「全部倉橋さ──────」
一瞬何が起こったか分からなかった。
頭が地面に打ち付けられ、息が出来ない。
─ああ、倉橋さんに殴り倒されたのか。
「やめろ………やめろ…………!」
首にかけた手に力がこもり、さらに僕の首が絞まる。
「っ…………」
倉橋さんの手をどかそうとしてもどかせない。
「何度も何度も…………殺す度に後悔したよ!」
今日見たのは─────やっぱり倉橋さんだった。
みんなにわからない、と言った。あの時、僕はなんでこんなことしたのかがわからなかった。だって……ずっと……………………やっぱりわからないよ。
「なんで…………」
一瞬手が弱まった。
「でもそうしないと自分が保てなくなりそうで………それが怖くて……………」
また手の力が弱まった。いろんな動物だったのは捕まえるのに苦労しないぐらい習性を理解していたから。内蔵が綺麗に取り出されていたのはそれだけ中身に関する知識があったから。全部、倉橋さんじゃないと出来ない芸当だ。もしかしたら、カルマ君はもう気づいているのかもしれない。察しがついた上で、カルマ君なりに解決方法を探していたのかもしれない・
「もう、あんなこと続けるぐらいなら死んだほうがましだよ………」
その時、僕はちょっと危険な考えに行き着く。確かにうまくいくかもしれないけど…………失敗すれば状況が更に悪化するような。
ええぃ、もうどうにでもなれ。
「じゃあさ、死んでみる?」
「……………へ?」
倉橋さんの手から完全に力が抜ける。
その手を退かし、立ち上がって言った。
「死んだほうがましなんでしょ、それなら、今すぐここで殺してあげるよ。」
「え?な、渚?」
─一回殺せば勝ち。つまり、今の倉橋さんを一回殺せばそれで終わるんだ。
「ちょっと待っててね。今台所から包丁取ってくるから」
「ち、ちょっと渚?なにいってるの?」
「大丈夫、一瞬で終わるから」
棚の扉を開いてステンレスの包丁を取り出す。
「ナイフがないから、まぁこれでいいか」
「ねぇ渚!?何してるの!?」
「安心して、痛みは感じないよ」
台所からリビングに戻る。手にはステンレスの包丁を携えて。
「い、いや…………」
倉橋さんが明らかに怯えているが、それを無視して近づく。
「渚……ね、冗談でしょ?本気でそんなことするわけないよね、そうだよね?」
逃げたくても、うまく立ち上がれないようだ。
僕だってこんなことしたくない。でも、引き返せる訳もなし。
「ああぁ…………待って…………近づかないで…………」
僕は倉橋さんの目の前にたった。
「じゃ、殺してあげるよ」
包丁を振り上げ───────そのまま落とした。
「ひっ……………え?」
「今さ、死ぬことに対して怯えてたよね。ってことはまだ死にたくないんじゃないの?」
「え…………は……」
「今僕は死にたがっていた倉橋さんを殺した。死のうと思っちゃ駄目だよ、絶対に」
だから──────きっと僕は後二回倉橋さんを殺さなきゃいけない。
「あぁ…………もう…………今本当に怖かったんだから……」
涙が倉橋さんの顔を伝って落ちる。
良かった、うまくいった。これできっと──────。
「教えてよ、倉橋さんが考えてること。全部。そうすれば僕も助けになれるかもしれな」
「無理だよ、……」
そんな僕の言葉を遮って倉橋さんが言った。
「え?」
うまくいくなんてのは幻想だった。
「毎日毎日殴られ蹴られ、消えることのない罪悪感に蝕まれて………………その気持ちが渚に理解出来るの?」
僕がやったのはひとまず倉橋さんが死なないようにした、ただそれだけ。たったそれだけのことで解決するなんて、そんな甘いものじゃなかった。
「でも…………やっぱり、…………」
「……………じゃあさ、渚が誰か殺したと思ってみてよ。それは誰でもいい。親でも、先生でも友人でも。」
「……………………」
「その気持ちなんだよ?私がずっと感じてるのは。毎日四六時中」
そう言う倉橋さんの声があまりにも悲痛に満ちていて──────何も言えない。
「確かに私は動物愛護者じゃなし食べるために殺すことに抵抗は無いけど…………なにより許せないのは自分の快楽のために生き物を惨殺すること。…………だから、それをした自分が誰よりも憎い。そんな自分が許せない」
これはきっと倉橋さんの本心だろう。本心だろうけど、全部じゃない。倉橋陽菜乃という人間の、たった一部。倉橋さんを理解するなんてのは思い上がりだったんだ。そもそも、理解しようとしたのが間違い。
「じゃあ僕には何が出来るの?」
「…………渚は私を安心させてくれた。それは感謝してるし、すごいことだと思う。でも、やっぱり他人が人に出来るのはそこが限界なんだよ。」
…………それでも、何か出来ないのか。
このまま傍観しているだけじゃ……。
「……じゃあ倉橋さんはこの後どうするの?」
「…………わかんないよ………あの家に戻れる気がしない…………もう戻りたくない…」
「…………でもきっと最後には戻るんだよね…………」
「そうだけど……でも…………」
「……………」
「ごめん、今日はここまでにしない?私が…………もう疲れちゃった」
「うん……じゃあ…………」
「ここのソファーで寝ていい?」
「ああ、うん、じゃあ…………お休みなさい」
「お休みなさい」
僕は電気を消してリビングを出た。
─最悪だ。
何にも出来なかったどころか余計に悪くなった気がする。ちょっと考えれば出てくるのは言い訳ばかり。こんなんじゃ、誰かを助けるなんて到底出来ない。
そのことが悔しくて───悲しくて───。
僕で無理なら誰かに頼るしかない。まだ誰か起きてるだろう。
電話をかけようと携帯を開く。
こんなときに頼りになる人は…………ああ、なんで気づかなかったんだろ、人じゃないけど一番頼りになる先生がいるじゃないか。
すぐさまその番号に電話する。
トゥルルル
「はい渚君、待ってましたよ」
この先生は本当に見通している。
「殺せんせー、僕は…………どうすれば良いでしょうか……」
多分殺せんせーはこのことを全部理解している。もしかしたら、今もマッハで監視してるかもしれない。
「渚君…………人を助けるには人を理解しなければいけない。難しいのは当然です。」
「やっぱり……」
「ただし、君はもうほとんど理解している。この教室を通じて、わかったことも多いはずです。暗殺の基本を思い出しましょう。まずは自分の強みをはっきりさせる。そして敵は何かを見つめる。最後に、自分の才能を生かした戦術を立てる、この三点です。これだけで、渚君ならできるはずですよ」
自分の強み…………さっき倉橋さんは僕には落ち着かせる才能がある、と言った。それを生かすには─────。
「ありがとうございます。やるべきことが見えてきました」
たった1~2分なのに、やるべきことが見えてきた。つくづくすごい先生だ。
「よろしい。明日の報告、期待してますよ」
さて、勝負は明日の朝だ。それに備えて僕も寝るとしよう。