二人の鬼   作:子藤貝

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好きも嫌いも、分からぬ思い。
心ころがし、廻りて揺れる。


第三十二話 修学旅行三日目(朝)

たとえ全てを振り出しに戻そうとしても、そのもしもは決して存在しない。一秒先が己へと忍び寄り、一秒後が過ぎ去ってゆく。過去に意味はなく、未来に価値はない。きたる未来は現在を束ねた過去ならぬもの。去った過去は未来であったものの残滓。

 

大切なのは、それらに意味をもたせる現在をどう生きるかだけだ。

 

「……はぁ」

 

そして現在と、ゆく先に悩む少年がここに一人。ネギ・スプリングフィールドである。彼が悩んでいるある事柄も、既に事象としては過去に類する。

 

(まさか……のどかさんに告白されるなんて……)

 

頭を埋め尽くすのは、想定外の言葉と恋慕。生まれてより十年程度の彼にとって、初めての赤の他人からの愛の吐露。それはガツンとネギの頭を殴りつけるような衝撃であり、知恵熱で頭の回路がぐちゃぐちゃになるほどであった。

 

(……どうしよう)

 

生徒から慕われるならばいい。尊崇の念を受けるならいい。教師とは彼女らの先達であり、教え、導き、行く末を見守るものなのだから。だが、そこに恋という一滴の劇薬が垂らされた時、そこにあるのは先生と生徒ではなく、男と女にすり替わる。

 

(のどかさんのことは、嫌いじゃない……好きとも言えるけど……でもそれは"恋愛"として好きなんじゃなくて……!)

 

湯けむりの中で頭を抱え、髪を振り乱す。茶々丸の看病のかいあって翌日の朝、つまり今日には熱が下がったためこうして温泉に来たが、これではまた熱が出てしまいそうだ。答えのない堂々巡りが複雑怪奇な迷宮へと手招きする。

 

(っ! ダメだ、考えすぎればそれだけ複雑化していく……落ち着いて整理しよう……)

 

なまじ頭がいいだけに、現実とそれによって付随する数多の問題を用意に弾きだしてしまう。だからこそ、突破口の見当たらない奈落でもがき続けているのだ。しかし、それは藻掻けばなお深みにはまる泥の落とし穴、底なしの流砂だ。

 

「うぅ……どうすればいいんだろう……」

 

魔法学校を主席で卒業し、僅かな期間で大学を出た天才たる彼でも、人類の歩んできた歴史の中で度々議論の的となる『愛』は聳え立つ山脈のように高く険しい。いや、むしろそういったことに関心を持ちづらい彼だからこそ、その頂はより高く、鋭く見えるのだろう。

 

火照った体と頭を冷やすように、頭から冷水をかぶる。若干の冷え込みがみえる朝ではあるが、露天風呂とはいっても体を温める効能は十分に作用しており、風邪をひく心配はない。滴る雫が、前髪からポタリポタリと垂れ下がるのを眺め、手ぬぐいで顔を拭く。

 

「……答えが出ないことなんて、今までなかったのに……」

 

己の頭脳に自信を持っていた。それ故にどんな問題にも体当たりでぶつかってきた。生徒に襲いかかられようとも、邪悪と対峙しても。だが、そのどれとも本質を違えるこの問題にだけは、解を求めようとしても出てきやしない。所詮、経験の浅い子供でしかないのだと、ネギは改めて現実に思い知らされた。

 

「……賢いつもりでいたんだ、持て囃されて……」

 

大川美姫の魔法具も、エヴァンジェリンの威圧も。彼にとってはたった一人の可憐な少女の勇気には敵わない。最も厄介で、そして強大だ。

 

「……単純に考えろ、か……」

 

昨夜、戻ってきた千雨にアスナ達が事情を説明すると、千雨はそういったのだ。

 

『難しいことじゃねぇ。単純に考えちまえよ、先生。その頑固でお堅い頭をもっと柔らかくするんだ。自分の気持と正直に向き合え』

 

「ハハ、千雨さんも難しいこと言うよなぁ……自分の気持なんて、自覚するどころか曖昧すぎて分からないのに……」

 

精神的に幼い彼では、千雨のヒントも今回ばかりは助けにならない。そもそも、千雨自身も恋愛などしたことはないし蚊ほどの興味もない。尤も、彼女の場合は"仮面の女"によってその人生を費やさせられているからというのもあるが。

 

「……のどかさんに、会いたくない……」

 

嫌いなわけではない。合わせる顔がないだけだ、この気持に整理がつかぬ愚か者のマヌケな面を。恥じ入るべきは己の怯懦(きょうだ)、臆病風に吹かれたちっぽけな心。無意識的な己への嫌悪が、相手へと八つ当たりをするかのような感情へと転じて記憶の中の彼女を責める。

 

なぜ、告白したのだと。なぜ、自分なのかと。

 

「っ! なんで僕は、のどかさんのせいにしてるんだ!」

 

他社へ責任を転嫁して、己の安全を確保する。不安で追い詰められた者がとる心の防壁。自然だ、自己と守るために発される防御システムなのだから。しかし、それが感情的な観点からでは卑怯者の非難が飛んでくる。己可愛さに、他者のせいにするのかと。

 

「嫌だ……のどかさんを嫌いになりたくない……!」

 

せめぎあう2つの思い。彼女と恋仲になってはならないからこそその突破口を求めようとする。彼女を嫌おうとしている理性と、一方で彼女を嫌いになりたくない思い。

 

感情か、それとも理性か。二者択一の悪魔が笑う。

 

「……? 今、戸が開く音が……」

 

そんな彼の思考を打ち壊したのは、予想外という小さな一石。しかしそれは静かに波紋を広げ、彼に疑問という新たな意識を植え付ける。

 

朝風呂自体は珍しいことではない。だが、彼は入浴の際に一人で考えを纏めたいと思ったため、人払いの魔法をかけていたはずなのだ。それを避けてくるような人間となると、そういった暗示が効きづらい体質の人間か、或いは。

 

「まさか、もう別の刺客が……?」

 

ネギは湯けむりで視界の悪い風呂場を見渡しながら警戒を強める。今、彼は杖も持たない裸の姿。加えて、相手からの不意打ちに対処しづらい状況だ。

 

「……いざとなったら、杖を呼べばいいけど……」

 

それでも、武術も学んでいない身で無手とあっては心もとない。やがて、煙の中から黒い影がゆっくりとこちらに向かっているのが見えた。次第にわかってきたのは、相手は思っていたよりも小柄であったこと。そして、体つきが男性のものではないようにみえることだ。

 

「……あれ?」

 

ここは男風呂である。いや、相手が襲撃者である場合ここに来る必要があるのだからおかしくはないのだが。なぜ、体つきがはっきり分かるほど衣服の影がないのか。

 

「はろ~、先生。ごきげん、い、か、が?」

 

「あ、貴女は……!」

 

煙の向こうから姿を現したのは、先日の誘拐犯でも、知らない誰かでもなく。

 

「朝倉さん……!?」

 

彼の生徒の一人であり、タオルを体に巻いただけの格好の、朝倉和美だった。

 

 

 

 

 

『そこのお嬢さん、いいものあるよぉ』

 

時はさかのぼって修学旅行初日。清水寺でクラスメイトたちを写真に収めながら観光を楽しんでいた朝倉和美は、道端で商売をしていた人物に呼び止められた。普段であればこんな怪しげな人物の呼びかけに見向きもしないのだが、しかしその時だけは妙に興味を惹かれた。

 

「私?」

 

『そうそう。お嬢さん、学生さんかい?』

 

黒いフードを目深に被り、顔は伺えない。ただ、声が若干女性らしいものであることは分かるが、それも判断材料としては乏しい。総じて、得体のしれない不気味な人物だった。

 

「何か用ですか? 言っておきますが、キャッチセールスとかはお断りですよ」

 

『いやいや、私はまっとうな商売人さぁ。あんたに似合いのアクセサリーがあるから、つい呼び止めちまっただけさぁ』

 

「……まあ、確かに良さそうなのが揃ってるなぁ……」

 

みれば、置かれている品々はどれも中々にセンスを感じさせる装飾品が多い。特に目を引くのは、緑色の石がはめ込まれたペンダント。気づけば、手にとってそれをしげしげと眺めていた。

 

(……あれ、いつの間に私……)

 

無意識的に商品を手にとっていた彼女は、いきなり自分がペンダントを持ち上げていることに驚く。だが、その原因を考えようとすると頭に靄のようなものが立ち込め始めた。

 

(……これ、欲しいかも……)

 

いつになく沸き上がってくる欲求。それは、このペンダントを手に入れたいという物欲的なものであった。見れば見るほど、魅力的に思えてしまう。

 

『おぉ、それが気になるかねぇ。うちの商品はあまり人づてのものは扱わないんだが、そいつはたまたま手に入った逸品でね、商品に出してるのさぁ』

 

頭が若干ながらボーッとしていることに、露天商の言葉でようやく気づく。しかし、このペンダントが欲しいという欲求は、むしろはっきりとしていった。

 

「……これ、おいくらですか」

 

『ちょっと高いよぉ。1200円……といきたいところだがお嬢さん学生みたいだし、どうせ譲られたもんだから半額にまけてあげるよぉ』

 

「……じゃあ、これください」

 

結局、彼女はそれを購入した。胸の内に湧き上がる、欲求を満たしたがゆえの満足感が何故に沸き上がっているのかも分からずに。

 

『お買い上げありがとうねぇ……キッハハハ』

 

 

 

 

 

「ふんふーん」

 

「あら? 和美ちゃん何かごきげんねぇ」

 

鼻歌交じりで布団を敷いて寝るための支度を整える和美に、同じ班員である那波千鶴がそういった。確かに、和美の調子はかなりごきげんな様子であるのは傍から見て明白であった。

 

「あ、分かる? 実は露店でいいもの見つけちゃってさ」

 

そう言って首から下げたペンダントを掲げあげる。緑色の石がはめ込まれたそれは、怪しくも美しく光を反射している。

 

「うふふ、綺麗ね。確かにウキウキするのも分かるわ」

 

そういって微笑む千鶴。ここ最近は、和美も新聞に載せるネタが少なくて『桜通りの幽霊』事件を追っていたのだが、結局詳しいこともわからないまま犯人が捕まったと学園側が発表し、全て無駄骨となってしまったため元気があまりなかったのだ。久しぶりに楽しそうにしている彼女をみて千鶴も心なしか温かい気持ちになった。

 

(うーん、千雨ちゃんは相変わらずねぇ)

 

同じく班員である千雨が入っている布団をみて、そんなことを考える。普段から仏頂面で社交性が薄く、まともに会話したことも少ない。今も会話するどころか先に布団に入ってしまっている。

 

(この修学旅行の内に少しでも打ち解けられればいいのだけれどね……)

 

実は、この時既に千雨は布団の中におらず刹那に渡された変わり身の呪符を使って布団の中にいるように見せかけていただけで、本人は夜の追いかけっこに参加していたのだが。

 

やがて消灯時間となり、全員が布団の中へと入る。

 

「明日はいいネタが見つかるといいなぁ……」

 

布団の中で一人ごちる和美。やがて、睡眠欲求に身を任せて夢の中へと誘われて行った。

 

 

 

 

 

『……美。朝倉……和美……』

 

「んぁ?」

 

『……聞いているか、朝倉和美……』

 

「んん……誰か、呼んだぁ……?」

 

真夜中。誰かに呼ばれたような気がしてむくりと起き上がる和美。寝ぼけ眼で辺りをキョロキョロと見回してみるが、この部屋を使用しているものは和美以外全員眠っている。気のせいだったかなと再び意識を手放そうとする。

 

『……ここだ、私はここだ……』

 

「……? やっぱり聞こえる……」

 

再びの声。それによって若干意識がはっきりしてくる。再びその無機質な声の主が誰なのか探すが、やはりどこにもいない。首を傾げ、まさか心霊現象かなどと考えていると。

 

『……ペンダント……』

 

「ペンダント? そういや首にかけたまま眠ってた……!?」

 

首にかけたまま眠ってしまったことを思い出し、自分の胸元の方を見る。そして驚愕した、淡く緑色に光るペンダントを見て。

 

「ひ、光ってる?!」

 

『……気づいたか……朝倉和美……』

 

「え、ちょまさかこの声って……」

 

ついに頭が完全に目覚めた状態へ覚醒するが、同時に頭の中で今起こっていることがどんどんとイコールでつながっていき、混乱を生じさせる。この声の主、光り輝くペンダント。それらが結びつけるものは。

 

『……そうだ、私はペンダントの中にいる。……お前に話があって声をかけた』

 

「えっ……ええええええええええええええええええ!?」

 

あまりに衝撃的な言葉が声の主から伝えられ、和美は思わず大声で叫んでしまう。

 

『……静かにしろ……他の者が起きるぞ……』

 

そう言われて慌てて自らの口をふさぐ。幸い、誰も起きてはこなかった。ほぅ、と溜息を一つ漏らし、冷静になって再び視線を胸元へと向ける。

 

「……で、あんたは何者なんだい? どうせペンダントの中に拡声器でも仕込んであるんでしょ?」

 

『……心外だな、私をそんな陳腐な方法を取る者だと決めつけられるのは』

 

「じゃあなにさ、あんたは魔法でペンダントにでも閉じ込められてるって?」

 

『……そうだと言ったら?』

 

相手の若干不愉快そうな言葉に、思わず吹き出すのをこらえる。あまりにも荒唐無稽で出鱈目な与太話にしか聞こえない。

 

「あー、はいはい。じゃあそれでいいよ、それでその閉じ込められちゃったかわいそうなペンダントさんは何を訴えたくて話しかけてきたの?」

 

『……貴様……まあいい。貴様に話しておくべきことがある』

 

「宗教勧誘はお断りだよ、怪しい黒魔術もパスでね」

 

『……そうではない、私を買ってくれた礼をしたくてな。……忠告をしようと思う』

 

「忠告?」

 

てっきり、このペンダントを利用した霊感商法やら宗教勧誘だと思っていた彼女は、意外な言葉に眉をひそめる。だが、これもそういった類の話に繋げるための話術ではないかと思い、迂闊に流されたりしないよう気を引き締める。

 

だが、次いで出た言葉は更なる想定外。

 

『……貴様の教師は、魔法使いだ』

 

「は?」

 

あんまりにも予想の斜め上すぎる言葉に、さすがの和美も呆然となる。確かに僅か10歳の少年が教師をしているのはおかしい話だが、それでもまだギリギリ常識的な範囲だ。アスナに聞いた話では、飛び級制度導入における実験的試みであるらしいし、日本政府が協力しているという点で疑問はほぼ解決する。

 

「……はぁ、どんな言葉が飛び出すかと思えば……」

 

正直言って、和美はこのペンダントに失望したと言わざるを得なかった。もう少し面白いことを吐いてくれれば新聞のゴシック程度にはなっただろう。だが、ここまで意味不明なことをさすがに新聞に載せる訳にはいかない。下手をすれば信用問題だ。

 

「もうちょっと捻りとかないの? 私が不幸な目に遭うーとか、友達が行方不明になるーとか」

 

『……真面目な話をしているつもりなんだが?』

 

この言葉に、和美はかなり苛ついた。まだしらを通せると思っているらしい。ここまで厚顔無恥な相手と話すのも精神衛生上よくない。いい加減下らない問答をやめてさっさと寝ようとする。そして明日にでも葉加瀬聡美に頼んでペンダントに仕込まれているであろう拡声器をバラしてもらおうと思い布団に潜ろうとした。

 

『……『桜通りの幽霊』』

 

「っ!?」

 

ペンダントがポツリと零した言葉に、和美はガバリと起き上がる。

 

『……ようやく真面目に話を聞くきになったか?』

 

「……なんであんたがそんなこと知ってるのよ……!」

 

ペンダントを手に入れたのは今日。いくら相手がこちらの動向を探ろうとも、学園から遠く離れたここでその情報を手に入れることなどできるはずがない。

 

(まさか、私をはじめからターゲットにしてた……?)

 

既に学園にいた頃からストーキングをされていたのであれば、納得のいく話だ。だが、それではなぜ一介の学生にすぎない自分を狙っている。むしろ実がいいのは、同じ班員である雪広財閥の一人娘である雪広あやかのほうだろう。

 

(いや、いいんちょを狙うために私を……!?)

 

外堀から攻めるため、自分を狙ったのだとすればかなり事態はまずいこととなっている可能性が高い。自分以外にもこうやって弱みを握ろうとされている可能性がある。

 

『……ふむ、なにか勘違いをしているようだから訂正するが、私は君のために忠告をしようとしているだけだ』

 

「……どういうこと?」

 

『……そうだな、先ほどの君の態度からして考えたんだが……やはり実践した方が早いか』

 

そう言うと、ペンダントの光が段々と弱くなってゆく。一体何をするつもりなのか、段々と不安になってくる。

 

(……まさか超音波でも流して催眠術でもかけてくるんじゃ!?)

 

そう思いつくと、急いでペンダントを外そうとする。しかし、なぜかペンダントの鎖が手に絡みついてしまい、外すことができない。為す術もない和美は、何もできない歯がゆさを噛み締めつつもペンダントの相手の反応を待つ。

 

『……そう身構えないでくれ。君に害を及ぼすつもりはない』

 

黙したままであったペンダントからようやく言葉が漏れ出てきた。次いで、ペンダントが明滅し始める。部屋の中が暗くなったり明るくなったりを繰り返し、目がチカチカするのを堪えながら和美は固唾を呑んでペンダントを凝視し続ける。

 

『……よし。朝倉和美、君に魔法をかけた……飛べと念じてみろ』

 

ようやく事が終わったらしく、ペンダントは元の輝きに戻ると和美にそう言った。だが、念じろと言われてもよくわからないと彼女は伝える。

 

『……イメージするだけでいい。後は私がやる』

 

そう返され、仕方なく目をつぶりながら自分が空を飛んでいるイメージをする。翼を背にもって軽やかに飛び回るイメージ、ではなく現代人でらしく、漫画によくある気を用いた浮遊術を頭に思い浮かべる。

 

『……目を開けてみろ』

 

ペンダントの声に促され、恐る恐る目を開いていくと。

 

「………………は?」

 

目線が高くなっていた。天井が近づき、自分が座っていたはずの地面が少し遠く見える。目の錯覚でも起こったかと目をこすってみるが、普段の見慣れた目線に戻らない。これは一体どうしたことかと立ち上がろうとするが、なぜか足が地面を捉えられずに体のバランスが大きく崩れてもんどり打って倒れる。

 

いや、倒れそうに(・・・・・)なった(・・・)

 

「なに……これ……」

 

体が逆さになっていた。ペンダントのある胴体上部を基点として体が上下逆さまになったのだ。180度逆転した真っ逆さまな世界に、まるで今見えている光景が別の世界であるかのような錯覚を覚える。

 

『……私を基点とし、お前を浮かせたのだ』

 

ありえない。まるでファンタジーのような現象など、現実世界で起こるわけがない。誰もが夢想し、夢物語として書物やテレビの中でしか実現できなかったことが、ただのペンダントごときで起こり得るはずがない。今起こっている現象に対してどうにか説明をしようと彼女の脳内が必死に解を求めようとするが、当てはまるものが出てこない。

 

「ありえない……どうせトリックに決まって……!」

 

『……現実を受け止められないのか? ……仮にも記者だろう、事実を受け止めるだけの度量はあると思っていたのだがな……』

 

これが現実ではないと、説明ができないまでも彼女の常識が訴え続ける。こんな非常識が、こんな不条理が魔法などというご都合的で抽象的な存在もしないものによって為されているなどあり得ないと。

 

「どこかに糸でも……!」

 

『……君の体にでも巻いているのか? ……それは君の体が一番知っていると思うがね』

 

「なら磁力か何かで……」

 

『……君の体は鉄ででも出来ているのか?』

 

「なら、なら……」

 

『……いい加減認めてしまったらどうだ? ……魔法が存在すると』

 

認められない、認める訳にはいかない。魔法などという常識から外れたものを現実だと思ってしまえば、それこそ記者として失格だ。そんな単純なことに思考を向けてしまうような大馬鹿者になってしまっては、真実を暴く記者とはとても言えやしないだろう。

 

「認められるわけ無いでしょ……そんな非科学的で現実味のないこと……!」

 

『……君は記者を目指しているようだが。常識の範囲で語れないような出来事も、世の中には確かに存在するはずだ。高層ビルから落下して無傷だとか、行方不明だった人間が数十年ぶりに発見されるだとか……そういう事例は少なからずある』

 

「……何が言いたいわけ?」

 

『……時には、認められないような事実と向き合い、それを受け入れるのも記者の度量だと私は思うのだがな。固定観念に縛られているようでは、多角的にその事象や事件をみることなどできはしないと思うぞ』

 

その言葉に、和美は奥歯を噛んで押し黙る他なかった。悔しいが、この相手の言っていることにも一理ある。時として常識を越えるような出来事に遭遇した時、それを認めることができなければ真実は遠のいていくこともあるだろう。

 

だが、だからといって認められるはずがない。頑として認めようとしない和美の態度に、ペンダントはさらなる提案をした。

 

『……では、決定的な証拠を君に見せてあげよう。それで君は私を信用してくれるはずだ』

 

「証拠?」

 

『……今、この部屋には長谷川千雨がいない』

 

「っ!?」

 

千雨が入っている方の布団を見やる。そこには頭から布団をかぶって顔が見えない膨らんだ布団があった。だが、確かに顔が見えずとも彼女が入っている可能性は高いはずだ。

 

『……直接確かめたらどうだ?』

 

「……下ろして」

 

確認しようにも、浮いたままでは無理だ。下ろすようにペンダントに命じ、ゆっくりと布団の上に下りていく。そのままペンダントは輝きをだんだんと薄れさせ、元の何の変哲もないペンダントに戻った。和美は足音を立てないように慎重な足運びをしながら、千雨の布団へと近づく。

 

(……彼女がここにいればこいつの言葉は嘘って確定する。……でも、もし……)

 

千雨がいなければ認めざるをえない。ペンダントの言葉を、魔法という空想の現象が実在すると。緊張で口の中が乾き、喉が貼り付くように感じる。無意識の内に唾をごくりと飲み込み、震える手で布団を剥がそうとした、その時。

 

(っ、足音!?)

 

廊下から微かな足音を聞き取る。それも慎重かつゆっくりと歩いているような風で、今がもし皆が寝静まって静かな夜中でなければ聞き逃してしまうだろう。

 

(先生の巡回の時間は終わってるはず……とりあえず布団に入らないと……!)

 

後ちょっとというところであったが、こうなっては仕方ない。まるで自分にそう言い聞かせるかのように、内心でそう思おうとする。慌てて布団へと潜り、事の成り行きを見守る。

 

(……! 入ってきた……!?)

 

ドアノブの回る音と、次いで扉の開く音。どうやらその何者かは部屋へと入ってきたらしい。これがもし強盗や変質者であれば、彼女としてはまだ気が楽だっただろう。だが、残念なことにその相手は彼女の想像していた通りの人物で。

 

(長谷川……さん……!)

 

ペンダントが言っていた人物が、そこにはいた。彼女は慎重に自分の布団まで戻っていくと、彼女が入っていたはずの布団をめくる。

 

そして布団の中にいたのは。

 

(ええっ!?)

 

もう一人の(・・・・・)長谷川千雨(・・・・・)だった(・・・)

 

「便利なもんだよなぁ、そっくりな身代わりまでつくれるなんざ」

 

小さくそう呟く千雨。だが、その言葉は和美の耳にはしっかりと届いており、布団の中から彼女を凝視していた。

 

(なんで長谷川さんが二人いるの!?)

 

彼女そっくりの人形が入っていたのか。いや、それでも彼女は和美が見ているところで布団に潜り込んでいた。たとえロボットだとしてもすぐにバレるはず。そして、更に驚くべき現象が起こったのだ。

 

千雨が布団の中のもう一人に手を置いた瞬間、布団の中にいた千雨が消えたのだ。いや、正確には一枚の紙切れになったというべきか。

 

(な、何が起こったの……!?)

 

結局、千雨はその紙をポケットに入れると寝間着に着替え、そのまま布団に潜り込んで眠ってしまった。和美は、あまりにも衝撃的すぎる一連の出来事に頭を悩ませ、眠れたのは夜明け前になってしまったのだった。

 

 

 

 

 

(……結局、コイツの言ったことは本当だった。魔法は確かに存在する……!)

 

そして修学旅行3日目の朝である現在、和美は朝風呂へ向かったネギの後をつけていた。2日目の昼、昨夜のことは夢だと思っていた和美だったが、再びペンダントは輝き彼女に告げたのだ。

 

『……ネギ・スプリングフィールドには気をつけろ。奴は魔法使いであり、君たちに正体を話さずにいるのは君たちを自身の目的のために利用するためだ』

 

相変わらずペンダントの胡散臭い言葉は信用できなかったが、それでも調べてみる必要があった。だからこそ彼が一人になる機会を待ち、そしてそれを掴んだ。今、風呂に入っているのは彼一人であり、裸である以上丸腰だ。

 

(……万が一もあるだろうけど、ここなら先生も油断するはず)

 

『……油断するなよ?』

 

「……分かってる」

 

ペンダントから忠告の言葉が告げられるが、彼女はあまり深く考えずに男湯へと向かう。衣服を脱ぎ、バスタオル一枚になると、引き戸を開けて露天風呂へと進入する。湯けむりの向こう側に人の姿を確認すると、彼女は静かに近づいていく。

 

「はろ~、先生。ごきげん、い、か、が?」

 

「あ、朝倉さん?!」

 

男湯であるはずのここに彼女が現れたことに余程驚いたのだろう。目をまんまるにしてこちらを見ている。

 

「ん~? そんなにジロジロ見ちゃって、ひょっとして私の体が気になっちゃうかな~?」

 

「す、すすすすすすみません!」

 

和美にそんなことを言われ、ようやく自分が何をしていたのか気づいたネギは、慌てて後ろを向いて視界から彼女を外す。そしてそのまま反対側の縁まで、水の抵抗を受けながらもザブザブと歩いてゆき、座り込む。

 

(よし、作戦は有効そう……!)

 

一方、和美は考えていた作戦が思い通りに進んでいることに思わずほくそ笑む。彼女も、一部のクラスメイトたちには劣るが、抜群のプロポーションを誇っている。むしろ、体つきのバランスの良さでは上位に食い込めるだろう。だからこそ、彼女はこの浴場という体を見せることが必然となる場所で、それを武器にしようと考えた。

 

(いくら子供とはいえ、相手は男の子! そういうのに気恥ずかしさを感じてもおかしくない年頃に近づいてる。だからこそ、色仕掛けは有効だわ……!)

 

彼女は再びネギへと接近し、今度は後ろから彼を抱き寄せるようにした。

 

「あ、あああああ朝倉さんなななななにを?!」

 

「ふふっ、慌てちゃって顔真っ赤にしてるなんて可愛い~」

 

耳元でささやくように言葉を告げる。それによってネギはさらにゆでダコのようになる。なんだか和美にはそれが面白く感じてきたが、目的を忘れたつもりは毛頭ない。だからこそ、彼女は一気に切り込んだ。

 

「先生、私達に隠し事してない?」

 

「い、いきなりどうしたんですか?」

 

突然の質問に困惑するネギ。動揺を見せたことで、疑惑は確信へと変化してゆく。

 

「だって先生、まだ子供だってのに教師じゃない? 何か事情でもあるんじゃないかと思ってさぁ?」

 

「い、いえ。そんな、ことは……」

 

怯えたような顔をするネギ。和美は更に切り込んでゆく。深く、深く。

 

「例えば……そうねぇ……」

 

自らの疑問を解消するためと、ほんの少々の好奇心を満たすために。

 

「先生が……魔法使い……だとか?」

 

それが、彼女の首を絞めていくとも知らずに。

 

 

 

 

 

「なん……で……?」

 

「……本当に、魔法使いなの?」

 

頭が真っ白になった。動悸がどんどん激しくなり、茹だって熱くなっていた頭からどんどんと血の気が引いてゆく。もっとも知られてはならないことが、なぜか知られてしまっていた。それも、彼の生徒に。

 

(ど、どこでバレたんだろ!? この前の事件? それとも学校に来た時から!? ど、どうしよう記憶を消さないとでも朝倉さんに危害を加えるなんてできないしでも……)

 

グルグルと、頭の中で様々なことが巡ってゆく。目の前に突如現れた問題を解決しようと必死になって考え、ノンストップでそれを処理しようとする。だが、今の彼は別の問題を抱えてもいたわけで。

 

(朝倉さんはクラス一のパパラッチ……じゃあクラスの皆さんは僕の正体を知ってる!? いいんちょさんも、夕映さんも……宮崎さん、も?)

 

そう、彼にとって初めての体験であり、先程までの悩みの種であった、宮崎のどかからの告白に対してどうしようかと悩んでいた問題。突然現れた和美のせいで頭の片隅へと追いやられていたが、まだ答えは決まっていないのだ。

 

(そうだ宮崎さんから告白されてそれで返事も考えてないしでも宮崎さんも僕が魔法使いだってこと知ってるってことはそれも含めて告白した……?)

 

頭の中では負の連鎖反応が次々と起こってゆき、自分にとって最悪な予想がどんどんと明確なビジョンとなって固まっていく。彼の精神はもうはちきれる寸前だ。

 

「先生! なんで私達にそのことを隠してたの! 私達を利用するためだって、それは本当なの!?」

 

ペンダントの相手の言葉によって、彼女にはネギに対する先入観が固まりつつあった。そのせいで、相手のことを正しく捉えようとすることができず、普段の彼女ではしないような偏った視点からの追求をしてしまっている。それにより、ネギは更に追い詰められてしまう。

 

「あ、う……」

 

「答えてっ!」

 

そして。

 

「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

彼の限界が、ついに訪れる。

 

 

 

 

 

和美は、呆然とその光景を眺めるほかなかった。突然ネギが叫ぶと同時に強烈な突風が巻き起こり、彼女は吹き飛ばされて風呂の外へと落ちた。幸い怪我はなかったが、痛む腰をさすりながらネギを見ると、彼を中心にまるで旋風が吹き荒れるかのような状態になっていたのだ。

 

「な、何が起こってるの……!?」

 

「あああああああああああああああああ!」

 

なおも叫び声を上げるネギ。頭を抱え、狂ったかのように振り続ける。ただでさえのどかのことで悩んでいたところに和美の追い打ちがはいったことで、頭が完全に飽和状態になってしまたのだ。いくら優れた頭を持ってはいても、まだまだ精神的に未熟な子供である彼には最早感情を抑えられず、暴走してしまったのである。

 

「ちょっと、これ一体どうなってんの!? 答えなさい!」

 

慌ててペンダントに向かって叫ぶが、ペンダントはなんの反応もない。最早、和美にはどうすることもできなくなっていた。

 

「先生何があった!?」

 

「こ、これはいったい!?」

 

異変を感じ取った千雨と刹那、アスナとアルベールは露天風呂へと駆け足でやって来た。そして、風呂の水を巻き上げるほどの暴風を起こしているネギを見て驚愕した。

 

「や、やべぇ! 魔力が暴走してるぜ!?」

 

「暴走だと!?」

 

「兄貴は魔力がバカでかいんだが、その全てを扱えるわけじゃねぇんでさぁ! だからこそある程度セーブしてるんだが……感情が高ぶるとそれが外れちまうんです!」

 

「くっ、これほどの魔力……お嬢様以外にはみたこともない……!」

 

「こ、これじゃ近づけないわ!」

 

凄まじい魔力の奔流に、さしもの刹那も近づくことができない。下手をすれば、魔力に当てられて気絶してしまうだろう。千雨は朝倉に詰め寄り、この原因であろう彼女を問い詰める。

 

「おい朝倉テメェ! あいつに何しやがった!?」

 

「し、知らないよ! 私は魔法使いかどうかが知りたかっただけで……!」

 

「クソッ、それが原因か!」

 

昨日から悩み続けていたネギはストレスが積もっていた可能性が高い。いや、むしろ先日の事件から静かに、ゆっくりと溜まり続けていたのだろう。そして、和美への魔法バレが決定的な引き金となってしまった。

 

「どうする、このままじゃまずいぜ……!」

 

「魔力を限界まで吐いちまったら命に関わりまさぁ! 早く止めねぇと!」

 

「で、ですがこの暴風では私でも……!」

 

一方で、さすがのアスナもこの予想外の状況に焦りを感じていた。

 

(本気でマズイわ……このままだと死にかねない。でも今、迂闊に私の実力を彼女たちに見せる訳にはいかないし……ああもう、じれったいわねぇ……!)

 

誰もが焦り、しかし打開策を思いつかないまま手を拱くだけ、そんな時だった。

 

「ね、ネギせんせー……!?」

 

それは、本来現れないはずの人物。

 

「ほ、本屋ちゃん!?」

 

「馬鹿な、人払いの結界は張っていたはずなのに……!?」

 

刹那の人払いの結界によって誰一人一般人が寄り付かないようにしたはずのここに、宮崎のどかの姿があった。

 

 

 

 

 

「ど、どうなってるんですか? ネギ先生が……」

 

ネギを見て困惑しているのどか。無理もない、想い人が狂人のように体をじたばたとさせながら荒れ狂う風を発生させているのだから。

 

「話は後だ! 今は危険だから部屋に戻れ!」

 

この非常事態に、更に一般人の彼女がいては止められるものも止められない。だからこそ彼女に部屋に戻らせようとしたのだが。

 

「……です」

 

「は?」

 

「……嫌ですっ!」

 

普段の引っ込み思案な彼女からは想像もつかない、力強い拒否の言葉。たったそれだけの言葉だというのに、先日修羅場をくぐった千雨が、怯んだ。

 

(な、なんだ……この迫力は……!?)

 

千雨は知らず、一歩足を退いていた。彼女は知らない、引っ込み思案とはいえ彼女は一度決めた意思はそう簡単に曲げない頑固な人物であることを。

 

(何が起こってるかわからないけど……せんせーを止めないといけない気がする!)

 

ここで引いては、一生彼と本当の意味で一緒にはいられなくなる。そんな気がしたのだ。彼女はポケットからあるものを取り出して握りしめる。それは修学旅行の前に親友から渡されたもの。

 

夕映から(・・・・)渡された(・・・・)お守りだ(・・・・)

 

 

 

『いいですかのどか、それを肌身離さず持っていてください。そのお守りにはありがたーいご利益があるです』

 

『そ、そうなの?』

 

『安全祈願に、無病息災。それから恋愛成就の効能もあるです』

 

『わ、分かった。ちゃんと持っておくね!』

 

『……絶対に無くしちゃダメですよ』

 

 

 

(私は……先生が好き! この気持ちに嘘なんてつけない、だから先生と一緒にいたい!)

 

一歩踏み出す。それだけでも彼女にはとても辛いものだった。なにせ周囲は強烈な風が吹いている。彼女がいつ吹き飛ばされてもおかしくない。

 

だが、彼女はさらに歩を進めた。諦めたくない一心で、彼へと手を伸ばす。それを見て、一同は驚きで目が点となる。

 

「ほ、本屋ちゃんてあんなに強い子だったかしら……?」

 

「さ、さぁ? これが恋の力って奴っすかねぇ?」

 

「いやまさか、あそこまで度胸があるなんてなぁ……」

 

「凄まじい精神力です……」

 

口々にそんなことを言う。一見余裕そうだが、この暴風の中では立っているだけでやっとだ。のどかが動けているのは、彼女が握っているお守りのおかげだ。実は、このお守りは夕映が柳宮霊子から渡された護身用の魔法呪符が入っており、強力かつ感知できない魔法障壁を自動的に生成する代物だ。魔力もいらず、持ち主に危険が迫ると発動する。おまけに人払いなどの呪いも効かない優れもの。

 

ただし、一回限りの使い捨てである。効力も長くは続かないし、魔法の存在など架空のものだという認識の世界で生きてきた彼女には魔法に対する抵抗力など持っていないため、障壁越しでも風圧がきついのだ。徐々に、障壁の構成が緩んでゆく。

 

「ねぎ、せんせー……!」

 

精一杯の声で呼びかける。風に遮られて聞こえていないかもしれない。こんな弱々しい自分では無理かもしれない。それでも、彼女は力の限り訴え続ける。彼の心に、届くまで。

 

「ねぎせんせーっ!」

 

「っ!?」

 

既に目を見開いたまま意識が混濁していたネギが、のどかを見やる。既に理性的な部分が殆ど無い彼は、本能的に相手を分析した。そして、自分がストレスを感じてこうなった原因の相手だと理解する。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

すると彼は、呻き声を上げながら一直線に彼女へ突撃した。避ける間もなく、いや、彼女はそれを正面から堂々と受け入れた。衝撃で、構成が緩んでいた魔法障壁がついに破壊される。

 

(あ……)

 

のどかは気づいてしまった。ネギが彼女へ、憎悪の視線を向けていることに。

 

(………先生は、私のせいでずっと悩んでたんだ……だからこうなっちゃったんだ……)

 

その瞳から溢れて見えたのは、葛藤と悲しみ、怒り、そして優しさ。優しいからこそ、彼は自分がのどかを嫌いになりそうな気持ちを抑えこもうとした。そして、それが抑えられなくなって溢れだし、暴走してしまった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい先生……!」

 

のどかは涙した。自分の身勝手な言葉で愛する人を傷つけていたことに気づけなかった自分が情けなく、悔しかった。こんな風に相手を傷つけてしまうような恋など、初めから芽生えなければよかったと思うほどに。

 

先ほどまでいっしょにいたいと思っていた。だが、それも彼女が望む身勝手。それによって彼が傷ついてしまうならいっそ、嫌われてでも彼を助けたかった。好きだという身を焦がすような思いに、背いたとしても。

 

「先生……私は先生が好きです……でもそれは私の勝手なんです……! 勝手に押しつけてしまったことなんです……! だから、私を嫌いになっても、大丈夫なんです……!」

 

涙で視界が滲む。感情と涙で世界はぐちゃぐちゃになってゆくが、それでも彼女は彼に訴えかける。好きで好きでたまらない相手に、嫌いになってほしいと本心から叫ぶ。包み込むように抱きしめて、泣き声を上げながら。

 

彼女を嫌いになりたくないせいで暴走したネギと、彼のために嫌われようとするのどか。

 

互いに互いを傷つけあうそれは、まるで針で互いを傷つけあうヤマアラシのよう。

 

「先生……私は、先生を……!」

 

「あ゛、あ゛ぁ」

 

「私なんかのために、先生を傷つけたくないっ!」

 

「!」

 

のどかの言葉と同時。それまで吹き荒れていた暴風が突如として止む。暴走していた魔力も彼の内側へと収まってゆき、ついにはゆっくりと落ち着いていく。

 

「お、収まったの、か?」

 

「み、みたいでさぁ……」

 

突然の出来事に、固まったままの3人と一匹。暫く動くこともなく、俯いたままだったネギだったが。

 

「だめ、ですよ……のどかさん……私"なんか"なんて、言っちゃ……」

 

「ネギ、せんせー……」

 

顔を上げ、そう言った。のどかの言葉によって、正気を取り戻したのだ。

 

「僕、本当は多分……すごく嬉しかったんです……のどかさんのことが、きっと好きだったから」

 

そう言って、彼はニコリと笑う。年齢相応の、幼い笑みだった。本心からこぼれ出た笑顔であった。

 

「私、いいんです、か……? 私は、先生を好きになって……いいんですか……?」

 

「いいんです。僕は教師で、のどかさんは生徒です。……だから、あなたが卒業するまで……そして僕が大人になるまで、待っててくれませんか?」

 

「は、はいっ!」

 

ストレートなその告白に、のどかは赤面しながら応える。ネギは、そのままのどかへと顔を近づけてゆき……。

 

「うう、感動的でさぁ……!」

 

「……い、意外と大胆なんですねネギ先生も……」

 

「一件落着、かしら?」

 

「……はぁ。まあ、本人たちで納得したなら、いいか」

 

その様子に、三人と一匹は各々の感想を口にする。収まるところに収まったことで、ようやく騒がしい朝は落ち着きを取り戻そうとしていた。

 

だが。

 

「朝倉……お前には後できっちり話を……どうした?」

 

先程から一切微動だにしない朝倉を見て、様子がおかしいことに気づく。

 

『……感動的なところを悪いが』

 

朝倉和美は、突如そんなことを言いながらゆっくりと立ち上がる。そして、その顔をあげると。

 

「っ! オイまさか!?」

 

目が、狂喜の色を浮かべていた。

 

『……まだ、終わらせるつもりはない……クキキッ』

 

千雨はその目を知っている、覚えている。

 

それは、暫く前に起こった"あの事件"の首謀者のものと、全く同じものであった。


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