二人の鬼   作:子藤貝

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第三十四話 修学旅行三日目(午前)②

ネギ達が突入を果たした一瞬後。太秦の映画村にて。

 

「この感じは……!」

 

「せっちゃん、どうしたん?」

 

「い、いえ。なんでもないです……」

 

険しい顔になっていた刹那に、木乃香がそう尋ねるも彼女は問題はないと返した。やや怪訝な顔をしたものの、木乃香は土産物屋の奥へと一足先に進んでいった。それを見送った後、再び刹那の目つきが鋭さを帯びた。

 

(式神とのパスが途絶えた……いや、繋がってはいるが感覚がつかめないな……遮断系の結界か……? やはり罠があった……と考えるべきだな……)

 

式神との感覚共有が突如遮断され、連絡が途絶えてしまった。幸い、繋がりそのものは切れていないため式神が自動消滅したとは考えにくいが、何らかのアクシデントが起こったと見てまず間違いないだろう。

 

「……どうしたです? 刹那さん」

 

「あ、いえ。少々考え事をしていただけです、綾瀬さん」

 

いつの間にか直ぐ側にいた夕映にそう返す。神鳴流を学び、気配に敏感な彼女が夕映の接近に気づけなかったのである。刹那は心のなかで自らの油断を反省した。

 

「そうですか。何やら難しそうな顔をしていたので」

 

「気を遣わせてしまったようですね、すみません」

 

丁寧にお辞儀をする刹那。夕映は別にいいと言ったが、刹那の生真面目な性格もあり、最後には夕映が折れて素直に謝罪を受け取った。

 

「そうそう、ちょっと聞きたいですが」

 

「はい、何でしょう?」

 

「のどかを見かけませんでした?」

 

「のどかさん、ですか?」

 

そういえば、と刹那が夕映の隣へと視線を移すが、そこには彼女の親友の姿がない。彼女は普段引っ込み思案な性格もあって、仲の良い夕映と一緒に行動することが多いはず。しかし、周囲を見渡しても件の人物らしき姿がない。

 

「最初に行った神社のところで一旦別れて、ここに集合という手はずになっていたですが……」

 

「うーん……申し訳ありませんが、私は見ていないですね……」

 

「そうですか。迷子になっていないといいですが……おーい、のどかー!」

 

刹那の返答に落胆した表情を見せる夕映。しかしすぐに気持ちを切り替えたのか、刹那に一礼した後大声で彼女の名前を呼びかけながら去っていった。

 

「……皆、無事だといいが……」

 

 

 

 

 

「なんや、もうちっと骨のあるやつや思っとったんやけど」

 

「ぐ、ぁ……!」

 

「かぁーっ、男が蹴り食らったぐらいで情けない声出すなや!」

 

戦闘が始まってから僅か5分。ネギは地べたに頬ずりをしていた。いや、叩き伏せられて這いつくばっているのだ。魔法障壁は割られ、彼は無残な姿となっていた。

 

(動きが、見えなかった……!)

 

彼の身に何が襲いかかったのか。それは単純明快なもの、最もシンプルなこと。圧倒的な速さで接近され、受けたことのないような強烈な連撃を叩きこまれた。

 

ただそれだけ、だがそれだけのことが脅威であった。

 

「所詮西洋魔術師なんざ、この程度っちゅうわけか。期待して損したわ」

 

やれやれといった様子で、至極退屈そうに欠伸まで噛み殺してみせる。この場を支配する者の余裕の現れか、それとも怒りを誘って立ち上がることを望んだ挑発か。いずれにせよ、この少年、犬上小太郎が上で、ネギが下であるという状況は変わりない。

 

(マズイ……魔法使いにとって一番相性が悪い相手だ……)

 

魔法使いは接近戦では不利だ。特に、遠距離から魔法によって攻めることが主流である西洋の魔法使いたちは体術などを学ばないことも多い。元々、従者や契約者、あるいは召喚した魔物などによって前衛を固め、その隙に魔法を詠唱するといった手法を取るため、そもそも体術を学ぶ必要性が少ないのだ。

 

しかし、だからこそガチガチのインファイター相手では苦戦を余儀なくされてしまう。それらを克服するために体術も学んで前衛と後衛両方を担える魔法剣士というスタイルもあるが、生憎ネギは後者ではなく前者なのだ。数少ない対策としての魔法障壁も、気で強化された拳で抜かれてしまった以上意味を成さない。

 

「くっ、ラス・テル・マ・スキル……」

 

キーを唱え、魔法を放つために準備を整える。

 

「遅いわアホ」

 

「ぐあっ!?」

 

だが、余りにも隙だらけな彼を、小太郎が攻撃しないはずもない。一小節さえ唱えられないまま顎に強烈な一撃をもらう。目から火花が飛び出してきたのではないかと思うほど、目の前がチカチカとする。足元はおぼつかず、視界がグラグラと揺れて焦点が合わない。

 

「先生っ!?」

 

傍からネギを見守っていた千雨が叫ぶ。しかし、今のネギには彼女の姿が二人にも三人にも見えてしまう。まさに満身創痍といった状態だった。

 

「……俺も弱い者いじめは好かん。親書っつーのを渡すんなら見逃したる」

 

圧倒的な実力差に、さすがにこれ以上戦うことを望まない小太郎はそんな提案をする。しかし、それを聞いてふらふらとしていたネギが足を踏みしめて強引に体勢を戻した。

 

「い……や、です……!」

 

「意地っ張りな奴やなぁ……けど、嫌いやないでそういうとこは!」

 

中々に歯ごたえのある相手だと理解した小太郎は、再度ネギへと突貫した。

 

 

 

 

 

「くそ、どうしようもねぇ……!」

 

千雨はもどかしさを感じていた。彼女の首に下がっているペンダント、その中に封じられた人物によって引き起こされた先日の事件。千雨は終始サポートに徹するほかなかった。素人でしかない彼女にはしかたのない事であったが、どこか歯がゆさを感じた。

 

次いで一昨日の夜、今度は仮契約によって力を得た。それによって犯人の追跡が可能となったが、あくまでそれは電子世界にて真価を発揮するものだったからだ。現実ではただの棒切れと同等でしかなく、途中でバテて離脱を余儀なくされた。

 

(また、また私は何もできないってのかよ……!)

 

そして今。今度は無間方処の咒によって閉じ込められ、何もできないでいる。魔法に関しては素人であり、結界の解呪はできない。戦闘など論外である。完全に足手まといだった。悔しさで奥歯を噛みしめる千雨。

 

『……クキキ、力がほしいか?』

 

そんな彼女に何者かが声をかける。アルベールではない、彼は今目の前で戦っているネギを応援し続けている。ちびせつなも、結界の基点を見つけようと、小太郎に気付かれないようこっそりと離脱していた。

 

では、一体誰が。

 

「……散々(だんま)りだったくせに、どういう風の吹き回しだ?」

 

『何、悔しそうな顔をしているんでな。大方力のない自分にもどかしさを感じていたんじゃないか?』

 

「ハッ、だったらどうする。お前が手を貸してでもくれんのかよ?」

 

ペンダントの人物、本来の美姫の人格が話しかけてきたのだ。今朝、朝倉和美を教唆してネギを追い詰め、挙句体を乗っ取ろうとした人物。最終的に千雨と精神が繋がってしまい、一蓮托生の関係となってしまった相手は、今の今まで完全に沈黙を保っていたはずだった。このタイミングで話しかけてきたことに、千雨はきっと裏があると踏んでいた。

 

(力がほしいかだって? どうせ私を(そそのか)そうとしているに決まってる)

 

『……言っておくが、今回に限っては他意はないぞ。私は貴様に手を貸してやろうと言っている』

 

疑惑の目を向けてくる千雨に、彼女はそういう。あまりにも胡散臭い言葉に、千雨はますます疑いの心を膨らませていく。

 

「おい、どうせならもうちょっとひねった方がいいんじゃねぇか?」

 

『……どういう意味だ』

 

「私を騙すんなら、もうちょっとマシな言葉を選べよ。どう考えたって私をどうこうしようって魂胆が丸見えじゃねぇか」

 

言い方がやや荒っぽくなっていることを、千雨は心の隅で自覚していた。今のどうしようもない状況を打破できない苛立ち。それをペンダントの彼女へとぶつけていることに千雨は気づいていた。

 

『クキキ、どうした長谷川千雨。普段の冷静さが欠片も見当たらんぞ。今の状況への歯がゆさで私にあたっているのかな?』

 

「……それ以上なんか言ってみろ、石を叩き割るぞ」

 

『いいのか? 精神がつながっている以上、私が死ねばお前の精神も道連れだ。それとも、君には破滅願望でもあるのかな?』

 

「黙れっつってんだろッ!」

 

ペンダントの石を、右の手で握りしめる。怒りのままにペンダントを引きちぎろうとするが、死の恐怖が脳裏をちらついて腕が凍りつく。だが、彼女が思い留まった理由ははそれだけではない。冷静さを取り戻した千雨は歯ぎしりをしながら、彼女はゆっくりと掌を開いた。

 

「……てめぇ、本気で私を道連れにするつもりだったな……!」

 

『クキ、やはり貴様は厄介だよ長谷川千雨。怒りのままに死にゆけば、今の味方の少ないネギ少年は苦境に立たされるだろう。死の恐ろしさもあっただろうが、そこを理解して冷静に分析したのは驚嘆に値する』

 

「……てめぇらにとって、ネギ先生は大切な英雄候補じゃねぇのか?」

 

『ああ、その通りさ。だがな……私は憎いんだよ、ネギ・スプリングフィールドが! 私に敗北を与え、こんな屈辱的な状態になる原因となったあいつが!』

 

ペンダントの彼女が吐露したのは、どす黒い憎悪であった。千雨は知らない。彼女が新入りとして異例の幹部へ抜擢され、それに伴い大事な計画の進行を担い、その責務を果さんとしていたことを。それを、自身の過失もあったがネギと千雨によって妨げられ、仕置きとしてペンダントの姿にされた。それだけなら、まだ彼女も我慢ができた。

 

だが、今朝の事件。それを想定外の事態とネギによってまたも妨害され、挙句こんな有り様になった。せっかく与えられたチャンスをものにできず、二度目の失態を犯した。最早、彼女の立場そのものが危うくなってしまったのだ。敬愛してやまない、組織の長と共にいるには、幹部としての立場が必要だというのに。

 

『だからこそ、私はあいつの苦しむ姿が見たい……あんな小物に甚振られるのではなく、私の手によってッ!』

 

そのためならば、千雨を道連れに自分が死んでも敵わない。だからこそあんな挑発をした。千雨はペンダントの彼女から感じた狂気に、背中に冷たい汗が流れ落ちた。

 

『そのためなら、私はプライドだって捨てる……あいつを苦しめるためなら何だってやってやる。お前を道連れにしようとも、な』

 

「……だから私に協力するとか言い出したのか」

 

『その通りだ。私なら、あの程度のガキなど簡単に止められる……と言いたいが、私の体は今はない。何より貴様と精神で繋がってしまっている。そこでだ……』

 

「っ! 私の体を貸せってことか!? ふざけてんのかテメェ!」

 

相手の言わんとする事に、千雨は冗談ではないと思った。散々こちらを苦しめ、今朝方は和美や自分の体を乗っ取ろうとした相手に体を明け渡すなど、自殺行為もいいところだ。

 

『いいのか? 私ならあのガキを止められるのに』

 

「今お前が言ったこと思い出してみろ! 先生を憎悪してるテメェに体なんかやったら、それこそ取り返しがつかねぇに決まってる! 大体てめぇが止めてくれる保証なんざねぇだろ! そもそも体を動かす権利を渡して、返すって保証もねぇ!」

 

『ああ、その通りだ。……だが、現状ではそれを証明する方法がある』

 

「……何?」

 

『今のお前と私は精神で繋がった、いわば二重人格に近い状態だ。……だが、お前の精神力が強すぎて主導権が握れない。もし出来ているのら、とっくに奪っているからな』

 

そう、彼女が体を乗っ取れなかったのは偏に千雨の精神力の強さのせいだ。だからこそ、接続された状態にも関わらず一切の干渉ができないのである。

 

『おい、エロオコジョ』

 

「な、なんだってんだよ?」

 

ネギの戦いの行く末を見守っていたアルベールは、突然話しかけられ、戸惑いを隠せない。それがペンダントの彼女からでは尚更だ。

 

『精神魔法について聞くが。2つの精神が肉体に同居している場合、精神力が優位の方が常に肉体の所有権を有する。また、元の肉体の精神のほうが優位を得やすい。そうだろう?』

 

「そ、その通りだが……なんで急にそんなことを聞いてくるんだ?」

 

『お前には関係のない話だ』

 

そう言って一方的に会話を切ろうとするが、千雨が待ったをかけた。

 

「……ちょっと待て。おいエロオコジョ、精神力が優位なら、体を動かしてる精神があっても割り込めるのか?」

 

「は、はいそうっス。……って姐さんまさか!?」

 

「つまり、私が使用権を一時譲っても、私の意思一つで取り返せるってことか」

 

アルベールという味方側の言葉から、体が返されるという保証を得た千雨。一方アルベールは、彼女の何かを決意した顔から質問の真意を理解し、慌てて止めようとする。

 

「ダメダメダメっす! 体を渡したりなんかしたら、何をされるかわかったもんじゃないっすよ!?」

 

「ああ、私だって本当なら嫌だ。……だがな、現状ネギ先生を助ける方法はこれっきりだ。長瀬も神楽坂も桜咲もいねぇ、だったら私らで何とかするしかねぇだろ」

 

「で、ですが……」

 

「これから先……自分の体一つ差し出す覚悟もできなきゃ私はついていけねぇ、そんな気がするんだ。先生にばっか任せてられっかよ……!」

 

それが、彼女なりに考えだした結論なのだ。アルベールは最早それ以上口を開くことができなかった。

 

『クキキ、契約成立ということでいいな? では、さっさと明け渡してもらうぞ』

 

「……つっても、どうやるんだ?」

 

『何、私とお前は精神がつながっている。意思一つで自在だ、目を閉じて念じてみろ』

 

そう言われ、千雨は目をゆっくりと閉じ、小さく息を吐く。緊張感からくるものか、それとも他人に体を渡すという恐ろしさからくるのか。それは千雨にもわからない。

 

十と数秒後。彼女はゆっくりと目を開く。その瞳に宿っているのは、高潔な精神ではなく、暗く淀んだ狂気であった。

 

「あ、姐さん……?」

 

「……クキキッ、私は千雨ではない。残念だったな?」

 

「ほ、本当に体を! なんてこった……!」

 

「ふむ。しかし、この先長谷川千雨と私を混同されるのも困るな……」

 

彼女はそう言うとしばし考えこみ。

 

「よし、今日から私のことは氷雨(ひさめ)と呼べ」

 

『なんでそんな呼び分けづらい名前にすんだよ!?』

 

我ながらいい名前だとでもいうように笑みを浮かべて言う氷雨へ、ペンダントから千雨のツッコミが飛んできたのであった。

 

 

 

 

 

「……久しぶりね、Mr.フランツ」

 

「ケッ、相変わらず陰気な顔しやがってぇ」

 

麻帆良学園、図書館島の地下深く。柳宮霊子は久方ぶりの知り合いと対面していた。相手の名はフランツ・フォン・シュトゥック。組織の幹部の一人ながら下っ端呼ばわりされている悪魔だ。彼はとある任務をこなし、その報告のためにここへとやってきていた。

 

「ったく、仮にも上位悪魔の私をこき使いやがってぇ……」

 

「あら、寄り道でもしていたの?」

 

「ちょいとなぁ、帰りがけで京都とかいう古くてカビ臭い都市に寄ったんだがぁ、そこで最悪なことにアスナのやつにとっ捕まっちまってぇ……」

 

「ああ、向こうじゃ美姫の失態を補填するために作戦行動中だから」

 

珍しく他人に愚痴を吐くフランツ。メンバーの中でも良識がある方である霊子は、フランツにとって数少ない本音で語れる相手だ。彼女が使役しているロイフェが、彼の古い馴染みであることもそれに貢献している。

 

「知ってるぜぇ。んで、俺は奴に美姫の人格が入ったペンダントをガキにつかませるよう指示された」

 

その言葉に、霊子は眉をひそめる。作戦行動に、そのようなことはなかったはず。だとすれば、後から追加された作戦なのだろうかと思案する。

 

「まあいいさ。私の仕事は完了、あとは暫くフリーだぁ。せいぜい観光でもするとしようかねぇ」

 

「……しっかりやってきたんでしょうね?」

 

「私を疑ってるのかぁ?」

 

「手を抜いてでもみなさい、アスナに殺されるわよ」

 

そう言って、彼女は妙な香りと色合いの紅茶を口に含む。さしもの悪魔であるフランツも、彼女のこの奇っ怪な趣味は理解できない。爵位級悪魔であり、かつては自分の領地も持っていた貴族である彼は、中々にグルメなのである。

 

「……毎回思うがよぉ、霊子はアスナが怖いのかぁ?」

 

ふと、フランツがそんな質問をする。いつも話をする時、彼女はアスナの指示にはしっかりと従えと言うのだ。まるで、彼女を恐れているかのように。

 

「……ええ。彼女は怖いわ」

 

「友人関係だったと思ったがぁ、もしやその関係も打算からきてるってわけかぁ?」

 

「……正直、そういう意味合いも含まれているわ。けど、彼女のことは大切な友人だと思ってもいる」

 

テーブルに置かれた呼び鈴を一振りし、鳴らす。すると背後に黒い靄のようなものが集まり、彼女が飲んでいたティーカップを持ち上げる。そして、そのまま奥の暗闇へと消えていった。

 

「まるでウェイターか執事だな。ま、あいつも収まるべきところに収まったのかもなぁ。んで、お前にとってアスナはどんなやつなんだぁ?」

 

指を(はじ)いて鳴らし、テーブルから少々離れた場所にある本の山から、分厚く、厳かな装丁が施された一冊の本を手元まで呼び寄せる。そしてその本を開きながら、彼女はフランツの質問にこう答えた。

 

「そうね私にとって彼女は……組織で最も恐ろしい人物、かしら」

 

 

 

 

 

「案外脆かったわね。ちょっと不満足かも」

 

目の前の光景を見ながら、まるで運動不足であるかのような言い方。だが、その平然とした佇まいが何より異常であった。

 

「キ……キ、キィ……」

 

「うんうん、まだ死んでないのは偉いわ」

 

アスナの眼前では、悲惨な姿となった鬼蜘蛛がいた。8本の足の内、6本がちぎれ飛び無くなっている。根本から千切れたものもあれば、関節部で無くなっている足もあり、そこから青黒い体液が流れ出ている。8つあったはずの目は3つが焼け爛れ、2つが潰れ、残った3つが辛うじて無事といった有り様。腹は裂け、中から飛び出してはいけないであろう器官と思しき物体が垂れ下がっている。牙は折れ、口から体液が滴っていた。

 

何より恐ろしいのは、それだけの状態であった辛うじて生きているということ。奇跡的に死なずにすんでいる? いいや、そんな生温いものではない。

 

鬼蜘蛛は生かされて(・・・・・)いるのだ(・・・・)。情けでも何でもなく、ただアスナが自らの鬱憤を晴らすためだけ(・・)に。

 

「遊びすぎちゃったわね。そろそろネギ達の様子を見に行かないと」

 

「グ、ギ……」

 

鬼蜘蛛が抱いていたのは、死への恐怖ではなくやすらぎであった。死にたいほどの苦痛や恐怖の生地獄を、ようやく抜け出せるのだから。

 

「ああ、もしかして殺して欲しい?」

 

アスナがニンマリと、まるで花のような笑顔で微笑む。鬼蜘蛛は破れた腹の痛みも忘れ、それを肯定するのに必死に声を出す。早く殺してくれ、早く楽にしてくれと。その様は、まるでアスナという少女に救いを求めるかのような、酷く歪な光景であった。

 

「そっか。じゃあやめた(・・・)

 

そう言うと、彼女はくるりと反転してネギ達のいるであろう方向へと歩き出す。求めていた答えとは違うアスナの行動に、鬼蜘蛛は悲痛な声を上げながら懇願し続ける。絶望の中で神に祈り続ける敬虔な教徒のように。

 

だが、その祈りが通じることはなく。

 

「ガ……ァ……」

 

最後には自らの生暖かい体液の中でゆっくりと冷たさを感じ、消えることのない痛みとともに崩れ落ちた。式神でありながら、送り返されることもなく。ただそこに初めから存在しなかったかのように空気に溶けて消えていった。

 

「あーあ、あんまり楽しめなかったなぁ……」

 

鬼蜘蛛のことを考え、再度ため息を漏らす。あまり期待はしていなかったものの、予想以上に柔で耐久力が低く、アスナが調整しながら甚振っていなければとうに死んでいたであろう。殺さない程度で痛めつけ続けたせいか、ストレス解消にもあまり役立たず、不満は解消されなかった。尤も、アスナの求める最低値が高すぎるせいもあるのだが。

 

何より、最後に死を求めてきた点がマイナスだった。怯え竦み、それでもなお生に対する執着が見えたからこそ鬼蜘蛛を嬲り続けたのだ。だが、最後には死を享受するだけの畜生へと成り下がった。彼女にとって、それは殺す価値さえもないのだ。

 

「さて、向こうはどうなってるかな」

 

気配を消し、ネギ達の様子を観察する。どうやら、小太郎という少年によってネギが一方的に殴られているようだ。

 

(ふーん、結構やるわね。けど、候補としては対象外かしら)

 

小太郎も筋はいいのだが、如何せん現状ではただの戦闘狂でしかない。戦いを楽しむというのはいいが、楽しい戦いばかり知っているせいで戦いの狂気を知らないようだ。いつか壁にぶつかった時潰れる可能性が高い。戦いの酸いも甘いも理解した上で、その狂気的な本質を愉しむ事ができなければ戦闘狂としては失格だろう。

 

(ん? 千雨ちゃんの様子がおかしい……?)

 

先ほどまで傍観を余儀なくされていた千雨の雰囲気が変わった。代わりに、よく知っている人物の感じが現れてくる。

 

(もしかして、美姫と入れ替わった……?)

 

美姫の人格が封じられたペンダントは千雨が持っている。精神が接続され、しかし千雨の精神力が高いせいで乗っ取りができずに終わった彼女だが、千雨が許可さえ出せば入れ替わり自体は可能だ。

 

(あっ、ネギ達の方に突っ込んでった……なるほど、戦闘に参加できないもどかしさから、美姫に体を貸すことを提案されて乗ったわけか)

 

なかなか面白いことになってきたと、アスナは木々の間から様子をうかがう。魔法世界最悪の怪物の一人は、事の推移を静観するのみに留まり、行く末を観察し始めた。

 

 

 

 

 

「……う……くぁ……」

 

揺れる、揺れる、揺れる。この世が反転したかのようにめまぐるしく動いていく。天地がひっくり返り、呻き声が出るがなおも体は地につかず。ネギの精神力が肉体を奮い立たせ、尚も地につくことをよしとしないのだ。

 

「……ええ根性しとるわ。ここまでズタボロになってまだ戦おうっちゅう根気は認めたるわ。だから……」

 

賞賛の言葉を送り、小太郎は自らの影から、犬の姿をした黒い何かを出現させる。それは彼にとっての式神のような存在であり、狗神と呼ばれるもの。それが5、6体出現した。

 

「ええかげん、楽になれや」

 

疾走して襲いかかる狗神。あまりのスピードに、満身創痍のネギは反応できない、いや、たとえ万全の態勢であっても無理であっただろう。

 

「……ま、け……る、もん……か……!」

 

それでも、彼は挑む。この程度の逆境、乗り越えられずして何が東西の和平か、何が一人前の魔法使いか。歯を食いしばり、杖を構えて眼前の敵を睨む。大口を開け、ズラリと並んだ牙が迫る中、ネギはそれを迎え撃とうとした。

 

そんな時であった。

 

「キャイン!」

 

狗神が、悲鳴を上げながら横へ吹っ飛ばされた。そしてそのまま溶けて消え、跡形もなくなる。他の狗神も、別々の方向へと吹き飛ばされていき、同様に消えてしまった。

 

「な、何が……」

 

「私だよ、ネギ先生」

 

驚きのあまり漏れでた言葉に、何者かが返事を返す。それはとても聞き覚えのある、一人の少女のものであった。

 

「ち、千雨さん!?」

 

見れば、千雨が不敵な笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。その手にはネギの持ち物である子供用の練習杖が。それはネギの鞄の中にしまっており、その鞄は千雨に預けられていたため、千雨が持っていてもおかしくはないが、千雨は魔法に関しては素人なはずである。

 

「生憎、私は長谷川千雨ではないよ。クキキッ」

 

「っ! その雰囲気、まさかペンダントの!? 千雨さんを返せ!」

 

千雨が乗っ取られたのだと思ったネギは、杖を構えて彼女を睨んだ。

 

「安心しろ、今回は私は味方だ」

 

「……どういうことですか」

 

『すまねぇ先生。私がコイツの提案に乗ったんだ』

 

「千雨さん?! 一体どうして……」

 

『……いつまでも足手まといってのは癪だったんでな。私は戦えないが、体を張るぐらいならできるってことだ』

 

ネギはその言葉で理解した。千雨は自らの力の無さを嘆いていたのだと、だからこそ体を貸してまでこの戦いに割り込んだのだと。

 

「……千雨さん」

 

『気に病むことはねぇよ、先生が責任感が強いことだってわかってるし、私のことで気負っちまうことだって考えたさ。だがな、これは私の決断だ。私なりにできることを考えた結果なんだ。だからやめろなんて言ってくれるなよ?』

 

「……はい。千雨さんがそう決断されたというのなら、僕はこれ以上何も言いません。でも、大丈夫なんですか?」

 

「残念なことに、体の絶対的な所有権は長谷川千雨のものだ。私は貸し与えられているだけに過ぎん」

 

『それに、どうせこれから暫くはコイツと付き合うことになるんだ、利用できるってんなら利用するまでさ』

 

「クキキ、私のことは氷雨と呼んでくれネギ先生。これからよろしくな?」

 

千雨が普段見せないような、どこか狂気じみた笑みを見て不安を覚えるものの、今のネギにはどうすることもできない。時として、流れに任せるということも大事なことだ。

 

「なんや、素人かと思っとったけど案外やるみたいやん」

 

小太郎が愉快そうに言う。一対一のタイマンを好む小太郎であるが、一方的に嬲るのは好まない。ネギを追い詰めてはいたものの、どこか退屈さを感じていたのかもしれない。だからこそ、この想定外の事態に喜んでいるのだろう。

 

「クキキッ、小太郎とか言ったな? ここからは私も相手してもらおうか」

 

「うーん、女殴るのは趣味やないんやけど……ええわ、ネギも根性はあるけど弱っちいし、このぐらいのハンデは全然OKや!」

 

小太郎の言葉に、ネギはむっとした表情となる。先ほどまで戦っていた相手に、ストレートに弱いなどと言われてはネギとしても納得がいかなかった。彼も歳相応の少年であり、そういった男の子特有の意地だって持ち合わせているのだ。

 

「ふむ……」

 

その表情を見て、氷雨は何やら思案したような顔をする。次いで意地の悪そうな笑みを浮かべると。

 

「前言撤回だ。一時退却といこう」

 

「は?」

 

「え?」

 

このまま戦闘に突入すると思っていたネギと小太郎から、間抜けな声がこぼれ出す。そして氷雨は、ネギを抱えると。

 

「戦術的撤退!」

 

「は、あ、え!?」

 

林に向かって勢いよく走りだしたのだ。さしもの小太郎も突然のことに脳の処理が追いつかず、硬直してしまう。が、そこは仮にも戦闘者。

 

「逃げんなコラッ!」

 

すぐに意識を切り替え、走り去ろうとする氷雨を追走する。

 

「前の体よりは体力はあるが、それでも走るのは辛いな……」

 

『うっせぇ! こちとらインドア派なんだよ!』

 

元々美姫は虚弱な体であったため、一般人としては体力がない方の千雨の体でも大して不満はないが、それでも走るだけで息切れしそうである。既に小太郎が手が届きそうなほどの距離まで迫っている。

 

「足止めはしないとな。アラ・オラ・ハーベル・イウカーリ、『惑いの霧』」

 

「な、なんやこれ!?」

 

突如放たれた水粒に、小太郎が一瞬怯む。水の粒子は瞬く間に広がり、周囲の景色を遮断する霧へと発展していった。

 

「クソッ、逃げられた! しかも霧が匂いを洗い流しとるっ!」

 

彼女が放った『惑いの霧』は、中級魔法でありながら妨害という一点においては非常に有効な魔法である。なにせ霧によって周囲の景色を阻み、匂いを洗い流してしまう。更に霧の中にいる者の方向感覚を狂わせるのだ。

 

「戻ってこーい! 俺と勝負しろー!」

 

小太郎の大声は、虚しく霧の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

「クキキッ、まさに五里霧中だな」

 

「に、逃げ切れたみたいっすね……」

 

林の奥、休憩所らしき場所にて一息つく一行。自販機を発見し、硬貨を突っ込んで適当なものを選んでボタンを押し、目的のものを吐き出させる。

 

「そら、お茶でいいかな?」

 

「あ、ありがとう、ございます……?」

 

「疑問形……まあ、しかたのない事か。あくまで敵同士だからねぇ」

 

困惑しつつ礼を言うものの、やはりあれほどの非道を行った相手に心の底から礼を言うことができないでいるネギ。氷雨は、それを気にすることもなく缶のプルタブを引き上げ、中身を飲み下す。

 

『……変な感覚だな。味覚もないのに味を感じるぞ』

 

「クキキッ、普段は私がそうなるんだろうな。そう考えると、貴様の付属品になるという屈辱以外は楽しめそうだ」

 

「でも、これからどうしましょうか……」

 

逃げられたとはいえ、ここは閉鎖状態の空間だ。いつまでも逃げ続ける訳にはいかない。何より、足止めをされている以上木乃香にも危険が迫っているかもしれないのだ。

 

「ネギ先生~!」

 

「あ、ちびせつなさん!」

 

そんな一行の元へ、結界を調べていたちびせつなが戻ってくる。氷雨が発生させた霧によって迷い続けていたらしく、ようやく出られた場所がここだったようだ。

 

「結界の基点は、残念ながら発見できませんでした……」

 

「そうですか……やっぱり、彼を倒して術を解いてもらう以外なさそうですね……」

 

諸々の事情を彼女へ伝え、ちびせつなは結界の基点が発見できなかったとお互いに情報を交換しあう。アルベールは、氷雨が魔法を使っていたことを思い出し、結界を解けないのか尋ねてみた。

 

「あんたは魔法が使えんだろ? 解呪とかできねぇのか?」

 

「私も魔法はあまり得意ではないんだよ。あくまで補助的に扱えるだけだ。それに、私は肉弾戦は苦手だし、長谷川千雨の肉体的スペックが低いこともあって近接戦は不可能だ。せめて何か魔法具があれば別だがな」

 

『……そういや、思い出してみりゃお前倒せるとは言ってなかったな』

 

そう、あくまで止められるといっただけで、倒せるなどとは言ってなかったのである。まさにモノは言いようであった。

 

「別に騙したわけではあるまい?」

 

『てめぇが隠し立てするのが好きだってのはよく分かった。今後はテメェの一言一句を注意深く探らせてもらうぞ』

 

「クキキ、怖い怖い」

 

殺伐とした空気を発する二人に、一同は話しかけることもできずにオロオロするだけだ。

 

「ほ、本当に大丈夫なんでしょうか?」

 

「う、うーん……?」

 

「俺っちは不安ですぜ……なにせ相手は『桜通りの幽霊』っすから」

 

微妙な空気が漂う中、それを打ち破る出来事が起こった。

 

「! 誰だっ!」

 

背後の茂みから、葉がこすれ合う音がしたのだ。ここは閉鎖された空間、出ることはできないし、楓がやってこないことから察するに入ることもできないはずだ。ならば、そこにいるのは動物か先ほどの少年か、あるいは新たな刺客か。

 

「ふえぇ……やっと人がいた……」

 

しかし、現れたのは彼らの予想を裏切る人物であった。

 

「あ、あれ!? なんでネギせんせーが……!?」

 

「の、のどかさん!?」

 

別行動をしているはずの宮崎のどかの姿が、何故かそこにはあった。


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