「圧倒的に時間が足りません」
整備士長のコンラッドが沈黙を破る。観測班長のハンネスが続く。
「問題は障害を引き起こしている原因が特定出来ないことです。気圧制御機構が異常を起こしているのは確かですが、計測装置の数値は正常です。つまり単なるシステムの劣化や故障が原因とは言えません
ハンネスの言葉を今度は解析班長のマッシモが引き継ぐ。
「観測班のデータを元に解析し、問題パターンを計算したところ5億6349万9352通りに及びました。せめて後1ヶ月…いえ、2週間あれば場所を特定出来るのですが…」
5億を越える問題パターンを2週間で特定すると言うのは驚異的だがマリーは沈痛な顔で首を横に振る。
「そんな時間はありません」
「マリー先生、ですがどう考えても時間が足りません」
通信士長は青い顔で言う。
「今現在のデータを交渉材料にしてパージを遅らしてもらうというのは…」
「難しいでしょうね。現在の作業概要はどうなっていますか?」
マリーの問いにコンラッドが答える。
「作業短縮の為に考えられるパターンを3万5034通りにまで絞って、整備班・通信班と連携して総当たりの作業を行っております」
「その選定基準は?」
「ただの勘ですな」
コンラッドの言葉に解析班長を除く全員から白い目が向けられる。だがコンラッドは意に介さずに続ける。
「多少言葉を飾るなら、同型のパターンを弾き出して今までの記録から類似の事例を拾い、なるべく可能性の高く容易な順に、と言ったところですな。まぁはっきり言って気休めです」
マリーは再び問う。
「見込みはあるのですか?」
「ありませんな」
コンラッドが即答する。
「しかしそうでもしなければ確認作業終えるなど不可能です。というより現状、その3万5000通りですら試行出来るかどうか」
「他に打てる手だては?」
「今の我々の装備・技術ではこれが限界です」
すると輸送担当のスタッフが立ち上がりマリーに進言する。
「マリー先生、都市の崩落が防げないなら脱出手段を検討するべきでは…?」
ハンネスが血相を変えて立ち上がる。
「軍と同じようにパージを受け入れろと言うのか!」
「当然私も最後まで続ける覚悟はあります!しかし現実問題として成功の見込みがないなら次善の策を検討するべきです!」
マリーは強張った顔で尋ねる。
「それは市民に避難勧告を出す、ということですか?」
「はい、その通りです」
「でしたら不可能です。我々にその権限はありませんし、第一どうやってたかだか102名の技師で2000万人の市民を避難させるのですか?」
冷静に告げたマリーの言葉に輸送担当のスタッフが歯噛みをする。もし、彼の言う通りに避難勧告を出したらそれこそ前代未聞のパニックに陥るだろう。
「確かに危険もありますが見込みの無い修理より最終的な犠牲者を減らすべきでは?」
それでも輸送担当のスタッフは食い下がる。
「隠蔽の為に軍がパージを早める可能性もあるんじゃないかね?」
コンラッドが独り言の様にぼそりと呟く。その言葉に会議室の全員がなんとも言えない表情になる。
「…まさか、そんな」
「軍が何を躊躇うと?連中は既に見捨てる気なんだ、だとしたらあとは遅いか早いかの違いだけだ」
「2000万人の市民がいるんですよ!?」
「同じことだよ」
コンラッドは続ける。
「奴等にとって最悪なのは"軍が都市を見捨てた"ということを公表されることだ。さらには今、連中が邪魔をしてこないのはあちらにとって都合が良いからだ」
「どういうことですか、整備士長」
マリーの問いに老年に差し掛かった経験者は語る。
「良いですか?まず前提として後10時間でこの都市を修理することは不可能です。少なくとも軍はそう思っているし客観的に見てもその通りだ」
「整備士長!しかし!」
「落ち着けハンネス。勿論儂も諦めるつもりは毛頭無い。だが軍はとっくに諦めパージを決めとる。問題はその後だ。パージの後、連中はどうなる?」
「それは…」
「そりゃもうボロクソに叩かれるな?一つの都市が消え去るんだ、隠しきることは不可能。上の人間の首がゴッソリと飛ぶ。ーそこで儂らだ」
コンラッドは会議室をぐるりと見渡す。誰も口をきけない中、マリーが代表して口を開いた。
「つまり…"
コンラッドは笑顔を見せる。
「マリー先生、あなたは優しいですな」
「ふぇ?」
思わず一団を引き連れる
「残念ですが世の中はもっと汚れているものです。連中のシナリオは恐らくこうでしょう…」
マリーはその先を聞きたくなかった。だが無情にもコンラッドは告げる。
「"我々の決死の修理作業に
その時、大きな音を立てて扉が開く。開けた張本人はハルターだ。
「失礼、たった今技師団本部から通達がありましてね」
ハルターはマリーに近づき書類を渡す。マリーはその通達を見て顔を怒りに歪め書類を握り潰した。そこには"撤退命令"の文字が書かれていた。
時を少し遡り神連宅。
「おーい、ナオトー!起きろー!」
「…なんすか先輩?」
「飯だ、さっさと席に着け」
「…わざわざ用意してもらってすいません」
「一人分多く作るなんざ大した手間じゃねぇ。…てか眠そうだな?」
「…昨日遅くまでリューズから説教受けてて」
「なるほど、同情はせん。お前が悪いからな」
「はい、仰る通りです…」
『これでナオト様も約束を守るという幼稚園児でさえ出来る事を覚えられれば良いのですが…』
「出来てもらわなきゃ困る…んでもってお早うリューズちゃん」
『お早うございます、ハヅキ様』
寝ぼけ眼を擦りながらナオトが起きてくる、その後ろには涼しい顔でリューズちゃんが付き従っている。こうして見るとマジでダメ主と完璧従者だな…その通りだけど。
「にしてもまさか本当に眠り姫さんがinitial-Yシリーズだったとはなぁ…」
『厳密には違いますが私もまさかこのようなところで姉に会えるとは思いませんでした』
「ほんと世の中何があるか分からん…あ、食っていいぞ」
昨日ナオトの説教の前にリューズちゃんに作業部屋まで来てもらい眠り姫さんを見てもらったのだ。最初はまだ疑わしかったようだが姿を確認した瞬間名も知らない姉であると確信したらしい。
「いただきます…」
「おう、食え食え」
ナオトはもそもそと朝飯を食べ始める。リューズちゃんは寝癖の付いてるナオトの頭を甲斐甲斐しく撫で付けている。
「お前らこの後どうすんだ?俺は作業部屋に籠るけど」
『この後でしたら市内に出かけナオト様の身の回りの物を買いに行こうと思っております。ついでにナオト様の水簿らしいお姿を私が仕えるにふさわしい姿になってもらおうかと。雀の涙ほどの努力でしょうが』
「リューズちゃん朝から全開だなぁ…了解。玄関は開けとくから終わったら勝手に入っていいぞ」
『お気遣い感謝いたします』
「ちょっと待ってリューズ、通帳の中今月の食費ぐらいしか入ってなかった筈なんだけど…」
『ご安心ください、ナオト様のなけなしの貯金を運用して増やしました』
そう言ってリューズちゃんは通帳を取り出しナオトに渡す。するとナオトは目を剥いて、
「りゅ、りゅりゅ、りゅりゅりゅりゅーりゅーリューズずずずずさささささん!?」
『ナオト様、いくら私の手腕に賛辞を贈るとしてもそのような聞くに耐えない奇怪なラップ調では伝わるものも伝わりませんよ?』
「違えぇよ!え、これマジでどうしたの?やばい事に手染めてないよね!?」
俺はちょいとナオトから通帳を拝借して見る。ゼロがひぃ、ふぅ、みぃ…
「……ナオト、ムショに入ってもちゃんと会いに行ってやるからな」
「先輩怖い事言わないで!」
いや、だって、ねぇ…?
『ご安心下さい、決して警察に追われるようなことはしていません。更に言えば例え終われることになっても逃げ切ることは造作もありません』
「余計に不安になったよ!」
ナオトの悲痛な叫びが食卓に広がる。
「真面目な話これどうしたん?」
『先程も申しました通りナオト様の貯金を運用しました。信用経済とは極論、何もないところからお金を生み出すシステムの総称です。仕組みを熟知し、使いこなせるだけの知性があれば誰でも出来ます』
ーそんなわけねぇ…
俺とナオトは同時に思った。
『ともかく資金面の方は解消されました。以降ナオト様は不自由無くヒモ…失礼。優雅な生活を御堪能下さい』
「リューズ、今ヒモって言わなかった?」
『まさか、いかに100対1以上の割合で増やしたとしても元金はナオト様の貯金ですのでこれはナオト様の財産でございます。ご自身の財産をヒモ潰したところでヒモ呼ばわりされる理由などあろうヒモがございませんヒモ』
「リューズちゃーん、語尾がヒモになってるよー」
にしてもヒモねぇ…
「オートマタに養ってもらうヒモかぁ…」
「先輩言わないでぇ!今同じこと考えてたからぁ!」
「あっははは、ヒモト君優雅な暮らしを過ごしてね?」
「ぐっはぁ!」
おっと、ナオト改めヒモトが血を吐いて倒れ伏しちまった。俺は平和な光景に目を細めたがその時、
「ん?」
ナオトが顔をあげ僅かに顔を顰める。
「どうした?」
「いや、音が…」
次の瞬間、
ズンッッ!!
「おお!?」
食卓に並んでるものが一瞬浮かび上がる。重力異常だ。
「くっそお役所仕事しろ!!」
俺は散らばってしまった部屋を見て悪態を付く。
「あーもう。手、付けて無かったから気付けなかった…」
「さっさと二十四層の異常直せば良いですのにね」
「だなぁ…」
俺とナオトは互いに自分の異常性を使って気付いていたことに溜め息をつく。
「てか眠り姫さん!?」
俺は慌てて作業部屋に向かう。途中ナオトが付いてこようとしていたが、
『…ナオト様?まさか昨日の事をお忘れで?』
「滅相もありませんリューズさん!私目は今後一切リューズさんとの誓いを破ることは致しません!」
と、半ば条件反射で即答していた。リューズちゃんマジパネェ。あとナオトェ…
京都セントラルホテルの一室、そこには現在三人の人物がいた。
「どういうことですか!」
その一人、マリーが吼える。
「文面通りですよ、マリー・ベル・ブレゲさん」
それを涼しい顔で流しているのはリモンズと言う
「ギルドは事情を知ってこんなふざけた命令を出しているのですか!」
「当然です」
マリーはリモンズのあまりに淡々とした答えに愕然とする。
「2000万の人々を見捨てるというのですか…?」
「必要な犠牲です」
リモンズは紅茶を口に含み静かに目を閉じる。
「今回のは軍の能力不足でした。それを隠蔽するためのパージです。それでは技師団を頼れば良い?ですが絶対的に我々の数は少ない。人類45億人、2万本の大支柱と都市圏。軍はこれ以外の補助の時計塔を含めた600万もの施設を管理しているのです。もしも今回の件が明るみに出て軍が信頼を失えば誰が管理するというのですか?」
「それは暴論です!こんな事をまたさせない為にも今回の件は止めなければなりません!」
「軍に自浄を求めると?それこそ不可能だ」
リモンズの要領を得ない答えに苛立ちが募るマリー。
「…何が言いたいのですか?」
「持ちつ持たれつ、と言うことですよ」
リモンズはマリーのそんな様子に薄笑いを浮かべる。
「軍も技師団も欠けてはならないものです。我々も優秀な人材を吸い上げている負い目があるのですから今回くらいは私達が泥を被っても良いでしょう」
「…その為なら市民を見殺しにしても構わないと?」
「先程も言いましたが必要な、悼むべき犠牲です」
リモンズは頷く。そんなことは微塵も思っていない顔で。
「…お話は分かりました」
マリーはリモンズの前の机に勢い良く書類を叩きつける。そして扉へ歩き出す。
「どちらへ?」
「現場に戻って作業です。私は諦める気はさらさらありません!」
「困りますな、勝手な行動は」
「知ったことか、行くわよハルター」
そこで部屋にいたもう一人…ハルターはマリーの後ろを庇うように付いていく。
「ではあなたの権限は剥奪ですね」
ドアノブに伸びていたマリーの手がピタリと止まる。リモンズは懐から一つの書類を取り出していた。
「貴殿、マリー・ベル・ブレゲは輪歴1013年4月10日に第992回総括会議において"
リモンズはにこやかに書類を渡す。
「形式は整ってますよ」
マリーは無言で受け取り文面を舐めるように目でなぞる。
「失礼ミスタ・リモンズ。横から口を挟む形で申し訳ないが是非とも聞かせて貰いたい。…どうしてこんな書類が都合良く用意してあるんだ?」
「念には念を、ですよ。まさか役に立つとは思いもしませんでしたが」
リモンズはどこか確信を持って答える。マリーは書類を丁寧に畳みポケットにしまう。そして昏い目でリモンズを見る。
「おっと、私を始末して無かったことにしようとは思わないで下さいよ?」
「……」
「既に軍にも同じ書類は渡してあります。今やあなたはただの一般人だ。軍の許可なしに大支柱には入ることは出来ません」
マリーは奥歯が砕ける程に噛み締める。そこでふと目の前の男に見覚えが出てきた。
「…あなた、リモンズと言いましたね?」
「ええ、それが?」
「今思い出しました。昔、五大企業の懇親会で見た顔です。ヴァシュロンの係累でしたね」
リモンズはその言葉に一瞬笑顔を消す。だがすぐに元の薄い笑みを浮かべる。
「…覚えていただいていて光栄ですよ、アカデミーでも同期でしたがそちらは?」
「全く、虫にも劣る技術しか持てなかった無能の事など覚えるに値しませんから」
「な…」
マリーのいきなりの暴言に言葉を失う。ハルターはマリーの後ろで顔に手を置き天を仰ぐ。
「ああ、なるほど。そう言うことですか。これがヴァシュロンの描いた絵ですか」
マリーは俯きフフフと笑う。リモンズはマリーの変容にほんの少したじろぐ。
マリーはこう考えたのだ。もしこのまま京都がパージされれば軍は技師団に責任を押し付け、更に技師団は責任者であったマリーに責任を擦り付ける。そうすればどうなるか、簡単な事。マリーを抱えるブレゲ社は大損害を受ける。そしてそれに追い討ちを駆けるように他の五大企業がブレゲ社の影響力を削ぐために全力を注ぐ。つまりこれは軍と技師団、そしてヴァシュロンによる出来レースなのだ。
「…良いのですか?そんなことを言って。私が一言添えれば復帰も出来なくは無いのですよ?」
「プッ、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
マリーは笑う。狂ったように嗤う。首をグリンと回しリモンズを見る。口角は不自然につり上がっている。
「させる気も権力も無いのに良くそんなことを言えますねぇ」
リモンズは冷や汗を背中にびっしょりと掻いていた。目の前の少女が何か、別の生き物に感じたのだ。そこでリモンズはある一つの噂を思い出す。自身の仕事に無粋な邪魔、横槍、妨害、その他諸々の障害を相手が再起不能になるまで追い込む世界最高の時計技師。
「私はね、"レディに無粋な事をする輩は淑女らしく笑顔を絶やさずに地獄の果てまで追い込んで礼儀を教えてあげなさい"と習ったんです。
リモンズは喉が干上がった。なぜ自分は目の前の少女を機械いじりが得意なだけの小娘と思っていたのか。世界最年少一級時計技師…世界最高の姉の記録を破った少女がまともであるはずがない!
「楽しみに待っていてくださいね、絶対にレディに対する扱いを教えてあげますから」
マリーはそう言い残し、ハルターを連れて部屋をあとにした。リモンズは否応に去り際のハルターの気の毒な表情が頭から離れずにいた。
「で、どうするよ。お姫さん」
ハルターは目の前を歩く自分の護衛対象に問い掛ける。
「決まってるでしょ。どうにかするのよ」
そう、マリーは今だ何も策が無いのだ。ホテルを出て少し冷静になると良くあそこまで啖呵を言えたなと他人事のように思う。
「確かに策は今のところ無いわ。だけど私に不可能という言葉は無いの。何か、何か必ず逆転の一手があるはずよ…」
残り時間とその他の要因を考え爪を噛む。何か、何かないかと…
その時、
「なぁリューズ、やっぱハヅキ先輩に何か買っていった方が良いよな?居候させて貰ってるし」
『そうでございますね、いくらナオト様がノミの方々に興味が無くとも日頃お世話になっているハヅキ様にはきちんとしたお礼が必要かと。ですがナオト様、ハヅキ様に何を贈る予定ですか?』
「うーん…高性能ノイズキャンセリングヘッドホンとか?」
『…ナオト様、それはハヅキ様に贈る物ではなくご自身が欲しい物では?いくらナオト様が自身の欲望に忠実だとしても流石にこのような場面でも真面目にやらないのは率直に申しまして愚の骨頂かと』
「いや、あの…すいませんでした…」
目の前を通ったカップルに、正確には彼女である銀髪の
「ハヅキ、ですって…?」
「ん?」
目の前を通った少年が振り向く。
「あんた、先輩を知ってんの?」
「え、ええ…一応名字を聞いても良いかしら?」
「?、
間違いない、マリーは確信する。
「見つけた…逆転の、希望の一手」
カチリ、カチリと4つの歯車が噛み合う。この出逢いだけでも世界は大きく変わる。だが、この4つの歯車にあと2つ加わるのもそう遠くはない。今、静かに運命は廻りだす。
マリー、覚醒のお知らせ。書いてて途中、誰だこいつ?あ、ノーマルだわ。と思った。