神無優夜side
とある月夜の晩、俺はあの西行妖の前に来ていた。
なぜここに来たのかは自分でも解らない。自然と俺の足がここに行き着いたのだ。
見上げると、数日前までみすぼらしい葉桜だったのに、今では桜の花が咲き乱れていた。
「これで五分咲き、か」
満開になると人を殺す妖怪へと凶変する哀れな桜、その開花が徐々に近付いてきている。
満開までまだまだ先だと言うのに、西行妖から漂う死気は相当のものだった。
無意識に自分を殺そうとする俺の右手を、俺は左手で必死に抑えつけている。もしも刃物を持っていれば、俺は自分の首にそれを当てていたのかもしれない。
「死に誘う……そういう意味か」
西行妖は人を殺すのではない。人が自分を殺すように促すだけだ。
心の奥底にある死への欲求、西行妖はそれを呼び起こしているのに過ぎない。
という事は、俺も心の中では死ぬことを望んでいるってことか。皮肉な話だな。
「結局は、貴方も人の子なのね」
振り返ると、そこには幽々子が立っていた。
彼女は西行妖を見上げ、哀し気な瞳でそれを見つめていた。
「幽々子……」
「優夜、人は死んだらどうなるのかしらね」
「さあな。天国か地獄か、それとも何もない場所に辿り着くのかもしれない」
「私はね。みんなこの場所で死ぬのは、あの人と同じ所に行きたいからなのよ」
あの人、幽々子の父親である歌聖の事だろうか。
「あの人が死んで、慕っていた人たちはその後を追うようにこの桜の下で死んだ。
それはもしかしたら、ここで死ねばあの人と同じところに辿り着けると思ったから。
それがたとえ極楽浄土だろうと、悪鬼が住む地獄でも、あの人達はそこに行きたかったのよ」
憧れの人に近付きたい、それはその人が死んだこの桜の下で死ぬことだった。
自分たちが慕っていた人と同じ境地に踏み入りたい。そんな思いの結果が、死を望まぬ者の命を無差別に奪う妖桜を生んだという事か。
西行妖は、ここで死んだ者達の身勝手な想いによって生まれた、残酷で哀れな桜なのか。
「私は、物心がついた時からこの桜が嫌いだった。
あの人は私よりもこの桜を愛で、自分が死ぬその瞬間までこの桜を想い続けた。
そして、その桜は私に呪を掛けた。人を近付けさせない、孤独な呪いを。
私はすべてをこの桜に奪われた。父も、友人も、人生も、なにかも……………………」
その時だけ、幽々子の目が怒りで揺らいだように見えた。
これまで彼女と過ごしてきて、こんな風に自分の感情を露わにする彼女を見るのは初めてだった。
「今は桜良や妖忌、優夜がいるけど、それもいつかは終わってしまうかもしれない。
命がある限り、この桜からは逃げられない。みんな死んでしまう。私にはわかるのよ」
「わからねえぞ。もしかしたら、奇跡が起きて西行妖が普通の桜が戻るかも」
「勝手なこと言わないで‼」
幽々子は声を荒げた。
「そうやって優しい言葉で私を慰めても、最期にはみんな私から離れていく。
私は死へと誘う亡霊だから、私の近くにいるとみんな死んでしまうから…………」
「幽々子……」
「桜良も妖忌も、みんな私の傍に居てくれる。故に怖いのよ。
もしかしたら、二人も私の元を離れていってしまうかもしれない。
もしかしたら、私が二人を殺してしまうかもしれない。そう考えてしまうのよ」
「そんな事……」
「貴方に何が分かるの? 希望論しか語らない貴方なんかに、私の苦しみが理解できるの‼」
俺を睨みつけるその目には、涙が浮かんでいた。
俺は何も言い返せなかった。何を言っても、彼女には届かないと思ったからだ。
「結局、貴方も他の人達と同じなのよ。同情するだけしておいて、最期には私を見捨てる。
誰も望んでいないのに、こんな力を手に入れた私を、みんなは置いていくの。
所詮、私は人を死に誘い、周りを不幸にするだけの亡霊。生きてるのに死んでるのよ。
妖忌や桜良だって同情しているだけ。紫は同じ人外としか見ていないのよ。
私はもう、人を殺したくない。いっそ私が死ねば、もう――」
その時、乾いた音が月夜の晩に響いた。
幽々子は目を見開き、赤くなった頬へと手を当てた。
「……何するのよ」
幽々子は俺を睨みつけた。
いきなり頬を叩かれれば、怒るのは当然だ。だが、それは俺も同じだった。
「いい加減にしろよ」
「なにが……」
「アンタがこれまでどういう人生を送ってきたかんて俺は分からない。
俺の事をどうこう言おうとそれもアンタの勝手だ。文句なんてねえよ」
「だったら……‼」
「でもな、お前の事を想ってくれている奴等の気も知らないで好き勝手言うのは許せない」
俺は幽々子の胸ぐらを掴み、睨みつける。
『例え幽々子様が死に誘う亡霊と成ろうと、拙者は最期まであの方を護る盾になる』
「妖忌は、自分を拾ってくれたアンタを護る為に、その剣を振るうと言った」
『最期まで私は笑います。道化のように、涙での別れなんて、私には勿体ないですから』
「桜良は、自分たちに優しくしてくれたアンタを信じて、最期まで付き合うと言った」
『もしも、あの子が自分を見失いそうになれば、その時はどうか助けてあげて」
「紫は、妖怪である自分に何隔てなく接してくれるアンタを、助けてくれと言った」
俺は静かに、けれど怒りを孕んだ声で幽々子に伝えた。
妖忌も、桜良も、紫も、みんな幽々子の事を大切に想っていた。
「確かにアンタは悲劇の主人公かもしれない。だが、世の中にはそんな物語で溢れてるんだよ‼
自分一人だけが不幸だと思い上がるな。人に見捨てられることに一々嘆くな。
嘆く暇があれば、そんなアンタの傍に付き添ってくれている周りの人達の事をよく見ろよ‼
アンタはただ当たり散らしてるだけだ。本当は独りに成りたくないのに、それを無理矢理一人で抱え込んで、誰にも吐き出すことのできないまま、目の前に居る奴にぶつけているだけだ‼」
同じなんだ。記憶を失う前の、俺と同じだ。
復讐に憑りつかれ、目の前の者が見えなくなり、その苛立ちを大切な仲間にぶつけた。
今の幽々子は、それと同じだ。本当は自分でも解ってるのに、抱えた物を誰にも話せずにいる。
「簡単に死ぬなんて言うんじゃねえよ。
死んだらそこでそいつの役目は終わる。でも残された奴はそれ以上に苦しむんだ。
護れなかった、早く気付いていれば、そんな無念と後悔だけが残されるんだ」
俺は下を向き、幽々子に見られないように涙を流した。
何で泣いているのか、どうして俺がこんな話をしているのか、正直俺にも分からない。
でも、俺の記憶は憶えている。残された者の苦しみを、終わらない後悔を。
「これまで言っておいてなんだが、結局俺は怖いんだよ」
「怖い?」
「ああ。もう、これ以上親しい奴等が死んでいくのを、見たくないんだ」
俺はそう言うと、西行妖よりかかるように座った。
「もう……嫌なんだ……」
数億年前も、数百年前も、二百年前も、募り積もった想いが、今になって溢れてきた。
その姿は、これまでの威勢とは変わり、まるで泣きじゃくる童のようだった。
「優夜……」
「……笑えるよな。記憶なんて無いのに、想いだけが込み上げてくる」
「それは、貴方がその人達を心から愛していたという証拠よ」
「そう……なのか……」
「そうなのよ」
幽々子はそう言って、俺の隣まで歩いてくると、腰を下ろして座った。
「ごめんなさい。私、いつの間にか甘えてたのね。
本当は分かってた。妖忌も、桜良も、紫も、みんな私の事を想ってくれてるのを。
みんなが居る今の現実を見ようとせずに、その先の事ばかりしか見えてなかった。
従者も親友を信じないで、挙句の果てには当たるなんて。こんなんじゃ、屋敷の主失格よ」
幽々子は笑いながら涙を流した。
「貴方も、一人で抱え込んで、こんなになっちゃったのね」
「ああ。哀れなもんだろ?」
「お互い様よ。私だって、本当なら大声出して泣きたいわよ」
「それができたら、お互いこんなに苦労しねえだろ?」
「ええ。まったくよ」
五分咲きの桜の下で、似た者同士の俺たちは涙を流しながら笑った。
独りで何もかもを背負いすぎて、周りが見えなくなった馬鹿な者達。
他人に気付かされて、その大切さを改めて知った。
「優夜」
「なんだ?」
「私は、西行妖との決着を付ける」
「どうやって?」
「屋敷残っていた書物に在ったのよ。この桜を封印する方法が」
「その口振りだと、ロクなことじゃないんだろうな」
「ええ。貴女に死なないでくれって言われたばかりなのに、こんな話をするのは気が滅入るわ」
「構わねえよ。幽々子が想った事なら、俺はそれに反対する気はない」
幽々子が決めたことを、俺は止めることはできない。
今の彼女には、さっきまでの自棄になっていたのとは違い、その瞳には確かな覚悟が宿っていた。
俺にできるのは、その覚悟を最期まで見届けることだ。もう、あんな泣き言は言わない。
「ありがとう。貴方と出会えてよかったわ」
「こちらこそ。お陰で大事なものを見失いかけていたことに気付いた」
桜が咲き誇るこの季節、俺はいつも楽しみにしていた。
けれど今は、そんな思いはなかった。
「願わくば、どうか終わりを告げる桜よ、咲かないでくれ……」
彼女は恨んだ、自分を苦しめる桜良を、自分を蔑ろにした父を、
そして、自分の意志に関係なく周りを不幸にする己自身を………。
それを不幸と嘆くのは彼女の勝手だ。だが、世の中はそんなものであふれている。
去って逝く者を見送るより、傍にいてくれる者に目をやることを、彼女は忘れていた。
それを気付かせてくれた彼のために、彼女は自分の因縁に決着をつける決心をした。
たとえそれが、自分の命を落とすことでも、彼女に後悔はないだろう。
次回予告
物語の裏で蠢く邪神の影、それは図々しくも玉座に座り、狂気に笑う。そんな裏話。
東方幻想物語・妖桜編、『月と嘘吐きと三つの終焉』、どうぞお楽しみに。