桔梗の娘   作:猪飼部

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 二月三月は少々立て込みそうで更新は不透明になりそうです。ですが、どちらかの月には必ず更新したいと思います。可能であれば両月とも更新したいのですが、申し訳ありませんがそこまでの確約は出来かねますので、悪しからずご了承ください。


第二十二回 西方流乱

 涼州は歴史的に重要な西域交易路であり、同時に異民族侵攻の防衛要地である。常に珍品が行き交い、と同時に血が流される。交易の旨味を越えて嵩む戦費に、中央では幾度か涼州不要論が出る事もあった。無論、そんな事を許せば、剽悍な羌族の凶矢が司隷を容易く貫くのは想像に難くない。愚官の提案はさいわい常に却下されて来た。

 

 現在、血風吹き荒ぶこの土地には三つの大きな軍閥が鎮座し、漢西端を守護している。近年、その三つの内の一派に大きな穴が空いた。平西将軍馬超その人である。

 常に侵略の瀬戸際に立たされ続けていた涼州で、雪崩れかかる羌族を蹴散らしていたその武威は、若年ながらも錦馬超の美名を大陸に広く響かせた。それでも羌族はその猛威を衰えさせる事無く、度々漢の領土を寇していた。

 それがある時、ふつりと途絶えた。突如、不気味な静寂を纏った西戎(せいじゅう)に、馬孟起の母である征西将軍は、孟起を涼州から中央へと栄転させた。それは娘の栄達を思っての事ではなく、羌の反応を見る為であった。果たして、沈黙は続いた。孟起が関東まで遠のき、黄巾賊相手に暴れ回ってもその沈黙が破られる事はなかった。

 それ故に中央には油断が生じていた。西方は安定したと。だから何の懸念も頓着も置かずに何進は董仲穎を呼び寄せた。

 涼州に二つ目の穴が空いた。それも、今度は軍閥の長である。新帝争いしか目にない中央と違い、涼州の人々はこれに強い懸念を抱いた。だが、それでも西の(えびす)に動きは見られなかった。代わりに別の者が動いた。

 それはあろう事か三つ目の軍閥の長、韓遂(かんすい)(*210)であった。

 

 

 ――――

 

 

 第二十二回 西方流乱

 

 

 

 巴鷹鏢局から上がってきた情報を精査し吟味していた包は、眉間を揉みしだきながら一息吐いた。

 漢中郡の安定から逆巻くように涼州で叛乱が起きた。帝位継承が成ったばかりでこれからというこの時に、狙い澄まして兵を挙げた韓遂に、包は歯軋りして心中で罵った。ついでに既に世を去った何進にも。

 何進が涼州軍閥に大穴を空けなければ、韓遂も軽挙に出る事はなかったかも知れない。しかしその場合、帝位争いがどう転んでいたかも判らない。新帝陛下を寸でのところで救出したのが彼の董丞相であるとの触れ込みだ。詳細は不明だが、彼女が中央に招聘されていなかったら弁皇子が玉座に収まっていたかもしれないし、最悪共倒れで泥沼化、それどころかそのまま王朝滅亡、なんて事態になっていたかも知れない。

 包は頭を振って雑念を追い払った。有り得たかも知れない妄想に割く時間はない。

 今重要なのは、最も懸念すべきは連鎖反応だ。先の黄巾の乱でも起きた現象であり、この漢中郡で事を起こした馬相も、黄巾賊とはなんの繋がりもない癖に、はじめは黄巾を巻いて挙兵した。

 そして、此度の韓遂挙兵に反応を示しそうな勢力がすぐ傍に居る。

 

 益州牧劉焉。

 

 間違いなく兵を起こすだろうと、包は直観していた。もとより軍備の増強に余念なく、涼州同様異民族の動向が静かである。なにより、益州出身者が口を揃えて言うようにその野心を隠そうともしていない。報せが未だ届いていないだけで、既に軍を動かしているかも知れない。そして、それは正にその通りであった。

 戸口の向こうから急報を知らせる鏢師の緊張した声音が届いた。予感に胸をざわつかせながら入室を許可する。木簡を受け取り、素早く目を通す。元々修めていた速読術はここ最近、さらに磨きが掛けられていた。ほんの僅かの間に読み終え、小さく唸りを上げた。

 

「これは蕣華さんに変な伝わり方したら面倒ですね」

 

 呟きながら立ち上がり、鏢師に幾つか指示を与え、執務房へ急ぎ向かう。その途中、背後から呼び掛けられ振り返ると、洛陽へ出向していた黄宗文が息を弾ませながら此方へ小走りに寄って来ていた。包はその姿に面倒事の匂いを感じた。劉焉の件は洛陽にはまだ届いていまい。とすれば韓遂か。

 

「包様」

「これは潤さん、今お戻りですか」

「はい」

「涼州の叛乱鎮圧の勅でも下りましたか?」

「! よ、よくお分かりで……」

 

 矢張りそうか。この反乱は是が非でも中央で治めたい筈だ。継承争いの末の幼帝戴冠の不安を象徴するかのような動乱だ。ここを見事に治められなければ、新体制の先は早々と闇に沈むだろう。ただでさえ衰えている王朝の求心力がこれ以上下落を辿れば、あっという間に群雄割拠の戦国時代の到来を呼び込む事になる。既にそうなりかけている。どこぞの州牧の反応が早過ぎた。

 

「…糞っ、劉焉め」

「え?」

「いえ、なんでも……」

 

 二人並んで主の元へ速足で急ぎながら考えを纏めようとする包の口から、つい悪罵が漏れた。咳払いで誤魔化して、隣を歩く宗文に状況を尋ねた。

 

「主戦は翠さんですか?」

「何から何までお見通しですね」

「これはそれほど大した予測でもないですよ。涼州の変事は涼州一の猛将が鎮圧するのが最も合理的ですからねー。それでも蕣華さんにまでお鉢が回って来たという事は……」

「洛陽での徴兵に限界があるとの仰せです」

「ま、私達が既に五千から引っ張って来てますし、近郊から集めるにしても時間は掛けたくないでしょう。王朝の今後の為にも、もたついていられませんからねー。丞相の軍勢を融通してもらえなかったのですか?」

 

 董丞相は招聘の際、その軍勢毎上洛している。その軍は皇帝劉協の後ろ盾として地方に睨みを利かせているのだが、その為に空いた隙間で叛乱が起きては元も子もない。それでも動かさないのだろうか?

 

「涼州に居残っている軍閥の残存戦力の指揮権を翠様に委譲なさるそうです」

「ふむ」

 

 それでも足りないと踏んだか。いや、そもそも隴西郡(ろうせいぐん)漢陽郡(かんようぐん)の向こう側だ。韓遂が後顧の憂いを断とうとすれば先に討たれるし、勢いに任せて三輔を寇しようとすれば、糾合してる間に長安まで抜かれるかも知れない。少なくとも漢陽で止めなければならないのだから……。

 一旦、始めから順を追うか。

 韓遂軍は合議の為と称して金城郡(きんじょうぐん)に呼び出した馬騰(ばとう)(*211)とその一党を不意討ちによって撃滅した。馬騰の生死は現在不明。その軍勢の一部は韓遂によって吸収された。三々五々散った残りの戦力は、馬孟起の従妹が糾合したが、その将器に見合った数しか纏められていないようだ。漢陽郡に居残った主力は留守居を任された末妹では到底纏めきれないだろう。 孟起が涼州に戻れば、漢陽の軍閥が再統合できるだろう。丞相の留守居戦力は上手くいけば挟撃に使える程度の考えかも知れない。とは言え、これだけでも五分以上に渡り合えるだろうが、問題は矢張り時間なのだろう。

 慶祝に漢中で募兵させ先の討伐軍を倍にでも膨れさせ、迅速に涼州まで進軍。孟起と合流し、以って韓遂を叩こうという算段だ。

 中央からすれば、慶祝が騎将であるというのは正に幸いであったろう。行軍に於いても戦場に於いても、彼の錦馬超に着いて行ける将は少ない。最も、現在の洛陽には飛将軍と神速の驍将が居り、史上でも稀な騎将天国の様相だが……。その中でも、偶々慶祝が涼州に程近い地点にある程度纏まった戦力を有して留まっていたのは、天の采配というものか。

 騎将天国か…。包は自分の頭に浮かんだ言の葉に捉われた。飛将軍、神速の驍将、そして錦馬超。天下五騎の内、三人の騎将が中央に属している。どうせならこの韓遂の乱で己の主を最後の一騎に押し上げたい。厳慶祝が天下五騎の名望を得れば、称号通りに五将が揃い、白馬長史を除いた四将が中央に所属する事となる。栄名はただそれだけでも力となる。この場合は、慶祝個人にだけでなく、王朝にとっても良い影響を齎すだろう。それだけに既に呼応した益州が恨めしい。主の御母堂に期待したいところだが……。

 

「となると、問題は益州ですねー」

「益州、ですか? そう言えば、途上で益州牧の急使と擦れ違いましたが……」

「それはどの辺りですか?」

「この県城程近くですから、漢中から出るのももう少し掛かるかと思いますが」

「そうですか」

 

 それにしても、益州牧が洛陽へ急使を奔らせるとは……。

 

「……」

「あの、どうかされましたか?」

「初動を遅らせる、……あわよくば濡れ衣でも着せる気ですかねー」

「え?……」

 

 思索しながらの呟きに反応した宗文に、益州の現状を軽く説明しようとした包の耳に、怒声が届いた。二人が向かう先から、聞きたくなかった声が。どうやら知られてしまったらしい。それもあの反応を見るに、劉焉は矢張り急使に仕掛けを施したのだろう。包はうんざりと天を仰ぎ、会った事もない劉焉に心中で呪詛を吐き掛けた。

 驚愕し、それ以上に憔悴する宗文の肩を叩き、急ぎましょうと声を掛け、小走りに慶祝の元に馳せ参じた。

 

 

 ――――

 

 

「ふっざけるなぁぁっ!!!」

 

 怒号と共に振り下ろされた拳によって、落雷の様な破砕音を立てて机が木っ端と砕けた。

 しかし厳慶祝の憤怒は全く収まらない。これまでにも何度か激情を露わにする事はあったが、そんなものは微熱に過ぎなかったと思えるほどの激烈な怒りであった。鉄塊すらも蒸発させてしまうのではと思わせる劫火の眼光に射竦められた呂子明は、その紅炎が己に向けられている訳でもないのに、五体の震えを止める事を出来ずに立ち竦む事しかできなかった。

 

 益州からの早馬。その急使が携えていた一報は、慶祝の最大の禁所に触れた。京師へ向けて駆け抜けようとしていたその急使に追い縋ってその報を聞きだした子明は、共に城外で羽を伸ばしていたトラの事も忘れて一目散に慶祝の元へ駆け付けた。

 尋常でない慌てぶりに呆気に取られたトラも、一拍遅れて後に続いた。その様子から軽々に口を開く事も出来ず、二人足早に郡堂を目指した。

 

 中廷で小休止と洒落込んでいた紅玉が、慶祝の名を呼ばわり乍ら駆け足で急ぐ二人に気付くと、こりゃあ只事じゃないな、と自身も慶祝の元へと参集した。

 そして、折良く執務に戻ったばかりの慶祝は、決意も新たに意気揚々と仕事に取り掛かろうとしていたところであった。そこに齎された有り得ぬ凶報。寸前の機嫌など彼方に吹き飛んだ。

 最も愛し、尊敬する母が漢に対し叛逆したなどと、そのような戯言が許せようか。

 気持ちは痛いほど分かる。紅玉も彼女の母を良く知る一人だ。全く以ってあり得ない話だ。しかし肝心のその娘がこの有り様では落ち着いて話も出来やしない。さてどうしたものか。などと韜晦して思考を巡らそうとするが、自分以外の者からすれば、既に答えは出ていた。

 

 心身全てが憤激一色となった慶祝に声を掛け、あまつさえ宥められるのは彼女との付き合いが最も長く、母親との面識も持つ者、つまり紅玉に託された。子明とトラが自然と此方へと視線を彷徨わせた時、その貧乏籤から逃れられないと紅玉は悟った。

 しゃーないなぁ、と溜め息と共にその役目を請け負った。しかし、紅玉の取った行動は“宥める”という表現からは聊か遠かった。

 

「まー、落ち着きなって蕣華」

「これが落ち着いていられっ!! っが?!」

「喧しい! いいから落ち着け!!」

 

 激昂する慶祝の鼻っ面に思いっ切り拳をお見舞いし、紅玉は吠えた。突然の事に唖然とする子明とトラ。慶祝も、一瞬何をされたか解らず眼を瞬かせた。その隙をついて紅玉は畳み掛けた。

 

「桔梗おば様がそんな事するわけないなんて分かりきってんだ! 直接会った事のない亞莎やトラにだって分かることだ! 蕣華を見てりゃあな!! 私らの上に立つ奴がんな事で一々取り乱すな!!」

「お、おう……」

 

 紅玉には真面な方向から宥める気など無かった。人は予想外の事を仕出かされると一瞬反応を見失うものであり、目の前で感情を爆発されると返って自分が落ち着くものだ。紅玉はそれを利用して無理矢理に慶祝の気を鎮めたのだった。

 

「いやぁ、付き合いの長い人がいると、こういう時助かりますねー」

「包。……それに潤も」

 

 呑気な声に皆が振り返ると、部屋の戸口にいつも通りの魯子敬と若干顔色を青白くした黄宗文が立っていた。

 

 

 ――――

 

 

 表面上は何とか落ち着きを取り戻した慶祝。無論、内心は今も荒れ狂っている。なので益州行きを包に却下されると、つい声を荒げてしまった。

 

「なんでさっ!?」

「ひゃわわっ、落ち着いて下さい蕣華さん。私には紅玉さんみたいにごり押しで抑えるなんて真似できないんですから」

「う……、ぐぅ」

 

 決まり悪そうに唸る慶祝。そのまま右に左に揺ら揺ら彷徨って、どかりと破壊された机に座り込んでしまった。何とも行儀が悪いが今この場でそれを指摘する者は居ない。包も僅かに苦笑を漏らして滔々と告げた。

 

「まず第一に、帝都より新たな勅命です。 潤ちゃん」

 

 名を告げられた宗文が、蕣華の前に進み出て指令書と任命書、そして印綬を恭しく手渡した。受け取った蕣華はまず指令に目を通し、次いで任命書を開き、最後に印綬を確認した。

 

「涼州三軍閥の一角が何してくれやがってる……」

「全く同感です。まぁ、色々と思うところはありますが、先ずは翠さんと共にこの韓遂を誅滅しない事には先に進みません」

 

 ありありと不満気な様子の慶祝に、包はいちいち丁寧に言葉を重ねた。常ならば不必要な段階だが、今の慶祝には一つ一つ言って聞かせねばならないと感じたからだ。

 

「翠さんの軍だけでも韓遂を討つ事は出来ると思いますよ」

 

 その言葉に、片眉を上げて反応する慶祝。その眼が、忙しなく先を促す。早く自分を納得させろとでもいうように。苦笑しながら包は先を続けた。

 

「しかしそれには相応の時間が掛かります。相手も翠さんの事は良く知ってるでしょうし、下手をすれば長期化してしまいかねません。そうなれば、結果乱を鎮圧できたとしても、新政権としては失策に終わった事になります。中央にはまだ届いていませんが、既に益州でも乱の呼応が起きてる現状、以降の巻き返しはほぼ不可能でしょう。この乱を契機に本格的な動乱の突入、群雄割拠の戦国時代へ真っ逆様ですねー」

「他の馬鹿共が騒ぎ出す前に韓遂の頚を落とさなきゃならない訳だ」

「そういう事です。時間こそが我々の敵です」

 

 そこで黙考する慶祝。何を考えているかは大体判る。

 

「しかし既に劉焉が動いてしまいました。直に中央にも報が届くでしょう。何せ、劉焉自身が急使を放ったくらいですしね。蕣華さんの懸念は、それによって御母堂が討たれはしないか?というとこですかね」

 

 ぎろりと睨まれる。無論、包に思うところがある訳ではなく、その視線の先は益州牧に向けられている。それが解かっていてもやっぱりちょっと怖い。包の素直な感想だった。

 

「これに関しては大丈夫でしょう。劉焉としては中央の初動を少しでも遅らせたいがための、言わば苦し紛れですよ。もしかしたら、あわよくば……なんて考えてるかも知れませんけど」

「だ、大丈夫なんですね?」

 

 心配そうな様子で子明がそっと確認してきた。気が気でないのだろうが、包は元よりそれほど心配などしていない。

 

「まず事実として、劉焉が兵を起こした。厳将軍はどうするでしょうか?」

「そりゃ、軍を招集、と共に中央に報告…ああ、そっか」

「つまり、洛陽には互いが互いに兵を起こしたとの報告が上がるわけですか」

「少なくとも、いきなり蕣華さんの御母堂が一方的に謀反人として討伐される事態にはならないと思いますよー。丞相とその懐刀の判断は未だ見えませんが、荀家の怪物が陛下の脇に控えている限りは、逸った真似はさせませんでしょう」

 

 成る程、と幕僚は皆納得を見せたが、肝心の慶祝は未だ厳しい目付きのまま、じっとりと包を見詰めていた。そして、その目付きに似合わぬ静かな声音で問い掛けてきた。

 

「包」

「はい」

()()()()()の中身が知りたいんだけど」

 

「……確かに懸念材料が一つだけあります」

「それは?」

「天の御遣いです」

 

 瞬間、慶祝が止まった。僅かに目を見開き、そのまま微動だにせずに固まってしまった。呼吸すら忘れたかのようなその様子に、おや?と包は疑問を差し挟もうとしたが、横からののんびりした声に遮られた。そのままその声に向き直り会話を続けるが、意識は未だ固まったままの主君に向けられていた。

 

「天の御遣いってなんだっけ?」

「流星と共に天降りて乱世を平定するとか何とか噂されるあれですよ」

「ああ、なんか麒麟やら九尾狐やらの親戚みたいなやつかー」

「問題は、その親戚が人の姿をしている事ですかねー」

「そりゃまた繃子(ペテン)が捗りそうだなー」

 

 のんびりした声の主、仲峻が緊張感の欠片も感じさせずにぼやく。彼女は既に厳太守への疑いが、洛陽で事実と認定されるかもしれないとは考えていなかった。

 

「その、天の御遣いがどういう…?」

 

 対して、窺うように問うてきた子明はまだ不安そうだ。だからなるべく気軽い調子で応えた。

 

「巴郡に降り立ったのだそうですよ。それで、太守様に庇護されたのだと」

 

 子明が息を飲んだ。ああ、この子は何か知っている。何故、厳慶祝が岩のように固まってしまったのかを。

 

「懸念って、もしかして桔梗おば様がその御遣いとやらを擁して次の天に~って事? ばっかばかしい」

「同感ですけどね、時期が悪いのもあります。なんせ、この漢中で馬相が天子を僭称したばかりですからねー」

「天子の自称と、瑞獣擬きじゃ隔たりあるような気もするけどねぇ」

「まぁ、まだるっこしいですよねー。本当にその気のある連中は、馬相のようにそのものずばり天子を自称しますし。補強材料として脇に置くにしても、自身が天を僭称しないのはなんともちぐはぐでしょうに」

 

 だからあわよくばの域を出ないのだ。無論、実際に厳顯義が天子を自称しているかどうかは洛陽に座するだけでは知り様もなく、劉焉の報告にそう書かれていれば()()扱われる危険性もあるが、少なくともその報告が即認定されるとは包は考えていない。

 厳顯義が復職して以来、中央に対する態度を鑑みれば、その変節があまりにも突飛である事はすぐに思い至る。それも、胡散臭い噂を頼りに叛逆するというまだるっこしさが加味されれば、逆に信憑性が下がる可能性もある。

 現帝は決して暗愚ではないし、脇には優れた智嚢が控えており、十常侍は排除された。最後の懸念は丞相とその幕臣だが……、そこまで考えが廻った時、子明がぽつりと呟いた。

 

「そう言われると、御遣いが主体となるのはなんだか妙な感じがしますね」

「ん? どゆこと?」

「あ、その、済みません。今の話と少しずれてしまうんですけど、元々の天の御遣いの噂は、御遣いのみで完結してるじゃないですか。次の天子の元に舞い降りる、とかではなく、あくまで乱世を鎮める為だけにやって来る、というのが、ええっとつまり、なんて言うか」 

 

 段々と自分でも何を言いたいのか解からなくなってきたのか、最後はしどろもどろになった子明の言いたい事を類推して適当に説明してみる。包にとって天の御遣いは重要ではない。あまり時間を割きたくはないが、子明の感じている”何か”と、そこから慶祝の反応は見ておきたかった。

 

「つまるところ、政治利用する為の流言ではなく、社会不安から発生した救世の夢物語ですからね。地に何事かあれば天より吉凶のいずれかを象徴する存在が出現する、というのは昔からよくある信仰ですよ。そこから考えれば、御遣いが主体でも本来問題ない話ですよ。今回のこれはそれが人である、というのが謀に利用できる隙間を生じさせたのでしょう。御遣いが何らかの獣を象っていたら、ありがたいものが現れました。やった! 希望が見えた! で、はい終り。なんですがねー」

「な、なるほど」

「そんな庶人の希望を野望の為に利用するたぁ、業が深いやね」

 

 長々と語った後に何の気なしにだろう呟かれた仲峻の言葉に、慶祝の肩が僅かにぶれた。未だ判断材料が少ない為、御遣いと慶祝の間に何があるのかは解からない、が何かあるのは確かなようだと、包はそこで考察を打ち切った。これ以上は本当に時間を無駄にしてしまう。

 今は韓遂を討ち取る事に集中してもらわなければならない。だからはっきりと慶祝の方を振り返った。慶祝もいい加減一時の衝撃から立ち直ったのか、目線だけで頷いてきた。よし、いつもの主公だ。

 

「さて、蕣華さん。私の見立てでは御母堂は大丈夫です。ですから韓遂討伐に集中して下さい」

「…分かったよ」

 

 言いながら立ち上がり、ふっと一息吐いた。慶祝が意識を切り替える時の癖だ。包のみならず、その癖を知る皆がその様子に安堵した。

 

 

 ――――

 

 

 皆が安堵したその空気を感じ取って、蕣華は僅かに苦笑しながらも自省した。

 もっとしっかりしなくちゃな。いくら官位が上がろうとも、これでは母上に会わす顔がない。

 何時も頼りにしている智嚢が大丈夫と言ったのだ。ならば、己の務めを果たす事に全力を傾けねばなるまい。そして、その為に最初にやる事は決まっていた。此度の外征に合わせて任命された中領将軍号には、開府権限もあり、府佐の任用権まで与えられていた。その権限を得たならまず初めにやるべき事は以前から決めていたのだ。

 

「包」

「はい」

「汝を我、中領将軍厳寿の軍師に任命する」

「謹んでお受けします」

 

 晴れ晴れとした笑顔で子敬が応じた。蕣華の軍師となる事、子敬がずっと望んできたもの。今迄も、役割上は軍師であった。しかし今、子敬は正式に蕣華の軍師と成ったのだ。これで少しは報いる事が出来ただろうか? うずうずと嬉しさが滲み出ている子敬を眺めながら想う。いや、これからだろう。これからその辣腕を存分に振るってもらおう。

 

「それじゃ早速、今後の方策を頼むよ」

「ではすぐに軍を編成して涼州へ向かいましょうか」

「早っ!? え、徴兵しないの?」

 

 早速子敬に丸投げする蕣華。それに対し張り切って子敬が方針を打ち出せば、仲峻が驚きの声を上げた。

 

「先程も言ったように我々の敵は時間ですから。紅玉さんは亞莎ちゃんと先立って涼州入りして下さい」

「そりゃいいけど、なにすんの?」

「紅玉さんは現地で募兵をお願いします。一所で数を揃える事は考えなくて結構です。金城までの途上の郷邑で集められるだけ集め乍ら進んでください」

「はいよー」

「尤も、金城まで到達するかどうかは情勢次第ですけどね」

「まーそうだね。伝令は多目に連れてくよ」

「お願いしますー」

「亞莎ちゃんには策を幾つか授けておきますから、現地の地勢と韓遂の情報を照らし合わせて後は亞莎ちゃんにお任せします」

「は、はいっ!」

「韓遂軍に関しては巴鷹鏢局の涼州支局を使い倒して下さい。偵知に長けたうちの手の者も何人か連れて行ってもらいますので、上手く使ってやって下さい。こちらも連絡は密にお願いしますねー」

「心得ました」

 

 子敬は二人の返事に満足げに頷き、続いて宗文を振り返る。

 

「潤ちゃんはいつも通り、輜重隊をお願いしますねー」

「お任せ下さい」

 

 そこまで話が進むと、蕣華が声を上げた。

 

「そうなると、全兵を私が直接指揮するのか?」

「ふっふっふ、折角府佐の任用権を受けているんですから辟召すればいいんですよ」

「目ぼしい人材が居るんだね?」

「一人は予想付くなー」

「……ああ、凌霄(リンシァオ)か」

 

 仲峻の言に応えて慶祝が呟いたのは、彼女や仲峻の巴郡での知己の真名だった。その名は王平(おうへい)(*212)、字を子均(しきん)という賨人(さいじん)(*213)の血を引く少女である。蕣華より一つ年下だが、安遠将軍府で武官として活躍していた。それが今回の馬相征伐の後、蕣華が先帝の治療の為に招いた五斗米道の巫医張伯腊(ちょうはくろう)の供回りを買って出て、少数ながら板楯兵を率いて漢中入りしていた。

 以来、王子均は漢中に留まっているのだが、蕣華には旧交を温める暇が中々なく、母と義姉の息災を確認できた程度であった。今少し交流の時間が取れていれば、天の御遣いの話を聞けていただろう。尤も、それで何かできたという訳でもなかったろうが。精々、衝撃を受けて無様を晒す場が摩り替っていた程度だろう。

 一方で仲峻は幾度か飲茶を共にしたりと仲を深めていた。二人は仲峻の母が安遠将軍府の長史を務めている関係で知己を得ていた。尚、主な会話の内容は阿蘇阿蘇をはじめとした実に女の子女の子したものであった。

 

「正解です! 実は彼女には目を付けていたんで、お願いしてここに逗留してもらっていたんですよー」

「あー、だから巴郡に戻らずいたのか」

「えぇ……」

「蕣華さんの累進も見えてましたからねー。本人にも快諾してもらってましたから大丈夫です!」

 

 相変わらず裏で色々と動いてくれる軍師様である。子均もあれで中々しっかりした娘なので、母の許諾も得ているだろう、多分、きっと。しかし、今はその母が大変な時なのに本当に大丈夫だろうか?ともやはり考えてしまう蕣華であった。

 

「まぁ、桔梗おば様なら大丈夫っしょ。焔耶さんも居る事だし」

「ん、そう、だね」

 

 顔に出てたかな? と頬を一撫でしながら親友の言葉に応えた。

 

 その後も子敬が幾つかの指示を出し、新たな人材を引き入れ、軍編成を手早く纏め、蕣華の将軍としての初陣の幕が上がった。

 

 

 第二十二回――了――

 

 

 ――――

 

 

 厳慶祝が涼州にて韓遂軍と会敵した頃、洛陽には益州での叛乱の報が届き宮中は騒然としていた。

 元巴郡郡吏で現在は侍御史を務める董和――鋼――は、その中でも一際胸を騒がせている一人だった。そんな彼女の元に来客が現れたのは、急報を受けて急ぎ出仕しようとする直前の事だった。

 戸口にて鋼を待っていたのは、先日知遇を得た二人の男女。

 女の方は初めて会った時と同じ大胆な露出をした衣装で、その自慢であろう見事な女体を冬の外気にも負けずに堂々と晒していた。

 男の方は、――男の方は輝いていた。朝陽に照らされた新雪のような輝きを纏っていた。凡そ見た事のない生地の衣装。だがそれだけではない。一瞬、珍奇な品に目を奪われたが、違いはそれだけではない。寧ろ、羽織れば誰でも目を引く衣裳などは重要ではない。初見の印象を払拭する最大の変化。それは男の表情にこそ現れていた。優しげだが、何処か頼りない微笑を浮かべていたその面には、今は決然とした意志が宿っていた。

 彼は誰だったろうか。確かに知り合った筈なのに、まるで初めて見えたかのようだ。そんな考えが頭を掠めた鋼は、何時の間にか乾いていた喉で、何とか用向きを聞く事だけは出来た。

 

「……今、忙しいのだが、用件はなんだ?」

「桔梗さんが俺の所為で迷惑を被ってるって聞いたんだ」

 

 その男、北郷一刀は迷いのない声音で告げた。俺の所為で。その言葉の意味を、鋼は直ぐには推し量れずに視線を横にずらした。その視線の先、一刀の隣りで、李曼成は誇らしげな、しかしどこか諦めた風情で腕を組んで事の成り行きを静かに見守っている。その様子を確認して、鋼は観念したように視線を白く輝く男へと戻した。

 

「北郷、君は……」

 

 それは洛陽が天の御遣いを知る直前の一幕であった。

 

 




*210韓遂:涼州金城郡(きんじょうぐん)出身の武将。元の名を韓約という。若い頃から西涼で高い評価を得ていた。先零羌、枹罕・河関賊、涼州義従が叛乱を起こした時、当時金城従事であった韓約はだまし討ちによって数十人と共に人質に取られ、金城太守と護羌校尉を殺された。しかし韓約は釈放され、更に軍帥に擁立されて軍政を委ねられた。この為、隴西郡では韓約が賊徒になったと噂が流れ、懸賞金までかけられる事態に発展した。以降、韓約は韓遂と名を改めた。その後、州とを焼き払い、数万騎を率いて三輔を侵して本当に叛徒となる。長く西涼で勢力を保ち、幾度となく中央に対し叛乱を起こし続けた。

*211馬騰:司隷扶風郡茂陵県(もりょうけん)出身の武将。韓遂が巻き込まれた叛乱で、、涼州刺史耿鄙(こうひ)が集めた討伐軍に参加。馬騰を見た州官吏はただ者ではないと軍従事に任じて部曲を統括させると、すぐさま功績を立て軍司馬に任じられた。耿鄙が部下の裏切りに謀殺されると、馬騰は韓遂に合流し反乱軍に転身してしまう。散々に三輔地方を荒らし回ったが、左将軍皇甫嵩に敗れた。その後、董卓が実権を握ると出仕し、羌・氐族の叛乱を平定し、偏将軍に任じられた。董卓死後、李傕・郭汜が実権を握ると征西将軍(或いは征東将軍)に任じられたが、やがて李傕達とは対立するようになり、義兄弟の契りを交わした韓遂との仲も険悪となる。曹操が中央を押さえると、関中情勢への懸念から馬騰に舞曲を解散させ入朝させた。馬騰は馬超以外の一族とともに鄴へ移住し、衛尉に任じられた。しかし馬超が反乱を越した為に、馬騰は処刑、三族も皆殺しに処された。

*212王平:益州巴郡宕渠県(とうきょけん)の武将。ほぼ文盲であったが地頭は非常によく、『史書』『漢書』の大要を掴んでいたという。杜濩(とこ)朴胡(ふこ)が曹操に帰順し、巴夷(はい)・賨人の民を引き連れ洛陽に移住したなかに王平もおり、曹操に校尉に任じられた。漢中攻防戦に従軍したが蜀軍に降伏。牙門将に任じられた。街亭の戦いで馬謖が失策を犯した時、王平は何度も反対したが聞き入れられず蜀軍は敗退。しかしその中にあって王平は千人を率いて殿を務め、張郃(ちょうこう)の追撃を阻止した。この項により参軍・討寇将軍に累進、亭侯に封じられた。諸葛亮没後、楊儀(ようぎ)と魏延が対立すると楊儀側に立ち、魏延の兵卒を一喝して離散させた。その後も累進を続け、漢中太守、前監軍・鎮北大将軍にまで昇進した。魏の大軍十万が攻め寄せた時、漢中守備兵三万弱で防衛を果たし、蜀本軍の救援を以って魏を撃退した。

*213賨人:板楯蛮の別称。寅人(いんじん)とも称する。
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