「もう、やめろよ」
切実な響きだった。迷いに迷って、捻り出した。そんな感じだ。返事はボールの跳ねる音だった。惜しくもなんともないすっぽぬけのボールだ。自分が打ったわけでもないのに、堪えきれないというように男は目を逸らした。
ボールは二度、床の上を跳ねた。三度目のバウンドをしようかというところで、走り込んできた少年の右手がボールを掬い上げた。少年がドリブルをついた。顔はしっかりと上げている。しかし、お粗末だった。前に進もうとした右足の爪先がボールを蹴った。シュートとは違い鋭い角度で飛んだボールはあっという間にハーフを越えて向こう側までいった。少年が走ってボールを取りにいった。目で追った男の瞳に夕焼けの赤が映った。休日の夕方、既に他の部活動は活動を終えている。静けさに包まれた体育館でボールとそれを追うバスケットシューズの高い足音だけが反響していた。
「もう、やめろよ」
呟いた言葉に男自身も気付いていないようだった。ボールを拾った少年はハーフまでは手に抱えて走ってきた。ラインを越えてから、ドリブルをつき始める。確認をするように、横でついたり前でついたりして、左右二回づつ繰り返すと満足したように一度頷いた。それから、慎重にドリブルをついてミドルレンジまで入ってきた。シュートフォームは、中々のものだった。膝の力をしっかりボールまで伝えている。押し出したというよりボールの方から離れたみたいにして、少年はシュートを放った。綺麗な弧を描いたボールは、しかしまたもリングに触れずに床に落ちた。少年が再び走りだした。二連続のエアボールにも堪えた風ではない。
「高木」
少年が一瞬動きを止めた。ちょっと迷ったようにしてからまた走りだし、ボールを拾うと男の方を向いた。
「なんです、先生」
少し距離があるからか、初め大きめだった声が段々と小さくなっていった。動きのなくなった体育館では驚くほど音が通る。
「もう、今日は終わろう。高木が自主練してるなんて先生知らなかったぞ」
「キャプテンが、鍵返しに行けって。でももう今日は他の部活もないから、いいかなって思って」
「もちろんいいさ。でもそろそろ疲れたんじゃないか?練習終わったの、一時間以上前だろ」
「俺、ベンチに入ってないから。疲れてないです」
そう言って、少年が小さくはにかんだ。照れというよりは恥ずかしさの勝った笑顔だった。
男がまた顔を逸らした。話は終わったと思ったのか、少年が男に背を向けてリングと相対した。腰を落として、シュートの体勢に入った。放ったボールが、今度はリングに当たった。しかし、当たって跳ねただけでネットをくぐることはなかった。二回シュートフォームの形を繰り返してから、少年はリバウンドに走った。
「高木」
少年が少し迷惑そうに振り返った。ボールはきっちり回収している。
「実は先生、十分ぐらい前から見てたんだ」
「そうだったんですか」
ばつが悪そうに、少年が頭を掻いた。ボールを抱えた腕に、あるかなきかの力が加わった。
「下手くそでしょ、俺。一本も入らないんだ」
男はなにも言わなかった。ただ、悲痛な表情を浮かべた。
「十分どころじゃないんですよ。練習が終わって片付けしてみんなが帰って。四十分ぐらいかな、一本も」
少年が続けようとしたところを、男が遮った。
「高木は、頭がいいじゃないか。仲の良いやつもいっぱいいるだろ。四組の三浦とか、たぶんお前のことが好きだぞ。それにサッカーも上手いよな。だから」
男が不意に口を噤んだ。だが、男が何を言いそうになって焦ったのか、少年にははっきりわかったらしかった。困ったような笑みを浮かべた。
「好きなんです、バスケ」
話しかけるというよりは確かめるような口調で、少年が言った。
「頑張って、けど全然結果は出なくて、なのに嫌いになれないんです。キツくて、辛くて、でも少し休憩したらまたしたくなっちゃうんですよ」
声変わりを終えた低い声に、どこか透き通ったものがあった。男は耐えるように唇を噛んだ。
「上手な友だちが、バスケがキツいって言って部活辞めたときに思ったんです。俺って、天才じゃないかなって。だって、どれだけキツくても辞めようと思わないんだもの」
そこまで言って一礼してから、少年はまたシュートを打ち始めた。傾いた夕日が沈もうとしていた。男は、もう何も言わなかった。胸の奥の何かが男に嗚咽をあげさせようとするのを、ただただ押さえていた。
小学校の国語の教科書にあるような話を書きたかったけどやってみると難しいですね
良ければ評価感想お願いします