雪革命〜プラウダ高校の愉快なイワン達   作:氷川蛍

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貴女のオフラーナ

 マリーニャはカチューシャへの嘆願を明日までに出すようにと、マトリョーシカ姉妹を焚きつける作戦演説をぶちまけた後、自分の学舎である冬宮に戻る帰路にいた。

学校艦は冬の海に停泊しているわけで、海上から来る風にとって唯一の遮蔽物である船には遠慮のない寒波を走らせている。

雪が石畳を走り舞踊るのを足下に見ながらの帰り道だった。

建築工学科が詰める冬宮に向かう道は、石造りで階層の高い店舗と、その上は学生寮として使われるアパートメントが並んでいる。

学校関連の建物は各々の主義の形に統一されており、文化服飾科が詰めるモスクワ様式の方は色気も装飾もない白目の石をパネルにしてはめ込んだ素っ気ないもの。縦へ伸びるラインに合わせた作りと、一つ落ちくぼんだラインに窓を着けるというレゴブロックのような建物。

スターリンゴシックはそういう上に伸びる尊大さはあるが美しさも暖かさもない建物だった。

見た目のつまらなさにマリーニャはマフラーに隠した鼻をならした。

 

「装飾もアーンゲルもいないなんて……冷たい建物なんて……大嫌いよ」

 

 中国式に比べれば遊び心もある建物だが、やはり平面構造を重視した作りと、柱の頭飾りのワンスターを入れるお決まりなどは、冬宮の美しさやそれに準ずる東欧の町並みに似た味わい深い情景には程遠く、人間味を感じないとマリーニャは考えていた。

 時より吹雪く風、隠した暖かな呼吸が細かな細工を付けた眼鏡を曇らせる。

レンガの重なった台座に風溜まりがあり、そこを上がったところが建物の風よけになっている。

道をそれてしばしの足休めをしコートにかかった雪を払う。

内地に降る重い雪とも、積もり海の水気を帯びた雪とも違い、ダイヤモンドを織り込んだように輝くパウダースノーは手に付くことなく少しの風に飛ばされていく。

 

「……寒い……」

 

 街角の風よけ、そこから眺める屋根上。

星屑のように白い空の下に舞う雪達を、マリーニャは無理矢理細く俯く形で作っていた糸目を解き本来の愛嬌ある丸い瞳に戻して見ていた。

 

「カザリン……私、貴女のためだったら学校の半分を敵に回したてって平気よ」

 

 それは先ほどの回廊でノンナに言った言葉だった。

自分の忠告をはぐらかすように、静かに笑う黒髪のスノービューティー。

プラウダ高校全生徒の中で一番背の高い彼女は、小さなマリーニャの忠告に対して振り返ると翡翠の瞳を近づけて言った。

 

「真面目な生徒を追い詰めるものじゃないわ」

 

 曖昧な口元、仄かな笑みは敵対者である事を隠さないノンナらしい顔だった。

当然マリーニャも自分のしている事が文化服飾科に対しての敵対である事を知っていると答えた。

 

「学校の半分が敵になるから? それがどうしたと言うのですか。私は生徒会執行部の一人として生徒会長カザリンの意思を代行しているだけ」

「だとしたら貴女の中にある使命感はこんなに熱いのに、カザリンは酷く冷たい事をやらせようとしているのね」

「失礼を言わないで私が望んで行っているの、口に出さなくてもカザリンの心はわかるのよ」

「そう……ハートが燃えているのね」

「至って冷静よ。貴女はどうなの? カチューシャさんのために生徒会の、いいえ建築工学科の全生徒の前に立てるのかしら?」

 

 自分を物理的にも上から見る位置にいるノンナの視線に噛み付いた。

マリーニャの顔を確認するように静かに姿勢を正したノンナは背中を向けると。

 

「私は、そんな事を望まないわ」

 

 一言そう告げると隙間風から注ぐ粉雪の中を歩いて行った。

 

 

「知ったような事言わないでよね……ノンナ」

 

 三十分程度前の事だったが、マリーニャの心には背を向けたノンナの姿が忌々しく残っていた。

話し合えなかった事で自分の本心をはき出せなかった痛みがあった。

大きな声で言ってしまいたいといつも思っている事、言いたくても言ってはいけない気持ちを。

思い出し、それを告げたら学校に居られなくなってしまうと自分を諫めていた。

 言ってはいけない……自分の事などと。

吹雪く風の下、プラウダ高校に来るまでの道のりを思い出していた。

それはマリーニャと成った自分への回帰の記憶だった。

 

 

 

 

 

「拾子(ひろこ)……なんてどうです。旦那様」

「好きにしたらいい」

 

 その声を聞いたとき、背筋は凍えて本当に自分はいらない子だったのだと気が付かされた。

最北のここよりずっと南、九州の名家。

そこに、いないと言われ続けていた自分の父親がいると知ったのは、女手一つで自分を育ててくれた母がこの世を去ったその日の事だった。

唯一の遺品となった薬指のリングを抱いて泣いていた小さな肩を叩いた男が、母を捨てた父だったと知らされたときにあったのは救いではなく、希望を確実に見失う道の始まりだった。

 母一人子一人の家庭だったが不満はなかった。

優しい母が居てくれて、学業成績の良い自分は学校も奨学金で通える所を選んで負担にならずやっていけると……そう思っていた矢先だった。

母は名家の当主である父の……お手つきさんだった。本妻から追い立てられ仕事を失って岡山の山奥に、逃げるようにして流れてきた人だった。

そんな事を一つもしらなかった。母から何もしらされていなかった。

そんな過去がある事など、今際の時まで一言も告げなかった事だけが鮮明に思い出される程。

「何時も二人でがんばっていこうね」という言葉だけを残した人だった。

母は……自分を産んだことで宝を授かったと笑い励ましてくれる人だった。

父親なんか居なくて良かったのに……悔恨が心に影を落とし始めていた。

母の死と共にやってきた、父と名乗る男に引き取られた。

母しか身内がいなかった者としてそれは一理の救いだったが、同じく地獄の始まりでもあった。

それまで使っていた……母からもらった大切な名前を捨てさせられた。

「当主様の家に合う名前をあげます」

それが拾子だった。

鼻で笑う話しだった。

拾い子だから拾子、当主の妻はまだ健在だった。自分を拾ったのは一時的にでも夫の愛を奪った女への復讐のためだった。

毎日陰湿な虐めは続き、心は深い洞窟をくぐるように闇の中に沈んでいった。

 

「ここにいたら私は狂ってしまう」

 

 逃げなくては……母と同じように、負け犬のように逃げないと。

名家の子達は九州でも有名高である黒森峰に入学が決まっていた。

学力ではなく。名家の力での入学が。

義理の姉妹達と同じ学校に行くことを父は進めたが、そんな地獄には行けないと心に電撃を流すような、痺れる強い拒否反応を示した。

同じ学校に行ったら……姉と名乗る本妻の子達に手足のように使われて一生をダメにする。

そう考えた、まだ14才の時に。

幸いにも勤勉だった事は脱出のチャンスをもたらしていた。

九州からずっと遠い最果ての学校……プラウダ高校へと

家の姓を汚すことなく、そして自主独立と卒業後の仕事への布石も兼ねて奨学金まで用意されているプラウダ高校に、その年一番の成績で入学した。

逃げて最北に飛んだ。

父は、出て行く拾子の姿を悲しそうな目で見ていた、それが不可解で不愉快な記憶として残った。

 

 プラウダ高校に入った最初の印象は、この一言に過ぎた。

寒い……

最北の学校であるプラウダの気候は、資料を見て理解していたものを越えていた。

入学案内だけで肌を刺す寒さなど伝わるわけもなく、ただ呆然と白い闇に放り出された事を確信した時、天涯孤独の身となって逃げてきた心は急に蝕まれた。

 

「私……どうしてこんな所に来ちゃったの……」

 

 入学式を終えて一ヶ月。

暖かだった母を失い、居場所をなくし、名前も失った。

逃げてやってきた場所は孤独には辛すぎる凍てつく海の上だった。

なんの仕度もなしに来てしまったため、支給された制服はあるものの寒さを凌ぐにはまったくたりず、凍えて歩くうちに、唯一の拠り所だった母の指輪を雪の中に落としてしまった。

指先は針を刺されたように痺れ、雪に触れるだけで気を失いそうになる。

小さな指輪を探すには途方もなく深く痛い雪に、涙がこぼれた。

 

「お母さん……お母さん……お母さん……寂しいよぉ……」

 

 母に似ていたから何度も本妻に撲たれた。

それが怖くて目を伏せて糸目に見えるようにしたうえに、眼鏡で表情を隠した。

自分が生きる事で精一杯になって、母を亡くした事をじっくり考える時間がなかったが、こんな形で心は解放され溢れ出した思い出に膝から崩れて泣いていた。

 

「貴女……どうしたの?」

 

 その声はかかったと同時に、蹲っていた拾子の肩を抱きしめていた。

 

「具合が悪いの? 歩ける?」

 

 涙でボロボロになった顔を、プラチナブロンドも美しい青い眼が見つめていた。

今までならば弱い所を見せないようにしてきた自分に戻れたはずなのに、この時は戻れなかった。

自分を抱いた手の暖かさを実感してしまったから。

凍えた口は、声まで凍らせてしまったのか、青くなった唇から少しずつ答えた。

 

「……指輪、母の形見の……大切な指輪を落としてしまって……」

「どこに!! 探してあげる!!」

 

 そういうと彼女は、寒空の下でコートとジャケットを脱ぐとカッターシャツの袖をまくり上げて雪に手を突っ込んだ。

なんの躊躇もなく、自分の悲しみを掬いあげる手助けをしてくれた人。

それがカザリンだった。

その日、カザリンは指輪探しで中庭の雪を全部溶かすほど働いた。

途中から我に帰った拾子が、悴んだ手で弱々しくも諦めようと袖を引いたが聞かなかった。

 

「大切な指輪なんでしょ、ダメよ簡単に諦めちゃ。そうでしょ!! わたくし間違った事言ってる?」

「いいえ……お願いします……」

 

 今と変わらない強い意志を示すピンクの唇と真っ直ぐな視線は、弱気になっていた顔を頬を両手で掴んで励ました。

濛々と汗と熱気を滾らせた顔は自信満々で笑って見せると雪に触れすぎて、冷たくなった指先で涙の跡をなぞった。

 

「お母さんの指輪、絶対に見つかるから」

 

 そう言って日が暮れるまで雪を掘り、ついに指輪を探し出した。

 

 

 

 

 

 

「マリーニャ、どうこの名前は?」

 

 学校での道科の履行を選ばず拾子が望んだのは、生徒会の仕事だった。

プラウダ高校で科される授業外履行の道科は多くが畜産や農業、工業に水産その他多くの科業があったが何にも目をくれず生徒会を選んだ。

それは生徒会役員議士会にカザリンの名前があったからだ。

自分の心を救ってくれた彼女の近くにいたい、もっと彼女を知りたいという吸い付くような好奇心が芽生えたのは産まれて初めての事だった。

戸惑いながらも開いた生徒会室の重い扉の向こうに座っていたカザリン。

 その時までプラウダ高校で使う名前のなかった拾子に、特別な名前を用意してまっていた。

ロシア民謡から取られた名前は、母が授けた名前を包み込むステキなもの。

 

「はい……はい、マリーニャの名前、頂きます」

 

 あの日、拾子はカザリンのためにマリーニャとして生まれ変わった。

 

 

 

 

 

 翌日マトリョーシカ姉妹は、昨日ノンナに届けられたハーフコートを羽織り、頬を赤くした顔を並べて、シベリ屋からの階段を上がっていた。

姉を風よけに、背中に引っ付いて歩く姿は、どこから見ても滑稽で真新しいコートを着ていることで余計にその姿は強調されていた。

 

「いやー、ぬくいべやー」

「お姉ちゃん方言!!」

「気をつけてよー」

「ベスナ姉から方言は一生取れない気がしてきたよー」

 

 同じ顔を並べながらも、歓声に大きな違いを持つ四姉妹。

ポロリと要所で方言が出てしまうベスナは、後ろに並ぶ妹達に口を尖らせた。

 

「こんなにぬくいコートがあったらよ……気持ち緩むぅてもんでねか」

「気持ちじゃなくて口が緩んでるよぉ!! 脳みそから方言エキスだだ漏れだよ!!」

「試供品貰えて嬉しいのはわかるけどー、シベリ屋からの解放は遠いぞー」

「この試供品のせいでレポートという宿題も増えたのに……」

「なんのぉ、あんた達ねぇ、レポートとかそんなぞんざいな事を言ったらダメさ、このコートはホントは……」

「あれなに?」

 

 身振り手振りを交え大げさに話す歩みの遅い姉を追い越したジマーは、校舎入り口にたまる生徒の群れを指差した。

だが、ベスナはなんら気にする事なく先に進んでゆく。

 

「見てかないの?」

「行くとこ有るからいっぺよ、先に教室いきなよー」

 

 抜けない方言のまま、陽気な顔を膨らんだ餅のように赤くして走って行く姉の後ろ、残された姉妹達は掲示板にたまる声に不安を募らせていた。

 始業時間には早いが、暖のある教室へ向かわない姿に異様を感じ、声色が重い空気を作り出している事を敏感に察知していた。

 

「何かあった?」

「今期はグラジュダニーンの修理はしないって……春までドック待機にするって事らしいよ……」

「修理しない……なんで?」

 

 恐る恐る、直接掲示板を目に入れない位置で学友の肩を叩いたリエタの背には不安を激しく打ち付けるムチが走っていた。

 

「なして……なしてグラジュダーニンが……」

「やっぱり……うちら関係やからかな?」

 

 プラウダ高校が所有し北海道と内地を行き来する連絡船の一つ、グラジュダーニンは春先の流氷に削られ船底の修理が望まれていたが、戦車道の試合もあって修理自体が先送りされていた。

試合の終わった今、これから更に厳しくなる冬に向けての修理が急務であったにも関わらず、今期は修理しないという通達がされた事にオセニとリエタは震え上がった。

 内地と学校艦を繋いでいる連絡船はなにもグラジュダーニンだけではない、なにせ最北の巨大学校であるプラウダ高校、持っている連絡船は5隻あり他にも用意されているが余力のある連絡船の中で、名指しで修理をしない事には深い意味があった。

 グラジュダーニンは文化服飾科所属、その中でも戦車道を履行する生徒が占有している船、戦車の修理さえ予算編成の蚊帳の外とまことしやかな噂が流れ始めていた所にきて、きつい楔を心臓に打ち付けられた気持ちになり一瞬足下をふらつかせたリエタ。

心を凍えさせる告示に目眩を起こすオセニ。

二人の苦痛にかけられたのは静かで冷たい声だった。

 

「これら生徒会と自治会の決定です。無用に騒ぎ立てることなく、良く内容を理解してください」

 

 顔を見合わせる生徒達の前にいたのはマリーニャだった。

白のコート、青色のステッチを入れ、背に回るリボンを靡かせた小さな副会長は鈍い照明の下で眼鏡を輝かせて言った。

 

「生徒会は予算を平等に割り振るための努力をしております。今回はその精神に基づき決定された……一部の事例です」

「事例って何よ!! なんでグラジュダーニンの修理が後回しなのよ!!」

 

 噛み付いたのはジマーだった。

末っ子としておとなしくも、言いたい事は大砲の弾がごとくズドンと突き刺す態度でマリーニャの前に立つと。

 

「他の船があるとしても……こんなの狙い撃ちでやっているとしか思えないわ!! 戦車道履行の私達に対する嫌がらせ……」

「理由はご存じのハズでしょう」

「このまま戦車も治さないつもりなの!!」

「そうですね、一部の事例と言いましたから……そうなる可能性もありますね」

「信じられない……こんなの横暴すぎる……」

 

 衆群を前にしてマリーニャには一部の震えもなかった。

むしろ自信という刃を並ぶ生徒の喉もとに突きつける態度、斜に構えた首で冷徹一本気の薄い唇に強い意志を乗せて言葉を返した。

 

「横暴とは生徒会が時として振り上げねばならぬ絶対の力です。同じように断腸の思いでもあります。貴女達はいったい今まで何をしていたのですか? 自分達の責任者の言う事に右向け右では独裁政党と変わりませんわよ。きちんと筋を通さない独裁者が今の状況を招いた。何もせず従ってきた貴女達はそれを望んでいたと見られても仕方の無い事……私の言っている事、間違ってますか?」

 

 カザリンの言葉を真似てダメ押しをするマリーニャ。

集まっていた服飾科の生徒達は流氷の嘶きのごとく苦悶の深い顔を晒していた。

 戦車道、プラウダ高校代表カチューシャ。

隊長の言う事は絶対。いつの間にか出来上がった独裁を、戦車道を履行する文化服飾科が甘んじて受け入れ、それで今までやってきたと指摘する眼鏡の輝きに言い返せずに。

唇を光らせる策士の甘味は、今一度息を呑むと掲示板の前に並んだ生徒に渇を打ち据えた。

 

「貴女達の放置が招いた結果です。そしてこれは結果の一部にしかすぎません。予算には常に限りがあり、優先されるのはここプラウダ高校に誠実である者と決まっているのですから。貢献も少なく生徒会に恭順もしない道科に対して当たり前の答えを出したにすぎません」

 

 いてもたってもいられない事態だった。

雑木林を抜ける乱れた風のように、生徒達の声は困惑の息を流し、その灰色の森の中でリエタとオセニは真っ青になっていた。

マリーニャの言い分は間違って居ない、生徒会との話し合いにカチューシャが参加しなかった結果は悪い賽の目を出し、ここに現されたと直感していたからだ。

自分の前に立つジマーの姿にマリーニャの視線は絶対零度のままだった。

焦りで重々しい熱を纏う戦車道履行の生徒達の前で、リエタとオセニの顔を見つけて変わらぬ冷たさはトドメの楔を解き放った。

 

「行動は迅速に、それは全てのことに共通する……せっかく貴女に注意したのに残念だわ」

 

 先日、言えば12時間程度前にマリーニャは注意していた。

それはすぐにでもカチューシャの背中を押し、生徒会との会議に向かわせろという忠告。

親切心だったとでも言わんばかりの目は、糸目のままさらに顔を伏せると背を向けていた。

 

「今日の今日ならば……あるいわ……」

 

 背中を向けた小さな戯言。

粟立つ生徒達を尻目に出来る愉悦でマリーニャは自分の笑みを堪えていたが、唇には意地悪く歪んだラインがあり、隠しきれない勝ちの一手を浮かべている。

 一方で刺された楔のダメージが迅速にリエタの心を蝕んでいた。

仁王立ちのジマーの後ろで、飛び出しそうな心臓を抱いた体は、止まってなど居られないという想いで生徒の間を割って走っていた。

 

「いや!!! 絶対に嫌!! 同志をなおしてもらう!! 隊長に言わなきゃ!!」

 

 早い駆け足で弾丸のように飛んでいくリエタの後をオセニも顔を赤くして付いていく。

二人の姉を送ったジマーは幾分冷静な眼差しで、学舎の門を出て行くマリーニャを見送った。

最初に怒鳴った分だけ早く冷静になれたが、事態がのっぴきならぬ方向に動いたことだけを深く実感していた。

元を正せば自分達がフラッグ車を守れなかった事にまで行き着いてしまう諦観で。

 

「……同志、大丈夫……私が治すよ……」

 

 そう呟くとトボトボと教室とは別の車両倉庫に向かって歩いて行った。

 

 

 

 

 

 明るい鼻歌交じりでトルソーにイメージを膨らませていたカチューシャの機嫌は、断崖絶壁から突き落とされたように深く重く激しく不快感に蜷局を巻かせていた。

目の前には道科を共にする後輩のリエタとオセニが立っている。

占有する部屋のドアをたたき割らん勢いで入ってきた二人の言葉に、菱目はより細く尖がらせ怒りを鋭利に研ぎ上げていた。

 

「それで……私に生徒会に出頭しろと」

「出頭というか……話し合いに、じゃないと戦車が直せないという事に……、じっ……事実グラジュダーニンの修理が見送られました。これは……」

 

 勢いはあったが、小さな暴君を目の前にして二人は少しだけ正気に戻っていた。

焦りの気持ちだけを抱いて、予算の事をまくし立て、カチューシャの生徒会会議招集不参加で戦車道が不利益を被っているという事を遠巻きながらも小石を投げ込むように告げた。

詰まっていた辛みを吐き出しても空にした胸に不安の靄を渦巻かせている二人を、菱目の刺す視線でカチューシャは見つめていた。

 

「あの……このままだとKV-2は治されずに春まで……手つかずのままって事にも成りかねないです」

「だから? だったら春になってから治せばいいでしょ」

 

 鼻に小じわを詰め、不機嫌を晒した顔はプイと目線をそらして言い放った。

投げ捨てるような視線、自分達からそらされた顔にリエタとオセニの抱えていた不安は、はち切れていた。

自分達を見ない隊長、同じように同志も見ないという態度にも重なって、乗りだし作業机に両手を叩きつけていた。

 

「……待てないです!! カチューシャ隊長は今大会で退役だから、後の事なんかどうだっていいのかもしれませんが、同志(KV-2)にはまだこの先の試合だってあるんです!! わたすたち同志がこのままなんて……」

「あんたたちの同志じゃないし!! どうだっていいなんて思ってないわ!!」

「だったら!! どうすて……生徒会の会議に出てくれないんですか? 生徒会長は話し合いをしたいと……そういうの無視するのはなんのためですか?」

「……それは……カザリンは……」

 

 カチューシャは斜めに顔を背けたまま口を尖らせていた。

カザリンは苦手だ。

それは嫌悪する相手という意味ではなく、相対する者の出来不出来に関係なく上に立つ者的に相手に接する、その態度が苦手だった。

もっと言えばカザリンの前に生徒は平等であり悩める生徒の良き理解者として君臨する聖人君主ぶりがカチューシャの性格とはフィットしなかった。

 それにリエタやオセニより同級生として知っている分だけ相手の本当の要求はわかっていた。

おそらく呼び出ての公式な謝罪というのはお茶を飲んでの座談会で、懲罰とは新しいタイプの制服についての意見交換、または自分に着せてみたい程度の事。

それに付き合った後に、おまけとして予算の話しをするぐらいなのはわかっていた。

本当はそんな程度の話しで全てを水に流してしまうカザリン。

だから頃合いを見て、友達付き合いぐらいしてやろうと考えていたカチューシャだったが、今回に限ってここまで突っ込んだ行動で自分を呼び立てる事に苛立ちはマックスになっていた。

 手をついて作業台に地震を起こしたリエタに向かってT字定規の断罪が振り落とされる。

刀のように真っ直ぐに、机を叩いたその後、カチューシャは口から牙を剥いて怒鳴った。

 

「うるさいわね!! カザリンに会うぐらいがなんだってのよ!! 会わなきゃ生徒の要求がわからないようなら、そんな生徒会長なんか粛正してやるわ!!」

 

 突然の激高はリエタにもオセニにも、刃向かう言葉を発する時を与えていなかった。

高い作業台に添わせた階段型のイスから飛び降りると真っ直ぐ開かれたままになっていたドアに向かって歩く。

 

「今から!! 会ってやるわよ!!」

「しゅ……粛正するんですか……」

「粛正してやるわよ、あいつのねじ曲がった会見要求ごと全部!! ノンナ!! 行くわよ!!」

 

 素早い足で目の前を走って部屋を出るカチューシャの言葉に、リエタもオセニも震え上がっていた。

震えながらも必死の手がカチューシャの腕に縋っていた。

 

「お願いです、あの、粛正なんてしないで……話し合いをしてください……お願いです……」

「話し合いという粛正をするのよ!!」

「いえぁああ、その話し合いだけにはならないものでしょうか?」

「じゃあ話し合いを置いておいて、粛正だけにしてやるわ」

「置いておく方が違いますぅぅぅぅ!!!」

 

 雷帝の怒りは神速の行動に走っている。

手を伸ばし縋る二人を振り払い、ドアを飛び出していくカチューシャ。その後ろをいつの間にか控えていたノンナが付いていく。

 

「まっ待ってください!! あの……」

「コート、どう?」

 

 リエタとオセニは二人してドアに走って挟まっていた。

間抜けな事に二人してドアから飛び出そうとして。

冷静で居られない事態を巻き起こしたマリーニャの言葉に心は心棒の部分から振り回されて嵐のまっただ中にいたが、ここにはもっと大きな雷鳴を伴うストームが待っていた。

切り返して粛正に向かうと走るカチューシャの姿に、挟まったまま身動き出来ずに呆然としている顔にノンナはもう一度聞いた。

 

「コート、暖かい?」

「はい……暖かいです……」

「そう、良かった」

「……良かったって……あの……」

 

 切迫している二人の前で、クルービューティーは瞬きもしない目で小さく良しと頷くと、駈けていく主の後に従っていた。

残された二人はドアの前でへたり込んでいた。

事態はフル回転で周り過ぎて頭がついて行かなくなっていた。

ただ話し合いをして欲しいという嘆願をしただけなのに、まさか粛正に出かけられるなど思いもよらなかったし……どうしてそんな事になってしまったのかなど、今更考えようもなかった。

力無く項垂れた二人は顔を合わせると、下がった眉の同じ顔を見て余計に疲労を増し、そのまましな垂れどちらとも無く言った。

 

「教室……行こうか……」

 

 

 

 

 

 ノンナを従えて玄関を飛び出し、一直線に冬宮に向かうカチューシャを確認したマリーニャは大笑いをしていた。

ここまでを確認する必要があったのと。

ここまで自分の策が必中する愉快さに、戦車がある倉庫の影で笑っていた。

 

「やっぱりただのバカだわ、そうやって猪のごとく生徒会にたてつくがいいわ。礼儀知らずで、所作の道を理解しない粗暴である所を存分に見せてくれたらいいわ。そうして……私達生徒会に罰せられ、権限剥奪を受けるが良いわ」

 

 乗り付けてきた馬を横にマリーニャは自分の胸を抱えて誇らしく感じていた。

カチューシャが飛び出した所を確認できた今、急ぐ事はない。冬宮の側で簡単に入室できないようにする手は打ってある。

そこでさらにカチューシャが怒りをぶちまけてくれれば儲けものという話しだった。

無礼者には、その無礼に見合った罰を与えられると。

 白い息を弾ませた声、自分の張った策謀の糸が十分に張り詰めている事に紅潮する頬。

カザリンは優しすぎる。優しすぎるから口では予算を削るなどと言うが実行はしない。

今までどおりの支給が行われる事は決まっていた。

プラウダ高校に来た生徒が生き生きとした活動を続けられるのならば、多少の事には目をつむってしまう程の大きな器でもある。

そもそも今回の事も全国大会連覇という重荷を背負うカチューシャに、心身共に大きな負担がかかっているのではないかという心配に端を発していた。

大会に集中するためにも生徒会が上にたち、戦車道を統括する事でもっと自由に活動が出来る方が望ましいのではという程に……だから風紀委員の仕事を肩代わりし、持ち出し車両の採決を許した。

いつだって生徒の事を考えているカザリン。

小言に文句を言っても相手を知って許してしまうカザリンの心を、マリーニャは独自の理解を働かせていた。

相手の優しさを知っていて、無理難題を通し、なのに生徒会の要請を無視するカチューシャが許せなかった。

負けても結果報告をきちんとカザリンを前に……してほしかった。

だから、そんなカザリンの気持ちを徹底的に逆撫でするような行動をカチューシャが取れば……その時は心優しき生徒会長を慕う建築工学科の者は元より、全生徒の前で処断を下す事が出来ると、それにより問題の種である者を粛正でき生徒会運営をよりスムーズに出来る。

 

「権限剥奪ってなんですか?」

 

 一人悦に入り携帯で冬宮に状況確認をしていたマリーニャに声をかけたのはジマーだった。

姉妹達と別れ、作業着を着込んでKV-2の修理をしていた所でマリーニャを見つけたのだ。

 

「……カチューシャ隊長の不名誉除隊という事よ」

 

 マリーニャは真ん丸な目で自分を見ているスス汚れたジマーに、感情の通わない棒読みな返事をした。

 

「……どうしてそんな事をするんですか?」

 

 不名誉除隊。プラウダ高校戦車道歴代隊長の名に連ねる事を許さないという発言にジマーの眉をしかめた。

 

「無礼だからよ、あんた達全員。生徒会長に対して感謝の心もなく、大会に出て負けて帰って来て反省もしない。そんな無礼者には罰が必要でしょ」

「罰……罰って、じゃあグラジュダーニンの事も戦車の事もカチューシャ隊長を解任するための……そのための嫌がらせだったんですか!!」

「そうよ!!!」

 

 張り上げた声を突き刺すような甲高くも棘の硬い声。

マリーニャは大きく首を右に傾げると、罰に対して非難の顔を見せるジマーに詰め寄った。

 

「嫌がらせとはずいぶんな口の聞き方ね。あんた達はね、ちょっとばかりプラウダの名を挙げたという功績に鼻をかけ、生徒会長をないがしろにする無法者なのよ。指定以外のその制服も、あの戦車に付いている校章モドキも止めて欲しいのよ。あんた達だけの学校じゃないのよ!! 迷惑しているのよ。指示が聞けないような道科の分際で戦車が治したいから予算を出せ? 話し合いをしようとする手を引っぱたいて無視して、そういう隊長を頂いてそれを良しとしてダラダラ過ごしているあんた達が許せないのよ!!」

「ダラダラなんて……ちゃんと訓練してます。一生懸命やってます!!」

「はぁ? 金食い虫の我が儘道科……一生懸命の結果で負けたの? あんな無様な試合をしたの?」

 

 何時もは理詰めで話す冷静なマリーニャが、白い息を燃えるハートの熱を放射するように吐く姿にジマーは後づさりしてしまった。

何かを言い返せる雰囲気はまったくなくり、冷たい風に自分達の置かれた状況が、戦車道の仲間が思っている以上に悪くなっている事だけを理解した。

言葉の力でジマーを追い詰めるマリーニャ。ジマーの体は揺れて、倉庫の壁にもたれて唇を噛んだ。

 

「私達だって頑張ったけど勝てなくて……学校にも期待してくれた生徒会長さんや生徒のみんなにも申し訳無いと……でも私達だって……悔しい思いを……」

「悔しい? 悔しいのはこっちの方よ。戦車道のせいでプラウダ高校はまたも名を落としたわ、息抜きしてわざと負けたのでしょ」

 

 思わぬ良いように、下がり続けた体を起こしジマーは言い逆らった。

わざと負けるなんて、そんな事はあってはならない事。

そんな気概で戦車にのっていないと、口をへの字に曲げてマリーニャの鼻先に顔を合わせた。

 

「そっただこと、わざと負けるなんて!! そっただことしませんよ!!」

「いいえわざとよね、だってあんた達姉妹は大洗女子を閉じ込めた後、踊ってたでしょ。焚き火してコサックダンスして、余裕見せて、相手に逆手取られて……それで負けたのよ。あんた達は弱い犬のくせにカチューシャの威を借りて吠えただけ、ただの負け犬は生徒会のする事に口出しをしないでよね」

 

 自分より背の高い相手を、マリーニャの糸目はいつも以上に鋭く尖ったナイフにして斬り上げていた。

押し殺したジマーの声と感情を滅多刺しにして顎を上げた。

 

「黙ってなさいよ、愚か者」

 

 強い楔にジマーは立っていられず、水に濡れた段ボールのようにペタリと座り込んだ。

呆然と下を見て、落とした顔から流れる涙の粒をマリーニャは確認して、後に何も言葉をかけずにそのまま冬宮に向かって歩きだした。

 ジマーを言論で叩きのめした顔は少し暗く、薄い唇を噛んで心を抑えていたが風に煽られ乱れた髪を押さえると、帰路の元近づいてくる冬宮に忠誠を立てるように言った。

 

「私は女帝を護るオフラーナ、汚れ役ならいくらでも買う。貴女のために……貴女の無償の愛を踏みにじる者を許さない」

 

 そして残されたジマーは大泣きしていた。

 

「わたし達だって……勝ちたかったさ……わざとなんてそっただこと……絶対に負けたくなかったさ……」

 

 吹く風の下で、決裂の大きな亀裂は姿を現していた。

 




人物の過去は多少必要だけど、ちょっと長い気がするのです。
次回で終わりたいです、ドーンと終わりたいです。ただせっかく愉快なイワン達なので……別の話も作りたいとも思ったりしてます。

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