ムイシキデイリー   作:失敗次郎

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青い薔薇の花言葉って知ってます?
奇跡とか神の祝福らしいですよ

この出会いは奇跡で、
そのムイシキは神の祝福なんでしょうね



サブタレイニアンローズ

「こいしちゃん…………第三の眼が……」

「うん。開いちゃった」

 

 何がきっかけになったのかはわからない。ぼくの話かもしれないし、こいしちゃんが自分で思うところがあったのかもしれない。はたまた実は自分の好きにできたのかもしれない。

 

「いやいやそれはないよ。これは…………うーん、たまたまかな?」

「それこそないような気がするけどね」

「じゃあ何でだろうね」

 

 クスクスと笑う。今までと違い、無意識に守られた笑いじゃないのだろう。

 第三の眼が開眼したということは、他人の本心を知るということだ。それは他人の本心から逃げるための無意識とは真逆の方向性。つまりは、どちらかしか表面上に現れないということだとぼくは考える。その考えで言うのなら、今の彼女は無意識を操れず、無意識に操られたりはしない。

 

「正解。今の私は無意識じゃないよ。うん、だいたいいーちゃんの言う通りかな」

「言ってないよ」

「見えるんだもん。ふふっ。いーちゃん、こういうの苦手そうだね」

「…………まあね」

「……………………あまりその時の話はしないほうがいいみたいだね」

「そうしてくれるとありがたいな」

「じゃあそうする」

 

 これで確信できた。

 やっぱりこいしちゃんは心が読めるようになっている。

 

「ありがとういーちゃん。やっと自分のわだかまりが解けた」

「ぼくは何もやってないよ。こいしちゃんが一人で解決しただけさ」

「またまた。そんな謙遜することないのにね」

「ただ一人で喋ってただけだからね。自分で考えて、自分で行動したのはこいしちゃん」

「そういうことを本心から思っちゃってるから、いーちゃんは謙虚だねって思う」

「ありがとう」

 

 この変化を、ぼくはどう捉えるべきだろうか。

 もちろん無意識から離れたのはいいことだ。ぼくはそれを第二の目標にしていたのだから、悪いことなわけがない。第一は、自分がひとりじゃないってことに気づいてもらうことだけど…………。

 

「大丈夫。大丈夫だよいーちゃん。わかるよ。今だっていーちゃんが一緒にいてくれてるし」

「ぼくだけじゃないよ」

「お姉ちゃんも、だよね」

「そう。それがわかってるなら、大丈夫」

 

 どうやら大丈夫のようだ。

 こいしちゃんの無意識の原因、それは自分が一人だという思い込みだ。他人にあまりに高すぎる理想を押し付けていたということだ。友達という存在に夢見すぎていたということだ。現実はそういうものじゃない。言ってしまえば、ある程度解り合えればいいのだ。

 それがわからなかった。だから自分の思い描いたものと現実とのギャップに押しつぶされそうになっていたのだ。

 

「そうなんだよね。ちょっとしたロマンチストだったわけだ」

「別に、それが悪いとは言わないけど」

「じゃあ良いことなの?」

「程々なら良いことなんじゃないかな? 夢を見るってことは、目標を持つってことだからね」

「私は行き過ぎだった?」

「うん」

「厳しいね」

「厳しいさ。自分に厳しく、他人にもっと厳しくがモットーでね」

「うへえ。甘さが足りないよ」

 

 辛いもの好きが何を言う。

 

「それとは関係ないよ。…………ねえいーちゃん。外出よっか」

「うん? うん。わかった」

 

 こいしちゃんに促され外に出る。今日は天気がいい。雲一つない青空だ。太陽の光と、どこまでも続く青空だけが広がっている。

 …………。

 部屋の鍵を締め、こいしちゃんに手を引かれて歩き出す。

 

「いい天気だね」

「そうね。けど、私は青空ってあんまり好きじゃないなあ」

「どうして?」

「色が少ないんだもん。もっとカラフルな方がいいよね」

「虹、とか?」

「正解。だから雨上がりが一番好き。たくさん色がある」

 

 少し歩くと、こいしちゃんはぼくの手を離して、ぼくに笑顔を向ける。

 今までは違う笑顔だ。屈託も邪気も盲目も意味もない笑顔じゃない。輝かしい笑顔だ。前に向かうと決めたこいしちゃんの見せる、光る笑顔だ。

 

「いーちゃん。どこに行きたい?」

「行きたいところがあるんじゃなかったの?」

「ううん。いーちゃんの部屋が薄暗かったから、外に出たかったの」

「ふうん。じゃあそうだね、あそこに行こう」

 

 ぼくが指差したのは、こいしちゃんと初めて出会った某ハンバーガーチェーン店。

 の、隣に新しくできた本屋だ。

 品揃えがこの辺りで一番良いと評判の店だ。最近新しい本を買ってないので、何か革新的な本を見つけたいと思っていたところだ。

 

「どんな本なのさ。まあ、いっか」

 

 こいしちゃんも賛成してくれたみたいなので、ルンルン気分で歩を進める。そんなぼくを見て「うわあ」とこいしちゃんが引いてるようだが、気にしない。他人の目を気にして自分の道が行けるか。

 到着。評判が良いだけあって人も多い。二階への階段がすぐそこに見えた。ふむ、二階も本が置いてあるのかな? それとも別の店があるのかも。

 とにかく、一階から見て回ることにしよう。

 

「いーちゃん、まさかこれ全部見て回る気?」

「流石にそんな気力はないよ。新刊コーナーってどこの本屋にでもあるだろう? それだけだよ。今日のところは」

「後々が怖いよ。本屋で一日潰し気なの?」

「人は一生をかけて暇つぶしの方法を探すものなんだよ」

「一生を潰してるじゃない」

 

 違いない。

 実際に潰れてるのは、本を作るために年々切られている樹木なんだろうけど。…………そういえば、樹木って減ってる一方なのかと思ったら案外増えてるんだっけ。

 どうでもいいか。ぼくが生きてる間に木々が全滅することはないだろうし。

 

「あ、この本面白そうだよ」

「どれどれ。…………新訳妖怪大辞典。こいしちゃん、それは自分アピールかい?」

「うん」

「素直でよろしい」

 

 そっと置き場に返す。

 てか、新訳ってどういうことだ。妖怪って日本特有のものじゃなかったっけ。それを訳すのは一体どういうことなのか。…………昔のものを読みやすくしたとか?

 ぼくは他に面白そうな本を探す。

 …………。

 ……………………。

 

「ん? いーちゃん何見てるの?」

「何でもないよ」

「ふうん」

 

 ちなみに見ていたのはスクーター特集。

 前に友達から譲り受けたベスパがある一件で粉砕されたので、新しく足となるものが欲しくなったのだ。どうせだから前のやつと同じにしようかな。それはそれであれだな。

 失礼、になるのかな。

 

「で、いーちゃん。何か買うの?」

「今日のところはいいや。せっかくこいしちゃんと一緒なんだし、自分の世界に入っててもあれだしね」

「おお、いーちゃんが気遣いしてる」

「いつもやってるだろ?」

「なん……だと…………!」

「その反応はどういう意味かな」

 

 どんな目で見てたんだ。

 いや、見えてなかったんだろうな。

 ともかく、店を出る。何も買わない客にも「ありがとうございましたー」と言わなければいけない店員の気持ちを知りたい。お客様は神様だから、無心で崇めるような気持ちで言ってるのかな。

 考えてみれば、これって世の中が神様に溢れてるってことになるよな?

 ちょっと恐ろしい。

 さて、今度はどこに行こうかな。

 

「いーちゃん。こっちこっち」

 

 こいしちゃんがぼくの手を取って歩き出す。

 どこか行きたいところが見つかったのだろうか。ぼくはこの本屋以外に行きたい場所なんて思いつかないので、流されるようにこいしちゃんに着いていく。

 しばらく――――一時間以上――――歩いたところで、こいしちゃんが何の気兼ねもなく話しかけてきた。

 

「いーちゃん、ありがとね」

「ん? ああ、はいはい。気にしなくていいって。さっきも言ったけど、解決したのはこいしちゃんさ。ぼくじゃない」

「それでもだよ。きっかけはいーちゃん。だからね、お礼をしてあげる」

「お礼? ご飯でも作ってくれるのかい?」

「もっといいこと。…………いーちゃんの謎を、解いてあげる」

 

 思わず、ぼくの足が止まった。

 

「…………」

「それはどういうことか。これはね、恋のお話だよ」

「……………………」

「そうだね。いーちゃんも忘れてた疑問。忘れようとしていた疑問。うふふ、戯言なんかで終わらせないよ。いーちゃんったら、その逃げ口上で解決しようとするんだもん」

「……………………」

「私の勘違いを解いてくれたいーちゃんに、いーちゃんの思い違いを解いてあげよう」

 

 こいしちゃん。君は、何を言うつもりだ?

 恋の話。ぼくの疑問。…………それはつまり、玖渚のことだ。ぼくと玖渚の問題。…………ぼくが彼女に、彼女がぼくに抱いてた心の問題。

 それを、解決だって?

 

「そう、解決。ん? 哀川さん? ああ、前に言ってた人類最強って人? ふうん、あの人もこんなことしてたんだ。じゃあ私も最強に近づけたってわけだ――――なんてね」

「解決って、どうする気なの?」

「とりあえず、知ることからね。恋ってなんなのか。私もよくわかんないけどね」

「ダメじゃないか」

「いいの。問題が解決すればそれでいいの。恋なんて、ただのおまけだよ。EXステージだよ」

「ふうん」

「とりあえず、歩きながら話そっか」

 

 そういってこいしちゃんは再び歩き出す。

 ぼくはその後ろについていく。

 

「恋は盲目。よく言われるけど、これってどういうことなんだろうね」

「…………さあ」

「恋することが盲目なのか、恋が盲目を引き起こすのか。どっちでしょう」

「どっちも、じゃないかな」

「いーちゃんはそう思うわけだ。私はその反対、どっちも違うを推そうかな」

「…………恋は盲目、自体を否定するわけだ」

「うん。だって盲目なのは恋のせいじゃないもん。もっと違うことだよ」

「それは?」

「理性」

 

 ここでこいしちゃんはクスリと笑う。

 

「つまりは無意識を抑える自我、カッコよく言ったらスーパーエゴってやつかな」

「なるほど。それが盲目だって?」

「うん。盲目を引き起こす方」

「……………………」

「スーパーエゴが抑える無意識、欲求とかそういうのだね。主に攻撃性とか性衝動。それを抑えるための機能がスーパーエゴ、超自我ってわけだ」

「……………………」

「ここで私は恋っていうのがなんなのかを考える。それはね、今言った無意識下での欲求なんだよ」

「…………イド、エスとも言うね」

「そう、イド。恋っていうのは、好きを超えてさっき言った攻撃性と性衝動に発展したものだって思うの」

「好きの、先」

「性衝動はわかりやすいよね。興奮するってこと。正常にね。相手と交わりたいと思う気持ち、私のイメージを大事にして、ぼかして子作りって言っておくね」

 

 果たしてそれはイメージを守っているのだろうか。

 余計に生々しくなってないか。

 

「やかましい。で、次は攻撃性。極端な例を挙げると、ドメスティックバイオレンスのこと。あれは嫌いだから危害を加えるんじゃなくて、好きだからこその破壊衝動だってこと」

「これは理解できないな。どうして好きなものを破壊しなきゃいけないんだい?」

「好きの反対は無関心っていうよね? つまりは心の動きの問題。心が動けば好きで、動かなきゃ無関心。破壊衝動は無関心では起きない心の動きなんだよ」

「ぼくはその例外を知ってるけど、それはともかくとしてだ」

 

 殺人鬼の話なんてしても仕方ないしね。

 息を吸うように殺す、殺人集団。理由なき殺意、零崎一賊。

 

「心が動いても好きと決まるわけじゃないだろう? 嫌いという選択肢もあるはずだ」

「それもそうだね。けど、それは好意の反転ってことで解決できないかな?」

「好意の反転、つまりは好きの裏返しってことかい? それじゃ無関心だ」

「ああいや、そうじゃなくて。好きが発展して攻撃性になるんじゃなくて、攻撃性から好きに変わるってこと」

「…………嫌いが好きになるってこと?」

「うん。もっと言うなら罪悪感からかな。攻撃性にはどうしても罪悪感が付属するんだよ。攻撃っていうのは悪いことだからね。…………ああ、そうだ。憐れみの心が、好きに通じるんだよ」

 

 なるほど。

 憐れみがイコールで好意に繋がるわけか。そう考えれば少しはわかりやすい。

 しかしだ。それだと大体の事柄が好意になってしまうのではないだろうか。それこそ、無関心でいない限りは。嫌いという感情から生み出される行動というのは、罪悪感を付属させる「悪い」ことだ。そしてその罪悪感は憐れみに、憐れみは好意へと変換される。

 

「その通り。私が言ってるのはそういうこと。心が動いてしまえば、人は人を好きにならずにはいられないのよ」

「そしてその好きが変わり果てたものが、恋」

「うん。性衝動も攻撃性も、言い換えれば積極的な好意なんだよ。…………で、話を戻すよ。恋は盲目の話」

「ああ、最初はその話だったね。超自我が盲目を引き起こすってやつ」

「今言った通り攻撃は悪いこと。ならそれはスーパーエゴが抑える感情の動きだ。性衝動もそうだね。リビドーって知ってるよね? それとデストルドー、死の欲望。この二つはスーパーエゴによって抑えられるべき筆頭ね。つまりは今言った性衝動と攻撃性はどちらもスーパーエゴによって抑えられてるってこと」

「…………で、それがどう盲目に繋がるの?」

「抑えられたらどうなるのかって話よ。一つ、忘れる。私みたいなもんだね。この場合における盲目っていうのは、恋することを理解できなかったってことになる。自分の気持ちが見えなかったってことになる」

「……………………」

「二つ、自分の気持ちを誤魔化す。これは恋じゃないってことで、目をそらしているの。見えなかったんじゃなくて、見ないようにする。そういう盲目」

「……………………」

「番外一つ、抑えきれない。これが恋愛に発展したり、強姦事件になったりするのよね。身近なところだと、男の子が女の子にちょっかいかけたり。うふふ、そういうの可愛いよね」

「そうだね」

 

 ぼくにはさっぱりわからないことだが、とりあえず同意しておく。

 

「なーに言ってんだか。いや言ってないけどね。さて、ここまで考えてだよいーちゃん。思い当たることはないかな?」

「ないね」

「嘘吐き。ここまでの話は誰にでも当てはまることなのに」

「じゃあ聞かないで欲しいな」

「…………動揺してるね。何が怖いの? いーちゃん?」

「何でもないさ」

「そう。やっぱり心を覗かれるのは嫌だよね。けどいーちゃんはこれを望んでたんでしょ? 自分の心を見てくれる誰かを待ってたんでしょ? なら我慢我慢。ちゃんとカウンセリングしてあげるから」

 

 カウンセリングを希望した覚えはない。

 けど、自分のことを知りたいと思ったのは事実だ。だから甘んじて受けるしかない。

 何かを手にするには、相応の何かがある。自業自得、因果応報。

 

「――――じゃあ次はいーちゃんの話をしようか」

「ぼくの、話」

「恋の話だよ。私が言ってしまうのは容易いことなんだけど…………いーちゃんには、自分で気づいてほしいな」

「それが出来なくて困ってるんだけどな」

「じゃあ少しずつ理解していこう。今の話で、人は無関心でない限りは誰かを好きになってしまうことはわかったと思うけど、まずはそこからね。いーちゃんの中で、記憶に残ってる人を思い浮かべてみて」

「……………………」

「記憶に残るのは関心があるからこそ、だからね。思い浮かべた? うん、オッケー。じゃあ次はその中で特に印象が強い人を想像しよう。…………って、ここが難しいんだけどね。何かに書いたほうがいいかも」

「大丈夫だよ。思考の整理ぐらいは出来る」

「それが中々出来ないもんだよ。あ、出来たみたいねってほぼ全員じゃない。どういう区別の仕方したのよ」

「ぼくの記憶の人たちは皆キャラが強くって」

「そうみたいだね…………。うーん、もうちょっと数が減ってからの方が良かったんだけど、ここでさっきの話を持ち出そう。性衝動と攻撃性、この二つのどちらかを感じる相手と、感じない相手で分けてみて?」

 

 ……………………。

 ……………………。

 ……………………。

 

「あ、いーちゃんやーらしー」

「殺すぞ」

「ごめんなさい。…………冗談だよ、冗談。私が昔にどれだけの人の心見てきたと思ってるのさ。こんなの今更って感じだよ」

「……………………」

「睨まないでよー。…………あ、攻撃性っていうのはそこまで考えなくてもいいよ。いーちゃんにはあまり関係ないからね。いーちゃんにとっての攻撃は逃げだから」

「…………わかったように言うね」

「わかってるよ。いーちゃんのこと、全部。さ、それは置いといて、今連想した人達がいーちゃんの恋人候補ってわけだよ」

「ぼくが…………その、興奮した相手ってことだよね?」

「うん」

「ゼロ人になったんだけど」

「そうだね」

「……………………」

「……………………」

 

 おやおや?

 こいしさん、これはどういうことですか?

 

「煽らないでよ。むむむ、こんなはずじゃなかったんだけどなー」

「どうなるはずだったの?」

「どうにでもなるはずだったよ。というかいーちゃん、ひょっとして女性に興味がない?」

「勝手にホモ認定するな。そんなわけないだろ」

「だよね。うーん。…………あ、なるほど。そういうことか。なるほどね」

 

 こいしちゃんが一人で納得しだした。「なるほど、なるほど」と何度も頷いている。

 どういうことなのか聞こうとしたぼくに、声をかけられる前にこいしちゃんはぼくの名前を読んだ。

 

「ねえいーちゃん。結論が出たよ」

「どんな?」

「いーちゃんは恋なんてしてないんだよ」

「……………………ほう?」

「いーちゃんが持ってるのは、恋じゃなくて愛だったの」

「どう違うの?」

「恋はさっき言った通り。愛は対象と居られることでの安心感のこと、じゃないかな?」

「対象っていうのは、好きになった相手ってことでいいの?」

「うん。恋と愛は別物で、相手を好きになった時にどっちか、または両方を感じるんだよ」

 

 誰にでも安心できる場所がある。

 それは紛うことなき土地であることもあれば、何らかの生き物と一緒にいることかもしれない。

 前者は我が家とか、人によっては海なんて答えも出るだろう。ショッピングセンターなんて変わり種もいるかもしれない。そういった、場所。

 後者は身近な例を挙げれば家族、とかだろうか。家族愛なんていうけど、恐らくこいしちゃんが言いたいのはそういうことだ。他にもペットなんかも一緒に居られて安心できる人もいるらしい。ああ、関係ないことだけど、ペットを家族と言ってる人もこういうところから来ているのだろうか?

 とにかく、その場所――相手を想う気持ちが愛ってこと?

 

「うん、いーちゃんの認識で大丈夫だよ。それが愛。地元愛っていうのは地元が安心できる場所ってことだし、略奪愛は場所の奪い合い、擬似愛は仮の居場所の事なんだよ」

「…………溺愛とか言うよね。あれはどういう意味?」

「いーちゃん、揚げ足取るの好きね。…………ふむん。愛に溺れるってこと、かな。安心しきってる状態。安心したら自分を曝け出せるでしょ? だから好き勝手しちゃってる、そんな相手にしたら迷惑なこと。親しき仲にも礼儀あり、だよね」

「ふうん。愛でるってとういうこと?」

「次から質問禁止ね。愛と愛でるっていうのは別なんだよきっと。愛でるっていうのはいーちゃんが思ってる通りのこと。可愛がることだね。愛との関係は、その可愛がる対象が愛する相手ってことなんだと思うよ」

「へえ」

「聞いておいてその反応だもんなーいーちゃん。心の底からどうでもよさそうだもん。で、戯言はもう十分かな?」

「……………………」

「もう気づいてるんでしょ? それは話からかもしれないし、この道から気づいたのかもしれないね。どっちかな?」

「さあ、どっちだろう」

「どっちも、ね。いーちゃん、記憶力が悪くても頭が悪いわけじゃないからね。そうよ、玖渚友さんのいるマンションに向かってるよ」

「それは、どうして?」

「全部私が言わなきゃいけない?」

 

 言って欲しい、なんてのは甘えか。

 わかってる。こいしちゃんが何を言いたいのか。ぼくにとっての安心できる場所、愛する相手っていうのが誰のことなのか。

 けど。

 

「どうして認めたくないの?」

「……………………」

「ちょっと心が見づらくなってきた。レンズが曇ってる感じ。…………ああ、なるほど。いーちゃんは玖渚さんに負い目があるんだね。振っちゃったわけだ」

「……………………」

「人生は選択の連続なんだよ。そして選ぶってことは選ばないってことでね。だからこの結果は仕方ないことだよ。いーちゃんは、違う方を選んだ。そして玖渚さんを選ばなかった。それだけでしょ?」

 

 選ぶ、選ばない。

 それは道を決めることであり、敵を作ることだ。自分の道を決めて、かつ敵を作らない選択肢なんて存在しない。選ばれなかった方は、間違いなく敵になるのだから。

 ひとりの少女はその中で敵をできるだけ作らない道を選び、ひとりの女性は「選ばない」を選び続けた。

 

「そこに罪悪感は必要ないんだよ。ああ、罪悪感で思い出した。さっきまで自分で言ってた事を否定するようなんだけど、いーちゃんの想う人に対する好きは罪悪感からくるものじゃないよ。これだけははっきり言っておく。そしていーちゃんは下手な罪悪感から人を好きになりすぎだってことも忠告しておくよ。必要ない罪悪感があるってことね」

 

 罪悪感からの好意。

 例えばぼくが壊してきた人たち。罪悪感は、ある。ぼくがいなければ彼らは壊れることなんてなかった。いてしまったことへの罪の意識。そこから人を好きになっていた?

 正直に言おう。その経験はある。

 ぼくがひとりの少女を壊し、その彼女から譲り受けた一台のベスパ。彼女の名前をつけたそのベスパはもう粉砕されてしまったが、名前をつけたということはそういうことなのだろうか。

 何の思い入れもないのであれば、そんなことはしないだろう。無関心ではいられなかったのだろう。当時は心を殺して彼女を断罪した。が、結局のところ心を殺しきれなかったということか。実際は申し訳なさがあったということか。

 …………これはほんの一例だが、これがこいしちゃんの言う必要ない罪悪感なのだろうか。

 

「それを決めるのは、いーちゃん。けどね、その罪悪感を持てるっていうのは間違いなく良いことだよ。何事も程々が一番いいんだけど。…………後悔する、罪悪を感じる、それが出来るのは優しいからだよ。いーちゃんが優しすぎるから、周りを狂わせて、いーちゃんを壊しちゃってるんだよ」

 

 優しい。

 何度そう言われてきただろうか。玖渚にもあの日言われたっけ。もちろん玖渚だけじゃない。他にもたくさんの人に言われてきた。零崎にはその優しさがお前の欠陥だ、なんてはっきり言われた。

 行き過ぎた優しさは他人の成長を阻害するだけだって。

 それ故の、欠陥製品だって。

 ぼくに自分が優しいという自覚はないのだけれど。むしろ、さっきの通り人を壊し続けてきた通り魔のような存在だ。優しさの欠片なんて持ち合わせていない。

 

「欠片にしてばら撒いてるのはいーちゃんじゃない。自覚してないっていうのがこんなに面倒だとは思わなかった。いや、自覚しようとしてないってことかな? いーちゃんの戯言は私の無意識だよ。自分を守るためのもの、なんだけど頼りすぎだよ。私に言ってたこと、そのままいーちゃんに返してあげる」

「そりゃどうも」

「いーちゃんには自己愛がないんだね。行動理念が全部、他人のためになってる。それが悪いこととは言わないけど、やっぱり限度を知らなきゃね。自分に安心できてないっていうのは重症だよ。…………ま、治るものでもないけどさ。そうだ。いーちゃんが言ってた請負人っていうのやってみたら? 人類最強の哀川さん、憧れなんでしょ? 近づけるんじゃないかな?」

「……………………」

「話が逸れたね。やっぱり罪悪感かな? いーちゃんを縛ってるものは。優しすぎて、人のことを想い過ぎて、相手に感情移入しすぎて、自分を縛り付けてるんだね」

「…………そんなことないさ。割と自由に行動してるよ」

「嘘吐きさん」

「まあね」

 

 そんなことを言ってるうちに、着いてしまった。

 玖渚の住む高級マンションだ。

 

「さて、そろそろ決着をつけようか」

「……………………」

「いーちゃんはね、罪悪感に囚われているんだよ」

「…………わかってるさ」

「そのせいで、自分の本心を見失ってる」

「…………知ってるとも」

「しかも、自分の本心を探そうともしない」

「…………その通りです」

「戯言、なんて言って全部誤魔化してる」

「…………ごもっともで」

「これはねいーちゃん。無為式の問題じゃないんだよ」

「……………………」

「感情を動かすことが悪い? 周りを乱す? そんなもん当たり前だよ。誰にも影響しない奴なんかいるもんか。全部悪い方に行く? さっきの選ぶ選ばないの話じゃないけど、何かを選んだらその反対の性質のものもついてくるんだよ。つまりだよ? 誰かにとって悪いことは、誰かにとって良いことなんだよ。はい、リピートアフタミー」

「…………誰かにとって悪いことは、誰かにとって良いこと」

「そう。逆に誰かにとって良いことは誰かにとって悪いこと。こんなのは仕方のないことだよ。自然の摂理。なのにいーちゃんはその悪い結果だけを見てる。見てるだけならいい、けどいーちゃんはそれを勝手に背負ってる。馬鹿じゃないかって思うよ、正直ね」

「……………………」

「何で背負うのか。自分が悪いと決め付けてるから。無為式が悪いものだと思い込んでるから。悪いわけないじゃない。人に影響するっていうのは、人と関わること、人と関われるってことなんだよ。いーちゃんがどんなに欠陥製品と言われてようと、決して人間失格なわけじゃないのはこれだ。人は人と関わっていられるうちは紛れもない人間だよ」

「ぼくが、人間…………?」

「うん。いーちゃんの罪悪感を駆り立てるものはいくつもあるね。他人を壊す無為式。優しすぎる性格。そして、他人と違うことへの劣等感」

「…………劣等感」

「私と一緒だよ。私は人と違う、その劣等感から誰ともわかり合えないと思ってた。実際わかり合えないしね。そしてわかり合えないから、誰ともいられないと思ってた。いーちゃんの場合はその劣等感を罪悪感に変換しちゃったのね。他人と違うことが、悪いことだと思った。実際、その違うせいで周りの人達が壊れていくのを見ていたらそう思っちゃうのも仕方ないだろうけど」

「……………………」

「けどねいーちゃん。いーちゃんは悪くないんだよ」

「…………え?」

「いーちゃんが人を想うことは、全然悪いことじゃないの。…………だって、人が感情を持つことが悪いなんてこと、ある?」

 

 こいしちゃんの言葉はぼくの胸に突き刺さった。

 ぼくの鏡は人間失格。ならばぼくは何なのか。

 人為らざるモノだろう。

 欠陥製品。あくまで、製品。……人として扱われることなんてありえないという無言の表明。言ってしまえば無為式は狂わせるという概念そのものだ。それを持っているぼくは、ただの概念の容れ物だ。そういう物だ、と思ってきた。

 けどこいしちゃんはそれを否定した。ぼくを、人間として見てくれた。

 けど。

 

「こいしちゃん。ダメなんだよ、それは」

「どうして?」

「ぼくは、人になるにはあまりに壊しすぎた。もうそっちには戻れないんだ。ぼくの行き先なんて、それこそ殺人鬼にでもなるしかない」

「…………ふーん」

「だから、ごめん。ぼくはこれ以上どこにも行けないし、行っちゃいけないんだ」

 

 ぼくはこいしちゃんに背を向け、玖渚のいるマンションから背を向け、元いた場所に――――

 

「ばーか」

「え?」

「ほんっとバカだよいーちゃん」

 

 こいしちゃんがトコトコとぼくの方に歩いてきて、ぼくの頬を叩いた。

 大して力を込められていない、まるで撫でるかのような優しいビンタ。

 

「人を壊したからもう戻れない? 自分の本質が殺人鬼だから人にはなれない? それを私はただの戯言と切って捨てる。そんなもん聞き入れない。いーちゃんは人間だよ。だって、

 

 私がいーちゃんを人間だって言ってるんだもん。

 

 いーちゃんがいくら認めないって言っても、知らない。私はいーちゃんを人間だと思うし、そもそも人間にしか見えないよ。何が無為式だ、何が殺人鬼だ。だからって人間じゃない理由になるもんか。私、古明地こいしが認めるし、許すし、受け入れる」

「…………ぼくは」

「ん?」

「人間で、いいのか?」

「もちろん」

「もう、自分を許して、いいのか?」

「もちろんだよ」

「ぼくは、人を、愛していいのか?」

「――――当たり前!」

 

 ぼくは、涙が出そうになった。

 誰もがぼくを責めているものだと思っていた。ぼくを認めていないものだと思っていた。

 狂わせる存在。そんなもの、どこにも居場所がないものだと思っていた。確かにあのアパートの皆も、たくさんの人がぼくのそばにいてくれた。ぼくの存在を認めてくれた。受け入れてくれた。けど、それでも、ぼくはただ言葉にして欲しかったんだろう。

 

 人間だって。

 

 そんなことは当たり前だったのかもしれない。言うまでもないことだったのかもしれない。けど、確かに言葉にして言って欲しかった。はっきりと形にして欲しかった。

 罪悪感に囚われていたのは人としてのぼくで、見失っていたのは人であるぼくで。

 救ってくれて、ありがとう――――。

 

「まだ、終わってないよね?」

「…………もちろん」

 

 そう、まだ終わってない。

 前を向くと決めた。人として進むと決めた。

 ならば、やらなければならないことがある。

 ぼくは彼女の元に、玖渚友のところに行かなきゃいけない。

 自分を殺して彼女に伝えた言葉がある。心にもないことを言ってしまった。確かにあれもやらなければならないことではあった。後悔はない。けど、それとこれとは別問題だ。

 今度は、ちゃんと伝えなきゃいけない。ぼくの心を――――ぼくの、恋心を。

 けど。

 

「ん? まだ何かあるの?」

「いや…………どうやって伝えればいいんだろ?」

「はい?」

 

 こいしちゃんの顔に意味不明という文字が見える。

 いや、仕方ないだろ? これまで戯言で人生乗り切ってきたんだし、本心を伝える、ましてや告白しようとしてるんだぜ? 何て言えばいいのかわかるわけないって。

 

「そのまま思った通りのことを言えばいいんだよ。小学生かあんたは」

「ぼくは今人間になったばかりで、年齢的に言えばゼロ歳児だし?」

「うるせー。ラブレターでも書いてろ」

「こいしちゃん、キャラ変わってるし今更ラブレターってどうなんだろう」

「どうしたいんだよいーちゃーん!」

 

 怒られた。いや至極真っ当な怒りだとは思うけど。

 

「…………わかった。わかったよいーちゃん。はいはい降参降参」

「教えてくれるかい?」

「そう言ってるでしょ。…………じゃあ、お手本見せてあげる」

 

 こいしちゃんはそこから十回以上の深呼吸を繰り返して、何故かストレッチまで始めてしまった。いつ終わるのかと思ったが、必要な事なんだろう。ぼくはやらないけどね。

 そしてストレッチ後にまた深呼吸を二つ。「よし」と小さく呟いて、真剣な目でぼくを見つめる。

 ぼくも同じように、見つめ返す。

 

「いーちゃん、好きだよ。愛してます。これからもずっと一緒にいてください」

「ごめんなさい。ぼくにはもう、好きな人がいます」

 

 ――――――――。

 ぼくはこいしちゃんに背を向け、玖渚の元へと歩き出す。

 エレベーターのボタンを押し、降りてくるまで待つ。

 

「いーちゃん」

 

 こいしちゃんが声をかけてきた。

 ぼくは少し躊躇って、後ろを振り向き、彼女を見る。

 彼女は眼を閉じ、優しげに微笑んでくれた。

 

「――――行ってらっしゃい」

「…………行ってきます」

 

 たったそれだけ。

 十文字にも満たない、十秒にも満たない短い会話。

 でも、それで十分だ。

 エレベーターが降りてきた。扉が開く。中に乗り込んで、玖渚のいる階のボタンを押す。

 扉を閉める時には、こいしちゃんの姿はなかった。

 エレベーターが上昇を始め、大した時間もかからずにエレベーターが目的の階に着いた。

 扉が開き、光が差し込む。

 ぼくはエレベーターを出て、玖渚の部屋へと真っ直ぐに向かう。

 そして迷いなく、彼女の部屋のドアを開き、部屋に入る。

 果たして、玖渚はそこにいた。

 いつもと変わらず、そこに一人でいた。

 ぼくは「こんにちは」でも「久しぶり」でもなく、

 

「友、好きだ。愛してます。これからも一緒にいてください」

 




やった! 第一部、完ッ!

ハッピーエンドですね良かったですね
やっぱり皆幸せがいいですよねえ

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