ワンクッション
だれか、たすけて。
わたしをたすけようとしたおかあさんは、つきとばされて、おなかをきられて、たおれてうごかなくなった。
はやく、おかあさんがしんじゃう!
あつい、あつい!
きぜつしちゃだめだ、男の人が血でまるをかいている。
今までの思い出がすごいいきおいで流れていく。わたし、死んじゃうのかな……
思い出す。
今がどんな状況なのかを。
灼熱感を脳内麻薬で誤魔化して、パニックになるな、頭は努めて冷静に。
脇腹を抉られ、腕は後手、仰向けに寝かされ左足をナイフで床に縫い付けられている。標本みたいだ。動けない。
猿轡を咬まされている。叫ぶことはできない。でも口腔に嵌める部分が小さいから、口の中でなら言葉を呟く余地がある。
視界には、初対面の、けれど見覚えのある、茶髪の横顔ーー雨生龍之介。
これからこいつは狂った魔術師の英霊を召喚するはずだ。もう既に召喚陣は描かれている。
目の前の男だけでも手に負えないのに、サーヴァントが出てきたら、完全に打つ手が無くなる。
状況はほぼ詰んでいた。しかし、記憶はほんの僅かな希望を提示している。
私が
目の前の円に集中、心を澄ませ。発音は不明瞭でも、明確な意思を持って。
「
正確に詠唱を思い出せないっ! 途中で叫ぶようになってしまった、失敗したか!?
目をつぶって、心は諦めに満たされそうになる。自分一人だけならとっくに生を手放している、でもお母さんだけはーー!
怖い、怖い、助けて、誰か、私の手をとって! お願い、なんでもするから! 痛い、もうだめ、早く! 助けて、私たちを救って!
私の血で描かれた魔法陣から、輝きと、風とが溢れ出す。右手に痛みと、誰かが触れたような感触。
魔法陣の中には黒い影が現れる。……影?
「すっげぇぇ、なにこれ超Coolじゃん! 」
(私の言葉が通じてますか? お願いです、どうか返事をしてください)
騒ぐ龍之介を無視して、ヒトかどうかもわからないモノに必死で念を送る。失敗だったら、私も母も終わりなのだ。
(貴方が、私のマスターですか? これはーー)
脳内へと、声が返ってきた。男性のものだ。
(ええ、そうです。助けてください。目の前のやつをぶっ飛ばして。あと怪我人がいます。方法は私が伝えるのでどうか早く手当てをーー!)
(承知しました)
影がユラリと揺れた。
「ねぇねぇ、アンタマジの悪魔?」
「きっと、私は、そうなのでしょうね……!」
何が起こったのかは、私の位置からはよく見えなかった。ただあれほど恐ろしかった男が、カハッと息を吐いて、一瞬で崩れおちたのは分かった。
「うわー、キレイ……」
龍之介は恐らくそんなことを最後につぶやき、倒れこんだ。
(……多分そいつは無力化できたと思います、それより一刻も早く救急車を呼んで、応急処置を始めないと)
いつの間にか影は人間の姿に変わっていた。背の高い、白っぽい人の姿だ。
(電話、わかりますか? 玄関の近くの黒い機械です。119をダイヤルしてください。できれば視覚を共有したいです。母の様子を知りたい)
「解りました。マスターは、大丈夫ですか?」
(抜くと大出血しそうなんで、どうか母を優先してください。お願いします。あなただけが頼りなんです。ああでも様子を見るのが先か! 母の名前を、顔の近くで美奈子と呼んでください!)
「美奈子さん、大丈夫ですか、美奈子さん!」
返事はない。彼からの映像は酷いものだった。
(意識はない、蒼白な顔色、腹部からの大出血。ショックか。心拍と呼吸の確認をお願いします。頭を打っているので頭部は動かさないで)
(心臓が止まっているようです)
あまり聞きたくなかった報告に、焦りが
(
胸骨圧迫を指示しようかどうか迷ったところで、彼から念話が入った。
(私の力で、彼女を救えると思います)
(本当!? お願い助けて!)
正直、
瞬間、視覚共有が解かれる。
「パラケルススの名に
穏やかな声、彼の手元で暖かな光が揺れた様に思う。宝具の真名解放……?
「ふう、こんなものでどうでしょう?」
(お母さん、大丈夫⁉︎)
「ご安心ください、マスターの母君は、今は眠っておられます」
(すごい、蘇生まで……)
再び視野が共有された。母の明らかに赤みの増した頰、安定した呼吸に一先ず息をつく。魔術ってすごい。
(ありがとう、本当にありがとう!)
もう、それしか言えない。他の言葉は忘れてしまった。
(これくらいは、当然です。次は、マスターの番ですね)
(よろしく頼みます。あ、でもちょっと待って。母ですが、硬膜下血腫……脳を血の塊が圧迫していると不味いんですが)
あれは放置しておくと命に関わる。しかし手術以外の処置法といえば、低温、いや、できるだけ早くの搬送以外には……
「ご心配無く。それならば、確かに、小さなものはありましたが、取り除いておきました」
そんなことまでできるのか。外からではわからないけれど、後で検査すればいいだけの話だ。今はその言葉を信じたい。予後が不良でないといいけれど……
(お手数をおかけします。本当、どのように感謝すればいいのかわかりません……)
(どうかお気になさらずに、マスター。私のわざが、人の助けになるのは、この上もない喜びですから)
(ありがとう。……あなたはやはり……キャスター?)
(正解です。私の、宝具からの類推でしょうが、よくできました)
うん、落ち着いて見れば、あなたがキャスターだってのは直ぐにわかった。確かに医者が欲しかったけれど、まさかこの人が来るとは。
「ゲホッ、ゲホッ。ありがとう、助かった……」
猿轡を外された。ようやくまともに喋れる。息がし易くて良い。
「ナイフを抜きます」
「あ、その、出血怖いからまだいいです。それより救急車を……」
「何を言ってるんですか、マスター。私の手にかかれば、出血程度恐るるに足りません」
「ハイ、ワカリマシタ」
案外するりとナイフは抜けたけれど、緊張が切れたぶん痛みが急にぶりかえしてくる。エーテルで傷を塞いだらしいが、それも結構痛かった。こいつ地味にSなんじゃなかろうか。アヘってる龍之介をそのへんの紐(強化済み)で縛るのも、なんだか微妙にノリノリだったし。
母は彼に、居間のソファーで寝かせてもらった。キャスターで筋力D、細身の彼が、軽々と意識のない母を持ち上げる。そんな光景は、サーヴァントの身体能力について認識を改めるに十分だった。
現在母は深い眠りに就いているものの、意識が戻らないということはないだろう。その点は信用している。自分でバイタルをざっと診ても、非常に安定していた。
母のことが一先ず落ち着くと、今の自分の状況にも目を向ける余裕が出てくる。
傷口の他、右手にも包帯が巻かれて、令呪は見えない。ちらっと見たところだと、文様は二匹の蛇に杖、所謂カドゥケウスという形に近かっただろうか。ヘルメスのシンボル。よくアスクレピオスの杖と混同されるそれ。
自分で望んだくせに、未だにこの状況が現実なのだろうかと疑ってしまう。
「あ、でも痛み取れてきた」
(マスター、電話がつながりましたが、どうします?)
さっきは焦って気がつかなかったが、よく電話かけられたな、と一瞬疑問を抱き。あ、聖杯からの知識があるんだっけ。確か。
「相手の指示に従って、私たちの症状を伝えて。あと、ここの住所、冬木市新都X-XX-X。本城美月の代理だと言って」
「……はい。女性の方は腹部に深い刺し傷、頭を強く打ちました。一時心肺停止状態でしたが現在は蘇生しています。少女の方は脇腹を切られ、足をナイフで刺されました。ええ、両者とも止血はしてあります。彼女たちは暴漢に襲われていました。犯人は捕縛してありますが……」
なにか変なことを言ったら横から口を出そうと思っていたが、流石と言うべきか、症状の説明は的確だった。頭を打ったことなどもちゃんと伝えてある。これなら大丈夫そうだ。
「直ぐ医師が駆けつけるなんて、夢のような仕組みがあるのですね」
しみじみとした口調。聖杯からの知識はあるだろうが、中世期の人間には現代先進国のインフラは信じられないものだろう。厳密には医師じゃなくて救急救命士のはずだが、救急車の中でならいずれにせよ医療行為ができる。でもこの制度日本では割と最近に成立したやつだったような……
いかん、思考が脱線した。まだ思考を鈍らせるわけにはいかない。とりあえずの安全が確保されてはいるが、この現代社会、事後処理はもっと面倒くさくなるのだから。
「確かにすごいよね。多分5分か10分くらいで来ると思う。次は警察か。私がかけ……」
「その前にマスター、あなたの、名前を伺っても?」
「あ、そういや正式には名乗って無かったか。ごめんなさい。ええっと、本城美月です。その、マスターじゃなくて、出来れば美月って呼んでもらえませんか……?」
あんまりマスターとか呼ばれたくない。聖杯戦争関係者ってバレる上、何か事案が発生しそうな響きだ。それに……
「ミツキ、ですか。解りました。では改めて。サーヴァント・キャスター。聖杯の寄る辺に従い、参上致しました。真名はーー貴方なら、もう、お判りでしょう?」
ミツキ、ミツキ。彼は何回か繰り返す。こんな風に言われたら、照れちゃうじゃないか。
まあ、真名は……いろいろバレバレだったよね。
「キャスター、ううん、ドクトル・フォン・ホーエンハイム、でいいのかな、どうかこれからもよろしくお願いします」
相手の目を見る。でも伏せたいような気も。
「マスターは、私のことを、よくご存知のようですね」
こちらに眼差しを向けられて、頰が熱くなる。どこか気恥ずかしく、やけに和やかな空気だ。いかんいかん、まだ何も終わってないぞ。
「美月だってば。ええ、あなたは世界的にもとても有名なので、『医化学の祖』殿。ーー母と私の命を救ってくださったこと、改めて感謝いたします」
彼はニコリと微笑んだ、ような気がした。
「助けを、求める声が聞こえましたから」
当然です。目の前の彼はそう言った。
表情は殆ど変わらず、しかしわずかに自負が覗いているように見えた。悔しいことに美形なので、そんな風でも大変サマになっている。
記憶のとおり青みがかった長い黒髪、中性的というよりいっそ女性と
正直なところ、好みの真ん中を射抜く容姿だ。思わず目を奪われる。
昼間なのに星の
「これから、どうなさいますか?」
耳を撫でる穏やかで柔らかい声。石田ボイスがトラウマになりそうな分癒しである。カヲル君好きだったのに……
ああ、ここで聖杯戦争終わりにできたらなぁ。思わず天を仰ぐ。
遠くに聞こえる救急車のサイレンで現実に引き戻された。音から判別する限りパトカーもいるようだ。そういや凶悪犯がいるんだっけ。おとなしく転がってたから視界から消去して扱っていたが。いや、忘れてたわけじゃないよ!?
「霊体化して、待機していましょうか?」
確かに、通常ならそうすべきかもしれないが、彼は私の代理で電話を掛けた。ふむ、それなら……
「いえ、そのままでいてください。互いに一般人のふりをしましょう?」
(折角助けていただいたのですもの、聖杯戦争の関係者とバレて人質をとられたりしては申し訳ないので)
明らかにヤバい魔術師殺しが居るが、今この時点でそれを明かすのは難しい。だから私は、あくまで一般論という体で提案する。
(そのような理由なら、解りました)
幸いにして、彼は納得してくれたようだ。納得してくれないとこれから先色々と困る。
(カバーストーリーは私が考えます。あなたは服だけ父のを羽織るなりして誤魔化してください。あと、私の令呪を隠すものと、あなたも魔力殺しを身につけていただければ)
期待してるぞ道具作成EX。なるべく早く完成させてくれ。……無いと色々厳しいものがある。
(構いませんが、暫し、時間をいただきます)
いそいそと服を探しだした彼に、視覚共有を続けつつ私は話しかけた。彼と同じものを見られることに、私は地味に感動している。
(タンスはそっちです。そこは化粧台、ーーあなたの(矢鱈長い)本名って確かテオフラストゥスですよね?)
(その間が気になりますが、ええ、そうですよ)
(あなたのこと、これからはテオって呼んでもいいですか?)
(え!?)
(あ、それなら普段着ないやつなので多分大丈夫です)
虚をつかれた動揺が伝わってくる。いや、キャスターって呼ぶの聖杯戦争の関係者だってあからさまに言い立ててるようなものじゃないか。正直月よろしくクラス名さえ明かしたくない。この人にあからさまな弱点があるとも思わないけれど。
(そうそう、名乗るときはテオドール・エルリックでお願いしますね)
うん、本当だいぶ余裕が出てきたな。この状況でネタに走れるというのは、案外私も図太かったようだ。
(……わかりました)
だってほら、ホーエンハイムといったらエルリックじゃん? ファーストネームの方はテオと呼べる名前を脳内検索していたら、よくお世話になった気管支拡張剤を思い出してしまったんだ、仕方ないね。一応普通の人名にもあるんだし。契約の時はものすごく切羽詰まってて、ネタを交えるなんて到底無理だったから、今くらいは。……偽名でも、本名に通じた名前を呼びたかったんだ。
彼が戻ってきた。身長はさほど父と変わらないはずだが、比較的がっちりとした父と違って、細身の彼は服がちょっとぶかぶかなのが笑える。
そして、丁度タイミング良く玄関のドアが開いた。
「美月、無事か!?」
父の叫びにも似た声に、私も応える。
「お父さん!」
(ミツキの、父君ですね?)
(うん。忙しいはずなのに……)
「私は大丈夫! このお兄さんが助けてくれたの! お母さんはあっちで寝てるわ」
そう言うと、父の緊張がわずかに解けたようだった。はじめてキャスターの存在に気づいたかのように向き直る。
「妻と娘を助けていただき、本当にありがとうございました!」
「いえいえ、当然のことを、したまでです。頭を上げてください。私は良いので、奥様の所に行って差し上げては?」
「すみません、お言葉に甘えます」
父は母の元へと駆け寄った。
「美奈子、しっかりしろ、美奈子!」
跪き、声をかけ、脈拍を確認する。と、母の目が開いた。
「美月、大丈夫……?」
目覚めての第一声が私の心配だ。これが、親というものなのだろうか。少し、胸が苦しい。
「お母さん、私は平気よ! お母さんこそどこか痛かったり苦しかったりするところはなぁい?」
「少しだけお腹が痛いかしら。あとちょっと眠いの以外は大丈夫よ」
この答えに私はほぼ完全に胸を撫で下ろす。後遺症の有無など精密検査が必要かもしれないが、ともあれ私たちは生き残ることができたのだ。
「本当に今日はどうも……私は本城司と申します。お名前を
「私はテオドール・エルリックと申します」
しみじみとしていたら、後ろで父とキャスターの自己紹介が始まっていた。
(ミツキ、貴方がカバーストーリーを作ると仰っていたでしょう、あるなら早く教えてください。 無ければ、
おや焦っている。この人も焦ることなどあるのか。と、感心している場合では無いな。
(ごめんごめん、ちゃんとあるから。スイス出身の医学生で現在日本に留学中。たまたま近くを通りかかったらドアが開いていて、異様な気配がしたから覗いてみると儀式殺人の真っ只中だった。それで不意をついて犯人を無力化、私達の処置をした、でどうだろう?)
真実に少量嘘を混ぜるといいのだ。このカバーストーリー、うんと拡大解釈すればあながち嘘でもないかもしれない。
(……いいでしょう。それでいきましょう)
なんだか諦めた風だが、いいのかそれで。あ、こちらをチラ見する目線がちょっと冷たくなった。
「……失礼。たまたま通りかかったら犯人が丁度儀式殺人をしていたもので。お二人を助けられて私も良かったです」
父とキャスターの会話を横目に、母はキャスターのことをかっこいいわねぇ、なんて言って笑っている。しかしふと表情が変わって、こんなことを言い出した。
「美月、守ってあげられなくてごめんね……」
「いいのよお母さん。こうして二人とも生きていられたんだし」
実際母が来てくれなかったら、私が先に殺されていた可能性は極めて高かった。そうであったら、二人
「私はあの人に助けて貰ったのね」
「そうよ」
何か考える素振りだ。母は勘が鋭い。ひょっとして彼の正体がばれた!? いやいや、まさか。どうしようどうしようと内心頭を抱えていると、母が続ける。
「不思議な人ね」
そりゃサーヴァントですから。あれ、でもこの感じだとバレてないーー? 酷い言い草ではあるが、あと10分ほど持ちこたえてくれれば、何とか誤魔化しきれるだろう。
「でもいい人よ。スイスの人ですって」
いい人、と言い切るには、少しばかり複雑な気持ちだが。少なくとも私は、本質からの悪人ではないと信じているけれど。ーー正直な話、悪とか正義とかいうのはあまり好きじゃない。
はっきりスイスから来た、と言わなかったのは、在籍大学を彼が生前通っていた場所にしとこう、などと思いついたからでもある。あれ、でも卒業記録とかないとか聞いたような……?
また割とどうでもいい思考が脳を占領しかけたので、頭を振って気持ちを切り替える。これからのことを考えるのは、とても、とても、気が重い。
母は頭を打っていたので、念のため救急車で病院に向かうこととなった。割と元気な私は父の運転する車で後から追う。そのことに、私は色々な意味で安心した。
救急隊により母がストレッチャーに乗せられ、救急車に収容された後。
ずっとそれを見守り、心配しつつも励ましていた父は、私を抱きしめ、崩れおちるように泣き出した。
「よかった……よかった……」
ふと、私の後ろに立っているはずの彼が、どんな表情をしているのかが気になった。
ちなみに、雨生龍之介は幸せそうな表情のまま警察に連行されていった。例の答えは見つかったらしい。この分だと脱走してどうこう、なんてこともないだろう。一件落着、めでたしめでたしだ。
これで終わればな!
影青
かげあお、えいせい。
いんちんと読めば青白磁器の色のこと。
天上の色。
追記。2016 1/6 改訂、修正。
FGOでP氏の宝具レベルが2になった。嬉しい。