書類を読む。
判を押す。
書類を読む。
判を押す。
書類を読む。
意味が分からないものがあったので却下する。
書類を読む。
一部説明が抜けているのでその部分を明記して再提出するよう命じる。
書類を読む。
判を押す。
書類を読む。
内容が頭が悪すぎるので却下する。
書類を読む。
暗殺部隊を動かすように命じる。
書類を読む。
書類を読む。
書類を読む。
書類を読む。
……いい加減に疲れてきたという泣き言の一つくらいは許されてしかるべきだと私はそう思う。
「泣き言を言うのは構わんが、手を動かさなければ終わらんぞ?」
「そうですわよシャルロット様。そもそもその書類もジョセフ様によって必要最小限まで減らされているのですから泣き言を言っても貴女が動かなければそれ以上減ることはありませんよ。このように増えることはありそうですが」
もっちもっちもっち……とガリア王都新名物グラトロまんじゅうを食べながらジョゼフが煽り、火種に薪をくべるがごとくシェフィールドが書類を追加する。
「…………」
「そんな恨めしそうな目で見るな。俺はしっかり手伝ったぞ? 今日の仕事は終わりだ」
「…………」
「私の仕事はジョゼフ様に仕えることで、シャルロット陛下に対しては善意のお手伝いでしかありませんので」
「…………王なんて、なろうとしてなるものじゃない」
シャルロットは溜め息をつく。ジョゼフを王座から追い落とし(実際には普通に譲られた)、自身が王になった(イザベラは面倒だからと丸投げしてきた)。それは覚悟していたし、やる気もあった。
しかし、王の仕事と言うものがここまで面倒なものだったとは思いもしなかった。
毎日毎日書類と向き合い、内容を読んで吟味し、判を押すなり却下するなり再提出を命じるなりして、それが終われば少しだけ休みをとることができる。
しかし休憩が終われば再び仕事がある。今までは大した注意をしていた訳でもない食事のマナー等をもう一度覚え直し、ダンスの練習をして、それから自身の結婚相手を決めるための会合に参加しなければいけない。それは正直な話苦痛でしかなかったが、しかしそれは間違いなく必要なことであるために無視することはできない。
両親は両親で復活した父と完治した母が実家を切り盛りしている以上あまり手を借りることはできないし、そもそも魔法以外の事は近くにいるジョゼフの方が勝っているのでわざわざ呼ぶ意味もない。
有り体に言えば、シャルロットは非常に苦労していた。
「……私に“加速”はかけられない?」
「悪いなシャルロット。この“加速”は一人用なのだ。それによしんばできたとしても加速したところでお前にとっては変わらぬぞ? 俺が使えば使っていないお前からは速く見えただろうがな」
相対速度がどうとか絶対速度との違いがなんだとか言われたけれど、よくわからない。とりあえず『加速している者としていない者の間には時間的に大きな差ができるため加速している本人からすればいつも通りの速度で仕事をしていてもその他の存在からすると凄まじい速度で仕事を片付けているように見える』ということは分かった。そして、残念ながら“加速”していても仕事が早く楽になるわけではないということも理解した。
……まったく、本当に面倒で面倒で仕方ない。一番腹立たしいのは、この部屋でもっちもっちとまんじゅうを食べながら緑茶を啜っている伯父が私と比べて遥かにこういったことにおいて優秀であるということだ。次点は私の父様は性格がもう本当にあれすぎるというのに仕事は完璧にできていて、しかもどうやってか『仕事終わったよーお話ししようよー』と姿も見えないのに語り掛けてくることだろうか。仕事の邪魔になるし、父様が仕事を終わらせるより私が仕事を終わらせるほうが遅いという事実を見せつけられてとても腹立たしい。あんな性格のくせに……!
そんな生活のせいか、最近ふと思い出すことがある。本当に短く、騒がしく、そして楽しかったあの二人と一緒の旅路のことを。
マサは本当に破天荒で、何をするかわからなくて、けれどサイトにはとても優しい人間だった。
サイトは優しくて、暖かくて、私はサイトのことを何度か母と間違えそうになったこともあった。
二人ともがお互いのことを大切に思っているのが見ているこちらにも伝わってきて、もしも私が結婚するような時が来たなら相手はそうやって私のことを心から思ってくれる人がいいと考えてしまうようなこともあったのだ。当時の私は復讐のことばかり考えていて、そういった未来のことなんて考えていることなんてまるでなかったのに……。
けれど私は今、自分でもよく知らない相手と婚約を結ぶことになりそうだ。本当は結婚相手は自分で決めたいところだけれど、王族として生まれ、そして本当に王として君臨することになってしまった以上私が我儘を言うことは
「おや、モリエール夫人。王でなくなった俺はもう用済みだと思っていたのだが」
「馬鹿なことをおっしゃらないで。私は貴方が王だから婚姻を結んだわけではなく、貴方のことが好きだから婚姻を結び、子を産んだのですよ」
「……てっきり王妃の座に座りたいからだとばかり思っていた」
「その気持ちが全くなかったとは申しませんわ。ですが、私は貴方のすぐ傍にいられればそれでいいのです」
「……そうか」
「そうです」
「…………そうか」
「そうです」
……シェフィールド。私にそんな目を向けても本人達がいいと言っている上に、既に結ばれている婚姻を解除させるのは不可能。一応貴女は平民の生まれで、そして一応騎士爵になれているのだから愛人で我慢しておきなさい。
……使えないとか思われても私は知らない。仕事が忙しいから気付いてもいない。ああ忙しい忙しい。けっ。
仕事に忙しくて壁が殴れない。壊してもいい壁がない。そんな時のために私はこの魔法……“偏在”と“氷壁”の魔法を覚えた。自分で作った氷の壁ならどこでも出せるしいつでも壊していい。さらに“偏在”による分身ならば私がいくら忙しくしていても関係なく壁を殴ることができる。『壁殴り代行』という仕事があると聞いてやってみたのだけれど、これが意外とストレス発散に効果的だという事実。問題は砕いた氷の壁が解けるとあたりが濡れてしまうことだけれど、水であるならば少しの手間で吸い出して外に放り出すことができる。問題ない。
……!そうだ、“偏在”にも仕事をさせれば……いや、“偏在”の行った仕事の記憶は私にはわからない。そうなるとこれからのことに問題が出てくる可能性が高い。まさか全ての仕事を“偏在”に任せるわけにもいかないし、そんなことをしてしまっては間違いなく私が非常に疲れる。魔法を使い続けるというのは精神的にすごく来るし、できればやりたくはない。
「後回しにできるものは後回しにすればいいだけだと思うがな」
「……え」
「少なくとも俺はそうしてきたぞ。今必要なものだけを最優先で片付けて、そして後は遊び呆けるのだ。一番気楽な国王生活だぞ」
「……それはどうかと思う」
「しかし全ての仕事を片付けようとしても身体を壊すだけだ。自分にできる仕事だからと言って自分しかやってはいけない仕事であることは少ないし、自分にしかできない仕事であることもまた少ない。適当に仕事を他人に回してやるのも王の務めだ」
はっはっはっは、と笑う伯父に向けて“マジックアロー”を飛ばすが即座に叩き落される。やっぱりあの“加速”は卑怯だ。あんなものがあっては不意打ちするのも難しい。と言うかまず不意打ちできないだろう。さらに言えば不意打ちしたとしても当たらない気がする。化け物め。
「まあまあ、そう怒るな。怒ったところで仕事は減らないぞ? ちなみに仕事の終わった俺はちょっと遊びに行ってくる。モリエール夫人もいかがかな?」
「……では、ご一緒させていただきます」
壁を増やさなければ。まったく、資源は有限なのだから無駄に減らさせるような真似は慎んでほしいものだ。壁を作るのにも壊すのにも精神力が必要なのだから、この私の思いは間違ってはいないはずだ。間違っていたら? 知らない。あくまでも『私の中では』間違っていないということなので、少なくとも私は私が間違っていないと信じている。だから私は間違っていない。
そんなことを考えている間に、伯父は右にシェフィールド、左にモリエール夫人の二人を連れてさっさと部屋を出て行ってしまった。どこに行くのかはもう私の知ったことではないけれど、王位を奪われたことになっているのだからもう少し大人しくしていてもらいたい。まあ、無理だろうけれど。
一つ溜息。仕事は終わらないし、伯父は見た目が鬱陶しいし、実の父は口調と性格がもう本当にあれだし、使い魔はきゅいきゅい鳴きながら私にかまってかまってと纏わりついてくるし、本当に大変だ。
「……やっぱり、王なんてなろうとしてなるものじゃない」
シャルロットは一人きりになった執務室でそう呟いて、再び仕事に取り掛かり始めた。
そのペンの進む速度は決して早くはなく、作業に慣れたジョゼフ(非加速状態)やシャルルとは比べようも無いほどだったが、それはこれからいくらか改善されていくことだろう。
人生は長く、シャルロットがこれから処理する書類の数はそれこそ非常に数多くなる。いったいいつまでかかるかはわからないが、少なくともいつの日にかこの程度の書類にてこずるようなことはなくなるはずである。
しかしそれはあくまでも未来のこと。今のシャルロットはぶつぶつと小さな愚痴を漏らしながらゆっくりと積み上げられた書類の山と格闘を続けていた。
「……ジョゼフを倒して王になれば何かが変わると思っていたけれど……」
変わったには変わったが、今までよりはるかに面倒な仕事と凄まじい重圧の責任が押し寄せる。確かに変わったため騙されたわけではない。しかし、自身の望む方向とは大きく違った方向に変わってしまった。
それは、シャルロットには大きな『騙された感』としてのしかかってくるのであった。