その裏で、邪悪が蠕動しているとも知らず
『桜通りの幽霊事件』から暫く経ち。
「ねーねー、最近桜通りで誰かが襲われたって話、聞かないね」
「解決したんじゃない? 先生たちが見回りしてたらしいし、犯人が捕まったとか?」
「うん。学校新聞に、そんな記事があったよ」
3-Aメンバーは日常を謳歌していた。犯人に憑依されて操られていた生徒たちも、特に異常はなく復帰していた。
「むぅ……」
「どうされましたか、マスター」
「いやな、最近なにか大事なことを忘れている気がするんだ」
「……記憶障害でしょうか。一度、病院に行かれては……」
「さすがにこの歳で健忘症は勘弁したいが、病院は別にいいだろう。どうせそのうちに思い出すはずだ」
そして事件の中心人物であった大川美姫も、多少の違和感を抱えつつも通常通り生活を送っていた。
「…………」
「アスナ、どしたん?」
「んえっ!? な、なんでもないわよ……」
「こん前帰ってきてから、様子がおかしいえ?」
「大丈夫だって、なんともないわよ」
ただ、事件解決から暫くの間、アスナの様子が少しおかしかったことを除けば。
(美姫めぇ……せっかく久々にマスターと会えたのに、殆ど時間が取れなかったじゃない!)
胸の内で、アスナが一人の少女に対して軽い殺意を覚えていたことは、誰も知らない。
ネギと千雨は、かの事件に関して学園長から呼び出され学園長室へとやってきていた。古めかしい扉の前に立つと、ネギは軽く2回ほどノックする。
「入りなさい」
短い返答が帰ってきた後、2人は理事長室へと入室した。待ち受けていたのは、呼び出しをした学園長こと近衛近右衛門。そして、切れ長な目つきが特徴的な葛葉刀子教諭。
「待っておった。さ、立ち話もなんじゃ、座りなさい」
「は、はい」
「緊張せんでもええ。別に君を解雇するわけではないからの」
少し緊張気味な彼に、そう言葉をかける。2人は軽くお辞儀をした後、ソファに腰掛ける。刀子は学園長に会釈した後、部屋の外へと出て行った。
「さて、ここに呼び出された理由はわかると思うが……」
「『桜通の幽霊事件』、だろ?」
近右衛門の言葉に即座に返答する千雨。近右衛門はうむと首肯する。
「かの事件を裏で操っていた存在。ネギ君は知っていると思うが、そこまで詳しいわけではないじゃろ? 千雨くんに説明するついでに君にも話しておいたほうがよいじゃろう」
「はい」
「ああ、頼むぜ」
千雨が話を聞くことを前提にしていることを、改めてネギに告げる。ネギも千雨も、既にこの件に関して深く関わることを了承している。そのため、千雨は普段の猫かぶりをやめて普段の少し乱暴な言葉づかいで応答する。近右衛門は咳払いをひとつすると、事件の黒幕について話し始めた。
「まず、エヴァンジェリンについて話したほうがよいか。かの存在こそ魔法関係者の住む世界、
「そこは先生にも聞いた。具体的に、あいつらはどういった存在なんだ?」
「そうか。では、もっと詳しく話をしよう。まず簡潔に彼女を一言で表すならば……『最悪』、じゃな」
「最悪、ですか……」
「左様。彼女は魔法世界でも最上級の高位存在、真祖の吸血鬼でな、かつては魔法使いたちから追われる存在じゃったんじゃ。じゃが、ある時期から彼女は行動を開始してな……自分のような"バケモノ"を仲間としていったんじゃ」
かつてのエヴァンジェリンは、殺しはするものの女子供をむやみに襲うようなことはせず、事を荒立てて目立つことを嫌った隠者のような生活を送っていたらしい。だが、ある時期を境に彼女は積極的に裏で活動を始め、強大な力を身につけていった。そして自らのように人間たちから"バケモノ"と呼ばれ忌避される存在を仲間としていき、ついに表舞台へと現れたのだという。
「それが、魔法世界を震撼させた大事件……『
「そんなことがあったんですね……」
「つっても、それだけで名前が言えないぐらい怖がられるなんてことはないだろ。その事件、まだなんかあったんじゃねぇか?」
「鋭いのぅ。その聡明さ、素晴らしいが危険でもある。こちらに関わると決めたのならば、使いどころには気をつけなさい」
「忠告、感謝するぜ。んで、何があったんだその事件」
「それに関して、少し魔法世界のことについて話さねばならんの」
魔法世界では、かつて世界中を巻き込む大戦争が起こっていたらしい。後に『大分裂戦争』と名称がつけられたこの戦争は、人間が主要な種族である連合側と、亜人が主である帝国側で別れて行われ、魔法世界に多大な犠牲がでたらしい。そしてその戦争が、実は裏から操る存在によって引き起こされていたのだという。
「なるほど、それがあいつらだったってわけか」
「……残念ながら違う。その組織の名は『
当時連合に所属していた彼らは、一騎当千の活躍をみせ劣勢であった連合を立て直した。だが、『完全なる世界』は彼らを罠にはめ、連合と帝国の双方から追われることとなる。しかし、彼らは諦めることなく真実へと辿り着き、協力者を得て双方を一時停戦させて最終決戦に挑み、『完全なる世界』を打倒したのだとか。
「マジで英雄じみてんな……」
「実際、今でも彼らを慕うものは大勢いる。魔法世界を救った象徴的存在じゃからな。……さて。彼ら、『
戦争が終わっても、人々の憎悪の行く先が定まらず、暴動が起こり始めていた。そこで、連合の最高議会である元老院、その当時の議員たちはその協力者に濡れ衣を着せることで『完全なる世界』と繋がりがある人物として生贄にしようと考えた。そして、彼女は処刑される寸前までいった。
「ひどい……」
「いつの時代も、汚いことってのは起こるもんだな」
「まあ、それも『赤き翼』によって阻止され、彼女は救出されたわけじゃが」
「よ、よかったぁ……」
「……それだけならば、どれだけよかったじゃろうかのぅ」
そう、これだけであればよくあるおとぎ話のような救出劇。だが、現実はそうはいかなかった。
「その処刑を仕組んだものこそ、『夜明けの世界』首領、エヴァンジェリンだったんじゃ」
『赤き翼』の到着前。エヴァンジェリン率いる『夜明けの世界』のメンバーが処刑場へと現れ、瞬く間に場を乗っ取った。世間の憎悪を鎮める意味もあったため、処刑の様子を世界中継にしていた。そこに現れたエヴァンジェリンは、自らが協力者の女性を罠にはめたのだと暴露し、彼らを糾弾した。
「悪どいな、実行したのは確かにそいつらだが、世間がそれに加担したも同然だったわけだろ」
「うむ、彼らの罪悪感を最大限に引き出し、彼奴らの存在を強烈に印象づけたのじゃ。そして、処刑を実行する寸前で『赤き翼』が現れ、彼女を助けだしたというわけじゃ」
「確かに、それだけのことがあれば名前を呼ぶことも憚られるようになりますね……」
「ああ、あいつらは魔法世界の人間にとって自分の罪の鏡写しみたいなもんだ。そりゃあ、自分の罪をさらけ出すようなもんだから名前を出すことだって嫌になるな」
「エヴァンジェリンらは、戦時中既に目撃されておってのぅ、すでに行動を始めておったらしい。そして、戦争終結後のゴタゴタに紛れて戦力を整えていたのじゃ」
それでも、『赤き翼』は彼女らと互角に戦い、一時は撃退することができた。しかし、彼女らは何度でも現れ、『赤き翼』と戦い続けた。その度に『赤き翼』は名声を増してゆき、そしてそれに比例するかのように『夜明けの世界』も認知されていった。
「彼奴らの本当の狙いは、『英雄』に対する『巨悪』となることじゃったんじゃ。こうして、魔法世界で知らぬものはいない程に名が売れてゆき、20年以上経った現在でも名前さえ呼ぶことを躊躇われる程に恐れられ続けているのじゃ」
「そんな……」
「……だいたい分かったが、じゃあなんで奴らは私達に関わってきたんだ?」
「うむ、その疑問も尤もじゃろう。それには、現在の状況が関わっておる」
「現在の状況、ですか?」
「……十年以上前、『赤き翼』のリーダーが行方不明となったのじゃ」
長きに渡って、『夜明けの世界』と『赤き翼』の戦いは続いた。しかし、数年前の戦闘で『赤き翼』のリーダーが負傷して海へと落下。そのまま生死不明で行方が分からないのだという。
「元々、『赤き翼』はメンバーがだいぶ歯抜しておってな。結婚を機に去ったものや、負傷して退いた者もおった。『赤き翼』もリーダーが解散を宣言していたんじゃが……そのタイミングで彼奴らが現れ、仕方なしに『赤き翼』のリーダーが単騎で戦いに赴いた」
そして、多くの魔法使いの援護も虚しく圧倒的不利を覆すことはかなわず、彼は戦いの最中『夜明けの世界』の攻撃を受けて重症を負い、海中に沈んでいった。
「その後の行方は誰にも分からず、世間では死んだと言われておる」
「……そう、なんですか……」
「……それからじゃ。彼奴らの活動が静かになったのは。当然じゃな、自らを絶対たらしめるために必要だった『赤き翼』が、いなくなってしまったんじゃからな」
世界は『赤き翼』の消滅、そしてそのリーダーの死を悲しんだ。世間を絶望が包み、生きる気力を奪われたものが自殺するといったことも頻発した。そう、こういった状況のせいで、彼女ら『夜明けの世界』に立ち向かおうとする存在もいなくなってしまったのだ。
「こんな状況では、『夜明けの世界』もその影響力が絶対でなくなってしまう。そうなれば、彼奴らの立場は危うくなる」
大きすぎる悪は、自らの首を絞めることになってしまう。正常な世界であるからこそ悪がのさばる環境としてありがたいのであり、逆に荒れた世界では商売敵が増えて旨味が減る。そうなっては困るのだ。
「彼奴らは『魔法世界』を主な活動拠点としているが、最近になってこの世界、向こうで言う『
「そういうことかよ……!」
そう、彼女らは『赤き翼』亡き今、新たな『英雄候補』を探していたのである。時には、彼女らの思想に染まって組織に入った者も多いという。
「じゃ、じゃあ僕達も……!?」
「うむ。千雨くんは数年前に彼奴らの一人と出会っておるのじゃろ? その時から目をつけられていたんじゃろうな。そしてネギ君は……」
「僕は、山奥で生活してただけの半人前です。目をつけられるようなことなんて……」
そう、千雨は直に見定められているわけだからおかしなことではないが、ずっと山奥の村で暮らしていた彼が目をつけられるとは考えにくい。
「そうじゃな、いくら彼奴らの手が長く伸びているとはいえ、ウェールズの僻地にまで手を伸ばせるほど彼奴らはまだこちらの世界で影響力を持っていない」
「じゃあどうして……?」
「……ネギ君。君は、父上のことに関してなにか知っているかね?」
突然の質問に、ネギは面食らうが冷静に応対する。
「え、ええと。父さんは偉大な魔法使いだった、とネカネお姉ちゃんに聞いたぐらいで……」
「そうかそうか。そうじゃろうのぅ、軽々しく彼の正体を話すわけにはゆかぬからな……」
「! 僕の父さんのことを知ってるんですか!」
「うむ。儂も彼とは多少なりとも関わりがあったからのぅ」
ネギにとっては、あまりにも謎が多くその素性を知ることができなかった両親。長年親の愛を受けずに育ち、しかしネカネから聞かされた話でネギが憧れた両親。
「教えてください! 僕の父は、どんな人物だったんですか!?」
「……君の父の名は、ナギ・スプリングフィールド。先ほど語った『赤き翼』のメンバーにしてリーダーだった男じゃ」
「なっ……!?」
千雨はあまりのことに驚いた。ネギが彼女らから狙われるほどであるからこそ、その両親に相当な人物がいるのだろうとは思っていたが、まさかこれほどの人物だったとはさすがに思っていなかった。
「マジかよ……先生、あんた英雄の息子だったんだな……」
純粋な驚きから、千雨は思わずそんな言葉を口にした。しかし、先ほどの学園長の話を思い出し、慌てて謝罪する。
「わ、悪ぃ。さっきの話からすると、もう亡くなってんだもんな……」
だが、ネギは。
「……いえ、大丈夫です。なにせ、父さんは生きているはずですから」
千雨の言葉を否定した。学園長も、驚きで目を見開いている。
「ど、どういうことかの? 彼が生きているという話は……本当なのか?」
「はい。僕は6年前、父さんと一度だけ会っているんです。この杖は、その時に父さんから貰ったものです」
「む、むむむ……確かにその杖はナギが使っておったものじゃが、儂は遺品だと思っておったぞ」
どうやら、学園長は杖のことは知っていたがそれがネギの父によって直接与えられたものであるとは知らなかったようだ。
「そうかそうか、ナギは生きているのかもしれん、か。婿殿にも教えてやらんとな」
心なしか嬉しそうな顔をしながらうんうんと頷いて何かをブツブツと口にしている。どうやら、ネギの父親が生きている可能性が相当に嬉しかったらしい。
「む、おお! スマンスマン、ネギ君の話があまりにも嬉しくてのぅ、ついつい舞い上がっておったわい。……ん゛ん゛! さて、君らは既にエヴァンジェリンらに狙われておる。それは分かってくれたと思う」
「はい!」
「ああ、まあな」
学園長の言葉に、二人はそれぞれ首肯する。
「これから、彼奴らは君らに様々な干渉をしてくるじゃろう。彼奴らにとっては自らと同格に戦える存在が必要じゃ、君らにあの手この手で刺客を差し向けるじゃろう。悔しいが、彼奴らにとっては君らも育てば御の字の候補でしかないし、死んでも構わないと本気で思っておるじゃろう」
なにも、候補となる人材がネギ達だけとは限らないし、恐らく世界中に存在しているだろう。あくまで、そのなかでも特に注目している存在、というだけだ。
「なれば、奴らの思惑に乗っておくのが今は得策じゃ。強くなれば、いずれは彼奴らの干渉を跳ね除けるのも可能となるかもしれん」
「一理あるな。現状、先生は魔法が使えるがそれだけだし、私はただのガキでしかねぇ。少しは戦闘ができるようになりゃいいんだが……」
先日の事件では、結局のところ戦闘面ではほぼ役立たずであったことが心残りであった千雨は、戦えるようになることを望んでいた。
「そうか。ならば丁度いいかもしれんのぅ」
そう言うと、彼は懐から一通の封筒を取り出す。
「ん? なんだそれ」
「これか? これは親書じゃよ。これをとある組織の長に渡して欲しいんじゃ」
「とある、組織?」
話がよく見えてこないネギはちんぷんかんぷんといった様子だ。
「この日本には、魔法関係の大きな組織が2つ存在しての。一つは、ここ麻帆良を中心とする関東魔法協会。西洋魔法を主とする魔法使いの組織じゃな。そしてもう一つが……」
そう言って、封筒の表を彼らに見せる。そこには、『関西呪術協会』の文字が。
「東洋の呪術を主とする、『関西呪術協会』じゃ。実は関西呪術協会と関東魔法協会は昔から仲が悪くてのぅ、互いにいがみ合うような仲なんじゃ。しかし、エヴァンジェリンという巨大な脅威が露見した今、そんなこともしてられん。そこで、君たちにこの親書を届けてもらいたいというわけじゃ」
「ここに呼び出した別の理由がそれってことか?」
千雨の質問に、近右衛門は黙って首を縦に振る。千雨は、少々怪訝な顔になり。
「ただの学生に持たせる気かよ、先生とかに頼めばいだろ」
「ならん。向こうは西洋の魔法使いを毛嫌いしておるから、まともに取り合ってくれん可能性が高い」
「なら余計にダメだろ。そんな、下手すれば危害が加えられそうなとこに放り込むつもりか?」
彼女の目つきがさらに険しくなる。近右衛門の腹の中を探ろうとしているのだ。軽く人間不信気味な彼女は、常に疑うことを怠らない。
「……正直に言えば、打算的な部分もある。君らのような子供相手に、向こうもさすがに簡単には手出しができないだろうと踏んでおったわ」
「んなこたろうと思ったぜ。大方、関西の方と仲が悪くなった原因もあんたがつくったんじゃねぇのか? あんたが直接持っていけばいいものをあえて私に持たせてるってことは、向こうに行けない後ろ暗いことがあったんじゃねぇかと勘ぐっちまうぞ」
「むぅ、千雨くんは本当に鋭いのぅ。正直、自分の無能を晒すようで悪いが話そう。先ほど話した魔法世界での戦争が起こっていた当時、日本も援軍をよこせとせっつかれたんじゃ」
そもそも、日本に西洋魔法使いがやってきたのは明治の前後辺りであり、その当時から西洋文化に対して偏見が強かった東洋呪術師たちとの仲は良好とはいえなかった。だが、互いにいがみ合うほどではなかった。
問題へと発展したのは、大分裂戦争が起こった20年前。元々、西洋魔法使いは連合の後ろ盾によってここ麻帆良へとやってきたため、親元である連合に逆らえなかった。そのため、戦争のために兵を集めていた連合から徴兵の通告が届き、戦争へと身を投じていったのだ。
しかし、関東魔法協会だけではとても人員を賄えなかった。そこで連合は関西呪術協会に目をつけ、強制的に従わせようとしたのだ。当初は関西呪術協会は頑なに拒んだのだが、連合からやってきた魔法使いたちが武力行使を行おうとしたため、一触即発の状態へと発展したのだ。
「仕方なく、当時関西呪術協会の長であった儂は従うことを決めた。勿論反発はあったが、儂はそれを無視して東洋呪術師を魔法世界へと送った……」
「なるほど、それで恨まれてるってわけか。そりゃああんたが行ったら襲撃されてもおかしくないだろうな」
なおも険しい目つきで睨む千雨に、しかし近右衛門は泰然と佇んでいる。そこにいたのは、普段の飄々とした学園長ではなく、鋭い目つきをした関東魔法協会の長であった。
「否定はせん。じゃが、儂も当時は魔法に対する関心はあったが関西にしかパイプがなくてのぅ、戦争参加を回避するために奔走したが無駄足じゃった。結局、儂はその責任をとって長をやめて関西と絶縁し、関東へとやってきたんじゃ」
「そう、だったんですか」
「儂は魔法を学んでなんとかここの長に納まった。しかし、関西で歴代の長を務め、有力家であった近衛家は儂が絶縁したことで肩身の狭い思いをしてのぅ。連れてきた娘を関西へと引き渡すこととなってしまった」
幸い、娘もその婿も近右衛門に理解を示してくれた。特に婿は、魔法関係者と友人であったこともあり幾度と無く力となってくれたらしい。
「実はな、その婿殿こそ『赤き翼』の元メンバーであった人物でな。ナギとは親友といえる間柄だったんじゃ。今は関西呪術協会の長でもあって、こちらとの仲を取り持とうと尽力してくれておる。ネギ君に親書を託そうと思った理由の一つでもあるのぅ」
「父さんの親友……」
「長く滞在していたこともあるから、彼の仮住居もあったらしいぞい。もしかすれば、彼の手がかりになることや、強くなるための手段を手に入れられるやもしれん」
「ほ、本当ですか! あ、でも僕先生の仕事もあるから行くことなんて……」
手がかりがあるかもしれないという期待に一瞬胸を膨らませたが、しかし先生としての職務がある彼には学園外に行く時間などない。そもそも、親書を届けるという大役自体遂行できるか分からない。しかし、学園長は顎鬚を手で梳きながら小さく笑うと。
「大丈夫じゃ。この時期に君へ頼むのには、もうひとつ訳がある。親書を届ける場所なんじゃが、実は京都なんじゃよ」
「キョウト、ですか? 観光名所として有名らしいですけど、かなり遠い場所では……」
「あー、だいたい分かった。私らの修学旅行に合わせたわけだな」
「シュウガクリョコウ? ……あ!」
「そうじゃ。今年の修学旅行先は京都、親書を届けるには絶好の機会じゃ」
普段であれば、険悪な仲である魔法使いを関西へと入れようとしない呪術協会だが、例外的に一般生徒が含まれる修学旅行などでは入ることができるのである。それを利用して呪術協会の本部へと親書を持っていければ、学園長と関わりの深い長が応じさえすれば協力関係を結ぶことができるという算段だ。
「相手の裏をかくようなもんじゃ、怒りを買ってもおかしくはない。危険な旅になるじゃろう。……やってくれるかのぅ?」
「……正直、僕には荷が重いと思っています。僕はまだ、魔法学校を卒業したばかりの半人前で、先生として働くのも大変です。……それでも、僕は僕の目的のために、そして生徒のために精一杯のことをしたいです」
真っ直ぐな瞳は、決意を感じさせる光を宿していた。
「お受けさせていただきます」
「私も手伝うぜ。先生とは知らない仲じゃないしな」
「そうか……ありがとう、二人共」
近右衛門は深々とお辞儀をし、謝意を示した。
「ではネギ君、あまり言えたことではないが……修学旅行、楽しんできなさい」
「はいっ! では、僕はそろそろ戻ります!」
「私も戻るかぁ、修学旅行の準備しとかねぇと」
そう言って席を立つ2人。しかし、近右衛門はそのうちの一人に声をかけて止める。
「ああ、千雨くんはもう少しだけいてくれないかのぅ」
「……先生、先行っててくれ」
「あ、はい。じゃあ廊下のあたりで待ってますね」
そう言って、ネギは扉を開けて退出していった。扉の閉まる音とともに、静寂が訪れる。
「さて、勘のいい君ならば分かっておるとは思うが……」
「気づかねぇわけねぇだろ。あれ、どう見ても半分泣き落としじみてたじゃねぇか」
そう、学園長は2人に自らの事情を話すことで同情を誘い、次いで利益をぶら下げることで彼らを誘導したのだ。尤も、千雨はそれに気づいていたフシがあったため、こうして学園長が呼び止めたのだ。
「ネギ君はまだ幼い。純粋な部分もあるから、儂らのような腹芸は苦手じゃろう。万が一、彼奴らが関西へと既に手を伸ばしていた場合、ネギ君が騙されて都合のいいように振り回されてしまう可能性は高い」
「だから、勘のいい私にお目付け役として頼むってことか。別にそんぐらいこんな遠回しに頼まれないでも、私自身が先生を助けようって思ってんだ。心配すんなよ」
「頼もしいのぅ。ネギ君はいい生徒と仲間を持ったわい」
「んじゃ、私も帰らせてもらうぜ」
そう言って扉の方へと向かい、取っ手に手をかけたところで。
「……ああ、そうだ。もう一つだけ、聞いてもいいか」
「何じゃ」
「エヴァンジェリンと一緒にいた奴がいただろ。……あの仮面をつけた女、なんて言うんだ?」
長年の仇敵、その名前を問う。エヴァンジェリンらのことをあれほど詳細に話していたのだ、それぐらい知っていてもおかしくはないと思い、こうして聞いてみたわけだ。
「……あ奴か。かの人物の名は、明山寺鈴音。エヴァンジェリンの右腕とも言える存在じゃ」
「そうか、そんな名前なのか……」
「気をつけなさい。純粋な戦闘能力では、右に出るものがいないとまで言われておる。間違っても正面から戦おうとせんことじゃ」
「……ああ」
話を聞き終わると、千雨は学園長に背を向けて去っていった。学園長以外誰もいなくなった部屋で、彼はきょろきょろと周囲を見回した後。
「……誰もおらんな。出てきてかまわんぞ」
そう、言葉にする。しかし、この部屋には彼以外の姿はないように見える。一見して、虚空に話しかける変人でしかない。
「そうか」
しかし、その言葉には返事が伴った。調度品の一つ、大きなアンティークの棚の影から何者かが現れた。
「聞いていたとは思うが、千雨くんは思った以上に聡明な子じゃ。彼女がついていればネギ君は道を誤らんじゃろう。……じゃが、今の彼らではあまりにも無力じゃ」
「ああ、分かっている。それで、依頼はやはり……」
「そうじゃ、彼らの護衛を頼みたい。ただし、あくまで気づかれない距離で、じゃぞ」
「フ、分かっているさ」
その何者かは、学園長の提示した条件を聞いてニヤリと笑う。学園長の言わんとしていることが分かっているようだ。
「この依頼、受けてもらえるな?」
「無論だ。それに、先生も彼女も……奴らと深く因縁があるようだしな、私としては好都合だ」
ギシリと、その人物は掌を強く握る。皮の手袋をつけているというのに、指先はしっかりと掌の中に収まるほど強く握りしめていた。その目には、明らかな憎悪が宿っている。
「
学園長は憎しみを瞳に宿すその人物へと忠告する。その危うさを分かっているからこそ。
「分かっている。……ああ、分かっているとも……」
「ふぅ、これぐらいにするか」
桜咲刹那は、日課となっている素振りを終えるとタオルで汗を拭い、水分補給をする。彼女は、毎日欠かさず素振りを行う。剣道部の所属でもあるため道場でこうして振っている事が多いが、この日課を絶対に欠かさない彼女は、道場に来ない日も公園などでこの日課を消化している。
「せっちゃーん!」
自らの友人であり、護衛対象でもある少女の声がした。反射的に後ろを振り返ると、道場の入口付近に近衛木乃香の姿があった。
「あ、お嬢様!」
汗を拭い終わり、慌てて彼女の方へと向かう。木乃香はどこか不機嫌そうな顔であった。
「せっちゃん、約束!」
「あ、すみません……。え、と……この、ちゃん」
図書館島の一件から、刹那は幼いころのように木乃香を呼ぶことを約束させられたのだが、未だにそれに慣れないためこうして間違えてしまうことが多い。
「んー、まだ固いなぁ」
「あ、あのやっぱりお嬢様と呼ばせていただきたいんですが……」
「ダメ」
「で、ですが」
「ダメや」
意外と頑固者である木乃香相手に何とか食い下がろうとするも、結局気迫で押し通されてしまう。なんとなく逆らえない独特な雰囲気に、刹那はどうしても根負けしてしまうのだ。
(……もっと、精進せねば)
色々とダメな方向で自らのたるみを自覚し、更なる向上を誓うのであった。
「でなー、最近アスナの様子がおかしいんよ」
「そうなんですか。ですが、学校にいる間にそのような雰囲気は感じられませんが……」
「普段は優等生の猫かぶっとるから、せっちゃんでも分からんと思うえ。アスナとよっぽど親しくないとあの微妙な変化はわからへんわ」
「む、難しいものですね」
帰り道。2人で他愛のない話をしながら下校する。刹那は剣道着から着替えて制服になっているが、道場が寮から意外と近いため普段ならそのままの格好で下校することもままあるのだが、今日は木乃香と一緒であるためそういったはしたない行動は謹んでいる。
(汗臭くないだろうか……)
制汗スプレーは一応しているため、それほどではないとは思う。が、剣道着というのは男であろうと女であろうとかなり臭う代物である。その強烈な匂いが残っていてもおかしくはないのだ。
「んー? せっちゃん?」
「あ、いえ。あの、汗臭くないかと思いまして……」
「いっこも気にならへんよ。うちかて、今日は体育があったから汗まみれや」
「しかし、私は稽古もしていましたし、剣道着というものは、その、結構匂うものでして……」
「どもない、匂いなんてせんよ。第一、そないなこと、うちはかまへんで? ……それより、さっきから京弁多めに使こうてるんに、せっちゃんはお堅い標準語のまんまやから寂しいえ」
どうやら、先程からの訛り具合は意図的にしていたもののようだ。なんとか刹那と昔のように打ち解けたくて、こっそりアプローチをしていたらしい。
「ですが、私はお……このちゃんを護衛する立場です。馴れ馴れしいことはできません」
「せやかて、それでお友達と砕けた話もでけへんなんて、そないんうちはあかんえ!」
木乃香の言葉に、刹那は少し驚いた顔をし、次いで僅かばかり頬に紅葉を散らすと、小さく微笑んでみせた。
「……そんなら、今だけは、昔みたいに話してもええ? 護衛やなく、お友達で」
「っ! せっちゃん!」
感極まったのか、木乃香が思わず刹那へと抱きつく。普段鍛えているとはいえ、いきなり飛びかかられたことに驚いて足元が危うくなるが、なんとか体勢を整えた。そして自分の胸に顔をうずめている彼女の頭を優しく撫でる。
「ふふ、昔とは逆やな」
「せやなぁ。昔はあかんたれなうちが、こうしてこのちゃんに慰められてやはったね……」
昔を懐かしむ2人を、真っ赤な太陽が2人を朱に染め、長く影が伸びる。夕方とあって、既に日は傾き始めていた。
(……こうして夕日を眺めとると、あの日を思い出すなぁ……)
思い起こすのは、今日まで続く自らが生まれた日。誕生した日ではなく、己の存在を世界に認められた日。
『……一緒に、来る? ……寂しいのは、怖いよ……?』
幼き日、孤独から掬い上げてくれた恩人のことを思い出す。あの出会いがなければ、きっと自分は今こうして友人と仲睦まじくあることもなかっただろう。
(……ありがとうございます、姉さん……)
と、そんなふうに胸の内で、ある人物へと感謝を述べていた時だった。
「んふふー、せっちゃんなんかかわええなぁ」
「こ、このちゃん?」
「なんか子供っぽい顔しとったえ。昔のことでも思い出しとったん?」
刹那にそんな風に聞く。尤も、木乃香自身が今現在子供っぽい笑みを浮かべているので、人のことはあまり言えないが。
「……うちの、大事な人のこと思い出しとったんや。もうすぐ修学旅行で京都にも」
「せっちゃんを連れてきた人やな。そういえば、剣術も元々はそん人に習っとったんやっけ?」
「せや。とっても強い人やった……。今はどこにおるかわからへんやけど、また会いたい……。あの人は、うちの目標や」
日課の素振りも、その当時に必ずやるように言われていたものだ。別れてからこの方その行方が一切わからないが、今も思い出は色あせることはない。
「そんなら、まずはお父様を超えんとなぁ?」
「せやなぁ。お師匠様も、あの人も越えられるほど強うなって……このちゃんのこと、しっかり守ってあげたい」
「もう、せっちゃん。そない、うち告白かと勘違いしてまうで」
「そ、そないつもりあらへんて! もう、からかわんといて!」
「ふふ。修学旅行、楽しみやなぁ。お父様に会うんも久々や。せっちゃんも、楽しみ?」
「……うん、楽しみや」
女三人寄れば姦しいというが、一人足らなくてもそれは当てはまるようだ。夕日も顔を隠しきる寸前の黄昏時の中、2人は仲睦まじく帰り道を歩んでいった。
『……今回の任務は、私が指揮を執ることになった……』
『まさかあんたが直接現場に赴くなんてねぇ、意外だわ』
『……美姫の失敗を、取り戻さないといけない』
『次の作戦は京都だっけ。『赤き翼』のメンバーが居る場所ってことは、セプテンデキムは連れていけないわね。私も今回は留守番か』
『くぅ、顔さえ割れていなければ……』
『面白そうなのになぁ、残念だわ。……で、鈴音以外にもメンバーはいるんだよね、誰なの?』
『……既に、現場で活動中。……私以外の、2人』
『ふーん、ということはあの新人2人か。美姫同様ヘマしなきゃいいけど』
『……一人は、私の弟子……やわな育て方は、してない……』
『ああ、そういや二人いる弟子の一人だっけ。もう一人は神鳴流に預けてるって話だけど、そっちはどうするつもりなの?』
『……今回、それを選ばせる。……あとは、彼女の意思次第……』
『こっちにつくか、あっちにつくか……せいぜい苦悩してもらおうじゃない、ふふっ』
つかの間の平穏な昼間は終わりを告げる。黄昏時は過ぎ、闇夜を伴う禍刻が迫る。再び、闇の中で邪悪は動き出した。