二人の鬼   作:子藤貝

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闇夜に戦う彼らと彼女ら
彼の本心は義務感? 責任感? それとも……


第二十五話 闇夜の攻防

日曜日。一般的な認識であればこの日は休みを謳歌する者が大半であり、学生にとっては土曜日と同じく天国のような曜日だろう。尤も、ほんの少し前までは土曜日も半日の学習が存在する、いわゆる半ドンが存在したため、長く休みとして親しまれてきたこの曜日はやはり別格だろう。

 

「とりあえず現状でできるだけのことはしてみました、みたいな感じか」

 

「はい、無いよりはまし、程度ですが」

 

アスナが不在のため、本日は千雨の部屋にて話し合いをしている。

 

「……結局、提示された猶予内には発見できず、か」

 

「相手が体調が悪いってぐらいしかわかりませんし、残っていた2日が休日だったというのもマイナスでしたね」

 

既に日は傾き始めており、犯人探しはとうに終了している。与えられた猶予で最終日の今日は、クラスメイトたちの動向を探った。大半が外に出て元気に遊んでいたり、街に出て買い物を楽しんでいたようだが、女子寮の部屋にこもって寛いでいる者ももちろんいた。犯人は現状動けない可能性が高いため、そういった生徒を訪ねてみたが該当する人物はいなかった。

 

「襲われた人も元気でしたから、今のところ何かされた形跡はないみたいですが……」

 

「油断できねぇわな。大川はまだ風邪ひいてるみてぇだし」

 

被害者の一人である大川美姫は、風邪をかなりこじらせてしまったらしく、今も同室のクラスメイトの看病を受けているらしいと、神社で掃除をしていた龍宮真名が言っていた。

 

「で、さっき言ってた罠ってのは?」

 

「捕縛結界の一種を、犯人が現れる可能性が高い場所に設置してあります」

 

「設置場所は俺っちが調べやした!」

 

「へぇ、意外とやるなエロオコジョ」

 

「せめて名前で読んで欲しいっス!」

 

犯人探しのめどが消えたため、ネギは犯人との戦闘を想定し、予め罠を設置することで少しでも優位に立てるようにと行動した。犯人が現れた桜通りをはじめ、アルベールと相談したり、彼の助言を受けて設置場所を変えたりなどした。

 

「もう大分遅いし、戻ったほうがいいだろ。近衛が心配するぞ」

 

「そう、ですね……。できればもう少し今後について話しあいたかったんですけど……」

 

「あとはなるようになれ、だぜ?」

 

「……はい、あまり考えすぎてもよくないですよね。少し気分が楽になりました、ありがとうございます、千雨さん」

 

「よせよ、礼なんか言われ慣れてねぇからむず痒くてしかたない」

 

肩をすくめてそんなことを言う千雨に、ネギは一礼すると部屋から退出していった。

 

「……なんか、嫌な予感がするな……」

 

血のように真っ赤な夕日を浴びて、千雨はそんなことをポツリと零した。

 

 

 

 

 

「あ、おかえりネギ君」

 

「ただいまです、このかさん」

 

部屋へと戻ってくると、木乃香がネギを出迎えた。アルベールは昨日のうちにネギとアスナが迷いこんできたオコジョだと一芝居うち、一時的に預かっているという扱いのため部屋のケージで寛いでいた。

 

「そうそう、ネギ君にお手紙が届いとるんよ」

 

「えーと、誰からだろう……」

 

順当に考えればネギの姉代わりであるネカネか、彼の幼馴染であるアーニャだろう。だが、二人からの手紙は既に春休みの間に届いている。迷惑をかけてないかだとか、風邪を引かないようになどの他愛もない内容だったが、それ故にこんな短い期間で二通目がくるなど考えにくい。

 

そして、彼は手紙の差出人を見て驚愕した。

 

「……! まさか……!」

 

差出人の名前は、絡繰茶々丸。魔法がかかっていないか確認し、安全を確保する。そして彼は封筒を開けると、その手紙に記された内容に目を通した。

 

『やあ、ごきげんいかがかな先生。私が動けない間にずいぶんとまあ私のことを嗅ぎまわっていたらしいじゃないか。まさか私がこの程度のことでボロを出すとでも思っていたのかい? だとすればずいぶんと失望させてくれる。ま、君のその下劣な精神性は今はどうでもいい』

 

前半はこちらが探りを入れていたことなど知っているという内容だった。ネギは苦い顔となり、額には一滴の玉が流れ落ちる。

 

『お仲間ができたそうじゃないか、茶々丸から話は聞いているぞ。神楽坂アスナに、長谷川千雨……まさか自分の生徒を巻き込んでまで私を探しまわるとは、見下げ果てた紳士だね君も』

 

二人のことについても書かれており、一瞬ひやりとしたが、内容は主に遠回しな罵倒だ。彼女らについて何かするといった内容は見受けられず、安堵の溜息をつく。

 

『しかも従者じゃないらしいな、いざとなれば切り捨てるつもりかい? たったの3日で随分と冷酷で薄情になったじゃないか、ある意味尊敬の念を禁じ得ないね』

 

挑発的な文章が続く。怒りが腹の底でふつふつと煮えたぎるが、それを何とか抑えて読み続ける。

 

『こう長々と書くのも疲れてきた。何せ病み上がりなのでね、単刀直入に用件を言おうか。今夜0時、戦おうじゃないか。場所は屋内プール場、逃げても構わないがその場合、君の生徒の安全は保証しかねる。ああ、罠を仕掛けようがご自由にと言っておこう、たかが君程度の魔法使いの罠など取るに足らんものだからね。盾代わりの協力者さんも連れてくるといい、いい弾除けになってくれるだろうさ。ではな』

 

最後の文はそんなふうに結ばれていた。腹立たしいが、罠でも設置しなければ今の彼女らが相手では太刀打ち出来ないだろう。そして、二人を連れても構わないという自信に満ちた発言。負けるつもりなど、端からないのだろう。

 

「……今日の0時、か……」

 

彼の小さく呟いた言葉は、その小ささに違わぬ希薄さで空気へと溶けこんでいった。

 

 

 

 

 

深夜零時前。誰もかれもが寝静まった、静寂が空間を支配する時間。そんな時間帯に、息を殺して走る少年が一人。その人物こそ、ネギ・スプリングフィールドであった。

 

「兄貴! やっぱ一人でやるなんざむちゃが過ぎるッスよ!」

 

「ううん、これはあくまで僕の問題だ。協力関係ではあるけど、これ以上千雨さんを関わらせるわけにはいかない。それに勝算だってあるよ!」

 

並走しているのは彼の相棒であるアルベールだ。彼は、ネギから決闘の手紙が犯人から送られてきたことを聞いており、千雨とともに迎え撃とうと提案した。しかし、ネギはそれに真っ向から反対し一人で戦うと言って聞かなかった。結局、ネギに押し切られてしまいこうして夜中に決闘に指定された場所へと向かっているのだが、アルベールはやはり不安を拭えなかった。

 

「言ったでしょ、犯人側は千雨さんとアスナさんが協力者であることを知ってる! このまま一緒に連れて行けば、何があるかわからないよ!」

 

「そ、そりゃあそうでしょうけど……やっぱり一人でなんて!」

 

「僕の生徒が相手なんだ。僕が、自分自身で向き合わなくちゃならないことなんだ!」

 

そう、手紙で二人のことが書かれていた以上、犯人はそれを織り込んで迎え撃とうとしているに違いない。そんな状況で、戦闘は全くの素人である千雨を連れて行くなど自殺行為に等しい。アスナがいないことが非常に悔やまれた。

 

「カモ君! 僕のことはいいから、千雨さんに危害が及ばないようついてて!」

 

「なっ!? そんな兄貴! おれっちまでハブにする気っすか!?」

 

「ごめん……でも、他に頼める人なんていない。アスナさんがいない今、カモ君だけが頼りなんだ!」

 

「ええい、兄貴のいじっぱりめ!」

 

そう言うと、アルベールはブレーキをかけ、真反対へと走り始める。

 

「千雨の姐さんを安全な場所に避難させたら、おれっちもすぐに向かいやすから!」

 

「分かった! 無茶だけはしないでね!」

 

「兄貴にその言葉、そっくり返しやすよ!」

 

去ってゆくアルベールの姿も目に入れず、ひたすらに屋内プール場へと向かう。不安と恐怖で圧し潰されそうな胸。それでもなお、足を止めはしない。大事な生徒が危機にさらされ、そしてその大事な生徒が凶行に及んでいる。ならば、それを止めるのが彼の役目だ。生徒を守れず何が先生か。間違いを正してやれずなにが正義の魔法使いか。

 

揺るがぬ決意を胸に、彼はひた走る。

 

 

 

 

 

『……来たか』

 

「ハァ、ハァ……。貴女を、止めにきましたよ!」

 

屋内プール場に入ると、そこでは黒いマントで身を包み、フードを目深にかぶった犯人の姿。息を切らせながらも、決意のこもった眼で相手をみやる。

 

「さあ、これ以上僕の生徒を襲うことをやめてください! 聞いてもらえないなら、僕は実力行使も辞しませんよっ!」

 

『そんなっ! 先生は私に暴力を行使するということですか!? ひどい! 私もあなたの生徒です! 守ってくれないんですか!?』

 

急に態度を変え、あたかも被害者を装う犯人。彼女は知っている、ネギが生徒相手に魔法を行使するのをためらうことを。

 

だが、彼の返事は。

 

「……確かに、僕には生徒を守る義務があります。ですが! それだけでは生徒を甘やかすだけです! 時に間違いを正してあげることも、先生の役目なんです!」

 

『そのために魔法を行使するんですか! ひどい!』

 

「僕が魔法学校で間違いを犯したとき、校長先生は拳骨で教えてくれました。痛みを理解できなければ、覚えられないことだってあると! 人の痛みを知るには、自分自身がまずその痛みを理解する努力をしなくてはならないと!」

 

そう言って、背負っていた大きな魔法使いの杖を手に持ち、戦闘態勢に入る。

 

「貴女に、その痛みを教えるのが今の僕がすべきことです!」

 

『ハッ! 詭弁を並べるんじゃあない! 所詮ただの自己満足でしかないくせに! この偽善者め!』

 

「偽善だってかまいません! 人は誰だって間違うことだってある、でもそれを間違ったままにしてしまうのはよくない! 正し、導いてあげることも必要だと! それが偽善だと罵られようと、僕はやり遂げる! 僕が大事だと心の底から言える生徒のために!」

 

杖を握りしめ、心の叫びをぶちまける。偽善だろうとなんであろうと、己が正しいと思ったことから目を背けたくない。そんなことをすれば、今までの自分を否定してしまう。だからこそ、絶対に曲げられない一本の芯。

 

『じゃあ私も教えてやるよ先生……世の中には、更生なんざ不可能な悪がいるってことを!』

 

戦いが、始まった。

 

 

 

 

 

先手を取ったのはネギだった。

 

「『魔法の射手(サギタ・マギカ)』!」

 

十数本の光の矢が犯人へと襲い掛かる。しかし犯人は悠然と佇んだままだ。

 

『無駄だっ!』

 

手をかざし、魔法障壁を展開すると、容易くそれらは弾かれてしまう。しかし、それはネギにとって初めて犯人と対峙したあの夜から分かっていたこと。ネギは間髪入れず次の魔法を詠唱していた。

 

「闇夜切り裂く一条の光! 我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

収束していくのは、光の属性魔法とは違った荒々しい光。

 

「『白き雷(フルグラティオー・フルゴーリス)』!」

 

『無駄だと言っている!』

 

再び弾かれる魔法。今まで犯人相手に使った魔法の中では、攻撃魔法の中でも魔法の矢より遥かに強力な魔法であった。にもかかわらず、彼女はそれを防げる魔法障壁を、タイムラグも一切なしに発動して防いだ。一見して、これでは、その強固な魔法障壁に為す術が無いようにも見える。

 

だがネギは見逃していなかった。犯人が用いている魔法障壁は確かに強固だが、しかし確かな弱点があることに。魔法をぶつけられると自動で防御を行っているようだが、一瞬だけ隙ができるのだ。それは魔法を弾いた直後、そのタイミングでネギはさらに無詠唱で風精を召喚して彼女へと放つ。

 

『ちいッ!』

 

犯人は迫りくる魔法を辛うじて躱す。そう、受けるのではなく躱したのだ。

 

(やっぱり……! 彼女が使っているのは自動防御を行う魔法障壁と常時展開している魔法障壁の二つを運用しているんだ!)

 

自動生成される魔法障壁と、常時展開の魔法障壁。どちらも防御能力は大したものではない。せいぜいが魔法の矢を受けられる程度であり、自動生成の障壁などは、一度攻撃を受けてしまえば掻き消えてしまうだろう。だが、その二つを同時に運用することで障壁を重ねて発動し、強力な魔法もノータイムで防げるようになっているのだ。

 

しかし、先ほどは『白き雷』という強めの魔法によって魔法障壁を攻撃された。それにより、自動生成される魔法障壁の一瞬の隙が生まれ、貧弱な常時展開の魔法障壁がむき出しとなってしまったのだ。

 

「逃がしません!」

 

杖に跨り、ネギは飛びながら一気に犯人へと肉薄する。そして魔法の矢を、遅延呪文で腕に乗せて彼女へとそのまま振りかぶった。眼前では、しつこく追い縋る風精による執拗な攻撃。彼女は何らかの魔法具と思しき爪で風精を蹴散らすが、攻撃を受けるために魔法障壁で防御してしまっていた。これでは、ネギの追撃を防ぐ術がない。

 

「はああああああああああああ!」

 

『しまっ……!』

 

ネギの攻撃は犯人の頬を正確にとらえ、魔法障壁を一気に破壊して彼女を吹き飛ばした。

 

『ぐああああああああああああああああ!?』

 

吹き飛んで行った犯人は、そのまま温水プールへと突っ込んでいった。

 

(……妙だ。あの時の彼女は、もっと余裕を見せていた。でも、今日はまるで何かに焦っているみたいに余裕を感じなかった……)

 

不自然さや違和感を感じながらも、しかし油断なく揺れ動く水面を凝視する。すると、水面に気泡が浮いてきて、次いで犯人が飛沫をあげながら飛び出してきた。

 

「はぁ、はぁ……よくも、やってくれたな……!」

 

びしょ濡れになりながらも、相手はネギをギロリと睨みつけてくる。しかし、ネギは何も言うことができずにいた。動揺のあまり思考が停止したのだ。しかし、それは彼女の鋭い眼光に竦んだからではない。

 

「あ、あなたは……まき絵さん!?」

 

そう、ほんの少し前に図書館島地下へともぐり、共に助け合った人物。ネギにとっては特に親しい生徒の一人である少女、佐々木まき絵の顔がそこにはあった。

 

 

 

 

 

「あのバカ! なんで自分一人で特攻してやがんだッ!」

 

「そうは言っても、姐さん達じゃ魔法使い相手はむりっすよ! むこうの従者が襲ってくる可能性だってあるんすから、早く避難してくだせぇ!」

 

走る、走る、走る。夜の帳の中をひた走るのは一人の少女と一匹の獣。長谷川千雨とアルベールであった。アルベールは彼女を安全なところに連れて行こうと説得を試みた、いや今も避難するよう呼びかけ続けているのだが、彼女はまるで聞いてくれない。

 

「バカ野郎! あいつは私より強いっつってもまだ10歳なんだぞ!? 戦った経験なんざろくにないだろうに、一人で戦って勝機なんかあるわけないだろうが!」

 

「だからといって、兄貴のとこに行って何になるんすか! 足手まといでしかないっすよ!?」

 

「いーや、私はあいつに言った。危険は承知の上、やばかったら逃げるってな。確かに今は中々に厳しい場面だろうが、本当にやばい状況じゃあない。だったら、飛び込むことに躊躇してちゃあいつまでたってもあの仮面の女には届かねぇ!」

 

いまだ彼女の心を掴んで離さない、絶望の象徴。それがいつ来るのか、不安で休まることがなかった幼い自分。それを乗り越えるには、今逃げるわけにはいかなかった。

 

「ええい、兄貴といい姐さんといい強情っぱりばっかりか! こうなりゃとことん付き合わせていただきやすよ!?」

 

実は、アルベールは今回の戦闘で極力協力するだけにとどまり、戦いの矢面に立つつもりなどさらさらなかった。妖精とはいっても所詮はオコジョ、戦いなんてさっぱりである。だからこそ、戦闘はネギ達に任せるつもりだった。

 

だが、彼女の眼を見て彼はその考えを改めた。

 

(自分より年下の女の子が逃げねぇっつてんのに、ここで退いたら男が廃るッ!)

 

己の過去に打ち勝とうとする彼女を見て、己もまた自身の濡れ衣を払しょくするために戦っていることを思い出したのだ。似た境遇の彼女が、魔法さえ使えない非力な少女が覚悟を決めているのに、己はなんという体たらくか。己可愛さに他人に戦わせて自分だけ逃げるのか。

 

(そんな、格好悪いことができるかってんだッ!)

 

目つきが変わったアルベールを見て、千雨は口の端を釣り上げた。

 

「ハッ! ようやく肚決めたかエロオコジョ! 逃げ出したいなんて言ったってもう後戻りできねぇからな!」

 

「望むところでさぁ!」

 

 

 

 

 

「チッ、まさか隠蔽の魔法具が壊れるなんてな……」

 

忌々しそうに毒づくまき絵。その様子に、普段の明朗快活な雰囲気は一切ない。あまりに予想外の展開に、ネギは理解が追いつかずに目を白黒させる。

 

「え、あれっ!? まき絵さんが犯人……いやでも彼女は犯人に襲われて……いやでも目の前にいるのはまき絵さんだし……犯人がまき絵さんでまき絵さんが犯人で……?」

 

「フン、訳が分からず混乱しているか。こんな奴に大事な魔法具を3つも壊されるとは、私も焼きが回ったな」

 

そう言うと、彼女は右腕に装着していた『バネ人間』で彼の頭を引っ叩いた。

 

「犯人が茶々丸さんをまき絵さんで襲われて……もぷっ!?」

 

「いい加減現実を見たらどうだ? いくら考えたところで、犯人が私だという事実は覆らんぞ?」

 

「で、でもまき絵さんは犯人に襲われて……! あなた、さては偽物ですね!?」

 

「自分を容疑者から外すために一芝居打っただけだ。私は正真正銘、佐々木まき絵だよ」

 

「…………」

 

残酷に、事実を突きつけるまき絵。共に苦労も喜びも分かち合った彼女が、ネギを狙う犯人だという事実は、彼に大きなショックを与えた。

 

「……んで……」

 

「ん?」

 

「なんで他の生徒の皆を襲ったんですか……?」

 

喉から絞り出すように言葉を発する。しかしその声はか細く、震えていた。

 

「言ったはずだが。あんたをおびき寄せるためにやった、それだけだ」

 

その返答に、ネギは何も言葉を発せず俯き、杖を握りしめる。

 

「んー? 覚悟を決めたんじゃなかったのか? 親しかった私が犯人だと分かった途端に意気消沈するなんてな。所詮は口先だけの安っぽい覚悟だったってわけだ」

 

いやらしく挑発するまき絵。その言葉のすべてが、彼の心に突き刺さる。

 

(……そうだ。僕は覚悟を決めた『つもりになっていた』……。僕の生徒の中でも特に親しかったまき絵さんが犯人だってわかって混乱して……彼女が犯人なのに、覚悟を決めたつもりだったのに……途端に戦う気が全くなくなってしまった……)

 

それは、教師が抱いてはいけない考え方。他の生徒、親しくない生徒であれば先ほどと同じように戦おうとしたはず。つまり、彼にとっての生徒とは、親しくなければ戦えるが、親しければ手も足も出ないという酷いもの。

 

(……なんて最低なんだ、僕は……!)

 

何もかもが嫌になってしまう。自分自身の浅ましさ、犯人を止められない不甲斐なさ。なにより生徒を贔屓する教師として恥ずべき心。全てが、嫌で嫌でたまらなくなる。視界が歪み、自分が泣いているのを自覚すると、最早それを止めることさえできない。

 

「ふん、嫌悪感で頭がいっぱいか。まあいいさ、このまま先生にはゆっくりと眠って頂こうか。これで計画も完遂、あの人にも褒めてもらえる……!」

 

そう言うと彼女は、自己嫌悪で周りが見えていない彼にゆっくりと近づき、その俯いている頭へ、ゆっくりと手を伸ばす。

 

「じゃあな先生、おやすみ……」

 

 

 

 

 

「オコジョフラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッシュッ!」

 

「っ!?」

 

まき絵がネギに触れようとした瞬間。突如現れた一匹のオコジョによってそれは防がれた。アルベールが、マグネシウムリボンを用いて強烈な光を灯したのだ。薄暗い屋内プール場で、しかも至近距離でこんなことをされれば、目が一時的に機能を狂わされるのは必定。

 

「ぐ、クソがッ! オコジョ妖精ごときがこの私に……!」

 

「姐さん! はやく兄貴を連れてってくだせぇ!」

 

「了解! いい働きだったぞエロオコジョ!」

 

「そこはせめて名前呼びにして欲しいッス!?」

 

物陰に隠れていた千雨が素早くネギを抱えると、そのままプール場の出口まで走りだす。

 

「ま、待てっ!」

 

「待てと言われて待つわけねぇだろ!」

 

視界を封じられたまき絵が叫ぶも、千雨はそれを一蹴してネギとともに脱出を果たしたのだった。

 

 

 

 

 

「あいつはいないようですぜ……」

 

「とりあえずは追ってこないか……」

 

屋内プール場の近くにあった薄暗い茂みのなかで、アルベールと千雨は周囲を確認しながらそう漏らす。千雨はぜぇぜぇと息を吐きながら呼吸を整えるも、普段運動なんてしない彼女にとってはかなりの運動量だったらしく、心臓が激しく鼓動する。

 

「千雨、さん……?」

 

「大丈夫か先生……ってなわけでもなさそうか」

 

「僕は……僕は先生失格です……」

 

「……あいつになんか吹きこまれたか?」

 

先程から一言も喋らなかったネギが、ようやく口を開いたかと思えばそんなことを言い出したことから、千雨は犯人になにか言われたのか考えた。しかし、帰ってきた返答は。

 

「……犯人が、まき絵さん、だったんです……」

 

「……ああ、私も見たぜ。さすがに驚いた」

 

「僕は、犯人と最初に対峙した時、力づくでも止めると言い切りました。それをできる覚悟を決めたと、言ったんです。……でも、僕はまき絵さんが犯人だと分かった途端、戦いたくないって思ってしまったんです……」

 

10歳の少年がするには、あまりにも悲壮的な顔。絶望を顔に貼り付けたかのようなその暗い表情は、どこか千雨を苛つかせるものを感じさせた。

 

「僕は気づいてしまった……僕が大事に思っている生徒は、結局僕と親しい一部の生徒だけで、他のみんなのことなんてどうでもいいと思っていたことに……」

 

「…………」

 

「僕は……僕は……!」

 

頭を抱え、蹲るネギ。暗くてよく見えないが、照明灯の明かりが彼が下を向いている場所をほのかに照らし、その土が湿り気を帯びているのが微かに分かった。

 

「……先生」

 

「僕は先生なんかになっちゃいけなかったんだ……こんな僕が……」

 

未だそんなことを言いながら啜り泣く彼の頭を鷲掴みにし、顔を露わにさせる。涙と鼻水で酷いものだったが、それを気にせず千雨は。

 

「歯ぁ食いしばれ」

 

全力の右ストレートをネギに見舞った。

 

「が……!」

 

非力な少女の拳とはいえ、受ける側も10歳の少年である。当然それ相応のダメージはある。ネギは受け身も取れずにそのまま地面へ倒れた。

 

「あ、姐さん!?」

 

驚愕するアルベール。まさか、こんな状況でネギを殴るなどという行為に走るとは思わなかったのだ。一方、ネギは混乱しつつもすぐさま起き上がった。

 

「……っ! 何を……」

 

「自分の胸に手を当てて聞いてみやがれクソガキ」

 

「なっ……!?」

 

突然殴られたことに驚きつつも、殴った千雨を睨み返そうとし、逆に睨み顔で暴言を吐かれて唖然とする。

 

(なんで苛つくのかわかった……こいつは、昔の私そっくりなんだ)

 

仮面の女と出会い、いずれやってくる彼女に対する不安や、それに対抗しようにも無力な自分への悲観。ベットで泣き喚きながら過ごした日々。まるで幼いころの自分そっくりだった。そう、昔の自分を見ているようで、無性に腹がたったのである。

 

「さっきから聞いてりゃくだらねぇことをグダグダと……苛つかせんじゃねぇよクソガキ!」

 

「いっ、いきなり何ですか殴ったりして! しかも訳のわからないことを言って、そのうえクソガキって……!」

 

「分からねぇのか? てめぇはまごうことなきアホで馬鹿で何もわかってないクソガキだ!」

 

ぎゃあぎゃあと喚きながら言い合いを続ける二人。口汚く罵る千雨に、それを必死に否定しようとするネギ。犯人から逃げている最中とは思えない行為だった。

 

「いいか! てめぇが先生だろうがなんだろうが、てめぇ自身が10歳かそこらのガキってことに変わりはねぇ! 一々親しくない人間と親しい人間を等しく扱うなんてできるわけねぇだろ!」

 

「例えそうだとしても、僕は先生なんです! そうでなくちゃダメなんですよ!」

 

「ガキのくせして大人の先生気取りか? やっぱてめぇはクソガキだ! 誰だって他人とつながりを持ちたいと思うし、親しくするのが当たり前だ! だのにてめぇは何だ? 親しくもない人間相手に、友人と同じように接せられるってか? んなもんできるわけねぇだろうが!」

 

「ま、またクソガキって……!」

 

「気に入らねぇか? じゃあなんどでも言ってやる、このクソガキ! 大体てめぇは色々と難しく考え過ぎなんだよ! てめぇの自己満足だろうがなんだろうが、不平等に生徒のことを考えようが、てめぇが先生として生徒を守ろうとしたことは嘘じゃねぇだろうが!」

 

「……っ!」

 

千雨の言ったことに、ネギは言葉を詰まらせる。しかしなおも千雨はまくしたて続ける。

 

「さっきから聞いてりゃなんだ、先生としての自分をあーだこーだと。あんたが抱いてるのは結局は義務からくる責任感じゃねーか! そんな生徒自体を見てもいねぇ考え方で、私は心配なんざしてほしくねぇよ!」

 

「僕だって……僕だって必死なんです! みんなの先生になって、しっかり先生として職務を全うできているのか不安で……僕のせいでみんなに迷惑をかけてないか不安なんです! 僕のせいで犯人に襲われた人だって、申し訳なくて、情けなくて……!」

 

ネギが、ついに千雨の言葉に耐え切れず心の中をぶちまける。自分よりも年上の、それも異国の生徒相手に先生をするなど、いくら大学を卒業するような天才少年でも大変な重荷だった。そこからくる不安、そしてそれを抱えた時に生徒を襲う犯人が現れ、いつしか彼は抱いていた義務からくる責任感を頑なに守ろうとしてしまったのだ。

 

しかし、それを聞いた千雨の反応はといえば。

 

「ああ? そんなことかよ、くっだらねぇ!」

 

「そ、そんなことなんて言わないでください! 僕は真剣に……」

 

「言っただろ、義務感で先生やってるような奴に心配なんざされたくねぇって。私が聞いてるのは、ようはあんたが本当はどう思ってるのかってことだ!」

 

「どう、って……」

 

「あんたの心からの本心だよ。それとも、自分の思ってることも分からねぇ、本当のクソガキなのかあんたは? あんたの事情だって知ってる私という生徒さえ、信じてはくれねーのか?」

 

まるでネギの心を、鋭く射抜くかのような眼光で千雨は問い質す。ネギは、少しだけ深呼吸をして俯き、考えこむ。

 

(僕の……本当の気持ち……)

 

初めてこの学園に来て、アスナと木乃香に出会った。教室に入ったら罠にはめられてひどい目にあったが、同時に年上の生徒を相手にする不安感も消えてしまった。歓迎会を開いてもらい、フレンドリーな生徒たちに戸惑いつつも、これからやっていけそうだと安心した。

 

お風呂場での騒動や、ドッジボール対決。いろんな事があった。特に図書館島での出来事は、今までまだ距離をおいていた生徒たちと協力し合い、喜びを感じた。だからこそ生徒を、仲間とも言える彼女らを守りたいと思ったのだろうに。

 

そう、もう答えなどとっくに出ていたはずなのに、自分で難しく考えていたのだ。

 

「僕は……アスナさんや木乃香さんを守りたい。バカレンジャーの皆さんを守りたい……! たとえ犯人がまき絵さんだろうと、僕はまき絵さんも守りたい! 敵同士なんて嫌だから、戦いたくないからこそ、まき絵さんを止めたい……! 止めるために戦いたい……!」

 

「……んだよ、ちゃんと分かってんじゃねぇか」

 

そうぶっきらぼうに言いながら、ネギの頭に手を置いてくしゃくしゃと乱暴に撫でる。

 

「わぷっ!?」

 

「今はまだ、大事な生徒が少なくてもいいさ。あんたはまだここに来て、3ヶ月も経ってない。よくわからない生徒がいたって不思議じゃない。これから時間をかけてそいつらを、大事な生徒にしてやりゃいい」

 

「千雨さん……」

 

彼女とて、かつて出会った仮面の女のせいで不安で仕方なかったはずだ。だからこそ自分という、魔法をよく知り、理解してやれる存在は大きかっただろう。彼女の言ったようにネギの存在は、信頼はないが信用できる協力者、という風なのだろう。

 

「デカイ悩みは、吹っ切るんじゃなく胸に抱えて進んじまえ」

 

「……っ、はいっ!」

 

「……以上だ。ったく、私としたことが柄にもねぇことを……」

 

だが、そんな自分のために彼女は今、心を砕いてくれた。不安の闇を取り払ってくれたネギのために、彼女は彼を信じてくれたのだ。最低な先生だとようやく自覚した、こんな自分を。彼女を、生徒を思う先生なのだと。

 

ならば、自分がするべきことはただひとつだ。

 

(千雨さんの、僕の大事な生徒の信頼に応えること……!)

 

彼の目に、今一度光が灯った。


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