桔梗の娘   作:猪飼部

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*これからあなたがお読みになろうとしているモノは、間違いなく真・恋姫無双の二次小説です。
 通常、恋姫二次ではあまり目にしない要素と出会うかもしれません。ご注意下さい。
 
 


第六回 南蛮志怪

 拝啓、母上様

 

 世の中は私の想像を遥かに超えて広いものなのだと、巴郡より出でて南に進み南蛮入りして身に染みて実感しました。大陸全土から見れば近場に過ぎない南蛮でさえ、これほどの衝撃に出会うとは想像だにしておりませんでした。自らの矮小さ、不識を恥じ入るばかりです。

 

 現実逃避気味に頭の中で母への手紙を綴る厳氏の若武者、蕣華は鬱蒼と茂る原生林で器用に二種の汗を掻きながら秋草を奮い猛っていた。

 春とは思えぬ熱気の中、温い汗が全身を伝い、縦横に死線を躍動する度に飛沫となって舞う。そして、埒外の難敵が振り撒く荒れ狂うような暴威、或いはその敵存在そのものに対して冷や汗が背筋を這った。

 

 南蛮の奥地、人里離れた広大な原生林。完全に植生が入れ替わり、版図上のみとはいえ、ここが漢土であるなどと誰も信じないだろう。そんな異郷の地。鬱蒼と生い茂る種々様々な草木はそこに多様な生物相を期待させる。しかし俄かに戦場と化したここには鳥獣はおろか、虫の子一匹たりとも近寄らないでいた。

 今ここには二人の少女。着流し姿の一人は大振りの薙刀を奮い、虎の毛皮で僅かに身を包んだ一人は涙目で蹲る。そして……、

 

 

 

「ホホホホゥ」 「ホッホ ホホゥ」 「ホッホ ホッホ」

  「ホッホ ホッホ」「ホ ホホ ッホ」「ホホホホゥ」

 「ホホッホ ホッホ」  「ホホホホゥ」「ホッホ ホッホホッホ」

 

 何処か木菟(みみずく)に似た不吉な鳴き声が響く。てんでんばらばらに九つの奇声が敵から常に漏れている。敵はたったの一匹なのに……。

 だが本来は十の声を響かせていたのだろう、血の止まりかけた、それでも今尚血が滴る首元にあったはずの頭部は今頃この原生林の何処かで早くも腐り掛けているのだろうか。まさか、切り落とされた首だけで鳴いてはいやしないだろうな。そんな恐ろしい想像を頭の中から追い遣り、目の前の怪鳥に集中する。

 

 そいつは奇妙に木菟に似ていた。泣き声だけでなく。無論、木菟には九つ(若しくは十)もの首はないし、拡げた翼が一丈三尺(約299cm)(*110)に達したりもしない。

 それは巨大な多頭木菟。それは有形の害意。それは人世の化外。それは、鬼車(グイジュイ)(*111)と呼ばれる妖異だった。

 

 

 ――――

 

 

 

 第六回 南蛮志怪

 

 

 

「暑いな~」

 

 知識の上で知ってはいたが、実際に体感するとなるとその違いに矢張り戸惑う。今は二月、肌寒さの抜けきらない陽気な季節の筈である。が、ここ南蛮では既に、或いは常に夏の様相である。巴蜀も温暖な土地柄で、周囲にそびえる山脈のお蔭で他州のように寒冷化の影響からも逃れているが、南蛮は最早完全に別世界と言えるほど環境が違っていた。

 

 ここは益州南中四郡の一つ、益州郡(えきしゅうぐん)。 益州の南部に位置する四つの郡、即ち、益州郡、牂牁郡(しょうかぐん)越巂郡(えっすいぐん)永昌郡(えいしょうぐん)は今現在、まとめて南蛮の地と呼ばれ一部の例外を除いて漢族の支配の及ばぬ土地である。とは言え、漢人が全くいない訳ではなく、主に商魂逞しい商人達が南蛮、或いは南蛮以南以西の品々目当てに一定の勢力を成していた。

 

「南進すれば気温が上がるのは確かに道理だけど、いくらなんでも極端だよな」

 

 初めての一人旅で独り言の増えた蕣華は、漢族商人が築いた街にある巴鷹(はよう)鏢局(ひょうきょく)の支局に愛馬を預け、益州郡の奥地、完全に南蛮人の領域に足を踏み入れ、更に進み広大な熱帯雨林に入ろうとしていた。

 丘を超え、ようやく眼前に目指す見渡す限りの密林、正に樹海とも呼ぶべき威容が姿を現した。

 

「成る程、これは騎馬では無理だな」

 

 支局で忠言され、愛馬を預けたのは正解だった。その街からここまで随分な距離があった為、馬を預けるのは途中立ち寄った南蛮人の街でも良かったとは思うのだが、鏢局に詰める部曲の者達から止められた。街に居住する南蛮人は漢人馴れしており、朴訥な南蛮人の中でも相応に擦れている者が多く、特に一見の旅人などは食いものにされかねないとのことだった。

 簡単に食い物にされる気はないが、異民族の中では特別驚異的ではないにしても、それでも漢人に比べれば壮健な彼等とその領域内で事を構える愚は避けたいので、余計な騒動に発展する可能性は積極的に排除すべきと、大人しく忠告に従った。

 だが、忠言だけでは終わらず、馬の代わりに鏢師(ひょうし)が南蛮の街を出るまで警護に付いて来たのは流石に警戒し過ぎではないかと思ったが、彼等からすれば主家の娘が蛮地に単身赴くのだから当然の処置であった。

 しかしいい加減、警護付の一人旅には辟易としたので街を出るところで鏢師を帰し、改めて一人南進して来たのだった。

 

「この先が南蛮王の直轄地。南蛮の中枢か」

 

 南蛮大王孟獲(もうかく)(*112)。先頃即位したばかりの南蛮の新王。漢人の街ではそれだけしか判らず、南蛮人の街では幼過ぎる不安と、それを覆す武勇への信頼が見て取れた。自分達を率いる王に求めるはまず第一に武、力ある者を好しとするが南蛮の気風なのだろう。

 王権交代も円滑に行われ、混乱や動揺とは無縁のようだった。特に目新しい方針が示された様子もなく、南蛮の普段の雰囲気は知らないまでも、特別な空気が蔓延している様子もなかった。警護の者に確認したところ、矢張り普段通りと言った様相であるようだった。

 南蛮に関しては当分の間は動きはなさそうだと判断し、それでも奥地を目指した。南蛮の代名詞とも言える大樹林を。そこは丸ごと南蛮大王の居城でもある。

 都合よく謁見できたりなどはしないだろうが、可能なら一目くらいは見てみたいものだ。それが叶わずとも、眼前の密林には自分が目にしたことのない未知ばかりが満ち満ちている。気分も高揚してくるというものだ。しない筈ないじゃないか、と誰に向かって言っているのか不明な呟きを知らず口にしながら、蕣華は意気揚々と密林へと足を踏み出した。

 

 

 ――――

 

 

「ふにゃ~!?」

 

 虎の上顎を被り、その毛皮を僅かばかり纏った少女が道無き密林を駆けていた。健康的な浅褐色の肌、肌よりも濃い茶色の髪、起伏のない矮躯、いつもはくりくりと元気よく輝く赤みの強い栗茶色の瞳は涙に濡れていた。

 常に行動を共にする二人の僚兵は居ない。珍しくたった一人で行動していたのが完全に裏目に出た。大王に献上する美味しい果物を採取しに来ただけなのに。ああ、それだけなのに。二人を出し抜こうとしたばちが当たったのか? ごめんにゃ、と心の中で二人の友達に謝った。しかし、事態は好転しない。当たり前だが。

 

「ホー ホッホホ ホッー」

 

 背後から不吉を告げる声が近づいてくる。段々と距離を詰められている。全力で疾駆しているがそろそろ体力も限界だ。このままではいずれ追いつかれる。奴が真面な鳥であれば少女はとっくの昔に魂を啄まれているだろう。人と鳥の競争など勝負にもならない。だが、追跡者はあらゆる意味で真面ではなかった。首が跳ばされているのに飛んでいるのだ。不細工な合唱の合間にぼたぼたと血の滴る音が厭過ぎる伴奏となって耳に届く。だが怪鳥は気にする事もなく翼を広げて追翔して来ている。一つくらいどうという事もないのか。いや、もしかしたら怒っているのかも知れない。知らないが。知りたくもないが。

 

 めいさまが獲物を仕留め損ねたと話していたのを唐突に思い出した。その後、逃した獲物を仕留めるまで外出禁止を言い渡された事までは思い出せなかった。

 だが、人ならば致死に至る傷の理由は何となく察せられた。多分そうなんだろう。だからと言って何故自分をしつこく追い回すのか。めいさまと自分とでは何もかも違い過ぎるだろうに。ばか鳥め! 

 それも別に関係ないのかも知れない。判らないが。何もかもが判らない。解っているのはあの化け物に追い着かれれば死ぬ、という事だけ。そしてその未来は徐々に確定に近づいて来ていた。

 

 

 ――――

 

 

「おおー、綺麗な子だなぁ」

 

 蕣華の目の前には大きな葉の上で休む掌に丁度収まるくらいの蛙。淡黄色の体表に頭頂から背にかけてややくすんだ朱色が上塗りされた二色の対比が美しく映える。背面に点在する黒っぽい(いぼ)からも巴郡でも見掛ける蟇蛙の一種だと思うが、随分と色味が鮮やかである。流石南蛮、とよく判らない賛辞を心中で送りながら、刺激しないように葉ごとそっと掌に乗せてよく観察する。なかなかの美人さんだ。

 葉の上で休んでいた時と同じように、じっと大人しくしている蛙を一時の供に密林をゆるゆると進む。これは幸先がいいぞ、などと浮かれ気分で未開の地を往く蕣華の耳に何やら不穏な空気を含んだ音が届いた。その空気から逃れるように蟇蛙が掌上の葉から跳び退いた。

 

 

「にゃー!!?」

 

 それは密林の奥から響き渡ってきた悲痛な獣の鳴き声。いや、ニャーと言っているが、明らかに人の声帯から漏れた音だ。獣の振りをして狩猟を行っている訳でもなさそうだ。それにしては随分と切羽詰まった響きである。

 なんだか良く判らないが愉快な事態ではなさそうだと、声のした方向へ当たりを付けて駆け出した。

 

 道無き道を疾駆する蕣華の耳に、葉擦れの音に紛れながらも前方の様子が段々と鮮明さを増して届き始めていた。じきに遭遇する。肩に担ぎ持つ秋草に力を込め、更に足を速めた。道先を覆う草葉や小枝など一顧だにせず、身体を擦るに任せて猛進する。

 鳴き声の主と、それを追う大型の獣、いや、鳥か? 羽音がする。兎も角、大きな何者かとの距離はもう幾ばくもなさそうだ。更に急ぐ。少女がすっ転んだ派手な音と短い悲鳴。拙い。だがもう目の前にある背の高い草の向こうだ。一気に跳躍して少女が蹲っていると踏んだ辺りを飛び越して秋草を構える。何が襲ってきても迎え撃てるように。しかし、襲撃者は正に慮外の化者(けもの)であった。

 

「なんだこいつ?!」

 

 言いながらも怪物に向けて秋草を横薙ぎに振るった。驚愕が強過ぎて精彩を欠いた一閃であったが牽制にはなった。凶鳥はばっと後ろ斜め上方に飛び退き、そのまま手近な木の枝に止まって新たな闖入者を九対の瞳で観察した。

 

「なんなんだ……」

 

 居心地悪く不安を煽る視線に曝されながら、思わず呟く。厭な汗を掻きながらも油断せずに構える。

 どうみても真っ当な生物ではない。傷を負っているが、その箇所と大きさからいって、まさかあそこにも首が繋がっていたのか? 本来なら十首の怪鳥というわけか。

 突然意味不明な事態の渦中に飛び込んでしまったが、背後から感じる視線に、まぁ、仕方ないよな、と口の中で独り言ちる。

 

「にゃ、()ーは……?」

「大丈夫? 怪我はない?」

 

 小さな少女の問いには答えず、視線は怪物に向けたまま訪ねる。

 

「にゃ、にゃー」

(大丈夫って事かな?)「好し、もう大丈夫。って言いたいところだけど、あれは何?」

「わかんないにゃ」

 

 不快な視線はそのままにホーホーと騒めき始めた巨鳥を睨みながら更に問うが、芳しい答えは得られなかった。元々、期待してはいなかったが。だが、応答している内に少し調子が戻って来たのか、声音から怯えと焦燥が薄れてきたようだ。更に言葉を紡ごうとしたところで、遂に怪鳥が襲い掛かって来た。

 

「ちぃっ!」

「ひぃっ!?」

 

 此方の頭上を越え、褐色の少女を狙った怪鳥を、その爪が少女を捉えようと急降下して来たその機に、横合いから秋草を差し入れるようにして爪とかち合わせた。秋草に巨体の重みを感じた瞬間、満身を込めて振り抜いた。

 丁度、秋草に乗り掛かる様な形になったところへ経験した事ない力でぶん回され、化鳥は初めて自分以外の力で宙を舞い、その身を樹に強かに打ち付けた。

 

「哈ぁっ!」

 

 機を逃さず追撃を仕掛けた蕣華の一撃は上空に逃れ躱された。鳥はそれほど耐久に優れた生物ではないが、なるほど怪物相手に常識で計っても意味はないか。

 だが、怒りの為か更にホッホ、ホッホと喧しく騒めく凶鳥は今度こそ蕣華に狙いを付けたようで、その頭上をゆっくりと旋回し始めた。

 

「ふん、仕切り直しだな」

「ふにゃぁ……」

「そこから動かないでね」

「にゃっ!」

 

 怪鳥に狙われた衝撃で固まっていた少女が、骨が抜けたように脱力して再起動を果たしたところに、釘を刺しておいた。奴の意識をこちらに向ける事は出来たが、元々奴はあの少女を狙っていた。下手に逃げようと動かれたら、また奴の狙いがあちらへ向いてしまうかもしれない。

 

 ゆらゆらと旋回を続ける怪鳥と、微動だにせず大薙刀を構える若武者。両者の間で緊張が高まる。脇でへたり込みながらその様子を窺う虎被りの少女が生唾を嚥下する音がやけに大きく耳に届いた。ほんの僅か、その音に意識が向いた瞬間に怪鳥はするりと急降下を仕掛けてきた。

 急接近してきた巨大な猛禽の黒爪に逆撃を仕掛けるが、速度の乗った巨体から繰り出された一撃に今度は此方が弾き飛ばされた。

 強かに背を地に打ち付けたが後方へ流れる勢いを利用してそのまま後転しながらすぐさま立ち上がり、追撃を、今度はしっかりと両足を踏ん張り受け止める。そのまま、力押しに相手を押し退け間合いを開け構え直す。

 今のは危なかった。上空から襲い掛かる敵など経験がなく、構えがやや中途半端になってしまい、十全に力を伝える事が出来なかった。徒歩で馬上の敵と対するのとは全く違う感触だ。追撃が正面から来たのは幸いだった。

 

 怪鳥もそれを理解したのか、再び上空へと舞い上がり、ゆっくりと蕣華の頭上を旋回しだした。長引きそうだ。口の中で小さく漏らし、ふっ、と短く息を吐き気を取り直した。

 

 蕣華の予感通り、その後長く膠着状態が続いた。

 

 

 ――――

 

 

 ぼとり、と不快な音を立てて木菟の様な頭が一つ、散々踏み荒らされた地面に転がった。

 出鱈目な八重奏を上げながらばたばたと上空に逃れる化鳥に向かって薙いだ追撃は薄皮一枚にとどまった。

 

「やっと首一つか」

 

 普通ならそれで決着なのだが、常識の外からやって来た化け物はやや意気を挫きはしたが今も頭上から此方を狙っている。だがすぐに逆襲を仕掛けてくる気配はなく、一度大きく息を吐いて秋草を握り直し、意識を新たにする余裕を得た。

 おおよそ半時程(約一時間)(*113)も戦っている。体力には自信があるがそろそろ決着したい。とは言え、この難敵相手に焦りは厳禁だ。単純に戦いにくいという事もあるが、どうもあの奇怪な姿を目にしているからなのか、それともあれに見詰められているからなのかは判然としないが、どうにも心がざわつくのだ。化鳥と対峙しているだけで平常心を保つにも苦労させられる。真っ当な生物でないどころか、真っ当な存在ですらないのだろう。正に化生である。

 

 旅に出て早々こんなものと遭遇するとは……、今自分が立っている場所が解らなくなりそうだったが、思えば南蛮には赤龍が生息しているんだったな、と思い至った。ヴリトラと言ったか、天竺の神話に登場する怪物にあやかった名を持つ龍。どうせならあっちの方が良かった。ヴリトラはヴリトラで災害の様な暴龍らしいが、今目の前に居る怪異は、間違いなく人類にとって不倶戴天の敵対者だ。本能の領域で察せられる程に不快な存在だ。

 自然と凶鳥を睨む目に力が篭もる。気を強く持って対せねば、あっという間に逆転を許すだろう。

 

 油断無く敵を見据える蕣華に対し、今や八頭となった怪鳥は怒りからか焦りからか、判りやすく攻撃を仕掛けてきた。先程までは旋回しつつ慎重に機を窺い、予備動作もなくするっと急降下に移行していたが、今や翼を大仰にばたつかせて襲撃してきたのだ。その分、勢いは凄まじい。威力重視か、だがそんな、謂わば大振りの一撃など喰らう筈もない。正に降って湧いた好機にしかし、蕣華の一閃は怪鳥を裂くことはなかった。それを成したのは……、

 

 

 

 急降下してきた怪鳥は何処からか投擲された大振りの三叉槍に貫かれ、蕣華から大幅に逸れて地面に叩き付けられた。

 

「なっ?!」

 

 怪鳥にのみ集中していた為、闖入に全く気付く事も出来ず固まってしまった。故に怪鳥を仕留める絶好の好機を逃してしまった。横腹に槍をぶら下げたまま大慌てで上空に飛び立つのを見送ってしまった。あの傷でも尚それだけ動ける怪鳥の驚異的な生命力に驚いたのもあった。

 

「トラーッ!!」

 

 そしてその直後、三叉槍が跳んできた方向から豊かな緑髪を振り乱して少女が跳び込んで来た。背格好は怪鳥に狙われていた少女と大差ないが、その装束は白虎の毛皮であった。そして手には巨大且つ独特な形状の打撃武器があった。南蛮大王孟獲に違いあるまい。まさかこんな所で遭遇するとは思わなかった。事の後で居城に案内されるかもくらいには考えていたが。

 

「みぃさま~」

 

 トラ(*114)と呼ばれた少女が新たに現れた少女とひしと抱き合う。微笑ましい場面だが、上空の怪鳥が煩かった。怪鳥を気にしつつ、緑髪の少女が出てきた方向に注意を向けると、彼女が三叉槍の持ち主だろう。長身の女性が茂みの向こうから姿を現した。

 見上げる背丈は八尺六寸(約198㎝)にも及び、二人の少女と同じような浅褐色の肌と、少女達と違って爬虫類の鱗皮に覆われた肢体は、強力な戦士としての能力を内に閉じ込めるように引き締まっているだけでなく、女性としての魅力を十全に備えている。鰐の上顎を兜の様に被り、その下から覗く短く刈り込まれた髪は明るい空色、青紫の瞳は南蛮人らしくくりくりと愛らしい。

 ゆったりと進み出てきたが、その実まったく隙がない。かなりの武人、それも自分などより遥か格上と見た。

 

「邪魔してごめんだにぃ」

 

 頭を掻き掻き、申し訳なさげに告げてくるがなんと返答したものだろうか。確かに決着をつけるつもりの好機に文字通りの横槍を入れられたが、相手が誇りを持ち出してくる武人ならば兎も角、これは謂わばいわば害獣退治である。なんとしても自身が仕留めるという拘りがあるでもない。

 それにだ、いくら怪鳥相手に集中していたとしても周囲が見えていなさ過ぎた。だから横槍に全く反応できなかったし、その後の絶好の好機を黙って見過ごす事になった。己の未熟に考えを至らせていると、孟獲が声を荒げてきた。

 

「邪魔なわけないじょ! みぃ達は助太刀してやったんにゃ!!」

「美以ちゃん、この娘は一人でも化け物鳥を倒せてたにぃ」

「むー」

「それにトラちゃんを助けてくれたでしょ?」

「まぁ、成り行きで」

「礼を言うにゃ!」

 

 言い合いを始めてしまった二人にどうしたものかと、実際そんなのんきなことしている場合でもない。上空を気にしつつ経緯を見守っていると、こっちに水を向けられたのでそれには返答を返すと、孟獲に勢い込んで礼を言われた。良い娘だ。

 

「姉ー、ありがとにゃ」

「どういたしまして、っと言いたいところだけど、まだ終わってないよ」

 

 トラからも礼を受けて、和みそうになる空気を引き締める。上空で未だ旋回している怪鳥は、突如増えた傷と敵を前に慎重さを取り戻したのか、ホッホ、ホッホと若干弱弱しく鳴きながらも逃げる素振りも見せずに此方を窺っていた。相変わらず注視しているのは蕣華と、自分の腹に突き刺さっている得物の持ち主と見抜いたか長身の女性。

 蕣華の言葉に全員が上空を確認し、南蛮の新王様が不敵に宣言した。

 

「ならさっさと退治するじょ。めぃ!」

 

 呼ばれた女性は蕣華をちらりと見るが、蕣華が気にするでもなく頷いて見せたので、にっかりと笑顔を向けてから元気良く白虎の少女に応えた。

 

「まっかせるにぃ!」

 

 ぐっと空手で中腰に構えると、なんとそこに孟獲が跳び込んだ。

 

「んにぃっ!」

 

 孟獲が掌の上に片足で着地すると、練達の女傑はそのまま岩でも投擲するように孟獲を投擲した。上空へ、怪鳥に向かって一直線に。

 人間投石器から放たれた南蛮大王はあっという間に凶鳥を捉え、器用に空中で縦回転しながら巨大な猫、いや虎か?の前足を模した武器“虎王(こおう)独鈷(どっこ)”を振り下ろした。

 ずごん!と凄まじい衝突音に圧し押されて落下して来た化鳥。その八対の瞳にまだ生気がしぶとく残っているのを見て取った蕣華は即座に間を詰めて一閃。残った首のうち六つを斬り飛ばした。と同時に腹に刺さっていた三叉槍がその胴を寸断していた。蕣華と同様に間を詰めていた女傑の一撃であった。

 

 どしゃりと、ごろごろと、忌まわしい音を立てて地に撒き散らされた怪鳥はようやくその不吉な活動を止めた。

 

 

 ――――

 

 

 怪物を退治し終えた後、トラの先導で近くの沢に移動し、各人身を清めてから改めて四人は向かい合った。

 特に蕣華は怪鳥の返り血塗れだった。対峙していた時は気付かなかったが、怪物の血で汚れているというのは非常に気分の良くないもので、念入りに身を清めた。

 

「まずは改めてトラを助けてくれた事、この南蛮大王みぃ、正式に礼を言うじょ」

「ありがとにゃー」

「は、いえ恐縮です」

 

 予想外の言葉に思わず固まりかけたが何とか返事を返す。いま、この小さな王様は孟獲ではなくみぃと名乗った。いきなり真名を許されたという事か。生まれて初めての経験に対処がおぼつかずにいると、孟獲の隣で見守っていた女性が孟獲に耳打ちした。

 

「美以ちゃん、彼女は漢人だから漢名で名乗るんだにぃ」

「にょっ!」

 

 ひそひそと話しているが、蕣華の耳にはしっかりと届いていた。どうやら思っていたのと違うようだ。どうやら孟獲とは漢王朝に向けた対外的な名であるらしい。つまり、美以は本当は真名ではなく、本名という事か。

 

「なんで漢人は二つも三つも名前があるんにゃ、めんどくさいにゃ」

「美以ちゃんはもう大王なんだからそんな事言ってちゃ駄目だにぃ。大丈夫、すぐに馴れるよぉ」

「にゃ~」

「だいおー、がんばるにゃー」

 

 そうだ、頑張れ! と見守っていると、此方の視線に気付いたのか、咳払いで誤魔化しつつ改めて名乗って来た。

 

「んんっ、南蛮大王孟獲として礼を言うじょ」

「ありがとにゃー」

 

 律儀にトラも復唱して来た。

 

「あ、でも真名で呼ぶ事を許すにゃ! 特別にゃよ?」

「有り難う御座います。私は厳寿、字は慶祝と言います。そして、」

 

 僅かに上って来た緊張を封じ、後を続けた。初対面の相手に預けるのは初めてなのだ。真名の重みが彼我で違おうとも関係ない。自らが決めて預けるのだから。

 

「真名を蕣華と申します。この真名、御三方に預けます」

「うむ、確かに預かったじょ」

 

 鷹揚に(威厳を出そうとしているのだろう)満足げに頷く孟獲の隣で、

 

「おさん?」とトラが首を傾げていた。そこへ孟獲の反対隣りから

「私達みぃんなに大切なお名前預けてくれたんだにぃ」と長身の女性が優しく教えていた。

 

「にゃ!? トラにも?」

「勿論」

「姉ー!!」

 

 凄い勢いで此方を振り返り聞いて来たので笑顔で応じると、思った以上に感激したトラが胸に飛び込んで来た。反射的に抱きしめて頭をなでなでしてあげた。可愛い。

 

「申し遅れたけど、私は兀突骨(ごつとつこつ)(*115)。真名の芽衣(めい)で呼んで欲しいにぃ」

「兀突骨!?」

「ん、知ってるにぃ?」

「え、ええ、まぁ」

 

 つい声をあげてしまった。しかしなるほど、兀突骨か。人の領域を超えた武威と、強力な武装を纏った大軍で蜀漢を苦しめた南蛮烏戈国(うかこく)王。知っていると言っても、今生で聞いた話ではないので言葉に詰まってしまうが。

 

「むむ、めぃの事は知ってるのか」

「美以ちゃんもすぐに有名になるにぃ」

「あったり前だじょ」

 

 孟獲が喰い付いてくれたおかげで追及はなく、ほっとしつつ二人のやりとりを微笑ましく見守っていると、胸元からトラが疑問を呈して来た。その疑問に他二人も喰い付いた。

 

「ところで姉ーはなんでこんなところにいるんにゃ?」

「そーにゃ、この大密林はみぃの庭なんだにゃ!」

「旅の途上でして。諸国を見て回っているんです」

「いろんなところを見て回ってるんだにぃ」

「話を聞きたいにゃ!」

「あ、いや、巴郡を出たばかりで最初に立ち寄ったのが南蛮でして……」

「にゃ? 巴郡?」

「ここから北にある大きな郡だにぃ」

「ごきんじょさんだにゃ?」

「それでも聞きたいじょ!」

「分かりました。私の故郷の話でよければ」

 

 とにかく外の話を聞きたがる孟獲に、笑顔で応じる蕣華。自慢の故郷の話だ、自然と顔もほころぶというものである。

 

 

 ――――

 

 

 広大な密林の只中に南蛮の都はあった。都、と言う言葉が適切かはさておき。規模としてなら、密林の外にある漢の都市を模した南蛮人の街の方が大きく発展している。対してここは密林の中に半ば溶け込むように住居が点在している。最低限だけ切り開いており、密林の景色そのままに人の領域が出現しているのだ。

 南蛮人は穴蔵暮らしと記す書もあるが、それは所詮漢族中心主義の生んだ無知と偏見の産物である。実際には大自然の中で独自の発展を遂げた、漢人の意識からすれば一見奇妙だが見事な文明がそこにはあった。

 

 トラの救出と、怪鳥退治の祝いと、新たな友の歓迎と、そして外の話を聞く為に、蕣華は南蛮の最奥、この密林都市へと誘われていた。

 

「凄い……」

 

 その蕣華の素直な感想に、ふふん、と誇らしげにない胸を張る南蛮大王様が嬉々として街を案内しつつ、住民に蕣華を紹介していった。

 

「トラー!!」

「……トラー」 

「ミケ! シャム!」

 

そんな中から青緑色の髪の元気な子と、鴇色の髪のぼんやりした空気の子が群衆から飛び出してトラと抱き合った。南蛮兵三人衆のミケとシャム。実に微笑ましい再会劇に頬を緩ませながらも、気になっていた事をふと兀突骨に訪ねてみる。

 

「それにしても、随分と若い住民ばかりが目に付きますが」

 

 若いというか、ぶっちゃけ殆どが幼いと言っても過言ではない気がする。多くが孟獲と同年代ではなかろうか。大人達は密林に出払っているのだろうか?

 

「それはね、ここが美以ちゃんの為の新都だからだよぉ」

「美以殿の為の? もしかして、王権交代の度に都市が建造されるのですか?」

「そうだにぃ。もっとも、建造というほど大仰じゃないけどぉ。 それと、」

「それと?」

「敬語禁止だにぃ!」

 

 背後から覆い被さるように抱き着きながら耳元に口を寄せて大声で禁止されてしまった。

 

「ぐへぁっ?!」

「基本的に旧い人達は先王と共に旧都で隠居だにぃ」

 

 そして抱き着かれたまま話を続けられる状況に少し戸惑いながらも、平静を装って聞き入る。

 つまり、新たな王にはそれに相応しい新たな諸々のものを用意されるという事か。しかしそれだと、継承すべき様々な事項に弊害もでるのでは? いや……

 

「その為に私がいるにぃ」

 

 豊かな胸を誇らしげに張り、此方の懸念を制するように告げた。

 

「成る程」

「姉ー!」

「おふっ」

 

 今度は正面からトラが突進してきた。いきなり何事?と思う間もなく、左右からも「姉ー!!」「……ねー」と抱き着かれ最早身動きも取れなくなってしまった。

 

「トラ、どうしたの? お友達も一緒に……」

「ミケとシャムだにゃ! 姉ーにしょうかいするにゃ!」

「ミケだにゃ!!」

「……ふぁ、シャム」

「宜しくね、ミケにシャム」

 

 今もねーねー言いながら抱き着いている二人に挨拶を交わすと、元気過ぎる声が割り込んで来た。

 

「あー!何してるにゃ!! みぃだけ除け者にしてずるいじょ!!」

 

 言いながら跳躍一番、顔面に飛び付いて来た大王様を避ける事も出来ず、そのまま頭にしがみ付かれてしまった。

 

「……なんだこれ」

「たーのしいにぃ」

「にゃはは、楽しいじょ~!」

「それはなにより……ん?」

 

 そろそろ自棄っぱちな心持ちになりつつある蕣華の耳は、それでも正確に周囲の騒めきが此方に集中している事を知らせた。

 なんだろう、嫌な予感がする。とっても嫌な予感がする。そして、予感というものは嫌なものならば当たるのだ。

 

「だいおーしゃまたのしそー」「みぃさまー」「………ふぁ」

 「いいにゃー、ミケたち」「だいおうさまー」「みーさまぁ」

「たのしそう……にゃ」「だいおーしゃまいいにゃー」「いいにゃいいにゃー」

 

 トラ達に似た多数の声が此方を囲んでいる。大王の凱旋に集った若き、或いは幼き住民達。周囲の視線に気付いた大王様は、自らの寛容さと偉大さを示すように自らに従う良き民に号令を下した。

 

「皆の者も我に続くにゃー!!」

「ちょぉっ!!」

「がーんばーるにぃ」

「どぉおおおおおおおおっ!!?」

 

 この日、厳慶祝は小山になった。小山の、その土台に。

 

 

 ――――

 

 

 一連の騒ぎも落ち着きを取り戻しやや陽が陰った頃、密林都市の中心広場――ここだけ相応に切り開かれている――にて、漸く宴が始まった。

 

「ああ、酷い目に遭った」

「お疲れだにぃ」

 

 衆目に向かって身振り手振りを大仰に振るって怪鳥退治の武勇伝を語る孟獲を眺めながら、首をこきりと鳴らしてぼやくと、隣に座った兀突骨が、にこにこと此方を労ってくる。そもそも彼女が事の発端の様な気がしないでもないが……。

 

「姉ーおつかれにゃあ!」「おつかれにゃ!」「…………ふにゃぁ」

 

 ミケ、トラ、シャムの三人も労ってくれた。

 

「トラ達も大丈夫? 一緒に土台になっちゃってたけど」

「姉ーのお蔭で平気だにゃ!」とトラが元気良く抱き着きながら礼を言えば、

「姉ー、ありがとうだにゃ!」「……ありがとにゃ」ミケとシャムも続いた。

 

 よしよしと三人を撫でていると、隣でうずうずと気配を漂わす兀突骨に「いや、駄目だからね」と釘を刺しておいた。下手をすれば先程の二の舞である。

 それに対し兀突骨はうにゅ~、と全身で残念さを表現して、おもむろに姿勢を正して話を切り替えてきた。

 

「ところで、美以ちゃんにするお外の話なんだけど」

「ん? うん」

「あまりあの娘を刺激するのは避けて欲しいにぃ」

「刺激、と言うとどういう方向で?」と問えば

 

「みぃさまはいっぱいりょうどがほしいにゃ」

「そうすれば、もっといっばいのひとに『ははー』ってしてもらえるにゃ」

「…………むにゃ」

 

 別の方向から答えが返ってきた。

 

「それって」

「今は大王になったばかりで、一杯一杯、一~杯やることあるにぃ!って言って抑えてるにぃ」

 

 そして抑えが効かなくなった時に南蛮の外征が始まるという事か。なんとも頭の痛い問題である。

 

「トラ、ミケ、シャム。ちょっと芽衣と大切なお話があるから、あっちで美以のお話のお手伝いをしてくれるかな」 

「わかったにゃ!!」「わかったにゃ!」「……にゃ」

 

 実に素直な三人娘を見送って、兀突骨と膝を突き合わせて対策を練る事になった。と言っても実際にやる事は大した事でもないのだが。南蛮人らしく寒いのが苦手という事で、北へ進めば進むほど寒くなり、大王の領土に相応しくなくなるという方向で話を誘導する事に決まった。

 そして宴もたけなわといったところで、思い出したようにせがまれて南蛮の外の話をする段となった。

 

「それにしても南蛮は暑いね。巴郡から少し南に下っただけでこれほど違うとは思わず驚いたよ」

「南蛮が暑いのは当たり前だじょ。これからもっともっと暑くなるじょ」

「うん、でも巴郡ではまだまだ吐く息が白くなるくらいに寒いから」

「にょ?! 息が白くなるってどういう事にゃ??」

「寒い時はそうなるんだよ。皆、白い息を吐いて……」

「み、みぃもなるのかにゃ?」

「勿論」

「こ、怖いじょ―」

(えっ、そこで!?)

 

 割と簡単な所で躓いてくれたので、少なくとも暫くの間は大丈夫だろう。兀突骨のお墨付きも出たのでひとまず安心していいだろう。

 しかしそれでも外への興味自体は薄れる事はなく、トラ達にも一斉にせがまれて話を続けた。話の中心は当然の様に巴郡とそこに住まう人々の事だ。特に自分の周辺の人達に関してはつい熱く語ってしまった。

 

「姉ーのかあさまはどれくらいつよいにゃ?」

「私の十倍は強いよ」

「……じゅー?」

「蕣華ちゃんが十人居るくらい強いってことだにぃ」

「しゅんか十人!?」

 

 当人が聞けば、何を馬鹿なと呆れるような批評を下す蕣華。無論、そこまで実力の開きがない事は自覚している。がしかし、心情的には今でも母に敵う気がしなかった。

 

「じゃぁ、めぃさまよりもつよいにゃ?」

「いや…、芽衣は今のところ私が出会った中で多分一番強いよ」

「さすがめぃさまにゃ!」「さすがにゃ!」「……すごいにゃ」

「めぃはしゅんか十一人分かにゃ?」

「盛り過ぎだにぃ」

 

 流石に苦笑を抑えきれない兀突骨であった。蕣華とその母親に実際そこまでの差はないだろうが、娘から見た母の姿はそれくらい大きく見えるのであろう。そしてその母よりも強く、益州最強と目する義姉よりも自分を強いと判断した。

 身内びいきもなく(十倍はさて置いて)、此方を立てる為でもなく、冷静に判断を下した蕣華の武人の部分に強く興味を惹かれた。武人が武人に興味を抱けばする事は一つだけだ。

 

「蕣華ちゃん、今から私と立ち合って欲しいにぃ」

 

 それに対し、蕣華は一瞬目を見開いて驚いて見せたがほんの一瞬だけ。

 

「いいよ」

 

 すぐに母譲りの獰猛な笑みを浮かべて快諾した。

 

 

 ――――

 

 

 思ってもみない好機を得た。静かに興奮しながら蕣華は秋草を構えた。対して、兀突骨は怪鳥を貫いた大振りの三叉槍“河王(かおう)三尖(さんせん)”を手にゆったりと佇んでいる。

 広場の中央。孟獲の一声で余興としてこの宴の場で立ち合う事となった両者は、周囲のお祭り騒ぎから切り離された世界に没入していた。二人だけの戦場に。

 

 共に準備が済んだとみると、即座に蕣華が間合いを詰めた。合図も何もなく唐突に始まった決闘に、周囲のざわめきが一層大きくなる。

 後ろ腰下段に構えていた秋草を掬い上げる様に振り上げた一撃は、河王三尖の石突を正確に鍔に当てられ抑えられた。そのまま拮抗する。蕣華は両手で、兀突骨は片手で。早くも両者の差が現れていた。

 蕣華はくいっと手首を捻って秋草を軸回転させ石突を滑らせ、そのまま河王三尖の柄沿いに秋草を振り上げ兀突骨の持ち手を狙った。が、兀突骨は河王三尖を秋草に向かって倒し込むように弾いてこれを防ぐ。

 蕣華は弾かれた秋草に従って自身も半転し後廻し蹴りを放つ。と同時に左手を離し右手一本で振り回される秋草をそのまま背後に向かって横薙ぎにし、蹴り足を狙った兀突骨の一撃を辛うじて弾いた。無理な体勢からの薙ぎだったが、相手を僅かに後退させる事が出来た隙に向き直る。

 

 一瞬の攻防で予測が確証になる。矢張り、芽衣は私が出会った中で一番強い。

 

 まさかこんな所で、こんなにも早く焔耶姐よりも強い相手と出会えるとはね。そう心の中で呟きながら、満身の全てを研ぎ澄ませて兀突骨を見据える。

 矢張りゆったりと佇む兀突骨。その顔には今もにこにこと変わらぬ笑顔が輝いている。だが、身を包む雰囲気は先程までと同一人物とは思えぬほど猛り狂っている。怪鳥など問題にならぬ、赤龍すら単騎で屠るだろう圧倒的な武威。

 此方を見据えていた兀突骨の笑顔が一層輝きを増す。自分は今、どんな表情(かお)をしているだろう。格上に対し、それでも捕食者の笑みを浮かべた蕣華は埒もない考えを消し去って目の前の相手に最速最強の一撃を見舞った。

 

 孟獲達が観たのは、瞬きする間もなく兀突骨に斬り掛かった蕣華が、次の瞬間には背後の観衆に突っ込んで、いや、吹き飛ばされたところだった。

 それは実際その通りで、ただ蕣華の袈裟斬りを紙一重で躱しながら逆撃を喰らわせた兀突骨の動きだけが一切見えていなかった。何時の間にか河王三尖は両手で握られ振り抜かれていた。

 

「思った以上だったにぃ」

「く…は、強いなぁ」

 

 巻き込まれた観衆に大丈夫?と声を掛けながらふらふらと起き上がる蕣華に、兀突骨は心配そうに声を掛けた。

 

「蕣華ちゃんこそ大丈夫?」

「ん、暫く大人しくしてれば立てるくらいにはなるよ」

「頑丈だにぃ」

「丈夫な体に産んでくれた両親に感謝だね。それよりも最後の一撃」

「刃を入れなかった事を除けば本気の一撃だったにぃ」

「そっか、全く反応できなかった」

 

 言いながら、どこか清々しい顔で再度寝転がる蕣華。その脇に大きな身体でちょこんと座り込む兀突骨。

 

「嗚呼、本当に世界は広いな」

「蕣華ちゃん、嬉しそうだにぃ」

「芽衣だって」

「ん、嬉しいよぉ」

 

 二人は互いの顔を見合わせ、そして笑い合った。

 

「姉ー、大丈夫にゃか?」

「めぃ、見事だにゃ! しゅんかも良く戦ったにゃ! 感動したにゃ!」

 

 そこへとてとてとトラ達が近づいて来た。上体だけを起こして皆を迎えた。周囲の歓声が良く聞こえる。心配そうなトラの顔も、心底楽し気な孟獲の顔もとてもよく見えた。身体は痛み緩慢にしか動けないが、感覚はまだ研ぎ澄まされていた。

 必要以上に肌に感じる南蛮の熱気が今は心地好かった。

 

 

 

 第六回――了――

 

 

 ――――

 

 

 すっかりと痛みの退いた蕣華は今、密林の入り口に立っていた。周囲には見送りに来たトラ達三人と、大王の執務とその補佐はいいのだろうか孟獲と兀突骨も居た。

 

「姉ー」

「トラ、随分と世話になったね。有り難う」

 

 きゅっと、いつものように抱き着いてくるトラの頭を撫でながら感謝の意を伝える蕣華。皆が笑顔で今日を迎えた中、ここ数日で完全に蕣華に懐いたトラが一人、寂しそうにしていた。

 蕣華にとっても妹のように想うトラとの別れは寂しいが、出会いがあれば別れもあるものである。それにしても、他の皆はやけに和やかだ。トラを気遣う気配もない。はて、と考えを巡らせていると、孟獲が偉そうに咳払いしつつ一歩前に進み出て(本人的には)厳かに告げた。

 

「トラ」

「にゃ?」

「にゃ、汝に特命を下すにゃ」

 

 とくめー?と首を傾げるトラにとっても特別なお願いだよぉ、と優しく兀突骨が教える中、蕣華は何となく予感がした。だがこれは別に悪い予感じゃない。でも当たる気がする。そんな予感。

 ちらりと兀突骨を盗み見る。視線に気付いた女傑と目が合い、互いに頷き合う。その時には蕣華も笑顔だった。

 

「みぃの代わりに南蛮の外の世界を見定めてくるのにゃ!」

「にゃ!? ト、トラがそとに……?」

 

 突然の事態におろおろするトラの頭に、ぽん、と優しく手が置かれた。トラが見上げれば蕣華が笑顔で頭を撫でていた。

 

「じゃあ、私と一緒に行こうか?」

「……姉ーと?」

「そう」

「いっしょに?」

「そうだよ」

「いいのにゃ?」

「勿論」

 

 笑顔で語り掛ける蕣華。初めは戸惑い、徐々に笑顔となり、そして最後には喜びのあまり抱き着いて来た。

 

「姉ー!!」

 

 今やすっかり馴染んだ小さなトラの体温を抱き寄せて、辛い事や大変な事もたくさんあるよ?と問い掛ければ、「姉ーと一緒なら平気だにゃ!」と輝く笑顔で応えるのだった。

 

「しゅんか、くれぐれもトラを頼むじょ」

「お願いね」

「うん、責任もって預かるよ」

 

「トラ、羨ましいにゃ!」

「………お土産欲しいにゃ」

「にゃー、ミケ、シャム」

 

 三人娘の微笑ましい別れの挨拶を眺めながら、孟獲達と正式にトラを預かる旨を確認し合う。普段は見たまま子供の振る舞いをする南蛮大王だが、三人で抱き締め合うトラ達を見守る姿は、人の上に立つ者の面差しを確かに宿していた。

 

「トラ、がんばってくるにゃー!!」

「がんばるにゃー!」

「……がんばれにゃ」

 

 見守ること暫し、三人の別れの儀式は南蛮人らしい元気さで幕を閉じた。

 

「よし、それじゃそろそろ出発しようか」

「にゃ!」

 

 これから始まる二人旅を暗示するかのような高く青い南蛮の空の下、小さくも活力に満ちた南蛮兵の少女の声が鮮やかに響いた。

 

「みんな、いってくるにゃー!!」

 

 

 




*110丈:後漢の一丈は約2.304m

*111鬼車:鶬虞(そうぐ)とも。九つの頭を持つ木菟(みみずく)(或いは鴨)に似た怪鳥。翼長は3mにもなるという。南嶺山脈以南に棲まうと言われ、人家に入り込んでは家人の魂を奪うとされる。九頭の内、一つを犬に嚙まれた為、それ以来その首から血を滴らせているという。本来は十頭であったが一つを犬に噛み切られ、千切れた首元から常に血を滴らせており、その血を浴びた家は不幸に苛まれるという説もある。 夜目が利くが光に弱く、火の灯りでも眼が眩んで墜落してしまうという。また、頭の数に合わせて九対の翼を持ち、多過ぎる翼が干渉し合って上手く飛べないとする書もある。唐代の『嶺表録異』をはじめ、様々な書物に記述がある。

*112:孟獲:益州益州郡出身の豪族。はじめ雍闓(ようがい)が蜀漢に対して反乱を起こした時、南部に割拠する異民族達は従わなかった。そこで雍闓は孟獲に異民族を説得するように要請し、こうして孟獲も叛乱に加わるようになった。その後、雍闓が殺害され、孟獲が擁立された。そして七縱七禽を経て諸葛亮に心服、蜀漢に帰順した。
演義では漢人ではなく南蛮王として登場する。家族や配下、親友なども追加され、蛮族テイストの肉付けをされている。やはり七縱七禽を以って帰順する。
真・恋姫無双では白虎の毛皮に身を包んだ小さな南蛮王として登場する。天真爛漫で、漢の習俗を知らずに様々なトラブルを巻き起こす。後に袁術と友誼を結ぶ。
本作では即位したばかりの幼き南蛮王である。今はまだ領土拡大の為に外征しようとはしていない。

*113時:後漢の一時は約二時間。

*114トラ:真・恋姫無双に登場する南蛮兵。三人いる内の一人で、三人揃った時は常に真ん中に位置する。

*115兀突骨:南蛮烏戈国の王。三国志演義に登場する架空人物。体表を鱗で覆われた十二尺(約276.5cm)の巨人という余りにも人外な人物。特殊な鎧甲“藤甲”で武装した藤甲軍を率いて諸葛亮率いる蜀漢を散々に苦しめた。しかし、藤甲の弱点を見破られ、自慢の軍ごと全滅して滅んだ。
本作では孟獲のお姉さん的な親友として登場する。演義ほどではないが、非常な長身。

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