「……!!」
目が覚める。上体を一気に起こして、痛みに顔を
「そういや、昨日の今日だっけ……」
昨日は興奮状態で、殺されかけたことなどその他諸々、やや忘れていた。記憶を手繰る。隣には祖母。安らかな寝顔。
ご丁寧に服もパジャマに着替えさせられていて、しかし流石に、これは祖母がやったのだろう。
魔術の気配など分からない。わからないということが、こんなに怖いものだということを、私は長らく忘れていたように思う。
そっと立ち上がり、足音を殺して二階に上がる。けれど、操作の
それでもなんとかドアの前に立つ。閉じられているが、鍵はかかっていない。気配も無い。
ゆっくりと扉を開ける。……机に黒い塊が張り付いていた。正確には、長い黒髪がばさりと机の上に広がっている。……ちょっとしたホラーだ。貞子とかその類の。
塊がむくりとこちらを振り返る。……心臓に悪い。
「お、おはよう……」
「おはようございます」
「寝てたの?」
「ええ、まあ」
「魔力、足りなかった?」
「いえ。ただ、寝ていろと仰っていましたから」
「あー」
そういやそんなことも言っていたっけ。それにしたって、机に突っ伏すことはないだろう。……記憶の中の自分と比較しても、盛大にブーメランなセリフではあるのだが。
「……」
「……」
沈黙が痛い。軽く目線を逸らす。その先に、昨日にはなかったものを見つけた。
「あ、ありがとう。……それは?」
「ご注文にあった、魔貌殺しですが」
机の脇にまとめて3つほど、シンプルな黒フレームのメガネが置いてある。それぞれ微妙にサイズが違うようだ。
「……ありがとう。……なかなか洒落てるわね」
嬉しいが、今のところはそれしか言えない。
「そういえば、ホムンクルスは、ご入用ではありませんか?」
「……ここでも作れるのね。今は……」
いいわ、と続けようとして、昨日言いそびれたことを告げる。
「あなたが作ったのではないホムンクルスにも、手を加えられる?」
「実物を見ないと断言しかねますが、恐らく、可能です。それが何か」
と、ここで彼があっ、という表情をした。昨日のことを覚えていてくれたらしい。
「……小聖杯を確保するおつもりですか」
「結果的にはそうなるでしょうね。彼女は体内に小聖杯を持ってる。英霊の脱落と同時にヒトとしての機能を失うらしいのだけれど、もし先にそれを取り出して、適切な処置をしてやれたら?」
「なぜ、そこまで」
「彼女、明確な自我を持ってる上、子供がいる。帰してあげたい。それに、もし、できるのなら、
別に、小聖杯だからと言って、死ぬ必要、本当は無いと思うのよ。そりゃ、無理そうだったら諦めるけれど。個人的に、彼女が死なないと聞いた時の切嗣の顔は、結構見てみたい。しかし、下手に人質にしても、面倒臭くはあるなぁ……そんなことを、ようやく働き出した頭でつらつらと考えていると、
「……いいでしょう。やりましょう」
あれ、これまたあっさりと承諾されてしまった。自分で言っておいて何だが、いいのだろうか。少し肩透かしを食らった気分だ。
「頼んでおいて何だけど、無理だけはしないでね」
念を押しておく。一応、優先順位はそこまで高くはないのだから。
……そこで目が揺れるのは一体どういう意味? どこか思いつめたような雰囲気を漂わす彼に、その理由を聞こうとして、
「……っ。おばあちゃん起きちゃったか」
下で人が動く気配を感じた。彼と同時に階段下の方向を見やる。
(……押し入れでも
「おばあちゃん、おはようー!」
気持ちを変えなければ。無邪気さを見せて階段を下りる。
「おはようございます」
「おはよう。朝から元気いっぱいね。良かったわ」
さあ、これからが正念場だ。
自分の身支度と、動きづらさを抱える祖母の手伝い。痩せた体から服を脱ぐのも、祖母は一人でできなくは無いが、時間がかかってしまう。特に朝は。けれど今日は、後者はテオも加わって、恐らくいつもより楽に終わった。降りて来たテオが、父が学生時代に着ていたと思しき、赤っぽいチェックシャツとジーンズの、典型的理系ルックだったのにはまた笑ってしまったが。似合ってはいたけれど。
昨日と同様、朝食の手伝いもしつつ、今日の予定を考える。 ……ところで今日は何日目だ? 龍之介が召喚をしようとしていた。ハイアットはもちろん爆破されていない。倉庫街は……あれはきちんとしたニュースになるのだろうか? ああくそ、キャラクターの性質の類はよーく覚えているのだが、さすがに正確な時系列はおぼつかない。そして時間がない、とにかく時間がないのだ。
午前中は通院しなくてはならないから、午後柳洞寺に行こう。バスもあるが、時間短縮と体調を鑑みてタクシーが望ましい。病院から遠いし。しかし資金はどうする? 小遣いで足りるか? 自宅ならまだ、自分の貯金箱に、最悪親のへそくりや自分の預金通帳が期待できたのだが。……暗証番号が分からないとか言うな。
聖杯戦争に参加するのに、こんなことで
思わず錬金術士の方を見てしまうも、ダメだ、金の現物があろうが、正規の刻印がなければ手が後ろに回る。……自然金と言い張ればいけるか……?
せめて十代になっていたら、多少高額の金銭でも手に入れやすいのに。
ある意味しょうも無いことで悩みつつ、最悪暗示がある、というのを思い出すのにしばらくかかった。ただ、魔術はあまり使用して欲しくは無い。そんなことを考えながら、手を動かす。
「ときじくの かくのこのみを えまつらむ」
「?
「温州ミカンでも少しは代用になるだろ」
そう言って、冷蔵庫から出したミカンの網袋をテオに渡す。食卓に置いといてもらおう。しかし、古文でもある程度は翻訳されるのな。小次郎とかがその恩恵受けてるだろうし、当然か。直訳臭いけど。流石に掛言葉までは無理っぽい。
朝の日差しをいっぱいに浴び、トーストをかじる。
たとえいくら徹夜しようが、目の前で牛乳を飲んでいるこの人は、サーヴァントだから、隈もできなければ、肌がくすむこともなく……ちょっと羨ましいけれど、少し哀しい。
食後、ミカンを手でリンゴ剥きしながら、私はまだ悩んでいる。見れば、おばあちゃんの表情が明るいのが嬉しい。大きく息を吸う。本当は、父にこれがバレると行動を制限されそうで、やりたくないのだが。
「おばあちゃん、お小遣いちょうだい? ……その、テオお兄ちゃんと、病院行った後、一緒にご飯食べに行きたいの」
「いいわよー」
5000円ゲット。この年代の子供が持つには、結構な金額である。テオと一緒、というのが効いたのだろうか。罪悪感を覚えつつも、頭の中で移動費の合計を計算してしまう自分が悲しい。
父が迎えに来て、私たちは病院に行く。客観的に見て、テオの役割、今の所サーヴァントというより、子供のお守りだ。私の荷物持たせちゃってるし。
「おかあさん元気?」
「ああ、早く美月に会いたいと言っていたよ」
「おみまい行くね!」
「お母さんもきっと喜ぶよ」
一晩明けて、彼が実にいい仕事をしてくれたことを再確認できた。多少時間は取られても、是非とも母の病室には見舞いに行こう。
「経過は順調ですね。神経も傷ついていませんし、後遺症の心配はないでしょう」
形成外科にて。医師に包帯を外され、ガーゼを取り、診察。薬を塗られ、ガーゼと包帯が取り替えられる。残念ながら湿潤治療ではないが、子どもの回復力ならそこまで問題ではないか。
書き込まれる文字。そうそう、この時代はまだ紙カルテが主流だった。懐かしい。
「良かったな。本当に、思っていたより怪我が軽くて、美月……」
「もう、わたし大丈夫よ。だから心配しないで、お父さん」
テオの魔術による治療の結果、私の体に残るのは、脇腹を掠めたような裂傷と、足のやや深い、と言ってもそこまで深刻ではない刺傷のみ。全く傷が無いのもおかしいし、私が魔術で全部治療した時の、体の負担を気にしたこともある。何しろ、
父に迷惑をかけて悪いなぁ、それとももっと休ませてあげるべきだろうかとも考えつつ、特に出来ることも無く。
「じゃあね。また」
「すまないね。お母さんのお見舞いに行ったら、気をつけて帰るんだぞ。エルリック君、美月をよろしくな」
「はい」
とこれは、テオの返事。
「では、行きましょう」
「りょーかい! 」
本城と書かれた表札。明るい雰囲気の個室で、好ましい。窓が大きく、外がよく見える。いい部屋だ。
「お母さん!」
「みっちゃん、来てくれたのね」
「うん!」
うん。大丈夫そう。顔色もいいし。心からの笑顔を交わす。
その後、今後のことなどを伝えられた。私からは、魔術を使ったりはしていない、ちょっとしたお土産を渡す。
「これ、みっちゃんが作ってくれたの? みっちゃんも怪我していたのに、大変だったわね。とっても上手。ありがとう」
「お医者さん待ってるときに作ったー。テオのもあるよー」
病院の売店で売っていた折り紙で、幾つか花を折って、小さな花束にしてある。今の私が折れて不自然ではない難易度の折り図を選んであるはずだ。ちなみに、道具作成EX作のも幾つか混じっている。……異様に上手かった。
そうして、楽しいおしゃべりはしばらく続き。
「美月が元気そうで、本当に良かったわ」
別れ際、母はやはり父と似たようなことを言う。ううん、そうじゃない。
「わたしは、おかあさんが元気でよかったよ」
病室を後にする。テオはあんまり会話に加われなかったけど、それはしょうがないか。ボロが出ても困るし。
「ここに居れば、多分間違いなく安全だろうけど、後2、3日で退院か……」
記憶では、病院を襲うサーヴァントもいず、泥の被害も無かった。かといって、退院やめろと言う訳にもいかないし。一応家は、泥の範囲外ではあったと思う。
(夜間外出も難しくなるだろうし、身代わりにホムンクルスが必要かな、これは)
(それならば、今すぐにでもご用意できますが)
「うーん……」
愛してくれる人がいるというのは有難いものの、行動が制約されるのは、特にこういう状況では困る。
「その時はその時だな。今は、まだいいよ」
「かしこまりました」
「うん。ありがと。じゃ、柳洞寺に行こ!」
タクシーを呼んで、寺に向かう。テオが移動費もらってたことに気づいて、朝のあの苦悩はなんだったんだろう、とちょっと凹んだりもしたが、まあ大過なく着いた。別にこのタクシーの運転手さんが、他マスターに危害を加えられることもあるまい。それにしても、私たちは一体どういう風に見えていたのだろう。外見年齢の差がありすぎるからな。テオの色合いが地味な部類で良かった。金キラとか誤魔化しようが無い。
まだ入口に着いただけであるのに、妙に感慨深いものがある、柳洞寺。記憶を元に、一つ忠告。
「参道からじゃないと、入れないのよ」
「これは、結界……ですか」
「そ。確か……自然霊以外を排除するってやつ」
わかるの? と笑みかけてみれば、私も、結界を扱いますから、と返事が返ってくる。私のそれとは系統が違いますね……とかブツブツ言ってるけど、今はそれがメインじゃないからね。また帰りに見せてあげるから。
一度中に入ってしまえば、今度は霊地だけあって彼の姿が生き生きして見える。この体で参道を登りたくないので、抱き上げて運ぶようせがんだ。
軽く持ち上げられ、彼の腕と胸の間に、私の身体が固定された。丁度肩のあたりに、頭が寄りかかる。体重を預けても、揺らぐことは無い。
耳が赤くなってるの、気づかれなければいいけど。
「流石に詳しい場所まで知ってるわけじゃない。山の中腹辺りに入り口があった……かなぁ。地下の大空洞に大聖杯が設置されてるのは確かなんだけど」
意外としっかりした感触を堪能する。どこが、とは言わんが。それにしても、もう少し調べておくべきだったかなぁ。今更遅いのだけれども。
「ええ、それでしたら、きっとこちらでしょう。ひときわ強い魔力が感じられます」
彼の視線の先、途中で参道から外れ、森の中に入る。常緑樹の多い、極相に近い森だ。シイの仲間に、早咲きの赤いヤブツバキ。誰かが植えたのか、白い八重のツバキもある。
クマザサ(もしくはよく似た別種。ササの分類は大変ややこしい)を、ガサリと掻き分けつつ、ゆっくりと進む。
「……参道から外れた途端に、これとは、少しきついですね」
僅かに顔を歪めている彼に、私は声を掛ける。
「大丈夫? 戻る?」
「今更、戻るという訳にも、いかないでしょう。幸い、いくつかの魔術で、緩和は、できますから」
「……ごめん」
こんなに大変だとは、思っていなかったのだ。彼と植物について、会話する位の余裕がとれると思っていたのに。
「謝ること、では、ありませんよ。聖杯は、私も、確認しておきたい、ので」
そう言ってくれているけれど、本来彼に、私の話に付き合う義理など無い、と思う。では、結界に苦しんでまで、彼が大聖杯を見たいという理由は? そりゃ、万が一にでも、大聖杯に干渉できれば大きなアドバンテージになるけど。わからなさに、やや警戒の度合いをーー悲しむべきことだーー上げる。結局朝のことも、聞きそびれたし。今になってそれに気づいた私も間抜けだが。
しかし、いずれにせよ、進まなければならない。……
「
……やっぱり非対応。普通に令呪使った方が良いな」
「……歌? ……いいえ、その必要は、無さそうです」
「え? あ、あった」
絶妙に分かりにくい位置にあったが、暗く入り口は見つかった。転がり込むように中に入ると、やっと一息つく。洞窟の中までは、結界の効果は発揮されないようだ。若干拍子抜けしたが、やはり障害は少ない方がいい。
少し休んだ後、足元が悪いので、私は抱きかかえられたまま運ばれる。手の中の懐中電灯が少し重たいが、魔術を使って「泥」に気取られるのも好ましくないと、私から言いだしたこと。しかし聖杯戦争って、考えてみると何というキャスターハード。
(嫌な、気配がします)
(うん、本当だ)
昨日はああ言ったが、汚染されていないに越したことはない。汚染されていなかったら、一般人に迷惑かけない範囲で根源でも何でも目指せばいいと思う。けれど、この、私にさえ入り口近くなのに何かおかしいと思わせる様子。聖杯が正常である確率は、極限まで0に近いだろう。
何時の間にか、口数は減り、思考は重くなる。そして、これ以上は危ない、と本能的に感じられる位置まで、辿り着く。生身の私がきついのだから、サーヴァントであるテオは、もっと不味いはずだ。
(これ以上は危険だと思う)
(結界を展開すれば、もう少し進めるかもしれませんが)
(やめておこう……使い魔か何かで奥の映像撮って、記録できる?)
(……可能です)
テオが水晶の燕を放ってからの、恐らく十分弱。今まで経験したことの無い程に、長く長く感じられた。
燕を捕らえようと泥が伸び、それを使い魔が回避して、元の進入口が見えた時点で……私との視覚共有は解かれた。
(違う違う違う……!
とにかく目の前のモノを否定したくて、けれどもそれが悲しくて。そうしたくなくて。私はひたすらに首を振る。
(
(え……?)
今、何を言った……?
私の、恐らくテオも、心は惑乱したまま。それでも、零された言葉。問い質そうとする前に、使い魔が帰って来た。もうこれ以上ここにいたくはないと、示しあわせずとも同時に立ち上がる。
帰りはひたすら無言だった。聞きたいことも、言いたいこともあったけれど。
結界の強制力さえ、復路には無いかの如く。洞窟を出ても、行きとは比べものにならないスピードで、私を抱えたままテオは進み。
参道にさす陽光が、とても眩しい。
参道に戻った後、恐ろしい速さで石段を登りきって、柳洞寺の境内。二人、ベンチに横並びに座っている。
まだ、無言のまま。