二人の鬼   作:子藤貝

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正義と悪は遂に衝突する。

舞台は整った。

さあ、終わりなき闘争を始めよう。


第十七話 始まりへの序章

大戦終結後、『赤き翼(アラルブラ)』は戦争終結の最大の功労者として、連合と帝国の双方から多大な感謝の意を送られ、終戦式典にて叙勲式が執り行われた。造物主が目論んだ半魔法場による世界の滅亡は未然に防がれ、魔法世界の危機はひとまず追い払われた。

 

だが。

 

「なんだってあいつが捕まんなきゃなんねぇんだよ!?」

 

拳を机に叩きつけるナギ。その衝撃で、頑丈なはずの重厚な木製の机は真っ二つになる。

 

「……正直、俺の認識が甘かったと言わざるを得ない、済まなかった」

 

「貴方のせいではないですよ、ガトウ」

 

「そうじゃ、まさか戦争が終わって早々に責任の擦り合いをやるほど馬鹿だとは、誰だって思わんじゃろう」

 

戦争終結に伴い、停戦協定が結ばれたわけだが双方から反対の声が少なくなかった。いくら人為的に引き起こされた戦争だったとはいえ、殺し合いをしていたことには変わりはないのだ。祖国のために戦った者達にとっては、こんな結果は余りにもあんまりなものに思えた。そして戦争従事者や遺族らから不満の声が広まり、挙句暴動まで起こりかねない状態であった。

 

そう、造物主が消滅してしまった今、怒りの矛先を向けるものが必要になったのだ。何時の時代でも、押し込まれた不満を解消するには生贄を用意するのが最善である。そして、その生贄に選ばれたのが。

 

「姫さんが『災厄の女王』だと!? ふざけんじゃねぇ!」

 

アリカ女王は、『赤き翼』とともに行動し、『完全なる世界(コズモエンテレケイア)』が暗躍していることを見抜き、その企みを阻止しようとしていた。その上『完全なる世界』の本拠地を見つけ出し、最終決戦でも前線で指揮を執っていた。民衆からは絶大な信頼を寄せられており、『赤き翼』やテオドラ姫に並ぶ功労者として人気がある。

 

しかし、彼女の治めるウェスペルタティア王国はメセンブリーナ連合に所属しており、連合を取りまとめているメガロメセンブリア元老院にとっては目の上のたんこぶと言ってもよかった。戦時中元老院がろくな成果を挙げられていなかったこともそれに拍車をかけている。

 

そこで、元老院は都合のいいように彼女を公的に裁く方法を採った。それが、アリカに『完全なる世界』と繋がっていたという身も蓋もないような濡れ衣を着せることだった。更に父親殺しの汚名を着せることで、民衆からの人気を引き剥がしにかかった。

 

事実を知るウェスペルタティアの民達は、この誇大妄想が如き悪名を着せた元老院を非難したが、怒りの捌け口を求めていたその他の国々からは大ブーイングをくらい、彼女を擁護するウェスペルタティアの民達さえも蔑んだ。

 

結果、ウェスペルタティアの民は心では彼女に申し訳ないと思いながらも、家族や己の身を守るために表立って彼女を弁護しようとするものはいなくなってしまった。そして最悪なことに、メガロメセンブリアへと恩を売って出世を目論もうとした者や、彼女の政治姿勢に反感を抱いていた貴族らが元老院に同調。これにより、アリカは政治方面で完全に包囲網を敷かれ、投獄されることとなった。

 

「本当の敵は、まだどこにいるのかさえも分からないってのによぉ……。こんな時に足の引っ張り合いなんざしてる場合じゃねぇってのに……」

 

ラカンが珍しくため息をつきながら愚痴をこぼす。そしてそれに同意する面々。ゼクトや詠春でさえ額に青筋が浮かんでいるが、なんとかそれを堪えているようだ。

 

「やっぱ助けに行くっきゃねぇ……!」

 

「戯け! それができるならとうにやっておるわ!」

 

居ても立ってもいられないといった風にナギが立ち上がるもゼクトがそれを(たしな)める。しかし、納得の行かないような顔でナギはゼクトに怒鳴りつける。

 

「だったら、だったらどうすりゃいいんだよ師匠!? このままじゃ、あいつは、あいつは……」

 

「処刑、されるのが目に見えてるだろうな」

 

詠春が苦々しげに呟く。その一言で、ついにナギまでも黙りこんでしまった。空気が重々しく、この場の全員を包み込む。

 

「いくら私達でも、彼女を助けるために脱獄の手伝いなどをしてしまえば悪い前例を作ってしまいかねません」

 

英雄と持て囃される『赤き翼』がそんなことをしでかせば、正義のためであれば、犯罪をしても構わないという捻くれた理屈に利用される前例となりかねない。

 

「……悪法もまた法なり、か。法治主義国家で法律に逆らうことは、法の意義を喪失させる……」

 

元メガロメセンブリア捜査官であるガトウには、それが痛いほど理解できた。誰かが例外を生み出せば、それは矛盾を孕んで法を瓦解させる。そうなれば、最終的に行き着くのは暴力で解決という獣と何ら変わらないもの。人間は、法で縛られているからこそ人間らしい自由を保証されているのである。

 

「どうにかなんねぇのかよ……!」

 

最終決戦で、何もすることができずただただ傍観するだけでしかなかった自分が情けなくて、ナギは精神的に大分追い詰められていた。一時は、強さを求めるあまりに無茶な修行ばかりしてゼクトに叱責されたが、ナギは聞く耳さえ持たずついには師に見放されそうになるほどであった。

 

そんな彼を、アリカは全力でぶん殴った。最初は殴られたことに怒り、溜まっていた鬱憤や苛立ちを彼女にぶつけるように吐き出した。そして。

 

『気は済んだか? だったら、いい加減目を覚ませ戯けめ』

 

彼女は、ナギの抱える闇を全て受け止めてくれたのである。無力さに嘆く自分を、彼女は見放すことなく抱きしめてくれたのだ。父を目の前で殺され、彼女のほうが余程悲しいはずなのに。そして彼は改めて理解した、自分は彼女が本当に好きなんだと。

 

そして1ヶ月前、ナギは彼女に思いを打ち明けていた。

 

『――――姫さん、俺……あんたのことが好きだ……』

 

『……そうか。……っ済まない、突然のことでなんだか頭が混乱しているらしい……』

 

『返事は、今すぐじゃなくてもいい。でも、いつか必ず……返事をくれ』

 

『……分かった。お前のその真摯な気持ちに、返事もしないのは不義理だな。……少しだけ、待ってくれないか? そうすれば、答えが出せそうだ。今はまだ、戦争が終わったばかりで後始末が忙しいからな……』

 

『ああ、そっちを優先してやってくれ。それからで、いいさ』

 

『……済まないな、ナギ。私はいつもお前に助けられてばかりだ』

 

『……いや、感謝するのは俺のほうだろ。腑抜けてた俺に喝入れてくれたんだしよ』

 

『別にあれは、その、いつまでもウジウジしているお前が鬱陶しかっただけだ』

 

『ああ、んじゃそういうことにしとくぜ――――』

 

「返事ももらっちゃいないのに……諦められるかよ……!」

 

思い出すのは、苦い思いをしたあの日。アスナに面と向かって敵だと言われ、エヴァンジェリンに嘲笑われたあの日だ。アスナを奪われ、二度と誰も奪われないと誓った決別の日。

 

(ああそうさ、俺が不甲斐ないばっかりにいつも助けられてばっかりだ……!)

 

そして仲間とともに戦うことを、仲間を信頼し戦うことをしっかりと意識するようになった。

 

「……今はまだ、堪えるしかありませんね……ナギ?」

 

「……そうだな。でも、俺はこのまま姫さんを見殺しになんかしたくねぇ……」

 

そう言うと、彼は突然地べたへと膝をつき、そして頭を垂れた。

 

「おいおい、一体どうしたんだ!?」

 

突如土下座を敢行したナギに、ラカンもさすがに驚きを隠せない。

 

「皆悪い! やっぱ俺だけじゃどう考えても姫さんを助ける方法なんて思い浮かばねぇ! だから……だから俺に力を貸してくれ!」

 

普段脳天気なナギが、ここまで真剣になったところは、『赤き翼』のメンバーでさえほとんど見たことがなく、そしてこうして頭を下げて頼み事をしたのは初めてのことであった。

 

「……ようやく、頼ってくれましたね」

 

アルビレオが、優しく微笑みながらナギの両肩に手を置く。

 

「頭を上げて下さい、そんな格好じゃ、『赤き翼』のリーダーとして示しがつきませんよ?」

 

その言葉で、床に擦り付けんばかりであった頭を、ナギは持ち上げた。

 

「アル……」

 

「お前とはなんやかんやでここまで来てしまったからな、乗りかかった船だ」

 

「詠春……」

 

「俺様が認めた終生のライバルが、そんな泣きそうな顔してんじゃねぇ。男なら、いつだってどんと胸張ってみせろよ」

 

「ラカン……」

 

「僕達だって、できることがあるはずです!」

 

「だから、手伝わせて下さい!」

 

「タカミチ、クルト……!」

 

皆、思い思いの言葉を投げかける。立ち上がり、皆を見る。そこにいるのは、幾多の戦いを乗り越えてきた頼もしい戦友たちの顔。

 

「皆……ありがとな!」

 

「全く、馬鹿な弟子を持つと苦労するわい」

 

「お師匠、そりゃないぜ!」

 

「ま、そんな弟子をとったワシも、相当に大馬鹿者かもしれんな」

 

そう言うと、ゼクトはおもむろに懐に手を入れて何かを探りだす。そして出てきた手が握っていたのは。

 

「なんだぁ、その汚ねぇ巻物は?」

 

一本の巻物であった。ただ、所々が汚れており大分色あせている。思わずラカンがそんなことを口走るが。

 

「戯け! コイツは価値で言えば黄金でさえ比較にならん代物じゃぞ!」

 

と、ラカンに睨みをきかせる。いつもとは違うその迫力に、ラカンは思わず押し黙ってしまった。

 

「これはな、ワシの古い友人から譲り受けた秘伝書じゃ。この巻物の中には、武術の深奥が記されとる」

 

「……マジで?」

 

「マジじゃ」

 

「ってそんなもんあったんだったら最終決戦の前に見せてくれりゃよかったじゃねーか師匠!?」

 

ナギの、ある意味尤もな叫び。しかしゼクトはナギにただ一言、うるさい黙らんかと拳骨を見舞って黙らせる。

 

「ワシとてそう思ったわい。じゃがな……こいつはそう安々と見せていいような、生半可な代物ではないんじゃよ……」

 

「……お師匠がそこまで言うもんなのかよ」

 

「ワシが何故お前に魔法を教えるだけに留めていたか、体術を基礎だけしか教えなかったかを話そう。ワシはかつて、ある流派に身を置いていたことがあった。そこはワシが見てきた中で最も過酷な修練を積む流派じゃった……」

 

曰く。その様は連日修行者が逃げ出す程のものであったとか、重傷など日常茶飯事だとか。時には死人も出たらしい。心なしか、ゼクトの目が遠いものを見るようであった。

 

「その流派は組手だろうと殺す気でやらせていたのじゃが、そのせいでワシも修行だろうと手加減が一切できなくなってしまったんじゃよ」

 

「……なんか、ナギが直感でゼクトさんに弟子入りしようとした理由がわかった気がする……」

 

「……それは初耳じゃぞ。あれだけ頼み込んでくるからそれなりに理由があるのかと思ってたんじゃが……」

 

ゼクトの雰囲気が目に見えて暗くなる。弟子入りの理由がただの直感だったなどという衝撃的過ぎる事実に、落ち込まないほうがおかしいだろう。

 

「ま、まあまあ……俺を鍛えてくれたんだし、俺は師匠に弟子入りできてよかったと思ってるぜ!  それより、そんなことは置いといて話の続き続き!」

 

固く笑いながら誤魔化すナギにゼクトは疑惑の視線を送るが、とりあえずあとで説教すると心の中で密かに決めて話を戻す。

 

「ん゛ん゛! 話がそれたのう。さて、ワシがその流派に入っていた理由が、先程も言った古い友人に誘われてのことじゃった」

 

その友人こそが、その流派の継承者であったらしい。修行を満了し、師範代さえ相手にならない程になったゼクトは、その友人に呼び出された。曰く、もはや継承できる人間は君しかいないと。だから、信頼出来る友人たる君にそれを託したいと。

 

「そうして、ワシはコイツを譲り受けたわけじゃ。この中にはその流派の技、修行法が事細かに記されておる。勿論、奥義もじゃ」

 

「そりゃあ、確かに気軽に見せられるもんじゃあねぇな」

 

「技を習得しようにも、下手をすれば死にかねんような修練を積む必要があるからな、大事な戦いを前にそんな無茶はさせられんかったからこそ、じゃ。何よりここに記されているのは、全て殺人技、人殺しを突き詰めた技術じゃ。はっきり言って、こいつをお前に学ばせるのはどうしても抵抗があったんじゃ」

 

「……でもよ、そんな大事なもんを見せてくれたってことは……」

 

「ああ。ワシはコイツをお前に教える腹づもりじゃ。正直、お前が拒否してくれればどれだけ気が楽になるか……。じゃが、エヴァンジェリン一味という規格外の敵が存在する今、お前が短期間で強くなるにはコレぐらいしか方法がない」

 

「……残念だろうがよ、俺はやるぜ?」

 

「じゃろうな、ワシもそう言うと思っとったわ」

 

そう言うと、封印を施していたのか巻物に解呪の呪文を掛ける。すると、古ぼけた巻物の表面にうっすらと文字が浮かび上がってきた。所々掠れてしまっているが、読む分には問題はないだろう。

 

そして、そこにはこう記されていた。

 

『秘伝 拳派叢雲流』

 

と。

 

 

 

 

 

『馬鹿な、この私に仲間になれというのか! 我が主を殺した貴様なんぞに!』

 

『そうだ』

 

『断る! 私にとって貴様らは殺したいほど憎い相手! そんな奴らに下るなど、私の矜持が絶対に許さぬ!』

 

『そうだろうよそうだろうよ。私は貴様にとっての怨敵だ』

 

『ならば去れ! ここは我ら『完全なる世界』最後の砦! 首を洗って待っていろ、いずれ貴様らを地獄の底まで追い詰めてやるぞ……!』

 

『追い詰める? ただ一人でか?』

 

『……セプテンデキム、何故そんなところにいる』

 

『……この方について行けば、鈴音さんと一緒になれますから』

 

『貴様、裏切るつもりか!?』

 

『別に私達は造物主に忠誠を誓ってたわけじゃないよ』

 

(ニィ)!? お前もか!?』

 

『チャチャゼロと戦いたいらしくてな、仲間になれば何時でもできるぞと言ったらなると即答したぞ?』

 

『ええい、急造で調整をしたうえに起動したばかりのせいで忠誠意識が薄かったか!』

 

『ククク、これでもうお前一人しかいないなぁ? で? どうやって私達を追い詰める気だ?』

 

『ええい黙れ黙れ! そもそも調整に失敗したのは貴様らがあの二人を殺してしまったせいだろうが! おかげで突貫作業で寝る間も惜しんでいたんだからな!』

 

『おやおや、とんだ言い掛かりだな。我々は命を狙われたんだからそれ相応の返答をしただけのことさ』

 

『ぐぬぅ……確かに殺そうとしたのだから当然といえば当然だが……』

 

『そうそう、そんな罪悪感を抱くぐらいならスッパリと私達の仲間に加われ。今なら大幹部の席が空いているぞ?』

 

『ぐぬぬ、そうやすやすと主を裏切るわけには……』

 

『既に死んでいるのだ、誰が咎める? 奴が死んだのはヤツ自身の責任であって貴様の責任じゃあない。わざわざそんな奴のために義理を貫くつもりか?』

 

『黙れ! 我が主を侮辱するのは許さんぞ!』

 

『お前は心の中で悔いているんじゃないか? その主人とともに死ぬことさえできなかったことが』

 

『何を言って……』

 

『羨ましかったんじゃないか? プリームムのことが。妬ましかったんじゃないか? 奴が主人のために殉じたことが』

 

『ふ、巫山戯たことを抜かすな!』

 

『私ならばその願いを叶えてやれるぞ? 私は誰も見捨てない。お前は造物主によって生み出された人形。しかも目的のために容易く悪を成せる意思を持っている。お前には我々と共に来る資格がある』

 

『や、やめろ! 私を惑わすんじゃない! 私は』

 

『では主人とともに戦うこともできず、復讐だけを胸に虚しく滑稽に残りの人生を潰す気か? 随分と惨めだろうなぁ……たった一人で、誰にも認められず、主人の幻影だけを追う虚ろな、本当の意味での人形……』

 

『私は……私は……!』

 

『まだ躊躇うか。ではとっておきのことを教えてやる。私は造物主の実の娘だ』

 

『な、なにっ!?』

 

『奴は既に肉体は別物となっていたが、私を吸血鬼化させた時に本来の肉体を失ったと言っていた。つまり、私は奴の肉親である可能性は極めて高いぞ』

 

『…………』

 

『更に、私は奴に無理矢理吸血鬼化させられたからな、正統な復讐の理由があるし奴自身も他人の体を乗っ取るなどという下衆だった』

 

『それは、貴様も同じではないか……』

 

『いいや違うね、私はアイツのように矜持を捨てちゃいない。聞いたぞ、お前は悪の大幹部という自らの立場に誇りを持っていると。ならば奴に不満を抱いたこととて少なくなかろう?』

 

『そ、それは……』

 

『そして奴の娘たる私はそんな思いは断じてさせんと約束する。一応は父親だったわけだからな、その尻拭いの意味合いもある』

 

『フンッ、打算だな』

 

『ああ、そうさ。だが、お前が欲しいのは本当だ。使命感などではなく、純粋に悪党として、英雄共と戦いたいとは思わんかね?』

 

『……ああ』

 

『よし、では決まりだな。歓迎するぞ、我が新たなる同志よ』

 

『貴様の配下になるつもりはない。あくまで、私はあのお方のものだ。……だが、貴様と手を組むというのも、悪くはない』

 

『そうか、まあ好きにしろ。さて、これから向かう場所があるんでな、一先ずお前は鈴音に付いて行ってくれ』

 

『分かった。お前はどこへ行くんだ?』

 

『何、お前と同様に勧誘している人材がいるんだよ。その返事を貰いに行くだけだ』

 

『貴様の毒牙にかかるものがどんどん増えていくな……』

 

『カリスマ性があると言ってくれ。ではな』

 

『……お気をつけて』

 

 

 

 

 

それから2年後。

 

「これより! 『災厄の魔女』、アリカ・アナルキア・エンテオフュシアの死刑執行を行う!」

 

不自然なまでにスムーズに進行した裁判での判決は、死刑であった。そしてその執行が僅か1年後という異例のスピードであったことに、ゴシップ誌は様々な憶測を混ぜつつ記事を書き立てていたが、それもあくまで元老院の裏を示唆するようなものばかりで、アリカ女王を擁護するような記事はただの一つとてなかった。

 

「彼女は魔法世界を大混乱の渦へと叩き落とした大分裂戦争を影で操っていた『完全なる世界』の首謀者であり、その罪は計り知れぬものである! よって、その罪を全世界の罪も無き被害者たちへ償わせる意味も込め、映像中継による公開処刑とする!」

 

処刑場は、かつて大規模な魔力反転現象によって魔法が一切使えない不毛の土地へと変化したケルベラス渓谷。その窪地には大量の魔獣が生息し、その凶暴さは折り紙つきである。そんな場所の中心に、アリカは磔にされていた。

 

「……フッ、情けないものだ……国内の裏切り者を一掃しようとしたところでこれか……」

 

アリカは、国内で害にしかならない貴族の地位を合法的に剥奪しようとしていた。それを恐れた貴族らが結託し、密かに元老院へと情報を横流しされていたのだ。

 

「……だが、幸い最悪の事態は避けられた。アルには感謝せねばな……」

 

ウェスペルタティアの王族が不在の今、貴族らは権力を手に入れようと醜い争いを繰り広げ、あわや王座を掠め取られようかという時に、元老院側でも不正をよしとしない議員が待ったをかけた。もしものことを想定し、アルビレオが彼の支援者となり、表立って民衆へも働きかけたのである。

 

大戦の英雄であり、民衆からの支持が厚いアルビレオの言葉に呼応し、ウェスペルタティアの民衆は大規模なストライキを行った。これによって貴族らは渋々王座を一時空席の状態で政治を執り行うことになった。

 

更にガトウが貴族たちの不正を秘密裏に調査し、クルトが元老院側で通じていた議員を特定し、その事実関係を明らかにすることで貴族らを一斉摘発し、大規模な人事異動を行った。皮肉なことに、ウェスペルタティアを支配下に置く元老院の議員によって国内の裏切り者が裁かれたのである。

 

「……ほんの僅かな間しか、父の愛した国を守れなかったのは悔しいが……後顧の憂いはない……」

 

ウェスペルタティアは未だ不安定ではあるが、新しい一歩を踏み出そうとしている。彼女がおらずともいずれ王政が廃され、民衆が国を支えてくれるはずだ。そんな彼女にとっての、最後の後悔は。

 

「……ナギ……」

 

アリカは2年前の、ナギに告白された日のことを思い出す。あの時は混乱してしまい、返事すらまともにできず仕舞いであった。その後、1ヶ月の間にうじうじと悩み続けていたことも。

 

「結局……お前に返事すらできなかったな……」

 

なぜ、あの時素直にこの胸のうちにある一言を吐露できなかったのか。悔やんでも悔やみきれない。眼の前に迫る魔獣の生暖かい吐息に、死のリアルを感じ取る。

 

(……私は、死ぬのか……)

 

思えば、波乱に満ちた人生だった。誘拐されかけた幼少時代、若くして狸共が跋扈する政治の世界へ入り戦い続け……。アスナがエヴァンジェリンに攫われ、『赤き翼』へと接触し、ナギと出会った。発覚した父の裏切りと真意、そして戦争の終結から処刑へと……。

 

(私は……幸せだったのだろうか……)

 

父に愛されていたという事実は、紛れも無い幸福だっただろう。だが、一人の人間として、女として果たして幸せだったのだろうか。

 

(……嫌だ)

 

脳裏に浮かぶのは、残酷な結末を迎える己が姿。その姿に、世界中の誰もが同情などしてくれず、何れ歴にに名を残す悪党として嫌われてゆくのだろう。何より、本当の自分を誰からも忘れられてしまうという未来が、彼女の胸を締め付ける。

 

(……嫌だ……、死にたくない……まだ私は……)

 

視界が歪む。頬を伝う温かな感触は、自分の涙だとわかる。気丈に振る舞い、女傑とまで言われた彼女は今はここにいない。いるのは、死に怯える弱々しい一人の女であった。

 

(助けて……!)

 

「ガフッ、ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

魔獣が吠える。見えるのはギザギザした鋭い牙と、真っ赤な口内。それは彼女を今にも迎え入れようとしている。

 

「助けて、ナギ……ッ!」

 

目を瞑り、叫ぶ。しかしアリカの叫び声も虚しく響き、魔獣は彼女へと襲いかかった。

 

 

 

 

 

かにおもわれたが。

 

 

 

 

 

「グルルガアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

「……え?」

 

魔獣の、突然の悲鳴の声。恐る恐る目を開けてみれば、そこには血まみれになった魔獣の死骸が転がっていた。

 

そして。

 

「クク、随分と可愛らしい声で泣くじゃあないか、ええ?」

 

背後から聞こえたのは、彼女が聞いたことのある声。

 

「王子様でも来て欲しかったか? 残念、来たのは悪い魔法使いさ」

 

金の髪を靡かせ、黒いゴシックドレスを纏ったその姿は、愛玩人形のように可愛らしく、美しい。しかし、纏う雰囲気は邪悪なそれでしか無い。透き通るが如き瞳の奥から感じる得体の知れない何かは、そのままのぞき続けてしまえば狂わされてしまいそうなほどの濁りを想起させる。

 

口の端を歪め、逆さの三日月のようにも見える鋭い笑みと、そこから見え隠れする犬歯の白色は、小さな恐怖を覚えた。

 

「エヴァン……ジェリン……!?」

 

彼女が最も警戒し、最も忌み嫌った"最悪"。『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』がそこにはいた。

 

「しかし情けないぞ? いくら終戦直後とはいえ貴様にしては油断し過ぎだろう?」

 

「くっ、何をしに来たッ!?」

 

「おいおい暴れるんじゃない。なに、私達の目的を果たしに来ただけさ」

 

「目的……だと……何を企んでいるッ!?」

 

エヴァンジェリンは笑みを崩さず、頭上へと右腕を(もた)げ。

 

「来い、我が同胞たちよ」

 

フィンガースナップの音が静かに響いた。

 

そして。

 

それに呼応するかのように複数の魔法陣が展開された。

 

「ッ! これは、転送魔法陣!? 馬鹿な、ここでは魔法は使えないはず……!」

 

「ククク、そう思い込んでいてくれたおかげでここまで順調に事が進められたよ。たかが反魔力場程度、世界の『理』が見える私ならば正常に戻すなど容易い」

 

現れたのは、数人の男女。年若い少年少女が多いが、中には老人も混ざっていた。そして何よりの驚きは。

 

「あ、あ奴らは……!」

 

「紹介しよう、我が同胞と協力者たちだ」

 

最終決戦の折に姿をくらまし、指名手配で追い続けていたはずのデュナミスがいた。みれば造物主の元配下も何人かいる。

 

「馬鹿な、貴様らとあ奴らは敵対関係にあったはず……!?」

 

「私が勧誘したんだよ。過ぎたことは忘れて、今後は末永くよろしくといったところさ」

 

「嘘を言うな。半分脅しのように勧誘しただけだろうが。それと、私はそいつとは協力関係であるだけだ」

 

エヴァンジェリンの説明に、デュナミスが訂正をつける。処刑場の場外では、アリカの処刑の顛末を見物していた元老院の議員や、警備の兵達が慌てふためいていた。

 

「な、なんだ! 一体何が起こっている!?」

 

「分かりません! しかし想定外の事態であることは間違いありません、早く避難を!」

 

狼狽える議員たちを宥め、避難誘導をしようとする警備兵達。

 

「サセネーヨ」

 

だが、それを実行できるものは誰一人としていなかった。突如突風が吹き、議員たちは思わずつんのめって転倒する。風は一瞬でやみ、突然の自体に困惑しながらも、同じく倒れている警備兵たちに命ずる。

 

「は、はやく避難場所まで案内しろ!」

 

しかし、兵たちからは一切の返事がない。

 

「お、おい貴様ら! 何をぼさっとしておるのだ! さっさと我々を安全なところへ……!」

 

議員の一人が苛立たしげに倒れたままの兵士を揺さぶる。すると。

 

「…………え?」

 

突然、警備兵の四肢が取れてしまう。あまりにも奇っ怪な現象に、議員は一瞬呆ける。そしてその四肢が接合していた部分から、勢いよく血液が噴出した。

 

「うわっ! う、うぇぇ!?」

 

飛散した血液は、議員の顔に大量に付着した。あまりの出来事に、不快感が来るよりも驚きが勝り、狼狽えてしまう。一方、それを眺めていた他の議員たちはそのあまりの凄惨さに胃の内容物が逆流した。みやれば、倒れている兵士は皆惨たらしい斬殺死体と化していた。

 

「おいおいチャチャゼロ、挨拶も抜きに殺すんじゃあない。やるなら徹底的に恐怖を刻みつけてやったほうが面白いだろうに」

 

すると狼狽えている議員が背に、妙な重みを感じた。それとほぼ同時、彼の首に鋭いナイフが押し当てられる。その正体は、先程目にも留まらぬ速さで兵士を解体したチャチャゼロ。

 

「悪ィナ、ゴ主人。久々ダッタセイカ我慢デキナカッタゼ」

 

「次からは気をつけるんだぞ」

 

まるで日常会話をするかのように何気ない素振りで話すエヴァンジェリン。しかし傍から見れば、その異常性に薄ら寒いものを感じるだろう。実際、アリカでさえ従者の殺人に何の感慨も抱かずに話すエヴァンジェリンが気味が悪く感じていた。

 

「……マスター、……準備が出来ました」

 

音もなく、気配すらも感じさせずにエヴァンジェリンの傍に少女が出現する。その滑らかな漆黒の長髪は、アリカも覚えがあった。

 

「ご苦労、鈴音」

 

「明山寺……鈴音……!!」

 

目の前で、父に凶刃を突き刺した憎き少女がそこにいた。アリカはその時のことを思い出し、一気に怒りの沸点へと達する。荒々しく暴れ、磔にされた状態から抜けだそうとする。しかし、頑丈に縛られたロープは一向に緩む気配がない。

 

「ようやく、ようやく見つけたというのに……! 私の父を殺した奴がそこにいるのに!!!」

 

慟哭。彼女は涙を流しながら大声で叫ぶ。その声は、中継が繋がったままの映像魔法具にも届いていた。そう、全世界へと(・・・・・)

 

「……ありがとう」

 

鈴音が、小さくアリカにそんなことを言う。突然の感謝の言葉に、取り乱していたアリカも流石に一気に頭が冷静になる。

 

「な、何を言って……」

 

すると。

 

「全世界の諸君! 君等は実に馬鹿だ、救いようのない馬鹿だ!」

 

突如エヴァンジェリンが、映像を送信している魔法具に向かって大声で語り始めた。

 

「先ほどのアリカ女王の言葉の通りさ。彼女の父親を殺したのは我々だ。アリカ女王はただ先王の意思を継いで戦争終結に奔走したにすぎんよ。だというのにだ! 貴様らはそんな彼女に濡れ衣を着せた元老院の言葉を鵜呑みにし、彼女を処刑しようとした!」

 

アリカを庇うかのような演説。しかし、その言葉の節々にアリカは違和感を感じていた。

 

(何だ……何のつもりだ……!?)

 

エヴァンジェリンの意図が、読めない。アリカは不可解な事態に混乱する。

 

「おまけに『完全なる世界』と繋がっていたのは彼女ではなく元老院のほうだ。我々の中には元メンバーがいてなぁ? 事情はよく知っているぞ? ほら、こいつが証拠の裏金帳簿だ」

 

「なっ……!?」

 

すると、議員の一人が血相を変える。

 

「ば、馬鹿な……あれは確かに金庫にしまって……」

 

「おい、何を口走っとるんだ! 我々はあんなものは知らないはずだろう!」

 

「あ、あれ……なんで私は本当のことを……!?」

 

慌てふためく議員たち。その様子に、滑稽だなと笑いながら評するエヴァンジェリン。

 

「奴らには予め暗示が掛けてある。特定の事柄に関して真実を話してしまうようにな」

 

そう言うと、エヴァンジェリンが議員たちのところまで飛んでゆく。そして着地するとゆっくり議員たちへと近づいてゆき。

 

「元老院は『完全なる世界』に協力していたのか?」

 

「はい、そうです。ってなにを言ってるんだ私は!?」

 

「国民の血税を支援金として送っていたのか?」

 

「はい、それも本当、な、何を喋らせるんだ貴様!」

 

問答を続けてゆく。そしてボロボロと出てくる真相。叩けば埃の出る布団のようである。

 

「聞いたか諸君? 君等は愚かにもそれが真実だと信じて疑わず、彼女を処刑するまでに至った! 戦争終結に尽力した人物に、恩を仇で返したのだよ! なんと厚顔無恥なんだろうなぁ!?」

 

そう言うと、エヴァンジェリンは心底面白いといった具合に笑い声を上げる。周囲の仲間たちの何人かも嘲笑うかのように嗤っていた。

 

「き、貴様ら……!」

 

「その結果がコレだ。我々という本当の巨悪をみすみす逃し、こうして戦力まで整える時間を与えてくれた! 感謝するぞ? 最低な人間共。クハハハハハハハ!」

 

「ケヒャヒャヒャヒャ! コリャ最高ダゼ! 俺タチミタイナ化物ヲ迫害シ続ケテキタ人間ガ、オレタチニマンマト嵌メラレテヤガルンダカラナァ!?」

 

そう言いながら、チャチャゼロは議員の一人の耳を、ナイフで削ぎ落した。

 

「ぎゃあああああああああああああああああ! わ、私の耳があああああああああ!?」

 

「オイオイ、中々イイ声デ鳴クジャネェカ。ドーダ、助ケテ欲シイカ?」

 

「た、助けてくれ! 何でもする、なんでも欲しいものはくれてやる! だから!」

 

「ンジャ、コイツデソコノ奴ヲ刺シ殺セヨ」

 

「は……?」

 

「へ……?」

 

チャチャゼロは、逆手で持っていたナイフを通常の持ち方に変え、議員の手に無理矢理握らせる。

 

「ナンデモヤルンダロ? 早ク殺レヨ」

 

「は……ひぁ……!?」

 

「や、やめろぉ! 死にたくなぁい!」

 

ガタガタと体を震わせる二人の議員。顔は涙と鼻水でグシャグシャで、だらしなく涎まで垂らしている。

 

「や……嫌だ……! 人殺しなんかしたくない!」

 

「アア? ダッタラアリカ女王ニ濡レ衣着セテ処刑シヨウトシタノハ、自分ガ手ヲ下スワケジャナイカラ人殺シジャナイッテカ? ソンナ屁理屈ガ通用スルカヨ」

 

「嫌だ……いやだあああああああああああああああああ!」

 

錯乱した議員は、ナイフを放り出して一目散に逃げ出す。しかし、走っている最中に彼の首が胴体と泣き別れになった。先回りしていた鈴音が、彼の首を刎ねたのである。

 

「ナンダヨ、人殺シガ嫌ナラ初メカラ下ラネェコト言ッテンジャネェ」

 

殺されそうになった議員は、安堵で泣きながら失禁していた。しかし、チャチャゼロはその議員の右腕を掴むと、ナイフで彼の腕を切断しにかかる。しかもただ切断するのではなく、あたかも(のこぎり)で切るかのように押したり引いたりを繰り返しながらだ。あまりの激痛に議員は泣き喚くが、チャチャゼロは気にした様子もなく続行する。

 

「なんと醜悪な……」

 

吐き気をこらえながら、アリカが呟く。

 

「そうだろう、人間のやる所業じゃあ無いさ。だが、我々は貴様らとは違う」

 

「何を言いたい……」

 

そんなアリカの言葉に、では答えてやろうと彼女は再び魔法具へと顔を向ける。

 

「人間、亜人諸君。諸君らはよくも我々を虐げてくれたな……我々という怪物を虐げ続けてくれたな! 我々はそのことを一日たりとも忘れなかった……一日たりともだ!」

 

声を荒げながらエヴァンジェリンが叫ぶ。いや、実際には怒りは演技でただ声が大きいだけだ。アリカはそれを見抜いていた。しかし、その鬼気迫る迫力は、映像の向こう側にいる者達には信じさせるには十分過ぎる材料だ。

 

「私は吸血鬼として、迫害され続けた! 確かに人は殺したが、それは貴様らが先に襲ってきたからだ! そうして虐げられてきた!」

 

大仰に身振り手振りを交えて演説するエヴァンジェリン。

 

「だから私は悪になった。貴様らが決めつけたせいで、私はそうせざるを得なくなった! だが! 私は最早それを糾弾するつもりはない! 私には仲間ができた。同じように貴様らに虐げられ続けた者達が、悪党が!」

 

この場を完全に掌握している。これではアリカが口を挟む隙さえない。

 

「感謝しているぞ、お前たちのお陰で私は自分の内に潜んでいた悪を理解できた。お前たちの迫害のお陰で私は生まれたと言ってもいい」

 

そう言って、彼女は画面の向こうにいる全ての者達にむけて指を指し、不敵に笑う。

 

「そう、全ては貴様らの蒔いた種さ。貴様らによって、我々バケモノが生まれた。貴様らは自らパンドラの箱を開けたんだよ。そして、今最後に残ったはずの希望さえも捨て去ろうとしていた。これが愚かと言わずしてなんという?」

 

つきつけられる言葉に、人々は動揺を隠せない。目の前で語る邪悪を生み出したのが、他でもない自分たち自身だと。そして自分たちによって再び己の首を絞めているということに。

 

「さて、無駄話はここまでにしよう。我々がここにやって来た理由はただひとつ、我々の脅威となるアリカ女王を我々の手で始末することさ」

 

「なっ……!?」

 

「先ほどまでの私の言葉、彼女を擁護しているように感じなかったか? つまりそれだけ我々は彼女を評価しているのだ、敵であれど、な。だからこそ、直接この手で殺すのが一番安心できる。だからこそ、こんな茶番を用意したのだ」

 

「……まさか、貴様が……!?」

 

エヴァンジェリンの言葉から、アリカはある仮説に到達した。それはエヴァンジェリンがアリカを処刑するために元老院を裏から操作し、この状況を作り上げたのではというもの。エヴァンジェリンはアリカが言いそうにした言葉を察して喉を鳴らして笑いながら肯定の言葉を返す。

 

「正解だ。そう、こうやって全国中継を行わせたのも、我々が意表をついて出現したのも、人々の印象に強烈に残るようにするため。いわば我々の初舞台を華々しく飾るための材料として利用させてもらったのさ」

 

「だが、元老院の奴らは狼狽えていた……一体何をしたのだ!?」

 

「おいおい、元老院は『完全なる世界』と繋がっていたのだぞ? 元メンバーならばそのコネクションを利用して働きかけるなど造作も無い。もっとも、多少脅しはしたがね」

 

アリカはその言葉で、数カ月前に看守たちが話していた元老院議長の変死事件を思い出す。つまりその事件は、エヴァンジェリンらが口封じのために行った可能性があるのだ。

 

「クク、馬鹿な奴らだったよ。鞭で恐怖を植え付けて、ちょいと飴をぶら下げてやればすぐに食いついた」

 

「下衆め……!」

 

アリカの憎々しげな視線にも涼しい顔をしている。いつの間にかエヴァンジェリンの傍まで戻ってきていた鈴音が、『紅雨』を抜いて彼女の首に添える。

 

「さぁて愚かな人民諸君、君たちによって整われたこの舞台で、君たちの希望を今! 我々が奪い去ってやろう!」

 

振り上げられる刃。陽光を反射して真っ赤に光る『紅雨』は、まるで今まで啜ってきた血液によって形を保っているかのようで、どこまでも不気味であった。

 

「ではさらばだ、可哀想な女王様」

 

エヴァンジェリンの合図とともに、鈴音は重力に従ったまま刃を振るう。振り下ろされる刃は、正確に彼女の首筋を捉えており。

 

 

 

次の瞬間には……彼女の首は飛ばなかった。

 

 

 

バチバチバヂィッ!

 

「……マスター……!」

 

突如、エヴァンジェリンに向かって雷撃が襲いかかった。そのせいで、鈴音は寸前で刃を止めてしまった。エヴァンジェリンは障壁でその雷撃を防いでいたが、不機嫌そうな顔をすると雷撃が飛んできた方向へと顔を向ける。

 

「……よくも邪魔をしてくれたな、ナギ・スプリングフィールド……!」

 

みやれば、崖の上に人影が見える。

 

「ハッ、怒ってんのか? だったら万々歳だぜ、てめぇに一矢報いれただけで十分だ」

 

そこにいたのは、赤毛が特徴的な少年。ナギ・スプリングフィールドだった。そしてその背後から続々と現れる、彼の仲間たち。

 

「最近大人しいと思っていたが……こんなことを企んでいたとはな……」

 

"サムライマスター"の異名を持つ、青山詠春。

 

「おいおい、いつの間にこんな人数集めてやがったんだ? しかも見た顔もチラホラいるぜ?」

 

ナギと互角に渡り合う歴戦の戦士、ジャック・ラカン。

 

「エヴァンジェリンが勧誘したのじゃろう。しかしデュナミスまでおるとは、全くどこまでも厄介な……」

 

ナギの魔法の師匠にして、数百年を生きる存在、ゼクト。

 

「しかし、我々もこの2年間ただ手をこまねいた訳ではないです。今の我々ならば、彼女らに十分通用する筈」

 

重力魔法を生み出し、魔法戦闘では右に出るものはいないとまで言われた、アルビレオ・イマ。

 

「観念しろ、貴様らはこの初舞台が終着点だ」

 

元メガロメセンブリア捜査官にして、無音拳の達人、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ。

 

そして。

 

「あれはまさか……!?」

 

「カオル……さん……!?」

 

若きルーキーにして確かな実力を持つ二人の少年、タカミチ・T・高畑とクルト・ゲーデル。しかし二人は鈴音を見るやいなや、呆然としてしまっていた。

 

「フン、『赤き翼』のメンバーが勢ぞろいか」

 

「姫さんを返してもらうぜ、エヴァンジェリン!」

 

 

 

 

 

「……やはりか……!」

 

詠春は二人の反応を見て、嫌な予感が的中してしまった。手配書では正体不明の人物として顔がわからなかったし、薫という人物と会ったことが無いため確信はなかったのだが、かつてグレート=ブリッジにて彼女がナギと交戦した際を思い出し、その太刀筋に見覚えがあった。そしてウェスペルタティア先王を殺した時もまた、その太刀筋に何処か懐かしさを覚えた。滅んだはずの村雨流の剣士がどうしてエヴァンジェリンとともにいるのかは分からないが、村雨流継承者と交友があった詠春としては、気分のいいものではなかった。

 

「余所見はよろしくないのではないかね?」

 

頭上からの声と、衝撃波が共に迫り来る。

 

「くっ!」

 

詠春はすんでのところで躱すが、下にいた魔獣は衝撃波に圧し潰されてザクロのように飛散した。詠春は上空を睨みつける。そこには、一見は紳士然とした、しかし鋭い目をした男と、老年の風格を漂わせる男がいた。

 

「……上位悪魔か」

 

「ケッ、一発で見抜きやがったか。私はフランツ・フォン・シュトゥック、覚えなくていいぜ。どうせすぐぶっ殺されるんだからな」

 

「お初にお目にかかる。私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン、没落貴族のしがない雇われだ」

 

「……! タカミチとクルトが言っていたのは貴様らか」

 

「おお、あの二人は素晴らしかったぞ。是非とも再戦をと思っていたが、まだ彼らは未熟。今回は君の足止めをさせてもらう」

 

「本当ならあいつらをぶっ殺してやりたい気分だが、命令とあっちゃ逆らえねぇ。代わりにテメェをサンドバックにしてやるぜ」

 

「やれるものならばやってみろ!」

 

 

 

「おいおい、またテメェらかよ」

 

ラカンの行く手を塞いだのは、元『完全なる世界』のメンバーであり、色々と因縁がある二代目火のアートゥルこと弐と、セプテンデキムであった。

 

「ジャック・ラカン……。先代のアートゥルの記憶だと、あんたと戦いたくて仕方がなかったみたいだけど、正直私はあんまり興味が無いのよね……」

 

「ですが、命令は絶対です。そうでなければチャチャゼロさんと遊んでもらえませんよ?」

 

「セプテンデキムだって、ドジを踏んで鈴音と買い物にいけなくなっても知らないわよ」

 

「……慢心せず全うしましょう。もしそうなったら、私は耐えられません」

 

「……なんか前より人間臭くなったなオイ」

 

二人の会話に思わず呆れてしまうが、実力者であることは確か。ラカンは気を引き締め、戦闘を開始した。

 

 

 

「久しいな、"フィリウス"」

 

「その名は既に捨てた。彼を裏切ったあの時からな……」

 

ゼクトはデュナミスと対峙していた。『赤き翼』と『完全なる世界』という関係上、因縁は根深いがそれ以上に彼らの関わりは深い。

 

「デュナミス……忠誠心の厚いお主が、どうして主人を殺したエヴァンジェリンなどに下っておる……」

 

「勘違いするな、私はあくまで協力関係にすぎん。それに主は私ではなく、プリームムを選ばれた。最初の使徒として生み出され、長年組織を支えてきた私ではなく、な」

 

「だからといって……」

 

「私自身、不満を抱いていたのかもしれん。悪党としての自覚があったからこそ、その誇りを抱かぬ主人を心の底では疎ましく感じていたのだと、私は気づかされた」

 

そう言うと、デュナミスを覆っていたローブが突如はじけ飛び、筋肉は一気に膨張する。戦闘の準備は万端だと言わんばかりだ。

 

「一人の悪党として、私は柵もなく戦いたいと思った。しかし矜持は捨ててないどいない。誇りを胸に、私は最後の一人として、『完全なる世界』として戦おう」

 

「ならばお前を倒し、因縁に決着をつけるまで……!」

 

「「いざ、参る……!」」

 

 

 

「……久しぶり」

 

「……そうですね」

 

タカミチとクルトは薫と、いや鈴音と再会を果たしていた。

 

「……なんでですか」

 

「…………」

 

「なんで……そんな平然としていられるんですか! 僕たちに、友達になって欲しいって言ったじゃないですか……!」

 

「……今でも、友達……」

 

「っ! だからっ! どうして……その友達と敵同士になって平気でいられるんですかッ!」

 

クルトの悲痛な叫びに、しかし鈴音は淡々と答えるだけ。

 

「僕達を鍛えたのは……僕達と戦うためだったんですか……」

 

タカミチが、意を決したように質問を投げかける。それに対し、鈴音はただ一動作、首を縦に振って頷くだけであった。

 

「どうしてっ……僕達に諦めるな、なんて言ったんですか!!!」

 

涙を流し、裏返りながらも荒れた声で彼女を攻め立てる。鈴音はただ、静かに語る。

 

「……あなた達に、私のようになって欲しくなかった……」

 

「え……」

 

タカミチは、その言葉に一瞬言葉を失った。彼女のその言葉だけは、彼女の心の底から出てきたものだと、何故かわかったから。

 

「カオル、いや鈴音さん、それはどういう……!」

 

「……お喋りはここまで……。……ここからは、本当に敵同士……」

 

追求しようとするクルトに、鈴音は有無を言わせぬと言葉を遮り、刃を抜く。こうして、二人と一人の道は分かたれた。

 

 

 

アルビレオはナギとともに一直線に進んでいた。他のメンバーが抑えをしてくれているおかげでスムーズに進行できていたのだが。

 

「『天蓋回す炎車輪』」

 

突如、下方から巨大な炎のリングが迫ってきた。二人は魔法障壁で防ぐが、その威力が予想を遥かに上回りアルビレオが吹き飛ばされてしまう。

 

「アルッ!」

 

「ナギ! 貴方はアリカ女王を早く奪還なさい! ここは私が引き受けます!」

 

アルビレオの言葉で、ナギは後ろ髪を引かれる思いをしつつも前進していった。一方、アルビレオは先ほどの魔法を放ってきた相手と対面する。

 

「……何者ですか?」

 

「柳宮霊子。貴方の足止め係よ」

 

現れたのは、14、5歳ほどの少女。青白い肌は血が通っているのかと思うほどで、腕も枯れ枝のように細い。おまけに着ている服はツギハギのようになっており、様々な色の生地が強烈に自己主張をしている。鮮やかというよりも趣味が悪い格好である。総じて、まるで出来の悪い人形のようだ。

 

「……何?」

 

少女、霊子をしげしげと眺めていたアルに対し霊子は疑問を投げかける。

 

「いえ……どこかでお会いしましたか?」

 

アルビレオは、どこか既視感のようなものを感じていた。そう、昔どこかで出会ったかのような、そんな感じがした。

 

「そう。私は貴方みたいな変態には憶えがないわ」

 

「出会い頭で変態扱いとは。私はこれでも紳士ですよ?」

 

「そう。だったらその邪な雰囲気は何?」

 

「紳士の嗜みとだけ言っておきましょうか」

 

「そう。……話すのも馬鹿らしくなってきた。さっさと始末されて」

 

「生憎、そういうわけにもいかないんですよ」

 

無表情のまま淡々という少女に、ほほ笑みを浮かべたままのアルビレオ。二人の醸しだす雰囲気は、なんとも表現に困るものであった。

 

 

 

「来たか」

 

エヴァンジェリンが笑みを浮かべながら言う。

 

「あの時は何もできなかったけどよ……今回は違うぜ」

 

「力をつけてきたか。私の気配に圧倒されなくなったな」

 

対峙する二人。そのピリピリとした雰囲気は、かつての造物主とエヴァンジェリンとの戦いを彷彿とさせる。

 

「ナギ……」

 

「よう、姫さん。返事、貰いに来たぜ」

 

磔にされたままのアリカに、ナギはひらひらと手を降ってみせる。

 

「馬鹿者……遅いではないか……」

 

毒づきながらも、顔を綻ばせるアリカ。その目尻には、光るものがあった。

 

「ナギ……返事もできず2年も待たせてしまってすまない……」

 

「かまやしねぇよ。俺だって姫さん待たせちまったし……」

 

照れ隠しに鼻頭を書くような仕草をするナギ。そんな彼をみて、アリカは微笑む。

 

「ナギ……お前が好きだ……愛している……」

 

「ありがとう、姫さん。いや、アリカ。これでもう、俺は無敵だぜ!」

 

ナギから立ち昇る魔力が、一気に噴出する。その濃密さは、エヴァンジェリンでさえ少々驚かされたほどだった。

 

「ほほう、魔力量なら私以上か。だが、それで勝負が決するわけでもない」

 

「ああ、そうだろうさ。それでも俺は勝つぜ、なんせ今の俺はアリカの愛で最強無敵だからな!」

 

「なっ!? こっ恥ずかしいことを言うな!」

 

「ハハハハハ! そうかそうか! だったら徹底的に叩き潰してやるよ、『英雄(ナギ)』!」

 

「かかってきやがれ、『悪党(エヴァンジェリン)』!」

 

 

 

 

 

西暦1985年。世界を震撼させる大事件、『夜明けの世界(コズモエネルゲイア)』事件が起こる。この日は濡れ衣を着せられたアリカ女王が処刑される日であったが、これは元老院とエヴァンジェリン率いる組織、『夜明けの世界』によって仕組まれたものであった。彼女が処刑される直前に『夜明けの世界』は現れ、全世界へと中継がされる中アリカ女王を直接殺害しようとしたが、『赤き翼』が駆けつけたことにより阻止される。

 

その際に激戦が繰り広げられ、ケルベラス渓谷の周囲一帯に大きな爪痕を残した。『赤き翼』は辛くも『夜明けの世界』を撃退したが、メンバー全員を取り逃してしまう。『赤き翼』リーダーのナギ・スプリングフィールドは救出したアリカ女王とのちに結婚。王座はアリカ女王のままだが彼女を陰日向で支えてゆく。また、他のメンバーとともに『夜明けの世界』を追い続けたが、アリカ女王に子供ができたことで引退。『赤き翼』は解散となる。

 

 

 

 

 

そして、時代は移ろい……。

 

 

 

 

 

「ナギ・スプリングフィールドでは、我々を打倒することはできなかった」

 

「…………」

 

「ならばどうする? 諦めるか?」

 

「…………否」

 

「そうとも。ならば次の世代に期待すればいい。何、気長に待とうじゃないか。どうせ我々にはいくらでも時間があるんだからな……」

 

悪は栄えず。しかし、未だ滅びず。

 

世代を超えて、再び邪悪は動き出す。


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