ダンジョンに潜るのは意外と楽しい 作:荒島
「最低の気分だわ」
ミノタウロスにやられて一夜明けた、北東地区のある一室にて。
レベッカは俺が差し出したガントレットを見ると苦い顔でそう言った。
「ごめんな、壊しちゃって」
「別にアンタは悪くない。最低なのは自分に対してよ……鎧が簡単に壊れてしまうなんて鍛冶師の恥だわ」
ひしゃげ砕けた自分の作品を悔しそうに見るレベッカに慌てて口を開く。
あまりにショックだったのかその顔は赤く染まり、下手をすればそのまま泣き出してしまいそうだった。
「い、いや俺も助かっていたからそこまで自分を責めないでも……な?」
「絶っっ対無理!落とし前はちゃんとつけるわ!どんなモンスターにだって耐えられるものに打ち直して返してみせる!!」
「あ、熱くなんなよ……第一、俺ホントに金ないしあんまり払えないぞ?」
懐の寒さに冷や汗をかきながら、おずおずとそう言うとレベッカはキッとこちらを睨んだ。
「タダに決まってるでしょ!渡した初日に壊れるなんて鍛冶師の落ち度よ!どんな事があってもね!」
「え、マジか。ありがとう……でも本当に?」
「私たちはフェアな関係よ。遠慮はいらないっていったでしょ?私に非があるんだから、むしろやらせて頂戴」
「じゃ、じゃあ頼んだ」
「任せてっ」
あまりの気迫に思わず頷かされてしまった。
あれは気の強い女というより1人の鍛冶師の表情だったように思う。
あれが職人気質というものなのだろうか、と工房に引っ込む背中を見送っていると同じ部屋にいたおっさんが笑い声を堪えるのが聞こえた。
「……父親がそんな笑ってていいのかよ、おっさん」
「おうとも!こんなに嬉しいことはないからの!レベッカの奴、コテンパンにやられた顔しとった!!ぶわっはっはっは!!」
「酷えなぁ、おい」
「ん、酷い?何言っとるんだ、あいつの目に火がついとったのを見て俺が嬉しくない筈なかろうが」
不思議そうに首を傾げながら、おっさんは何でもないようにそう言う。
彼女がへこたれる女ではないことは分かっていたけれど、そんな事はおっさんには最初からお見通しだったようだ。
前に似てない親子だと言ったけれど、前言撤回だ。
やっぱりこの2人は親子なのだと、そう感じた。
「それはお前さんもだろう?坊主?」
「当ったり前だろ」
掛けられた言葉に食い気味に言い返す。
脳裏によぎるのは昨日の一方的なKO負けだ。
あのミノタウロスは助けに来た第三者に倒されてしまったようだが、網膜にはあの牛頭が焼き付いて離れなかった。
思わず拳を握り締めると、おっさんは面白そうに笑う。
「ふふん。男だな、坊主」
「男は生まれた時から負けず嫌いなんだよ」
「はっはっは!同感だぜ、坊主!……思いや俺ぁ、お前さんの拳を受けた事がねえ。一発よこしてみな、アドバイスしてやるぜ」
そんな突然の提案に目を瞬いてしまう。
「え、そりゃあ助言くれんなら願ったりだけど……おっさん大丈夫なのか?」
「ドワーフの耐久力分かっとらんな?Lv.1のひよっこにやられる程、ドワーフの男はヤワじゃねぇ」
「……言ったな?」
安い挑発だが、そうまで言うのなら乗ってやるのが礼儀だ。
スッと拳を構えると、腰を落として足を踏ん張る。
板張りの床が靴と擦れてギュギュと鳴った。
ベタ足で小刻みに体を振りながら、おっさんの差し出した掌を見据えると長く息を吐いた。
その余裕の笑み、驚かせてやる。
そんな思いと共に、右ストレートを振り抜く。
バコン!という音と共に拳にかつてないほどの重みが来た。
ステイタスが上がった影響か、歴代最高にパワーの乗ったストレートだ。
しかし、そんな俺の放てる最高のストレートはおっさんの掌にガッチリと掴まれていた。
思わず唖然としてしまう。
「なるほどのぉ、凄えじゃねえか」
「……マジか、完璧に抑え込まれるとか反則だろ」
「いんや。中々のもんだったぞ、坊主!Lv.1のパンチだとはとても思えん」
余裕そうにモジャモジャの髭を撫でながらそう言われても、全く嬉しくない。
ため息と共に拳を下ろすのを見ると、おっさんは腕を組んで口を開いた。
「鋭く重い拳だな。坊主、お前さんは偉く光るもんを持っとる。他の奴より階段抜かしで強くなっとるし、この街の誰よりも殴る事が上手い」
「……どうも」
「だが、どうもダンジョンでの戦い方を知らんな」
その言葉に口を噤む。
それは少し前から痛感していたことだった。
自分の戦い方は人型モンスターとは最高に相性が良い反面、人から外れた形のモンスターとの相性は悪い。
その上、ミノタウロスにはそもそも攻撃が効かなかった。
その事に何も感じなかった訳じゃない。
「でだ!ワシが少し鍛えてやろうか?」
「……おっさんが?」
「これでもLv.4だしの。何なら知り合いの奴を引っ張ってきてやってもいいが、どうだ?ん?」
願ってもない申し出だった。
思わず何度も頷いてしまう。
知り合いというのが誰を指すのかは知らないが、強者とスパーするだけでも得るものは大きい。
ただ、何故そんなに良くしてくれるのか不思議だった。
「んあ?そりゃあ、男の背中を押すのも良い男の条件だからなぁ!」
「何だよ、それ。おっさんらしいなぁ……嫌いじゃないけど」
くくくっ、と笑うとおっさんに右手を差し出す。
豪快な笑いと共に握り返された手はとても大きかった。
日が落ちて、街が薄暗闇に包まれた頃。
珍しくベルに『豊穣の女主人』に誘われて外に繰り出した。
酒場には気後れしていたのにどういう風の吹き回しかと思えば、何やら朝にあったらしい。
問いただせばしどろもどろになるベルを笑いながら、夜の街を闊歩する。
「目当ての女の子でも出来たか?」
「なっ!?そ、そんなんじゃないよ」
「へぇー、まぁいいや。行けば分かるし」
「ちょっと!?シルさんは違うからね!?」
相手はシルというのか、と心に書き留めながら慌てているベルを横目で見る。
何だか昨日を境に、ベルは変わった気がする。
今朝、「しばらく自分1人の力で挑戦したいんだ」と別行動する旨を告げてきた時には驚いてしまった。
ミノタウロスに遭遇したのが彼にどんな影響を与えたのかは分からない。
けれど、何だか覚悟を決めたような眼差しに少し楽しみになって頷いてしまった事だけは確かだ。
ベルも『男』だったという事なのだろう。
それに期待している自分がいる。
おっさんのこと言えないな、と思いながら思わずニヤけてしまった。
「さぁて、シルさんの顔を拝見するとしますか」
「ちょ、ちょっと待って!僕が先に入るから!」
『豊穣の女主人』は前来た時と同様、賑わっていた。
かわいらしい給仕の女の子の姿と、ガヤガヤとした喧騒はどこか心地よい。
その中で1人の女の子が駆け寄ってくると、ベルに向かって笑顔を向けた。
「ベルさんっ」
「……やってきました」
「はい、いらっしゃいませ」
見覚えのある顔だ。
ここに来た時に何度か彼女に配膳してもらった気もする。
ポニーテールが可愛らしい彼女が噂のシルさんなのだろうか?
「あら、前にドルフマンさんと一緒にいらした方ですよね?」
「ベルと同じファミリアのイットっす。どうぞよろしく」
「ご丁寧にありがとうございます。私はシル・フローヴァです、イットさん」
花の咲いたような笑顔は町娘という感じでとても魅力的だ。
ベルも引っ掛かる訳だ、と横目で見れば何だかオロオロとしていた。
良く見れば、口が「違いますよ」とパクパクしている。
まぁ彼がそう言うなら、そういうことにしておこう。
「お客様2名はいりまーす!!」
元気良い掛け声と、返ってくる返事に迎えられカウンター席に案内される。
目の前の女将さんに視線を向けられ、顔が引きつらせていると向こうもこっちを覚えていたようだ。
「そっちの子がシルのお客さんだね。黒髪の方は久しぶりじゃないか」
「どうも、女将さん……しばらくぶりっすね」
知り合いだったのかとベルは驚いているけれど、あまりその事は話したくないので適当に誤魔化す。
お店の品を弁償したとベルからヘスティアに話が伝わって、お説教されるのもごめんだった。
ついでに話蒸し返して女将さんにその話するの気まずいし、と元冒険者らしい彼女の太い腕を見ながらそう考える。
(にしても最近、冒険者がどれだけ強いかって何となく分かるようになってきた気がするな……)
適当に料理とエールを注文しながら、ふとそう思う。
今まで外見だけ判断していたものが、少しづつ肌で感じ取れるようになってきた気がするのだ。
例えば、そこら辺の冒険者の半分くらいは自分より弱い。
逆に女将さんは結構強いし、あっちにいるエルフの店員はめちゃくちゃ強い。
そんな風に観察出来るようになったのはステイタスが上がったからなのだろうか……未だにその仕組みはよく分からない。
ベルとシルが話し込んでいるので、そんな風に料理を食しながら周りを見ていると、にわかに店内がざわめいた。
また盗人でも出たのだろうか、と戸口の方を見てみると集団客が来たようだった。
種族様々な面相は見ていて面白いが、その力量を察して思わず視線が鋭くなる。
何でもないように振舞っているが、感じるオーラが別次元だった。
「ロキ・ファミリアさんはうちのお得意さんなんです」
隣からそんなシルの声を聞いてなるほど、と納得する。
名前だけは聞いたことがあった。
確かトップクラスの戦力を持つファミリアだったはずだ。
……いや名前を聞いたのはそれだけじゃなかったような、と隣のベルを見やれば必死に体を低くして隠れている。
「何してんだ、ベル……」
思わずボヤくも真っ赤な顔したベルから返事はなかった。
しかし、その劇的な反応から察するに確定的だろう。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン
あのミノタウロスをたった1人で討伐した少女がいるファミリアだ。
ベルはまだお礼を言えていないと言っていたので、思わず腰が引けたのかもしれない。
助けてもらった身として自分もお礼も言っていなかったなと腰を上げかけると、メンバーの1人が大きな声を上げ始めた。
「そうそう、アイズ! お前のあの話を聞かせてやれよ!5階層でミノタウロス始末した時にいたトマト野郎の話!」
ピタリと上げかけた腰が止まった。
隣のベルの肩もビクリと跳ね上がる。
「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際へ追い込まれちまってよぉ!可哀相なくらい震えあがっちまって、顔を引き攣らせてやんの!」
テーブルで男の笑い声が上がるたびにベルの肩は震えていた。
散々、馬鹿にされるような内容にその震えはどんどん大きいものになっていく。
そして、締めととばかりにその男は嘲笑と共にその言葉を口にした。
「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」
ポタリ、とカウンターに赤い滴が垂れた。
顔を上げずに震えているベルは、声を上げずに唇を噛み切っていた。
笑われた事にか、自分の無力さにか、恩人を引き合いに出された事にかは分からない。
しかし、その顔を塗りつぶしているのは『悔しさ』一色だった。
「……ごめんっ、イット先に帰るね……っ」
「おう。今日は奢っといてやるから、明日に備えとけ」
「……うん」
絞り出すような声を残して、彼はゆっくりと立ち上がる。
半ば駆けだすように店を出るベルにシルが声を上げるが、ベルは振り返る事もなくそのまま夜の闇に消えた。
カウンターの上の食べかけのスパゲッティーが少し寂しそうに残っている。
そのすぐ脇に点々と垂れた血を見ながら、思わず止めていた息をゆっくりと吐き出した。
そうでもしなければ、大声を上げながらキレてしまいそうだった。
「ねぇ、イットって言ったかい?アンタ、この店じゃ喧嘩はご法度だよ」
「……分かってるよ、女将さん。やるなら外でだろ?わきまえてるさ」
財布をカウンターの上に置くと、ゆっくりと立ち上がる。
食事代には少し高いが、迷惑料込みだ。
そのままロキ・ファミリアのテーブルに近づくと最初に気付いたのはベルをこき下ろしていた狼男だった。
「あ?何だ、テメエ?こっちは楽しく飲んでんだから部外者は入ってくんじゃねえよ!」
「アイズ・ヴァレンシュタインってのはアンタか?」
しかし、それを無視して金髪の少女に声を掛ける。
こちらに向けられた感情の薄い瞳は突然のことに少し驚いていたようだったが、コクリと頷かれた。
「礼を言わせてくれよ。昨日、アンタにミノタウロスから助けられたんだ……ありがとう、本当に助かった」
「?……私、白い髪の子しか助けてないけど?」
「その直前までミノタウロスとやり合ってたけど、やられちゃってな……アンタが来なかったら多分死んでた」
「そう……君があれをやってたんだ」
何か含むような視線を向けられるが、それを問う前に横から突然胸倉を掴まれる。
見れば顔を赤くした狼男がそこにはいた。
「おい、無視してんじゃねえよ雑魚!!ミノタウロスにやられたゴミに興味はねえんだよ、とっとと失せろ」
「……生憎だけど、俺はテメエに用があんだよ」
「何抜かしてんだ、あぁ?」
低くなる声色と共に睨みつけられるが、そんなこと全く気にならなかった。
激情が体の中をうねって仕方がない。
腸が煮えくり返っているというのはこういう事なのだろう。
体を構成する何もかもがマグマのように煮えたぎっている。
目を見開いて睨み返しながら、それでも感情を抑えて静かに口を開く。
「ベルを馬鹿にしたな」
「は?……あぁ、あのトマト野郎の知り合いかテメエ。雑魚は雑魚だ、真実だろうが」
「何も知らねえ奴に笑われるほど安い男じゃねえんだよ、あいつは」
言いながら、今朝の覚悟を決めたようなベルの顔が浮かんだ。
その姿が嬉しくて期待しているのは、誰でもない自分自身だ。
「はっ!!何だよ笑わせるじゃねえか、それで文句言いに来たってか?」
「馬鹿言え」
唸るように言えば、怪訝な表情が返ってきた。
そんな事も分からないのかと、怒りが体を支配する。
頭突きするかのように顔を寄せて歯を剥き出しにすると、俺は胸倉を掴み返した。
「表出ろ……ベルが殴れなかった分、一発殴ってやらねえと気が済まねえんだ……っ!」
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