入れて──」

 

「──いいんだ。もし命を落としていたら、僕はそれを望んでいた。キミが気に病む事は何一つない。むしろ嬉しいよ」

 

 恐らく扶桑だけが僕の望んだ選択をしてくれた。僕が夢見たみんなが笑っていられる未来を目指してくれた。だから謝る必要なんてない。

 

「そう言ってくれると救われるわ。でも、これだけは言わせて。……生きていてくれてありがとう。わたしの夢はまた色を取り戻せたわ」

 

「うん。僕もキミが目指す夢の一部になれて嬉しいよ」

 

 彼女が目指す夢の中には僕がいる。それはとても嬉しい事で、それだけで往生際悪く生きてきた甲斐があったというものだった。

 

 そうして僕等は再会した。

 みんな、僕が生きていた事を喜んでくれて、青葉なんかは号泣とかしていた。いつもは明るくおちゃらけた彼女だけど、その心根がすごく優しい事は祥鳳の一件でよく知ってる。龍田は相変わらず無関心そうな薄い笑みを浮かべていた。でも不意に目が合った時、その笑みが柔らかくなったのを見るに僕の生存は喜ばしい事であるようだった。隼鷹は……、まぁいつも通り騒いでた。「祝いの酒盛りだー!」とか言って、とにかく元気だった。彼女はそれでいいと思う。唯一船から降りなかった龍驤は僕を含めた皆を上から見守っていた。

 

 それぞれのらしさを久しぶりに見て、僕の『MI作戦』がやっと終わった事を実感する。帰ってきた。僕は帰るべき場所に帰ってきた。あのまま……誇りを抱いたまま死ぬのが不満だったわけじゃない。けれど、今はこの結末を迎えられてよかったと……心からよかったと思える。

 

「語る言葉は尽きんやろうけど、いつまでもこの島に居る訳にもいかへんよ。積もる話は帰路の最中にでもしようや」

 

 龍驤が言う。気付けば日は傾きを見せていた。暗くなる前に鎮守府へ帰ろうと、皆は次々に船へと乗り込んでいく。でも、僕としてはもう帰るべき場所に帰ってきているつもりなので、なかなか動き出せなかった。

 

「──時雨」

 

 浜辺に座るそんな僕に手が差し伸べられる。山城の白く細い手。彼女の隣には扶桑と満潮が寄り添い、僕を待っていた。

 

『おかえりなさい』

 

 心中を見透かしたように三人が口を揃えて言う。一瞬だけ呆気にとられて、次の瞬間には笑みが零れた。やっぱり帰ってきてよかったと思い知る。

 

 だから僕は答える。

 ずっと待っていた彼女達へ応える為に。ずっと言いたかった言葉を口にする。

 

「ただいま」

 

 そう言って、僕は彼女の手を取った。

 

 

 

 

 

 

 -艦これ Side.S fin-

 

 


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