二人の鬼   作:子藤貝

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第十六話 それぞれの戦い③

「なんつー魔法だよ……」

 

事の成り行きをただ見ているだけしかできなかったナギは、おもわず苦々しい顔をした。理由の一つは、部屋の半分を吹き飛ばした先程の極大魔法。そしてもうひとつの理由とは、もし、さっき戦いに自分が参加したとして。果たして生き残ることさえできたかどうか。

 

(……あいつ……満足そうだったな……)

 

自分で勝手にライバル扱いしてはいただけあって、本気の彼はナギとの彼我の実力差があったとは言い難い。近接戦闘はナギの十八番であり、鈴音相手に善戦していたのはあの防具の存在が大きかっただろう。

 

それにナギから見て、恐らくあの防具は物理防御は高いが魔法による攻撃に弱かった可能性がある。エヴァンジェリンの障壁を殴った際、ほんの少しだけ罅が入っているように見えたのだ。今までの戦闘で全くへこたれることなく輝きを放っていたというのにだ。

 

魔法を使う様子が一切なかったことから、あの少女は魔法が使えないのだとナギは推測する。つまり、あの防具は対少女専用のものであった可能性が高い。恐らく、少女ではなくナギが戦っていれば何れは破壊できていた可能性が大きい。

 

だが、それは可能性の話である。彼は少女への切り札まで用意して決戦に臨んでいた。つまり、自分は眼中に入れられていなかったということだ。おまけに、先程までの1対1を匂わせておいて最後の最後に2対2へ引き戻すシングルプレイのようなコンビプレイ。ナギは、思わず関心してしまったほどだ。

 

(……最初っからタッグマッチなんだから、そりゃシングルマッチと誤解してる奴のほうが悪いよな)

 

戦いとは千変万化。常に可能性を忘れてはならないのだ。むしろ、出し抜かれた造物主にこそ責任があったはずだ。それでも、自分の主人に最後まで殉じたプリームムの姿は美しく、それを負かしたあの二人は正しく勝利者だ。

 

「くそっ……!」

 

思わず拳を握り締める。その指の隙間からは、赤い液体がぽたぽたと地面へと降り注いだ。悔しかった。あれほどの見事な戦いを見せられ、それに自分がついていけないであろう事実に。羨ましかった。自分でさえ目で追うのがやっとの少女相手に、プリームムが防戦一方ながら食い下がってみせたことが。

 

(俺は……俺はっ……!)

 

滲む視界は、世界を容易く歪めてしまう。見るだけしかできないのに、更に視界を遮るのか。どうして、自分はあそこにいられないのか。竦んだまま動かない足へと必死に心の内で檄を飛ばすが、彼の意志に反して足は全く動いてくれない。

 

英雄の雛鳥は、未だ巣立ちの時は遠く。

 

望む大空は遥か遠く。

 

 

 

 

 

「…………」

 

濛々(もうもう)と上がる土煙の中、造物主はひとり佇んでいた。彼にとっては、プリームムは右腕として認めていると同時にただ重要な手駒であり、それだけの存在であったはずだった。だが、先ほどの魔法を放つときに彼の心の中で、確かにプリームムの仇をとるという感情がはっきりと現れていた。それが、少々予想外であった。

 

(……情に、流されたか……)

 

感情など、全て捨ててしまったはずだった。だからこそ、自分の部下で最も信頼を置いていたのがプリームムだった。機械的で事務的であり、忠実に任務をこなしてくれる存在。それが彼を信頼している理由であったはずだ。

 

(……なぜ、あの時……)

 

感情に目覚めたプリームムを、封じてしまわなかったのか。余計なものなど必要ないと、自分は考えていたはずであったのに。

 

(……やはり、お前の存在が……)

 

脳裏に思い描くのは、ただ一人の女性。今はもう、顔さえも朧気にしか思い出せない。しかし、大切であった女性。そして、己が感情を切り捨てるきっかけとなった人物。

 

(……因果なものだ……本当に……)

 

ゆっくりと目を閉じ、そして目を開く。眼前には、徐々に晴れてゆく土煙。造物主の魔法の中でも、特段殺傷力の高いものを放ったのだ。本来ならば、生きていられるはずなど無い。あの少女であれば生存可能であろうが、あの魔法は複雑に織り込んだ魔法の集合体。つまり一箇所を無効化された所で他の箇所まで無効化されるなどあり得ない。

 

そして、今回は少女への対策として外的要因によって消滅した端から魔法が再生するように編みこんである。少女のすぐそばにいたとして、少女は無事でもエヴァンジェリンは魔法を不自由な状態もあって直撃したはずだ。

 

(……残り魔力はまだ十分にある。ならば、あの娘を眠らせて儀式を再開できるか……。……ナギ・スプリングフィールドは邪魔だが、あの様子では障害にはならんだろう)

 

ちらと一瞥すれば、そこにいる少年は動こうにも動けないといった状態だ。先程までのケタ違いの戦闘に圧倒され、足が竦んでしまっているのだろう。徐々に晴れていく土煙の中、一人分の人影が見えた。

 

(……そこか)

 

音もなく大量の槍を召喚し、シルエットへと向けて射出する準備を整える。そして土煙が完全に晴れる寸前に、それらを彼女の心臓目掛けて放った。魔法無効化系の能力者は、幻覚魔法や空間魔法、一部の結界魔法にも弱い。射出した槍には永続的に睡眠を強制する幻覚魔法が仕込まれている。槍自体も魔法であるため破壊されるだろうが、それをクッションにして幻覚魔法をかけることができるはずであるし、彼女は左腕を使用不能となっているためこの量を防ぎきるのは不可能であろうはずだった。

 

だが。

 

「……邪魔」

 

彼女は、土煙ごと槍の群れを。勢いよく左腕で(・・・)刃を振るい、斬り裂いた。

 

(……なに……!?)

 

吹き飛ばされる槍と土煙。そこから現れたのは、鈴音であった。いや、それは当たり前のことだ。問題は、彼女がプリームムによって負わされたはずの傷や、折れて骨が露出した左腕が。どこにも(・・・・)見当たら(・・・・)ない(・・)ということだ。

 

「……なんだと……」

 

通常であれば、治癒魔法を使ったかと疑うだろう。だが、彼女は魔法無効化系の能力者。当然治癒の魔法など一切受け付けないはずだ。では、一体どんなトリックを用いたというのか。更に目を引くのは、その瞳だ。純日本人である鈴音は黒い瞳であるが、今の彼女は青の妖しげな光を宿した瞳をしていた。

 

「……マスター、……感謝します……」

 

左腕を眺めながらそんなことを言う鈴音。エヴァンジェリンの姿はどこにもない。造物主が魔法で吹き飛ばしたはずだからだ。しかし、そんな彼の予想は大きく裏切られた。

 

【感謝などいらんよ、お前を治すために態々吸収(・・)されたんだからな】

 

エヴァンジェリンの声が、鈴音の方から聞こえてくる。否、彼女の内側(・・)から響いてくる。

 

「……何をした……」

 

「…………」

 

「……何をしたのかと聞いている!」

 

声を荒げながら、造物主は高速展開した魔法陣から先ほどの倍はあろうかという真っ赤な槍を次々と射出する。だが、鈴音はその尽くを『五月雨』を用いて弾き飛ばしていく。

 

(何故だ……!? プリームムが負わせていたはずの重傷が何故癒えている!?)

 

驚きを隠しきれない造物主。鈴音には彼の動揺がはっきりと見て取れていた。その隙を好機と見た鈴音は、造物主が疑念の目を向けている左腕を水平に構えると。

 

「……了承。……放出(・・)

 

掌から(・・・)魔法を(・・・)射出した(・・・・)

 

「……っ馬鹿な!?」

 

思わず声を上げてしまうが、なんとか自らの魔法障壁で防御することに成功する。彼が驚いた理由は鈴音が魔法を放ったからだけではない。今目の前で鈴音が射出したそれは、紛れも無く先程(・・)造物主(・・・)自身が(・・・)放った(・・・)魔法(・・)であったからだ。

 

「……意趣返し?」

 

【フン。私を吹き飛ばそうなどとしてくれた礼ぐらいはしたかったしな。これであいこだ】

 

再びエヴァンジェリンの声。やはり彼女の声は鈴音の、それも胸辺りから聞こえてくる。よくよく目を凝らしてみれば、彼女の右眼の瞳には魔法陣のようなものが浮かんでいた。

 

【気づいたか。鈴音、少し体を借りるぞ】

 

「……はい」

 

鈴音はそう了解の返答を短く済ませると、体を脱力させて目を閉じた。すると、彼女の体が少しずつ異変を起こしていく。長いストレートの黒髪にはなめらかなウェーブがかかってゆき、金色へと変貌してゆく。服装も同様に、艶やかな紫の着物から漆黒のゴシックドレスへと徐々に変化していく。しかし瞳の色は、逆に黒へと変化していく。

 

そして完全に変化が止まった時。その姿は一部の特徴を除いて、完全にエヴァンジェリンその人に他ならなかった。

 

「ククッ。どうだ『父上』? 驚いてくれたか?」

 

「……なんだ、これは……」

 

「言うなれば、私と従者の一体化だ。尤も、構想自体はあったが成功するかは今の今まで半々だったのでな、これをお披露目したのは貴様が初めてというわけだ」

 

「……一体化だと? ……馬鹿な、そんなことをどうやって……っ!」

 

そう言葉を零す造物主であったが、先ほどのことを思い出してある一つの可能性へと思い至ったのだ。それは。

 

「……まさか、魔法化した自身を従者と融合させたのか……!?」

 

一つの仮定を吐露すると、エヴァンジェリンはパチパチと大袈裟な風に拍手を贈る。

 

「ある意味正解だよ、いやぁさすが我が父上だな!」

 

ケタケタと嗤うその様は、非常に不愉快なものであり。しかし、彼女のこれ以上ない自信と余裕を感じさせるものでもあった。

 

「私の愛しの従者、鈴音の能力はただの魔法無効化能力とは少し違う。正確な呼称は、『魔法吸収(マジックハーヴェスト)』能力とでも言うべきかな?」

 

「……『魔法吸収』だと? ……そんなものは聞いたことなど無い、でたらめを……」

 

「先ほどの鈴音が放った魔法……貴様が放ったものとそっくりだったと思うが?」

 

「……それがどうした」

 

「『魔法無効化』系統の能力者は例外なく魔法が使えない。魔法を使おうにも、魔力は扱えても魔法を放つときに能力で分解してしまうからな」

 

黙したまま、造物主はエヴァンジェリンの話を聞き続ける。不意打ちでも食らわせてやりたいが、相手が何をしているのか不明な以上、態々それを話してくれるのは彼にとって好都合であり、対策を立てるのも容易になると判断したため実行しない。

 

「だが、鈴音の『能力』は少々風変わりでな……魔法を『吸収』することができるのさ。ただし魔法のまま(・・・・・)で、だがな」

 

「……なるほど、先程のは私の魔法を吸収した後、それを『放出』したわけか」

 

「ただし、魔法無効化系統の能力者の宿命として、魔法をそのまま放とうとすれば能力で魔法を分解してしまうが……それを解決できる方法が1つだけあった。放出する瞬間に魔法の制御を他の誰かが実行すればいいのさ」

 

「……それを貴様が担ったということか」

 

ニヤリと、口角を釣り上げることでエヴァンジェリンはその返答とした。

 

「いやはや、我が父上は本当に理解が早くて助かる。鈴音は魔法を保ったまま吸収できると気づいた時、私はふと一つの疑問を抱いたんだ。"魔法化した私自身"を吸収させれば、一時的な融合を行うことができるのではないかと」

 

その結果がコレだ、とエヴァンジェリンは己を指さす。本来鈴音の中で分解されてしまうはずのエヴァンジェリンは、鈴音が『呼吸』を合わせることで個として内在することに成功し、内部から魔法に能力が干渉しないようにコントロールしているのだ。

 

「ぶっつけ本番になってしまったが、"従者との完全融合"を成し遂げることに成功した。今の私達は二人にして一人、一人にして二人というわけさ」

 

「……馬鹿な、そんなものは有り得ん……! 世界の『(ことわり)』そのものを覆すようなものだ……!」

 

「ククク、有り得んなんてことは常識の中で語ることさ。私達は、人間とは違うのだからな」

 

魂が鬼へと成った鈴音と、肉体的に人外と成ったエヴァンジェリン。常識の尺度で彼女らを測るなど、彼女らからすれば愚の極み。人間を超越したなどという傲慢な考えはない。人間には人間の強みが有り、それが弱さからくる向上心だということも知っている。バケモノである彼女らにはとても真似などできないだろう。弱さを知っても、向上心へとつなげることはできないのだから。

 

だが、バケモノであることに彼女らは抵抗など無い。受け入れているからこそ、バケモノにしかできない人間とは隔絶した離れ業さえやって見せられるという自信があった。だからこそ、彼女らは可能性に賭け、そしてそれを成してみせたのだ。

 

 

「しかしまあ、改めて自分の体が異常だと思ったよ。この体は鈴音であると同時に私でもあるが、私の肉体の特性で鈴音の腕を回復するとは思わなかった」

 

喉を鳴らすように笑うエヴァンジェリンだが、造物主にはそれが確信犯めいたものだとすぐに看破できた。恐らく、エヴァンジェリンは最初からそれが目的で融合を図ったのだろう。

 

「さて、無駄話もここまでにしておこう。どうせこの状態になってしまった以上、後は貴様を嬲るぐらいしか無いからな」

 

「……減らず口を。たかが融合程度でこの私を嬲るなど……」

 

「ほう、私達に追い詰められていたことを忘れたか?」

 

反論を試みるも、造物主の言葉は遮られる。

 

「分かっちゃいないのは貴様のほうだ、父上。真祖の吸血鬼の肉体を持ち、魔法の扱いなら右に出るものなどいない私と、近接戦闘と剣術において最強クラスとも言える我が従者たる鈴音。双方の実力を殺すことなく発揮できる今の状態は、先ほどまでとは比べ物にならんぞ?」

 

「……だが」

 

「ああ、魔力を制限していたらしいな? 手加減していたというわけか、とんだ言い訳だな」

 

「……何を言っても無駄か。ならば、今一度思い知らせてやろう……」

 

そう言うと、巨大な魔法陣が地面に突如出現する。そこから現れたのは、一振りの巨大な剣。それから放たれる禍々しい邪気は、ひと目で妖剣、魔剣の類であると推測することができた。造物主は、今までのように物量にものをいわせた戦法から、数が減った代わりに高い質を持つ強力な武器を用いる戦法に切り替えたのだ。

 

「……光栄に思え、この魔剣を再び抜いたのは2000年ぶりだからな」

 

「ほほぅ、見事な剣じゃないか」

 

「……名すら存在しない(いにしえ)より存在する正真正銘の魔剣だ。抜けば最後、破壊を振りまき命を狩り尽くす。私でさえ制御が難しく、抜くのを最後までためらう代物だ」

 

「面白い」

 

そう言うと、エヴァンジェリンの姿が徐々に変化していく。

 

「鈴音、お前の『紅雨』と奴の魔剣……どちらが上か見せつけてやれ」

 

エヴァンジェリンの面影が完全に消え去った時、そこには再び鈴音の姿があった。

 

「……いざ、参る」

 

鈴音が腰の紅雨へと手を這わせ、腰を落として低く構えた。それに応じるかのように、造物主は巨大な魔剣を片手で振り上げ、切っ先を鈴音へと向ける。

 

「……本来は生かしていたほうが術の効果範囲が広がるが、贅沢も言っていられん。その遺体を用いて儀式の贄にしてやろう」

 

「……村雨流……『時雨』……」

 

一息きの一瞬。そんな瞬息の時間で、鈴音は造物主へと肉薄した。

 

「……ぬうっ……!」

 

目にも留まらぬ、いや目にさえ映らない神速の居合を造物主は辛うじて魔剣で弾いてみせた。見た目の重量から鈍重そうなイメージがあった鈴音も、素早い反応と対応に一瞬驚くが、即座にかち合った刃を弾いて距離をあける。

 

「……何だ……その剣は……」

 

剣士として達人とも言える鈴音だからこそ抱いた違和感からでた言葉。先ほどの反応は、どうにも解せなかったのだ。まるで、造物主が剣に振り回されているかのようで。

 

「……この魔剣は扱いが難しい。ただの剣ではない、コイツには意思がある」

 

「……!」

 

それは、鈴音にとって聞き捨てならないことであった。彼女の愛刀にして妖刀、『紅雨』。これにもまた、神代の神の一柱が生み出した分霊が宿っているからだ。

 

「……ほう、お前の剣にも何かが宿っているらしい。だが、こんな厄介な代物がこれ以上存在されると面倒だ。破壊させてもらうぞ」

 

「……やってみろ」

 

鈴音にとってこの『紅雨』は愛刀であり、そして父の形見だ。むざむざ破壊されたくはない。だが、あの大剣にはその力がある。いくらカミの分霊が存在しようとも、あくまでそれは分霊。妖刀としての格は高いが破壊不可能というわけではないのだ。

 

ならば、その逆も可能だということだ。この『紅雨』を破壊されないためにも、鈴音は憂いを断っておきたかった。造物主は倒すべき敵であり、都合がいい。

 

「……かかってくるがいい。二人いっぺんに片付けてくれよう……」

 

「……そうか」

 

瞬間。鈴音の姿がブレる。それが残像であろうことは造物主には理解できた。

 

だが。

 

「……もう、慣れた(・・・)

 

迫る赤い刀身に造物主が気づけたのは、それが後数センチで彼を斬り捨てるだろうといった超至近距離であった。

 

「……何だと……!?」

 

先ほどまでとは違う、圧倒的速度と隠形技術。造物主は魔剣の意思によって体を無理矢理に動かされ、辛うじて攻撃を受け止める。

 

「……掴んだ(・・・)

 

受け止められたという事実に、しかし鈴音は眉一つ動かさず刃を弾いて距離を取り、そんな言葉を吐く。そして、今度は残像が造物主の周囲に何十と出現する。

 

「……ぬうっ!」

 

魔剣を振るい、周囲に衝撃波をまき散らす。まるで空間そのものを攻撃しているかのような荒々しい攻撃は、一瞬で全ての残像を消し飛ばす。それだけでは飽きたらず、周囲の壁面に一切の(ひび)さえ入れずに、バターを掬うかのように削り、吹き飛ばした。

 

だが、破壊のあとに鈴音の死体は存在しなかった。むしろ、鈴音の姿は完全に消失し、まるで初めから存在しなかったかのようであった。それでも、造物主には認識できる。彼自身が創造したこの世界では、世界そのものが彼のようなものだ。

 

「……捉えたぞ……」

 

巧妙に死角に潜んでいたが、造物主には手に取るように分かった。後方へと顔さえろくに向けず、造物主は魔剣の意思の赴くままに攻撃させた。しかし、返ってきた手応えは。

 

「……これは……!」

 

人を斬った感触でもなく、刀身で防がれた金属音でもない。ついさっきのように、石造りの柱を削った感覚であった。

 

「……村雨流奥義……『雲霧(くもきり)』」

 

そう、鈴音は認識を感覚レベルで誤魔化す村雨流の剣舞、『雲霧』であたかも死角に隠れているかのように見せかけていたのだ。そして本人は、『呼吸』を造物主自身に合わせ、全く別の場所から機会を伺っていた。

 

そして今。攻撃後の一瞬の隙を、造物主は晒してしまっていた。

 

「……村雨流…………」

 

限界まで、脚に気を集中させる。放つのは、村雨流において最速にして突き技では最強の奥義『雷霆(らいてい)』。

 

「……"我流"奥義……」

 

だが、鈴音はその先をゆく。人間の肉体では、『雷霆』は一度限りの大技。放てば肉体はボロボロとなり仕留め切れなければ一気に不利に陥る。プリームムに放った村雨流禁断の"裏式"『雨露霜雪(うろそうせつ)』でも、最も負担を強いるのが『雷霆』の突きの技術なのだ。

 

では、今の鈴音はどうか。一見すれば肉体的には只の人間のものと同じ。しかし、今彼女はエヴァンジェリンと融合してその肉体の特性の恩恵を受けている。そう、どれほど傷つこうと周囲や自前の魔力で肉体を完璧に再生し、人間とは比べ物にならないほど強靭な真祖の吸血鬼の肉体的特性を、だ。

 

つまり、鈴音は肉体の(・・・)損傷を(・・・)一切(・・)気にする(・・・・)必要がない(・・・・・)

 

「……『驚浪雷奔(けいろうらいほん)』」

 

音が、置き去りとなる。肉体のことを一切考慮する必要がなくなった、鬼としての鈴音本来の動きが可能となった今。彼女は音の壁など一跨ぎであった。

 

ズブリと、造物主の肉体に刃が突き刺さる。しかし造物主は気づけない。痛みが到達するまでの時間が追いつく前に刃が引きぬかれ、彼女は放れてゆく。そして痛みが到達する瞬間。

 

「ぐおおおお!?」

 

造物主の悲鳴と同時に、彼女の刃が再び突き刺さる。先ほどの脇腹ではなく、今度は肩口。そしてまた、その痛みが到達する前に刃は放れ、痛みが来ると同時に刃が造物主へと襲いかかる。一切の反応も、反撃も、防御さえも許さない怒涛の連撃。それはまるで、岸に打ち付けられると同時に波頭を岩に激突させて飛散し、雷のような轟と荒々しさを見せつける高波。引いては押し寄せを繰り返し、岩肌を削る悪魔の喉笛。

 

「……が……あ……!」

 

全身を襲い続ける痛みの奔流に、流石の造物主でさえも痛みにのたうつ隙がない。痛みの絶頂は常に彼を蝕み、それらが合わさって並の人間ならばとっくにショック死を引き起こしているだろうことは想像に難くない。いや、造物主でさえこの巨大過ぎる痛みには耐え難かった。

 

「……とどめ」

 

鈴音が、最後の一撃を造物主の腹へと放つ。刃が腹を貫通し、背中まで突き抜ける。刃から血液が伝わり、ポタリポタリと地面へと滴る。

 

「……ようやく捉えたぞ……!」

 

だが、造物主も強かであった。痛みに翻弄されてなお、彼女を捕まえることだけを考え、腹に攻撃が来る瞬間をずっと待っていたのだ。刀身を掴まれ、刃を引く抜くことができない。

 

「……無限の奈落へ落ちろ、怪物め!」

 

魔剣が、鈴音に襲いかかった。

 

 

 

 

 

暗闇の中にいた。自分自身が誰かさえも忘れてしまいそうなほどの真っ暗な漆黒の世界に、ただただ彼は立ち尽くしていた。

 

藻掻き、足掻いた。しかし一向に塗りつぶされてしまいそうな黒からは逃れられない。必死になって走りだしたが、上も下も左右でさえよくわからない。自分はここにいるのか、それともいないのか。

 

最後には、地面さえ存在するのかわからない暗黒の中で膝を折る。手が暗闇へと触れているのに感触は全くない。いや、そもそも触れているのかさえわからない。

 

気が狂いそうだった。どんどんと疲れが、増して……ふと自分は生きているのかさえ疑問に思い始めた。そこからは湧きだす不安で胸を潰されてしまいそうな感覚に陥る。意識がある時点で自己というものが存在しているのは理解できても、それが生死を決める決定的な証明にはならなかった。

 

己の両手を見た。未熟ながらも良き師に鍛えられた己の手ならば、確かめられるのではと考える。自分の首を掴み、力強く握る。苦しさも痛みも感じない。だが、たしかに己の首は触れられている感覚を訴え、手は握る感触を伝えている。

 

このまま続ければ、いつかは死ねるのかもしれない。そうであれば、自分は生きていたという逆説的証明になるだろう。だが、それが果たして確かめるすべがあるかはわからない。だが、ここにいるのかさえわからない己が、生きてさえいないなど認めたくない。

 

ふと。何故自分はこんなところにいるのかという当たり前の疑問を、今更ながらに思いつく。先ほどまでの己は一体どこにいたのか、それさえも思い出せない。だが、何かとても大事な事を忘れてしまっているかのような、そんな気がした。

 

『あ……め……大切……死……』

 

断続的な誰かの声。途切れたテープのように頭の中で再生されたそれを、己は覚えている。

 

『諦め……大切な……死んで……』

 

徐々に、その声は鮮明になってゆく。聞いたことのあるその声は、かつて己に道を示してくれた大事な人のものだと思い出す。

 

「そうだ……」

 

いつの間にか、腕は己の首を絞めるのをやめていた。呟いた声が、空間に響き渡る。闇が、不気味な暗黒が己を中心として引いてゆく。世界が白に染まってゆく。

 

「僕はまだ……戦っている……!」

 

思い出すのは蹂躙。友人とともに嬲り続けられた痛ましき記憶。だが、それを恥だとは思わない。無様であろうと戦おうとする意志を曲げなければ。まだ、戦える。

 

彼女の言葉を、彼は口に出して覚悟を決める。

 

「……諦めては……大切な人は守れない……!」

 

世界が、彼ともども真っ白に包まれていった。

 

 

 

 

 

ヘルマンは目の前の蹂躙した二人を見つめながら、少々の失望を覚えた。メガネを掛けた少年はまだ息があるが、既に視界が定まっていない。当然だ、悪魔である彼のストレートを何発も何発も真正面から受けたのだ。むしろ、原形が残った状態でまだ息があることを賞賛すべきだろう。だが、それでも少年がヘルマンに一撃さえ入れられずにいることに変わりはなかった。期待していただけに、ヘルマンの落胆は大きかった。

 

もう一方の少年は、既に虫の息だ。ヘルマンの強靭な腕で喉を締められ、既に意識が飛んでしまっている。先ほどまで己を睨みつけていたあの諦めの悪い眼光は久しぶりに高揚するようなものを感じていたのだが。

 

(……才能はあった。だが、所詮はそこまでだったというわけか……)

 

いつからであったか。老練なる戦いよりも若々しい激しい闘争を好むようになったのは。いくら年月を経て、その実力を十分に伸ばした相手と戦ってきた。それはそれでとても楽しいものであったが、何かが決定的に足りていなかった。

 

ある時。一人の少年の母親を手にかけた。仕事だとはいえ、恨まれて当然であっただろう。そして驚くべきことに、彼は再びヘルマンの前へと現れた。復讐を果たすため、彼を打倒するために。

 

その戦いを、彼は今でも覚えている。初めてであった。あそこまで気分が昂ぶる闘争は。満たされるような、そんな感覚が確かにあったのだ。そして彼は理解した、足りなかったものはこれであったのだと。たとえ復讐のためであろうとも、若さから成される熱く滾る闘争の意志。全力をぶつけ合う、小細工など無い原始の戦闘。

 

少年を殺す直前、ヘルマンは彼に感謝の言葉と、謝罪を投げかけた。少年は悔しそうな、しかしどこか満たされた顔で眠った。

 

(……あの頃から、私は若く才能ある人間と戦い続けた。あの時のような感動を、もっともっと味わいたかった)

 

だが、未だにあの戦いを越えるような滾りは得られなかった。心の疼きは、渇きは癒やされない。

 

「残念だが、君たちでは私は倒せないようだ。せめてもの手向けだ、苦しまずに」

 

そんな宣告をしようとした時であった。

 

ペチン

 

「殺して……ん?」

 

己の頬に、奇妙な感触があった。そっと、頬を撫でてみる。何の痛みも痒みもない。大した違和感も感じない。ならば、今の感覚は一体何だったのか。

 

「……君か」

 

彼が目を向けたのは目の前で生命の灯火をかき消してやろうとした少年。その右手が、先ほどまでだらりと下げられただけであったはずの手が。小さく拳を握っていた。

 

「……まさか無意識で私を殴ったというのかね……?」

 

相変わらず、少年の瞳は虚ろなままだ。意識も完全に飛んでしまっているはずだ。だが、彼の右拳(みぎこぶし)だけは、ゆっくりと動き始めていた。

 

ペチン

 

再び、彼の頬が殴りつけられる。だが、それは余りにも弱々しく、上位悪魔であるヘルマンにとうてい傷を与えられるようなものではない。

 

だが、ヘルマンの心にはそれがしっかりと響いていた。

 

「は、はは……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

思わず、ヘルマンは大声で笑い声を上げた。彼の諦めないという執念にも近い鋼の意志が、彼を無意識的に動かしていたその事実にヘルマンは歓喜の笑いを上げずにはいられなかった。見れば、メガネの少年も意識のないまま、刃を構えている。感じられる闘志は、先ほどとは比べ物にならないほど強烈であった。

 

求めていた、ずっと求めていたあの滾りが、興奮が。今彼の中へと戻ってきていた。

 

「素晴らしい! 素晴らしいぞッ! 気絶してなお立ち向かおうとするその意志! 傷つきながら拳を握ることを止めないその精神! 君達は今までで最高だッ!」

 

彼は首を絞める手の力を緩め、そして彼を抱え上げる。そして気絶したまま日本刀を構えているメガネの少年を、もう一方の手で肩に担ぎ上げた。

 

「君達のその不屈の闘志……敬意に値するよ。どうやら迎えも来たようだし、今回は引き分けにさせてもらおう……」

 

背後から放たれている殺気の源へと向き直す。そこにいたのは『赤き翼(アラルブラ)』のメンバーの一人であるガトウの姿があった。ただ、右足からは出血しているようで膝から下が真っ赤に染まっている。

 

「チッ、運がいいのか悪いのかわからんな……。魔法で吹き飛ばされて片足をやられちまったのは最悪だったが、弟子のピンチには間に合えたらしい……」

 

ハンドポケットの状態で油断なくヘルマンを見据える。隙のないその佇まいは、周囲の下級悪魔が攻めあぐねている様子から見て相当に出来る人物だと認識させた。

 

「……ふむ、君はこの二人の知り合いかね? 『赤き翼』のガトウ」

 

「俺の弟子と友人の弟子だ。何より俺たち『赤き翼』の大切なメンバーであり"戦友"なんでな、返してもらうぞ」

 

ガトウはヘルマンと一勝負するぐらいのつもりでいた。片足は使い物にならないが、幸いにも攻撃の要である両腕は健在であり、機動力はなくとも十分戦えると考えていた。だが、ヘルマンの返答は予想外のものであった。

 

「よかろう」

 

ただ一言。肯定の言葉を返して二人を投げ渡したのである。慌てて二人を抱きとめるが、流石に子供とはいえ二人分の重さに少し蹌踉(よろ)めいてしまう。

 

「一体、何のつもりだ?」

 

二人を抱えている以上、ハンドポケットは封じられてしまうが、それでも対抗手段がないほど手の内が安いわけではない。ハンデでも負わせる気かと思っていたが、返ってきた答えはやはり意外なもの。

 

「何、彼らの闘争に敬意を評してが故さ。久々に、胸の内が燃え滾るほどに心を揺さぶる戦いぶりを見せてもらったからね」

 

「……貴様ほどの悪魔が、か?」

 

「気絶してなお戦おうとするその闘志、実に青臭くも見事だった。再び相見えた時には、是非とも心ゆくまで戦いたいと、伝えてくれないかね?」

 

「……分かった、と言いたいところだがそれは貴様を倒してからにしよう」

 

「おいおい、私はもう今日は戦うつもりはないのだよ。私も、あれほどの戦いを味わった後に無粋な戦いで余韻を汚したくないのでね、退場させてもらおう」

 

そう言うと、口笛で全身を水で覆った悪魔を呼び出し、『(ゲート)』を発動させる。

 

「っ! 待てッ!」

 

「君も足を負傷している。その二人を抱えてでは全力など出せまい、よしたまえ。いずれ、縁があれば再び相対することもあるだろう」

 

大きなつばの付いた帽子を目深に被り、ヘルマンは悪魔とともに戦場を後にした。

 

「……逃げられたか。まあ、どうやら本当に戦意がなかったようだしもう現れはしないか……」

 

腕の中の二人を、ガトウはじっと見つめる。

 

「上位悪魔に認められるまでになったか。……弟子の成長ってのは早いもんだな。嬉しいのやら悲しいのやら……」

 

そういえば、こうして二人を抱え上げるのは何時(いつ)ぶりだったかと考える。あの頃は二人共まだ不安に怯えた顔をし、それを紛らわすために抱え上げていた。

 

「あの頃はまだ軽く感じてたんだがなぁ……。いつの間にか、こんなに重く感じるほど大きくなったってことか」

 

それとも俺が老けたのかね、などと思いながらガトウは戦場を後にした。

 

 

 

 

 

魔剣が振り下ろされる中、エヴァンジェリンは鈴音に短く命じた。

 

【鈴音、受け止めるな(・・・・・・)

 

エヴァンジェリンは、造物主の魔剣の特性に気づいていた。この魔剣は、一振りするだけで空間ごと斬撃で周囲を削る特性があった。つまり、鈴音が『懐刀(ふところがたな)』を用いて防いでも、腕ごと刈り取られてしまう。そうなれば、頭ごと削り取られてしまう結果が目に見えているのだ。流石に、頭部を再生不能にされてしまうと死んでしまう可能性は高い。エヴァンジェリンを吸血鬼化させた造物主だからこそできた対策であった。

 

だが、エヴァンジェリンがそれを看破した今。鈴音も対処法を変えられる。

 

「村雨流……"裏式"……」

 

完全なゼロ距離は、剣士にとって死の距離に等しい。それは村雨流であっても例外ではない。だが、助走を必要とする『雷霆』の突きを、『雨露霜雪』では腕の負担が増す代わりに距離関係なく放ってみせた。つまり。

 

たとえゼロ距離であろうと、対処法がないわけではないのである。

 

「……『紫電一閃(しでんいっせん)』」

 

腰を深く落として力を入れ、力を一瞬で爆発させた。それは各関節を利用したブーストであり、中国拳法で言う寸勁、あるいはワンインチパンチと呼ばれるものに近い。

 

それを、『雷霆』レベルの突きで放てばどうなるか。

 

「ぐああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

造物主が、腹に突き刺さった紅雨ごと吹き飛ばされ、石柱へと叩きつけられて磔にされる。さながら、その様子はかつて磔刑に処された神の子のようであり。この世界を生み出した造物主にとって随分と皮肉の効いた状態であった。

 

「……ぐ、ご……あ……」

 

藻掻いてみるものの、体はもういうことさえ碌にききはしない。完全に、造物主の敗北であった。鈴音は体からエヴァンジェリン自身を放出し、融合を解除する。勿論、鈴音の能力で分解されてしまわないように、エヴァンジェリンはしっかりと能力の干渉をされないように自らを構成してからだ。

 

「随分と無様だな。なぁ鈴音?」

 

開口一番に、そんなことを言うエヴァンジェリン。造物主は、弱々しくも衰えぬ眼光をエヴァンジェリンへと浴びせるが、彼女には一切通用していない。

 

「フン、敗北者となった貴様の目など今更怖くはないな」

 

「……敗北、だと……この、私が……?」

 

「自分の様子を見てよーく考えてみろ。そして今の貴様の気分を感じてみろ、それが敗北感というやつさ」

 

意地の悪い笑みを浮かべながら、造物主へと指摘する。造物主は少しの間逡巡する素振りを見せたが、最後には諦めに似た言葉を吐き出した。

 

「……そうか、これが敗北か。……所詮、世界の救済など今の私には手に余るものだったということか……」

 

「この世界を作ったのはお前なのだろう? ならば、たかが救済でここまでだいそれた事をする必要はなかったはずだ。魔力で肉体を再生できる私を生み出した貴様なら、継続的に魔力を世界に供給できたはずだろう?」

 

「……この肉体は既に別物だ。私の本来の肉体は、貴様を生み出した際に殺されたせいでとうに朽ちている」

 

「なるほど、私は実験体だったというわけか。そうかそうか……」

 

そう言うと、エヴァンジェリンは造物主へと急接近し、胸倉をつかみ上げた。

 

「そんなくだらない理由で私は人生を奪われたわけか! 巫山戯るなよ!」

 

「……全ては、我が子らのため」

 

「そのために自分の娘まで犠牲にしたというわけか! とんだ偽善者だな!」

 

「……100は救えぬ。ならば99を救うために1を犠牲にせねばなるまい」

 

「チッ、どこまでも不愉快にさせてくれる……」

 

エヴァンジェリンが一瞬目を離した、その時だった。

 

「……そうだ、私は救わねばならん……生み出した者の責任として……親として……。造物主として……!」

 

「っ、貴様……!」

 

「……そのためにキティ……いやエヴァンジェリンよ! 今一度その礎となるのだ!」

 

造物主を覆っていた、黒いフードが突如伸び上がる。それは一直線にエヴァンジェリンへと向かい、全身を一瞬で絡めとった。

 

「な、これは……!?」

 

「……貴様の体であれば、よく馴染むはずだ……」

 

「私を乗っ取るつもりか……!」

 

造物主のフードから(こぼ)れだしてきた顔は、低く重々しい声には似つかわしくないうら若い女性のものであった。ただ、先ほどまでの戦闘のためか顔中が傷だらけであり、片耳は削げ落ちている。おまけに、右目の眼孔はぽっかりと穴が空いている。

 

「他人から奪い取った体か! 下衆め!」

 

「……体ヲ、ヨコセ……!」

 

真っ黒いナニカがエヴァンジェリンの内部へと侵入しようとしたその時。

 

「……!? ゴ、ギガ……!?」

 

造物主が、突如口から大量の血反吐を吐き出す。エヴァンジェリンはその返り血を顔に受けたがそれを気にしている場合ではない。この好機を逃すまいと、造物主に向けて無詠唱の魔法をこれでもかと食らわせた。

 

「……ガギギギギ!?」

 

それによって黒い物体による拘束がゆるみ、エヴァンジェリンは開放され、鈴音のもとへと戻る。

 

「……何が起こっている……?」

 

疑問の言葉を呟くが、それに答えたのは意外な人物だった。

 

「……『紅雨』に、命じました……。……生命を吸い取れと……」

 

見れば、紅雨が突き刺さった腹部から、先ほどの喀血とは比べ物にならないほどの出血が起こっていた。そして腹部に突き刺さったままであった紅雨が、それをまるで吸い取っているかのように、赤みを増していく。いや、鈴音の言葉から察するに実際に啜っているのだろう。生命の循環を担い、生命の象徴とも言える血液を。

 

「……バ、カ……ナ……」

 

「こりゃあ傑作だ! そのバカ面は随分と見ものだな! クハハハハ!」

 

邪悪な笑い声を上げるエヴァンジェリン。その横で、無表情で、無機質な視線を向ける鈴音。

 

「……マダ、死ヌワケニ、ハ……世界ヲ……我ガ子ラヲ……!」

 

「お前は誰も救えないんだよ、『父上』。お前は所詮チンケな悪党でしかなかった。人を救うなんて大層なことができるのは、光の中に生きる者だけだ」

 

「……ワ、タ……シ、ハ……」

 

「せいぜい祈るんだな、今度はまともに生まれられるように」

 

「キ……ティ……」

 

「その名で私を呼ぶな、『搾りカス』め」

 

救いを求めるように手を伸ばし、彼女の名を呟く造物主へのエヴァンジェリンの返答は。一切の容赦の無い『闇の吹雪』であった。

 

 

 

 

 

「……終わったか」

 

あとに残ったのは氷像とかした造物主だったものと、赤く爛々と輝く紅雨だけだった。

 

「……フン、これでようやく私の因縁に決着がついた、か」

 

「……お疲れ様、です……」

 

感慨深げに言うエヴァンジェリンに、鈴音は労いの言葉をかける。すると。

 

「オーイ……終ワッタナラ早ク拾ッテクレヨー……関節ガナンカギクシャクスルシヨー……」

 

声の主は、体が真っ二つになったせいで身動きがとれないチャチャゼロであった。

 

「……忘れてたな」

 

「オイィ! 今ゴ主人ナンツッタ!?」

 

「……よしよし」

 

「鈴音、ソンナ憐レムヨウナ事ハ頼ムカラシナイデクレ! 余計惨メダ!」

 

鈴音がチャチャゼロを宥めようとするも、完全に逆効果であった。エヴァンジェリンは造物主だったものから紅雨を引き抜くと、鈴音へと投げ渡した。

 

「……しかしまあ、改めてそいつには世話になったな」

 

「……?」

 

「いや、こっちの話だ。別に忘れていいぞ」

 

「サッサト帰ロウゼゴ主人。下半身ガ無イセイデ落チ着カ無クテショウガネェ」

 

さっさと帰ろうと提案するチャチャゼロ。やはり自分の体が欠けた状態というのは、あまり気分がいいものではないらしい。だが、エヴァンジェリンの返答は。

 

「何を言っている? ここは奴らの本拠地だぞ、恐らく色々なものを貯めこんでいるはずだ」

 

「……奪う?」

 

「あれだけの大組織だったんだぞ? 各方面に精通した情報やら資料やらが無ければおかしい。で、あればだ。それらが我々の『目的』の役に立ってくれるはずさ、ククク」

 

上機嫌で笑うエヴァンジェリン。

 

「オオ、イツモ以上ニ悪イ顔シテルゼ」

 

それにつられて、ケラケラと笑うチャチャゼロ。鈴音も、いつもの無表情ではなくほんの少しだけ微笑んでいる。三人は廃墟同然となった部屋を後にし、どこかへと消えていった。後に残されたのは、無力さに歯噛みし一人佇むだけでしかなかったナギ、ただ一人のみであった。

 

数十分後。増援として『赤き翼』のメンバーが駆けつけるも、ナギは何も話そうとせず、やむなく連れ帰ることとなった。その後、彼の口から造物主が倒されたことが告げられ、事実上の戦争終結と相成った。戦争の終わりに、世界中が歓喜して祝福の声を上げるものの、事実を知る当事者達は不安の気持ちを隠せなかった。

 

 

 

 

 

そしてこの一年後に起こる、世界を揺るがす大事件の準備が既に進められていたということを、今はまだ誰も知る(よし)もなかった。


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