……………………。
……………………。
地底。
そこは地上にいられなくなった妖怪達の逃げ場。溜まり場でも隠れ家でも、それは何でもいいんだけど。
いられなくなった理由は様々だ。地上が嫌いだから、地上に嫌われたから。地底が好きだから、地底に好かれたから。一人が好きだから、独りにされてしまったから。光が怖いから、闇が愛しいから。
幻想郷が全てを受け入れる場所なら、この地底は全てを受け止める場所だ、と私は思う。
受け入れるというのは争いで例えるなら妥協するということだ。和平交渉の果てに互いを「受け入れる」ことが出来る。ありのままをただあるように招き入れるだけに過ぎない。これではただの逃避だ。
受け止めるというのは争いで例えるなら決着するということだ。曖昧に終わらせず、互いの全てをぶつけ合った果ての理解だ。上の世界以上に秩序のないこの場所だからこそ――――力で支配するこの場所だからこそ、解り合うことが出来る。自分という存在を確かに刻み込める場所、それが地底だ。
私は考え方で言えば上の世界よりなのだが、こっちにいると自分もそっち側に混ざれたような気になって、好きだ。たまに地底にいる奴でも「自分は追放されたんだ」って考えてる人もいるけど、いずれ気づくだろうと思う。追放されたのは認められてる証拠で、それはここで生きてもいいという証明なのだと。
そんな場所だからこそ、だろうか。
一度ここから出た彼女が戻ってきたのは。
「うーん、最悪の空気だ」
「こいしー。何か変な匂いしない? 大丈夫なの?」
「二人ともいきなり失礼だね」
私も同意するけどね。
ここという場所は好きだけど、このマズイ空気とか上が恋しい人の呟きとか、そういうのは嫌いなわけだし。
そんなところでも良いところはたくさんあるんだよ、と言いたかったけれども、そんなことより早く地霊殿に案内しろというフランの視線に完敗を喫した私は黙ってツアーガイドを務める。
まあ、途中で確実に会う奴がいるんだけどね。
キスメさんとヤマメさんはいることもあればいないこともあるけど、パルスィさんだけは確実にいる。
この地底の旧都に向かう一本道で、怨めしそうに賑わうその場所を見ているのだから。
私は彼女に聞いたことがある。
「何が楽しいの?」
彼女は答えた。
「その発想が妬ましいわ」
ぬえっちとパルスィさんの仲は知らないけど、フランとは相容れないだろうなと思う。
フランは何というか…………自分の思い通りにならないと嫌、そんな子だ。しかも自分の常識に従っている。質問に対して的外れな答えというのはどうなんだろう。私もはぐらかすことが多いけど、明らかにおかしい会話というのは、フランの常識的にどうなんだろう。
どかーん対象なのだろうか。
考えても仕方のないことだけど、考えなくちゃいけない理由がある。
「でさ、その時の人間の顔ったらもう」
「あはは! そりゃおかしいね!」
前を歩く二人が仲良さそうに話していて、私だけがハブられているからだ。
くっそう…………どうして無意識を前より操れるようになってまでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。紅魔館のぼっちと命蓮寺のぼっち、孤独を経験してその辛さが身に染みてるんなら私も混ぜろー。
ちなみに私は地霊殿のぼっちというわけではない。お姉ちゃんいるし。ペットもいるし。外の世界にも友達いるし。こころちゃんいるし。忘れられるけど子供達もいるし。
八雲紫は別枠かな。
あー、何かすっごい不毛な脳内してる。毛がないわけじゃないけど、不毛。
とにかく私は彼女達とは違うのだ。友達が多いんだ。ふっふっふ、あーっはっはっは!
こんな感じで自分は特別って思ってないと寂しいんだよ誰か察してよ。
「そういえばこの間、人形作ったんだけど」
「ホント? 女子力高いなあ」
まったく気にしてねえし。妬ましい妬ましい。ひょっとしてパルスィさんどっかから見てる? 私パルってきたんだけど。
後、フランの人形作りは女子力じゃなくて狂気の産物なので褒めないほうがいいよ。人形が見たいんなら魔法の森をおすすめしよう。マトモな魔法使いがいるから。
…………そろそろ旧都に着くかな。
となると、どっかその辺にパルスィさんが――――っ!
私は突然後ろから伸びてきた手に引っ張られて、岩陰まで連れてこられてしまった。
「しっ! 静かに」
聞き覚えのある声だったので、ほっと一息。
そして振り返り、声の主を視界に収める。
嫉妬、という言葉を擬人化したようなその姿、まさしく水橋パルスィ!
「こいしちゃん。…………何であいつがいるの?」
「…………どいつ?」
私含めあまり良い目で見られない連中が揃っております。
誰を指しているのかな。
「ぬえよ、ぬえ。封獣ぬえ。もう一人の方は知らないわ」
「そりゃそっか。地上の連中でも知らない奴の方が多いしね」
「で、何で戻ってきたのよ? あいつ地上に逃げたんじゃなかったの?」
「里帰りしてきたんだよ。上だと孤独を満喫してたみたいだし」
「…………何満喫してんのよ。妬ましい」
「どこに嫉妬してるのさ」
相変わらず嫉妬することに全力を費やしているような人だ。
それは普通嫉妬どころか同情するような箇所にでも、妬ましく思ってしまうほどだ。
けどそれはある意味仕方ないことだ。嫉妬こそが彼女のパワー源になるのだから。誰しもが生きるために食事を必要とするように彼女は嫉妬を必要とする。ならば彼女の能力――――嫉妬を操る程度の能力で他者の嫉妬を引き出せばいいとは思うのだが、「そんなの申し訳ないじゃない」なんて素で言えるあたり良識人だ。妖怪にしておくのがもったいないぐらい。
その能力や本人の嫉妬深い性格から地上を追い出されたものの、心優しいのだ。水橋パルスィという妖怪は。
「それで、ぬえっちが帰って来たら何か不都合でも?」
「…………まあ、そうね。嫌なことはあるわ。彼女の能力と私の相性が最悪なのよ」
「相性…………あ、そっか。嫉妬って形はないもんね」
「理解が早いあなたに最高のジェラシーを」
「いらないいらない」
形のない不確定で不安定な存在、感情。
それにさえぬえっちの正体不明は通用するのだから――――嫉妬が嫉妬じゃなくなる。
けど正体不明の弱点はある。それはその形を知っていれば無効化されること、それと相手の思い込みによっては逆効果であるということ。
私なんかは自分の無意識を好き勝手できるのだから、ぬえっちの仕業だとわかれば、対象を何でも好きなものに変換できる。無力化さえ出来る。
パルスィさんはそれが出来ない。その上、本人の矛盾した思いがとことん正体不明を歪に作り上げてしまう。
嫉妬が欲しいけど、自分をとことん見下して自分の認識を自分で覆すことで自分を維持してきたのだから、今更それを直せなんてしない。目の前の正体明瞭を正体不明に変えてしまっている。
難儀だなあ。
「大丈夫よ。ぬえっち、すぐに帰すから」
「そう。頼むわね」
「任せてー」
「…………何で覚妖怪なのに人に頼られるのよ。妬ましい妬ましい…………」
自分でやっといて自分で妬んでるよー。
そうしないと生きていけないからそうするしかないんだけどさ。
彼女もある種の自己否定種族。私やいーちゃんみたいに後天的なものじゃなくて、先天的に――――生まれながらにしてそうあることを強いられている。
同情、何て彼女は求めないし拒否するだろうから、私の中だけで言っておく。
大変だね、頑張りすぎないでね。
「じゃ、戻るね。二人を心配させたくないし」
「それは大丈夫そうだけど? まだ気づいてないし」
マジのようだ。
私が忽然と姿を消してから五分も経ってないけど、仲良くお喋りしている。ちょっとぐらい不審に思ってもいいんじゃない? うさぎ属性の私は寂しくて死ぬよ?
「…………こういうのは気づかれずに消えて気づかれない内に戻るのがお約束だからね」
「良いポジティブさね、妬ま」
「行ってきまーす」
「――――妬ましい妬ましい」
言葉を遮ったことと妬ましさは関係ないよね?
彼女の心中、私にはわかりかねる。
さらっと二人の後ろについてニコニコと笑顔を浮かべてみる。
気づけー、気づけー。私が意味深な笑顔を見せていることに気づけー。
「そういえば、前に人里でお祭りがあってさー」
「えー! 行きたかったなあ」
「今度一緒に行こうよ。こうして出歩いてるんだし、もう幽閉されることもないんでしょ?」
「いいの? やったあ!」
……………………。
妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい…………。
パルスィさんに弟子入りしよう。
さて、相変わらず孤独の寂しさを感じながら旧都に到着。
地底唯一の大都市にして、地底の象徴たる無法地帯。
昔は地獄だったのだが、何か捨てられたらしい。そんな過去もあるもんだからまともな奴は殆どいない。誰が好き好んで地獄があった場所に住むというのだろうか。墓地のあった場所の上に学校を建てるようなものじゃないか。
本来ならぽーいだったこの場所を地上にいられなくなった連中が勝手に住み込んで、「ならば自分も」とたくさん集まってこうなった。
つまりは自然に生まれて勝手に出来上がったのがこの旧都であり、最初の頃は法律やルールなんてものが存在しなかった。各々が好き勝手に暮らすだけの場所。
それが鬼達が統率を取り始めてからは幾つかのルールが出来た。が、それもほんの数個の決まりごとであり、やっぱり無法地帯、無秩序のそしりは免れない。
そういう意味で言えば、フランにはぴったりの場所なのかもしれない。
ちなみに鬼の定めたものとは別に、暗黙の了解として地霊殿に住む者には逆らえないというものがあり、私は非常に助かっています。
ありがとうお姉ちゃん。
その地霊殿はこの旧都の中心に建っている。そもそもを言えば、殆どが廃棄されたこの旧都で唯一生きている灼熱地獄の管理のために地霊殿が存在している。だからそこに造るしかなかったんだけど…………見る人によっては地霊殿が地底の象徴、まるでお城みたいに見える人もいるらしい。
けどそれは間違い。お姉ちゃんは地霊殿の主であっても地底の主じゃないからね。むしろ旧都を取り締まってるって意味なら鬼の方が近いから。
そう。旧都の顔、とでも言うべき、鬼。
そんな存在にパルスィさんから情報が行き渡ってないとはとても思えないんだよなー。
というか、そんなわけなかったんだよね。
「お帰りぬえ。地上はどんなもんだった?」
「怖い人間がいるもんだねえ」
「あー、萃香の奴もそんなこと言ってたな。面白い奴がいるって」
「話噛み合ってなくない?」
「噛み合ってるさ。意味は違うけどな」
絡み合いすぎて互いにわかってないんじゃ…………。
星熊勇儀。鬼。これだけで十分な説明になってる気がする。
というか、私が思うに一番鬼っぽい鬼な人。旧都に住む他の鬼はあんまり印象に残らないしなー。勇儀さんが強すぎるってこともあるけど。
私は今まで話していたぬえっちが取られたことでポカンとしているフランの肩を叩く。
「フラン。あの人は星熊勇儀っていってね、鬼だよ」
「…………ぬえっち、取られた」
なーんか嫌な予感。
「すぐに返してもらえるよ。あ、ほら、あっち見て。この旧都の中心部にあるあの建物が、地霊殿。私の城だよ」
「…………お姉さんのでしょ?」
「そうだけどさ」
「ねえこいし。…………ぬえっち、何時帰ってくるの?」
「すぐだよ」
やばいやばい。
まさかヤンデレ属性までお持ちとは。独占欲が強いのかな、なんて考えてる余裕もない。
一刻も早くぬえっちをこっちに召喚しよう。
「ぬえっちー! 行くよー!」
「ん? ああ、わかったよ。じゃね、勇儀」
「何だ、もう行っちまうのか? 一杯やっていこうや」
「こいしー! ちょっと引っ掛けてくわ」
何で酒に釣られるんだよ。私は紅魔館での一件からアルコールにトラウマが出来たよ。何度死ぬかと思ったことか。その上誰も私を守ってはくれないんだもん。自分のことで必死なだけなのかもしれないけどさ。
ああいや、回想シーンに入るつもりはないんだ。
とにかく、ぬえっちに帰って来てもらわないとフランが――――あれ、フラン?
さっきまで隣にいたはずのフランの姿がない。どこへ行ったのかとキョロキョロと周りを見てみれば、勇儀さんの前にいた。
明らかに喧嘩腰で。
「ねえ鬼さん? ちょっと、鬱陶しいよ」
「そりゃ悪かったね。で、あんたは?」
「フランドール・スカーレット。別に覚えなくていいわ。ただの礼儀よ」
「あたしは星熊勇儀。地底の土産にこの名前を持っていてくれ」
「こんな薄気味悪いところから持って帰るものなんてないわ」
「残念、だ。…………ぬえ、あんたもちゃんと友達出来たじゃないか」
「私が本気出せばこんなもんよ」
「そっかそっか。気分も良いし、宴会でもするか!」
「ダメ! ぬえっちは私と行くの! はい決定!」
「んな殺生な! 命蓮寺だと酒飲めないんだからさ、ちょっとぐらいいいじゃないか」
「何だ、禁酒してたのか? なら尚更飲めるときに飲んどかないとなあ!」
「私の言うことを聞けー!」
……………………。
あ、これフランがからかわれてるだけだわ。
古明地こいし、静観の構え。
「んじゃ、フランドールだっけ。一緒に――――」
「そこまでよ!」
静観はここまでだ。
フランに酒が入ることの恐ろしさはよくわかってる。
悲劇とは何のために起こるのか。それは繰り返さないためさ。
そして喜劇は目標とするためにある。
私はハッピーエンドが好きだからね、そのために全力を尽くすよ。
「実はね、勇儀さん。私達三人でお姉ちゃんに呼ばれてるのよ」
「さとりにかい? そりゃ参ったな、呼び止めてすまんかった」
「え、そうなの?」
「ぬえっちには言ってなかったね。ねー、フラン」
「…………あーうん、そうだったーような?」
演技は下手なんだ。
これは覚えておこう。何かの伏線かもしれない。
「というわけで失礼するね。今度地霊殿に遊びに来てよ」
「その時は私も一緒に。酒盛りは大人数に限るからね」
「私は反対だからぁ!」
「あっははは! 面白いなあお前達。こいし、ぬえ。友達を大事にしなよ?」
私達はそろって頷く。
「わかった!」
何だかんだ言っても勇儀さんとも長い付き合いだ。保護者の視線で私達を見守ってくれている。それはたまに鬱陶しくも感じるけど、やっぱり嬉しい。
…………見ていてフランとも険悪というわけでもなかった。互いに戯れ合いを楽しんでる感じ。これなら何かあった時も頼って良さそう。何もないのが一番なんだけどね。
私達三人、勇儀さんには頭が上がりそうもないな、こりゃ。
そして地霊殿に向けて、私を先頭に歩き出す。ぬえっちは最後まで勇儀さんに手を振っていた。何だか、私が想像していたのとは違うな…………私がお姉ちゃんに頼まれて一緒にいた時はずっと一人で寂しそうにしてたのに。もしかして、私が知らなかっただけで度々地底に戻って来てた、とか? それで仲良しさんが増えたんだろうか。
けどまあ、楽しそうにしてるわけだし、あまり詮索しなくても良さそう。野暮ったいのは嫌いだし。
もし困ってることがあるならその時は力になるけど、それ以外は干渉しすぎないようにしないと。
不干渉。…………昔の私はどうしてたっけ。相手が困っている時、どうしてたっけ。
まあいいや。昔は昔、今は今。前向きに行きましょー。
「さあさあ、お姉ちゃんの待つ地霊殿に行こうか」
「さとりかー。私は苦手なんだけど、フランはどうなんだろうね」
「さとりさんって言うの? こいしのお姉さん?」
「ああ、フランはお姉ちゃんのこと、何も知らなかったね」
それはある意味幸福なことなのかもしれない。
地底にいる連中でも、出来る事ならお姉ちゃんのことは知りたくなかったって人、多いし。
どうやって説明したものかな。
「私と違ってあるべき姿の覚妖怪だからね、心が読めるよ」
「うんうん」
「後はこいしと違って無意識を操ることは出来ない。まあ、ここは能力的なことね」
「心が読める、か。ってことは強いの?」
多分フランは私と戦った時のことを考えてるんだろうなあ。確かにあの時に私が心も読めるんだったら一方的な戦闘になったことは容易に想像出来るんだけど。
けどその大きな要因は読心じゃなくて、無意識なんだよね。
「例えば相手の心を読んで、右ストレートが来るとする」
「うん」
「でもそれを避けれるとは限らないよね? 相手が吸血鬼で、自分が人間だったとしたらさ」
「あー…………そうね、まず逃がさないよ」
「お姉ちゃんはそんな感じです」
「弱いんだ」
私に勝てないぐらいには。
相性の差ってもんがあるけどね。それを抜きにしても引きこもりと散歩マニアの体力差があるし。
「さとりはその読心に加えて、性格の悪さもある。いや、本人に悪気はないんだろうけどさ」
「性格の悪さ。…………こいしみたいな?」
酷い。
「私は良い性格してるとして、フラン? 大体イメージは付いた?」
「いやまったく。どんな性格なの?」
「……………………」
「……………………」
「どうして黙るの?」
何て言えばいいんだろう。
正直に、直球で言えば性悪ってことにしかならないんだよなー。そんなお姉ちゃんが好きだけど。
ぬえっちに任せよう。
アイコンタクト。
…………ふむふむ。全部引き受けてくれる、と。流石はぬえっちだなあ!
「…………こいし。自分のお姉さんのことでしょ? 紹介してあげたら?」
アイコンタクトは失敗だったみたい。
まあ、しょうがない。的確にお姉ちゃん相手の注意点を教えながら、お姉ちゃんをフォローするとしよう。
「まず一人で会話を始めちゃう人だよ。相手の思ってること、言いたいことがわかっちゃうからね。何も言わなくていいっていうメリット付き」
「ちなみに言いたくないこともべらべら喋られるっていうデメリットも付属するわね」
「あ、でも大人しい性格だよ。それに勝手に話されるって言っても嫌なことは黙っててくれるし、うん、良いお姉ちゃんだよ」
「ただしこいし相手に限る。私なんて嫌なことを堂々と喋られて脅されたことまであるし」
「ちょっとぬえっちうるさい」
「ホントのことじゃないか」
否定は、しない。
嘘を吐かずに相手を騙す、これが出来るのは誰もその実態を知らない時に限られる。
ぬえっちを連れてこなければ良かったかな。…………けど誤解されたまま本人とご対面するのもあれなのかな。いやいや、お姉ちゃんのことだからちゃんとフランの心を読んで私の意図を汲んでくれたはず。
どれもたらればの話だから関係ない。
今は全部知られたんだから、それを考えなくっちゃいけないね。何かあったらぬえっちに手を借りるけどさ。
「まあ大丈夫だよ。心配いらないって。何かあったら私がお姉ちゃんを叱っておくし」
「…………そうよね。こいしにぬえっちもいるし、大丈夫だよね?」
「もちろん。ねーこいし」
「うんうん」
そうだった。フランは私に依存してるって八雲紫も言ってた。そしてそれはぬえっちに対しても同じ様に感じてるのかな。友達がいなかったから、普通以上に親しみを覚える、それが行き過ぎて依存症。
それを利用させてもらおっかな。
と言っても大したことはしない。ただ傍にいるだけだ。それだけでフランは安心してくれるだろうし、それだけでフランは楽しんでくれるだろう。
生きる、ということを。
※
それから駄弁りながら少し歩き、地霊殿の前に到着した。
フランの住む紅魔館には劣るものの、中々に大きい館だと思う。詳しくは知らないけど、お姉ちゃんが使われなくなった灼熱地獄の管理を任されることになった際に、交換条件で建てさせたとかの噂もある。所謂旧都で囁かれているお姉ちゃん伝説の一つだ。
他には第三の眼からビームが出るとか、普段外出しないのは一歩外に出るだけで大地が裂けるからだとかそんな突拍子もないことばかりがある。もしそんな恐ろしい存在なら地底に来てないと思う。地上でふんぞり返ってる事だろう。
私は無駄に壮大な扉を開け、帰って来た挨拶をする。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お、お邪魔、します」
フランは緊張で声が少し震えていたけど、大丈夫だよ。ここより紅魔館の方が恐ろしいし。
そういう問題じゃない? わかってる。
普段だったらお燐が出迎えに来てくれろはずだけど、今日は何故かワニが迎えに来てくれた。
警戒心マックスで。
「…………こいしー? あんた嫌われてんじゃない?」
「そんなわけないじゃん。ほらほら、私だよー? 覚えてないかな?」
ちなみに私はこんな子覚えてない。最近住み着いたのだろうか。
そうだ、ペットは名前をつけられると嬉しいってお空から聞いたことがある。私からこの子に命名してあげよう。
何て名前にしようかな。
「ワニ、ワーニ、ワニワニ…………ハニワ! 今日からあなたはハニワね」
「…………これがワニかあ。初めて見るわ」
「フラン待って、何でそんな闘争心剥き出しなの?」
「吸血鬼って戦闘種族だから」
「嘘おっしゃい。だから警戒してるんだよ。笑顔を見せてあげれば懐くから」
「懐かれても困るんだけど」
「だよね。こんなところに多分二度と来ないんだし、どっちにとっても迷惑よね」
「こんなところはなんだ。お姉ちゃんに謝れ!」
「こいしには謝らなくていいんだ」
「そんな愛国心ならぬ愛居心はないからね」
ここにいることの方が珍しい放浪妖怪だから。
私はハニワの頭を撫でようとして――――噛まれた。
無理矢理引き抜くと、血だらけでボロボロの左腕が。
「両腕再起不能じゃん」
「まだ警戒されてる。こいし、何かしたの?」
「んー、ハニワって気に入らなかった?」
「まあそれもあるだろうね。…………これ以上こいしが血濡れになるのを見るのもあれだし、さっさとさとりに会いに行こう」
「そうだね。じゃ、行こっか」
「うん。ばいばいハニワ」
フランが声をかけるとハニワは嬉しそうに身体を震わせた。…………私がダメだったみたい。
まあ動物は気まぐれだからね、たまにはこういうこともあるだろう。
それともあれか、私のボロボロノルマ達成に協力してくれたのだろうか。腕が取れることはなかったけど、ここまで徹底的に噛まれれば再起不能だ。
両脚ぐらいしかまともに動ける部位がない。
私がちょっと憂鬱になりながらも先導してお姉ちゃんの部屋に案内する。その途中で一匹もペットと出くわさなかったのがちょっと気にはなったけど、大したことないだろうと思っていた。
フラグの回収こそが無為式。
お姉ちゃんの部屋に着いて、ぬえっちに扉を開けてもらう。
「ただいまー!」
そのままいつもの勢いでお姉ちゃんに抱きつこうかと思ったけど、それは部屋の中にいた人物を見てやめた。
お姉ちゃんと(何故か)こころちゃんがポカンとこっちを見ていて、もう一人、知らない人がソファに腰掛けていた。
まず最初に目に入ったのは顔の刺青だった。何がカッコいいのかわからないけど、私にはそれがナイフを模しているように思えた。それと白をベースとした斑な髪。耳にはピアスと…………何だろう、ストラップ? 何を考えてやってるのかまったくわからない。
加えて何でそんなに黒い服着てるの? 何かミスマッチで、それがその人物を表してるように思えた。
その彼が、口元にニヤリと歪めて私に声をかけてきた。
「誰かと思えばあれだ、欠陥製品みたいだな」
「――――は?」
私に言っているんだろか。
私は他の誰かに言ってるのかと思って両脇の二人に目をやる。が、どちらも思い当たる節が無いようで首をかしげていた。
一方の私は欠陥製品と聞いて一人、思い浮かぶ人物がいた。
いーちゃんぐらいのものだろう、そんな不名誉な称号を与えられる人物は。
そしてこの物言いから、その人物と似ていると言いたいのだろう。うん、私しかいないね。
とぼけるを選択。
「お姉ちゃん、この人誰?」
「お帰りなさい。何か、道に迷ったらしくて」
「ふーん」
何か、人生に迷ってそうな顔してるけどね。
私はさらっと刺青さんの隣に腰掛ける。そして部屋の前で呆然としている二人にも「座りなよ」とこころちゃんの隣を指さす。
二人が戸惑いながらも座ったのを確認すると、こころちゃんにも話しかける。
「こころちゃんはどうして?」
「暇だったから、新しい演舞でも見てもらおっかなって思った」
「ふんふん」
何というか、予想外なことだらけだ。
お姉ちゃんしかいないかと思いきや、随分と大勢揃ってたもんだ。
姿は見えないけど、多分お燐やお空もどこかで見てるんじゃないかな。この刺青さんを警戒して、ね。そうじゃないとお燐と玄関で会えなかった理由がわからないし。
総勢、八名。地霊殿にこんなに人が集まるなんて…………ちょっとした感動ものだ。
誰も喋る気配がないのを見てか、お姉ちゃんが「さて」と声を上げる。
「初めましての方も多いことですし、まずは自己紹介といきましょうか? 零崎さんも構いませんか?」
「ああ、いいぜ」
「では私から。この地霊殿の主、古明地さとりです。以後お見知りおきを」
お姉ちゃんに続いて私が触手を挙げて名乗り出す。
「はいはーい。お姉ちゃん、古明地さとりの妹、古明地こいし。よろしくね」
それからもそれぞれが順番に言っていく。
「秦こころ。えーと、面霊気やらせてもらってます」
「封獣ぬえよ。気軽に声かけてね」
「…………フランドール・スカーレット」
フランが明らかにコミュ症入ってる。
大勢の中だとやっぱり緊張するんだろうなあ。今までそういう経験なかったんだろうし。まあ、いい社会勉強だと思って頑張ってもらおう。
そして私が一番気になっている、隣の刺青さんが口を開く。
「零崎人識だ。かはは、よろしくしなくていーぜ?」
――――零崎、人識。
名前は聞いたことない。なかった、はず。そんな嫌な名前は知らない。
あー、何かこいつ見てるといーちゃんを思い出す。何だろう、いーちゃんと似てるのは身長ぐらいなのに。外見はいーちゃんと真反対を行ってるのに。
いーちゃんが頭から離れない。
「…………この地霊殿にこんなにも大勢来ていただけるとは。主としては嬉しい限りです」
「さとり、目が笑ってないよ」
「ぬえさんは楽しそうですね。ああ、大勢で話す経験があまりないんですか?」
「うるさい」
「照れなくてもいいのに。これだから嫌い? それは妙な話ですね。友情は腹を割って話すことから始まるものですよ?」
「別にやってくれとは――――」
「自分からも動かないでしょう? あなたが欲しいのはきっかけなのだから。何かの取っ掛りがあれば人と仲良く出来るのに、そんな風に考えてるじゃないですか。ああ、すいません。これは言わない方が良かったことですね。けどちゃんと言葉にするから相手に伝わるんですよ? 黙ってたら誰もわかりませんし――――」
「わかんないままで良いことだってあるだろ!? ああ、もう、だから嫌だったんだ」
何かお姉ちゃん、機嫌が悪そうだなあ。
理由は何だろうか。人が多いこと? それか、嫌な奴がいるか。
前者なら私達は後にしてもいいわけだし一旦退出するけど…………後者の場合。それは前からの知り合いである私にぬえっち、こころちゃんは外れるだろう。初めましてなフランか零崎かだろう。
今すっごい自然と零崎って呼び捨てにしたな。何かしっくりきた。
ううん。何が原因かわからない以上どうしようもないね。それこそ言葉にしてもらわなくっちゃね。
「お姉ちゃん、あんまりぬえっちを虐めてあげないでね? 私も虐めたいから」
「悪魔か! 姉妹揃って実は悪魔なのか!」
「しがない覚妖怪ですよ。…………ふむ、フランドールさん、でしたね?」
「え? わ、私?」
あ、矛先がフランに向いた。
「…………ふふ。面白い方ですね。スカーレットってことは、吸血鬼の?」
「うん。レミリアお姉様の、妹」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。誰も無理にあなたに話せ、とは言いませんから」
「え!? い、いや、そんなこと――――」
「聞き手に回ることも大事なコミュニケーションですから。それと、こいしと社会勉強されてるそうで」
「心を、読んだの?」
「それが私ですから。…………こいしのこと、よろしくお願いしますね」
「え、あ、うん」
「あの子にも必要なことですから、私としては大助かりです。あなたも外のことはあまりわからないんですか? それは不安でしょうけど、だからといって一つの回答にあまり固執しないように」
「どういうこと?」
「物事は平面ではありませんから。見る角度によって何にでも変わる、それが世界ですよ。心の片隅にでも置いといてくださいね」
「うん…………わかった」
ひょっとして、だけど。
お姉ちゃんはただ「妹」という存在に弱いだけなのではないだろうか。
私にもわかるぐらいにぬえっちとフランの扱いが違いすぎる。そりゃ、私としてはそれで助かるけど…………こうもあからさますぎると逆に怖くなってくる。
…………相手の心を読んだからって、こうはならないよね。特にフランの場合、私から言わせてもらえばそこまで狂ってるわけでもないし、心を読むっていうのは相手の視点になるってことだから怖いとか感じることもないと思うんだけど。
謎だ。
「――――こいしちゃん、つったっけ?」
「ひゃい?」
突然声をかけられて思わず変な声が出る。
声は私の隣から。イコール、零崎。
「どうかした?」
「……………………やっぱ似てるよな」
「誰に?」
「名前は知らねーけどさ。うーん…………こう、人の終わりみたいな奴」
「ひょっとして、いーちゃん?」
「そうそう、いーたん。人類最強がそう呼んでたな――――かはは」
零崎は笑う。何が楽しいんだろう。
人のことは言えないけどね。
私も何となくで笑う。
「うふふ。ぜろりん面白いね」
「その呼び方はやめろ。名前で呼べ、名前で」
「とっしー」
「俺はどっかの湖にいる首なが未確認生物かっつーの。さしずめトス湖か?」
「ネッシーには会ったことあるけどね」
「え…………まじか。あれってただの作り物じゃねえの?」
「作り物だよ?」
「だよなだよな」
「攻撃された」
「ネッシー何者だよ! どうやったらハリボテに攻撃されるんだよ!」
「ハリボテなわけないじゃない。河童特製だよ?」
「怖いわ! 河童何してんだよ! ネス湖がサイレントヒルみたいになってんじゃねえか!」
…………ふーむ。
このツッコミのキレの良さ…………間違いない。いーちゃんの関係者だ。
何だか楽しくなってきた。
なのに。
「こいし。その人と関わるのはやめなさい」
「え?」
「…………んだよ、つれねーなさとりちゃん」
「ちゃんづけしないで下さい。子供じゃないんで」
「どう見てもガキじゃねえか」
「何ですかお洒落ガンバリスト。今こいしと話してるんですよ。邪魔しないで欲しいですね」
「喧嘩売ってんなら買うぞ。ああ?」
「私はバーゲン品以外は買わない主義なんで…………」
「そう言いながらもお姉ちゃんは自分から買い物に行くことはなかったのであった」
「そういうこと言わない」
「引き篭りっつーことね。傑作だぜ」
「甘党ドチビの変態殺人鬼はお黙り下さいませ」
「よーし殺す」
お姉ちゃんと零崎が戯れあい始めた。楽しそうだなー。…………あ、こころちゃんが仲裁に行った。そこにぬえっちも介入だー! 楽しんでるだけだー! フランは――――どうすればいいのかわからずに座って黙り込んでいる! むむむ、いきなり地霊殿は難易度が高かったかな? それとも単純に人が多すぎて困ってるのかな。こういう時は騒いだもん勝ちなんだけど。
私は戦場を避けながらフランの隣に座る。
「ねね、フラン。大丈夫?」
「…………うん」
「無理はしなくていいからね。こういう場所が苦手、というか慣れてないんだったら、違うとこで休む?」
「そうじゃなくって、その…………新鮮すぎて、ね」
新鮮? この光景が、ということだろうか。
この妖怪達の大乱闘が新鮮? 割と幻想郷だとどこでもありそうなものなんだけど。
いやフランはちょっと前まで外に出られなかったんだし、あまり見れなかったんだろう。うん。
「こういう、仲良く喧嘩して、その上で本気で殺し合えるなんて私初めてだからさ」
「……………………ん?」
何か、予想の斜め上を行く言葉を聞いた気がする。
そういえばまだフランの「殺し合って仲良くなる」理論を解決してなかった気がする。勘違いしたまんまってことか。ちなみに私の目にはどう見ても本気で殺し合ってるようには見えないんだけど…………はてさて。
どうせいつもの思い込みだろうね。
なら私の出番か。
「あのねフラン。仲良く殺し合うなんてありえません」
「何で? 私とこいしだって楽しいバトルをやってたでしょ?」
「私は楽しくなかった。あそこまでボロボロになるなんてスキマ四肢切断事件以来だよ」
「ふーん。それじゃダメなの?」
「ダメダメ。友達は互いに楽しくなくっちゃね」
独りよがりではダメなのだ。
それは友情でも、ましてや愛情でもなんでもない。傍から見れば痴情でしかない。
ちょっと意味が違うかな?
「自分と相手はやっぱり違うんだよ。自分が好きなものが相手も好きとは限らない。互いに理解し合わなくちゃいけないの」
「例えば、互いの楽しめること?」
「そう。そうやって相手のことを思いやって、けれど相手の優先したら自分のことが疎かになっちゃって…………そういう甘酸っぱい青春を送ればいいよ」
「……………………ふうん」
納得したような、してないような…………そんな複雑な表情だ。
やっぱり相手のことを考えるってことをしたことがなかったせいだろう。今まではその「相手」が人形や死体だったのだろうから。意識のない相手を思いやっても仕方ないだろうし。
けど今じゃ違うでしょ?
「フラン。これから嫌でもわかることになるよ。だって――――」
私は戦争組の方を見て、いつの間にやら弾幕まで持ち出して遊んでる連中を微笑ましく思いながらフランに優しく言う。
「あんなにたくさん、友達が出来たんだから」
「皆、友達? まだ話してもいないのに…………」
「友達に定義なんてないよ? だから自分が友達だって思ったら友達なのよ」
「…………私はそんな風に思えないけど」
「私は友達同士に見えるけどなあ。要するにフランでも相手でもその他の人でも、誰かが友達だと思えば友達だよ。ルールがあるなら守らなきゃいけないけど、それ以外のことなんて自分で決めればいいんだよ」
「……………………」
黙られてしまった。
あれ、何か失敗した? フランのトラウマ的なことでも刺激しちゃったかな?
…………まあいいや。それこそルールがない以上好きに言わせてもらおう。
「フランだってそうだったでしょ?」
「私が?」
「ルールを知らないってことは無いも同然だよね? だから自分のルールを作ってそれに従ってるんでしょ?」
「……………………そっか。そうだよね。私、今までもそうしてたんだ」
納得してくれたみたいだ。
「けど」
「…………ん?」
「こいし、ちょっと生意気。自分は何でも知ってるみたいな言い方して」
笑いながら言う彼女に、私も自然に笑顔が浮かぶ。
相手が楽しそうに、嬉しそうにしてると自分もそうなっちゃうよね。
「ごめんごめん。上から目線になっちゃってたね」
「身長、そんなに変わんないのにね」
「ふふふ」
「あはは」
二人穏やかに笑い合ってると、横から私達の空間に不釣り合いな轟音が割り込む。
思わず音の方を見ると、壁に穴が開いていた。お姉ちゃん達の姿が見えないことから考えるに、別の場所に移動したようだ。
地霊殿崩壊の危機。ただの戯れ合いがどうしてこうなるんだ、まったく。
私とフランの時もあそこが紅魔館じゃなかったら火事になってたね。反省。
「フラン。ちょっと様子を見に行こっか」
「うん」
私はフランと手を繋いで、大人でも潜れそうなくらいでかい穴を通って行く。
私は戦場なんて見たことがないからはっきりとは言えないけど、こうも屍の山が築き上げられているとそれを連想するね。
血に塗れたこころちゃんとか腕を失くしたぬえっちとか喉に穴が開いてそこから呼吸音が聞こえる零崎とか姿が見えないお姉ちゃんとか何時からか介入してたらしいお燐の死体とか同じく参戦してた翼のもげたお空とかが見える。
…………えー。
「どう思う? フラン」
私はとりあえず隣にいるフランに状況を判断して貰おうと声をかける。
が、返事がない。この惨状に言葉を失くしているのかどうかはわからないが、とにかく反応がない。
私は流石に不審に思ってフランの方を見る。
そこにいたのは頭のないフランだった。
「……………………」
私は自分の無意識を操り始める。
これは断定してもいい――――ありえない。
戦争組にしたって、そこまでの被害が出るとはとても思えない。それこそ、あの中の一人や二人が本気で戦い始めたとしてもこうはならないだろう。
何よりもあのフランが唐突に死ぬなんておかしい。
イコール、ぬえっちだ。何が目的かは知らないけど、正体不明にしている。それでありえないものを見せられている。キュー、イー、ディー。
…………いや? あれは確か正体がバレていたら効果がないんじゃなかったっけ。私はここにいる皆を知っている。その能力は効かないはずだけど。
あれ、あれれ?
とにかく無意識だ。それで全部わかるはず――――。
「おっと、それは待ってほしいな、こいしちゃん」
信じられない声が聞こえた。
こんなところであってはならない声が聞こえた。
外の世界においてきたはずの声が聞こえた。
何で。
何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で。
何でいーちゃんの声が聞こえる?
「…………私は古明地こいしって言うんだけどさ――――」
「……………………」
「あなたは誰? そっくりさん」
「…………傑作だぜ」
声の方を見ると、そこいたのは確かにいーちゃんだった。
顔も服も声も身体も何もかも。
ただ違うのは、笑っていることだけだ。凄まじい違和感を覚える。
「ん。わかんねーってことは能力はやめてくれたんだな? 重畳、重畳。俺はそうだな、人間失格さ」
「芥川?」
「太宰だ。河童とか知らね?」
「ネッシーを作ってるんだよね」
「そりゃ知らねえな」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「あなたが人間失格なら私は何なんだろう?」
「俺に合わせりゃ人間失敗だろうし、あいつになぞらえりゃ欠落製品が妥当だろ」
「戯言ね」
「傑作だ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「ぬえっちがやったんだ?」
「そうそう。正直俺は嫌いだ、これ」
「姿が変わるんだよ? ロマンチックじゃない?」
「やーなもん思い出すんだよ。恥ずかしいこと言っちまった」
「ははーん。さては人違いなのに愛の告白しちゃったんだ」
「人違いだからさ。本人の前で言えっかよ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「好きな人がいるんだ。青春だねー」
「どこにいるのかわかんねーんだけど、知ってる?」
「知らなーい。私は好きな人がいたら逃げるタイプ」
「迷惑をかけたくないから?」
「叶わないから」
「敵わねえよな」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「そろそろカウンセリングでも始めるか?」
「いーちゃんに出来るとは思えないなあ」
「あいつにやってもらったんじゃねえの?」
「まあね。まったくの戯言だったよ」
「いいじゃねーか。そうじゃなかったらどうしてたよ」
「殺してただろうね」
「怖い怖い」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「実を言うとな、俺はあまりここにいられないんだ。鬼に追われててな」
「それは穏やかじゃないね。何をやらかしたの? 酒でも盗んだ?」
「鬼ごっこ。最近いろんなバリエーションがあるよな」
「あー、鬼が変わるんじゃなくて増えたり、捕まった人が動けなくなったり?」
「そーそ。それと一緒だよな、カウンセリングも」
「色々あるって?」
「おうよ。お前らがやってたみたいなこととかさ」
「何でバレてるんだろ」
「密告者がいるらしいぜ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「ゆかりんか。許すまじ」
「内通者ってのは嫌なもんだよな」
「いーちゃんはないの? そういう経験」
「統率はないし信頼もねえけど、家族愛には溢れてる嫌われ者の中にいたんでな」
「私と同じだ」
「ああ? 友達多いじゃねえかよ」
「嫌われてたら友達になれないの?」
「…………俺の負けだよ」
そのいーちゃん快活に笑う。
私も笑う。
「負けついでに言わせてもらうけど、いーちゃんも友達多いよね」
「大体死んでるな。傑作だっつーの」
「…………ねえ人間失格」
「何だ人間失敗」
「友達ってさ、なんというかさ――――何なんだろうね」
「質問だったのかよ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「同じこと話してたこともあったんだけど、あの時はどんな結論が出たんだっけか」
「前頭葉足りてないんじゃない?」
「どうやって増やすんだよ。移植か?」
「はいはい戯言戯言」
「投げやり過ぎんだろ。もうちょいあいつをリスペクトしてやれよ」
「それこそ戯言だね」
「かはは。違いない」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「友達、友達――――友達かあ」
「いーちゃん、頭の回転も遅い」
「うっせ。つーかさ、お前もあいつらのこと友達だって思ってんだろ? んじゃわかるもんじゃねえの?」
「わかんないから聞いてるんだって」
「それじゃこうしよう。知らずになってるのが友達だ」
「そしていつの間にか落ちてるのが恋だって?」
「何だ、人間関係なんて勝手に出来てるもんなのか」
「こりゃ参った。頑張りなんて無駄ってことになる?」
「そうでもないだろ。頑張ってる内に友達が増えてんだから」
「友達を増やす努力は無駄にならない?」
「友達を増やす努力をしてる内はぼっちってことだな」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「意識しちゃいけねーって教訓だな――――お前には言うまでもなかったな」
「何も考えないってこと?」
「少し違うな。必要以上に意識しないってこと。求めすぎないってことかな」
「…………大切なものは失くしたときに気付く?」
「そう、気付かない、意識しないぐらいがいいんだろ。かはは。これってひでえ話だよな」
「うん? そうかな、意識しなくていいってことだから、私は助かるんだけど」
「いやいや、んな話じゃねーよ。だって幸せには気付けずに不幸はすぐにわかるんだろ? 傑作だあな」
「あー…………まったくだね」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「そういうことだろ、お前についてもな」
「今を大事にしろって?」
「んー。そうなるかな?」
「何で自信がないのさ」
「何も考えてねーし。何で俺が赤の他人を思いやんなきゃなんねーんだよ」
「逆切れされてもな…………逆といえば、逆に考えるんだって名言あるよね」
「知らん」
「あれってお姉ちゃんが言ってた物事をいろんな角度で見るってことだよね」
「まあ、そうなるな」
「これも一緒じゃない?」
「ちげーよ。目の前にパフェがあってそれをいろんな角度で見てもパフェだけど、失くしちまったらパフェじゃないだろ」
「チョコパフェがいいなー」
「奢んねーし作らねえぞ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「ところでよ、今は気付けない幸せの話したよな?」
「うん。気付ける不幸せの話だったね」
「じゃあ今度は気付ける幸せの話しよーぜ。それがカウンセリングになるかは知らんが」
「してもらわなくてじゅーぶん。それで? 気付ける幸せって?」
「たまにあるだろ? 例えば好きなもん食って幸せとかさ」
「自分の願いが叶った時ってことだね? 意識が叶うって状況」
「そうそう。この場合ってどうなるんだろうな」
「どうにもならないよ。その上を求めちゃう罠ってところかな」
「罠か。傑作だぜ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「つまり意識が悪いのはあくまでも結論、行き着く場所ってわけだ」
「願いが叶っちゃうのが積み重なってるんだね。失敗は成功の母で、成功は失敗の父ってわけだ」
「その間で生まれる子供って何なんだろうな」
「停滞でしょ」
「挑戦かもな」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「んで、だ。こいしちゃんはどうするんだ?」
「何の話?」
「停滞か挑戦、どっちにするんだ?」
「……………………」
「これまでの話は続きがあるんだ。今思いついたんだけどな――――成功していけば失敗が増える。どんどん道が狭まるわけだが、けど決して道はなくなったりはしないんだ。さっきの飯の例でいくと、上手いもんを食い続けりゃいいってだけの話」
「…………無理じゃない? そんなの」
「ゼロじゃねえだろ。もしかしたら出来るかもしれない。それを求めんのが挑戦だな」
「諦めて身動きが取れなくなって、停滞」
「どっちにすんだ?」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私は笑えなかった。
「あと欠陥製品に聞いた話だが、あいつ、上手いもん食いすぎて舌が肥えすぎたことがあってだな」
「うん」
「そのせいで食う飯が不味く感じるってんで、キムチばっか食って舌をおかしくしたらしいぜ。馬鹿だよなー」
「…………ハードルを下げる」
「そういうやり方もあるわな。停滞と挑戦、そして妥協っつーのかな。三択になった」
「……………………」
「選ばないを選ぶ、なんてのはなしだ。そんなのいずれは決めなきゃなんねーんだし、とっとと決めとけよ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も、笑う。
「うーん。一番簡単なのにしよう」
「お前さんに向いてんのは挑戦だろうな。妥協、もありか。停滞は無理そうだ」
「あれ、私が考えてたの停滞なんだけど」
「大体の話は聞いてるけどよ、お前が無意識になったのって停滞に耐えられなかったからだろ」
「……………………そうかな」
「相手に嫌われるから、だっけ。それから逃げたのはその状況に甘んじることができなくなったからだろ? 変化を求めてんだから停滞じゃない」
「じゃあ、二択ね」
「決めんのはお前だっつーの。俺からは言いたい放題言ってるだけだ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「で、どっちがいいんだ? こいしちゃん的にはさ」
「妥協で」
「逃げることしか考えてねーのは間違いなくあいつだな…………いや、あの狐ん時には戦うって言ってたな。んじゃ、お前はあいつの過去――――もしくは陰ってわけだ」
「過去?」
「俺にもそんな変わった死神がいたんだし、あいつにいてもおかしかねーよ。それはいいや。なるほど、妥協ってのもわからなくもないな。無意識はリセットボタンか。やる気スイッチの逆バージョンってことね。はいはいはいはい…………そりゃまた何とも」
「傑作?」
「いんや、戯言だ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「で、何でお前は俺に見えてるんだ?」
「無意識は操れるようになったんだよ」
「良かったな。いや残念だったな、の方が正しいのか? 俺の…………んー、まあ友達が言ってたことなんだが」
「うんうん」
「強いは弱い、弱いは強い。意味わかる?」
「…………えーと。時と場合によりけり?」
「適材適所ってか。それも答えだな。けど俺が言いたいのはそうじゃない。この場合それは当てはまらない。強みは弱さを孕んでて、弱点はそれなりの強度があるんだ。これ、お前の無意識に当てはめてみようか?」
「無意識の強さ、弱さ。何があるの?」
「わかりやすいぐらいだろ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「強みって、相手に認識されなくできることよね。後は最近知ったんだけど、相手のトラウマを思い出させることも出来るんだよ」
「呪い名みたいなことすんだな」
「弱点は、何か効かないことがある」
「曖昧すぎるだろ。というか、それはどうだっていいんだよ」
「他に何があるの?」
「さっきの話を思い出せ。幸せ云々の話だよ」
「…………ああ、そんな話してたね」
「しっかり覚えてただろ。無意識は妥協、そんなこと言ってただろ」
「ちゃんと覚えてるよ。馬鹿にしないで」
「後で喉を掻っ切る。死にはしねえだろ」
「それぐらい平気だよ」
そのいーちゃんは流石に引いた。
私は笑う。
「マジかよ…………流石妖怪」
「話を戻すね。まったく、いーちゃんのせいで脱線したよ」
「どの口がそれを言うんだ。ま、いいけどよ」
「えーと、無意識が妥協っていうのは、あれだよね。リセットボタン。うん、そんな感じ」
「で、今はどうなんだ?」
「あんまり無意識にならないわねー。必要性を感じないし――――あ、なるほどね」
そのいーちゃんは快活に笑った。
私も笑う。
「そういうこった。いーたんらしかったろ?」
「いーちゃんらしいね。回りくどいあたりが。私は妥協じゃなくて挑戦になってるわけだ」
「とっくに結論は出てたわけだな。傑作だぜ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「我慢出来なくなってた――――というよりは、井の外を知ったってことになるかな?」
「んー? それは知らんが。けどまあ良かったじゃねえか。お前はもう十分だよ。無意識に頼ってない時点でな」
「けど今度は無為式に遊ばれちゃってるの。これはどうしたらいいかな?」
「それこそあいつを見習え。あいつの数ヶ月の面白さを知ってるか? 何回も入院してたらしいぜ。骨折したり死にかけたり」
「なるほど。私が最近やけに怪我すると思ったら、いーちゃんの影響だったのか」
「それはお前の不注意のせいだろ――――ってうお、何だその両手。どう転んだらそうなるんだよ」
「今気づいたの? これは噛まれたの。ハニワに」
「…………名前だよな? 犬かなんかの」
「ワニだよ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「ま、あながちお前の言ってんのも間違ってないとは思うけどな」
「どういうこと?」
「何でお前がわかってないんだよ。ほら、欠陥製品の影響ってやつ」
「ああ。あれは私が適当に人のせいにしただけだよ」
「ひでえ話だ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「お前が無為式になってんだろうな。才能があったんだろ。かはは。傑作だ」
「笑えないなあ。無為式ってそう簡単になれるものなの?」
「それはないだろ。んな最悪が溢れててたまるかっての。元からそうなんだよ、お前は」
「今まで影響がなかったのは?」
「何のための無意識だと思う?」
「あー理解」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「付き合い方だろうな、それについては」
「交際は避けたいところだけど」
「詐欺にでもあったと思え。いや、戯言にかな?」
「変わんないよ。…………あーもう、やだやだ」
「無意識に戻る?」
「今更戻れないよ――――挑戦することの楽しさを知っちゃったら、さ」
「んじゃ頑張れ。応援してやる」
「応援されてあげるよ」
そのいーちゃんは快活に笑う。
私も笑う。
「そろそろ帰るわ。あんまり同じところに居続けるの、好きじゃねーし」
「放浪癖? 大変ねー」
「大変じゃないやつがいるかよ。…………じゃ、息災を」
「じゃーねー」
あ、最後に一つ、言っておくことがあった。
私は律儀に扉から出ようとしている刺青男に声をかけた。
「ねえ零崎」
「あ? どうした」
「ありがとう。久しぶりにいーちゃんと話せた」
「そりゃどうも」
「こんな話知ってる? インディアンの少年の話」
「十人いて、どんどん減ってくってあれか」
「そうそう。何で減ってくかわかる?」
「さあな。通り魔殺人にでも遭ったんじゃねえか?」
「ぶっぶー。正解は、誰かと出会うためだよ」
「……………………傑作だぜ」
「うふふ」
零崎は扉を開け、部屋を出て、閉めた。
残されたのはボロボロの部屋と、私達。
古明地こいしとフランドール・スカーレットと封獣ぬえと古明地さとりと秦こころと火焔猫燐と霊烏路空。七人。
はっきりと皆の姿が見える。
零崎に――――いーちゃんに言われた。前を見据えて挑み続けろって。妥協せず停滞することなく挑戦しろって。戯言かもしれないしただの狂気かもしれないけど。
それでも私はしっかりと前を向く。上を見る。
止まりはしない。
だから――――
「お姉ちゃん。話があるんだけど、いいかな?」
「ええ。少し、場所を変えましょう」
意味なんてない。
意義なんてない。
意趣なんてない。
意図なんてない。
意志なんてない。
意力なんてない。
意念なんてない。
意欲なんてない。
意気なんてない。
意中なんてない。
意向なんてない。
意見なんてない。
意識なんてない。
零崎人識の人間関係――――古明地こいしとの関係。
無関係。
あ、次回の更新遅くなります。
深秘録アプデやったー!