『任務完了だ。帰投したまえ。』
思念通話から聞こえるエリカの音声。アインハルトとヴィヴィオ、二人は今クラナガンの次元港付近にある廃棄倉庫に来ていた。
理由としては…言わずもがな『特務』である。
前話にて、何の因果かヴィヴィオに敗北を喫したアインハルト。エリカの命により、ヴィヴィオも特務メンバーへと加えられた。始めは戸惑ったヴィヴィオだったが、それでも自分を必要としてくれるならと承諾。かくして何の因果か、過去のベルカにおいて名を連ねた二人の王の血を引く彼女らがタッグを組むことになった。
そして今回、ヴィヴィオの初任務。
諜報班から、次元港でテロを企てている連中が居ると情報があり、規模が数人程度と小規模であったことも踏まえ、同行と相成ったのだ。
「任務完了、想定内の結果です。」
「す…凄い…。」
次元港の近郊にある廃棄倉庫。そこで質量兵器で武装して、犯行前の決起をしていたテロメンバーだったが、アインハルトの拳術の前には無に等しく、呆気ないほどに終わってしまった。
圧倒的なまでの無双。
まるで最大レベルの呂布が雑魚の蔓延る野に放たれたように。
あんな人にマグレでもなければ勝てるはずもない。
「これが特務です、ヴィヴィオさん。」
「は、はいっ!」
鮮やかなまでの蹂躙に呆気に取られたヴィヴィオは、アインハルトの一声で我に返る。
「貴女がこれから関わるのは、恐らくは命のやりとりが絡む任務。…そんな物に挑む覚悟はありますか?」
「命…。」
「そう。一歩間違えれば、恐らくは命を落としかねません。…それでも?」
「大丈夫です。…私は、ママに傷付きながらも命を助けられたんです。助けられた私だから、力になりたい。助けを求める人の声に応えたいんです。」
その目は何処までも真っ直ぐで、そして澄んでいた。まるで…過ぎ去りし日のオリヴィエのように…。
「こ…このガキ共がぁ…!」
「「っ!?」」
テロメンバーの一人が、まるで生まれたての子鹿のように足を震わせながら立ち上がる。
「切り札に置いておいた物を…使うことになるとはよぉ…!世の中わかんねぇな…!」
懐から取り出したのは注射器だ。シリンジの中には見るからに危険そうな紫の液体。
見るからに違法の匂いがプンプン漂ってくる。
「捕まるくらいなら…テメェら皆殺しにしてやる…!」
醜悪な笑みを浮かべ、頸動脈に撃ち込まれる針先。
ピストンを押し込んで注入されていく液体。
液体を注入し終えたとき、男の手からカラリと注射器が滑り落ちる。彼の手はぷるぷると震え、口からは涎を垂らし、そして目の焦点は合わない。
「ハ…ヒヒヒ…!」
不気味な、そしておぞましい笑い声が響く。
浮ついた眼で、アインハルトとヴィヴィオを捉える。しかしその目は既に人のそれではなく、結膜に浮かぶのは血管。それが遠目に見ても解るほどに表立って見えるのだ。充血やそう言ったものではない、血走っている。
「カ…ハァァッ!!」
ノーモーション。
何の前動作もなく男は消えた。
ように見えただけで、瞬時にアインハルトとの間合いをゼロにした。
「なっ…!?」
気付いたときには既に懐にもぐり込まれ、柔らかなその腹部に拳がめり込んでいた。胃から上り来る圧迫感。無理やり胃を変形させられ、口から強制的に息が吐き出させられる。
そしてその衝撃を受け、アインハルトの華奢な身体は為す術も無く吹き飛ばされ、朽ちかけの壁を打ち破る。
「アインハルトさんっ!?」
「も、問題は…ありません…。しかし…。」
口から血を流しながらも、ダメージを受けた身体に鞭を打って起き上がる。
それは問題ないとして、アインハルトはダメージ諸々よりも、相手のこの圧倒的なまでの力を危惧していた。
テロリストが打ち込んだあの薬。恐らくはその効力と異質さたるや、目の前で証明されているのだ。
「グッ…ガァァァ…ッ!!!」
皮膚はひび割れ、そして人成らざる色へと変色。爪は鋭利に、そして長く伸びる。歯は犬歯がまるでドラキュラかと思わせるようなほどに尖っており、筋骨格その物も本来の体格とかけ離れたほどに巨大に変貌している。
「これは…この力は…!!」
「■■■■■!!」
もはや形容しがたい雄叫びと共に踏み込んでくる。1回目は不意打ちこそ受けたが、2回目はそうはいかない。薙ぎ払われる左手をブロックする。しかし、人としての力の『タガ』が外れた彼の筋力は推して知る物であって、避けるべきだったとアインハルトは後悔する。
「ぐっ…ぎ…!!」
踏ん張ることなど到底叶わず、吹き飛ばされた彼女は、床を二転三転転がってようやく止まる。
(な、何という腕力…!)
もはやこの姿では歯が立たないだろう。それ程までに奴からのダメージは大きい物だった。それならば、アインハルトのとるべき行動は一つ。
「参ります…武装形態!!」
碧銀の魔力が溢れ出し、アインハルトを包み込んだ。しかし、奴にはそんな時間は与えるものではない。構わず突っ込んで手刀を突き出す。先ほどの腕力と鋭利な爪。それらが合わされば人の肉体を貫くことなど容易い。
そう、
本来ならば。
「ハァッ!!」
突き出された爪を肩の上を通すように回避し、その腕を縫うように腕を回して右ストレートを顔面に撃ち込む。
クロスカウンター
踏み込みも、相手の何もかもを利用した反撃。その一撃に堪らず奴は吹き飛ばされ、今度はあちらが二転三転する羽目となった。
「ぎっ…ググッ…!」
「
『了解。くれぐれも無理はするな。念の為に増員を送る。出来るならば持ち堪えてくれ。』
「了解です。オーバー。」
耳に当てられた通信機によって報告と指示を仰ぐ。案の定、何とかしなければならないようだ。まぁアインハルトにとってこう言った状況は慣れっこだが、今回は若干違ってくる。
(…ヴィヴィオさんに…気を向かないようにしなければ…!)
そう、アインハルトが懸念するのは同行したヴィヴィオである。倉庫の隅で座り込んで震えているところを見るに、その心象を表す感情は火を見るより明らか。
恐怖
それが彼女を支配している。離脱するように指示しようにも、あの状況ではまともに走ることもままならないだろう。と、なれば、増援が来るまでアインハルトが引きつけるか、もしくは奴を無力化するか、だ。
(正直…増援が来るまで保たせられるか分からない…!でも、ヴィヴィオさんを傷付けさせるわけには…!)
ゆらりと立ち上がる幽鬼のような異形。その口許は釣り上がり、まるでこちらの力不足を嘲笑っているかのよう。しかし、アインハルトは未だ冷静である。
(こちらに来るなら…それは願ってもないことです。)
アインハルトは人差し指と中指、それを小刻みに自分の方へ曲げる。
つまり、
『掛かってこい』
だ。
「キヒ…ひ…!!」
薬のせいか、それとも素の性格からか、やはり短絡的である。安々と挑発に乗ってくれたのか、ゆっくりとこちらに歩み始める。
そう、それで良い。
少しでも相手をして貰おう。
目の前で繰り広げられる格闘の応酬に、そして異形の姿、さらにはアインハルトの姿を見て混乱していた。
銀行強盗によって人質にされた際、助けてくれた女性。それがアインハルトだった。今の今まで気付かなかったし、素の体格でも他を圧倒する程の力を持つだけに、ヴィヴィオにとって予想だにしなかったことだ。まさか…ストライクアーツを学ぶ切っ掛けをくれた人が、こんなに間近にいたことが意外や意外だった。
そして、目の前の異形の姿。やはり年齢は10歳だけあり、人成らざる姿と化したソレに嫌悪感を抱かざるを得ない。もはや生物災害物の映画に出て来そうなクリーチャーが、目の前で闊歩しているのだ。それだけで得も知れぬ恐怖を味わうのは当然だろう。
…本来なら、ここで恐怖に支配され、震えているだけならば誰にでも容易に出来る。しかし…
「私…私だって…!」
華奢で、そして小さな拳を握り締めて立ち上がる。震えて鳴らす歯の音が酷く耳障りだ。足も笑っているのか踏ん張りが利かない。
だが…目の前で打ち合っているとは言え、相手のスタミナに尽きはないのか、逆にアインハルトは若干息が上がって来ている。
このままでは遠からず…!
「今度は…私がアインハルトさんを…助けるんだ!」
その言葉が
「…!?いけませんヴィヴィオさん!!」
「■■■■■■■!!!」
アインハルトの叫びと、奴がヴィヴィオに気付いて駆け出すのと同時だった。奴を引き止めんとアインハルトも走る。しかし、奴との戦いで使った体力は殆ど残っていなかった。
「一閃必中…!」
あの時のようなマグレはないだろう。しかし、ここで奇跡なら…起きてもバチは当たらないはずだ!
奴が詰めて貫かんと、左手を振り上げる。
「セイグリッドォ…!!」
右手に溜め込んだチャージできるだけの魔力。一撃で…仕留める…! 願ってもないカウンターの好機だ!
奴の左手が振り下ろされると同時に、更に一歩踏み込む。爪が背中を掠め、制服を裂き、肌を晒す。鈍い痛みが走り、それに伴う出血に一瞬顔をしかめるが、それでも…ここで止まるわけにはいかない。目の前には相手の鳩尾が無防備にさらけ出されている!
「ブレイ…ザァァー!!!」
とった…!
ヴィヴィオも、不本意ながら見ることしか出来なかったアインハルトも、そう確信する。
しかし
ヴィヴィオの拳は空を切った。
奴は振り下ろした左手の勢いそのままに、地に着いた左手を支点に一回転。空振りした拳と跳躍によって、無防備なヴィヴィオの、そして裂傷によってさらけ出された背後を取る。
「ヴィヴィオさ…!」
振りあげられた手に光るのは、奴の鋭利な爪。
もう間に合わない…!
必死に手を伸ばす。
また…護れないのか…?
これでは…このままでは…!
(クラウス…オリヴィエ…!私は…!!)
(君は…どうしたい?)
(っ!?)
突如として脳に響いた男性の声。
ハッとした時には、周囲の風景から色は消え、自身の身体も動かない状態にあった。しかし、意識だけはハッキリ有り、目の前で引き起こされようとしている惨劇がすんでの所で止まっている。
(これは…一体…?)
(文字通り、時は止まっているんだ。)
まただ。また男性の声がする。
(君はどうしたい?)
先程と同じ質問だ。姿は見えないが、この声は知っている…!
(あの子を護りたい。そのために君は対価を払えるかい?)
(対価…?)
(そう。この世は等価交換。あの子を助ける代わりの物を…君は自身から差し出すことは出来るのかな?)
(…私自身から…)
目の前のヴィヴィオを…何かを失えば、助けられる?こんな詰んだとも取れるような状況で?
…半ば諦めていた。その現状を覆す事が出来る?
それならば迷う必要など無い。僅かな可能性でも、未来を変えられるなら…!
(…出来ます…!ヴィヴィオさんを助けられるなら…私は…!)
(了解したよ。…ならば私は子孫の願いのため…力を貸そう。)
(子孫…!?ではやはり貴方は…!!)
世界に色が戻った。その事に気付かされ、すかさずヴィヴィオに焦点を戻す。
力を貸す、と言っていた。しかしあの状況を覆すなどと…
『成る程…ウイルスを打ち込んだことで、脳のリミッターを外しているのか。』
「が…ぁ!?」
どこから現れたか…、自身と同じ碧銀の髪を靡かせ、爪を立たせた奴の腕を何の事は無く掴んでいた。奴も何が起こったのか分からないようではあるが、一旦仕切り直そうとしているのか、腕をほどかんと藻掻く。
しかし、そんな行為ですら微動だにせず、ただ掴んで佇む。
『私のいた時代ほどではないとは言え…、この時代もやはり争いは絶えないのだな。』
腕を持って、片手で軽々と奴を投げ飛ばす。朽ちかけたコンクリの壁を破壊し、崩れた瓦礫に奴は埋もれる。
白いマントをはためかせるその容姿を、あらためてアインハルトは一瞥する。
青と紫の虹彩異色。ライトグリーンと白を基調とする胴着にも似た衣装。特徴的な前髪。
間違いなく、そして疑うことは出来ない。
「クラウス…イングヴァルト…!?」
『…やぁ。私の子孫…アインハルト。』
遙か昔に存在した古代ベルカに名を連ねる王の一人である『覇王イングヴァルト』。そう名乗る彼と、そしてアインハルトが受け継いだ記憶の容姿との一致。それは彼が紛う事なき本人であろう可能性が高いことを示していた。
「どうして…貴方が…」
『話は後だ。…今は…この状況を打破しよう。』
覆い被さってきた瓦礫を吹き飛ばし、奴はピンピンした状態で再び目の前に姿を現す。
「やはり…あれでは倒れませんね。」
『しかし、私達二人なら…覇王が二人揃うならば、屠ることも不可能ではないよ。』
かつて此程までに頼もしい言葉はあっただろうか?僅かながら口許をつり上げ、静かな笑みをこぼす二人の覇王。
『ヴィヴィ、下がってて。ここは私達で片を付けよう。』
「は…はい。」
『アインハルト、やれるね?』
「もちろん…!」
程なくして
周囲を揺るがすほどの轟音が響き渡る。
そして増援部隊が到着したのは、それから数分後のことであった。
「…成る程、薬剤を投与し、それで変異した、と。」
「はい、そう…見受けられました。」
部隊を率いてきたのは、特務メンバーの先輩にあたる人物。魔法学院のOBで、槍の達人でもある。肩まで届く長髪と、紫の帽子にジャケット。鋭くカミソリのような目つきで、長身でがっちりとした体格、そして左頬に入った傷から厳つい印象を受ける。しかしアインハルト曰く、面倒見が良く、時々ではあるが任務の合間に戦闘訓練に付き合ってくれるという。そして先陣切って豪快且つ怪力を活かした戦いをする彼を人は、『ゴリランサー』と呼ぶ。
…因みに、
面倒見が良い、と記載はしたが、一時荒れていたときには、気に入らない人物はその怪力から放たれる右ストレートをプレゼントするのがお約束、らしい。
「あ″?」
「ど、どうかしたんですか?先輩…」
「いや…なんかすげぇ今ムカつくことを言われたような…。」
「…そうなんですか?私には何も…」
「まぁいい。もしかしたら生物兵器の類いかも知れねぇ。この男とその一味の身柄を確保するのは当然として、打った注射器の回収もしておくか。…なんかきな臭い匂いがしてきやがるんでな。研究班に解析させておくとしよう。」
「はい、お願いします。」
「あとまぁ…お前、初陣なんだってな。よくチビらなかったもんだ。」
「なっ…!?」
まさかの言葉に、ヴィヴィオは顔を真っ赤にする。さすがの彼女も、デリカシーの無い言葉には反応してしまう。抗議の一つでも入れてやろうと口を開いたとき
「大抵は最初の現場での恐怖に耐えられねぇ奴は、チビるか、逃げるか、気を失うか、あとはまぁ錯乱するか、大抵このどれかに当てはまる。お前は良く逃げずに頑張ったじゃねぇか。上出来だと思うぜ。」
「ほぇ…?」
…なるほど、アインハルトが言う面倒見の良さと言うのは、こう言うことを示唆するのか。口は悪いが、その端々に心配や優しさ、労いを見せてくれる。それだけにアインハルトは先輩を慕っているのだろうとヴィヴィオは納得する。
「じゃあアインハルト。帰ったら治療と報告書を…」
そう…続けようとした先輩は、言葉を詰まらせた。
「お、おい!大丈夫か!?」
その視線の先には…
息を荒くし、頭を抱えて壁により掛かるアインハルトの姿。その顔には汗が滲み、顔も上気しているのか赤みを帯びている。
「アインハルトさん!?しっかりして下さい!アインハルトさん!!」
「
二人が必死に叫ぶ中で…アインハルトは遠のいていく意識と共に、自身の中の魔力がほぼ尽きていたことを認識するに至る。
『何故?』
や、
『どうして?』
と言った疑問はなく。
だが悟った…