十分ほど経っただろうか、事務所の前に一台の車が止まった。比企谷は運転手を確認することなく、その車の助手席に乗り込んだ。運転席には青みがかった髪の綺麗な女性が座っており、比企谷が助手席についたことを確認するとすぐに車を出した。
「まったく、いつも突然すぎるよ。あんたは」
「あ~そりゃ、わりぃな」
「……別にあんたが悪い訳じゃないけど」
顔を若干赤く染めて、モジモジと唇を尖らせフォローの言葉をかける。
「今回入っているのは一件だけらしいが、急を要する案件らしくて迅速に処理を任された」
「ふ~ん、今回はやばそうだね」
「まぁ、マスターから資料を貰って対策を立てりゃいいだろ」
そう言って、比企谷は少しだけシートを倒し疲れた身体を預け目を閉じた。車の走行音だけが過ぎ去っていく車の中、数十秒間だけ漂う沈黙をやぶり比企谷は懐かしむように口を開く。
「しかし、沙希もよくここまで慣れたな」
「ほとんど、あんたの所為だけどね」
「あ? ちげーよ。俺はせいぜいきっかけに過ぎなかったぜ。結局、最後に選んだのは沙希なんだよ」
右目を開き運転中の川崎の横顔をチラッと、盗み見る。横顔だけでも分かるように昔を思い出している表情をしていた。
「でも、なんであたしも分からなかったあたしのことを、あんたが分かったんだよ」
「そういや、言ってなかったか。沙希、そもそも怖がりってのはなんで怖がりなのか分かるか?」
比企谷はなぞなぞを出すかのように川崎に聞く。
「そんなの、怖がりだからだろ」
「まぁ、それもあってるっちゃあってるが、そうじゃねぇ。
怪異や幽霊を見ない感じない奴は、どうやって超常現象で怖がることができると思う? そいつの人生に干渉しない現象ってのは、いくら他人が観測しようがそいつにとっては無い事と同等なんだぜ。
つまり、怖がるやつってのは大なり小なりそういう現象に対して接触があるんだよ。まぁ、小中学生くらいなら暗闇を怖がるやつは多いだろうが、高校生となればほぼどっちの部類かは分かってくる。
沙希の怖がり方は人一倍だったからな、才能というか素質はかなりあったぜ」
「あの頃は、あんたのおかげでひどい目にあってたよ」
そんな事を言っている川崎であったが、言葉とは裏腹にちょっとだけ微笑んでいた。
「だから俺の事務所で雇ってるだろうが」
「今日は一日休みだったはずなんだけどね」
「分かった分かった、残業代付けておく」
「いや、今度の休みに二人でどこかに行ってもらうよ」
「……分かったよ」
その言葉に、より一層表情を崩した。
車がついたのは、昼間も訪れた一軒の喫茶店『めぐり』の前だった。車を道路の脇に寄せ、二人は車から降りてクローズの看板がかかっている扉を開いた。扉には鍵がかかっておらず、すんなりと開く扉をくぐって店の中に入る。
店内は一ヶ所以外の照明は消されており、その唯一の照明もできるだけ明るさを絞られ夕方の太陽のようにぼんやりと店内を照らしていた。
カウンターの向こう側に一人の人影が見え、顔は分からないが雰囲気でマスターと分かった。そのマスターの前のカウンターに三人分の後ろ姿が見え、その後ろ姿の雰囲気から女性が二人と男性が一人だと感じた。マスターは二人が入ってきた事に気がついていたが、その座っている三人は話に集中しているのか全く気が付いている様子はなかった。
「マスター、資料を取りに来た」
「お請けいただき、感謝いたします」
比企谷がマスターに話しかけ、ようやく三人は来客があったことに気が付きチラッと後ろを盗み見ていた。
マスターはすでに準備していた資料を比企谷に渡そうと、封筒を取り出して見せると三人のうち一人の女性がそれを止めた。
「マスター、ちょっと私にも見せてもらえないかしら?」
「そうですね、私も興味があります」
もう一人の女性も同じでその資料に興味を持ったようだった。
「リンさん、アカネさん。こちらの資料はお見せすることはできません。ただ、私が資料を彼に渡した後、彼から見せてもらうということであれば私が口を出す理由はございません」
そう、マスターが二人に答えると、二人は後ろを振り向き比企谷に有無を言わさない笑顔を向けた。
「「見せていただけますね」」
「……はぁ、良いですよ」
その言葉を引き出した二人のうち赤い服を着た女性は小さくガッツポーズをとり、もう一人のスーツを着ている女性は表情を緩めて比企谷にお礼を言っていた。
マスターは資料を一度比企谷に手渡し、比企谷はその資料を二人に手渡した。資料を受け取った二人はすぐに封筒から取りだしカウンターに広げ、隅から隅まで読み進めていった。
「いいの?」
「いいさ、この手の情報は共有しておいた方がいいからな」
川崎の言葉に返答を返し、二人もカウンターに座った。比企谷は白髪の男性の横に座り、川崎は比企谷の隣に座った。白髪の男性は手作りとおぼしき煙草を吸いながら、広げてある資料に少し目を追っていた。比企谷が隣に座ると、白髪の男性は比企谷に声をかけてきた。
「久しぶりだな」
「本職の方が忙しくてな」
白髪の男性は煙草を口から離し、懐から紙に包まれた何かの束を比企谷に渡した。
「そろそろ切れる頃だったろ」
「ああ、助かる」
男性からそれを受け取り、代わりに封筒をスーツの裏ポケットから取り出し男性に渡した。
「ところで、その二人は知り合いか? 見たこと無い顔だが」
「ああ、旅先で出会ってここのことを教えておいた」
白髪の男性は居を構えず、全国各地を旅しながら生活をして店を宣伝しているのでクローズ営業時にこの店に来る新規の来客はほぼ彼のおかげといっていい。
トントン、と紙の束を整える音がしてそちらの方を見るとすでに資料を片付け終わり封筒に入れている二人の姿があった。
「ありがとうございました」
スーツの女性の方が封筒を返してきた。
「あの、その資料に目を通して思ったんですけど、迷惑じゃなければ……」
「断る」
そう、資料を受け取りながら答えた。
「連れて行けって言うんだろ? 断るぜ、んなこと」
「ちょ、少しは話を聞くとか無いの!」
「ねぇよ。もともと俺が請け負った依頼だぜ、それに見ず知らずのよく分からない他人を連れていくってのがどれだけのリスクになるかなんざ、お前らも分かるだろうが」
「……そう、なら仕方が無いわね」
「ああ、赤い方のやつ、資料の一部を抜き取ってそれを取引に使うってのはやめた方がいいぜ」
そう言って比企谷はカウンターの向こうを指差す。するとそこには、
「さて、御二方。私は見ることに対しては口を出しませんが、もし彼が言ったような事をしているのであれば、私はあなた方に対して罰則を与えなければなりませんね」
マスターは淡々と口にする。表情の変化はないが、雰囲気ががらりと変わりすぐに怒気を孕んでいるのは分かった。この業界、実力も大切だが信用も同様に、実力以上に大切な事だ。
赤い服の彼女はギギギギと錆びた歯車が鳴らすような音を発しながら、隠していた数枚の資料を比企谷に返した。
「ったく。沙希、行くぞ」
「はいはい」
座って待っていた川崎は椅子から立ち上がり、先に店の外へ出ていった。
「ああ、マスターとギンコ。その二人の監視頼むぜ」
そう言い残し、今しがたエンジンがかかった車へ向かった。