感情の起伏が乏しく、物事を冷静に分析して判断をする彼女のことが。
何事もいとも簡単にこなしてしまう優秀な彼女のことが。
――苦手で、大嫌いで、憧れだった。
初めて会ったのは、親戚一同の集まりの時だった。それが何の集まりかはあまり覚えていなかったけれど、両親が年が近いのだから仲良くしなさいと、彼女――統堂英玲奈を私に紹介したのだ。
まだ小学校にも入っていない頃、だったと思う。それなのに英玲奈は何処か大人びていて、氷のような、ロボットの様な印象を私に抱かせた。
『雪と呼んでもいいだろうか』
『う、うん……』
『ありがとう。雪、何をして遊びたい?』
本当に、事務的な受け答えだった。
怒ったり笑ったり泣いたりしている場面をあまり見たことがないというくらいには、英玲奈は感情の起伏に乏しかったと思う。物事を冷静に分析して判断し、行動する。私の目の前で何事もいとも簡単にこなしてしまう優秀な彼女は、私の両親にさえ気に入られていた。
そんな英玲奈が、今。
「何で此処にいるの?」
「偶々だ。それよりも、着信拒否を解除してくれないだろうか? 不便だ」
「着信拒否を解除したら毎日絶対に電話かけてくるから嫌。UTXに入れとか言ってくるし。っていうか何でついてくるの」
「毎日電話をかけるのは仕方ないだろう。雪のご両親に、面倒を見てやってくれと頼まれたんだから。面倒を見るなら同じ学校のほうが都合も良いしな。それと私の家もこっちの方向でね」
「……はぁ」
本当に最悪だ。
「今は何をやっているんだ? 音ノ木坂学院は、確かスクールアイドルμ'sがいたところだろう?」
「え……μ's知ってるの?」
「無論だ。一番のライバルに成り得る相手だと、私は思っているよ」
ライバル? 英玲奈は一体、μ'sの何になるつもりなんだか。
「で、雪は何をやっているんだ?」
「それ、話す必要ある?」
「当たり前だろう」
「……マネージャー。友達に半ば強引に入れられて。まあ、そこそこ気に入ってるから良いんだけど」
「マネージャー……何部のだ?」
「秘密」
即答した。こればっかりは、言いたくなかった。
さっきまで「ライバルに成り得る相手だ」とか言ってた人に、「あ、私そのライバルに成り得る相手のマネージャーしてるんだ」とか言いたくないし、そもそもアイドルのマネージャーをしているなんて良い笑い話にされそうだ。
……いや、きっと英玲奈は笑わないんだろうけど。
「今年の模試は受けるのか?」
「一応受けようとは思ってるけど……英玲奈は今年も受けないんでしょ? 高校に入った途端ぱったりとやめたし」
英玲奈の家は成績関係には煩かったはずだ。前までは私と英玲奈で模試のトップ争いをしていた程なのだから。
けれど英玲奈は高校に入ってぱったりと模試を受けなくなってしまった。最初こそ疑問に思いはしたけれど、自分には関係のないことだと割り切っていた。
「ああ、話していなかったが、実は私は――」
次の瞬間、私は言葉を失う事になる。
◇
(……まずい。ひっっっっっっじょぉぉぉぉぉぉおおにまずい)
カリカリとペンを走らせる音が教室に響き渡る中、開始三十分ほどで全ての問題を解き終え確認し終わった雪は昨日告げられた事実を思い返しては溜息を飲み込んでいた。
(まさか、まさか英玲奈が……
しかも、μ'sが乗り越えなければならない最難関の、A-RISEのメンバーだったなんて、と雪は頭を掻く。
今まで気づかなかった雪も雪だが、残念なことにA-RISEのPVを見たことがなかったのだ。部室にデカデカと貼っているスクールアイドルのポスターにも、まともに目を向けたことはない。
まさに盲点としか言いようがなかったのだ。
「それじゃあ後ろから解答用紙を送ってー」
最後のテストが回収され、長かったテスト期間がようやく終わりを迎えた。
考えても仕方がないか、と雪は凝り固まった背中を伸ばして深く息をついた。
全てのテストが返却されたのは、それから土日を挟んで一週間後のことだった。
テスト用紙を持ってくるように、と言われていた雪は、全ての教科の答案用紙を持って理事長室へと訪れていた。
「……流石は主席入学者ね。全教科満点なんて、教員生活で初めて見たわ」
「結果を出せと言われたので、頑張ったまでです。特別な事は何一つしてませんし、勉強ができるからと言ってどうという事はありません」
「ふふっ、確かにその通りね。天海さんも、勉強はできても授業態度の改善や服装は直せないみたいですし」
「……痛い所をつきますね」
全教科満点という快挙を成し遂げた雪は、一本取られたと両手を挙げた。
「まあ何はともあれ、退部はなしで良いんですか?」
「ええ、その点についてはお咎めなしよ」
「その点、ですか……?」
「失礼します」
雪が理事長の言葉に違和感を覚えていると、理事長室に絵里が入ってくる。絵里は雪を見て怪訝な顔をするも、理事長の前まで歩みを進めていく。
「お話とは何でしょうか」
「以前話したとおり、音ノ木坂学院は廃校間近です。今度のオープンキャンパスで中学生にアンケートをとり、結果が芳しくなければ、音ノ木坂学院は来年より生徒募集を止めます」
「は……?」
言葉に理解が追い付かなかった。
首元に刃を宛がわれたかのような緊張感。逃げ出したくなるほどの絶望感に、冷や汗が止まらなくなる。
「説明、してくださいっ……!」
「ごめんなさい、これは決定事項なの。音ノ木坂学院は、来年より生徒募集を取りやめ廃校とします」
「――今の話、本当ですかっ!?」
「な、あなたたちっ……!」
雪が呆然と立ち尽くしていると、穂乃果達が一挙に理事長室へと雪崩れ込んできた。
「本当に廃校になっちゃうんですか!?」
「穂乃果ちゃん……」
「穂乃果!!」
「っ」
これでは話になるものもならないと、雪は声を張り上げた。
おそらく穂乃果は話をまともに聞いていないのだろう。それなら勘違いするのも無理ないが、とりあえず落ち着かせなければと雪は穂乃果の頭を軽く叩いた。
「落ち着いて。何処から聞いてたのかは知らないけど、廃校になるのはオープンキャンパスの結果次第なの」
「……へ?」
動きが止まった穂乃果に、苦笑しながら理事長は先ほどよりも詳しい説明をしてくれた。
廃校は私達が思っているよりも早くに決定しそうなこと。
それが確実に決定するのが、オープンキャンパスで中学生を対象に取るアンケート結果次第だということ。もしアンケートの結果が良ければ廃校は見送りになるが、結果が芳しくなければ来年からは生徒募集を取りやめ廃校を本決めすること。
「オープンキャンパスは二週間後の日曜日。そこで何とかできなきゃ、音ノ木坂学院は廃校ってこと。脅すようで悪いけど、もしオープンキャンパスが失敗したら、今までの私達の苦労も全部水の泡ってわけ」
「っ……」
笑えない現実に、深く溜息をつく。いつもの『なんとかなる』の言葉でさえ、穂乃果の口からは出てこなかった。
それほどまでに緊迫している。この学校は、思っているよりも瀬戸際にたたされていた。
「理事長、オープンキャンパス時のイベントの内容は生徒会で提案させていただきます」
「……止めても無理そうねぇ」
「失礼します」
雪の心は、この時揺らいでいた。穂乃果たちを応援したい。何より、マネージャーの自分が一番に応援しなくてどうする、と。
だがしかし、雪はマネージャーである以前から『生徒会役員の一員』だったのだ。廃校の影が確かに足元まで伸びてきている今、雪はどちらに力を貸すべきなのか迷っていたのである。
絵里か、穂乃果か。
穂乃果なら、どうするだろう。きっとこの事態にいち早く行動を起こして、皆を連れて動き回るのだろうか。
なら絵里は? きっと穂乃果に負けないくらいに早く行動を起こす。けれど、それが実になるとは到底雪には思えなかった。
穂乃果なら良い緊張感を持って行動できるだろう。けれど、何かに追われるようにしている絵里は、きっと焦って周りが見えなくなってしまう。今の絵里では、視野が狭すぎるのだ。
それなら、私は――
「――……ごめん、穂乃果」
「え、雪ちゃん?」
「私、マネージャーになる前から生徒会役員だった。なら今回、本当に学校の危機が迫ってる今、私は生徒会に力を貸したい。もしかしたら、微々たる力なのかもしれないけど……でも、ないよりはマシだと思うからっ」
雪は、絵里に力を貸したいと思った。
穂乃果はきっと雪の力無しでもやっていける。だから、今は絵里を支えたい。そう心の底から思っていた。
「……分かった。でもね、雪ちゃん。時間余ったら穂乃果達のところにちゃんと顔出してよね! 生徒会長に取られたら、私達の面倒誰が見てくれるの?」
「……ほんと、我侭なんだから」
失礼します、と雪は理事長室を後に――
「雪ちゃん」
「希先輩……立ち聞きですか? 趣味悪いですよ」
――しようとしたところで、雪は希に出会った。
「ありゃ、言われちゃった。で、今回生徒会についてくれるんよね?」
「ええ、ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて思わへんよ。ただ、一つだけ聞かせて」
いつものおちゃらけた感じではない、真剣な瞳に雪は思わず息を呑んだ。
綺麗な翡翠色の瞳が、雪を見つめる。
「――雪ちゃんは、どう思う?」
何が、なんて野暮な事は聞けなかった。分かりきった答えであったし、希がこのタイミングで聞いてくる事などそう多くはない。
雪は困ったように笑った後、希の胸元に入れられたタロットを一枚引く。
「本当に、面倒な人です」
「……ふふっ、ほんとに、そうやなぁ」
引いたカードは、逆位置の星。意味は――
「『失望』『無気力』『高望み』……幸先の良いカードとは言えませんね」
「せやねぇ。でも、いつも占い通りなんてつまらないやん?」
「……占い結果の改変なんて、占いやってる人がしちゃだめですよ」
「ええんよ。悪い占い結果くらい変えたって、バチは当たらへんやろ?」