車がついたのは落ち着いた高級感があふれる雰囲気の住宅街だった。その一角に一際大きな邸宅が建っており、その邸宅の前につくられた何台も車が止められるような駐車場の端に戸塚は慣れたようにバックで停めた。
「はぁ、ったくいつ見てもデケェな」
「うん、葉山君凄いよね」
「これで結婚してねぇって、何、あいつ逆にイヤミか」
「あはは、じゃあ行こうよ」
きっちりとしたスーツを着込み書類の入った鞄を持つ戸塚彩加と、黒ネクタイを胸の前で揺らしよれよれだが逆にそれが似合っている印象を与えている比企谷八幡は車から降り今から向かう邸宅を見上げ足を踏み出した。
玄関の扉は重厚感のある扉で、その横についてあるカメラ内蔵のインターホンを押すと家の中から呼び出し音が聞こえてきた。聞いた限りでは普通のインターホンと同じ音なのだが、どこか重厚感を感じてならない。しばらくすると玄関の扉が開き、見た目はラフだがどう見ても高い服を着た女性が現れた。
「ヒキオ、来るのが遅いんだけど」
「あ、時間ピッタリだろうが。そっちが指定した時間に来て何が悪い」
「まぁ、まぁ、二人とも」
と、昔なら到底考えられないやり取りではあるが、戸塚はそんな二人をも仲裁して葉山家のリビングにおじゃました。…さてこの場合、一触即発の空気をつくりだした二人が強いのか、その二人を止める事ができる戸塚の立場が上なのか、比企谷八幡八不思議の一つに数えられる。
「それで、隼人ったらいつまでたってもプロポーズしてくれなくて……」
「……戸塚、三浦の奴かれこれ一時間ほど一方的に話しているように思えるんだが」
「うん、今でちょうど一時間経ったね」
リビングに通されテーブル越しに三浦が一人と比企谷、戸塚でソファに座り数種類の書類をテーブルの上に置き用件を聞こうと口を開く前に三浦が口を開きそれからずっとこのままである。
「ほんと、一年も同棲している彼女にまだプロポーズなしなんて信じられる?」
いつもは葉山の仕事の関係上、だいたい葉山一人かごくまれに葉山と三浦の同席となっているのだが今回は浮気調査と言う事で葉山が仕事でいない時をねらって三浦が依頼人として二人を呼んだが、まったく本題に入れやしない。
「おい三浦、俺達は浮気調査として呼ばれたはずだが」
さすがに次が控えている比企谷たちはここら辺で本題に入りたく、話を遮った。
「ん? あれ、そうだっけ? でも特に何もないけど」
「……………」
「……………」
二人は声が出なかった。ずっと愚痴を聞かされていた二人はすでに反論の意思、気力は残っていなかった。しかも、契約前のことでまったく料金は発生していない。
「……はぁ、愚痴なら結衣か海老名に聞いてもらえばいいだろ」
「そんなの結衣と姫菜に迷惑になるのが分からないの。これだからヒキオは」
『いや、今、現在進行形で迷惑を被っている』と言いたげな顔をしているが寸前のところで飲み込み代わりにため息を吐き出す。
「ったく、依頼が無いなら俺達は次に行くぜ。これでも忙しいんだよ」
「三浦さん、僕らそろそろ次に行かないといけないんだ」
「ん~まだまだあるんだけど、そう言うんなら仕方ないし」
最初から用済みになっていたテーブルの上の書類を片づけ鞄にしまい、二人は立ち上がった。
「ああ、そうだ。三浦、少なくとも葉山は浮気をしてないだろうぜ。それにあいつのことだ、機を見て言い出すだろうよ」
「ふん、ヒキオに言われなくても分かってるし」
「なら、もう愚痴のためだけに呼ぶんじゃねぇぞ」
「ふん!」
などと、強がっていると言うか見栄を張っていると言えばいいのか知らないが、それでも少し比企谷の言葉に安心しているようだった。
「じゃあ、三浦さん。こんど何かあったら力になるからね」
二人は玄関まで一応見送りに来ていた三浦に見送られ、愚痴を聞かされるためだけに駆り出された車に乗り込み一息ついた。
「ったく、自由すぎるだろあいつ」
「でも、三浦さんらしいよね」
「まぁ、そうだな」
「もう少し時間に余裕があるけど、早めに次に行かないとね」
手に持っていた鞄を比企谷に渡し、シートベルトをした後キーを差し込み奥へ回した。比企谷は鞄を受け取りシートベルトを締め、それを確認した戸塚は車を出した。
車は住宅街を抜け大通りへと進路を向けた。次の依頼者との約束の時間まではそこそこの時間があり、そこまで切羽つまっていないのだが依頼者との面会場所が喫茶店だと言うこともあり休憩も兼ねて早めにつくように急いだ。
車は大通りを走り途中で横道へと逸れ、さっきの高級感あふれる住宅街とは違い近くに大きな公園がある緑が茂るゆったりとした時間の流れる元気な子供の多い住宅街に事故のないように入っていった。
その住宅街の中に違和感なく溶け込んだロッジのように木造建ての喫茶店『めぐり』がそこにある。狭いながらも数台停めることができる駐車場に車を停め、今度は比企谷が鞄を持ち車から降りて背筋を伸ばした。
喫茶店内に入ると来客を告げるカウベルの音が響き、コーヒーの臭いと心地よい洋楽のBGMが流れて来る。内装は少し広めで、テーブルが数台とカウンターがあり入口からは見えないが奥の方には一室だけ個室も完備されている。入口の目の前にあるカウンターには一人の女性がグラスを磨いて立っており、二人が入ってきたことに気がつくと破顔してその二人を迎えた。いや、正確には二人の内の片方にだろう。
「あ~八幡くん久しぶり~」
「お久しぶりです、めぐりさん。毎回ありがとうございます」
二人は定位置となっているカウンターの端に座り、二人が座ってすぐ何も言わないのにそれぞれの前に飲み物が置かれた。戸塚の前にはオレンジジュースが置かれ、比企谷の前にはポケットに入っている棒付きの飴と同じ色のコーヒーが置かれた。
「もう、来てくれなくて寂しかったよ~」
「俺も俺で忙しいんですよ。そう頻繁には来れませんって」
喫茶店『めぐり』のマスターは城廻めぐりの祖父である。今は店を城廻めぐりに任せて仕入れのために外に出ており不在なのだが、本当に見るからにマスターと納得してしまう御仁だ。マスターは自然な白髪を頭の後ろでくくり物腰が柔らかく、寡黙でも雄弁でもないが必要な時には口を開き口をつぐむ。外見から中身まで、マスターと呼ばれる存在である。
比企谷は初めてこの喫茶店を訪れた時、このマスターが高校時代の先輩である城廻めぐりの祖父であることは知らなかった。それから少し時が経ち昼間に訪れたとき、店の手伝いとして入っていた彼女と会うまでそのことは気が付かなかった。マスターは自分の孫と、比企谷が知り合いだと言うことを知っていたが一切話すことなく黙っていた。
この店はマスターの計らいで事務所とは別に依頼人との打ち合わせの場所になっていて、奥の個室はその時に使わせてもらっている。
「え~じゃあ、私が八幡くんの事務所に遊びに行っても良い?」
「まぁ、こっちの用事にもよりますけど」
「やったー! じゃあ、今日行っていいかな?」
「いや、今日はだめですよ」
「む~」
膨らませた頬は怒りよりも可愛さを演出し、比企谷はその頬を突きたい衝動に駆られているのだがどうにかうずく右腕を抑えつけた。城廻はすぐに表情を笑顔に戻し、できるだけ顔を近づけて微笑みかける。
「あの頃の比企谷くんもかっこよかったけど、今の比企谷くんはあの頃よりももっとかっこいいよね。それに、スーツも似合っているから余計に」
「お世辞を言っても無駄ですよ。今日は本当に用事があるんです」
「お世辞じゃないのに~」
『もう、相変わらずだね』と苦笑する。
そこから戸塚を交えてたわいのない雑談に興じている中、カウベルが鳴り入口に目を向けると本日二人目の依頼人である一色いろはが入ってくるのが見えた。
「あ、先輩お久しぶりです」
「めぐりさん、依頼人が来たようなので奥を貸してもらいます」
「うん、自由に使ってね」
二人はカウンターから立ち上がり、奥の個室に向かって足を出した。
「ちょっと先輩、無視をしないでくださいよ」
「ったく、さっさと来いよ一色。依頼は奥で聞くぞ」
上半身だけを少し後ろにひねり一色に向けて声をかける。その一色は、比企谷につれられて奥の部屋へと入っていった。
「それで、同じサークルにいる一人がしつこいんですよ」
「なぁ、戸塚」
「なに、八幡」
「デジャブがあるんだが」
「うん、僕もだよ」
3~4メートル四方の真ん中にテーブルと4脚の椅子が置かれた個室に入ると、カウンター側につけられた少し大きめの窓が開きそこから城廻が人数分の飲み物を差し出してきた。
「あ、めぐり先輩お久しぶりです」
「久しぶり~。依頼人っていろはちゃんだったんだね。大丈夫だよ、比企谷くんに任せたらすぐに解決してくれるから」
「ええ、知ってます」
「うん、そうだったね」
「あ、めぐりさん受け取ります」
「ありがとうね~」
比企谷はおぼんごと飲み物を受け取りそれぞれの前に置き、一色の前にはココアが入ったカップを置いた。
「あ、奢りですか。いただきま~す」
「はぁ。ああ、奢りだ奢り。さっさと飲んで本題に入るぞ」
先程使わずに終わった書類をテーブルの上に出しながら先程の件を反省してすぐに用件を聞き出そうと口を開くと、
「ああ、浮気調査って事でしたね。そんなの嘘ですよ、彼氏なんてずっといませんし。あ、じゃあ先輩が付き合ってくれます?」
と、悪びれもせず開き直ると言うよりイタズラが成功した子供のようにはしゃいでいた。それから、言わずとも分かるだろうがあえて言おう。
ずっと一色のターンだと。もう比企谷のライフは0よ!
「ほんとしつこくて迷惑なんで先輩、なんとかできませんか」
「おい、最後に疑問符をつけろ。完全にやらせる気だろうが」
「え~こんなに可愛くて綺麗な後輩が頼んでいるんですよ」
「自分で言ってんじゃねぇよ。ったく、情報だけは集めてやるからあとは自分で何とかしろ」
ため息をつきあきれ果てる比企谷は空になったカップをあおり、もう中身が無い事に気がつき苦い顔をした。
「あ、これがそいつの名前と写真なんでよろしくお願いしますね」
最初からそのつもりだったのか、鞄の中からファイルに挟んだ用紙を渡してきた。その用紙は写真と名前の他に様々な個人情報が載っていた。おそらく、大学が管理している個人情報だろう。
「……はぁ」
もう言葉も出ない。比企谷は無言でそのファイルを受け取った。
「情報料はあとで請求するからそれを憶えておけよ」
「え、タダじゃないんですか」
「おい、仕事なめんな」
「はいはい、分かっていますよ。じゃあ、本当によろしくお願いしますね」
一色はにこにこして鞄を持って立ち上がり、出口へと向かう。
「おい、一色。情報は明日取りにこい、事務所の場所は知ってんだろ」
「ええ、知ってますよ~」
「ならさっさと帰れ。大学の課題がたまってんだろ」
「……ほんと、先輩は何でもお見通しですね。分かりました、明日事務所に伺わせていただきます」
一色は最後に深々と頭を下げ表情を見せず外に出た。
「ねぇ、八幡」
「一色のことか?」
「うん」
「おそらくストーカまがい、いやすでにストーカー被害にまでになってんだろうな。んで、あいつも警察に行っても無駄だって事は分かってんだろうから依頼してきた、って事だろう。
ま、相談するのを決心したのはいいが自分が弱っているところは最後まで見せたくないから最初は嘯いてたんだろうが、言葉の端々や仕草に違和感があったから気がついた」
「…やっぱり八幡は凄いね」
「凄かねぇよ、結局この仕事は受け身でしかねぇからな」
「それでもだよ」
戸塚は比企谷に笑いかけた。
「お、おう」
どぎまぎして空になったカップを再度仰いだ。
「つ、次までもう少し時間があるから部屋から出ようぜ。あと、こいつを写して材木座にメールしておかねぇとな」
「うん、そうだね」
比企谷は率先して立ち上がろうとした時、個室のドアが勢いよく開いた。
「比企谷ーーーーー!! 私はどうしたらいいんだーーーーー!!」
南無三
あの後、時間よりも早く喫茶店に来た泥酔状態の平塚静氏により個室は阿鼻叫喚の地獄絵図。泣きつく、わめきだす、絡みつく、抱きつく。その全て比企谷が引き受け、今はマスターである城廻祖父がカウンターの端で完全に酔い潰れているが愚痴がとまらない平塚静女史の愚痴を聞きながら介抱している。
平塚静子女が酔っている間に喋っている言葉を繋ぎ合わせてみれば、どうやら通算何度目かの依頼をした後自分で少しでも証拠を集めようとしていたら証拠どころか完全にその光景を見てしまったのだという。それが皮肉な事に今日の午前中だと。それから馴染みの居酒屋で無理やり酒を持ってこさせ、ずっと飲みっぱなしだったが依頼のことを思い出し泣きながら来たという。
「ほんと、誰か貰ってやれよ」
そんな元担任の光景を横目で見ながら頭を抱え、ため息をつく。ちなみに一色の依頼はすでに戸塚が材木座に連絡済みである。これが連携プレイと言うやつだ。違うか、違うな。
「八幡、平塚先生送らないと」
「あ~もうこんな時間か。仕方ねぇな」
「そうだ八幡。材木座君から留美ちゃんの方はもう片付いたって」
「相変わらずこう言う仕事は早いな」
二人は今だブツブツ言っている平塚静嬢に近寄り両脇を支えて出口へと向かった。
「今日はすみませんでした。また、来ます」
「ええ、お大事に」
「あ、八幡くんまた来てね~」
マスターと個室を片づけていた城廻に見送られ、どうにかこうにか担いで店の外に出た二人はこれまたどうにか車の後部座席に平塚静姫を乗せた。そのまま二人も乗り込み、幾度となく送り届けたことのある平塚静邸へと車を向けた。
家はさほど遠くなく、家の鍵を借りて物が散乱している部屋に入りベットに寝かせて布団をかけた。一応メモを残し、鍵をかけて鍵はポストの中に投函した。
送り届けた後事務所に車の進路を取り、ようやく本日の仕事を終えた二人は十数時間ぶりに事務所に帰る事ができた。車を事務所の駐車場に停め、すでに暗くなっている事務所に入った。
「はぁ、疲れた……」
「今日は疲れたね」
ソファに倒れこむ比企谷と、行儀よく座る戸塚だがやはりそこには疲労が見え背もたれにもたれかかっていた。
「ああ、戸塚。もう帰っても良いぞ。あとは俺がやっておく」
「ありがとう八幡。じゃあ、僕は先に帰るね」
「おう、また明日」
「うん、また明日」
戸塚は自分の机に置いてある鞄を掴み、帰っていった。あとは比企谷だけが事務所に残った。
ソファに突っ伏していてどれくらいか経った頃、モゾリと動きだしスマホを取りだした。暗闇の中スマホを操作しているためバックライトで顔がぼんやりと浮き上がり、その光りで少しだけ表情が見えた。最初はメールを読んでいるらしく表情の変化が多かったのだが、メールを読み終えたと思われる瞬間からそんな表情が消えた。そのまま少し操作したかと思えば耳に当て、どうやら電話をかけたようだ。
「……ああ、沙希か。いつも通りに今から事務所に来てくれ」
そう言ってすぐに電話を切り、ソファから起き上って自分の机の引き出しを開け桐の箱に入っていた一本の黒い煙管を取りだした。取り出した煙管を咥えるわけでもなく、その煙管で肩を叩きながら事務所の戸締りを確認し最後に出入り口の施錠を終えると事務所の前で迎えを待つ。
「ったく、久々にやると思うと面倒だな。裏の仕事ってやつは」