二人の鬼   作:子藤貝

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黄泉返りし鬼は、新たな力とともに立ち上がる。
真なる邪悪は再び反撃の牙を剥く。


第十三話 反撃の始まり

「ぐぉぉ……! そういえばこんな状態だったな!?」

 

目覚めたエヴァンジェリンを迎えたのは、強烈な痛みと最悪な気分であった。まあ、先ほどの

死の世界で味わった地獄の苦しみに比べればマシに思えたので叫ぶようなことは幸いにもなかった。

 

「……なるほど、これが鈴音が見えていた世界か。悍ましく……そして何とも美しい……」

 

死の世界を訪れたことにより、彼女は鈴音程ではないにしろ世界の裏側が見えるようになった。先程までどのような構造をしているのか皆目検討もつかなかった曼荼羅が如き魔法陣も、その術式構成が丸裸同然に見えている。

 

「ふむ、幸いにも私は肉体を封じられはしたが魔法も魔力も封じられていない……か」

 

見える世界が変われば、己を構成するものも見え方が変わってくる。ただの血と肉でできたタンパク質の塊でしかないと捉えていた己の肉体は、凄まじい勢いで魔力を周囲から吸収し、肉体を再生させようと自動的に魔力を肉体へと変換しているのが感じ取れた。どうやら、彼女の肉体は魔力を物理的な肉体へと自動変換して体を再生しているようだ。

 

「……なるほど。私自身も、特殊とはいえ魔法世界人と大筋では変わらないようだ」

 

この身体を作り上げたのは、忌々しいがかの造物主。彼は魔法世界をも作り上げた存在とエヴァンジェリンは考えていたが、その予想はどうやら当たりのようだ。

 

(構成の仕方が肉体か魔力生命体かの違いでしかないということは、私を利用して何らかの事をしようとしていたと見て間違いない)

 

自分の娘をバケモノに変える血も涙もないやつかと思ったが、こうして見えないものが見え、冷静になればまた別の真意が覗いてくる。

 

「まあ、それはさておき……いい加減この鬱陶しい魔法を解除するとしようか」

 

 

 

 

 

「……つまらない」

 

ああ、つまらないつまらないツマラナイ……。彼の心は暗く淀みきり、目の前の少年相手に全力を出せないでいた。感情がなかった頃の自分は、恐らくこんな下らない考えに左右されずに冷徹に、事務的に仕事をこなしたことだろう。しかし、今の自分は違う。先ほどの出来事で心が沈んだままになっており、酷く退屈を覚える。

 

「てめぇ……まじめにやりやがれ!」

 

目の前の少年、ナギ・スプリングフィールドが吠える。最終決戦の火蓋が切って落とされ、『墓守人の宮殿』へと突入した『赤き翼(アラルブラ)』の一行であったが、待ち受けていた『完全なる世界(コズモエンテレケイア)』のメンバーによって足止めを食らっていた。そして交戦へと至ったわけだが、最終決戦にもかかわらず相手のリーダー格の男、プリームムと名乗り度々彼らを苦しめてきた人物が上の空といった状態だった。まるで、目の前の自分を見ていないような。むしろ自分に対しての興味などとうに無くなったというような態度。ナギからしてみれば、実に腹立たしく思えるような状態であった。

 

「……さてね、これでも君という実力者相手なんだ、精一杯やってるつもりさ」

 

「嘘つけよ、てめぇの目は俺を見てなんかいねぇ……。いや、誰も目に映していないだろ!」

 

図星。全くの事実を言い当てられ、しかし彼は一切動じることもなく。

 

「……今更ながら後悔しているよ、感情なんて持つべきじゃなかったってね」

 

「……どういうことだ、オイ」

 

「別に。僕に感情を自覚させた人物のあまりに滑稽な姿を見てしまってね……。あんな奴に自分が翻弄されていたと考えるだけで腹立たしく思える」

 

ああ、自分は今怒っているのかなどと口走り、無表情を顔に貼り付ける。かつての人形のようなその様は、何故かナギには哀しく、痛々しい表情に見えた。

 

「……それでいいのかよ」

 

「? おかしなことを言うね、本来の僕はこちらの方だったはずだ」

 

「ああそうだろうさ……だがな、自分の感情を押し殺して……悲しくねぇのかよ!」

 

彼の目を見て、しかしプリームムは冷淡なままの視線を投げかけるだけ。

 

「俺はお前がどうして人間みたいに振る舞うようになったのかも、そんなふうになったのかも知らねぇ……。だがな! 今のテメェの方が余程強敵に思えるのだけは確かだ!」

 

「……冗談はやめてくれないか。己の心に惑わされて満足に戦うことさえできていない今の僕が以前の僕より強いはずが……」

 

「ごちゃごちゃうるせぇっ!」

 

「っ!」

 

否定しようとするプリームムに、ナギは腰の入った拳を見舞った。頬を正確に捉えたそれは、その勢いのままにプリームムをふっ飛ばし、彼が吹き飛んでいった先にあった遺跡の壁を破壊した。粉塵が晴れると、プリームムが額に青筋を浮かべ、凄まじい眼光で睨んでいた。

 

「君はいつもそうだったな! 論理的な思考を放棄して直情的なまでに本能で動いて、僕達の計画の邪魔をしてきた! 鬱陶しくてたまらなかったよ、さんざん練りに練った計画を強引に破綻させて行く君の存在が!」

 

今まで溜まっていた鬱憤を晴らすかのように捲し立てる。その饒舌さには思わずナギも面食らい、呆然となった。ここまで激情的な彼の姿は初めて見たからだ。

 

「エヴァンジェリンもだ! 僕に悪党の理念なんてものを説いていながら、主に手も足も出ないで醜悪な醜態を晒して! どいつもこいつも、僕の心を掻き乱していくくせに自分勝手なやつらばかりだ!」

 

「って、お前が変わった理由って……!」

 

「ああそうさ、彼女のせいだよ! 僕が手も足も出ない相手だった! 初めてだった、僕があれほど敵わないと思えた相手は! 僕が初めて心の底から負かしてみせたいと思ったのも彼女だった! だというのに……!」

 

悔しさで顔が歪む。己の初めての、明確な敵。『赤き翼』が彼の任務上の強敵であるならば、エヴァンジェリン一味は乗り越えるべき同類。それを、自分の主に横取りされた。文句は一切ない。計画の遂行のためには自分よりも主の方が確実だったはずだ。彼に作られた身の己が不満を言うなどあってはならない。だが、納得ができていない。心が認めようとしないのだ。

 

「……アスナの次はお前かよ。ったく、俺の大事なもんばっか横取りしていきやがって……」

 

「はぁ……はぁ……。何だ、君は僕をライバルとでも思ってたのか?」

 

「……まぁな。敵とはいえ、真正面からぶつかり合える相手ってのは案外少ねぇ。ラカンもライバルだが、今はあくまで仲間だしな」

 

「……君は、馬鹿か? 世界の存亡がかかっているような相手を、好敵手認定など」

 

「馬鹿げてるってか? だったらテメェはどうなんだよ。エヴァンジェリンの奴を倒したいって思ってたんだろ? 俺と大差ねぇじゃねーか」

 

そう言われて黙りこむプリームム。言われたことが何とも図星すぎて、反論できなかったのだ。

 

「ごちゃごちゃ悩むぐらいだったらよ、自分の胸に手を当ててよーく考えてみろ。それでやりたいことがわかると思うぜ?」

 

「……僕のやりたいこと……」

 

目を閉じ、そして考える。心を得た自分がやりたいこと、それは願っても叶わないことだろう。だが、彼女ならば。ひょっとすればあの醜態を払拭するほどになって戻ってくるのでは。彼にはそんな確信めいた思いがあった。ならば、今自分が為すべきことは。

 

「……まさか敵である君に諭されるとは思わなかったよ」

 

目を開き、ゆっくりと構える。片腕のない彼は、以前に比べれば戦闘能力は劣る。だが、それを補うのが戦い方というもの。沸き立つ闘志は、先程までとは比べるまでもなく強大であり、ナギをしてちょいと発破をかけすぎたかなぁ、などと内心ぼやくほどに見違えていた。

 

「彼女は……いずれまた現れる……。ならば今は、君を倒すことこそが最優先すべきことだ!」

 

「いいぜ、ようやくらしくなってきたじゃねぇか! だが、勝つのは俺だ!」

 

両者は再び激突した。

 

 

 

 

 

「グ……クソ……!」

 

「……脆弱なる人形よ。お前もまた主人と同じく愚かしいな、勝てぬ相手に勝負をしかけるなど」

 

「ウルセェ……オレハ、諦メタリナンザシネェゾ……!」

 

エヴァンジェリンに見切りをつけ、一人やってきたチャチャゼロは造物主と一人戦っていた。しかし、いくら彼女がエヴァンジェリンが作り上げた最高傑作たる殺戮人形とはいえど、彼女の主が手も足も出なかった相手に勝てる道理もなく、既に上半身と下半身を真っ二つにされてしまった。それでも、上半身だけを腕の力を頼りに動かして斬りかかったのだが、その刃は強固な障壁によって防がれてしまったのだ。

 

「鈴音……ナニヤッテンダヨ……! 目ェ覚マシヤガレ……!」

 

だが、その眼には未だ諦めの色は浮かばず必死に魔法陣に縛り付けられた彼女に向けて声を張り上げる。そのせいで腕のパーツがもげてしまったが、歯を食いしばって耐える。人形の肉体である故に本来痛みは感じないのだが、造物主は魂に直接ダメージを与える魔法を放っていたため、彼女の魂そのものが悲鳴を上げて精神的な痛みを訴えているのだ。

 

「オ前ノ主人ガボロボロニサレテンダゾ……! 従者ガ仇ヲトラナクテドウスンダ!」

 

実のところ、チャチャゼロはエヴァンジェリンを見限ったわけではない。あくまで彼女に辛辣な言葉を投げかけたのは彼女にもう一度立ち上がって欲しかったから。ここに来たのも鈴音を助ける他に、主人の仇討ちも含まれていたのだ。彼女は確かに殺戮を楽しむ歪んだ心を持った人形であり、殺す相手のことをいちいち考えるほどお人好しというわけでもない。しかし、己を創造した主人への忠誠心はしっかりとあり、それが彼女の誇りでもある。

 

悪党ならば悪党らしく、邪悪で魅力的な主人とともにあり続けたい。それが彼女の願いだった。

 

「頼ム鈴音! オレジャ口惜シイガコイツニハ勝テネェ! ダカラ、セメテオレノ代ワリニコイツヲブチノメシテクレ!」

 

必死なその慟哭は、しかし虚しく空気に溶けていくだけ。

 

かと思われたが。

 

【……分かった】

 

「!」

 

それは真か、将又幻聴か。鈴音の返答が聞こえた気がした。造物主はチャチャゼロに向けてなおも冷たく言い放つ。

 

「無駄なことを……この娘は既に我が『完全なる世界』に幽閉されている。彼女が永久に目覚めることはない」

 

「ハッ! テメェ如キニ鈴音ヲ抑エキレルナンテ思ワネェ方ガイイゼ? ナニセ」

 

ビシッ!

 

「……!」

 

何かがひび割れるかのような音が聞こえた。造物主は音のした方角を向く。そこは鈴音が縛られた魔法陣がある場所であり、しかし一見すれば魔法陣に異常は見受けられない。だが、造物主ははっきりと目に捉えていた。ほんの小さな(ひび)が、魔法陣に入っている様子を。

 

「アイツハオレデサエ手ヲ焼イタジャジャ馬ダカラナァ……!」

 

ひび割れはゆっくりと、しかし確実に大きくなっていた。それはやがて裂け目となってゆき、芸術的なまでに整っていた術式は無残な有様となった。

 

「……馬鹿な……!」

 

造物主は、ここ数十年の中で最大の驚きを無意識のうちに声に出して表した。この術式はそう簡単には破れないよう強固な作りになっているし、『魔法無効化(マジックキャンセル)』に干渉されないよう特殊な組み方がされている。そして媒体となる存在が抵抗せぬよう、態々不完全ながら脱出困難である『完全なる世界』へ意識を飛ばしておいたのだ。万全に万全を期した下準備がなされていたはずだ。

 

だが、目の前で起こっている光景はそれらを嘲笑うかのようであった。魔法陣は崩壊寸前なまでにズタズタになっており、ひび割れは全体へと走って蜘蛛の巣が如く広がっている。亀裂となった中心付近はもはや原形を保っていない。造物主渾身の作品とも言えた魔法陣が、だ。

 

そして。

 

ガッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアン!

 

まるでガラスが割れるかのような、耳を(つんざ)く音。それ即ち、魔法陣が完全に崩壊した音であった。中心に縛り付けられていた鈴音の体は支えを失ったことで急速に地面まで落下していき。

 

そのまま顔面から(・・・・)地面へと激突した。

 

「ア……」

 

固いもの同士がぶつかり合ったような鈍い音が、床の僅かな振動とともに響き渡る。造物主もチャチャゼロも何一つ言葉を発しなかったことで僅かだが静寂が部屋を埋め尽くしていたため、よく音が響いたのかもしれない。

 

「……アー……鈴音、大丈夫カ?」

 

「…………」

 

返事はない。当然だろう、本来であれば彼女は造物主によって意識を別の擬似世界へと飛ばされてしまい、二度と覚めるはずはないのだから。そう、本来ならば(・・・・・)

 

「恥ズカシイノハ分カルガ、今ハソンナコト言ッテル場合ジャネーカラナ?」

 

「…………………………………………分かった」

 

チャチャゼロの問いかけから約十秒後。うつ伏せになっている鈴音から返答があった。そのまま腕を、足を、指をバタつかせ、体の調子を確認するかのように不規則に動かす。そして腕で体を支えながら、ゆっくりと起き上がる。

 

起き上がった彼女の顔には、鼻から微量ながら赤く細い線が。

 

「……チャチャゼロ、ティッシュ」

 

「……今持チ合ワセガネェ」

 

「……いけず」

 

「オレカ!? オレガ悪イノカ!?」

 

何とも気の抜ける会話であったが、造物主は静止したまま動きがない。想定外過ぎる出来事に、さすがの彼もどう行動すべきか思い浮かばなかったのだ。鈴音は手の甲で鼻血を拭ってからチャチャゼロを見やる。

 

「……チャチャゼロ、体が……」

 

チャチャゼロの痛々しい姿に気づき、心底心配そうな顔をする彼女。だが、チャチャゼロは空元気ながら笑ってみせた。

 

「アア? 気ニスンナ、ドウセ人形ノ体ダ後デ直セルサ」

 

「……やったのは、あいつ?」

 

「ア、ヤベェ」

 

鈴音が造物主の方を向き、そして今までにないほどの殺気と怒気を爆発させた。

 

「……許さない……!」

 

鈴音にとって最も嫌うことは、かつて己のせいで肉親を失ったことからくる、大切な人の喪失。大怪我を負わせるなど、彼女の憤怒を起爆する材料としては十分過ぎる。

 

「……お前は、(なます)にしてやる……!」

 

だが、そんな様子の鈴音を前にしてなお造物主は怯むことなく、掌に圧倒的で強大な魔力を集約させた魔法を展開し、言い放つ。

 

「……やってみるがいい、今一度貴様を『完全なる世界』へと幽閉し、儀式を完了させる」

 

次の瞬間、鈴音の姿が消え、次いで部屋全体に爆発音が響き渡った。

 

 

 

 

 

「な、何事だ!?」

 

ラカンらと交戦中であったデュナミスの耳に入ってきたのは、先程も聞いたことのある爆発音。デジャヴを感じる状況ではあるが、少女は既に主人によって眠らされ、エヴァンジェリンも戦闘不可能にされているはずだと思い、別の輩が侵入したのかと焦る。

 

「おのれ……! 別の賊がおったか……!?」

 

だが、それはないはずだと彼は確信を持っていた。儀式を執り行う間は主人以外は防衛のために出払うため、侵入者などが無いよう徹底的に警戒をし、蟻一匹いないことも確認済みだ。そのうえ、周囲に張ってある結界は超重量級戦艦の主砲が直撃しても耐えられる代物であり、物理的に突破するのは容易ではない。結界の構成は大分複雑であり、アルビレオクラスの魔法使いでなければ解くことなど出来るはずもない。

 

ならば、一体誰が。

 

(可能性があるとすれば……ありえんことだがエヴァンジェリンか……!?)

 

あれほどズタボロにされてなお心が折れていないのであれば、可能性は0ではないだろう。だが、0ではないだけで決して可能性と呼べるものではない。0が0.1になったところで、大差などないのだから。

 

(もしそうでなければあの少女が目を覚ました……? それこそありえん!)

 

もう一つの可能性は、儀式のために代替として使用している鈴音という少女。だが、それこそあり得ないだろう。不完全とはいえ、2千年以上を生き、『造物主』とまで呼ばれる主人が考案した意識だけを迎え入れる擬似世界。望んだ幸福を実現し、二度と覚めることのない楽園。それだけに破ることなど不可能に近い。

 

(しかし……不完全であるがゆえに可能ではある……!)

 

デュナミスはそういった部分を楽観視などしない。主人に造られて仕え、数百年以上も共に生きてきた彼は、そこまで夢見がちな馬鹿ではない。むしろ様々な予防策を張り、極力穴を減らしてリスクを減らすことに長けている彼は、大分リアリストじみた思考をしている。

 

「よそ見してると危ねぇぞ、ってなぁ!」

 

だが、この一瞬だけは彼の思考がそうであることが、可能性の模索のために意識が逸れてしまったことが災いした。横合いから殴りつけてきたラカンの拳に、対応が遅れたのだ。

 

「しまっ……!」

 

「超必殺ぅ! ラカンダイナミック(適当に命名)!!!」

 

巫山戯た名前であれど、それを放つ人物が魔法世界でもトップクラスの気の使い手ともなれば話は違ってくる。纏う気の濃密さと鋭さ、桁外れの拳の威力に流石のデュナミスも直撃を受けてケロリとできるほど頑丈ではない。即座に頭を横に捻ってかわそうとする。

 

「なんのこれしきいいいいいいいいい!」

 

それがラカンの狙いとは気づかずに。

 

「かかったな! 派生奥義! 羅漢圧殺砲ぅ!」

 

拳に込められていた膨大な気が、拳先から放たれた。デュナミスが頭を捻りながら後ろに逸らしたのが完全に仇となり、無防備な顎へとビームが吸い込まれるように激突した。

 

「ぐ、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

野太い悲鳴を上げ、放たれた攻撃に任せて吹き飛ばされていく。

 

「ハッハァ! ホームランってかぁ?」

 

薄れ行く意識の中、デュナミスに聞こえたのはそんなラカンの言葉だけであった。

 

 

 

 

 

「っ、なんだ!?」

 

「……まさか、彼女が目を覚ましたのか?」

 

互いにボロボロになりながらも戦闘を続行していた二人であったが、突然の爆発音に思わず動きを止めてしまう。ナギは困惑で、プリームムはある種の確信で。

 

「彼女って……まさかエヴァンジェリンの奴か!?」

 

「……いや、爆発音は儀式をしている部屋からだった……だとすれば、まさか『狂刃鬼』……?」

 

「あの嬢ちゃんか!」

 

『だとすればどうする?』

 

「「っ!?」」

 

突然の声。爆発の方に気を取られていたせいなのかもしれない。しかし、それでもこの二人は魔法世界最強クラスの人物たちである。そんな彼らが、近づいてくる相手の気配一つ悟れないなど普通はありえない。では、それを容易く為してみせるその人物とはいかほどの実力者か。

 

『随分とまあ、楽しそうだったじゃないか。ん?』

 

その声の主こそ、プリームムが心の底から渇望し、超えてみせると誓った相手。規格外の大悪党にして、先程無様に敗北して醜態を晒していたはずの人物。

 

ナギからはアスナ姫を奪い去り、宣戦布告を言い渡され、そして自分勝手ながら好敵手と思っていたプリームムの心さえ奪っていた憎たらしい相手。

 

「……まさか、主にあれほど傷めつけられてなお……立ち上がってきたのか……!?」

 

純粋な驚愕、それが彼の抱いた感情であった。確かに漠然と彼女が戻ってくるという確信が心のなかにはあった。だが、一方でやはり諦めの心があったことは確かであったのだ。だが、彼女はそんなものを歯牙にも掛けずに舞い戻ってきた。驚く以外に、彼が取れるリアクションなどなかったであろう。

 

『あー、そうだな。お前の主人にはさんざん世話になった。昔も、先程も』

 

彼女のその言葉に、しかし怒りはなかった。むしろ、笑ってさえいるように思える。そして、それを聞いて二人はようやく理解できた。彼女がただ声を発しているだけであるというのに、はっきりと存在感を示す悪意を振りまいていることに。

 

ナギは背筋に冷たいものを感じ、それが自分が流している汗だということに気づいた。冷や汗をかいていたのだ。倒すべき巨悪であると認識し、立ち向かう覚悟はできていたつもりだった。だがこの濃密に感じる、清々しいまでの悪意は何だ。以前とは比べ物にならないほどに肥大化しているこの怖気(おぞけ)は何だ。

 

自分はまさか、怯えているというのか。

 

『ナギ・スプリングフィールド、やはりお前は英雄足り得たな。今の私に純粋な恐ろしさを感じ、そして怯えている。怯えるのは人間として当たり前だ、恥じることはない』

 

己を見下し、値踏みするかのような発言に、しかしナギは言い返すことができない。言葉を発するために息を漏らすだけで、そのまま胸が潰れてしまうのではないかと思うほどの強烈なプレッシャー。

 

『いいぞ、実にイイ(・・)。我々が欲していた英雄像そのままだ。自信に満ち、しかし慢心を抱くことなく、強大な悪意に怯えながらも立ち向かおうとする意志。ああ、最高だ』

 

恍惚とした声色の発言に、しかしナギは不快感しかなかった。冗談ではない、と。こんな邪悪に好かれるようならまだ期待外れだと突き放されたほうがマシであった。彼女に認められたということは、つまり彼女に立ち向かうことを許された実力が己にあるということ。ならば、正義を掲げるものとして、何より人間として戦うことを選択せざるを得ない。

 

しかし、それは同時に果てなき戦いに身を投じる事。怪物と人間との、決して相容れない闘争に。それは英雄という名の生贄であり、降りることなど許されない。そしてそれは、彼自身が人間として生きる限り彼の心が降りるのを許さないということ。

 

この巨悪を、邪悪な怪物が有ることを許せば人間の希望は絶望へと染められ、それを彼が許すはずはないと心が知っているから。何より、この怪物はいずれ自分の仲間や大事な人を脅かすと、人間としての本能が告げていた。

 

『プリームム、お前も実にいい。その意志を貫こうとする姿勢、しかし悪としてまだ完成していない故の迷い。ただ誇りを掲げるだけの下らない悪より、とても魅力的だ。悪党として喰らいあうに足りる』

 

彼女の賞賛の言葉に、無意識のうちに彼は口元を歪め、釣り上げていた。足元さえ見えていなかった相手から、初めて認められたのだから。この一瞬だけ、彼は心の内から主人たる造物主を失っていた。それは無意識のうちに、彼自身があの強大なる邪悪を真っ向から滅ぼし、まだ見ぬ高みを目指したいと思ったから。それには、主人である造物主の存在は彼の邪魔になるとどこかで理解したからだった。

 

『さて、私はそろそろ行かせてもらおう。これ以上鈴音を待たせるわけにはいかんしな。お前達の成長ぶりは十分に見て取れた、今はそれで十分だ』

 

その言葉とともに、あれほどの重厚なプレッシャーが嘘のように消失する。

 

「―――――ぷはぁ! ったく、なんだってんだよ!」

 

「……ひとつ言えることは、彼女は以前よりも色んな意味で恐ろしい、ってとこかな」

 

彼女が去ってなお、二人は動けずにいた。水を差されたせいで気が乗らないというのもあったが、何より彼女の悍ましい悪意から開放されたことを実感し、心を落ち着けたかったからであった。

 

 

 

 

 

熾烈を極める造物主と鈴音の戦いは、一進一退であった。造物主が先程鈴音を夢幻の世界へと堕とすために使用したもの、それを再び使って彼女を『完全なる世界』へと幽閉せしめんとしたのだが、鈴音はまるで彼の手の内を理解しているかのように平然と躱していく。

 

「……む」

 

「……もう、それ(・・)は効かない」

 

それだけではない。その行動を好機と見て彼女は攻撃の糸口にさえしている。これでは、いたずらにこちらの身の安全を損なうだけだと判断し、彼は鈴音と距離をとる。

 

「……よもや、私のこれ(・・)を見破るとは、な」

 

「……この世界はお前と同じ(・・・・・)呼吸(・・)がする。……お前がこの世界を造ったのならば……お前が一体化(・・・)できるのも必然……」

 

彼女が先ほどの戦闘で全く動くことさえ彼に近づかれた理由はそれであった。この世界を造った造物主はこの世界と同じ気配を纏っており、そしてそれと同化することができる。あくまでも世界と気配を同調させたり、一時的な同化をして瞬間移動じみた行動をしているだけなので、無敵というには程遠い。だが、それでも世界との同化という規格外過ぎる離れ業を平然とされては、流石の鈴音も反応などできなかった。

 

だが、今は違う。二度目の死に触れ、より濃密な世界の感覚を感じ取る第七感が相手の居場所を正確に告げてくる。『呼吸』はより大きく聞こえ、扱い方(・・・)も少しずつではあるが分かってきた。

 

「……魔法が通じぬならば物理攻撃で攻めるまで」

 

再び魔法陣が展開される。しかし、その数は尋常ではない。10や20ではなく、100を優に超えるそれらから現れたのは、長大な両刃の剣。それと同様のものが全ての魔法陣から展開されていく。それらは鈴音の背後にも多数展開されていた。

 

「……駆逐せよ、『剣の進軍』」

 

それらが中空へと浮かび上がり、切っ先を鈴音に向けたかと思えば目にも留まらぬ、否、目にも映らぬほどの速さで一斉に射出された。一本一本から感じられる威力は、ミサイル1発分に匹敵するであろうことが伺え、魔力を物理攻撃に変換しているらしく彼女の能力では無効化することができない。

 

しかも全方位360°からの攻撃、素手の状態でも戦うのにも限度があり、例え剣があったとしても、彼女が人の領域を踏み外した剣技を有していようが、これほどの質量攻撃であれば串刺しにされるのが道理であった。

 

だが。

 

「……はー……」

 

彼女は眼前まで迫っている刃に怯えも、恐怖も微塵も抱いていない。そもそもこの程度は脅威として認識していないとでも言うように。そして、彼女が目を見開いた瞬間。

 

「……はぁっ!」

 

一瞬だけ、強烈な光が閃いた。

 

 

 

 

 

「……なるほど、こういう使い方もできる……か……」

 

閃光で一瞬だけ見えなかった彼女の姿は、見えるようになった数秒後もそのままそこにあった。周囲には、無残に叩き折られた、いやむしろ粉砕されたとも言えるほどにバラバラになった夥しい剣の破片が散らばっていた。それらは、やがて光の粒子となって消失してゆく。

 

「……何をした、小娘」

 

造物主の相も変わらぬ平坦な声。しかし、そこには僅かではあるが驚愕の色が滲んでいた。

 

「……斬っただけ」

 

ただ、そう言った。確かに彼女には己が手を刃と化し、素手でも斬撃を行うことができる『懐刀(ふところがたな)』があるが、あくまであれは彼女の父、鐘嗣(かねつぐ)が接近戦での懐に潜られた時の切り返しのために編み出されたものであって、威力そのものは使用者の技量にもよるがそこまではない。まして、ミサイル1発分の威力を有する大剣を100以上も射出されれば無力だ。せいぜい1本落とせれば御の字だろう。

 

そう、それがあくまでも『懐刀』であればの話だが。

 

「……全身で(・・・)……」

 

そう、彼女は攻撃範囲の狭い『懐刀』を全身を用いて利用することで範囲と、最大の弱点である威力不足を補った。勝手知った己の身体であれば、自由自在に操るのなど容易い。一瞬で彼女は迫り来る大剣目掛けて腕を、足を、胴を、頭を刃と認識して真空波を放ったのだ。

 

その真空波は、村雨流で『疾風(はやて)』と呼ばれるものと同じであった。真空波を剣先から勢いよく射出して相手を切り刻む、村雨流でも禁忌とされる三つの奥義、その一つである"風"の奥義たるそれと同じ事を、無手でしてみせたのだ。

 

彼女は『呼吸』をただ読むだけではなく、己が使うことでそれと同様の効果を得ることができると先程からの戦闘で掴んでいた。そしてそれを今ぶっつけ本番でやってみせたのだ。己の肉体を刃と見立て、刀を振るうようにイメージして『疾風』を再現したのだ。

 

先ほどの閃光は、全ての大剣に真空波が激突して火花が一斉に飛び散ったから起こったのだ。そうして、彼女は『剣の進軍』を防いでみせたのだが。

 

(……威力が増してる……)

 

以前の彼女であれば、死にこそせずともあれほどの質力攻撃は凌ぎきれずに負傷しただろう。鈴音はあくまでも魔法に対しては無敵に近いが、物理攻撃に関しては違う。魂がいくら鬼と化していようとも、肉体は人間のままであるため何事にも限界がある。最上位クラスの魔法使いや気をコントロールする武の達人がミサイル数百発をものともせずとも、彼女にとっては致命的だ。なにせ、それを防ぐ高火力の技を持ち得ていないし、彼女の能力が邪魔をして扱えないのだから。

 

だが、今使用したものは彼女の今までの技よりも遥かに強力であった。どうやら、自分自身が刃となることで格段に威力を増せるらしい。刃に篭っていた鬼が原因なのか、己が剣の鬼と成ったが故なのかは不明だが、今はどうでもいい。

 

「……名前、考えないと……」

 

腕一本を刃と化す『懐刀』も、あくまで気を剣圧に変換しているだけであり、本質的に肉体を刃と同一化する先程の技は全くの別物といっていい。なんとも桁外れのことをやってみせたのだが、実は彼女にとって初めて編み出した技である。彼女は村雨流の技を受け継いだとはいえ、自分自身で剣技を編み出したことがなかった。なにせ、彼女は見ただけで相手の技を真似る事ができるのだ。そもそも編み出す必要が無かったといえる。

 

「……村雨流じゃないから……我流……?」

 

剣技に関係する技とはいえ、これは剣技ではなくあくまでそれを行使するための補助でしかないため、村雨流の技術とするには正直首を傾げる。だから我流として考えるべきだと彼女は思った。

 

「……我流、『鬼道招来(きどうしょうらい)』……」

 

中国において、鬼とは死者の霊魂、冥界の霊的存在とされていた。そして人の世の理、つまり原理法則を『人道』と呼び、天の理を『天道』と呼んだ。そして『鬼道』とは、鬼神の住まう世界の理であり、死者の世界たる冥界の法則。彼女は冥界の理を己が肉体に呼び込み、再現した。それ故に、『鬼道招来』である。

 

「……うん、いいか……も……」

 

彼女にしては珍しく、しっくり来るネーミングができたおかげか思わずぐっと拳を握っていた。それを眺めていたチャチャゼロは、戦闘中だというのにちょっと浮かれ気味な彼女を見てため息をひとつ漏らした。その時である。

 

「いい名前じゃないか。お前はセンスがいいな、鈴音?」

 

「……!」

 

突如、鈴音へと放り投げられてきた一振りの日本刀。それを、鈴音は無言で受け止めた。チャチャゼロにとっては聞き慣れた声。しかしその主は、この場にやってくるのは絶望的と思われた人物。

 

鈴音は信じて待ち続けた、彼女の最大の理解者にして愛しき主人。

 

「……遅ェジャネーカ、ゴ主人、大分待タサレタゼ」

 

「……うん。……待ってた……」

 

「そうか。待たせて済まなかったな……我が従者たちよ」

 

邪悪な笑みとともに現れた、美しく、そして恐ろしい真祖の吸血鬼。エヴァンジェリンがそこにはいた。

 

「ククク、アスナがいないのは残念だが……ようやく悪の一味勢揃いといったところか」

 

ここに、真なる邪悪を体現する存在が三人揃ったのであった。


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