俺達姉弟はとても仲がいい。
正確には、姉さんが一方的に俺を溺愛しているって感じだけど。具体的には 俺が1年生の時に書いた『ぼくの大すきなおねいちゃん』というこっぱずかしい題名の作文を額にいれて飾ったり、趣味は俺のことを心配することだって言くらいにはブラコンだ。これは本人が以前聞いてもいないのに熱く語ってくれたから間違いない。
まぁ、世間一般でいう過保護というやつだろう。
俺の一日は、そんな姉さんの布団を引っぺがして起こすことから始まる。
「おはよう、姉さん。ほら、もう朝だよ」
「うぅーん……、あと5分だけぇ……」
「うん、いいよ。じゃあ俺は勝手に準備して学校行くからね」
「起きるっ」
ガバッと勢いよく姉さんが布団から飛び出す。こういうところは扱いやすくて助かる。
「かえで~、きょうのあさごはん、なに~?」
「ご飯と味噌汁と焼き魚だよ。それよりも姉さん、眠いんだったら別に無理に起きてなくてもいいんだからね?」
「ううん。おきる~~……いっしょにごはん~」
姉さんを起こした後は、自分の弁当と、朝ごはんを作るのが俺の日課だ。
弁当に関しては姉さんは自分が作りたがってたけど、姉さんに任せたらそこかしこにハートが散りばめられた、新婚のリーマンの愛妻弁当みたいになるので却下した。
15分も経つ頃には完全に覚醒した姉さんと2人で朝ごはんを食べる。
「あっ! まだお味噌汁熱いかもしれん! お姉ちゃんがふーふーしたげるからね!」
「いや、そのくらい自分でやるよ…」
心配されているっていうのは分かるけど……そういうのは、なんというか困る。この年にもなって人にふーふーされるのは流石に恥ずかしい。
そして姉さんに見送られながら学校へ行き、授業を受ける。休み時間は寝たふりをしているけど、誰も話かけてこない。みんなコミュニーケーション能力ないんじゃないの?
「楓くんっていつも授業が始まるとすぐに起きられるからすごいよね」
「違うわすずか、あれはね? 寝てるんじゃなくて、あいつなりの祈りのポーズなのよ。ああしていればいつか誰かが声をかけてくれるって信じてるのよ。成功率0だけど」
「そうなんだ! じゃあ話しかけなきゃ起きないんだね! 今のうちに靴下貰ってくるね!」
何故かは分からないが、足元で荒い鼻息を感じたかと思うと、続いて勢いよく靴下が引っ張られた。やめろ、脱がすな。その靴下を持っていってもサンタは来ないぞ。
帰り道、普段の帰宅路で『XⅡ』と書かれた綺麗なビー玉を拾った。あんまりに綺麗だったから一瞬宝石かとも思ったけど、こんな所に宝石が落ちてるわけないよね、常識的に考えて。
ビー玉を片手で弄びながら帰っていると、不意に後ろから声をかけられた。
「それを……ジュエルシードを渡してください」
声の主は黒い服に金髪の可愛い女の子だった。じゅえるしーど? ……ああ、もしかしてこのビー玉のことかな? だとしたら勝手に持って行ったことを謝らないと。
「ごめん、落ちてから勝手に持ってっちゃってた。これ、君のだった?」
「いや、そういう訳じゃないけど……母さんがそれが必要だって」
女の子はどこかおどおどとした様子で答えてくれた。さっきからあんまり目も合わせてくれないし、あんまり人と話すことに慣れてないのかも。もしかして
「……ま、いいや。はい、どうぞ」
「……いいんですか?」
本当なら落としたものは一度交番に持っていくのが正しいんだろうけど……まぁ、別にいいだろ。ビー玉くらい。
「別にいーよ。元々俺のじゃないし」
それにウチ親いないからさ、お母さんの為とかって……なんというかちょっと羨ましい。というのは言わないでおこう。初対面の人にするような話じゃない。
「ありがとう…よかった……。今度はあの人達が来る前に回収できた……」
「あの人達? もしかして君の他にもそのビー玉を探してる人がいるの?」
「はい……えっと、私と同じくらいの年の女の子と、意地悪なことばかり言うフェレットが……」
女の子が嫌なものでも思い出したような表情を浮かべる。
意地悪なフェレット……ってどういう意味なんだ?
あ、自分にだけ噛みついたりしてくるとかかな?
「『チッ、女か。どこかその辺で待ってなよ。後で適当に相手してあげるからさ、なのはが』とか『生憎だけど僕はホモなんだ! 魔法少女に興味なんてないね!』って言ってくるんだ……」
「そりゃ確かに嫌だわ!」
なにその予想の遥か斜め上を行く意地悪!?
意地悪というか、怖いよそのフェレット。
事情は分からんけど、全世界の少年少女に同時に喧嘩売ってんじゃん。買いたくもないけど。
「ま、まぁ、きっとフェレットの世界にもいろいろとあるんだよ。いろいろと。腹立つだろうけど、動物相手だし大目に見てあげよう?」
「じゃあ君はもしそのフェレットに『ホモーニング!』って元気よく挨拶されたらどうする?」
「無言で川に突き落とす」
「……私も次からそうしよう」
無言で女の子と熱く握手を交わす。なんだか知らないうちに変な友情が芽生えたみたいだ。それにしても、ツンドラとブラコンとストーカーの次はホモかよ。世界はいつの間にこんなことになったんだ……。
「え、えっと……これ、XⅡとかかいてあるけど、何個かあるものなの?」
少し強引だけど話題を変える。だって健全な小学生二人がホモの話しててもしょうがないじゃん。
「はい、えっと……全部で21個あって……」
21個……もしランダムに町にばら蒔かれてるとしたら、一人で探すにはちょっと酷な数だ。
「本当は探すの手伝ってあげたいけど、俺もちょっと事情があってさ……。でも、もしまた見つけたら必ず連絡するよ」
「!! ありがとうございます!!」
「うん。大変だろうけど頑張ってね。俺も出来る限り気を付けてみるからさ」
ペコリと可愛らしくお辞儀をする女の子に手を振りながら、再び帰宅路につく。
久しぶりにまともな人と会話したおかげか、ちょっとだけ足取りが軽くなった気がした。それにしても可愛い子だったなぁ。また会いたいなぁ。えっと、たしか……
「……あっ、名前聞き忘れた……。これじゃ連絡取れないじゃん」
足取りはまた重くなった……。
「楓ー、お風呂行こー」
「いいよー、ちょっと待ってー」
姉さんは生まれつき足が悪い。
この家は姉さんの体に合わせたバリアフリーデザインなので、姉さん一人でも問題なく生活できるのだが、人の助けがあるに越したことはない。
例えば、風呂もそうだ。湯船に入ること自体は出来ても、そもそも服の脱ぎ着がままならない。
実際、姉さんとは生まれてから風呂には一緒に入った記憶しかない。流石に俺もこれは介護の一環として割り切ってるので、あんまり恥ずかしいという事はなかった。
「お姉ちゃんが髪の毛洗ったげる! あっ、あと体も! と、特に前とか…フヘッ」
……そう、恥ずかしくはない。ただ時々イラッとくるだけで。とりあえず今も身の危険を感じたので、フェレットよろしく湯船に突き落としておいた。
続いて俺も湯船に入ると、今度は後ろから抱きつかれそうになったので、今度は冷や水をぶっ掛けておいた。
「か、楓も最近逞しゅうなってきたな……。アリサちゃんとかすずかちゃんのおかげかな?」
あと間違いなくアンタのおかげだよ。
「じゃあ平和な恋バナでもしよか。楓は誰か好きな人とかおらんの? 誰やって好きな人くらいいるやろ? 言うまで出ていかさんからな」
うわぁ、めんどくさいわこの人。
というかこっちはそもそも好きな人ができるほど知り合いいないんだよ。知り合いなんて精々……
「あっ」
自分でもどうしてか分からないけど、今日ビー玉を上げた、お母さんの為に頑張っているというフェレット嫌いの女の子のことを思い出した。
「好きな人とかはいないけど……友達なら1人当てができたかな」
「友達!? 楓に!?
また今度家にも招待せな! お姉ちゃん、腕によりをかけてご馳走作るで~!」
もう完全に反応がお母さんのそれだな。本人に言ったら『お母さんやのうてお姉ちゃんやの!!』ってキレるから言わないけど。
「それで、その男の子はなんて名前なん?」
「あ~、実は女の子なんだ…」
「オンナノコ! なんや可愛らしい名前やねぇ」
頬に手を当ててあらあら、と姉さんが微笑む。あくまで認めないつもりかこの人。
風呂から上がり、姉さんの体を拭いてから着替えさせたら、後はもう寝るだけだ。
2人の部屋においてある二段ベッドの上が俺、下が姉さん。
もっとも、姉さんにせがまれて下の段で二人で寝ることがほとんどだけど。例えば今日とか。
「お姉ちゃんが子守唄歌ってあげよか?」
「いや、流石にこの年で子守唄はいいよ。はずかしい」
子守唄で寝かしつけてもらう小学3年生とか絵的にちょっと痛すぎるだろ。しかも姉さんの子守唄はやたらと替え歌を仕掛けてくるから笑って眠れないんだよ。
「そっかぁ…楓ももうすぐ9才やもんな……。もうお姉ちゃんの子守唄なんて…ヒック……いらんよなぁ……エグッ…。でもお姉ちゃん、楓に喜んでもらいたくて……!」
「姉さん、今日は日本昔ばなしのやつがいいな 」
姉さんの表情がパアッと明るくなる。
人間っていいなだと? そういうのはボッチを知ってからほざけ畜生風情が。
「……楓、もう寝てもーた?」
「……起きてるよ」
夜の12時。案の定姉さんのカオスな子守唄のせいでとても寝ることは出来ず、笑いをかみ殺しながら起きるハメになっていた。絶対にこれ明日思い出し笑いする。前も一回恥じかいたから本気で止めて欲しい。
「……なぁ、楓。ごめんな。お姉ちゃんのせいやんな……楓はこんなに優しい子やのに」
姉さんが不意にそんなことを漏らす。
なんのこと? なんて野暮な事は言えない。無論、俺の交遊関係のことだろう。
前々から薄々とは感じてたけど、どうやら姉さんは自分の存在が俺の重荷になっていると思っているようだ。
実際、今までクラスメイトから遊びに誘われることが無かった訳じゃない。自惚れでさえなければ、当時は休み時間に俺が誰と遊ぶのかを巡ったいざこざさえあったくらいだ。もちろん、放課後も。
でも俺はそれをすべて断り続けてきた。
ごめん、今日は。明日も、明後日も――と。
学校が終わった以上、家に姉さんを一人で残して置くわけにはいかなかった。
そしていつしか、俺は遊びに誘われることは無くなっていた。もっとも、嫌われてる訳じゃないとは思うけど。こっちから話しかければ普通に笑顔で返してくれるし。バニングスさん以外。
「でも……楓はいなくなったりせぇへんよな? お父さんとお母さんみたいに……」
姉さんの声は、すこし震えていた。
やっぱり姉さんだって俺と同じ子供なんだ。
誰も側にいないのは寂しいし、一度手に入れたぬくもりを失うのは、怖い。特にそれが、経った一人残った肉親となれば。
本当なら今この場で姉さんを抱き締めて、ずっと一緒だよ、だなんて言ってあげたかった。
でも、それはできない。
俺は姉さんを支えはするけど、逃げ道にはならないって決めたんだから。
「……少なくとも、姉さんがいい人見つけるまでは側にいるよ」
結局、自分でもよく分からないような答えを出すことしかできない。
それでも姉さんはにっこりと微笑んで応えてくれた。
「そっかぁ…じゃあやっぱりずっと一緒やね。お姉ちゃん、楓より素敵な人なんて絶対に見つけられへんもん」
「……そうなの?」
それはそれで、すこし問題がある気がする。
「うん、無いよー。私にとって、 楓以上の人なんて、絶対におらんしー」
そこまで言って、姉さんは一度言葉を区切る。
「……ごめんな。ほんまは私が楓に、お姉ちゃんのことは気にせんでええんよ……なんて言えたら良かったんやけどなぁ……。やっぱり、お姉ちゃん楓がおらんと寂しいわ」
「……俺も、友達がいないのはいいけど、姉さんがいないのは嫌だ」
俺達姉弟はとても仲がいい。今日だってお互いの絆を確認しあったばかりだ。
だからこそ――その次の日に『彼女たち』が現れたのはは皮肉としか言いようがないだろう。