連続投稿十七話目です。
瞼を開くと、なにも変わらない天井が見えた。本当になにも変わらない、何度壊してもすぐに直ってしまう天井が。
周りを見渡してみても、やっぱりなにも変わらない。真っ赤な扉。真っ赤な壁。真っ赤なベッド。
……あれ?
なにも期待しないで周りを見ると、一つだけいつもと違うものが視界に入った。
それは、私の全身を十分に映すことができるくらい大きな鏡。その中には、いつもと同じ私が映し出されていた。
……誰だろう? 鏡なんて持ってきたの。こんなのあっても使わないのに。
『そいつは悲しいねぇ』
「ふわっ!?」
びっくりしてなんだか変な声が出ちゃった。でも、今はそれより気になることがある。
今の声は、誰?
きょろきょろと周りを見渡すけれど、この部屋にはやっぱり誰もいない。ドアの外から聞こえてきたのかもと思ったけれど、向こう側からはもうなにも聞こえてこないし、ノックの音もしなかったからきっと違う。
『どこ見てんだよ。こっちだ、こっち』
「!? ど、どこ?」
『目の前に居んだろうがよ。ああもう、顔の向きそのまま固定!その状態から左に50゜!』
「えっ、えっと……こう? …………え?」
『行きすぎだよ!まあ視線合ったから別にいいけど』
……私は、もしかしたら夢でも見ているのかもしれない。もしかしたら、変な魔法でもかけられてるのかもしれない。
けれど、そんな可能性を全部無視して私は
「……あなたはだぁれ?」
『何、と聞かなかった辺りは誉めてやろう。俺は……そうだな、まあ、神だ。ユダヤの一神教みたいな有名どころじゃなく、土着の神だの新生の神だのがわんさかいるような所の、無数に産まれては消えていく神の一柱だ』
鏡に映った私の姿をした誰かは、私が今までしたことのないような笑顔を浮かべて頷いた。
「……神様……?」
『そんな偉い存在じゃないがね。……声が遠いな。こっちゃこいこっちゃこい』
私の姿をした自称『神様』は、床に座ったままの姿でちょいちょいと手招きをする。私はそれにつられて立ち上がって鏡に近付くと、神様も同じように立ち上がって私に近づいてくる。
本当に触れ合わない程度、私と鏡の間の距離が人と話すくらいの距離になると、神様はそこで足を止めた。そして躊躇いもなくそこに胡座をかくと、どこからかカップを取り出して紅茶のようなものを飲み始めた。
『……ふむ、やっぱりあんま得意じゃねえな。……嬢ちゃんの方にも出してあるから、まずは飲んでみたらどうだ?』
「えっ……う、うん」
きょろきょろと周りを見ると、本当に紅茶の用意がしてあった。淹れたばかりのカップだけが、座っている私の腰くらいの高さしかないテーブルに乗っているのはなんだかおかしな気がしたけれど、私はそのカップを取って一口飲んでみた。
…………味がしない。
『……ああ、すまん。そう言えば吸血鬼だったな』
神様がひょいっと指を振って私の持つカップを差すと、ぽちゃんと紅茶の表面に波紋が浮かぶ。
『血液の好みを知らないから、とりあえず癖の少ないO型、Rh-、中肉中背の血をチョイスしておいた』
「お、O型? Rhまいなす……?」
『……悪い、今西暦何年?』
「……わからない。私はずっとここに閉じ込められてるから」
『そうか。……大体1600年代の頭から中盤ってとこだろ……じゃあわからんのも当然か。まあ、大半の人間の血液は4種類に分けられるんだが、そのうちの一つがO型だな。Rhは喉ごしに、体型はコレステロールとかの量で風味って名前の癖が出るから初心者にはおすすめせんよ。俺も初心者だがな』
「……ふぅん……そうなんだ?」
『そうらしいぞ。知り合いの吸血鬼はそう言ってたからな』
「……神様なのに、吸血鬼が知り合いにいるの?」
『種族で相手を見るのは下らんことだ。友義を結びたいと思ったら結べばいいし、嫌だと思えば離れりゃいい。そんだけの話だろ』
鏡の中の神様は、またくいっと紅茶を飲み干した。私もつられて紅茶を飲むと……今度はちゃんと飲みなれた味がした。
一杯飲み終わると、鏡の中の神様が指を振る。そうするとまるで魔法のように紅茶が現れ、そして血が垂らされる。
三度カップの中身が干され、三度紅茶が注ぎ直される頃になると、私は大分落ち着いてきていた。
どうして今現れたのか。
その鏡はいったいなんなのか。
なんでこんな風になっているのか。
聞きたいことはたくさんある。
カップから目を上げると、神様と視線がぶつかった。私と同じ真っ赤な目が、じっと私を見つめている。
『……聞きたいことがあるんだろう? 言ってみな。答えられるものなら答えてやるよ』
じっと私の目を見つめながら神様は言う。動作は気だるげに、口調は面倒臭げに。けれど表情はまっすぐに私の事を見てくれている。
だから私も神様と視線を合わせて、ゆっくりと口を開いていった。
「……あなたは、どうしてここに来たの?」
私の問いかけに、神様は答える。けれど、その答えは私にはよく理解できないものだった。
『嬢ちゃんが無茶苦茶な方法で世界の壁をぶち破ったからだ』
簡単に説明しよう、と言って神様が取り出したのは、少し大きめの真っ白な紙と、それに描かれたいくつかの絵。いつの間にか眼鏡をかけていたりして、なんだかちょっとオトナっぽく見える。
『まず、世界は泡のような物だと思ってくれ。次元的に色々混じってるから正確に泡と言うわけじゃないが、一ヶ所に穴が開いたら世界が丸ごと砕けかねないと思ってくれていい。
とは言っても、力任せに世界の壁をぶち抜いたとしても世界は生きているから早々簡単には壊れたりはしないし、壊されたとしてもすぐに直るようにできている。ついでに言うと世界の壁は全てを遮断する訳じゃなくて魔力やら一部の物質なんかも物によってはすり抜けることができる。だからこそ俺みたいに世界間移動を使って旅行する奴が居たりするわけだ。
だが今回嬢ちゃんがやった方法だと、世界が持つ自己治癒が働かない。しかも嬢ちゃん自身が資格も持たずに世界の外側に流れ出ていく。そうなると嬢ちゃんは世界の外側に溶けて消えるし、世界も中身が溢れて止まらずいつか壊れる。
今回は俺が世界の壁を壊し直して直るようにしたり、嬢ちゃんを元居た場所に戻しておいたりしたから何も起きてないが、次も俺のところに出てくるとは限らないし、世界を殺そうとした嬢ちゃんをただ生かしておく奴はそう多くない。利用され尽くして捨てられるか食われるか……だ。
そうなるのは少しばかり心苦しいと思ったから、もうこういうことが起きないようにと俺が来た……って訳だ。納得できたか?』
「……私が世界を壊しちゃって、そうなると危ないから、そうさせないようにするために来た……ってこと?」
『大体合ってる。仕事もあるが、俺はやりたいことじゃなければ基本無視するし、無視する権限もあるから今回のことに関しては俺がやりたいと思ったからやってると考えてくれてもいいぞ』
私はどきどきしていた。私の力を恐れず、それどころか止められると言う。
今まで誰もが恐れるばかりで止めることのできなかったこの力を、止めることができるのならば。そしてその止める方法を私が使えるようになれば。私はまた、昔のように過ごすことができるようになるかもしれない。
『さて、それじゃあ今度は俺から嬢ちゃんに質問だ───』
神様は、にやりと笑みを浮かべた。
『───その力を操りきれるようになるまで、頑張ってみる気はあるか?』
私は神様のその問いに、迷うことなく頷いた。