七耀暦 1204年 3月31日 エレボニア帝国行きの列車内にて。
いよいよ入学式当日、件のソルティールはというと、何故かケルディックからの列車に揺られていた。アルテリアからは距離があるから、と事前にトリスタ入りを考えていた彼が、何故ケルディックにいたのかというと、だ。それには少し時間を遡る必要がある。
アルテリア法国から飛行船を乗り継ぎ、帝国領の【鋼都ルーレ】へと到着したのが一昨日の夜。そして、そのままルーレで一夜を過ごし、列車でケルディックへ着いたのが昨日の朝だ。飛行船の行き先としてルーレを選んだ理由は、もう一つの行き先が【公都バリアハート】だったからだ。
バリアハートは、いわば貴族の街。貴族というものを知らない自分が、制服を着たまま無礼な行動をしないとも限らないから、らしい。少々納得のいかない理由だったが総長の言葉なので素直に聞き入れたが。もっとも腕利きの職人達が店を構える《職人通り》なる所に立ち寄れなくなるのは少しばかり悔やまれる。だが、ケルディックをその後の行き先にしたのには明確な目的があったからだ。
【交易地ケルディック】。
その周囲は大穀倉地帯としても有名で、農作物全般から大陸各地からの輸入品を大市というところで商っている、というのは偶々乗り合わせた乗客から聞いた話だ。その話を聞いているうちに、行ってみたくなってしまったのである。
実際、目の当たりにした大市の規模は大きいもので、多くの店が立ち並んでいた。焼きたてのソーセージや燻製肉を食べれたり、商人の人から料理のレシピを教えてもらったりと、それだけでも立ち寄った甲斐があったというものだ。それに、数こそ多くはなかったが、いくらかバリアハートの宝飾品やリベール産の七耀細工を見ることが出来たのは嬉しい誤算だった。
その後、宿泊先にした《風見亭》で取れたての卵を使ったオムレツや、焼きたてのクッキー等に舌鼓をうった、というのが昨晩の出来事。
そして現在、ケルディックの地を離れ、目的地――これから通うことになるトールズ士官学院が存在する、近郊都市【トリスタ】へと向かっている、というのが彼のこれまでの足跡である。
『本日は、ヘイムダル行き旅客列車をご利用いただきありがとうございます。次はトリスタ、トリスタ。1分ほどの停車となりますのでお降りになる方はお忘れものの無いようご注意ください』
約一時間程の列車の旅ももう終わる。忘れ物が無いことを改めて確認し、彼はトリスタ駅へと降り立つのだった。
☆
「……これがライノの花ですか、見事なものです」
トリスタ駅を出て、一面に咲く白いライノの花に思わず目を奪われる。早めにケルディックを出たので入学式までには結構時間に余裕がある。少しくらいは眺めていってもいいのだが、こういうものは最初が肝心だ。自らの得物の入った鞄を背負い直し、思考を切り替える。
とその時、春先特有のまだ冷たさの抜けきらない風が彼の水色の髪を揺らした。思わず俯き顔をしかめるが、それも直ぐに吹きやんだ。そして視線を改めて正面に向け直すと、奥に目的の建物を発見する。
トールズ士官学院。
今までも、そしてこれからも当たり前であるだろう聖杯騎士団としての生活。そんな日常から外へ出て、多くの少年少女達と切磋琢磨し高めあうという、ささやかで、だが決して叶うことの無いと思っていたことが、確かに現実に、すぐ目の前にある。
これから始まる二年間の学院生活。それを、より実り多い充実したものにするために。期待と不安を胸に抱きながらも、学院へと続く道を歩いていった。
学院へと続く坂を上りきると、緑の制服を着て、『生徒会』の腕章をつけた女子生徒と、黄色い作業着を着た技術者のような男性が出迎えてくれた。女子生徒の方が、手元の書類に目を通しながら訊ねてくる。
「キミが最初か……えっと、ソルティール・ネログリフ君、で合ってるよね?」
「はい、合っています――ですが、何故自分の名前を?」
「えへへ。ちょっと事情があってね。今はあんまり気にしないでね?」
自分の名前を言い当てられ、理由を聞くと返答が『ちょっとした事情』。含みのある返答を聞いて、少しばかり勘繰ってしまう。
と、そこで一つの疑問を思い出す。駅からここに着くまでに抱いた疑問だ。
「すいません、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「うん? 何でも聞いて?」
「ここまで、自分と同じ『赤い』制服を着た人を見ないのですが……間違い、という訳ではないんですよね?」
そう、同じトールズに向かって歩いている人は大体緑の制服を着ていた。白い制服を着た人も少しはいたが、自分と同じ赤い制服を着た人はまだ見ていない。送られてきた制服を着てきたので間違いようもないのだが、ここまで見ないと少し不安になるというものだ。
「ああ、そのことか。それなら心配いらないよ。君が最初だから、まだ来てないだけさ。もう少し待てば来るだろうさ」
そう答えたのは作業着姿の男性だ。どうやら早く出てきたのが裏目に出てしまっただけらしい。ソルティールが『良かった』と一つ息を吐くと、二人は朗らかな笑みを浮かべた。そして、男性がソルティールの鞄を見ながら疑問を投げる。
「それが申請した品かい? いったん預からせてもらうよ」
「あ、はい。お願いします」
ソルティールが鞄を男性に渡すのを確認すると、女子生徒が口を開いた。
「入学式はあちらの講堂であるから、このまま真っ直ぐどうぞ。あ、そうそう――《トールズ士官学院》へようこそ!」
「入学おめでとう。充実した二年間になるといいな」
二人の言葉に謝辞を述べて一礼すると、講堂へと歩を進めた。
「(今日からは士官学院生。いったい、これから先にどんなことが待っているのでしょうか)」
これからの事を思うと、ソルティールは知らず知らずの内に心地好い緊張感に包まれていた。