ひとりぼっちの山姫は   作:TTP

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第五回 山を見上げて

 豊音の村を訪れた、京太郎に次ぐ客人。見知らぬ土地でのこと、当然京太郎は初めて彼女と出会った。そして豊音もまた、同じであった。

 

 どこか余裕を持った空気を漂わせ、彼女――熊倉トシは、トンネルの向こう側から現れた。

 

「押しかける形になってすまないね」

 

 コートをハンガーにかけながら、トシは柔らかな謝罪をする。家主でもなく、筋違いなのは承知で、京太郎は「いいえ」と首を振った。

 

「粗茶ですが、どうぞー」

「あら、ありがとう」

 

 豊音がテーブルの上に、三つの湯飲みを置く。トシが席に着き、その前に豊音が座る。自然と、京太郎は豊音の隣に腰を下ろしていた。

 

 あっという間に日が沈み、二人はトシを連れて豊音の家に戻って来た。少なくとも、彼女に害意がないということは京太郎もすぐに理解出来た。

 

 それどころか――彼女は自分たちを助けに来た。そうとも取れる発言を、トシはしていた。

 

「まずは改めて自己紹介しておこうかね。私の名前は熊倉トシ。私は趣味が麻雀でね、自然と牌があるところに足が向くのさ」

「牌があるところ……」

「あるんだろう? ここにも」

 

 こっくりと豊音は頷いて、部屋の奥から黒いケースを取り出してくる。ケースを開くと、牌と点棒、賽子が現れた。

 

「麻雀、好きなんだね」

「は、はいー……」

 

 少し怯えた様子で、豊音は肯定する。気を悪くする素振りも見せず、トシは京太郎へと視線を向けた。

 

「そっちの君はどうだい? ええと……」

「須賀です。須賀、京太郎」

「そう、京太郎だったね。で、どうなんだい?」

「俺は麻雀、ルールも分からないんで」

「あら、そう。興味もない?」

 

 問いかけられ、京太郎は豊音の横顔を盗み見する。それから、

 

「あり……ます」

 

 と、答えた。満足気にトシは笑って、

 

「それじゃあ、後で教えて上げるわ」

「……ありがとうございます」

 

 会話の主導権が取れない。訊ねたいことは沢山あるのに、間隙を突く暇を与えてくれない。何もかもトシのペースである。年齢差以上の経験差を、京太郎は感じた。

 

「それで、そっちの子は――」

「姉帯、豊音ですー」

 

 ぺこりと豊音が頭を下げる。

 

「そうそう。豊音だったね」

 

 澄まし顔で、トシはお茶に口をつける。その間を狙って、京太郎は彼女に問いかけた。正確には、そう誘導された――そんな気がした。

 

「熊倉さんは、どうしてここに?」

「さっき言っただろう? 牌があるところに自然と足が向かうのさ」

「そういう建前ではなくて」

「建前じゃないんだけどねぇ」

 

 苦笑しながら、トシは湯飲みをテーブルに置く。

 

「元々は豊音、あんたの噂を聞いたからこの村に来たんだよ」

「わ、私の噂ー?」

「そう。――『背向の豊音』。村一番の打ち手だそうじゃないか。ちょっと小耳に挟んでね、是非会ってみたくなったのさ」

 

 思ってもみなかったトシの言葉に、豊音は頬を染める。彼女が何も言えずにいる内に、トシは続けた。

 

「それがまず、一つ目の目的」

 

 そして、彼女は再び京太郎へと視線を送る。

 

「二つ目はあんただよ、京太郎」

「俺……ですか?」

 

 こちらも思わぬ言葉で、京太郎は目を丸くする。彼のその反応に、トシはふむ、と顎に手をやった。

 

「どうやら、状況をよく理解していないみたいだね」

「熊倉さんは、理解してるって言うんですか」

 

 彼女の語調から、自分たちを馬鹿にする意図がないのは分かった。それでもむっとなった京太郎は、トシへと言い返した。

 

「確かに私が正しく理解しているという保証もないね。――まずは、あんたたちの話から聞こうか」

 

 けれども大人の余裕からか、トシはちっとも気にする気配がない。自分が情けなくなった京太郎は深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。

 

 豊音は縮こまったまま、俯いていた。彼女に代わり、ことのあらましを京太郎が説明した。昨日から起こった出来事――不思議な霧、決して出られないトンネル、居なくなった村人たち。

 

 そして、山男と山女の伝承。

 

 ここでも豊音は押し黙っていたため、おっかなびっくり京太郎は語り聞かせた。一方トシは、終始興味深そうに耳を傾けていた。

 

 京太郎が一通り話し終えると、トシはしっかりと頷いてお礼を言った。

 

「なるほど。よく分かったよ。ありがとうね、京太郎」

「……いえ」

「そんなに警戒しなくても良いのよ。私はあんたたちを助けに来たんだから」

「助けに来たって……熊倉さんが?」

 

 京太郎は眉を潜める。捜索隊ならともかく、女性一人で助けに来たと言われてもにわかには信じがたい。

 

「疑う気持ちも分かるわよ。けれど、少し状況が特殊すぎるからね。――京太郎、あんたはさっき、ここに来てから二日と言ったわね」

「それが、なにか?」

「それじゃあ今何月何日だい?」

 

 簡単な質問だった。八月末日であることを、京太郎は伝える。

 

 ふぅ、とトシは軽く溜息を吐いた。

 

「残念ながら、それは違うね」

「……え?」

「今日は、十月十五日だよ」

「……は?」

 

 京太郎と豊音は、顔を見合わせる。

 

「『こと』の始まりから、一ヶ月半も経ってるんだよ。とうの昔に夏は終わって、もう秋だよ」

「えええええーっ?」

 

 少年と少女の悲鳴が重なる。

 やれやれ、とトシは小さく肩を竦めた。

 

 

 ――湯飲みに注がれるのは、三杯目のお茶。京太郎たちが落ち着くまでに随分と時間がかかってしまった。

 

「証明できないのは残念だけどね。少なくとも私の時間感覚ではそうなっているのよ」

「……いえ、でも心当たりはあります。さっきいきなり朝から夜になっちまったから。――ここは、常識が通じない場所だ。熊倉さんは、ここがどんな場所か知ってるんですか」

「知りはしないよ。けれども、想像はできる」

 

 トシは豊音の目を真っ直ぐ見据えて、言った。

 

「ここは、豊音、あんたの村じゃない」

「ど、どういう意味ー?」

「あんたの村にとても似た、別の場所。……さっきの京太郎の話を信じるなら、山男が作り出した別の世界ってところかね」

「別の……」

「世界ー……」

「そう考えれば私たちの常識が通じないのも当然だろう?」

 

 ――当然、なのだろうか。理解が追いつかず、京太郎はトシの言葉を反芻する。彼には否定できなかった。例のトンネルも、この霧も、いなくなった村人たちも、既に理解の範疇の外だ。

 

 だめ押しするように、トシは続けた。

 

「何せ一度私は本来の豊音の村を訪れてるんだ。あんな霧もなくて、平和に村人たちは暮らしていたよ」

 

 彼女が嘘を言っているようには、とても見えなかった。自然と京太郎の体は例えようのない恐怖で強張り、強く拳が握られる。――その手の甲に、豊音の手が触れた。

 

 はっと京太郎が顔を上げる。豊音の視線は、トシに注がれていた。彼女にとっても、無意識の行動だったのだろう。だが、彼女の冷たい手は京太郎に幾分かの余裕を与えてくれた。改めて、京太郎はトシに向き直る。

 

 彼女の目は、雄弁に語っていた。

 まだ、話は終わっていないと。

 

「さて」

 

 トシもまた、居住まいを正す。それから彼女は、鞄の中から一枚の写真を取り出した。

 

「これを」

 

 京太郎と豊音が覗き込む。

 

「これってー」

「俺?」

 

 写っていたのは、間違いなく京太郎の姿。病院のベッドの上で、目を伏せて眠っている。

 

「確認のため、撮らせてもらったんだよ。勝手をしてすまないね」

「いや……え、俺、入院したことなんてないぞ」

「いいや。今このとき、あんたは確かに病院にいる」

 

 確信を持って、トシは言い切った。

 

 

「京太郎。今のあんたは、魂だけの存在。言うなれば――生き霊だね」

 

 

 京太郎と豊音は、絶句する。

 

「あまり時間の余裕はないんだ」

 

 と、トシは語る。

 

「肉体のほうが保たないかも知れない。魂が戻れなくなるかも知れない。その前に、ここから抜け出さないとね」

 

「それって、姉帯さんも……?」

 

 京太郎の質問に、トシは質問で答える。

 

 

「――二人とも、まだ生きていたいだろう?」

 

 

 ぶんぶんと、京太郎と豊音は何度も首を縦に振った。当たり前の反応だった。

「熊倉さんは、なんとかできるんですか」

「色々な人に頼まれてね、そのために来たんだ。なんとかするさ」

 

 胸を叩き、トシは笑う。自分よりもずっと小さいはずの彼女が、京太郎にはとても大きな存在に見えた。

 

「あ、あのー」

 

 おずおずと、豊音が手を上げる。

 

「なんだい?」

「熊倉さんは、どうやってここに来れたんですかー?」

「……そもそも熊倉さんって、何者なんですか?」

 

 豊音の質問に、京太郎も乗っかかる。トシはちょっと困ったように笑ってから、答えた。

 

「前職の都合上、あちこち回って色んな人と会うことが多くてね。こういう事件にはそれなりに慣れてるのさ」

 

 きらり、と彼女のモノクルが光を反射する。

 

「まぁ、後は年の功だね。ここに入ってくること自体はそこまで難しくはなかったよ。――ああ、私はちゃんと生身で来てるから。ただ、出て行くのは骨が折れそうだね。絶対に逃がさない、という意思を感じる」

「逃がさない……ですか」

「そう。結局、この世界を作ってる相手と真正面から相対しないといけない」

 

 さて、とトシはここで話を打ち切った。

 

「夜は山男の時間なんだろう? ひとまず朝になるまで待ってみようか。もちろん朝になれば、の話だけどね」

「……はい」

 

 京太郎も豊音も反対意見を挙げられず、トシの言うとおりに時間を潰す運びとなった。結局彼女の出自などは全てはぐらかされた気がしないでもないが、追求する術を二人は保たなかった。

 

 

 ◇

 

 

 熱いお茶も、豊音が作ってくれた御飯もちゃんと食べられる。それを改めて確認すると、京太郎は未だ自分が魂だけの存在なんて信じられなかった。

 

 けれども、よくよく考えれば喉の渇きも飢えも感じない。思えば、この家に初めて上がったとき、あれだけ豊音に話を聞かせたというのに、一口もお茶に手を付けなかった。空になっていたのは、豊音のコップだけだった。

 

 何かしらの変調は、ある。トシの言葉を全て信じ切れるわけではなかったが、全てが嘘だとも言い切れなかった。

 

 ともかくとして。

 昼食――あるいは夕食――を食べ終えた後、京太郎はトシに引っ張られる形で麻雀の牌を手に取っていた。

 

「ただ朝を待つのも味気ないだろう?」

 

 と言うのは、トシの言。

 

 彼女のルール解説はとても上手く、初心者の京太郎もすぐに理解できた。二、三局実演すると、後は役を確認しながらではあるが、形だけでも三麻が成立する。

 

 ただし、実力差は歴然としていたが。

 

「えーと、これで……リーチ!」

 

 なけなしの千点棒を卓に置く。

 豊音はわくわくと肩を揺らしながら、

 

「通らばリーチ!」

 

 京太郎を追いかけた。そして、京太郎がツモした牌を捨てると、

 

「ろーん!」

 

 見事に上がりを決めてみせる。

 

「うっそだろ! え、これ一発ってのつくのっ?」

「つくよー」

 

 大敗も大敗。けれども麻雀を打つ豊音の楽しそうな顔を見ていると、後ろ暗い悔しさも生まれなかった。純粋に、麻雀というゲームの楽しさを、京太郎は味わっていた。

 

「リーチしようかね」

 

 今度はトシがリーチを宣言する。狙い澄ましたかのように豊音が続く。

 

「通らばリーチ!」

 

 が、しかし、

 

「通らないね」

 

 ぱたん、とトシは牌を倒した。

 

「え、えーっ」

「ふふ。噂通り確かに中々やるようだけど、まだまだだね。私には通じないよ」

「く、熊倉さん強ぇー……」

 

 大人気ないトシが一人浮きという結果になるばかり。初心者の京太郎はともかく、経験者の豊音も歯がたたなかった。

 

 それからも麻雀はしばらく続いたが、一度休憩を取る運びとなった。

 一足先に、トシがお風呂に入ってゆく。

 

 京太郎と豊音は居間に残り、テーブルを片付けていた。

 

「……須賀くん」

 

 二人きりになって、豊音がぽつりと京太郎の名を呼んだ。京太郎はすぐに答えた。彼女が言わんとしていることは、容易に理解できた。

 

「ひとまずは、熊倉さんの言うとおりにしようぜ。俺たちだけじゃ、手詰まりだ」

「そ、そうだねー」

「悪い人じゃないと思うしさ。助けに来てくれたってのは、本当だろ、きっと」

「……うん」

 

 元気づけようとしても、豊音の表情は暗い。随分と、動揺している様子だった。当然と言えば当然の反応だ。簡単に背負いきれる内容ではない。

 

 だから、精一杯の虚勢と共に、京太郎は言った。

 

「大丈夫」

 

 言わなくてはならないと、思った。

 

「何があっても、俺が姉帯さんを守るから。だから、心配しないでくれよ」

 

 言ってから、後悔した。気障ったらしくて、どこまでも小っ恥ずかしい発言だった。どん引きされるのではないか、という京太郎の危惧は、しかし杞憂に終わる。

 

「……ちょー、嬉しいよー」

 

 涙を拭って、豊音は微笑んだ。それだけで、京太郎の心は救われた。ありとあらゆる不安が、消え去っていくようだった。

 

 ――そうだ。

 ――何があっても、この人を守る。

 

 京太郎の覚悟は決まり。

 狂った世界の夜は、更ける。

 

 

 ◇

 

 

 仮眠を取り終え、トシがカーテンを開ける。

 

 未だに一面霧。濃くなることはあっても、薄くなることはない。そこで大人しくしていろ、と言わんばかりであった。

 

 だが、夜は明けていた。

 うっすらとではあるが、太陽の光が差し込んでいる。時計が指し示す時刻とは全く合わないが、ともかく今、この世界は朝だった。

 

「外出の準備を」

 

 トシが短く指示し、二人は着替える。いつの間にか、周囲はひんやりとした空気に包まれていた。突然、夏は終わってしまった。京太郎は豊音の上着を借りて外に出る。

 

「またトンネルに行くんですか?」

「いいや。あそこは後だよ。おそらくあそこにはいないからね」

 

 コートを着込み、懐中電灯を手にしたトシはある方向を指差す。

 

 三人が見上げた先は――

 山、であった。霧の向こうに、うっすらとその影が見えた。

 

「伝承通りなら、あそこにいるんだろう?」

 

 京太郎と豊音が、首肯する。

 

「それじゃあ会いにいこうじゃないか」

 

 にやりと――そう、にやりとトシは笑って、言った。

 

 

「山男に」

 

 

 




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