二人の鬼   作:子藤貝

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親と子。近くて遠い、見えない壁。
絆を取り戻すのは、誰の言葉か。

1ヶ月近く空けてしまい、申し訳ありあせん……。
今後は、長く投稿が滞った場合は作者ページの活動報告を
投稿いたします……覚えていればですけど……。


第十話 父と娘

ウェスペルタティア王国。その王家、現王位継承者はアリカの父である。幼い頃からあまり笑ったところを見たことがない無愛想な父が、アリカは苦手であった。

 

『ちちうえは、ははうえをあいしておられたのですか?』

 

ある時、アリカは父にそんなことを尋ねた。幼い頃から聡明であった彼女は、しかし早くに母を亡くし、父も政務で忙しかったがゆえに乳母や世話係の老人に育てられ、本来の親からの愛情は乏しかった。故に、彼女は父に問うた。彼女の誕生に、愛は存在したのかと。

 

『…………』

 

対する父、国王たる男は黙りこくっている。その眉間には深いシワが刻まれ、年齢相応の威厳、重圧を感じ取れた。父と会うこともあまりない彼女は、彼が怒っているのかと思いそわそわとしている。会う機会がないからこそ、今この場所で彼に問いかけたのだが、軽率な行動であったと今更ながらに気づき、涙目になりそうだ。

 

『……ああ、そうだ……』

 

短く、しかし厳かなる声。父は確かに、アリカの母である女性を愛していると肯定した。その答えに、アリカは一瞬呆けた顔をしたかと思うと、目元の涙を両の腕で拭い、彼から聞けたことから湧いた少しの嬉しさから笑みを浮かべる。その様子を見て、彼はアリカの小さな体を、その両の腕でひょいと持ち上げると、その大きな胸の中に抱き入れた。

 

『ちち、うえ?』

 

その突飛な行動に、アリカは戸惑う。父と娘という関係でありながら、触れ合うといったことが全くなかった父に抱きかかえられるなど、考えもしなかったのだ。

 

『……アリカよ。我が妻であったお前の母は、美しく、気高かった……』

 

『はい』

 

『私は、お前を愛してやれるか分からぬ。お前は彼女に似て聡明であり、美しい。しかしお前は母とは違う。だから愛してやれるか分からぬのだ……』

 

彼の言葉を、アリカが理解できていたかはわからない。彼女は賢くはあれど、所詮は幼い少女。彼のその言葉を、正しく理解できるほど年月を経ていない。だが、彼女は彼のその雰囲気を何となく感じ取ったのであろうか。

 

『だいじょうぶです』

 

彼の顔を見上げ、ニコリと微笑む。屈託のないその太陽の如き笑みは、彼の心を揺らす。

 

『わたしは、ちちうえの、そしてははうえのむすめですから!』

 

『!』

 

その言葉は。今まで悩み続けてきた彼の心に光明を差すものであり。彼が悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなるほど当たり前の言葉であり。

 

『……アリカ』

 

彼は、彼女が苦しくないように手加減しつつ、彼女を抱いている腕の力を強めた。

 

『ちちうえ?』

 

『……ありがとう』

 

『え?』

 

『愛しているぞ……我が最愛の娘よ』

 

アリカは、腕の中から彼の顔を見上げる。そして、自分の父である彼の、初めての表情を見た。顎に蓄えられた立派な髭がくすぐったく、陽の光もあってしっかりと見えはしなかったが。彼は、娘である彼女に確かに……微笑みかけていた。

 

今でも覚えている。アリカが尊敬し、大好きであった父の、初めての笑顔。彼女の記憶に刻まれた、優しき父の姿を……。

 

 

 

 

 

「よいな……もはや父上は"敵"だ。合図をしたら突入する」

 

「本当に、よろしいのですか姫様……」

 

「……覚悟の上だ。もはやこれ以上の国内外の惨状は見過ごせぬ……」

 

自分を育ててくれた老婆、自分の母代わりとも言える人物に心配されたアリカの顔は暗い。その事実を知ったのはほんの数週間前。父が『完全なる世界』と繋がっているという恐るべき内容であった。彼が政治に最近関心を向けない理由が、それであったということを知ったときは流石のアリカも呆然となったものであった。

 

(……父上、何故……何故国を裏切られたのです……!)

 

常に近くから彼を見てきた彼女は、しかしよく彼のことを理解していたかといえば違う。ただ、国のために政務に励む彼の姿を、彼女は覚えている。そんな彼が何故、国を裏切るような真似をしたのかが理解できなかった。

 

「こちら東門……そちらの準備はどうだ」

 

今、彼女はその父に事の真相究明と王位簒奪のためにクーデターを起こそうとしている。指名手配中である身でありながら、そんな自分に付いて来てくれた兵士たちにはほとほと頭が下がる思いだ。

 

「そうか……。アリカ様、『赤き翼』も所定位置についたとのことです」

 

クーデターなどという、国家をひっくり返すことをやらかすには、それ相応の時間と準備が必要になってくる。しかし、彼女はその手腕とカリスマ性で的確に指示を行い、僅か2週間でクーデターの準備を完了させた。これは、国内の戦力を握る貴族の者達が無能ぞろいであったことも幸いしたのだが、それでも準備期間としては驚異的な短さである。

 

「……時間です。突入の準備を」

 

「……皆、征くぞ」

 

 

 

 

 

「……私に何用だ、賊よ」

 

「何、貴様には会っておいてみたかっただけだよ、ウェスペルタティア国王」

 

謁見の間にて、ウェスペルタティア現国王の男は、この茶番の行く末を待ち構えていた。そんな彼は、娘に嫌われることを承知で王としてあり続けた。相応の地位についたものに、孤独は珍しいことではない。甘言を振りかざす魑魅魍魎と日常的に戦っているのであれば人間を信用しなくなるのも頷ける。

 

「お前は、何故奴等の協力者となったのかをな、聞いてみたいんだ」

 

「……そんなくだらぬ話のために来たのか。去れ、これよりこの国は大きく揺れるだろう」

 

「警備兵を呼んで捕縛しないのか? お優しいことだ」

 

「貴様のような不愉快な邪悪にこれ以上、見つめられるのが心底うんざりするだけだ」

 

対話をしているのは、金髪の美しい少女。エヴァンジェリンである。彼女はこの国王が『完全なる世界』の協力者である事を突き止め、此処へとやってきた。彼女が興味を抱いた、彼のある行動を問いただすために。

 

「しかしまあ、国が揺れるどころではないだろうに。ある種の革命だぞ? 貴様はどこかに逃げなくていいのか?」

 

そんな彼女の問にも、彼は鉄面皮で淡々と答える。

 

「余計な心配は要らぬ。元より、ここは私の生まれた地。そして私は今はまだ王の位だ、逃げ出すわけにもいくまいに」

 

「……嘘つき……」

 

突然の、エヴァンジェリンの背後からの声。柱の影から現れたのは、これまた黒髪の麗しい少女、鈴音であった。

 

「……嘘か真かなど、たかが(わらべ)に分かるものか? 戯言も大概に」

 

「……魂が、泣いてる……」

 

そんな言葉とともに視線を合わせた彼は、その鉄面皮を維持しながらも内心驚愕した。まるで、自分の中身を見透かされているかのような感覚。彼女の言う通り魂というものが己のうちにあるのならば、泣いていると言うよりも怯えているというべきだろう。それ程に、彼女の黒く冷たい眼差しは何かを秘めていた。

 

「……娘が、愛しい……」

 

「!」

 

「……私には、分かる……」

 

そう言いながら、彼女は己の腰に佩いた日本刀を抜刀する。暗がりの中であるため、窓の外から漏れだした光を反射し、キラリと光っている。次いで、彼女は一歩。前に踏み出した。

 

同時。彼女は国王の前にいた。いや、そこに現れた。

 

「っ!」

 

リィン

 

鈴の音。澄み切ったその音は謁見の間を静かに響き渡った。思わず反射的に目をつぶってしまうがそれで何かが変わるわけでもない。迫り来るであろう刃を目を閉じながら想像し、それによって齎されるであろう痛みに備えた。しかし、何時まで経ってもその時は来ない。

 

「……目を開けろ……」

 

彼女の言葉を耳にし、恐る恐る目を開ければ……。

 

「なんと……」

 

目に入ったのは、恐ろしいほどに美しい、(あか)

 

金属的な赤みを帯びていながら、血のような脈動を感じさせる対照的な印象を抱かせる。

 

一振りの剣にしては、余りにも規格外な代物。

 

芸術家も裸足で逃げ出すほどの神秘。

 

「……我が『紅雨』は、父より賜った……」

 

これほどの逸品を、国王は見たことがない。いや、芸術品やら調度品やらであれば見たことはある。しかし、これほどに寒気を覚える幽玄な刃を、彼は知らない。

 

「……父の剣だ……父は……私を生かすために……これを私に与えた……」

 

首筋に感じる冷たさは、恐らくこの紅が肌に与えているらしい。見れば、この紅を更に濃く染めるかのように一筋の赤が滑り落ちていく。それはさながら、この刃が己の内に流れる命の水を啜るかの如く。血が刃に滲んでいき、そして消えていく。刃は気のせいか、ほんのりと赤みを増したように見えた。

 

「……貴様の目は、父と同じだ……」

 

その使い手の瞳は、深い闇を湛えて輝いており、しかしすべての光を飲み干したかのように暗く重い。彼はそれだけでよく分かった。彼女は父を尊敬し、そして失ったのだと。

 

「……娘の幸せなど……考えていない……!」

 

刃が僅かに震える。ああ、彼女は分かってしまったのか。同じ父であったが故に。自分のような身勝手な父親をもったが故に。

 

「……なぜ……娘に(・・)殺させようと(・・・・・・)する……!」

 

「……それが、最善であるからだ……」

 

彼女は民衆に大きく支持されている。かつての自分のように。かつて高潔なる人物などと煽てられた(・・・・・)自分を見ているかのようであった。いや、彼女は自分で考えて行動し、正しき心を持っている。自分のような、傀儡にされ続けた愚か者ではない。そんな彼女に王位を簒奪させ、国内の腐敗貴族を一掃させ、民衆とともに有る為政者を。

 

「そのために、ここまで仕込みをしたのだな」

 

エヴァンジェリンの言葉。そう、全てが仕組まれていた。わざと政治に無関心を装って民衆の不満を膨らませ。腐敗貴族の幅をきかさせてボロを出させ。彼女がここに来た理由も、本当は鈴音のたっての頼みだった。彼女は、彼の心の内に気づいて問いただしにきたのだ。

 

「……私は、『完全なる世界』の手駒として生きてきた。それに不満もなかったし、我が臣民と家族を守れるのであれば十分であったよ」

 

「…………」

 

「……お前たちは、『完全なる世界』が作り上げた"世界"を見たことが有るか?」

 

「そういうお前は、見たことがあるのか?」

 

「……ある。あそこは……(おぞ)ましい場所であった……」

 

一度だけ。彼らに深く関わる協力者として、彼らの『目的』を見せて貰ったことがある。そこは、皆が皆平和であり、争いはなく、苦しみも、憎しみも、悲しみも存在しない。

 

「……あそこには、何もない(・・・・)

 

精神を満たす場所ではあるだろう。事実、自分は大きな幸福感を得ていた。しかし、何かが欠落していた。充たされない、言い知れぬ何かを感じたのだ。

 

「あんな所に……我が臣民を、娘を放り込めるものか……!」

 

密かに彼らと道を違える決意を決めた後、彼らに抗うすべを持たない彼は壮大な茶番劇を仕掛けることにした。その主役は娘、そして道化は自分。

 

「皮肉なものだな、国民を裏切り続けた貴様が、貴様だけがその脅威に立ち向かえるただ一人であったなどとは」

 

「……これは罰だ。私に対する、罰なのだ。裏切り者は所詮理解されずに死んでいくもの。だがそれでいい……あのような悪夢に永劫囚われ続ける未来よりは遥かにマシだ。思い通りにいかない現実とは、かくも苦しく……しかし素晴らしい」

 

目を閉じ、そんな感慨深気な言葉を呟く。彼はもう死ぬ覚悟を固めている。その姿はいっそ清々しいほどに高潔な意志を見せる。娘に自分を殺させるという親として最低の行いをさせようとしているのにも、だ。

 

「ふん、狂人め。残される者達の末路さえ考えないのか、いいご身分だな」

 

「……私は、妻を失ってからずっと孤独であった。娘さえ、どう接してやればよいか分からず、寂しい思いをさせてしまった。それでも、娘を愛していることに変わりはない……。例え彼女の歩む未来が茨の道であろうとも……今は彼女を支える者達がいる」

 

身勝手で、親のエゴを剥き出しにした彼の願望は、彼女を大きく傷つけ、苦難の道を歩ませるだろう。しかし、甘やかすだけが親ではない。厳しき道を示すこともまた、親の務めだ。彼が情報を彼女にわざと流したのも、彼女を支えてくれる人物たちと出会い、共に戦い、その絆を深めたことを確認した上でのこと。

 

「私では無理だ……彼女に必要なのは、困難に打ち勝つ意思と、それを支える仲間。それが今、彼女には、娘には備わっている……」

 

実の父親相手であろうとも、悪徳を許さない清廉なる意思とそれを支持する者達。もはや父であるだけ(・・)の自分は必要ではない。

 

「貴様らにも、感謝しておる」

 

「……なんだと?」

 

「『黄昏の姫巫女』、いやアスナ姫のことは私の考えの外であった。彼女は『完全なる世界』の目的に必要な人材であったゆえ、どうすることもできず……本来であれば娘とその仲間たちに託すつもりであった」

 

しかし、エヴァンジェリンが彼女を攫ったことで彼の想定以上の展開となった。アスナは自分の意思を持つようになり、道は違えたが幸せにしている。アリカは、彼女を奪われたことから

心のなかにあった油断や甘さを見直すきっかけを得た。

 

「私には、どうすることも出来なかった。何もできずに来たせいで、最早こんなことでしか彼女らに手向けることができない。貴様ら悪党を、彼女らを苦しませる貴様らを許したくはないが、それでも感謝ぐらいは述べたかった……」

 

「別に感謝などいらん。私はお前の娘という宿敵を得ることができたのだ、それでチャラにしろ」

 

「……そう、だな。さあ、去れ……もうすぐ娘と兵がここに来るだろう」

 

年寄りには見えない、王の威厳を放つ鋭い眼光。だがエヴァンジェリンはそれに微塵も怯むことはない。むしろ、その顔は喜色に満ちていた。

 

「そういうわけにもいかんのだよ……」

 

ニィと、その口の端を吊り上げ、邪悪な笑顔を見せつける。その様を見て、さしもの王である彼も背中から冷や汗が流れる感覚がした。

 

(なんだ……このバケモノ、何を企んでおる……)

 

とらえどころのない、目の前の少女。その考えていることが全く読めない。

 

「これがなにか知っているか?」

 

そう言って彼女が懐から取り出してみせたのは、黒くて四角い重厚な箱。彼が初めて見る代物だ。

 

「私は旧世界で人間とともに生活していたことがあってな。その時にたまたま触れる機会があったんだが、それがトランシーバーというやつでな……魔法も使わずに離れた人物と話ができるという面白い機械だ。まあ、そこでだと電波法やら何やらで使う機会がなかったんだが、魔法世界なら問題あるまい」

 

「……機械か。魔法の秘匿されている旧世界で発展した、科学技術とやらの結晶……」

 

「ほう、存外旧世界の情報も知っている辺り中々優秀らしいな。流石に長く続いているウェスペルタティア王国の現国王だ」

 

「御託はいい。その機械で何を仕出かすつもりだ」

 

彼の眼光は、さきほど彼女らに感謝を述べた時に見せた優しいものではなく、最初に対峙した時の鋭く射抜くものとなっている。いや、むしろ彼女らに警戒をしている今はそれ以上だといえる。

 

「言っただろう、離れた(・・・)人物と(・・・)話ができる(・・・・・)と」

 

「だから、それがどうしたと……」

 

苛立たしげに言葉を吐き出す。その様子を見て、エヴァンジェリンはヤレヤレといった風に首を振りながら、驚くべき言葉を言い出した。

 

「先程からの会話、この機械を通して漏れ出していると言ったらどうする?」

 

「なっ!?」

 

 

 

 

 

「なんと……国王様はそんな葛藤を抱えられて……」

 

「ケケケ、マア王様ナンテ大体ソンナモンダロ。周リガ国賊バッカジャ、誰ニモ心ヲ許セナイモンサ」

 

こちらは王宮の廊下をひた走っていたアリカ達と、エヴァンジェリンのトランシーバーから流れてくる音声を拾う役目を負ったチャチャセロ。一連の会話は、彼女らに駄々漏れであった。

 

「父上……やはり、あなたは……」

 

「急ぎましょう、姫様。今こそお二人は腹を割って話すべきですじゃ!」

 

もう一人の母とも言える老婆のその言葉に頷くアリカ。

 

「ああ……私も、父の本当の心の内を知りたい!」

 

「感謝シロヨー、オレ達ガ気マグレデコンナコトシテナキャ、今頃王様ノ本当ノ気持チヲ知ラナイママ殺シテタカモナ?」

 

ケタケタと笑うチャチャゼロに、苦い顔をするアリカと兵士たち。彼女らからすれば、目の前の人形はかつてこの王宮に侵入し、アスナを連れ去ったという前科があり、本来であればここで即刻捕えるべきなのだが今の二転三転した状況ではそんなことも言ってられない。

 

仕方なく、彼女はチャチャゼロを無視して謁見の間へと無言で進んでいった。それを後から追う兵士と、その様子を眺めてなお笑うチャチャゼロ。

 

「感謝ノ言葉モナシカヨ。マ、当然カ……」

 

そう言うと、チャチャゼロは廊下の影になっている場所に向かって手を挙げる。すると、そこから一人の少女が姿を現した。チャチャゼロはトランシーバーをその人物に手渡す。

 

「デ、オ前ハコレカラドウスルヨ、アスナ」

 

「……気にしてくれてたってのはありがたいけど、結局何もしてくれなかったことには変わりないし、どうでもいい」

 

アスナであった。今回のこの一連の行動は、鈴音がアスナに残った最後の選択を決めさせるために考えたのだ。この会話で彼女が戻りたいと願うなら、戻してやろうと。彼女はバケモノ扱いされてきたが、あくまで人間でしかない。これから先を考えれば、彼女には辛いことが山ほどのしかかってくるだろう。

 

だからこそ、彼女に最後に選ばせようとした。彼女が本当に一緒にいたいと願うのはどちらであるかを。

 

「……戻ッテモオレ達ハ何モ言ワネーゾ? オ前ヲ強引ニ連レテ来タ事ハ後ロメタイシ、アクマデ魂モ肉体モ人間ノオ前ニハ辛イコトガコレカラ待チ受ケテルゼ?」

 

「それでも、それでも私は皆といたいの。私を必要だと言ってくれたマスターと、私と一緒にいてくれた鈴音と。そして、私のワガママに付き合って頭を撫でてくれた、チャチャゼロと」

 

笑みを浮かべる彼女に、悲壮感も、葛藤もない。とてもスッキリとした様子だ。

 

「……ソーカ。ダッタラ、モウ後戻リナンテデキネーカラナ? ドレダケ泣キ喚イテ、人間トシテ生キタイナンテ言ッテモ遅イゾ?」

 

「それこそ今更じゃない。だって私は、マスターの誇り高きシモベなんだから」

 

 

 

 

 

「ククク、面白いことになりそうだなぁ?」

 

憎たらしいほどに"イイ"笑顔である。さしもの彼もこの所業には開いた口がふさがらなかった。なにせ、彼が長い時間を掛けて仕組み、発覚しないよう綱渡りしてきたことをあっさりと茶番に変えてみせたのだ。

 

「貴様……一体何を企んでいる!?」

 

「さて、な?」

 

「おのれ……! うっ、ゴホッゴホッ!」

 

興奮気味に叫ぼうとし、突如咳を発して口元を抑える。見れば、そこには赤い(まだら)ができている。その様子を見て、彼の首筋に剣を当てていた鈴音は刃を収める。

 

「病か、道理でこんな七面倒な計画を企むはずだ」

 

「貴様に言われずとも、ゴホッ! 私の体だ、私が一番よく分かっている……。このことを悟られぬよう慎重に慎重を重ねたというに……貴様のせいで全て水の泡だ!」

 

ようやく咳が治まってきたのか、彼は最後に少し唸った後にゆっくりと玉座に座り直す。

 

「あと1週間ももたぬだろうな……。医者にかかれば貴族の豚どもに暗殺されかねん故、死を覚悟していたというのに……」

 

「ククク、私にはむしろ別の理由が見えたがなぁ?」

 

「……どういう意味だ」

 

相変わらず嫌らしい笑みを浮かべたままのエヴァンジェリンに、訝しげな顔をする王。何を企んでいるのかは分からないが、どうせろくでもないことであることだけは想像に難くない。この悪党は非常に質が悪い輩であると、これまでのやり取りでよく分かっている。

 

「貴様は、怖いのではないか? 自分の娘に拒絶されることが」

 

「何を言うかと思えば、実の娘に殺されようという者が、そんなことを考えるとでも」

 

そこだ、と言いながら彼女は人差し指を突き出す。その指をゆっくりと、ぐるぐる回し始めて話を続ける。

 

「そこが確定しているのがおかしい。逆転の発想で考えれば全く別の視点が見えてくる」

 

「……言ってみろ」

 

「貴様はさっき言っていたな? 自分は国も国民も裏切った者だと。だからこそ、このまま裏切り者として娘に拒絶されるような生き方よりも、憎まれ役で初めから彼女に敵意を向けられる事を覚悟する死の方が気が楽に感じられた……そんなとこだろう」

 

「根拠もない妄言ではないか、下らん」

 

彼は彼女の言葉を一蹴するが、しかし彼女の笑みは崩れない。さながらその様は、絶対的な自身を身につけた邪悪な王者。王である自分でさえ、彼女の前では只の人間でしかないと直感的に思わせるかのような立ち振る舞い。

 

「貴様は娘と触れ合うことが少なく、それ故娘との距離感を上手くつかめずにいる。王としては孤独を是とするその姿勢は見事だろうが、父親としては失敗だった。お前は、娘を愛していながら彼女を理解できていない。時が止まっているかのようにな」

 

「……戯言だ」

 

「いや、自分の心も理解できていないのかな? 娘が大事なのは頭で理解できていても、心で彼女を愛しているかは分かっていない」

 

「ッ黙れ!!!」

 

咆哮ともいうべき、彼の大声が部屋中に響き渡る。立ち上がり、ぜいぜいと息を乱しながらエヴァンジェリンを睨みつけるが、呼吸の乱れのせいでまたゴホゴホと咳き込む姿は酷く弱々しい。

 

「まあ、部外者である私が言うことではないがな。あとは、親子水入らずで話すといい」

 

そう言いながら、彼女は影へと溶けていく。鈴音はそのあとに続くように、柱の影に消えていった。彼は息を落ち着かせると、ゆっくりと座って目を閉じる。そして。

 

「父上……!」

 

彼が先ほどまで待ち望んでいた、しかし今は出会いたくなかった、愛娘の姿があった。

 

 

 

 

 

「父上……」

 

「……来たか、アリカ王女(・・)

 

親子というにはよそよそしい、彼の言葉にアリカはしかし怯むことなく彼を問い詰める。周囲の兵たちはいつでも彼女を守れるよう、剣の柄に手をかけている。

 

「……先ほどの会話、真なのですか?」

 

「……何の話だ」

 

「ですから、先程『闇の福音』との会話は真なのかと」

 

「黙れ」

 

「っ!」

 

彼に質問を投げ続ける彼女を、たった一言で止める王。あまりにも冷淡な態度に、彼女の世話役であった老婆は彼に問い詰めようとするが、それをアリカは無言で手をかざして制す。

 

「あのような賊との話など、よもや信じるつもりか? あのような戯れにもならぬ下らぬ会話を」

 

「しかし!」

 

「これ以上話すことなどあるまい。そこの兵隊たちはお前の手のものだろう?」

 

王から咎めるような視線を向けられ兵士たちに若干の動揺が走るが、すぐに平静を取り戻す。伊達に王宮の警護についてはいないのだ。

 

「革命か。随分と過激なことをする……。よもや我が娘がこのような野蛮人の如き企みをするとはなんとも愚かな……。これでは彼らに申し訳が立たんではないか……」

 

「……彼ら、とは……『完全なる世界』の者たちのことですか」

 

「ふん、知っているか。ならば彼らの崇高なる目的も知っていよう」

 

「父上……」

 

「私は最早愚かな民を統治することに疲れたのだ……彼らの理想を達成することで、私は永遠の安息を」

 

「父上!」

 

彼女の声に、王は言葉を止める。彼女の真剣なその顔に、彼は思わず言葉を止めてしまったのだ。その姿は、かつて彼が最も愛した女性と瓜二つであり。

 

(あ、アリア……)

 

最愛の娘(アリカ)と、最愛の妻(アリア)。彼にとって、かけがえのない二人。

 

「父上、ただ1つだけ……お聞きしてよいでしょうか」

 

「…………よい、申してみよ」

 

先ほどの茶番を無にしようと、『完全なる世界』の名前まで出して道化を演じたというのに。今眼の前にいる彼女の瞳は、自分のすべてを見透かしているかのようで。

 

(……存外、あの賊の言う通りなのやもしれん……)

 

彼女を直視することを恐れている自分を、今になって認識している己に、呆れてしまう。実の娘を恐れるとは、一国の王である前に父親として失格ではないか。そんな自分が滑稽で、内心自嘲の笑いがこみ上げてきたが、ぐっと口元で抑える。

 

「……どうした、早く申せ」

 

「……すみません、父上。私は怖いのかもしれません……貴方に再びこの質問をすることが」

 

怯えたような、引きつった表情の彼女を見て彼は疑問符を浮かべる。何故私に怯えている。やはり私を拒絶するのか、裏切り者である自分を。いや、だが彼女は"質問をする"ことを恐れている。いったい、どんなことを聞こうとしているのだ。

 

「……幼い頃、父上に同じ質問をしました」

 

その言葉を聞き、彼は記憶を手繰り寄せようと思考を巡らせるが、幼いことに彼女と話し、質問を投げかけられたことを思い出すも内容までは出てこない。

 

「覚えている……お前がまだ10にも満たぬ頃であったな……」

 

「父上、この場で再びお聞きします……。今もまだ、母を愛しておられますか?」

 

「…………」

 

沈黙。しかしこれは彼が彼女の質問を拒絶しているからではない。目を瞑り、彼女を抱きかかえたあの時を懐かしむ。彼にとって、あの時間は父親としてかけがえのないものであった。

 

「……父上?」

 

「……懐かしい。お前を抱きかかえ、私はお前に言ったな……お前を愛せるか分からぬと」

 

天井を仰ぎ見て呟く。そこに、王としての厳かな雰囲気は感じられず。一人の臆病な父の姿があるだけだった。

 

「今一度答えよう、()よ。私はお前の母を、妻を……アリアを愛している」

 

ゆっくりと天井から視線を落とし、目の前に立っている愛娘へと顔を向ける。その表情は。

 

「!」

 

「そして、お前もだ……アリカ(・・・)

 

柔和なほほ笑みが、父親として娘に向ける暖かなものが感じ取れた。

 

「わ、私もです……父上……!」

 

アリカは思わず彼に駆け寄り、父は両腕を開いて迎え入れ、抱きしめる。老婆はその二人の姿を見て、目尻を下げる。

 

「なんとも、難儀なところが似たものですじゃ……。お互いに距離がありすぎて、臆病になっていただけでしたのじゃな……」

 

気づけば、彼女の目元には薄っすらと水滴が滲んでいた。しかし、それを拭うことなく彼女は二人の光景をしかと目に焼き付けようとし。

 

「っ! 危ない!」

 

誰の声であっただろうか。兵士の一人のものであったのだろうその危険を知らせる叫びは、しかし彼らに届くことなく。とっさにアリカを突き飛ばした彼は。

 

「グフッ……!」

 

死角から現れた鈴音の凶刃を、躱すことなど出来なかった。

 

 

 

 

 

「ちち、うえ……?」

 

アリカには、倒れゆく父の姿がゆっくりに見えた。あるいは、世界は静止してしまったのかもしれない。自らの父の腹部から止めどなく溢れ出る鮮血は、真っ赤な絨毯をなお赤に染め上げる。

 

「国王様!!!」

 

兵士たちの叫び声に、アリカは意識を現実に引き戻す。そして目の前にいる、己の父の腹に刃を突き刺した鈴音を見つける。彼女はゆっくりと彼から愛刀を引きぬき、血振りをしている。

 

「きっ……」

 

「……手応えあり……」

 

「貴様ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

半狂乱になって叫びながら、腰に帯びていた剣を抜き放ち。彼女に向かって突進した。

 

「よくも……! 父上を……っ!」

 

怒りに我を忘れ、暴力的に振り上げた諸刃の剣を彼女に振り下ろすが、鈴音は他愛もないといった様子で、アリカの父を屠った刃で受け止める。強烈な金属音が響き渡った。

 

「……憎いか……父を殺した私が……」

 

「黙れッ!」

 

激高し、吐き散らした言葉を肯定と受け取った彼女は、アリカの剣を弾くと距離を取り。

 

「……ならば……きたるべき時に……私を討ち滅ぼせ……」

 

そのまま背後の闇へと消えていった。

 

「待てッ! この……下衆がぁっ!」

 

追おうとする彼女であったが、それを引き止める声があった。

 

「待て姫さん! 王様をおいてく気か!?」

 

ナギであった。本当はありかと合流する手はずだったのだが、城内に張り巡らされた罠と、人形によって到着が遅れたのだ。もちろん、これらは全てエヴァンジェリンの仕業である。正確には、彼女から命令されたチャチャゼロによるものだが。

 

「っ! そうだ父上は……!」

 

苦い顔をしつつも、彼の言葉で思いとどまり父のいた場所へと視線を戻す。

 

「ア……リカ……」

 

「父上!」

 

走り寄って彼を抱きかかえるも、腹部からの出血は止まらない。治癒魔法をかけるようアルビレオに懇願するが、王が待ったをかけた。

 

「もう……助からぬよ……寒くなっていくのが分かる……」

 

「喋ってはなりません! 出血が酷くなります!」

 

「元より……余命幾許(いくばく)もなかったのだ……それが、ゲホッ……早まっただけのこと……」

 

「そんな……!」

 

父の告白に、彼女は動揺を隠しきれなかった。ようやく、ようやく彼と親子として絆を手に入れたというのに。それが儚いものであったなどと、誰が考えようか。

 

「アリカ……私は、王としてではなく……父としてお前に接してやりたかった……。だから……『完全なる世界』に協力した……」

 

彼はポツリポツリと話し始めた。自分は王として、たとえ娘であろうとも心を許せない。ならば、そんなことを気にする必要もない『完全なる世界』に行き、彼女に父親らしく接してやりたかった。

 

「何とも……自分勝手であろう……? お前の気持ちも考えず……私一人の独断で……。だから私は怖かった……お前に拒絶されることが……」

 

「何をおっしゃいます! 私も、父上が私をまだ愛してくれているのか不安でした……! だから、貴方の周辺を探り……『完全なる世界』との繋がりを見つけた時、心臓を悪魔に掴まれたかのような苦しさがありました……!」

 

お互いの心の内を、罪を。吐き出すかのように告解する二人。誰もが、その二人の姿を黙って見届けている。

 

「ふ、ふ……なんとも……嫌なところが……似たものだ……」

 

「……そっくり、ですね……父上……」

 

「アリカ……もうお前の顔も……分からないが……最後の言葉を……。お前はアリアの子だ……、きっとどんな困難も……乗り越えられよう……」

 

「貴方の娘でもあります……そのことが、私には何よりも誇らしい……」

 

ゆっくりと、彼の生命の感覚が薄れていくのを感じていた。ああ、父は死ぬのだと。アリカは直感的に理解し、父の最後の言葉を受け止める。

 

「お前の名前……アリアの……で……私と……名前を……」

 

「そうですか……私の名前は……」

 

「あ……い…………し………て……い……………」

 

「…………父上……?」

 

「…………………………」

 

パタリと。彼の腕が地面にこぼれ落ちた。もう、生命の鼓動は止んでいた。

 

「……父上……私は……貴方の娘に生まれて……幸せでした……!」

 

雫が一つ、冷たい赤の絨毯に滑り落ちた。

 

 

 

 

 

その様子を、遠目から眺める人物が一人。プリームムであった。

 

「始末する手間が省けたけど……少し物悲しいな」

 

彼は長らくかの王と接しており、それが仕事上の事務的なものでこそあれ、感情を解した今の彼には寂しいものがあった。

 

「しかし、君たちも随分とえげつないな……」

 

ここにはいない人物たちに思いを巡らせ、独りごちる。彼女らは今回のことで明確に『赤き翼』とアリカ王女に敵対者として認識されたことだろう。目的は依然不明だが、彼女らは大戦の中で『英雄』と呼べる人物たちと敵対することを望んでおり、今回のこれもその一環であろう。しかし、恐るべきはその想像の遥か外をゆく強かさ。

 

「アリカ王女に現国王を討たせないことで正統なる彼女の王位継承に箔をつけ、後々の彼女らの罪を取り除く……。しかも革命時であれば彼女に従う兵士ら証言者も確保できる……。そして彼女らは国賊として更に名を上げられる、か」

 

父との和解の場面まで見せつけ、それを見たものが王国中に広めればアリカの民衆からの支持は盤石となるだろう。ここまで見越した上で今回のことをしたのであれば、彼女はまさに影ながらウェスペルタティアを手助けした功労者であろう。

 

「フ……それぐらい手強いほうが、打倒しがいがある」

 

今はない右腕を掴むように肩口を掴み、武者震いをする。その顔は、これからのことが楽しみで仕方がないといった風だ。彼はもうここには用はないと立ち上がると。

 

「それにしても、自分と妻の名前から娘の名前をとってアリカ、か」

 

ふと、眼下に見えたのは。彼の遺体に縋りついて泣くアリカと、冷たくなり横たわっている国王。彼のその表情は、遠目から見たプリームムはとても安らかなものに見えた。

 

「君を利用した僕が言えた義理じゃないが……」

 

そのまま彼は振り返り、一言だけ呟いて去っていく。

 

おやすみ、と。

 

カーネギー・オルフェウス・エンテオフュシア。享年52歳。後に国民から『偽りなき王』と呼ばれ敬愛される彼は、『完全なる世界』の企みを阻止した功労者として親しまれ続ける。その亡骸は妻であったアリア・アルテミア・エンテオフュシア王妃の墓の隣に埋葬された。娘のアリカは彼の死を大いに悲しみつつも、国のために王位継承をとり行い、民衆は彼女を盛大に歓迎した。

 

後に、アリカ女王が子を身篭った際、彼女の夫の名前、そして彼の名をとってつけたことは、彼女に近しい者以外は知らない。


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