音ノ木坂学院アイドル研究部所属「μ's」の広報兼営業兼企画部長兼エトセトラエトセトラを兼ね備えたマネージャーである天海雪は、今まさに人生で幾度と無く襲い掛かってくる壁に直面していた。
「……穂乃果、絶対に、手を、離さないで」
「うん。わかってる。わかってるから落ち着いて。穂乃果の手取れちゃうから」
「落ち着いて私、Be coolよ。そう、私何だって出来るじゃん。やれるじゃん。やればできる子YDKじゃん? そんな私がこんな事できないわけ無いじゃんね?? じゃんじゃんね?」
「うん、キャラ変わってるよ雪ちゃん。それにすっごいじゃんじゃんうるさいよ」
「私の穂乃果がこんなにも冷たい……」
「うんすっごく今まで以上に雪ちゃんとの心の距離が縮まった気がするけど、ねえ聴いてる? 穂乃果の手! 取れちゃうから!! あっ!! そんなに伸びないから!!!」
「わわわわわわ私が改札通れないわけない!!!!」
――天海雪は乗り物や搭乗口、改札口が怖い。
「あああああああごめんんんんんんんやればできる子とか嘘ついたあああああああ正解はやってもできないカスだったああああああああああああ助けてえええええええええええ」
「ねえ穂乃果、雪はいつもこうなの?」
「雪ちゃんんんんん穂乃果の手ええええええええはなしてええええええええ!!!!!」
「ああああああああ離すな馬鹿ああああああああああ」
「……希」
「あー、えりち泣かないの」
(閑話休題)
雪はイギリス人の商社勤めの父と、通訳者の日本人母との間に生まれた。
二人共雪の事を勿論愛していたし、会社が休みの日には惜しみない愛情を注いでくれた。
しかし、二人は転勤族であった。
国内での転勤ならまだ良い方。しかし現実は、一ヶ月も経たないうちにアメリカからカナダ、カナダからエジプト、エジプトからオーストラリア、オーストラリアから南極、南極からドバイ、ドバイからアマゾン、アマゾンから~~と言った風に、大小様々な国を転々とし続けた。
父や母は学を修めていたからまだいいが、雪は違う。まだ年端もいかない幼女が各国の言葉を瞬時に理解し離す事など到底無理なこと。言葉を漸く覚え始めたと思えば次の国へ、次の国へ。
言葉が通じず友達が出来なかった国もある。
やっとの思いで言葉が通じ、いざ友人になった瞬間に次の国へ行くことになった時もある。
最初に駄目になったのは飛行機だった。
窓から見る景色は恐ろしいほどに美しかったが、友達との別れがはっきりとした形になって現れる。窓の向こうが一面雲の景色から、見慣れない国の土地が見えた瞬間胃がキリキリと痛むのだ。
次に駄目になったのは電車だった。
改札口の前で別れを告げ、電車に乗り込み別れを告げ、「きっと手紙を送るわ」と泣きながらに言ってくれたはずの友人からは一向に手紙が来た試しがない。
ある日大陸横断鉄道に乗り国境を越え、駅に降りた瞬間吐血した時からずっと、電車は苦手だった。
最後に駄目になったのは船だった。
潮風が髪をきしきしと痛ませ、安定しない揺れに身を任せているうちに船に酔って吐いた。その時点で船が苦手だったにも関わらず、ある時クラスメイト達に冷めた目で見送られたその時からもう船は駄目になっていた。
とどのつまり、自分がいた土地や漸く仲良くなり始めた人達と離れる事に直結する乗り物が苦手になったのである。
そんな過去をぽつりぽつりと語られた事のある穂乃果は、自分の手がもげそうな状態になっても雪の事を心配し続けた。
痛みのあまり雪にばかりかまけていたら、いつの間にか絵里がしょんぼりしながら希に慰められていたが。
「ああ……乗ってしまった……神よ……どうか御加護を……」
「意外って言えば意外よね……まさか雪にこんな弱点があるなんて」
「理由を聞いてもどこかの国の言葉で神様にお祈りしてるし。なんか気の毒になってくるわ」
にこが意外と言い、真姫が同情の目を向ける。
その言葉にピクリと反応すると、雪は深く深呼吸をして平静を取り戻す。
『全然問題無いですよ。私平気ですよ』
『あら、流暢なロシア語ね』
「え、絵里せ……じゃなくて、絵里ちゃんと雪ちゃんが外国語で話してる……」
「そういえばえりち、ロシアとのクォーターやったっけ……」
「希、ちょっとそれどういう意味?」
わいわいと賑やかな会話。漫才のようないつもの光景に、雪は知らず知らずのうちにほっと息をついた。
(いつもは、もっと息が詰まるくらい静かな車内だったけど……みんなと一緒だとこんなに賑やかなんだ)
そんな事を思いながら、そっと車窓から外の景色を見て、雪は本来の落ち着きを取り戻していく。大丈夫、ここは確かに自分の家ではないけど、それでもみんながいるから。そう心のなかで繰り返して。
「あ。見えてきたよ!」
そして、見えてきた目的地に、久しぶりに胸が高鳴った。
「でっかい!!」
そう叫んだのは誰だったか。
海のすぐそばに建てられた『西木野家別荘』は、まるでテレビ番組で時々見る有名人の別荘のような大きさを誇っていた。
「そう? 普通でしょ」
照れながらもこのくらいの大きさは普通だろう、と真姫がさらりと受け流し鞄の中から別荘の鍵を取り出す。雪もいつかにこれくらいの大きさの家に住んだことがあるのか、はたまた真姫と同じように別荘を持っているのか定かではないが、うんうんと頷いて真姫に続いた。
使わないであろう部屋に皆の荷物を一纏めにして置き、メンバーはそれぞれ別荘の探索に入る。
真姫から言伝されたように、別荘の両親の部屋と真姫の部屋には決して立ち入らないようにしながらも幾つか部屋を回るのだ。
「雪ちゃ~ん! こっちの部屋三つベッドがあるんよ、一緒の部屋にしよ~」
雪がぼぅっとソファに座っていれば、希がひらひらと手を振りながら雪を呼ぶ。
ベッドが三つ? ということは……絵里先輩とも一緒か。少し気まずさはあるけど、まあ別に良いか。
「わかりました、今行きま――」
「雪ちゃん、敬語取らな。ね?」
「……分かった、今行く」
ニヤニヤと笑う希に対し、雪は思わず溜息をつく。
上下関係をはっきりさせるタイプである雪にとって、これほどの難問はないだろう。
「あら、雪を呼んだのね」
「どうも、お世話になりますよっと」
今回の難問の出題者、絵里に対して雪は若干頬をふくらませながら空いているベッドに荷物を置く。
絵里と希はそんな雪の姿を見てくすりと笑った後に、先に行ってるわねと一声かけてから部屋を後にした。
「……なにこれ、思った以上に気まずい……」
先輩禁止、は意外と私に大きな影響力を持っていたらしい。絵里や希が自分を見る目がまるで親戚の子供か孫なんかを見る目だった。
ふかふかのベッドに飛び込み、枕に頭を乗せる。低反発の枕は我が家の特注枕に比べると劣ってしまうが、それでも中々寝やすい枕だ。丁度駅のあれそれで疲れたことだし、ちょっとくらい寝ても……
「雪! 何を横になっているのですか!」
「……海未?」
程よく雪が微睡んでいると、海未がドンドンと部屋に乗り込んでくる。その勢いに雪は疑問符を浮かべながら身を起こした。
「雪、早速練習を始めますよ! 今回は雪にも練習に参加してもらいますからね!」
「……ん? はは、海未。私ちょっと耳がおかしくなったみたい。もう一回言ってもらっても良い?」
「ですから、今回の練習には雪も参加してもらいます! この際みっちり鍛えてあげます!」
そのままズルズルと雪を引きずり始める海未に、雪は溜息をついた。
引きずられている露出した足が摩擦熱で熱い……いや、痛みに変わりつつある中、雪は練習からどうやって逃げるか必死に思考を巡らせ始めた。
ギャグ回を書きたかっただけ…後悔はしてません!多分!