皆様、風邪の予防などはしっかりとなさってください。
くりっく?
くらっく!
side––––レイ
第二層ボス攻略中の現在、視界の先で顔だけをこちらに向けて声を発そうとする黒衣の剣士を見て、わたしは重心を後ろに傾けた。
「来るぞ!」
キリトの叫びに反応したわたしたち七人は大きくバックジャンプ。
「ヴゥゥヴォオオオオオオ––––––––––––ッ!!」
雄叫びを響かせ、二層ボスの取り巻きである《ナト・ザ・カーネルトーラス》が振り上げたハンマーが上空で一瞬停止した後、鮮やかなスパークを纏って振り下ろされる。
一撃喰らえば《行動不能》。二撃目を喰らえば《麻痺》と、決して無視できないデバフを与えられることになる。
「全力攻撃一本!」
二度目の指示。
牛男を半円状に取り巻く八人が一気に駆ける。色とりどりのライトエフェクトがモンスターを直撃し、HPの一段目が消滅した。
牛男から距離を取ったところで、右隣にロアも後退してきた。
「順調そうですね」
「うん。……でも、三本目からは《ナミング》の多用してくるから、注意しなきゃね」
同じようにボスから距離を取っていたキリトとアスナは、こちらと同じように何事かを話していたが、キリトが声のボリュームを上げた。
「……一層のことを考えると、ゲージ三本目で未知の攻撃をしてくる可能性もある! その場合はいったん引くからな!」
「オウ!」
エギルさんは大きく返事をし、わたしたちは噛みしめるように頷いた。
ボス攻略から未だ五分しか経っていないが、こちらはかなり順調に進んでいる。
「回避! 回避–––––––––ッ!」
広大なボス部屋の反対側から、やや裏返り気味の絶叫が届く。視界の端にちらりと映るのは、わたしたちが相手をしているナト大佐の二倍ははあろう筋骨隆々のボス、《バラン・ザ・ジェネラルトーラス》……別名バラン将軍と、それを取り囲む数十人のプレイヤーたちだ。
顔を動かして戦況を確認すると、ちょうどバラン将軍がユニーク技、《ナミング・デトネーション》を放つところだった。
金色に輝くハンマーが振り下ろされ、ナト大佐よりも範囲が二倍に伸びたスパークが辺りを襲う。
発動までの動作が非常にわかりやすいのだが、逃げ遅れた二人がスパークに飲み込まれた。そして当然喰らえば《行動不能》を受ける。効果時間は僅か三秒、それだけ経てば自動回復する。しかし、ボスの目の前で動けなくなるというのは、たとえ数秒でもものすごく恐ろしいだろう。
アルゴの攻略本によれば、《行動不能》中に一定確率で起こる付随効果がある。《ファンブル》と呼ばれる、持っている武器を落とすというものだ。
通常、戦闘時に武器を落としたりしたら、相手の出方を窺ってから、拾える時に拾うか、諦めるかしか無い。落としてすぐに拾おうなんていうのは大きな隙を生むし、攻撃してくれと言っているようなものだ。
だが––––––。
「なっ……」
「……あらら」
視線の先で、鎧の下に青いシャツを着たリンド隊の一人が、自身が落とした槍を拾おうとしてしゃがんだのだ。
突然の自殺行為に隣にいたロアも目を驚いた。キリトは避けるよう指示を出したいのだろうが、すんでのところで堪えたようだ。今叫べばナト大佐を囲んでいるエギルさんたちが自分たちへの支持だと勘違いする恐れもあるからだろう。
焦燥にかられながらも《ツインスラスト》をナト大佐の胸板に喰らわせる。その間にバラン将軍はハンマーを振りかぶり––––
ズガァン! と二回連続の《デトネーション》。
再びリンド隊の彼がそれに飲み込まれ、どうっと床に倒れる。薄緑のエフェクトが彼を包み、《麻痺》に陥ったことを示していた。
確か《麻痺》の効果には強弱があるらしく、最も弱いものでも十分は続くらしい。
これが最初の犠牲者なら良かった、そう思い目の端でちらりと捉え壁際には、すでに七、八人のプレイヤーが倒れていた。
本隊がじり貧な様子を見てとったキリトは、レイドリーダーであるリンドに仕切り直しと、ナミング対策の徹底を伝えるために一度わたしたちのH隊から離れていった。
見守る先ではキリトの登場に驚いたリンドが顔を歪ませていた。恐らくは仕切り直しに反対したのだろうが、キリトの背後からキバオウが声をかけていた。
キバオウの提案に乗る形で頷いたリンドを確認し、すぐさまキリトは戻って来た。そこにすかさずアスナが訊きに行った。
「どうなったの!?」
「後一人麻痺ったら撤退するってさ! でも、今のペースなら押し切れそうだった!」
「そう…………」
迫り来るナト大佐の攻撃をロアが弾き、すかさずガラ空きとなった胴体にソードスキルを叩き込んでいたわたしの耳にアスナとキリトの会話が聞こえる。
一層でのボス攻略からアスナがキリトに尊敬のような感情を抱いているのだろうが、多分キリトは気づいてない。というか、あの鈍感黒スケに気づけというのが無理な話だ。時たま混ざる残念な発言などがなければ、頼りになるプレイヤーなのに。
思考の海に浅く浸かりながら、二人の会話を話半分に聞いていた。
コボルト王、タルワール、野太刀、バラン将軍。
それだけを耳に入れていた時、ある不安がよぎった。
瞬間的にアスナを見ると、アスナも同じように顔が翳っていた。
「ね、ねぇレイ…………」
「あはは……、いやそんな、だってもうここに二体もおっきいのがいるんだよ?…………さすがに……」
なんのことだとキョトンとしているキリトにどう言おうかと逡巡したその瞬間。
ごごぉん!
という轟音がして、プレイヤーたちは一斉に音の聞こえた方向––––コロシアムの中央を見やる。そこには牛のレリーフが施された石材が同心円状に敷き詰められている。
そしてそれが少しずつ動き出した。三重の円を描く敷石が反時計回りにゆっくりとスライドしていく。そしてついには三段のステージとなった。
その上空で、ゆらりと背景が歪んだ。
揺らぎが次第に大きくなり、内部から漆黒の影が滲み出す。
影は人型になり、大木ほどの両足、両腕の姿を形作る。腰回りは黒光りするチェーンメイルに覆われ、やはり上半身は裸。頭部はもちろん牛のそれだが、なんと角が六本も生えており、その中心には白銀に輝く王冠が鎮座している。
黒い全身を大きく反らし、最大級のトーラス族は地響きにも似た雄叫びを迸らせた。単なる出現エフェクトだろうが、牛男の周囲には次々と雷が落ち、フロア内を青白くフラッシュさせた。
––––やっぱり、出てきてしまった。
ミノタウロスの原点、パーシパエーと雄牛の間に生まれたとされ、ミノス王によってラビュリントスに閉じ込められたミノス王の牛。
その名は雷光、星を意味する。
ミノタウロスとは別にあるその名は、
「…………アステリオス」
誰に聞かせるでもなく独りごちる。
そのHPバーは六本。その下には、やはりその名前があった。
《アステリオス・ザ・トーラスキング》
このままじゃまずい。
HPがあと僅かとはいえ、ナト大佐を相手取るのはわたしたちH隊のみ。本隊の方はバラン将軍の相手で手一杯だ。
そんな中に本命のボスが出現したとなると形勢は厳しいものだ。
…………撤退、それ一択だろう。
現状ではボスであるアステリオスの攻撃パターンも何も解らないのだ。攻略隊が壊滅なんてことになれば、この世界からの帰還は絶望的だ。
そして今やるべきことは……
「––––全員、全力攻撃!!」
突如叫ばれたキリトの声に、わたしは全身が総毛立つのを感じた。
先頭を切ったキリトが飛び上がり、ナト大佐の角と角の間にソードスキルが命中。ディレイで攻撃モーションが中断されたタイミングで、わたしたちがソードスキルを立て続けに叩き込む。
「…………っ!? キリト!!」
ディレイから立ち直った牛男が怒りの方向とともに《ナミング》のモーションを開始。その軌道の真下にはキリトがいた。
普通なら後退するのだろうが、キリトは床を蹴った。
雄叫びをあげて高々と飛び、渾身の《ホリゾンタル》でハンマーを弾いてみせた。
上空に押し戻されたハンマー、その隙を逃すまいと一斉にわたしたちは再度のフルアタック。残りHP数ドット。その残りHPを削り切ったのは、キリトの体術スキル《弦月》だった。
上体を大きく反らした巨体が、ひときわ大きな甲高い雄叫びを放ちつつ、膨大なポリゴン片を撒き散らしながら爆散した。
本隊の方は未だバラン将軍を相手取っている。しかも最悪なことにアステリオスは本隊に向けて移動を開始している。
合流されるとまずいけど、それまでに将軍を倒せばいいだけのこと。
「……行こう!」
張りつめた声で叫んだのはアスナだ。キリトはなにか戸惑うものがあるのだろうが、御構い無しとばかりにわたしが隣に立ち、その隣にロアが立ってこちらに向けてにこりと微笑んだ。
「二人とも、いや…………行こう」
きっと行って欲しくないのだろう。その瞳を見れば一目瞭然だ。
しかしその言葉を、アスナの瞳が遮った。純粋な感情を両の眼に滾らせたアスナをみて、キリトも腹をくくったのだろう。
ちらりと見れば、エギルさんたちも臆する様子はなく、己の獲物を構えている。
「右側から回り込んで、バランを先に倒す。その前に王が攻撃してきたら、できるだけ遠くまでプルして時間を稼ぐ」
「了解!!」
キリトの声に七人の応答が重なり、わたしたちはボスに向けて駆け出した。
視界に表示されるバラン将軍のHPバーは、こちらもすでに赤くなっている。そして死に際に立たされたことでバーサークが発動しており、《ナミング・デトネーション》を連発し本隊を寄せ付けないでいた。
わたしたちは、こちらに気づいたリンドとキバオウの間を駆け抜け、将軍の目の前に躍り出た。先陣を切るのはもちろんキリトで、彼は高々とジャンプし、その体勢からソードスキル《ソニックリープ》を発動してみせた。
ジャンプの頂点で発動されたそれは緑色の尾を引き、オレンジ色に赤熱する二本の角の間に吸い込まれた。
渾身の一撃は弱点を突き、将軍は大きく体を後傾させた。
続くわたしたちはその隙を逃さずフルアタックを仕掛ける。ナト大佐同様の攻撃を受けた将軍は何の因果か、大佐同様HPが数ドットばかり残った。しかし空中から落下中のキリトがスキルを発動。唸りを上げて放たれた《閃打》が巨体の胸板にヒットし、その身を爆散せしめた。
「やるねキリト」
負けてられないと思うが、膨らんだ熱は一気に冷える。この後は、ボスのアステリオスと交戦することなく撤退。道の攻撃を食らって足止めを受けるわけにはいかない。
「全員、壁際を」
キリトの叫びがそこで止まる。不自然さに思わず振り向くと、接触するまでは余裕があるはずだったアステリオスが、状態を思い切り反らし、逞しい胸板を大樽のように膨らませていた。
この世界で見るのは初めてだが、アニメなどを多少は見るため予想がついた。
ブレス。遠隔攻撃だ。
そして気づいた、アステリオスの進行方向上にはアスナがいる。そしてアスナは未だにボスの行動に気がついていない。
「アスナ、右へ跳べ!」
キリトが走りながら叫ぶ、その張りつめた声音から危機を感じたのだろうアスナは、振り向いて時間をロスすることなく床を蹴ろうとした。
もう間に合わないかもしれない、それでもどうか––––––
「Ray!Step back!」
後ろから、流暢な英語でのロアの叫びが聞こえる。
わたしは失念していた。
アステリオスの進行方向上にはアスナとキリトがいた。そしてその直線上にはわたしもいたのだ。
気づいた瞬間、わたしの視界は真っ白に塗りつぶされた。
はつかねずみがやってきた
はなしは、おしまい