クラスメイト達にとって、天海雪という人物は凡そ関わりにくいクラスメイトであった。
国立音ノ木坂学院で制服を着崩す生徒はそう多くはない。にも関わらず、雪はYシャツの第一ボタンを開け、リボンを緩く結び、パーカーを着ている。
髪色は染めたかのように明るく、それを毎日適当に束ねている為耳元のピアスがよく見えた。
入学した頃から変わりないそのスタンスに、職員たちは溜息をついては呼び出しをかける。その回数が一定回数を超えた時には、罰則として生徒会の雑務になるようにと強制されたらしいが。
授業態度も不真面目であり、大半は寝ているか空を眺めているかの二択である。かと言って、授業中に当てられたりしても、雪はすんなりとそれを答えてみせた。
不真面目なのか、真面目なのか。はたまた、そのどちらでもないのか、クラスメイトには分からなかった。だから、クラスメイト達にとって、天海雪は単なるクラスメイトであり、それ以上には決して成り得なかったのである。
――天海雪とは、そういう人物だった。
「私の輝かしい、高校生活がぁぁ……!」
そんな声が廊下から聞こえてきた時、雪は呑気にまた始まったのかと思いながら、教室で購入していた野菜ジュースのパックにストローを差し込んでいた。
事の発端は、昨日の全校集会で発表された『廃校』の報せである。
唐突に告げられた雪達の通う国立音ノ木坂学院の廃校の事実に、生徒たちはさして驚きもしなかった。
三年生三クラス、二年生二クラス、一年生一クラス。年々減っていくこの現状を見てみれば、来年は――。
誰しもが薄々勘付いていたことであった。けれど、誰しもがまだ大丈夫だろう、と心の何処かで信じていたのである。
それがこうして、理事長直々に告げられた今。生徒達はその小さな希望を捨てざるを得なかったのだった。
ずご。ずごご。
件の、廊下で廃校を嘆いていた生徒が倒れ、保健室から戻ってきたのはすぐだった。
彼女の幼馴染たちが「穂乃果ちゃん、大丈夫?」と心配する光景を、雪は顔を伏せたまま聞いていた。
「学校がなくなっちゃう……学校が無くなっちゃう……」
「穂乃果ちゃん……そんなに学校が好きだったんだ」
途方もなく落ち込む彼女、高坂穂乃果の姿に、幼馴染の一人であり音ノ木坂学院の理事長の一人娘である南ことりが少しだけ嬉しそうに呟いた。
「違います。あれは多分、勘違いしているんです」
しかし、それに異を唱えたのはもう一人の幼馴染である園田海未である。
琥珀色の瞳をじとっと細めながらそう言った瞬間、ガタリと穂乃果が立ち上がった。
「どうしよー!! 勉強何にもしてないよぉお!」
どうやら、海未の言ったことは当たったようである。穂乃果が心配しているのは、懸念しているのは、何よりも学校がなくなった『後』の話。編入試験やら入試やら、他の学校に行かなければならないだろうが自分は勉強を満足にこなしていない。絶対無理だと海のように青い瞳を潤ませながら泣きついたのである。
「ことりちゃんと海未ちゃんはいいよ! そこそこ成績良いし……!! でも私は……!」
宥める海未とことりを他所に、穂乃果はどんどんその瞳を潤ませていく。
雪は少しだけ煩いなと思いながらも、その話に聞き入っていた。
「落ち着きなさい穂乃果! 私達が卒業するまで、学校はなくなりません!」
結局、穂乃果の泣きが止まったのは、海未が穂乃果にそう諭した数秒後であった。
彼女たちはその話のあと、お弁当やパンを持って中庭へと移動していったが、雪はそのまま自分の席から動けないでいた。
本日二本目の野菜ジュースにストローを刺すと、そのまま野菜ジュースをごくりと飲んでいく。
(……私達が卒業するまで学校は無くならないって事は、裏を返せば私達が卒業すれば学校が無くなるって事、わかってるのかな)
その頭で考えるのは、先ほどの会話の内容である。
廊下にでかでかと貼りだされているポスターにもしっかりと明記されていることではあるが、現時点で廃校は決定されていない。入学希望者が年々減っているので、今年は様子を見る。様子が芳しく無ければ、廃校せざるを得ない。もし廃校することになった場合、現在いる生徒が卒業してから廃校となると書かれているのだ。
(今のままだと絶対に入学希望者は増えないだろうし、生徒会も色々やるんだろうけど……今の生徒会長じゃ、難しいだろうな。それに、もし今年で廃校が決まるようなら、今の一年生は後輩なし。部活動も大会に出られなくなるかもしれないし)
まあ、でも。
雪は無意識に、自分の目の前の席を見つめた。
(穂乃果ちゃんなら、何とかしてくれるかもね)
ずごご、とまたパックが空になる。
教室の端に置かれたゴミ箱にゴミを捨てると、雪は自分の席で再びうつ伏せになった。
その頃、雪の期待などこれっぽっちも知らない穂乃果は、呑気に「今日もパンがうまい!」とパンを頬張っていた。
◇
「アイドルだよ、スクールアイドル!」
朝、目の前の席で行われた会話は、あまりにも突拍子のない会話であった。
確かに何とかしてくれるかもと思ったけれど、これはあまりにも予想外過ぎだ、と雪は思った。
スクールアイドルになれば入学希望者が増える。だから私達でスクールアイドルをやろう、と穂乃果は豪語していたのだった。
いや、ないないと思いながらも、雪は携帯でスクールアイドルと検索をかけてみた。
フリフリな衣装、格好いい衣装、様々な衣装を身に纏い、笑顔で歌い、踊って。
確かに人気のあるスクールアイドルのいる学校は、入学希望者も増えていて。
「……ふふっ」
なるほど、確かに穂乃果の考えそうな事だと雪は笑った。
どの学校も入学希望者が増えているのなら、この学校にだって入学希望者が増えるはず。スクールアイドルがいないのなら、私達がスクールアイドルになろう。
特に秀でた才能もなく、平凡で、ただの女子高生が、そうと決めた瞬間からアイドルになれると信じてる。
そんな穂乃果に、雪はどうしようもない程の感情を抱いた。
それは憧れや、尊敬、そして、羨望と言った感情ではあったが、雪を突き動かすには十分すぎるほどの感情ではあった。
今日は久々に、生徒会にでも顔を出してやろう。丁度この間、スピリチュアルな副会長や冷たい生徒会長にもお呼び出しをくらっていたことだし。
そう雪が思っていた最中だった。
「ねぇ!」
その呼びかけに、雪は驚いて顔を上げた。
「雪ちゃん、一緒にアイドルやろう!!」
そして、大いに溜息をついた。
「……穂乃果、幼馴染に『お前なんてことをしてるんだ!』って目で見られてるけど、良いの?」
「え? あ、ほんとだ……いや、でもそれって雪ちゃんのせいだよね? あーあ、昔はあんなに可愛かったのに!」
「……その話、誰にもしてないよね? 約束は、ちゃーんと守ってくれるもんね?」
「も、勿論だよ雪ちゃん! 穂乃果、こう見えても口は固いんだから」
胸をどんと叩いて穂乃果は雪を見やった。
その様子を見て雪は益々深い溜息をつくと、とりあえずと穂乃果の後ろに目を向ける。
「で、穂乃果。スクールアイドルなんだけど、私は駄目みたい。私みたいなのがいたらそれこそ音ノ木の評判ガタ落ちだし……何より、穂乃果以外は気を使っちゃうの、見えてるもん」
海未もことりも、穂乃果をしきりに気にしていた。
いつもの雪を見ていれば仕方のない行為にしろ、あれでは雪が入ると益々酷くなってしまうだろうと穂乃果に促したのだった。
――だから諦めて。応援はしてるから、と言うつもりだった。
「じゃあマネージャーだね!」
穂乃果の、そんな言葉さえなければ。
「……穂乃果、私の話ちゃんと聞いてたの?」
「雪ちゃん案外恥ずかしがり屋さんだし、写真写るのあんまり好きじゃなかったもんね」
「え、ちょっと」
「でもマネージャーなら写真撮らないし、丁度いいよね! 体操も三人だと一人余っちゃうし、これはもうマネージャーさんとして入ってもらうしかないよね!!」
「え」
驚く雪を見て、穂乃果はにっこりと笑った。
「雪ちゃん、約束一個、破っちゃうね!」
そして、朗らかに。
『ねぇ、穂乃果ちゃん。私音ノ木坂学院に進学する事にしたの』
『えぇ!? ほんとに!?』
『うん。でもね、約束して欲しいの』
『私と、友達にならないで』
「私、やっぱり雪ちゃんと友達になるよ」
それは、気の遠くなるような青空の下で、消えていく飛行機雲に誓った約束だった。