雪が絵里と希に、一時の気の迷いでお空の向こうへ飛び立とうとし、散々謝り倒したその翌日。雪は改めてことりと海未と対面していた。
最初こそ海未やことりは雪の事を警戒していたものの、雪が珍しく寝坊し、穂乃果との約束の時間に遅れそうになった事もあったせいか髪を下ろしていた為、幾分か印象は柔らかかった。
まずは他愛もない話からスタートし、そして趣味は、とか誕生日は、などというお見合いか! と雪が心の中で突っ込み続けた話題を終えた頃には、もうすっかり意気投合していたのであった。
因みにこの間、穂乃果はいつも通り寝坊、遅刻をしていたのだが。
「いやー、でも雪ちゃんがおっけーしてくれてよかったよ! あ、ついでにやっぱりアイドルやらない?」
「カメラ嫌いだし。あと、スポットライトとか、熱くて苦手。だからマネージャーで結構」
「ちぇー!」
穂乃果はそう言いながら、用紙を取り出した。
「講堂使用許可申請書?」
「うん。使用日と時間はーっと……」
穂乃果はペンを動かし、記入事項を全て埋めていった。
それを見て、雪は大方の事を察する。
「ライブ、やるの?」
申請書は、生徒会に提出する決まりだった。
◇
「失礼します!」
生徒会室にはいつも通り、希と絵里が居た。
雪は穂乃果から預かった書類を手に、絵里の元へと歩いて行く。後ろには三人がついていた。
「……朝から何?」
「これを」
「講堂の使用許可を頂きたいと思いまして! 申請書を提出しに来ました!」
雪が手渡した講堂使用許可申請書に、一切の不備はない。紛いなりにも生徒会の手伝いをしているので、ミスは雪が許さなかった。
それとは別に、申請書には愛らしい羊の付箋が貼っており、そこには『講堂の使用については、部活動関係なく一般生徒にも使用権があるものとする。ただし原則として使用の場合は生徒会に事前に申し出る事』と生徒手帳の一部が抜粋されていた。
「……使用は新入生徒歓迎会の放課後やな?」
「何をするつもり?」
やっぱり機嫌が悪い、と雪は内心溜息をついた。
絵里は毎日朝一に学校に登校し、生徒会の仕事を片付けている。それは何より、邪魔者もいない上に部活動生徒もあまりいない静かな場所で仕事が出来るからである。
それを知っているであろう雪が、こんな穂乃果達――厄介事を持ってきては、機嫌が悪くなるのは当然だった。
「スクールアイドルを結成したので、その初ライブです!」
「まだ出来るかどうか分からないよ……」
「えー、やるよー! やるもーん!」
「まだやると言った訳では……!」
「……そんな状態で出来るの?」
絵里の眉間にしわがよる。いつも穏やかに過ごしていた朝、急にやってきて、茶番を見せられて。あまつさえ、ブーメランで?
雪はそろそろ真面目に胃薬を買うべきなんじゃないかと検討を始めた頃だった。
「新入生歓迎会は遊びじゃないのよ?」
「三人はただ講堂の使用許可を取りに来たんやろ? 部活でもないのに、生徒会がとやかく言う権利はないはずや」
「絵里先輩。一般生徒の正式な申請を、生徒会が断れるはずありませんよね?」
雪の言葉を聞いた途端、絵里の眉間の皺は益々深くなった。
嫌われている、のだろう。おそらくは。雪にはその自覚が少なからずあった。
「……天海さん、貴女入ったのね」
「昨日も言ったとおり、名前だけですよ。私、記録に残るのは苦手ですし、照明なんて熱くて熱くて。だから、マネージャーくらいなら協力してあげようかなって思ってるんです」
「……そう」
希が不敵に笑う中、絵里は面白く無いという風に雪から目を逸らし、渋々書類に生徒会の印を押した。
生徒会室を出た後、雪はいつも通り紙パックのジュースを数点購入し、再び教室へと戻っていった。
「何書いてるの?」
「わっ、雪ちゃん? お、驚かさないでよぉ~」
授業と授業の間のちょっとした休み時間、雪は授業中にも関わらず何かに筆を滑らせていたことりに、音もなく近づいた。
ことりの手に握られていたのはカラフルな色ペンとスケッチブックだ。そのスケッチブックには、愛らしいイラストが描かれている。
「えへへ、実はこれね、初ライブの衣装を考えてみたのっ」
「え……え!? ことりが!?」
「そうだよ~。どうかな?」
ピンクのふんわりとした、シンプルな衣装。心なしか、着ている女の子は穂乃果に少し似ている気がしたが、何よりイラストでも伝わる愛らしさに、雪は思わず凄いと呟いた。
「とっても可愛いと思うよ」
「ほんとうっ!? ここのカーブが難しいんだけど、頑張って作ってみる!」
「そっか……手伝えることがあったら、何か言って」
「うん! ありがとうっ」
「お、なになに、何の話~?」
雪とことりが話している間に、穂乃果と海未も丁度帰ってきた。
「これ、初ライブの衣装を考えてみたんだけど、穂乃果ちゃんはどう思う?」
「どれどれ……うぉっ!? ことりちゃん凄いよ! 本物のアイドルみたいだね!」
「ありがとう! 海未ちゃんはどう?」
穂乃果の率直な感想に、ことりは海未の感想も求めた。しかし海未は震えながら、絵の丁度足の部分を指す。
「こ、このすらっと伸びている、これは何ですか?」
「脚よ?」
「寧ろそれ以外の何に見えたの」
「……」
ことりと雪の即答に、海未は自分の足へと視線を落とした。
そこで、雪はああ気にしているのかと頭を掻いた。
「大丈夫だよ海未ちゃん! そんなに脚太くないよ!」
「人の事を言えるのですか!?」
その言葉に、穂乃果も自身の脚へと目を落とした。
腰を二回ほど叩き、そしてよしと意気込む。
「ダイエットだ!」
「二人とも、大丈夫だと思うけど……」
「って言っても聞かないんだろうけどね……」
「雪ちゃんもことりちゃんも細いから良いよね……」
「私マネージャーだし、細さは関係なくない?」
あははと笑いながら会話を繰り広げていく中、そう言えばと雪が切り替えた。
「私達のグループ名って、なんだっけ?」
「「「……あぁ」」」
(……大丈夫かな、この人達)
他人事でなくなってしまった以上、雪はまだ名もないグループの未来を懸念する他なかった。
◇
結局、グループ名は募集するという投げやりな方法で解決させ、次に悩んだのは練習場所だった。
体育館、グラウンド、空き教室。候補地は幾らかあるが、体育館とグラウンドは全て運動部でひしめき合っており、空き教室は教師に使用できるかどうかを尋ねる必要があった。
(アイドルを始めるので空き教室使わせて下さい、なんていっても笑われるのは目に見えてるし……)
仕方なしとはいえ、マネージャーを引き受けたのだ。真面目に仕事をしておくか、と雪が重たい腰を上げたまでは良かった。
しかし如何せん、この学校に空いている場所なんて殆ど無く。雪のメモ帳に書き連ねられた候補地は瞬く間に二重線を引かれ消えていったのであった。
「残ったのは屋上か……」
でも、屋上はなぁと雪は唸る。
屋上は確かに空いている。教師の許可を取る必要もないが、青空教室である。紫外線が降り注ぎ、日陰もなく、雨になれば使えない。しかしもう屋上しかないのは目に見えていた。
溜息一つ。雪はメモ帳をしまい、あの三人に報告するかと携帯を開き――もう一度溜息をついた。
「穂むら集合って、何で学校にいてくれないの……」
雪の家から穂むらまで、然程遠くもないが行くのはやはり億劫である。
重たい足取りでグループ名募集中という呆れたポスターを通り過ぎ、雪は穂むらを目指す。
穂むらに辿り着いたのは、それからあまり時間も経っていない頃だった。既に穂乃果達の声が二階から聞こえている為、もう集合しているのだろうと雪は穂むらの暖簾を潜った。
「こんばんは」
「いらっしゃーい……って、雪、ちゃん?」
「お久しぶりです」
たはは、と苦笑しながら入っていく雪に、穂乃果の母は驚きを隠せていなかった。
「随分変わったのねぇ……髪は?」
「こっちが地毛なんです。すいません」
「何も、謝る必要はないのよ? 穂乃果ならもう上にいるから……っと、海未ちゃんとことりちゃんとはお友達?」
「はい。仲良くしてもらってます」
「そう。良かったわね。あ、ついでに穂乃果と雪穂に勉強教えてあげて頂戴ね」
あははと雪は誤魔化しながら階段を登った。
普段は解放されていない二階の奥へ進み、奥の部屋へと入る。
「あ、雪ちゃん来たね! お団子食べる? お饅頭もあるよ?」
「お饅頭頂戴」
ことりが慣れた手つきでお茶を入れ、穂乃果に差し出されたお饅頭を受け取り、雪は自然な動作で部屋に置かれた本棚から漫画を物色して座り込んだ。それを見ていた海未は、驚きながらも雪を睨みつける。
「雪、少しは穂乃果達を注意して下さい……」
「え、なんで?」
「ライブ前に間食なんて、駄目だとは思わないのですか?」
「ああ……確かに」
そう言えばそうだったと雪はお茶でお饅頭を流し込み、漫画を机の上に置いてことりと穂乃果の頭にていっと優しくチョップした。
「間食しちゃ駄目だって」
「はーい」
「ごめんなさーい」
「……それだけですか」
「後は、練習場所として使えそうなところを探して――」
「あ、それなら屋上がいいんじゃないかって、三人で話してたんだ」
その言葉に、雪はそうなんだと返す。できれば放課後の時間を返して欲しいとさえ思いながら、雪は二つ目のお饅頭に手を伸ばした。
「曲もね、一年生にすっごく歌の上手い子がいて! ピアノも上手だったから、きっと作曲も
できるだろうしお願いしてみようと思うんだ!」
「もし作曲してもらえるなら、作詞は海未ちゃんがいるから大丈夫だよねっていう話もしてて」
「作詞……?」
「海未ちゃん、中学の時にポエムとか書いてて」
「わーー!!」
珍しく狼狽える海未を見て、雪は机の上に置いた漫画を再び手にとった。
横でわーわーと茶番を――失敬。騒ぎ立てる三人を横目に、雪は漫画のページをぺらりと捲った。時に飛び越えられたりもしたが、まあご愛嬌だ。
「うみちぇぁん……おねがぁいっ!」
その時、急に脳を蕩けさせるような声が聞こえてきて、思わず雪は顔を上げた。
「ただし! 練習メニューは全て私が考えます!」
「練習」
「メニュー」
海未がパソコンを開きカタカタと操作し、とある動画を再生させた。
それは穂乃果がスクールアイドルを始めるきっかけとなった、UTX高校のスクールアイドル、A-RISEのライブの様子が映されていた。
「彼女たちは楽しく歌っている様に見えますが、その間ずっと動きっぱなしです。それでも息を切らさずずっと笑顔でいる。それなりの体力が必要です」
「……確かに」
「穂乃果、腕立て伏せしてみてください」
「へ? こう……?」
「そのまま笑顔で腕立て伏せ……出来ますか?」
海未に言われたとおり、腕立て伏せの体勢に映る穂乃果。それを見て、海未は次の指示を出した。
その指示に従い笑顔を作り、穂乃果が腕立て伏せをしようとするが……
「ぅぇ、あ……あだぁっ!?」
バランスを崩し、顔を強く打ち付け痛いと脚をばたつかせた。
「弓道部で鍛えている私は兎も角、穂乃果とことり、それと雪は楽しく歌えるだけの体力をつけなければなりません」
「……ん? ま、待って! 私も!?」
突然出されたマネージャーの名前に、雪は驚いて立ち上がった。
「当然です! アイドル部の一員なら、部員についていけるくらいにはなってもらわないと」
「……笑顔で、腕立て伏せ。できたら、無しで大丈夫ですか?」
「で、出来るのですか?」
雪は持っていた漫画を置き、のそりと腕立て伏せの体勢になる。そして、海未達が見たこともないようなとても愛らしい爽やかな笑顔で腕立てを数回繰り返した後、雪はふっと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「なっ……」
「す、凄いよ雪ちゃん! なんで!?」
「一応、体育ではそれなりの功績立ててるつもりなんだけどなぁ……」
そう、雪は体育の時間はそれなりに授業を受けていた。
バスケやバレー、バドミントンや陸上競技など、他の生徒を圧倒しているつもりであった雪にしてみれば少し傷つく反応ではあったものの、これで練習はなしだと海未に訴えかけた。
「マネージャーの仕事はしてあげるからね」
ひらりと手を振る雪の姿に、三人が少し格好いいと思ったのは、また別の話である。