2012年12月21日。
世界の終わりを目前にして。

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世界の終わる五分前に

 散らかり切った机の上で、砂時計を逆さに置く。

 木製の柱に四方を囲まれた硝子の中、細かな砂は音も立てずに流れ落ち。下段に生じた砂山は、天蓋から降り積もる新たな砂粒の重さに崩れ落ちてはまた、一回り大きな砂山を成して。

 繰り返し、繰り返し。廻る事象は、その砂が全て流れ落ちるまで終わることなく。逆に言えば、それは、時が来れば必ず終わりを迎えるということで。

 積み重なった無数の欠片は、いつか終わりを迎えるという点も含めて歴史の流れのそれに似ている。しかし、千、二千と続く歴史と比べれば、ここにあるのは本の僅か、須臾の時間。綴られゆく年表に載りもしない名前を抱き、誰にも知られることなく生を終える。そんな、ちっぽけな人生をこの、小さな器の中に見出しては鬱に浸る。

 時の流れは、残酷で。手垢に塗れた表現ながら、その言葉は的確に、時間と言う存在がなんたるかを示していて。

 しかし、それが五分。たったそれだけの時間で、硝子の中の小さな世界の、崩壊と、再生は終わりを告げるのだ。

 世界の終わり。それは正しく平等に、全人類、全生物の上に降り注ぐ筈の、一事象。誰かが生き残ることも無ければ、誰かだけが死にゆくこともない。全ての生を包括し、一つの束にして呑み込む、そんな幸福に塗れたものであることを祈りながら、落ち行く砂を見つめ続ける。

 

「何、砂時計なんて引っ張り出して」

「……世界の終末までのカウントダウンよ」

 

 砂時計を眺め続ける私に、聞きなれた声が掛けられ。態々視線をずらさずとも、声の主が誰かなんて分かり切っている。私と同じく大学生活を謳歌し、部屋を共にするルームメイト、その人である。先程まで風呂に入っていたからか、その温もりと共に、微かなゆずの香りを漂わせている。後片付けが面倒だと言っていた癖に、実際に入ってみれば満更でもなかったようで。その温もりもそのままに、いそいそと台所へ向かう。

 

「今日が、その日なの。ニュースでもやってたじゃない」

「いや、ニュースは見たけど……普通に冬至でいいじゃない」

 

 2012年、12月21日。ある文明の暦が終わり、それと共に世界は終わる。

 そんな、出処も分からぬ噂は瞬く間に世界を覆い。真偽はその日が終わる瞬間まで分からぬものの、噂がこの星を、その掌の中で弄ぶことに成功したのだけは確かで。

 幾多の人々が噂を信じ、どれだけの混乱が生じたのか。私にはそれを計る術も無ければ、報道番組で流れる情報以外に、頼るあてさえ無い。

 

「てか、もう終わるじゃないの。21日」

「まだあと五分あるもの。世界の終わりは、残り五分できっと来るわ」

「来るわけないじゃない。そんなもん」

 

 カップ麺を片手に、彼女は私の隣に座る。熱気を封じ込める薄っぺらな蓋は、その裏に貼り付けた鉄の色を僅かに覗かせ。溢れ出した湯気の霧散する様子を呆と眺めながら、彼女はその頬に拳を当てる。

 

「いいじゃない、一度くらい世界の終わりを体験しても」

「一度しかない終わりを、こんなところで使い切りたくないわ」

 

 最も、である。

 

「でもでも、世界の終わりよ? この世界に存在してきた全生命の中で、それを経験することが出来るのは私たちだけなのよ? ほら、わくわくしてこない?」

「こない」

 

 頬杖をついたまま、片手で器用に割り箸の袋を開ける彼女。砂が落ち切るにはまだあるというのに、気の早いものである。

 物に溢れた室内。私と彼女の二人でのルームシェアによりフローリングの小綺麗な部屋は、存在価値も無いに等しい小物に溢れた魔窟と変わり果て。壁に掛かった古臭いデザインの時計が、そんな魔物の洞窟にカチリ、カチリと無機質な音を落としている。

 刻んだ時は、短く。長針が一つ目盛りを進めるその前にまた、彼女はその口を開く。

 

「大体、世界の終わりって何よ。ぱっと、一瞬でシャットアウトするのか、それともゆっくりと時間をかけて壊れるのか。隕石でも落ちて来るの? それとも、地震? 雷でも火事でも親父でもいいけど、そう簡単に世界が終わるわけがないじゃない。映画じゃなし」

「因みに、親父は台風のことだからね。大山風(おおやまじ)の略だってさ」

「それ、デマよ。大山風なんて言葉は無いわ。親父で合ってるの」

 

 冷めた口調で語る彼女は、唯々、立ち上る湯気を見つめるばかりで。喜び勇んで聞き齧っただけの知識を披露した私に華麗なカウンターをお見舞いしたと言うのに、その表情には愉悦の欠片さえ見出せはしない。感情が死んでいるのではなく、私の戯言なんぞよりも目の前の食事の方が大切なだけである。無情な。

 

「……そんなに、カップ麺が大事か」

「来もしない終末を待つ時間より、お腹を満たしてくれる食事を待つ時間のほうがよっぽど建設的なの」

 

 それもまた、最もである。最もであるが故に、喰いつく隙さえも見当たらない。せめてもの抵抗にと頬を膨らませてみても、彼女の瞳の温度を数度下げただけで。自分で投げたナイフに心を穿たれ、傷心のままに机に突っ伏した。

 

「……あんたは、世界の終わりの何が楽しいの」

 

 机に顎を乗せた私に、彼女は言の葉を投げる。

 暇つぶし、なのだろう。私の返答に大した期待もしていないのであろう彼女の視線はいつしか、私の砂時計に向いていて。彼女に倣って半分程の砂が流れ落ちた硝子の器を視界に捉えながら、私はこの、世界の終わりに向けた期待を語る為に口を開いた。

 

「……さっきも言ったけど、世界の終わりを体験出来るのは、この時代に生きる私たちだけな訳じゃない。過去の人々は勿論、世界が終わったあとには誰も生まれてきたりなんてしないのだから、未来にも世界の終わる瞬間に立ち会う人は存在しないわけ。それは、いいよね」

 

 適当な相槌と共に、彼女は私の言葉に耳を傾ける。

 

 しかし、それだけじゃない。世界が終わる瞬間、その瞬間に私たちは……全人類、全生物は、全く同じ体験をするのである。宗教的な神話によって共有された歴史でもなければ、全世界で大ヒットを飛ばした映画による世界観の共有でもない、完全なる体験の一致。それは、誕生や死と言うイベントしか成し得なかった……否、それ等でさえ成し得なかったことであって。全生命が、全く同じ時間に、全く同じ事象によって死を迎える。世界の終わる、その瞬間にしか成し得ることの出来ない、人種も性別も貧富の差も幸も不幸も全部、全部平等に。そんなかけがえのない一瞬を、私達は迎えることが出来るのである。

 

 語る私に、彼女は一切口を挟まず。唯々、何処か宗教めいた私の言論を受け止めてくれている。

 

 世界が終わる瞬間。それは、全ての国が、人々が『世界』という言葉で一括りにされる瞬間なのだ。

 戦争放棄、平和主義。言葉だけでは成し得ぬ、全世界の願いの成就。世界の崩壊は、そんな夢物語を叶える力を秘めている。

 

「それに、世界の終わりを信じるということは、それ自体がとても、夢のある行為なのよ」

「……破滅願望者にとって、じゃないの」

「いいえ、死にたがりさんだけじゃなくて、現代社会全体に言えることだわ。世界の終わりを信じるということは、それは即ち現代の科学では追いついていない、人知を超えた力の存在を認めたことになるのよ。科学的に見れば、確かに世界の終わりはあり得ないものでしょう。だから、実際に世界の終わりがくるとするならばそれは、科学なんかじゃ測りきれない力によるものと言うことになる。それ故に世界の終わりを信じる人は、幻想的な世界を追い求める夢見人と言うことになるのよ」

 

 終末を信じる者、信じぬ者。短き生の終わりを嘆き、絶望に暮れる者。耳にした戯言を嗤い、冷めた目で世界を見つめる者。

 一体、何方の刻む時間の方が、浪漫に溢れたものなのだろうか。過ぎ去る喜楽に、悲哀の色を鮮やかに描き出す者達か。それとも、感情などを捨て去り、目に映る事実と、無機質な論理だけを抱きしめ続ける者達か。

 私は、前者を選ぼう。最後の最後まで……それが、事実上最後とはならなかったとしても、一時の感傷を、感動を、感情を。その全てに笑い、泣き、憂いて生き抜きたい。

 日常に舞い降りた、非日常の欠片に精一杯手を伸ばし、掴みとることは叶わずとも追い求めて生きるのだ。

 熱意を以って語る私に見向きもせず、その弁にへえ、と、気の抜けた返事を返す相棒には目もくれず、まくし立てた勢いに乗って立ち上がってみれば、机の端を膝で蹴り上げて。乗っていたアルミ缶の転げ落ちる音と共にカップ麺の汁が零れる様を見た隣人は、無言のまま私の鳩尾に、その鋭い拳を突き入れた。

 

「熱くなり過ぎない。私の大事なお蕎麦に……てか、あんた」

 

 彼女の視線の先にあるのは、転がり落ちたアルミ缶。印刷された文字は、棒線交じりの片仮名三文字。

 

「飲んでたんかい」

「ちょっとよ、ちょっと」

「ビール四本はちょっとと言わん」

 

 飲み始めたのは、一時間ほど前のことか。一口、二口と飲むごとにふわりふわりと浮かび上がった思考を縛り付けることなど出来はせず。彼女へ向けて延々とくだを巻く語り上戸と成り果てていた次第である。

 道理で、と呟く彼女は、呻く私を尻目に台所へと向かい。

 戻ってきた彼女のその手には、よくよく冷やしたビールが一本。

 

「それ、私が買ってきたのに……」

「素面であんたの話を聞くのは疲れんのよ」

 

 それはつまり、私の相手をしてくれるということなのか。ぶっきらぼうの上に冷めた心を持つ彼女だが、その冷たい態度が隠す本心は存外優しいものであって。酔っ払いの戯言、大概面倒に思っている筈ではあるのだが、いつもこうして話し相手になってくれるあたり、彼女の根の優しさを伺い知れる。

 

「まだ何本か入ってたでしょ。あんたも持ってくる」

「あいよー」

 

 ふらつきながらも冷蔵庫に向かい、目当ての物を何処に入れたかと彼方此方を漁る中、また、彼女の言葉が私の鼓膜を揺らす。

 

「世界の終わりばかりに目を向けてるけど、今日が本当は何の日かわかっているのかしら」

「世界の終わる日よ」

「違う。今日は元々、暦の終わる日。一つの周期が終了し、また、別の周期が始まる日よ。つまり、今日は」

 

 プシユ、と。

 炭酸の抜ける音がやけに、大きく聞こえて。

 ようやく見つけ出したビールの缶を片手に、元いた席へと舞い戻る。

 

「言わんとしてることは分かったわ。つまり、今日は終わりの日でもあるけれど……」

「そう。新しい周期の始まり。新しい世界に生まれ変わる日。どう、こっちの方がよっぽど、夢のあることだと思わない?」

 

 彼女が、割り箸を割る。見れば、砂時計の砂はあと、僅か。

 

「私にもちょっと頂戴よ。お蕎麦」

「ん」

 

 机の上に転げていた割り箸の袋を破り、私も一つ、乾き切った小気味良い音を立てる。ついでに開けたビール缶を彼女にへと掲げる。

 

「明けましておめでとう。これからも、よろしく」

「此方こそ……明けまして、おめでとう」

 

 揺蕩う麦酒の重みを乗せた、柔らかな金属の衝突。小さく鳴ったその音は、名残惜しくも過ぎ去って。消えゆく音の響きに微かな憂いを感じながらも、今は、目の前の悦楽を飲み下すことだけに思いを向ける。

 

 開かれたカップから立ち上る湯気。蕎麦つゆの香りが鼻腔を擽っては、まだ知らぬその味への期待を膨らませて。

 

 全ての時計の針が重なるその瞬間に、私は。そっと、その砂時計を逆さに置いた。

 

 

 





 ほのぼの日常系。
 世界の終わりに便乗して。


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