ムイシキデイリー   作:失敗次郎

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クライマックス前偏


嫌われ者のフィロソフィ

 こいしちゃんは妖怪だ。

 ぼくは人間だ。

 だから感じ方が違うのは当たり前だ。ぼくたち人間の当たり前が彼女たち妖怪にはわからないなんてのは当然だ。

 昨日こいしちゃんが話してくれたことを思い出す。こいしちゃんが目を閉じるきっかけ、無意識に身を落とす理由。心を読めるが故に知った矛盾。

 こいしちゃんはとても辛かったのだろう。それはそういうものだ、と受け入れられない純粋さ。弱さとも言えるそれのせいで、まるで宇宙人の中にでも放り込まれたかのような生活をしていたのだろう。

 さぞかし辛かっただろう。

 …………そういえば。あの時こいしちゃんは人間を例に挙げていたが、あの言い方だとまるで妖怪相手にも同じような感覚を味わったかのような感じだった。お姉さん相手にも信じられないと言っていた。一番の身内である姉にさえそんな思いがあったのなら、他の妖怪も人間同様に見えたのではないか。

 …………いや待て。その事件の時からこいしちゃんは無意識に身を預けていたのではないか? 今のように無意識に呑まれてしまっている訳ではないだろうが、その時点で無意識になりつつあったのではないだろうか。

 だからこそお姉さんが信じられなかった。あの時も疑問に思っていたのだが、心が読めるというのはそういうことだ。信じられない、即ち真実とは思えない。だが心が見えるこいしちゃんならば、真実がそのまま目に映るはずなのではないか。それが出来ないていないということは……既にこいしちゃんは、瞳を閉じていたことになる。

 ただし、無意識にはなれていない。なれていたならそんな風に疑問を覚えることもないだろう。彼女の望む無意識は愚者のことだ。何も考えていない者、それが彼女の求める無意識であり、今の彼女だ。

 の、はずだ。

 だというのに、お姉さんを信じれなかった。ならあの時の彼女は、心を読める覚と無意識を操る愚者の間の状態だったということか?

 ……………………彼女は、古明地こいしは。

 

 いつから無意識だった?

 

 もしかしたら。これはあくまでも推測だが、もしかしたら。

 最初から無意識の片鱗を持っていたのではないだろうか。

 他の妖怪に対しても人間たちに見るような「わからないもの」があった。それは心が読める覚妖怪特有の感覚なのかと思っていたが、違うのか?

 無意識の片鱗を持つ、古明地こいしだったからなのか?

 持って生まれた性のように、他者とはそもそもわかり合えないモノだったのか?

 ――――ああ、そうか。そういうことだったのか。

 何のことはない。彼女はぼくと同じ異端だったというだけの話だ。

 才能、と言ってもいいかもしれない。

 ぼくの持つ、人を狂わせる才能と同じものを彼女も持っている。

 そういえば。ぼくのこれを無為式なんて名付けた人がいたっけ。

 出来過ぎた話だよな。まったく。

 

 

 ※

 

 

 こいしちゃんが遊びに来た。

 昨日の話をしている時とは打って変わって笑顔を浮かべている。

 無理してるんだろう。あんな辛いことを話してまだ一日だ。割り切れてるとはとても思えない様子だったし、ぼくに心配かけまいとしてくれているのが見てわかる。

 だからぼくもいつもと同じ調子で、

 

「やあ」

 

 とだけ言っておいた。

 

「やあいーちゃん。今日も変わりないようで」

「人は変わらないものさ」

「時代は変わってるのに?」

「置いてかれてるからね」

「ふうん」

 

 何ていつも通りの戯言を交わして、こいしちゃんは最近の定席、パソコンの前に陣取る。

 ぼくはコップに水を注いでこいしちゃんに手渡す。

 

「ん、ありがと」

 

 一気飲み。

 パソコンの電源を付け、起動するまでのちょっとした時間にこいしちゃんは「んー」と寝起きの人みたいに腕を伸ばす。……本当に寝起きなのかもしれない。

 こいしちゃんに返されたコップに水を入れ、もう一度こいしちゃんに手渡す。

 

「もういらないよ」

 

 若干困惑したように言った。ふむ、流石にいらないか。

 とりあえずぼくが飲んだ。

 

「あ、間接キスだ。やーらしー」

「それは古い人の考え方だよ。今では友好の証としてどこでもやってるんだ」

「そうなの? 今度お姉ちゃんにやってみる」

 

 ごめん嘘なんだ。恥ずかしいから咄嗟に吐いた嘘なんだ。

 そんな純粋な目でぼくを見ないでくれ、こいしちゃん。汚れたぼくにはその目は眩しすぎる。

 コップを洗って、パソコンを操作するこいしちゃんの横に座る。

 

「今日は何を見てるの?」

「ホラー」

 

 妖怪がホラーを調べるのか。

 

「…………いーちゃん。貞子って何?」

「有名なホラー映画の主役だよ。確か、井戸の中から出てくるんじゃなかったかな」

「それお菊さんじゃない?」

 

 ……………………。

 あれ? 貞子って井戸から出てきてなかったっけ。テレビは確実に覚えてるんだけど…………でもお菊さんも井戸だしな。皿数えるやつだったよな。落語にもあるやつ。……ん? あれ、こんがらがってきた。

 

「いーちゃん、どうしたの?」

「自分の記憶に語りかけてる」

「答えてくれないよ」

「それもそうだ」

 

 考えるのをやめた。

 そもそもぼくの記憶力を頼るなんてありえなかった。人の名前すらまともに思い出せないというのに。

 ……………………記憶力、か。

 こんな話を聞いたことがある。

 人は物事を完全に忘れることはない。記憶を脳の片隅に追いやってしまっているだけなのだと。曰く、それが忘却というエリアだそうだ。ここにあるものは何かのきっかけで意識的に記憶できる場所――記憶領域に戻ることがあるのだが、それがないのではあれば動くことはない。これは、記憶領域には限度があり忘却には限度がないことに由来する。だからいらないと判断されたものは次々と記憶領域を離れ忘却に送られる。

 つまりはいらないものをゴミ箱に捨てているということだ。この例えだと必要に応じてゴミを漁ることになるけど、間違っていないからいいだろう。

 で、ぼくの場合だ。記憶力が悪いということは、見て感じた物事の殆どをいらないものであると、ゴミであると判断しているということになる。行った場所、人の名前、共にした日々。それらをぼくはなんとも思わなかったということだ。

 或いは。ぼくの記憶領域が極端に小さいのかもしれない。何も覚えられない人間。それは結局、大半のことを覚える必要がないと言っているのとどう違うのだろうか。覚えないということは、何も知らないということで。何も知らないということは、普通であればありえないことだ。

 当然だ。生き物である以上、何かと関わらずにはいられないのだから。外の世界と関わらずにはいられないのだから。そうなれば外の世界が目に映る。それを記憶する。認識と記憶は一緒だ。目に映るのであれば記憶される。忘却に行くか、記憶領域に残るかは別として、だ。

 何も知ろうとしないということは、何も見たくないということではないのだろうか。記憶領域が小さいということは、何も認識したくないということではないだろうか。

 ならばそれは人として生きることへの否定だ。誰とも関わらないを選んでいるのだから。

 人間失格、零崎人識はぼくをこう呼んだ。

 

 ――――欠陥製品、と。

 

 それは記憶力の欠陥に限ったことではなく、ぼくのあまりに薄弱すぎる意思のことを指していたのだろう。ぼくのあまりに欠けすぎている人間性のことを指していたのだろう。生への無頓着。これはぼくの過去からの逃避だと思っていた。多くの人を殺し、壊し、終わらせてきたぼくにできることなのだと、そう思ってきた。

 違うんだ。これはぼくの本能とも言える自殺衝動だったのだ。全てを台無しにする才能に起因する、終焉を望む本能。

 そして。これは彼女にも同じことが言える。

 古明地こいし。ぼくが勝手に自分の「陰」であると感じた彼女。

 彼女からいつも何か感じることはあったのだが、それは漠然とした不安のようなものだった。見てはいけないものを見てしまった、背筋の凍るような感覚。殺人鬼の殺害現場に居合わせてしまったような、犯してはならないもの犯してしまった感覚。

 その正体が昨日の話でわかった。彼女もぼくと同じ、自らの生きることを否定しているのだ。

 自ら覚妖怪であることを否定し、そして生き物の常識であるはずの集団化からの逃避。

 欠陥製品。

 そして、それらの基である無意識。

 ぼくの全てを台無しにする才能、無為式。

 無意識と無為式はある一点においては一致する。狂わせる概念であるということは。そこにあるだけで迷惑な方程式。

 ただし。ぼくは周りを狂わせ、こいしちゃんは自らを狂わせてしまった。ただそれだけの違いだ。

 ……………………。

 どうしたことだろう。同じ存在だからだろうか。それともまた別の何かだろうか。

 ぼくは彼女を救いたいと思ってしまったのだ。

 傷の舐め合い? 結構。

 大きなお世話? 結構。

 それでも。

 古明地こいし。

 ぼくは君を救う。

 

「こいしちゃん」

「ん? なあに?」

「昨日の話は覚えてるかい?」

「…………そりゃね。私が話したんだから」

「今度はぼくの話をしよう」

 

 そう前置きし、昨日のこいしちゃん同様に一気に捲し立てる。

 

「ぼくには周りを狂わせる才能がある。呪いと言ってもいいかもしれない。無為式、なんて言うんだけどね。他にもイフナッシングバッドなんて呼び名もある。要はいるだけで周りに迷惑をかけるってことだ。それだけ覚えてくれればいい。呼び名なんてどうでもいいから。

 どんな風に狂わせるか。全てが最悪になる。台無しになる。物語の一ページを破るようなものだ。積み立ててきた積み木を崩すようなものだ。足を引っ張る呪い、それも間違っていないだろう。…………とにかく、何事もなるようにならない。それがぼくという存在なんだ。

 そのせいで、これまでたくさんの人を殺してきた。壊してきた。何の罪もない人が終わってきた。ぼくがそこにいたから。ぼくがいなければ笑っていられた人が、表情を変えられなくなった。しかもね、ぼくが強く想うほどに壊れちゃうんだよ。例えば相手が好きだったり、例えば相手が嫌いだったり。そんな感情が余計に場を掻き乱すんだ。

 だからぼくは何も感じないようにしようと決めた。ただ一つ、ぼくが誓ったことだ。誰も好きにならず、誰も嫌いにならない。何も想わなければ、ぼくという呪いは最低限だ。誰も壊さずに済むんじゃないかって思った。だからぼくは何も感じない。今でもこの誓いはある。そして今後も、ずっと。

 …………こいしちゃん。君もこれと似たような経験をしてないかい?」

「……………………ないよ? もしかしていーちゃん、私も壊れちゃうんじゃないかって心配してるの? 大丈夫だよ。私はずっといーちゃんの傍にいるから。なんたって妖怪だからね! そう簡単には壊れないよ」

 

 そう言って、笑う。

 また笑う。

 どうして君は笑えるんだ?

 

「ぼくが言いたいのはね、そうじゃないんだ。君だってわかってるだろう? ぼくが君を狂わせてるという話じゃない。君が君自身を狂わせているってことを言いたいんだよ。特に、無意識を操れるようになってから。君の無意識はぼくの無為式の反転だ。周りを狂わせるんじゃなくて、自分を狂わせる。けど見える景色は一緒だ。狂うってことは普通じゃないということだから。狂人の視点で常人を見れば、それは狂人が常人になり、常人が狂人になる。…………もう隠す必要はないよね。こいしちゃん、君はこっち側だ。間違いなく、狂人だよ。

 気を悪くさせちゃったね。ごめん。けど、君には知ってて貰わなくちゃいけないことなんだ。それから目をそらしたいのはわかる。眼を閉じたくなるのはわかる。ぼくだって同じだ。自分から逃げ続けていた。でもそれじゃダメなんだ。無意識に逃げてちゃダメなんだよ。

 いつも笑っているのもそうだ。君はそうやって自分をやめようとしている。泣きたくてしょうがないのに笑う。泣くことを知らない愚者のように。無知を装ってもダメだ。無意識を纏ってもダメだ。こいしちゃん。君が辛いのはよくわかるよ。

 君は自分と周りが違うのが怖いんだろう? だから愚者になろうとしたんだろう? 君が嫌悪していると言っていた人と同じになりたかったんだろう? 君が本当に嫌だったのは安易な道に逃げる人なんかじゃない。君が呆れていたのは嘘を平然と吐く妖怪なんかじゃない。他ならぬ、他人と違う自分が嫌だったんだろう? 人の心が読めて、相手の本心が手に取るようにわかって、それで気づいたのは本当のことがわかってもしょうがない、なんてことじゃない。自分の考えと相手が違うということだ。それだけならよかった。自分と相手が違うのは当然のことだから。けど、複数の人間の心を同時に読んで気づいてしまった。その複数の人間の気持ちが一致していることに。違っているのは自分だけだということに」

「……………………」

「お姉さんの言葉を信じられなくなったのもそれが原因だ。君は心が見えるといっても、自分の心はわからないんだろう? お姉さんと一緒にいて、お姉さんの心はわかる。けど自分の心がわからない。だから、お姉さんと自分の気持ちが一緒かどうかなんてわからない。もちろん、それはお姉さんは読めていたんだろう。こいしちゃんが悩んでいることも、こいしちゃんの気持ちも。お互いにそれを言葉で伝え合えばそれでよかったはずなんだ。お違うに嘘を吐いてるかもわかるんだから。けどそれはなかった。互いに切り出さない。…………それは何故か? 

 まずこいしちゃん。君はこの時点で、心が読めない、あるいは読み辛くなってたんじゃないかな? 完全に眼を閉じたのはこの先かもしれない。けどもう既に、心を知りたくないと願ってしまっていた。自己の否定だ。病は気からって言葉がある。気の持ちようで病気も治るって話なんだけど。つまりは自分の思い込みで身体にまで影響を及ぼすってこと。プラシーボ効果ってやつさ。それに加えて、君の中の無為式。十分に第三の眼に悪影響だったはずだ。だから君はお姉さんに聞くのをやめた。結局確認なんて取れないってことだからね。

 じゃあお姉さんはどう思っていたか。こいしちゃんに自分で気づいて欲しかったんだよ。こいしちゃんが勘違いしているということに」

「……………………どういうこと?」

 

 ここに来て、こいしちゃんの声に怒気が混じった。

 顔を伏せ、絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「私が、勘違い? 違う、私は正しいよ。正しい正しい正しい! だって、皆一緒なんだよ!? 同じことを思って、同じことを話して、同じ顔で笑うんだよ!? 私だけが一緒じゃなかった! 心が見えても、理解できないの! 私が違うんだよ!」

「そう、こいしちゃんは違う。さっきも言ったけど、君はこっち側の人間だ。断言しよう、誰も君を理解できない」

「だったら!」

「皆一緒。…………本当にそうだったのかい?」

「そうよ! 昨日も言った通り、全員仲間を作るってことで一致してたんだよ!」

「そうだね。それは心が読めるんだから間違いないだろう。じゃあもう少し聞こうか。その人たちは、ずっと一緒だった?」

「――――――――え」

「違うだろうね。こいしちゃんが違う場面でのその人たちの会話を聞いて、見ていたかどうかは知らないけど、違うはずだよ。その時はその時で全員別のことを考えてただろうね。…………結論から言おう。

 たまたまだよ。

 一応理屈はあるんだけどね。例えば1+1って問題を複数人に同時に聞いたとしよう。その答えは全員同じになるだろう? 二だ。こいしちゃんが見たのはこれと同じだ。たまたま、皆が同じことを考えるタイミングで心を見てしまっただけだ。

 大数の法則。…………コインってあるだろう? それを投げて表か裏かを当てる。ちょっとやってみようか。…………はい。表。表が出た。これで現状、表の確率が100%だ。だからこれは表しか出ないコインだ、なんて言えるわけがないよな。たまたまだ。偶然、表になっただけだ。試行回数を稼げば表と裏の確率は約半々になる。けどこれは何回もやらなきゃわからない。一回だけじゃさっきの通りだ。こいしちゃん、君のもそういうことじゃないか?」

「……………………」

「そのグループの心はその時しか見てないのかもしれないけど、もちろん違う人たちの心だって見てきてるんだろう? その心は一致してたのかい? 違っただろう。君は悪いところだけを見ている。そこだけを見て判断している。仕方のないことだけどね。善行っていうのは言ってしまえば当たり前のことだ。少なくとも世間はそういう風に見ている。人助けしなくちゃいけない風潮だしね。そしてそれは誰しもが生まれた時から脳に染み込んでいる。無意識の中に入り込んでいる。だから人助けできない、しないことに後悔なんてするわけだ。本来、人助けはやれば立派なことなんだけどね。それを強要している社会のせいで当たり前になっている。

 さて、さっきの話に戻そうか。悪いところっていうのは、悪行っていうのはマイナスだ。それに対し、善行がプラスになっていないんだよ。ゼロになってしまっている。だからどんなに人のいいところを見てもいい人だなと思うけど、ゼロのまま。なのに悪いところを見ればゼロにマイナスが入ってマイナスになる。どんなにいい人でも悪行一つで悪人さ」

「……………………」

「お姉さんはわかっていた。こいしちゃんがただ思い違いをしているだけだって。こいしちゃんだけが違うなんてことはないってわかっていた。けど、それをこいしちゃんに伝えることはできなかったんだよ」

「どうして」

「その時点でお姉さんはこいしちゃんが心を読めるものだと思ってるからさ。言っただろ? こいしちゃんが人と違うことは確かなんだって。そんな君に対してあなたは皆と一緒だなんて言えるかい? 生きるポリグラフ、嘘発見器に。こいしちゃんの思うことは違うけど、人と違うことは否定できない。あまりにグレーゾーン。もちろん無言でも心は読めるにしても、かといって何て言えばいいのかもわからない。…………いや、ひょっとしたら伝わってるものだと思ってるから何も言わなかったのかもしれない。とにかく、その無言をこいしちゃんは肯定と受け取ってしまったわけだ。それも含めて、全部勘違いだ」

「――――じゃあ、どうすればいいの?」

 

 こいしちゃんの声には、先程のような力はなかった。

 何の感情もこもっていない、ぼそぼそとした声。うっかりすると聞き逃してしまいそうになる。

 

「教えてよいーちゃん。いーちゃんの言う通りだよ。私は、皆と違うことが怖かった。違うってことは、一人ってことだから。一緒だったら笑えるのに、一人だと笑えないの」

「…………こいしちゃん。君は最後に一つ、勘違いをしている」

「……………………」

「君は一人なんかじゃないってことだ。人と違うことは、ましてやぼくたちのような欠陥品は間違いなく孤独だよ。けどそれは理解者がいないっていう意味でしかないんだ」

「解り合えないのに一緒になれるわけないよ。いーちゃんは強いからわかんないんだよ。わからない相手と付き合うのが怖いって。だから私は無意識になった。愚者になる」

 

 どうやら本当に愚者になってしまったらしい。

 彼女自身にとっても大切な相手。彼女のことを大切に想ってくれている相手。その存在すらも忘れようとしている。

 無意識とは彼女の最大の敵であり、彼女を守る盾だ。…………何て皮肉だろう。乗り越えるべきものに縋り続けるなんて。

 それはまるで、以前の自分を見ているようで。

 正直、腹が立った。

 無為式のせいにして。全部から逃げ出して。

 ぼくは君を救わなくちゃいけない。ぼく自身が変わるために。ぼくの陰である君を。

 

「じゃあこいしちゃん。どうしてお姉さんは君を想ってくれてると思う?」

「…………お姉ちゃん?」

「そう、お姉さん。まさか忘れるつもりじゃないだろうね? 忘却に送るわけじゃないだろうね。仮に送ったとしても、すぐに戻すけど。……あのね、理解と愛情は別物なんだよ」

「わからないよ」

「理解と愛情の関係なんていうのは、愛を形にするために相手を理解し、自分を理解してもらう。それだけでしかないんだ。そう、一目惚れっていうのがあるだろう? そこに理解なんてない。理解なんてのはその後なんだ。相手と一緒にいるために、解り合うんだ」

「わからないよ」

「けどね、本当はそれすらも必要ないんだ。思い出して、こいしちゃん。君が家に帰った時、お姉さんが笑顔で迎えてくれているはずだ。それはこいしちゃんが見た人間みたいな打算からの笑顔じゃない。心からの笑顔なんだ。お姉さんはいつでも君に対して最大の愛情を向けてくれている。わかるだろう?」

「わからないよ」

「…………ああ、やっぱりダメだ。こういうのは性に合わないな」

 

 ただ率直に思ったことを言うなんてぼくらしくもない。

 ぼくはただぼくらしくあろうじゃないか。これではこいしちゃんと同じじゃないか。自分を否定し、殻に閉じこもるだけだ。

 戯言を弄するか。そんなもので人を動かすことなんてできない。だから、ぼくに出来ることは――――

 

「わかった。わかったよこいしちゃん。じゃあこうしよう。君がわかってくれるまでぼくはずっと君の傍にいる」

「……………………?」

「こんなこと言うまでもなく、ぼくと君は一緒なんだけどね。陽と陰、それがぼくたちだ。…………どうしてぼくが陽になれたと思う? 元々じゃない。こいしちゃんが言ったように強いわけでもない。ただ光があっただけだ。それも一つじゃない、たくさんの光だ。全方位から来るもんで、眩しすぎて困るぐらいなんだけどね」

「……………………」

「そんなのがあったんじゃ影に引っ込むことなんて出来やしない。まったくもって大きなお世話だったよ」

「……………………」

「だからこいしちゃんにもそれを味あわせてやる。ぼく自身が光になって、こいしちゃんを照らし続けてやる。陰になんてさせない。隠れさせなんてしない」

 

 戯言のないぼくなんてただの無力な一般人だ。いや、戯言塗れのあの頃から人類最弱ではあるのだけど。

 そんなぼくに出来ることなんてひとつだけ。ただ傍にいる。見守ってやる。それだけだ。

 今のこいしちゃんに必要なのは一人じゃないということを教えてやることだ。それは理解者という意味ではなく、ただ傍にいる人。一緒にいてくれる人。

 ぼくも同じだった。自分には誰もいないと思い込んでいた。こんな欠陥製品に誰がいてくれるのだろうと思っていた。けど違った。理解してくれる人間はそれこそ鏡の向こう側の零崎しかいなかったのだが、一緒にいてくれる人ならたくさんいたんだ。このマンションの住民の皆もそうだし、他にもたくさんいる。

 それに気づいた時、それがどれだけ幸福なことかを知った。どれだけ暖かい場所なのかを知った。そして、自分の殻に閉じこもっていたことがなんと愚かなことかを知った。

 こいしちゃん。君にも気づいて欲しい。その暖かさがすぐ傍にあることを。ぼくは君の家族をお姉さんしか知らないけど、他にもたくさんいるはずなんだ。君を大切に想ってくれている人が。

 

「…………あは」

 

 こいしちゃんが、笑った。

 さっきのような悲哀を隠した笑いじゃなく、また、別の笑い。

 

「うふ、ふふふ…………あはははは!」

「…………こいしちゃん?」

「ホントいーちゃんは、優しいね」

「そうでもないさ」

 

 優しさなんて微塵もない。

 ぼくが言ったことなんて、君は誰にも理解されない異端者であるということと、ただ周りを見ろというそれだけだ。救うということと優しさは一致しない。

 別の問題だ。

 

「ううん。そうでもないよ。…………優しさってね、自分じゃわからないものだよ」

「そうかな」

「そうよ。優しくされた側が、優しいって思ったら優しいんだよ」

 

 まあ、わからないでもない。

 結局のところ全ての基準は他人だ。自分だけでは何を思っていても、何をやっていても、それがどういうことなのかを判断するのは周りでしかない。自分ひとりで世界は構築できない。一人で青と言っても、周りが二人以上で赤といえば赤になるのだ。

 改めて考えれば、なんと生き辛い世の中だろうか。いや、それが良いのかもしれないが。

 ――――って、ちょっと待て。

 ぼくは今、言葉を発したか?

 

「ちっとも。いーちゃん黙りこくって考え込んでるんだもん」

「…………こいしちゃん、まさか――――」

 

 こいしちゃんはニコリと笑って、俯いていた顔を上げた。

 それと同時に、ぼくの目に映る青い物体。

 こいしちゃんと触手で繋がっている、閉じられ続けてきた第三の眼。

 覚妖怪としての存在証明。

 

 それが、開いていた。

 

 その中の瞳がぼくの心を貫くように見つめている。

 

「改めて自己紹介をしようか。…………心を読む程度の能力を持つ覚妖怪。古明地こいしだよ」

 

 




こいしちゃんに関することは全て自己解釈ですので、ご注意ください
いーちゃんに関しても若干オリジナルってますけどね

今更言うことじゃないか

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