始業式から一週間が経った。相変わらず暑いままだが、この一週間で蝉の鳴き声はだいぶ小さくなって、少しながらも秋の兆しが見え始めている。僕たちも、ようやくいつもの「日常」を取り戻しつつある、そんな日。
坂の木々はまだまだ青々と葉を伸ばしている。色づき始めるのはまださきだろう。
「…………で、一人チンピラに絡まれてかつあげされてる人がいたからチンピラをかつあげ仕返したんだよ。ま、一人からだからそんな稼げなかったけどね」
「結局やったんだ!」
「あはは、ちゃんと本人に返したよ、五割は」
「もう半分は?」
「俺の手数料。渚君だったら友達割引で二割でいいよ」
「まず絡まれないように気を付けるよ!」
そんなたわいない会話を弾ませつつ校庭に入る。
「ん………あれなんだ」
カルマ君が何かに気がついた。その視線の先では、数人集まってなにやら話している。
「磯貝君と岡野さんと速水さんと竹林君と…………真ん中に倉橋さんもいる?あの組み合わせは珍しい感じがするけど……………」
見た感じ、明るい雰囲気では無さそうだ。こんな朝からどうしたんだろう。
突然、カルマ君が走り出した。
「ちょっと見てくるよ!」
「あ、待ってよ!」
慌てて僕もそれについで走り出した。
先に着いたのはカルマ君だ。
「あー……これは…………」
何かを納得する。
僕もすぐに追い付いた。
「はぁ、はぁ、……………。で、いったい何事?」
カルマ君含め、倉橋さん以外がこちらを向く。
「渚…………朝っぱらから気持ち悪いもの見たくなけりゃ見ない方がいいよ」
速水さんがそう忠告するが、そうはいったって見ないわけにはいかない。その輪の中に入る。
「え…………これは…………何?」
見てもなんだかすぐにはわからなかった。赤黒くて、ぐちゃっとしたものが飛び出した何か。息がないのは確実だ。毛が生えていることから動物だってことはわかるけど、それが何の動物かはよくわからないぐらいまでめちゃくちゃだ。
「ほんとひでーよ、これ」
磯貝君もうつむき加減だ。
「始めに見つけたのは僕だ」
竹林君が言った。
「学校に来たときに、何か落ちてるな、って思って見に来たらこれが落ちていた。切り口がかなり鋭いことから凶器はナイフ。肉が無くなっていないから動物の仕業じゃないことは確かだよ」
「驚くほど繊細だよ~」
カルマ君は何か気づいたようだ。
「切り口が全く汚くない。外側は滅多刺しだけど、それに比べて臓器はきれいに取り出されてる。普通、取り出そうとしたらぐちゃぐちゃになるよ。臓器って見た目よりも崩れやすいんだ」
「それ経験談じゃないよね………」
カルマ君の経験談でないことを祈る。
そしてようやくこの動物はリスだったんだ、と気がついた。大きさからだけで判断したけど。
「……………絶対に許さない………」
小さな呟きが聞こえた。小さいけれど、それは確かな意思を持って。それは僕が今まで聞いたことのない声だった。
「………こんなことして…………絶対に許さない……殺してやりたい……………」
声の主は倉橋さんだ。一番傷ついたのは倉橋さんだろう。僕たちだって少し腹が立つこの事件。だったら動物好きの倉橋さんにとってどれほど辛いものなのか。
「お、落ち着いて陽菜乃ちゃん!そうだ、あっちいって少し休も?ね?」
慌てて岡野さんが止めにはいって落ち着かせようとする。意外にも、倉橋さんは特に抵抗する様子もなく岡野さんと速水さんに付いていった。
その様子を僕たちはただ見送る。ここには僕と業君と竹林君と磯貝君の四人が残った。
「……………誰がこんなことを」
「動機は恐らくムシャクシャして、とかなんだろうね。全く、朝から最悪の気分だよ」
「でもね、なんでリスなんか選んだんだろうね」
「…………どういうこと?」
「というか、なんでわざわざこんな捕まえにくい動物を選んだのかってことだよ。俺だったら捕まえる時点で苛々しそうだけどね」
「…………リスに恨みがあったとか」
「さあ。そこまではわからないよ」
「だとしたら、烏間先生か誰かに伝えるべきじゃないかな」
「そうだな、俺行ってくるよ」
磯貝君がバッと走り出す!
「あ、待って!」
でも僕はそれを止めた。
「ん?どうした、渚。殺せんせーならすぐ突き止められるだろうし……」
「誰がやったかを突き止めた後どうするの?」
もし突き止めたとして、その人はどうなるのか。寺坂君のときはむしろ良くなったけど、今回もそうなるとは限らない。前回と状況が違う。特に、倉橋さんがどうするかが不安だ。
「……………またもとに戻れるの?」
「でも…………………このままこうしてたって何も変わらないよ」
「俺は渚君に賛成だな。この一回で済めば事故だった、とかいって倉橋さんにもいくらでも誤魔化しが効くし」
こういう時のカルマ君は本当に強い。喧嘩と機転においてこの教室でカルマ君を上回る人はいないだろう。
「…………確かに殺先生に伝えるのは早計かもしれないね。事を大きくする前に僕達に出来ることがあるかもしれない」
「………わーかったよ、じゃ女子達に伝えてくる。倉橋がどうするかわからないけど………」
そう言って磯貝君は走っていった。何かしないといけない、という思いが強いのだろう。
「…………ひとまず埋めるか、このまま置いとくわけにはいかないし」
「うん……………」
その後、校庭の隅に穴を掘ってリスを埋めた。
三時間目、生物の時間
「……………と、このように生物には自己修復機能が備わっていまして、………」
倉橋さんは相変わらず元気が無い。岡野さんと速水さんがフォローしているからまだみんなにはバレてないと思うけど。それでも少し違和感は残る。
「…………蜥蜴の尻尾を切り落としても再生するように、人の臓器も復活することが……」
ガタッ
ダンガッシャーン
え?
音の出所に目を向けると、机の脇に倉橋さんが倒れていた。それも、ただずり落ちたのではなく、意識が遠退いたように。倒れてからも起き上がらない。
「にゅ、にゅやっ!倉橋さん!大丈夫ですか倉橋さん!」
マッハで殺せんせーが駆けつける。こういうことに慣れていないからか、やけにアワアワした様子だ。
周りの人も声をかけるが、倉橋さんは起き上がらない。
「み、皆さん落ち着いて下さい!こういうときは深呼吸です!スーハースーハー…………」
「殺せんせーが一番落ち着いて!」
「何よ、騒がしいわね」
騒ぎを聞き付けたビッチ先生がやって来た。
「あ、ビッチ先生!倉橋さんが…………」
「どれ、私に任せなさい。これでも各国を渡り歩いてきたんだから」
ビッチ先生が倉橋さんをジーっと見つめて言った。
「男子だったら私の目覚めのキスで起きるだろうけど…………女子だとその行為自体問題になりそうだし………」
「ビッチ先生にも良識あったんだ!でも役に立たない!」
「お待たせしました、先生は落ち着いたから大丈夫です!」
いつの間にか殺せんせーは白衣姿になっている。
「着替えはいいから早くして!」
急かされた殺せんせーが触手を倉橋さんのおでこに押し付ける。
「…………熱は無さそうです。ただ、顔がやけに白い。貧血でしょうね。イリーナ先生、倉橋さんを職員室のソファーまで運んで寝かせてください。少したったら目覚めるはずです」
「わかったわ」
ビッチ先生が倉橋さんを運んでいく。
「さぁ皆さん、倉橋さんは大丈夫です。授業に戻りましょう!」
皆いそいそと席に戻る。
その中で─────僕ら五人だけはそれがただの貧血じゃないことを薄々勘づいていた。
放課後────授業から解放され皆思い思いに行動している。カラオケに行く人、喫茶店に行く人、まさに千差万別。
茅野さんは神崎さんにアーケードゲームで挑むようだ。大丈夫かな…………。
しかし、そんな中、一人早々に帰ろうとする人もいる。
僕は荷物も持たずにその人の後を追う。校門を潜って直ぐの所にその人は歩いていた。
「待ってよ倉橋さん!」
倉橋さんが振り向く。
三時間に倒れたあと、昼休みを挟んで五時間目には授業に戻ってきた。それでも具合が良くないことに変わりはないだろうし、何より朝のこともある。
「ん?渚、どうしたの?」
その表情はいつも通り────に見えた。ただ、何となく暗い感じがする。でも、いつも通りの顔をされたらどう声をかければいいかわからない。
「……………………大丈夫?」
「あー多分大丈夫だよ。貧血もそこまでじゃなかったみたいだし?」
「……うん、そうならよかったよ。」
「私このあとちょっと用事あるから。じゃね~。」
「うん、また明日。」
僕も手を降り返す。
そして、学校の業君達の所に戻ろうとしたその時────。
「───もしも本当に辛くなったら、その時はお願いね、渚。」
「え?どういう─────。」
僕が振り返ると既に倉橋さんは坂を下り始めていた。