ムイシキデイリー   作:失敗次郎

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正直無意識を操れたら最強な気がする。



夢枕にご先祖総立ち

 この間こいしちゃんに会った時の話だ。

 こいしちゃんの話してくれた「無意識の操る程度の能力」に興味が湧いたぼくは、無意識の状態というのがどういうものなのか聞いてみた。質問が大雑把でよくわからない、と言われてしまったので、こう言い換えた。

 

「無意識ってどう操るの?」

 

 と。答えは「無意識で無意識を無意識に操ってるからよくわからない」だそうだ。

 …………それはもはや、無意識を操っているのではないんじゃないか? むしろ無意識に操られていると言ったほうが妥当な気もする。

 今日はその話をしてみようか。「無意識に操られている」の話。

 そもそもこの事象は日常でもよくあることだ。反射なんかその筆頭だろう。無意識に身体が動いているのだから。…………この話は以前にもしたかな。なら違う例えで語ろうか。

 そうだ。ユングの「集合的無意識」が良いだろう。無意識に操られているいい例だ。

 「集合的無意識」について説明すると、全てのモノに共通する認識のことだ。例え話に例えを持ち出すのも如何なものかと思うが、例を挙げると、人型のものを見るとそれを人間だと錯覚してしまうことがある。案山子なんか有名だろうと思う。それは「そういうものだ」として無意識の内に思ってしまうからである、というのが「集合的無意識」だ。

 ここでぼくが言いたいのは、その無意識の認識に意識が引っ張られるということだ。「集合的無意識」を前提にモノを見る。モノを知る。モノを感じる。モノを覚える。…………つまりは、「無意識に操られている」ということだ。黒幕、なんて言い方は戯言的だろうか。意識は無意識に動かされているだけ。もちろん意識はあるのだろうが、無意識が全ての土台になっている。

 こいしちゃんは、その土台しかないのかもしれない。

 上にあるはずのものがなく。

 それ故に上面がない。

 本質を曝け出しているということ、偽りがないということだ。

 彼女の見せる笑顔は本物で、彼女の語る言葉は本気で、彼女の示す行動は本能で、彼女の伝える意思は本命で、彼女の抱える情感は本性だ。

 そんな彼女にぼくはもう一つ尋ねたいことができた。

 

「どうやったらそんな無邪気にいられるんだい?」

 

 

 ※

 

 

「知らないよ?」

 

 だと思ったよ。

 最初に出会ったあの日以来、こいしちゃんはちょくちょくぼくの部屋に遊びに来るようになった。ただし部屋の扉を開けて入ったことは一度もなく(正確には一度も見たことがない)、いつも当然のようにぼくの畳んだ布団を広げて寝そべっている。今日も恒例の勝手に布団敷きを行動に移してゴロゴロしている。

 最初の頃こそはやめてほしいと伝えたのだけど、「あったかいし、いーじゃんいーちゃん!」とラップのように言ってきたあたりで諦めている。

 

「無邪気っていうけどさ、いーちゃん」

 

 またいつの間にか布団から出て、コップに水道水を注ぎながらこいしちゃんは続けた。

 

「邪気なんて人が勝手に決めることでしょ? 私が無邪気だっていーちゃんが思っても、それっていーちゃんが思ってるだけじゃないの?」

「そうかな」

「そうよ。この前見たアニメでもさ、片方はあれが正義って言ってて、もう片方は違う正義があるって話ししてたよ」

「それもひとつの考え方かもね。けどそれだとキリがない。だからすべての基準になる法律っていうのがあるんだよ」

「あ、それ知ってる。六法全書に書いてあったやつでしょ?」

 

 中々難しい本がお好きのようだ。

 ぼくはこいしちゃんが移動した隙を突いて布団を終い始める。

 

「けど法律に満足がいかない人ってたくさんいるんでしょ? だから戦争でもなんでも起きるんだよね」

「それはそうだけど、皆で決めたルールを守らない方が悪い。ルールを破るやつの思いが悪意で、悪意の気を邪気っていうのさ」

「無邪気っていうのは?」

「邪気のないことだよ」

「なるほど」

 

 それから、しばらく会話はなかった。

 元々こいしちゃんはこの日、ぼくの部屋に本を読みに来ただけのようだったし、話のきっかけがなかったらお互い無言になるのは必然というものだ。ちなみにこいしちゃんが読んでいる本はぼくがこの間買った本。このアパートの人達に貸した感想が「まだお経の方が面白い」、「お兄ちゃんの価値観を疑います」等々だったのでこいしちゃんはどんなコメントを残すのか楽しみに思っている。

 一方のぼくはこいしちゃんが持参した漫画を読みながら水道水で喉を潤しているのだった。漫画のタイトルは「めだかボックス」。

 沈黙からどれくらいの時間が経っただろうか。

 ぼくの本を読み終えたこいしちゃんが「疲れたー」と一言を残して、その場で横になった。どうやらあの本は読んでて疲れる本のようだ。ぼくは読まないでおこう。

 さて、「めだかボックス」の次の巻はっと…………あれ?

 

「こいしちゃん。十巻がないみたいだけど」

「んー? どこか行っちゃったみたい」

「そっか」

 

 ぼくは仕方なく十巻を飛ばし十一巻を開く。話の内容は読んでいけばなんとなくわかるものだ。それにこんなのはただの暇つぶし、惰性で読むものがあればいい。

 しばらく読んでいると、こいしちゃんの寝息が聞こえてきた。まさか眠ってしまうとは。とりあえずさっきしまった掛け布団を引っ張り出して、こいしちゃんに掛ける。――――こいしちゃんが目を覚ます。

 

「あ、起こしちゃったかな」

「いーちゃんが乱暴にするからだよ。ボフンって音するって、どんな高さから布団投げたのよ」

「こいしちゃんなら大丈夫かなって」

「適当だなー」

 

 きゃらきゃらと笑って許してくれるこいしちゃんは、きっと天使の生まれ変わりなのだろう。

 ふわーっと欠伸をしながらこいしちゃんは、自分の持ってきた「めだかボックス」の一巻に手を伸ばす。

 

「読み直そっと」

「面白いよね。この漫画」

「どこが好き?」

「ヒロインが万能なところ」

「わかるー」

 

 言いながらこいしちゃんは「めだかボックス」一巻を開き、ページをめくる。内容が頭に入ってるのか怪しくなるほどの速度でめくる。流し読みというやつか。ぼくは本を一ページ一ページ丁寧に読むタイプの人間だから、流し読みを見ると凄いと思う反面、もったいないと思う。せっかくの暇つぶしを。退屈が嫌いじゃないならいいけど。いやそもそも、退屈が嫌いじゃないのは何でもできる時間があるからじゃないか? 何でもいい。

 ぼくは自分の読んでる巻のページをめくる。……落書きが書いてあった。「こいし参上」。

 

「こいしちゃん。これはどういう意味なんだい?」

「ん? 犯行声明だよ」

「声には出てないね。…………犯行?」

「死ぬまで本屋さんに借りることにしてるの」

「泥棒はよくないよ」

「憧れみたいなものだよ」

「心でも盗まれたのかな?」

「そんな素敵な泥棒さんじゃなかったよ」

 

 どこに憧れたんだろう。

 落書きのせいで少し見辛くなっているが、何とかセリフを解読して次のページへ。……また落書きか。「借りてくぜ」。何でこの巻にだけこんなに落書きが多いんだろう。むしろ今までなかったよな。落書き。しかも見辛くはなっているがギリギリ解読できる程度の落書きだ。そこにこいしちゃんの良心を感じる。

 やっぱり根はいい子なんだよな。勝手に人の部屋に上がり込むけど。勝手に布団で寝だすけど。また布団敷いてるし。どんだけ眠いんだよ。

 

「あ、ちょっと寝るねー」

「どうぞ」

 

 諦めることにした。ぼくがこいしちゃんと知り合ってからの教訓。諦めが肝心。

 すぐに寝息が聞こえ始めた。ぼくはそんな彼女を見て、一体どんな教育を受けているんだろうと思った。あまりにも自由人すぎる。常識もないんじゃないか? 

 妖怪には学校はないとはよく言うけど、ないなら作ってもいいんじゃないか。妖怪に不都合がないから作らないのだろうが。ぼくも妖怪になって自由に生きてみたくなった。

 けどなんとなく、妖怪になってもぼくは何かに縛られるんだろうなと思った。

 さっきこいしちゃんと話した法律の話じゃないけど、どんなものにでもルールはある。それは万人に共通するルールであれば、個人の課したルールでもある。万人のルールはそれこそ法律であり、個人のルールは約束なんかがある。おそらくだが、妖怪の世界には万人のルールがないのではないだろうか。だからこいしちゃんはたまに常識外のことをやってのける。それでも常識に沿ったこともするから、万人のルールにこっちとあっちで誤差があるだけなのかもしれないけど。一方、個人のルールはこいしちゃんの中に確かにあるのだろう。その証拠に、こいしちゃんはぼくとの約束を守ってくれている。個人のルールに縛られている。

 あまり考えたくもないけど、ぼくには個人のルールが多いんだろうな。

 …………考えたくないことは考えないことにした。漫画に集中しよう。

 

 

 ※

 

 

 読み終えた。気がつけば夕方だった。十七時。

 こいしちゃんが部屋に来たのが確か、昼前だったと思う。それからぼくは食事も取らず漫画に夢中になっていたというわけか。漫画廃人とはこのことか。本当にそんな人がいるのかは知らないけど。

 気がついてしまえば腹も減ってくる。冷蔵庫に何が入っていたかな…………。うん。これはひどい。もやし。以上。何をすればいいのやら。何か買ってくるしかないのだが……こいしちゃんを一人にしておくのは非常に不安である。いい子ではある。あるのだが、常識がない。何をしでかすのかわからない。よって一人にはできない。

 

「……………………」

 

 かといって起こすのも忍びないぐらいに気持ち良さそうに眠ってる。ううむ。

 よし、決まった。

 起きるまで待とう。読み終わった「めだかボックス」を読み直そう。もし九時まで起きなかったら起こす。それまでは待ってよう。

 それにしてもこの作者、よくもまあ変なことに挑戦したよな。一京個のスキルだっけか。どんな頭の構造になっているんだ。それを全部書く事は当然不可能にしたって、些細なことにまでスキルとして昇華させて何百というスキルを造り出してる。飽きないのだろうか。ぼくには到底理解できないね。

 

「おやおやいーちゃん。二周目突入してるね。そんなに気に入ったの?」

「起きてるんなら言って欲しかったよ。驚いたじゃないか」

「驚いてるなら、どっひゃー! とか言って欲しかったり?」

「言う奴いないと思うけど」

「どこかにいるんじゃないかな。アイエエエって驚き方もあるくらいだし」

 

 わざとらしすぎないか? それ。どこの方言だ。

 ともかく、こいしちゃんが起きてきた。

 

「んっんー。実に、清々しい気分だね!」

「そうだね。晩御飯食べてく?」

「御飯? もうそんな時間なの?」

「イエス」

 

 十八時にさしかかろうとしています。

 

「どうしよっかな。いーちゃんの御飯、家のより美味しくないしなー」

「そりゃどうも」

「…………よし、私が料理を見舞ってあげよう!」

「こいしちゃん。使い方間違ってる」

 

 「見舞う」は主に災いが来たときや、災難にあった人への慰めに使う言葉である。

 この場合の正答は「振舞う」。

 

「とにかく。冷蔵庫の中身見せてもらうよー」

 

 ぴゅーっと駆け足で冷蔵庫に近づき、勢いよく開ける。あまりそんなことされると壊れかねないからやめてほしい。…………それで、感想は?

 

「いーちゃん、もやし炒めでいいの? だったら楽勝ね」

「良くないから今から買い物に行かない?」

 

 こいしちゃん。天然属性入ってるようだ。ぼくの周りに天然キャラっていないから貴重だ。そもそも妖怪属性ってだけで希少種だけどさ。妖怪みたいな人は知らないでもないけど。

 閑話休題。ぼくたちは食材を求めて街へと繰り出したのであった。

 

「ところでこいしちゃん、食べたいものある?」

「その質問をブーメラン。今日は私が作るんだから、私が聞くの」

「特にないかな」

「出ました一番困る返事」

 

 知ってる。

 知ってて言ってる。

 流石にこれは可愛そうだと思ったので、考えてみる。…………今日食べたものとは別にしたいな…………昼は食べずにいたから…………朝何食べたっけ。確かパン。食パンかじってた気がする。

 よってパン以外。米か麺か。どうしようかな。昼を抜いたこともあってお腹も空いているし、麺だと軽すぎないか? ならば米。日本人の主食、ライスといこうじゃないか。それでも選択肢はあり余るほどにある。

 む。ピンときた。

 

「…………じゃあカレーライスをお願いしようかな」

 

 こいしちゃんがどの程度料理できるのかは知らないけど、カレーなら安定だ。作り方も簡単、味も余程のことがなければ食べられるものに仕上がる。おまけにお腹いっぱいに食べることも可能。おおカレー。貴殿は救世主であったか。

 ぼくの最良の一手とは裏腹に、こいしちゃんは不満そうだった。

 

「カレーかあ。中々に普通なチョイスだね」

「変わったものの方が良かったかい?」

「いーちゃんらしいものが良かったな」

 

 どんなものだよ。

 ぼくらしい食べ物。ふと思いついたのが朝に食べた食パンだった。料理じゃないってツッコまれそう。ごもっともである。変わり種というところで考えてみると、昔寝ぼけて作った海鮮丼(鶏肉&人参MIX)が脳裏に浮かんできた。すぐに沈めた。あれはなんと命名するべきだったのか。そのままミックス丼でいいのか。

 

「そうと決まれば、まずは八百屋さんだね」

「いやスーパーに行こう。全部揃うし」

 

 そもそも近所に八百屋を見たことがない。

 スーパーやコンビニが多い今の世の中、果たして八百屋の生きる道とは。

 

「ええー。八百屋ないの? 遅れてるね。…………で、スーパーって何? 頭が金髪になって逆立つやつ?」

「正確にはスーパーマーケットって言う。種類問わず食料品が置いてある店のことだよ」

「いーちゃんは未来に生きてるのか…………」

「ぼくにしたらここが現代なんだけど」

 

 妖怪の世界はどれだけ遅れているのだろうか。ひょっとするとこっちで死語と言われる言葉が流行っているのかもしれない。チョベリバ、とか。

 興味が湧いてきた。けどやっぱりどうでもいいや。そっちに行くこともないだろうし。

 で、スーパー到着。

 ぼくからしたらあって当たり前のもの、スーパーだが、こいしちゃんの目にはどう写っているのだろう。

 

「でっかいねえ」

「八百屋を大きくしたようなものだから」

「けど、八百屋にないものもあるんでしょ?」

「そう。大体の食べ物はあるよ」

「そうなの? 魚いる?」

「いるよ。たくさん」

「わーい!」

 

 魚が好きなのかな? なら今日のカレーはシーフードになるかもしれない。嫌いじゃないからいいけど。

 はしゃぐこいしちゃんと一緒にスーパーに入る。カゴを手に取り、こいしちゃんに見せるために店内を適当に歩くことにした。時間はかかるけど、人が嬉しそうにしているのを見るのは悪いものじゃない。

 こいしちゃんが魚コーナーで二十分も魚を見ているのには驚いたけど。ひょっとしたら妖怪の国には魚がいないのかな、と思い聞いてみると、

 

「魚はいるよ。けど海がないから見たことない魚がたくさん」

 

 らしい。つまりは川魚しか知らないと。ならここにいる魚の大半が知らないものになるわけだ。切り身だけど。肉片と化しているけど。

 いつか、機会があれば海にでも連れて行ってあげようかな、なんてらしくもないことを考えてしまう。そうしたらまた、こんな笑顔を見せてくれるのだろうか。

 そんなことを考えながら、ぼくたちは買い物を済ませていく。結局魚は買わなかった。こいしちゃん曰く、「カレーに魚を入れる文化なんてなかった」とのこと。こちらも機会があればぼくから振舞おう。

 ともあれ馴染みの食材をカゴの中に入れていく。豚肉、玉ねぎ、じゃがいも、人参、福新漬。その後こいしちゃんは生姜やシナモン、ターメリックを買おうとしていたがストップをかけた。今からカレー粉を作ってたんじゃいつ食べれるのかわかったもんじゃない。カレールウを勧めたが、得体の知れないものを使うのは不安だということで(妖怪の世界にはカレールウが存在しないということか)、譲歩して市販のカレー粉を使うことにした。

 

「誰が作ったのかわからないのを使うのは不安ねー」

 

 大丈夫。ぼくがいつも食べてるのは、誰が作ったのかわからないカレールウから仕上げるカレーライスだから。それに比べたらカレー粉の方がマシ……なのか保証できないけど、多分マシだから。

 どうせだったのでこいしちゃん用に甘いお菓子も買っておいた。勝手な偏見だけど、子供は甘いものが好きな気がする。

 とりあえずプリンを買っておいた。

 いつの間にか入れた覚えのないものが入っていたが……こいしちゃん流のアレンジに必要な隠し味だろうか? よく聞くものもあればまさかと言いたくなるものまで入っていたが…………まあ、今日はこいしちゃんに任せると決めたのだ。黙っておこう。

 レジに行き精算している間、こいしちゃんはキョロキョロ周りを見渡しては感嘆の声を漏らしていた。

 

「幻想郷にスーパーを作ろう」

「…………幻想郷? どこそれ」

「私のいるところだよ。八百屋のあるところ」

 

 妖怪の世界ということか。幻想郷ね。

 いい名前じゃないか。

 

「さて、帰ろうか」

「うん。また来ようね」

 

 随分とお気に召したらしい。新しい発見に胸躍るのは人間も妖怪も変わらないらしい。

 帰り道、こいしちゃんがふらふらと色んな店に突撃するのを止めながら、自室へ帰還。

 

「ただいまー」

「おかえり」

「何にするいーちゃん? ご飯? お風呂? それとも、スーパー?」

「何でまた行かなきゃいけないのさ」

「じゃあご飯ね。待っててね」

 

 ぼくからスーパーの袋をひったくるように引っ張ったが、ぼくもしっかり握っていたためこいしちゃんは足を滑らせてしまった。言い訳をさせてもらうと、突然持ってるものを引っ張られたら無意識に取らせまいとするじゃないか。仕方のないこと、仕方のないこと。

 それはともかく。ぼくはこの時初めて、こいしちゃんの妖怪らしいところを目撃した。

 足を滑らせたこいしちゃんは当然転ぶものと思って、ぼくは「あーあ」なんて思っていたのだが、何時までたっても転んだ音はしない。転ぶ気配もない。当然だ。

 

 彼女はその場に浮いていた。

 

 特別なギミックも奇妙なトリックも貴重なミラクルもなく。当たり前のようにそこに浮いていた。

 

「あーびっくりした。もういーちゃん、何でそんなに力強く持ってるの?」

「――――ごめんごめん。突然引っ張られたからさ。はい」

 

 ぼくは袋をこいしちゃんに預ける。笑顔でこいしちゃんは「大人しくしてるのよー」なんて言って行ってしまった。……空、飛んでたな。まあ妖怪だし、出来て当然なんだろうな。

 こいしちゃんが料理する間、とりあえず「めだかボックス」を読むことにした。

 

 

 ※

 

 

「出来たよー」

 

 しばらくしてこいしちゃんの声が聞こえてきた。

 漫画に夢中になっていたためどれくらいの時間が経ったのかはわからないが、僕の腹はペコペコだ。

 さて、どんな出来になってるかな?

 テーブルの上には二人分のカレーとコップに注がれた水が置いてある。皿に盛り付けられたこいしちゃん製のカレーは、見た目はどこにでもあるカレーだ。そりゃそうだ。カレーライスである以上、見た目が大きく変わることなんてない。ただぼくの作るカレー比べてじゃがいもや人参といった具が小さくなっている。食べやすさ重視だろうか。見た目ではこれぐらいの変化しかない。

 だが一番の注目点は匂いだった。…………キツイ。匂いからして辛そうだ。こいしちゃんのアレンジアイテムは敢えてあまり見ないようにしていた。だから何が入っているのかわからないが…………辛い、ということだけは想像がつく。

 その辛そうな匂いが、ぼくの食欲を一層そそる。

 いいじゃないか。

 まだ味を見てないから断定するのは早いだろうが…………こんな美味しそうな匂いのするものが不味いわけがない。辛抱の限界だ。

 

「いただきます」

 

 ぼくはスプーンを手に取って早速カレーを一口、口に入れる。

 ――――辛い。

 火を吹きそうな、何て比喩はどこででも聞くだろう。だがぼくはそんな体験を今までしたことはなかった。キムチ丼ご飯抜きを頼んだ時でもこれほどの辛さはなかった。なるほど。これが火を吹きそうな状態か。

 ぼくはその辛さを抑えるために咄嗟に水を口に含む。

 

「あ、いーちゃん知らないの? 辛さは水では引かないんだよ? むしろ逆効果になるんだって」

「けほっ……何で水を置いたの?」

「水しかなかったじゃない」

 

 そうだった。

 っていうか、こいしちゃん普通にこのカレーを食べてるけど、辛くないのだろうか。

 いや違う。これがこいしちゃんにとっての普通なんだ。これに慣れきってしまっているんだ。なんと恐ろしい、古明地家の食卓。きっと皆辛いものばかり食べているんだろう。そして辛いものしか受け付けなくなった…………そういうことだったのか。じゃあプリンはダメだったか? 異常に甘く感じるかもしれない。

 まあプリンを食べるかどうかは後で聞こう。今はこのカレーに立ち向かわなくては。

 二口目。

 

「――――っ!」

 

 やっぱり、キツイ。

 水は逆効果と聞いたが(実際辛さが引く気配はない)、かといって何も飲まずにいるのも苦しい。だから水を思いっきり呷ってしまう。

 ふう、と息をつく。何ということだろうか。人間と妖怪の違いはわかっていたのに、味覚を一緒だと思ってしまうなんて。こんなことなら――いや、どうしようもないか。

 とりあえず食べるか。いつしか舌が麻痺するだろう。そうなってしまえばこっちのものだ。

 三口目。辛い。だが、辛さの中に旨みを感じ始めた。一口目、二口目は辛さしか感じなかったものの、三口目となれば辛さにしたが少し慣れてきたということだろうか。辛さの先にあるカレーの味をぼくは感じ始めていた。

 何だろう。癖になってしまう。

 水を飲まずに、続けてもう一口。段々味がわかるようになってきた。

 率直に言おう。美味い。

 

「ふっふっふ。どう? こいし特製カレーの味は?」

「…………うん。いいと思うよ」

「でしょでしょ? ふふん」

 

 手が止まらず、あっという間に目の前のカレーを平らげた。

 おかわりはあるそうだが、やめておいた。中毒になっても困る。そもそも一杯目の量が十分すぎるほど多かったので二杯目が入るかどうかも怪しい。

 スプーンを皿に添え、手を合わせる。

 

「御馳走様でした」

「お粗末さまでした」

 

 こいしちゃんは食べるのが遅い方なのか、まだカレーは三分の一程残っていた。ぼくが早かったということもあるのだろうけど。仕方ないじゃないか、あんなに美味しいのだから。

 ちなみにじわじわ辛さが蘇ってきた。痛い。口の中が痛い。

 ぼくはコップに残っていた水を一気に飲み干し、食器を洗おうと立ち上がる。

 

「あ、いいよいーちゃん。片付けまでが料理だし、私がやっておくよ」

「気にしないでよ。ここまでやってもらったら十分。こいしちゃんはそれ食べてて」

「むう。わかった。お言葉に甘えさせてもらおっかな」

「そうしなさい」

 

 流し場で皿を洗おうと水を出す。…………少し飲んで喉を潤してから皿を洗い始める。

 食材や道具などはもう片付けてあった。自由人はこの辺りも後回しにしがちというか、大雑把なイメージがあったが、こいしちゃんはそれには当てはまらないらしい。それとも人の家だからということで遠慮して――――それはないな。勝手に布団で寝転がるような相手だ。こういう性格なんだな。

 何というか、ちぐはぐだ。

 行動に一貫性がない。一貫性なんてものがある人の方が珍しいけど。大体の人はその場その場で一番無難のことをするものだ。それはある意味一貫性といえるものだけど、「これだけは通す」というものはない。

 妖怪な彼女ではあるけど。

 誰よりもその様は人間だ。

 何と言えばいいのだろうか。良識がなく常識がある、とでも言えばいいだろうか。その二つが曖昧なのかもしれない。だから自分の中のルールに従っているのかもしれない。

 ああ、そうか。そういうことか。

 だから彼女はこんなにも「無邪気」なのか。

 そもそも、邪気なんてあるはずがなかったのか。

 

「いーちゃん? さっきからずっとお皿洗ってるね。綺麗好きなの?」

「――――おやこいしちゃん。いつの間に食べ終えたんだい?」

「いーちゃんが難しい顔しだした辺り。悩み事?」

「まあね。ぼくは悩める少年なのさ」

「悩み? 私でよければ相談に乗るよ?」

「んー。それじゃあひとつだけ、聞いていいかな?」

「ばっちこーい」

 

「こいしちゃんは、人を選んだことがあるかな?」

 

「ないよ。皆大好き」

 

 当然のように言ってのけた。

 そこには「邪気」はない。悪意はない。彼女にとっては当たり前のことなのだから。

 …………そう。当たり前なのだ。

 うん。納得。

 ともあれ、この後はこいしちゃんが「洗い物を手伝う」と言ってくれたが、そこまで年下の子にやらせるのは気が引けるので断った。何とか説得するために適当なことをつらつらと並び立てていたら、ふと反応がなくなったので不思議に思ったら、こいしちゃんの姿はもうなかった。

 いつものことだ。だが今日は、妙に寂しく感じた。

 なんて。

 もちろん。

 

「――――戯言だ」

 

 そうだよな。ぼく。




自分で書いててよくわからなくなることがある。
これが無意識か。
…………はっ。つまり私にも「無意識を操る程度の能力」が!

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