二人の鬼   作:子藤貝

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第十五話 それぞれの戦い②

話は少し前に遡る。左腕を使用不能となった鈴音は、プリームムを明確に敵だと判断して今まで以上の攻めを見せた。しかし、片腕となってしまえば変幻自在な手数の多さがウリの村雨流の長所は半減してしまう。結果、『俄雨』さえも耐えてみせたプリームムに有効なダメージを与えられず、逆にプリームムの攻撃を許してしまう。

 

「はぁっ!」

 

「……っ!」

 

プリームムは以前の魔法主体の戦闘とは違い、近接戦闘を主体とした戦い方で攻めてきた。剣士である鈴音にとって、コレほど厄介なことはない。なにせ、剣士は長物を使用する分インファイトに弱く、相手との間合いの取り方が重要となるのだ。

 

だが、今の鈴音は片腕を使用不能な状態で剣の持ち替えによる素早い迎撃が困難となった。これによって相手の接近を許し、篭手や脛当ての強度に任せた打撃を受けなければならない。村雨流には超近接戦闘に対応するための『懐刀』が存在するが、あれは片手を剣、もう一方を盾にするような使い方が主だ。片腕しかない状態では剣が邪魔をして素手で迎撃できない。

 

「シッ!」

 

接近状態からの膝。腕での防御ができないため直撃は避けられない。鈴音は受けるのではなく、後方に宙返りを敢行。同時に腹に向けて爪先蹴りを浴びせる。篭手を盾代わりに突進してきたプリームムはその反撃にワンアクションが遅れてしまう。防御しようにも腕はすでに前面を防御するために構えており、それをすり抜けるように下から迫る蹴りを止められない。

 

「がぁっ!?」

 

運が悪いことに胃へと直撃を喰らい、衝撃で吐瀉物を口からまき散らす。もし、もしも以前鈴音に片腕を奪われていなければ。腕を失ったままでいることを選択しなければ、蹴りを受け止めることはできただろう。

 

「ぎ、ぁ、ぶぇっ! ゲホッ! ゲホッ! ……はぁ……はぁ……なん、と、も……、まま、はぁ……ならない……ものだ、ね……。不自由っていうのは……」

 

喉を焼く酸性の液体を咳き込みながらも何とか吐き出し、大きく息を吸い込む。片腕であるが故の弊害を自嘲する。しかし、今更腕の一本を失った事を悔やむような彼ではない。腕を失ったままでいるのは己への戒め。悪党としての矜持さえ持っていなかった中途半端な自分に戻らないための誓いであったからだ。

 

一方、なんとか攻撃からは逃れられたものの、着地に剣を握る右腕のみを使用したため体勢を崩しそうになり、とっさに折れた左腕を無理やり突き出す。本来であれば片腕が使用不能な時点で盛大に転んでいるだろうが、姿勢制御を含めた訓練を課した彼女の主人による特訓で、不自由な状態であろうともバランスを完全に崩すことはなかった。ただ、姿勢を制御することには成功したが、その代償は大きかった。折れた骨が皮を突き破り、露出してしまったのだ。

 

「ぐぅっ……!」

 

さすがに鈴音もこれだけの大怪我による痛みは無視できず、苦悶の表情を浮かべ、苦しそうな声を出した。好機と見たプリームムはそのまま鈴音に接近するが、鈴音は何とか痛みを堪えてプリームムを迎撃する。片手でも十分な攻撃を行える『五月雨』で刺突を行い、牽制する。プリームムも片手で防いで反撃するのは無理だと判断し、一旦距離をおく。

 

「……ハァ……ハァ……」

 

「……お互い、消耗が激しいようだね」

 

プリームムも限界が近かった。というのも、この篭手、『銀月手甲(メス・デ・ラ・プラタ)』と脛当てである『白金陽甲(ソル・デ・プラティーノ)』はそれぞれ篭手が魔力を、脛当てが気を大量に消費することによって身体能力の増強と驚異的な防御を実現できるのだ。これを手に入れた当初は魔力切れや気力切れで気絶ばかりしたが、なんとか最終決戦前にはものにすることができた。

 

だが、負荷を軽減させるまでには至らなかったのだ。扱い方を身につけられれば消費量はぐんと減るのだが、彼には時間が足りなかった。結果、今の彼は限定的に鈴音と互角に戦えるが、その制限時間をオーバーすれば気絶してしまう。そうなれば、プリームムの敗北は必定だろう。

 

「……待てば、お前のほうが先に消耗して……勝てる……。……でも、その分マスターが……不利になる……」

 

「そうだね、僕もこれ以上時間をかけるつもりはない。なら……」

 

鈴音は無事であった右腕で納刀する。この動作も、片腕が使えないハンデを想定した修行で自然に行えるように鍛えられた(たまもの)だ。プリームムも、手のひらをゆっくりと握り、構えをとる。

 

「……次で、決める……」

 

「次が……最後だ」

 

両者に緊張が走る。呼吸の一つ一つさえもが静かに聞き取れる。すぐ近くでは造物主とエヴァンジェリンが魔法戦で激しい音をまき散らしているというのに、だ。それほどまでに、集中力が高まっているのだろう。

 

「…………」

 

「…………」

 

睨み合ったまま動かない。いや、動けないのだ。本来、実力が拮抗している者同士での戦いというものは膠着状態の時、先に動いたほうが有利となることが多い。不意をつける上、何より先手を取れるという大きなアドバンテージを得られるのだ。故に、遅れたものは反応が間に合わずに対応を誤ってしまう。

 

だが、それは通常での戦闘の話。今この空間で対峙している二人は間違い無く世界最高峰の近接戦闘の達人。その域にまで達すると、最早先に動くことが不利になってしまう。

 

(……どう出てくる……)

 

(腕は動かないとはいえ、彼女のスピードは健在……迂闊な行動は自殺行為だ……)

 

ほんの数秒、いやコンマ数秒さえも霞むような刹那の未来に起こる行動を、己の経験を基に先読みし、迎撃する。そこにあるのは究極の予測。それはまさしく未来予知に等しい。相手の細かな一挙手一投足にさえも目を光らせ、アクションを待つ。

 

(……あいつは嫌い……。……チャチャゼロを壊そうとした……。……あいつの主人も、大嫌い……。……でも……)

 

(額を伝う汗さえ拭う余裕が無い……。息が止まったように窮屈な気分だ……。でも、嫌じゃないな……)

 

(……マスターの、認める相手……。……私たちの、敵……。……なら、持ちうる全力で……突破する。……それが、せめてもの……礼儀……)

 

(痛みさえも心地いい……。痛覚を誤魔化しているんだろうが、後で酷いことになりそうだ。この二度と味わえないだろう最高の戦いを、できればもう少し味わいたかった……)

 

己が主人のため、双方は敗北を信じない。いや、勝利以外は見えてなどいない。ただ勝利のみを求めて、息を潜めながら目を凝らし、糸口を探る。

 

(……ここじゃない……今でもない……)

 

(余計な思考は捨てろ……彼女はそんな甘い存在じゃない)

 

(……防御は捨ててくるはず……防げばそれだけ不利になる……だからこそ、私の反応を……越えようとするはず……。……なら、それを……)

 

(想像しろ、彼女が抜刀する直前を。それが彼女の抜刀する瞬間だ……僕はそれを……)

 

((……上回ればいい……!))

 

どれほどの時間が経ったのであろうか。いや、音を置き去りにしたこの静寂は、その実数分にも満たないだろう。されど、先の先を読むために思考する二人にとっては、その僅かな時間さえも、長大な時を感じていた。

 

 

きっかけは、きっと何ものでもなかったのだろう。

 

 

((――――――――今!))

 

 

しかし、二人は突如として矢が放たれるが如く突撃した。最高の一撃を、その手に携えて。()しくも、初動は全くの同一であった。

 

 

「……"我流"村雨流……」

 

抜き放たれようとしている刀身は、鞘の内にもかかわらず鮮血を想起させる真紅の光を反射させている刀身を、彼女の行動を予測していたプリームムに幻視させ。

 

「『炸裂(ボルスト)』……」

 

握りしめられ、今にも放たれようとしている拳を、彼女は自らを圧し潰すであろう一撃だと、想定しており。

 

「『雨過天晴(うかてんせい)』!」

 

「『砲撃(ボンバルデオス)』!」

 

両者の、正真正銘最大の一撃が激突する。耳を(つんざ)くような激しい金属音が音を置き去りにした世界に数瞬遅れて現出する。(しのぎ)を削るが如き鍔迫り合いは一瞬で、(まばゆ)い火花と共に儚く終わった。

 

あとに残るのは、背を向けて立ち尽くす二人のみ。それは相手への敬意を表す残心か、将又(はたまた)物言わぬ哀れみか。

 

「………………見事」

 

短く、しかし雄弁な一言で彼を讃え、ゆっくりと納刀していく鈴音。

 

「…………かはっ」

 

ゆらりと、プリームムの体が揺れた。胸からは鮮血の飛沫を上げ、まさに雨のように血を噴出し。そのまま、彼はゆっくりと倒れていく。

 

「…………いざ、さらば」

 

そのまま彼は、その身を地べたへと投げ出した。

 

 

 

 

 

かに思えたが。

 

 

 

 

 

(……生憎、諦めは悪い方なんだ……!)

 

彼は寸前で踏ん張り、足を踏みしめて倒れ伏すことを回避した。彼の最後の意地が、彼を踏みとどまらせたのだ。踏みしめた足を軸として、背を向けたままの彼女へと向き直る。

 

(この勝負は潔く負けは認めるさ……だが……主のためにも、君を道連れにさせてもらう!)

 

最後の力を振り絞り、拳を握り直して振りかぶる。鈴音は、未だ振り向かない。

 

(これで、さよならだ……!)

 

命を狩りとるべく、彼の拳は彼女の無防備な後頭部を正確に狙い。

 

勢いよく、振り下ろされた。

 

 

 

 

 

「キッハハハハハハハハ! どうしたぁ!? その程度か糞ガキ共!」

 

「っ! 減らず口を……!」

 

「そうら、避けてみろよぉ! 『悪魔の鎌足』!」

 

二人の攻撃を軽々と避け、下卑た笑い声を上げながら二人を甚振(いたぶ)るように手加減を加えながら痛めつけるフランツ。

 

「ぐぁっ!?」

 

カミソリのような鋭さを発揮するフランツの蹴り。避け損ねたクルトは防御もできずに直撃を食らう。吹き飛ばされていくクルトを、タカミチは何とか受け止めた。

 

「くっ……前が……、(かす)む……」

 

だが、タカミチも最初にフランツから受けた攻撃で、左脇腹から出血をしていた。フランツの放った必殺の蹴りは深く彼の脇腹を抉り、痛みと出血で動きを緩慢(かんまん)にしていた。

 

「タカミチ!? お前はもう休め! このままだと死ぬぞ!?」

 

慌ててタカミチを支えるが、支えた相手の顔色は非常に悪い。蒼白を通り越して土気色にも見える。既に、二人は満身創痍であった。

 

「あらぁ、私が逃がすと思ったかい? そりゃ残念、無理な話だねぇ」

 

周囲を取り囲む下級悪魔たち。伊達に上位悪魔ではないらしく、周辺にいる自分よりも下位の存在、その殆どを纏めて見せている。

 

「……逃げることは無理そうだね」

 

「……みたいだな」

 

「お、ようやく諦めたぁ? いいねぇ、希望を毟り取られて遂には絶望する……。私はそういうのに喜びを感じるのさぁ、キッハハハハハハハハハハ!」

 

笑い声を上げながら、勝利を確信するフランツ。その脳裏では、既に自分をコケにしたこの少年二人をどう料理するかを考えていた。

 

「それにしても、あの時は屈辱の極みだったわ。恐怖を振りまく側の私が、人間の少女ごときに恐怖を感じさせられるとはね。ま、次はぶっ殺すけど。さぁて、とりあえずお前らは手足もいでから死にたいと懇願するまで虐めた後にぶっ殺す」

 

しかし、フランツは知らない。

 

「……逃げられないなら……」

 

「……全部倒せばいい……!」

 

彼に屈辱を味わわせた少女の教え。

 

「はぁ……? 塵クズどもが粋がってんじゃねーよ!? いい気分だったってのに台無しじゃねぇかぁ!!!」

 

「諦めたら……」

 

「大切なモノは守れないんだ!」

 

諦めない心こそが、大切な人を守る。

 

「私直々に相手してやるのはここまでだ。後は雑魚どもにくれてやるわ、さぞ屈辱だろうなぁ?」

 

「クルト、左全部任せるよ」

 

「フン、お前こそ腹の怪我で右の奴らを取りこぼすなよ」

 

なおも彼らの瞳には、燃える光が灯り続ける。

 

「うっぜぇ、そのイキイキした眼すっげぇうぜぇ! おいお前らぁ! こいつらを殺さない程度に痛めつけろぉ!」

 

苛立ちが頂点に達したフランツは、下級悪魔の群れに突撃を命じた。それを迎え撃つのは、次代を担う若き戦士二人。

 

「「どこからでもかかってこい!」」

 

 

 

 

 

衝撃。ボロボロの肉体で放った渾身の一撃は、確かな手応えがあった。

 

だが。

 

「エヴァン……ジェリン……!」

 

「生憎だったな、私はもう己の従者を見捨てないと決めたのだよ」

 

プリームムの最後の奇襲は、失敗に終わった。振り向きもしないで突っ立ったままであった鈴音の後頭部を、プリームムは正確に狙った。だが、直撃する寸前で阻まれてしまったのだ。彼女が使えないはずの、『魔法障壁』によって。

 

造物主を煙に巻いて駆けつけたエヴァンジェリンが、その身を呈しギリギリのタイミングで防御することに成功したのである。

 

「……百を編み……千を束ねて……幾星霜(いくせいそう)

 

百の時間を編み、千の時間を束ねて長い年月を待つ。

 

「……去りし曇天……」

 

待ちわびるうちに曇り空は晴れ渡り。

 

「……呼ぶは十五夜……」

 

見事な名月を呼んだ。

 

「ククッ、吸血鬼の象徴たる月を私に見立てたか。そして村雨流のお前は雨を降らす曇天、いい(うた)だ」

 

「……光栄です」

 

勝負を決めたのは、たった一つの差。この戦いを最後まで2対2として戦っていたかどうか、であった。全気力を振り絞った一撃を防がれたプリームムは、ゆっくりと倒れた。

 

「……負けたか」

 

「ああ。そして私達の勝ちだ」

 

敗北を悟り、勝利者は宣告する。勝負とは常に勝者と敗者を生み出す。それこそが、残酷にして絶対のルール。

 

「お前の主はよくやったよ、あれほど強大な力を有していれば協力して戦うなんてことはしたことがなかっただろうに」

 

「僕が不甲斐なかった、ただそれだけの話だ」

 

敗北者を称賛すれど、その言葉に意味は無い。敗者は潔くそれを認めることだけが、唯一の矜持を守る方法。敗北者とは常に惨めでしか無いのである。

 

「……これ以上語れば、お前の誇りを穢すだけだが、どうだ? 今お前は抵抗さえできない捕虜同然、このまま我々の仲間にならんか?」

 

勝利者の悪魔の甘言。縋り付きたくなるようなその甘美な響きは、彼女の圧倒的な邪気と悪意によるものだろう。

 

「……断る。僕の主人は、ただ一人だけだ」

 

だが、それを彼は切って捨てる。ただ(ひとえ)に、彼は主人の人形であった。

 

「ああ、そうだと思ったさ。ただ少し惜しい気持ちはある……。お前程の実力者を、私が相手もしてやれずに死なせること、何よりこれでお前というよき好敵手を失うということに、寂しさを覚える」

 

「……所詮、僕達は同じ悪党だ……。君たちを打倒し得るのは、やはり光の中にある彼らなのかもしれないね……」

 

思い起こすのは、未だ部屋の隅で動くことさえできない赤毛の少年とその仲間たち。

 

「いずれ、戦うことになるだろうな」

 

「……心残りだよ。僕達を散々邪魔してくれた君たちが、彼らに滅ぼされるさまを見れないことが」

 

「それだけか?」

 

「……主の目的を果たす、それがもう実現不可能なんだ。主よりも先に逝くことの悔しさで胸が押しつぶされてしまいそうなほどだよ。それに比べれば、他のことなどどうとも思わないさ」

 

彼の瞳は、ただ彼女らを写していた。涙はない、悔いはあれど心は不思議と満たされている。ならば、最後は誇らしく。

 

「…………」

 

鈴音の暗い闇を湛えた黒い瞳は、プリームムを真っ直ぐと見つめていた。鈍い光が言外に言い放つのは、敗北者への哀れみではなく未だ明確な敵意。それは、同時に彼を同格の敵と認めているからこそ。主を守るためであれば、排除すべき敵を殺しつくすのは当然のこと。鈴音はゆっくりと、刃を逆手に持ち替えて切っ先を彼の心臓へと向ける。

 

「……では、さらばだ、『最初の敵(プリームム)』」

 

「……さようなら、『最後の敵(エヴァンジェリン)』」

 

そして、刃は彼を刺し貫いた。

 

 

 

 

 

プリームムへと近づき、彼の顔を覗き込む造物主。彼の最後の表情は、満足そうに小さく笑みを浮かべたままであった。

 

「……プリームム……」

 

「謝罪など吐くなよ、コイツの名誉のためにもな」

 

「……それぐらい、心得ておる」

 

「…………お前は……どうする……?」

 

未だ臨戦態勢の鈴音は、造物主にそんな問いを投げかける。

 

「……プリームムの奮闘を、無駄にする訳にはいかぬ」

 

造物主の魔力が、一気に空間を埋め尽くした。それを感じ、二人は一気に警戒心を強める。

 

「……儀式に費やす魔力を温存したかったが、貴様らを黙らせねばそれどころではない。……使うつもりはなかったが……塵も残さず消してやる」

 

「……鈴音、左腕はどうだ?」

 

「……使用不能です。……この状態では、万全とは……」

 

「言い難いな。鈴音、耳を貸せ」

 

「……! ……しかし、それではマスターが……」

 

エヴァンジェリンが耳打ちした作戦は、驚きのものであった。だが、それは一歩間違えばエヴァンジェリンに大きな危険が伴う。

 

「いいや、できるさ。前々から構想はしていたんだが、あの世界を見たおかげでお前の感覚も強化され、そして私も視認できている。ぶっつけ本番になるが、勝算はある」

 

「……『呼吸』は、マスターに……?」

 

「合わせてくれ。私では、感覚で理解はできないからな」

 

「……(はかりごと)か? ……生憎、これ以上貴様らの児戯に付き合うつもりはない」

 

造物主の前方に出現したのは、今までとは比べ物にならないほどに高度に編み上げられた巨大な魔法陣。その中心に集約していく魔力もまた、馬鹿げていると思えるような密度。しかし、エヴァンジェリンは。

 

「『解放・固定』」

 

「……む?」

 

不敵な笑みを消すことはない。彼女が言い放った言葉は、先ほどの魔法の照準を合わせるためのものではない。これは、彼女がかつて脆弱であった時代に編み出した、禁忌の魔法。

 

「……煙に紛れていた時に魔法を仕込んでいたか。……だが、貴様の残り少ない魔力で一体何をする?」

 

「ククク、流石に父である貴様も知らんよな? この魔法(・・・・)はかつての私が10年来をかけて編み出したオリジナルだからな」

 

「……!」

 

「『氷晶の銀嶺』……『掌握』!」

 

掌に留めていた固定化した魔法を、勢いよく握りつぶす。するとその魔法が暴走したかのように勢いよく彼女を包み込み、やがて冷気が辺りを侵食し始めた。荒れ狂う魔法はなおも彼女を閉じ込めたまま勢いを衰えさせず、遂には巨大な氷柱へと変化してようやく収まった。

 

氷柱の中心には、氷漬けとなったエヴァンジェリンが膝を抱いて眠っている。その様は、さながらクリスタルオブジェの中に埋め込まれた人形であった。が、その氷柱に罅が入り、ガラスが割れるような音とともに砕け散った。

 

中から現れたのは、全身から冷気を発し、半透明に透き通った肌となったエヴァンジェリンの姿。

 

「……ほう、固定化した魔法を、取り込んだか……。……だが、それがどうした?」

 

驚きはあった。しかし、その程度では造物主にとっては話にもならない。確かに、自身を一時的に魔法と同一化することで足りない魔力を補うことはできたが、それだけだ。造物主にとっては先程までのように障壁を解析してこられたほうがよほど厄介なのだ。

 

「早計は愚行だぞ? 本番はこれからだ」

 

「……何?」

 

「鈴音。……吸い取れ(・・・・)

 

「……仰せのままに……」

 

エヴァンジェリンが、鈴音の体へと突如覆いかぶさった。その行動に、さすがの造物主も一瞬思考が止まる。アスナのように魔力に対するマイナスの能力を有する鈴音に、今のエヴァンジェリンが接触すれば、消滅しかねない。

 

だが。

 

起こったのは、明らかな異常。

 

繰り広げられる光景は、想定の遥か斜め上。

 

エヴァンジェリンが、ゆっくりと鈴音に埋没(・・)していく(・・・・)

 

「……なんだ、これは……!?」

 

理解不能な光景に、造物主はそんな言葉しか吐けない。かろうじて口が動いたことが、ある意味で奇跡的とも言える。なにせ、彼の生きてきた長き時の中で、このような現象を目の当たりにしたのは初めてであったからだ。

 

「おーおー、驚いているな。鈴音、あいつのマヌケな面が見えるか?」

 

「……いえ」

 

「私も見えんよ、雰囲気で察しろということさ。さて……鈴音、私はお前を通して奴の敗北を拝ませてもらうとしよう」

 

「……ごゆっくり……お楽しみを……」

 

やがて、エヴァンジェリンの体が半分以上も沈み込んだ所で、ようやく造物主は思考能力を取り戻すに至った。

 

「……させぬ。何をしようと企んでいるのかは分からぬが、このまま吹き飛ばしてくれる!」

 

魔法が通用しない鈴音ならばともかく、未だ体の半分が残っているエヴァンジェリンであれば、魔法で吹き飛ばせる。そうなれば、エヴァンジェリンは鈴音から離れ、目論見は失敗に終わる。造物主はそう直感的に理解し、温存していた魔力をつぎ込んだ魔法を、一気に解き放ち。

 

「……『天蓋射抜く咆哮』……!」

 

巨大な光線に、二人は飲み込まれた。

 

 

 

 

 

「キッハハハハハ! いいざまだなぁオイ?」

 

「ご……がぁ……!」

 

「タカ……ミチ……」

 

悪魔の群れ相手に、満身創痍ながらも善戦していた二人であったが、しかし数が違いすぎた。ほんの一瞬の隙を突かれ、タカミチが下級悪魔の一人に捕まってしまったのだ。クルトも、タカミチを助けようとして横合いから殴られ、3匹の悪魔に拘束されている。

 

「ケケケケケケケ」

 

タカミチの喉を締め上げる悪魔はカラカラと笑いながら締め上げる力を上げる。タカミチは必死に藻掻くが腕の力は一向に緩まない。叫び声を上げるクルトを眺めながら、下卑た笑みを浮かべながら彼の顔面を踏みつける。

 

「ぐぁっ!」

 

「ク……ルト……!」

 

「いいねぇ、お互いを助けたくても自分が無力なせいで助けれらない……。足掻け、藻掻け、そして絶望しろぉ! てめぇらの呻き声が私にとっては最高のBGMだ、キッハハハハハ!」

 

「諦め……るか……!」

 

「まだ……戦え……る……!」

 

「……なぁ、もういい加減諦めたらどうだぁ? どれだけ頑張ったってよぉ、お前らじゃ上級悪魔の私を倒すなんて夢のまた夢だ。今だって下級の奴らに捕まって死にかけてんだ。もう受け入れちまえよ、そして楽になれや」

 

「「嫌だね……!」」

 

「……チッ。不快な野郎どもだ、吐き気がするぜぇ。おい、もうそいつら甚振(いたぶ)るのも飽きたから殺していい……」

 

フランツが殺すように指示した、その時。

 

 

 

ゴッ!!!

 

 

 

「あぁ?」

 

それは一瞬の出来事であった。地表から放たれたとしかわからない巨大な光線は、運の悪いことに彼らを中心に捉えていた。接触すると同時に、片っ端から消滅していく下級悪魔たち。その光景はまるで悪夢のようであった。

 

「は?」

 

気づけば。周囲にあれほど存在していた下級悪魔は一切尽くが消滅しており、クルト達を取り押さえていた悪魔も巻き込まれて消えていた。

 

「ケホッゲホッ……! ……助かった……のか?」

 

「……どうもそうらしい」

 

「はぁ!? ちょっ……ふざけんなぁ!? こんな……こんな偶然あってたまるかァ!?」

 

取り乱すフランツ。この状況が余りにも突発的すぎて混乱しているようだ。その御蔭かこちらのことに気づいていない彼を尻目に、二人は目配せをして考える。

 

「……どうする?」

 

「そりゃあ、もちろん……」

 

「つーかなんだあの馬鹿げた魔法はよぉ!? あんなの私も見たことねぇぞ!? いったい下で何が起こっ……」

 

「最大……」

 

「神鳴流決戦奥義……!」

 

「っしまったぁ!? 糞ガキどものことを忘れて……!」

 

二人から感じられる巨大な気の気配を感じて慌てて振り返るが、もう遅い。

 

「一条大槍無音拳!」

 

「真・雷光剣!」

 

巨大なレーザーの如き一条の拳圧と、凄まじい電撃を帯びた斬撃がフランツを襲った。

 

「がっぎああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

二人の渾身の一撃は、フランツを大きく吹き飛ばし、絶叫を響かせた。全身を電熱で焼かれ、大槍の如き拳圧で肉体を圧迫されて血を吐き出す。そのまま、彼は体を一切動かすことなく遠方にいた下級悪魔数匹に受け止められることでようやく静止した。

 

「……やったか?」

 

「いや……」

 

二人が今出せる最高の一撃を、絶好のタイミングで直撃させたのだ。これで倒せなければもう打つ手は残っていない。だが、タカミチには確信めいた予感を抱いていた。あの程度で、フランツが倒れるはずがないと。

 

その予感は、最悪なことに的中してしまった。

 

「…………やりやがったなぁ……糞ガキどもがあああああああああああああああああああ!」

 

煙が晴れ、そこから現れたのは。殺意を剥き出しにして叫ぶフランツの姿であった。

 

火傷で顔の半分が焦げ付いているが、叫ぶ程度の元気はあるらしい。いくら修行で身につけた必殺の一撃とはいえ、まだまだ二人は未熟であったが故。そして爵位級悪魔としての肉体能力の高さによってフランツは生還したのだ。

 

「ぶ、ぶ、ぶ、ぶちころ、し、て、やる!」

 

言葉がうまく形成できないぐらいに、怒りで我を忘れているようだ。怒りに任せて暴走寸前と言った風だ。が、それに待ったをかける一人の人物がいた。

 

「フランツ、下がりたまえ」

 

背後に突如、水の魔法による『(ゲート)』が出現し、二人の悪魔が出現する。片方は全身に水を纏ったずんぐりとした体型の悪魔。先ほどの『(ゲート)』を発動したのはこちらのようだ。そしてもう一人、フランツに下がるよう促した老齢の男性の姿をした悪魔。

 

「……ヴィルかよ……何のつもりだぁ?」

 

「君は負傷している、後は私に任せろ」

 

「ざけんなっ! あいつらは私がぶち殺して……!」

 

「そんな大怪我でどうするのかね? 再びあの子供らに負けたなどと知られれば、それこそ魔界で笑いものにされるぞ?」

 

そんなふうに釘を差され、フランツは何も言い返せない。実際、これほどあの少年たちに追い詰められるなど思ってもいなかったからだ。まさに、上級悪魔であるが故に舐めてかかったフランツの自業自得なのだ。

 

「……ちっ、クソジジイめ」

 

「なんとでも言いたまえ。私の数少ない古い友人がこれ以上醜態を晒すのを見たくはないからね」

 

フランツはその悪魔にそう諭されると、納得いかない風ではあったが水を纏った悪魔に近寄り、術を発動するように言う。水の悪魔はそれを了承し、転移の魔法を発動した。

 

「てめぇらはいずれ俺が殺す。それまで首洗って待ってろ、糞ガキ共……!」

 

そんな捨て台詞を吐いて、彼は『(ゲート)』の向こうへと消えた。

 

「いや、すまんね。彼は私の馴染みの友人なんだが、口が悪くてね」

 

「……貴方は」

 

「おっとすまん。まだ自己紹介を済ませていなかったな、紳士としてあるまじき行為だ」

 

優雅な雰囲気を感じさせる男性だが、しかし纏う空気は戦場に非常に似つかわしい禍々しいもの。

 

「私の名はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンだ。伯爵位は持っているが、没落している身でな。今はしがない雇われさ」

 

「っ! フランツは確か子爵だったはず……」

 

「あれ以上の上位悪魔だと……!?」

 

「いやいや、フランツも子爵に甘んじているのは品性に問題があったが故だ。実力で言えば、本気で殺り合うならば私と互角だろうね」

 

どちらにしても、それは死刑宣告に等しかった。ボロボロになりながら倒すことさえできなかったあのフランツと互角以上という相手と戦わなくてはならないのだ。

 

「フフ、私は若く才能のある子供が好きでね。ひとつ、手合わせ願おうか」

 

絶望的な戦いは、未だ終わらない。


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