二人の鬼   作:子藤貝

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揺れ動く心。少女は選択を迫られる


第三十六話 修学旅行三日目(午後)

「うーむ、仕掛けは分からぬがどうやら中には入れないようになっているでござるな……」

 

小太郎によって結界外へと吹き飛ばされた楓は、ネギたちと合流するために神社の様々な場所から侵入を試みたが、どれも不発に終わった。どうやら、不可侵の結界が張られているらしく、触れた瞬間に外へと弾き出されてしまうらしい。

 

「結界破壊の術では時間がかかりすぎる……」

 

彼女も、それなりにこういった奇妙奇天烈な出来事に遭遇してきた身だ。だからこそ、彼女はそれを打ち破る方法も持っているのだが、生憎それを為すための装備は手持ちにはないうえ、一から作るとなれば時間が大分かかる。まさに八方塞がりであった。

 

「先生方の無事を祈る他ない、か」

 

せめて、彼らが無事であればと考えるが、その望みは薄いだろう。奇襲とはいえ、楓を出し抜いてみせた速攻に、結果以外に飛ばされる直前に見えた相手の雰囲気。あれは、明らかに場馴れした戦闘者のそれであった。

 

取り残された3人の内二人は接近戦は無理だ。残るアスナも、実力的には不明。図書館島の地下で見せた脚力からして、楓や古菲に匹敵する戦闘能力はあるのだろうが、魔法が絡むとなればどうなるかは分からない。

 

「むっ!?」

 

そんなことを考えていた時であった。急に、目の前の景色が歪み始めたのだ。その歪みは徐々に大きくなってゆき、楓は警戒しながらその様子を眺める。

 

やがて、歪みが段々と収まってゆくと、先程まで底にあった光景と同じものが再びそこに形成されていく。

 

いや、一つだけ違う部分があった。

 

「あ、楓さん! ご無事でしたか!」

 

「ね、ネギ坊主! それに他の皆も……!」

 

結界の内部に閉じ込められていたはずの、ネギ一行がそこにはいた。そして。

 

「……! その肩を貸している人物は、もしや……」

 

「犬上小太郎君です。さっきまで僕達と戦ってました」

 

楓を結界外へと吹き飛ばした少年の姿であった。

 

 

 

 

 

「約束通り、結界の基点を教えて下さい」

 

「ちゅーてもなぁ……俺も仕事やから、勝手に外にだすわけにはいかんし、けど負けたのにそれを認めないのも男らしくないしなぁ……」

 

戦闘終了後。ネギは小太郎を魔法である程度治療したあと、結界の基点部分を教えるように迫った。しかし、相手もさすがに戦いに生きてきた戦闘者。自分がなすべき仕事をしっかりと覚えており、中々首を縦に振ろうとしない。しかし、彼個人としては敗北したのに約束を守らないのは納得はできていないらしい。

 

「あの……」

 

そんな彼らの様子を眺めていたのどかが、おずおずと手を上げて声をかける。

 

「……悪いとは思ったんですけど……すみません、見ちゃいました」

 

そして、その手には先ほどしまったはずのアーティファクトの姿が。

 

「……見たって、つまり?」

 

「結界の解除方法、です……」

 

「……俺の葛藤は何だったんや……!」

 

頑なに教えないようにしていた結界の解除方法が、こうもあっさりとバレてしまってはがっくりと項垂れるしかなかった。

 

「あー……もうええわ。悩んでてもしゃーない、元々俺は頭使うんは苦手やし」

 

そう言うと、ふらふらと覚束ないながらも立ち上がる小太郎。そして親指を、ネギ達が入ってきた鳥居の方へと向けると。

 

「約束は守らんとな。結界の基点、教えたるわ」

 

「い、いいの?」

 

「久々に真っ向勝負で戦えたし、俺としちゃ満足や。本当なら一対一(サシ)の勝負で戦いたかったけど、贅沢言えるような立場やないしな。だから、これは俺なりのお前への敬意の示し方ってとこやな」

 

ニカリと、清々しい笑みを見せる小太郎。

 

「あ、ありがとう……」

 

「ええて。けど、次()りあうときは一対一で戦いたいわ。お前、西洋魔術師のくせにど根性あるし、鍛えたら強くなりそうや」

 

「そ、そうかな……?」

 

「俺にあんだけボッコボコにされてまだ立ってるタフさは正直驚いたわ」

 

「クキキ。どうやら、こいつは一旦腹をくくると精神的に大分タフになるらしい」

 

ネギの今までの戦闘を鑑みて、そんな感想を漏らす氷雨。一般人の体だったとはいえ、氷雨に憑依された少女たちにリンチにされた時も、瀕死の状態から立ち上がってみせていたし、彼女の推測はあながち間違ってもいないだろう。

 

『というか、いい加減私の体を返してもらうぞ。もう戦闘はないしな』

 

「はいはい、さっさと返すよ」

 

千雨にそう言われ、大人しく精神人格が交代する。先ほどまでの、冷酷で暗い光を湛えていた千雨の目に、光が戻ってくる。

 

「……うし、元に戻れたな」

 

『クキキ、だから言っただろう。体の所有権は元々お前にあるとな。まあ、これからは私が使うこともあるんだ、あまり無茶はやらかしてくれるなよ』

 

「私の体だ、私の好きにさせてもらう……と言いたいが、いざ戦いになった時に動けなかったら困るな。なるべく注意すべきか」

 

自らの課題に気づいた千雨。修学旅行が終わったら、体を鍛えようかなどと考える。

 

「ほな、いくとする、うっ……」

 

案内をしようと、歩き出そうとしたところで小太郎が片膝をつく。さすがに、あれほどの電撃を浴びた状態ではまともに体が動かないらしい。再び立ち上がろうとした小太郎であったが、そこに手を差し伸べる人物がいた。

 

「……一人で立てるわ」

 

ネギだった。彼は小太郎の右腕を自らの右肩へと回すと、そのまま歩き始める。

 

「けど、ふらふらじゃないか。肩を貸すよ、そうなったのは僕のせいなんだし」

 

「情けなんかいらんて。それに、こうなったんは俺の自業自得や」

 

「だったら僕もだよ。そっちの罠にはまって戦わなきゃならなくなったのは僕の自業自得。君をボロボロにしたのも僕の責任」

 

「……お人好しなやっちゃ……」

 

「そうでもないよ。早くここを出たいって打算もあるし、あわよくば君から情報を引き出したいって思ってる」

 

「普通はその相手にそんなことばらさへんわ、アホ」

 

ネギのそんな言葉に調子を狂わせる小太郎。しかし、不思議と嫌なものでもないなと感じていた。その様子を眺めていた千雨は、思わずニヤリと笑っていた。

 

「へぇ、こりゃ面白いことになるかもな」

 

『……フン、敵対しているものに手を貸すとはな』

 

「けど、ねぎせんせーらしいです!」

 

さて、そんな一行であったが。結界の基点がある鳥居の所まで来たところでようやくあることに気づいた。

 

「……そういや、アスナの奴はどこ行ったんだ?」

 

「あっ!?」

 

『クキキ、忘れていたな』

 

そう、鬼蜘蛛に追い掛け回されて林の中へと消えていったアスナがいないのだ。

 

「あ、アスナさんもいらっしゃったんですか……」

 

後からやってきたのどかはアスナがいたことなど知らなかったが、そういえば関西呪術協会の本部へ一緒にいくと行っていたことを今になって思い出した。

 

「やいやい、アスナの姉さんを追っかけてた蜘蛛をさっさとけせや!」

 

「分かった分かった……? んん? パスが切れとる……」

 

預かった際に、鬼蜘蛛を自由に操れるよう自分とパスをつないでおいたはずなのだが、いつの間にかそれが切れてしまっていたことに小太郎は気づく。

 

「そういや、向こうからのパスが切れとるな。こりゃ、既に消滅しとるわ」

 

「ってことは、アスナが鬼蜘蛛を倒したってのか? 俄には信じがたいが……」

 

「あ、でも図書館島の地下に行った時にアスナさん、おっきなゴーレムを蹴りで破壊してましたよ」

 

「はぁ!?」

 

ネギから飛び出した予想外の言葉に、千雨は思わずそんな声が出た。まさか、自分と同じ一般人だと思っていた人物がそんな超人染みた身体能力の持ち主だとは思っていなかったのだ。

 

「……あれか? 私の周りに普通の人間なんて望めないってことか?」

 

「気をしっかり持ってくだせぇ姐さん!」

 

「よりによって一番ファンタジーじみた奴に慰められた……」

 

『クキキキキッ、コイツは傑作だ! お前まだ自分が一般人だとでも思ってたのかよ!』

 

ペンダントから、氷雨の嘲笑が聞こえてくる。考えてみれば、こんな非日常的な場面に何度も遭遇している時点で自分も一般人とはいえないだろう。が、やはり面と向かってその事実を突きつけられるとやるせないものがあった。

 

「……ま、いいか。どうせ私の平穏は、少なくともあいつを倒さない限りあり得ないし」

 

彼女の人生をねじ曲げ、尚もその尻尾さえ容易に掴ませない存在。学園長の話では明山寺鈴音というらしいが、かの存在があるかぎり千雨に心の平穏は訪れないと言っていい。

 

(……何を考えてるのかは分からねぇが、絶対に、奴らの思い通りになんてさせねぇからな……!)

 

千雨がそんな決意をしていた時。

 

「あ、ようやく見つけた! おーい!」

 

「あ、アスナさんだ!」

 

手を振りながら、アスナがこちらへとやってくる。聞けば、鬼蜘蛛を何とか撃退したはいいが、林の中で方向もわからずに駆け回っていたらしい。

 

「あれ、本屋ちゃん? というかさっき襲ってきた奴も!?」

 

「ど、どうも……」

 

「よー姉ちゃん。鬼蜘蛛倒すなんてやるなぁ」

 

ここにいないはずの少女がいること、そして敵であったはずの少年がいることに驚くアスナに、事情を説明する。勿論、彼女と仮契約をしたこともだ。

 

「へー。あんたも隅に置けないわねぇ」

 

「あ、あわあわ……」

 

ニヤニヤしながらアスナはネギを小突き、それにどう返せばいいか思いつかず戸惑うネギ。なお、彼に肩を借りている小太郎は小突かれる度にゆらゆら揺れるせいで地味に体を鈍痛が襲ってきて辟易している。

 

「ま、とりあえず出られるならいいか。さっさとこんなとこ出ましょ」

 

「そうですね。あと、のどかさんのことも班の皆さんに知らせないと……」

 

「刹那さんにも、このかが危ないってことを教えないとね」

 

「あ……私、携帯持ってたのに、すっかり忘れてました……」

 

「うわ、いつの間にか昼も過ぎてやがる。どうりで腹がへるわけだ」

 

とりあえず、のどかがメールで安否の連絡をするべきなのは明白であった。

 

 

 

 

 

さて、ネギ達がまだ小太郎たちと戦闘を行っている頃。太秦までやってきていた刹那と木乃香は、普段の制服姿ではなく貸出されている衣装に身を包んでいた。

 

「せっちゃん、そのカッコ似合うわぁ」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

刹那が新選組の羽織、木乃香が大名の姫君といった風の格好である。そして、木乃香と同じ班であるハルナと夕映も感嘆の声をあげる。

 

「うんうん、新選組の美少年剣士ってかんじだねぇ」

 

「言うなれば、一番隊組長の沖田総司でしょうか」

 

本来であれば、ここにのどかがいるはずなのだが、彼女は未だ太秦にやってきていないらしく、夕映が探しまわっても見つからなかった。実際には、午前中に行った神社で無限方処の咒によって閉じ込められているのだが。

 

「で、どうだったよ太秦は」

 

「おもしろかったで~。うちらも、地元とはいえ行く機会がなかったから新鮮やったわ」

 

「そうですね、中々興味深かったです」

 

「時代劇の撮影にも使われる場所ですから、町並みもかなり精巧に再現されているです」

 

実は、刹那と木乃香は夕映達とは別行動で先に太秦にやってきていた。なにせ、彼女らは京都出身であり、神社仏閣には慣れ親しんでいる彼女らは今更見知った神社に行くのも気が乗らず、先に太秦へと向かったのだ。

 

ただ、これはあくまで表向きの理由、建前だ。本当は関西呪術協会から少しでも木乃香を遠ざけようと、刹那が態々提案したのだ。珍しく刹那がそんなことを言ってきたため、木乃香は彼女と信仰を深めるチャンスだとして乗り気になり、他の面々も賛成してくれた。

 

「うーん、でもせっちゃんがまだお固い感じがするんはなぁ……」

 

「申し訳ありませんが、私はあくまでもお嬢様の護衛ですので……」

 

「そっか……」

 

やや意気消沈気味の二人を見て、ヒソヒソと話すハルナと夕映。

 

(なんか、ややこしい感じになってるねぇ)

 

(このかも、色々と苦労しているようですね)

 

(間を取り持ってあげたいけど、こればっかりは本人たちの問題だしなぁ……)

 

二人の微妙な距離感は、本人たちで解決できなければ根本的な解決にはならないだろうと、ハルナは結論づける。夕映もハルナの考えに賛成で、願わくばこの不器用な二人が修学旅行をきっかけにより距離が縮まればよいと考える。

 

(……なら、私はいつ自らを曝け出すことができるのでしょうか……)

 

夕映はそんなことを考える。親友と呼べる相手にさえ、頑なに秘密にせざるを得ない事。自分はいつか、それを話すことができるだろうか。

 

『この、裏切り者』

 

(……っ!)

 

思い出すのは、自らを縛る少女の言葉。そうして彼女は現実的な思考に引き戻される。それは、不可能なことであると。

 

(そう、です……こんな私が、許されたいが故にそんな甘ったれたことをするなんて、できるはずがない……そんな資格なんて……私にはない……)

 

誰とて、心に秘めたるものはある。だが、彼女がうちに秘めるそれは、余りに後ろ暗く、どす黒い。

 

「んー? 夕映、どったん?」

 

ハルナに声をかけられ、ハッとなる夕映。慌てて何でもないと言い、怪訝な顔をしながらもハルナはとりあえずは大丈夫だと判断したようだ。

 

「大丈夫……私は大丈夫、です……」

 

ボソリと呟いた言葉は、本人以外の誰の耳に入ることもなく消えていった。

 

 

 

 

 

暗く冷たい奈落の底。見渡すかぎりの本、本、本。その全てが魔法使いたちにとっても忌避される魔書や奇書、或いは禁書であり、読むだけで発狂しかねないような危険な代物もチラホラとある。そんな悪夢を詰め込んだ本棚から、この奈落の主が一冊の本を抜き出す。

 

「……」

 

おもむろに本を開くと、ペラリとページを捲って流し読みする。この行為だけで、並の魔法使いなら精神崩壊を起こして廃人になりかねないが、こと彼女に限ってはそんなヘマはない。あらゆる危険な魔書を読み漁り、禁書の実験を行ってきた彼女、柳宮霊子にとっては。

 

『何か考え事ですかな?』

 

不意に、後ろから誰かの声がかけられる。しかし、彼女の背後には闇が広がるばかりで、誰かの姿などない。いや、しかし誰かの気配は存在する。

 

「……ロイフェ、片付けは」

 

『既に済んでおりますよ、我が主』

 

闇が集い、凝り固まってゆく。不定形であったそれはやがて形を成し、死神のような風貌の悪魔、ロイフェへと変化した。

 

「貴女が何か考え事をしている時は、決まってそうやって読み終わったはずの本へと無意識に手を伸ばされる」

 

「……よく私を見てるわね。さすがに、私が見込んだ悪魔」

 

「光栄でございます。吾輩も、貴女のような聡明な方にお仕えできるが何より愉しい」

 

「縛られることに愉悦を覚えるなんて、契約で自らを縛る悪魔らしい性質よね。あなたはまさに典型的な悪魔だわ。それで、私に話しかけた理由を聞かせなさい?」

 

背表紙にムーン・チャイルドと金字で書かれた本を閉じると、彼女へ声をかけた理由を問う。

 

「いえ、貴女が考え事をしている場合、大抵はすぐにそれを解決されますが……今回は、それがすこしばかり長い。それが気になりましてな」

 

膨大な数の魔法実験を繰り返し、時に疑問にぶつかることは何度もあった。しかし、彼女は自らの優秀な頭脳や、先人たちの残してきた偉大なる知識を用い、それらをすぐに解きほぐしてきた。

 

だが、今回はそれが少々長い。はじめは誤差程度に考えていたが、ここまで思考を埋没させ、無意識的に彼女の癖を誘発するほど考えこむのはここ十数年では滅多になかったことだ。

 

「……知っているでしょう? 私が(・・)目指している(・・・・・・)もの(・・)のことを」

 

「ええ。存じております」

 

「以前見つけた書物の中に、そのヒントになるものを見つけたのよ」

 

「ほぅ、あれ(・・)の手がかりになるものですか」

 

「それで、ようやく残されていた中でも、大きなピースがはまったわ。あとは、私の理論と照らしあわせていけば……」

 

そう言うと、また彼女は俯いて考え始める。その様は、まるで欲しがっていた玩具が、ようやく手に入ることとなりその日を待ちわびる子供のよう。実際には、そんな無邪気なものではないが。ロイフェは溜息を一つ吐くと、再び彼女に尋ねる。

 

「では、彼女が帰り次第実験を行うおつもりで?」

 

「そうね。これでようやく、私の研究は大きく前進する」

 

ロイフェの言葉で意識が戻ってきた彼女は、そう返す。

 

「実験準備は?」

 

「万端でございます」

 

「なら、後必要なパーツは彼女だけね」

 

普段殆ど表情を変えず、気だるけな顔の彼女だが、この時だけは口の端を吊り上げ、歪ませる。

 

「しかし、彼女が協力するでしょうか?」

 

「愚問ね。そのために態々私は彼女を弟子として教育し、私に忠実に仕上げたのよ? 今更拒否ができるほど彼女の心は強くない」

 

弟子にとったのは気まぐれではあった。だが、元々別の目的があったからこそ彼女を弟子として教育したのだ。彼女はその向上心と熱意で霊子のもつノウハウを次々と吸収し、助手として使える程度にまで成長した。

 

しかし、時が経つにつれて、彼女は霊子が気まぐれを起こす理由となったものを薄れさせていった。だから、彼女はそれを思い出させるために虐げ始めた。そして今、最初に出会った時以上のそれを溜め込んでいる。それこそが、霊子の望んだ状態。

 

「希望を知れば、より深く絶望を知るものよ。帰ってきたら、完膚なきまでに壊してあげるわ、夕映」

 

懐から何かを取り出し、それを見つめながら彼女は呟いた。

 

 

 

 

 

午後となり、木乃香たちは昼食の時間を過ぎても未だに戻ってこないのどかのことを心配し始めた。

 

「なぁ、ちょい遅過ぎへん?」

 

「確かに……未だに連絡もなしとは……」

 

「うーん、まさか何かトラブルに巻き込まれたのかも……?」

 

「そうだとすれば大変です、早く探しに行ったほうが……!」

 

ハルナの言葉に、夕映はどこか落ち着きなくそんな言葉を口にする。

 

「まてまてゆえ吉。まだそうだと決まったわけじゃ」

 

「ハルナは心配ではないのですか!?」

 

「いや、私だって心配だけどさ……」

 

普段の冷静さが欠片も見当たらない夕映の姿に、ハルナは戸惑いを覚える。

 

「夕映、少し落ちつこ? 焦ったってしゃあないえ」

 

「……そうですね。すみませんハルナ、少し取り乱していたようです」

 

「いや、別にだいじょぶだって。のどかのことが心配だってのはわかるし」

 

木乃香に諭され、ようやく落ち着きを取り戻す夕映。その様子を見て、このままだと夕映の不安が爆発してしまうのではないかとハラハラしていたが。

 

「あ、メールだ……」

 

ハルナの携帯が突如鳴り、確認してみればメールの着信音のようであった。そして、その差出人を確認すると。

 

「! 夕映、のどかからメールが来た」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「うん、道に迷っちゃってたらしい。どうも電波が届かないところだったせいで、連絡が遅れちゃったってさ。これからこっちに向かうって」

 

「そうですか……よかったぁ……」

 

安堵した表情を見せる夕映。それを見て、やはり夕映がのどかに対して依存気味であることをハルナは再確認した。

 

「んじゃ、ちょいと遅いけどご飯にしようか。のどかはこっちに来る途中で済ませるらしいし」

 

「そうですね。そういえば私もお腹がぺこぺこです」

 

「あ、それでは向こうの蕎麦屋に行きましょう。先ほどは行列ができていましたが、この時間ならば人は少ないでしょうし、蕎麦ならばすぐに食べられるはずです」

 

「ええな~、いこいこ!」

 

友人の安否もわかったところで、遅めの昼食をとろうと店へと向かう。しかし、そんな彼女らの前へ、一人の少女が立ちふさがった。

 

「ふふ、見つけましたえ~」

 

「っ! 貴様は……!」

 

白いゴスロリ衣装に身を包み、同じく真っ白な長い頭髪は風に揺れてなびいている。手には中世ヨーロッパの貴婦人が持つような、縁の部分に羽毛の意匠があしらわれた扇子。そして小太刀が握られていた。

 

「月詠……! 貴様何をしにきた……!」

 

「刹那さん、お知り合いですか?」

 

「……ええ、少々」

 

夕映に尋ねられ、刹那は知り合いだと認めたくないながらも、話をややこしくするよりはマシだと考え、そうだと回答した。

 

「うふふ、先輩にお会いしにきただけ、ですよ~」

 

「大方、お嬢様を攫いにきたのだろう!?」

 

「それもありますけど、一番の理由は先輩ですえ」

 

月詠はそう言うと、扇子を開いて口元を隠す。一見すれば目元は笑っているように見えるが、瞳の奥に見え隠れしているのは戦闘への渇望と狂気。しかし、それに気づけたのは刹那ただ一人のみ。

 

「戦いたくてウズウズしとるんです~。今はまだ、先輩とうちは敵同士どすから」

 

「戦闘狂め……」

 

「受けてくれますやろ?」

 

「断る。貴様ごときにいちいちかまっている暇などない!」

 

「そうですか~、それはお嬢様と回る時間のためどすか? それとも……」

 

姉さんへの回答を考えるためですか?

 

「っ!」

 

「うふ、そんな怯えた顔をされると、ぞくぞくしてしまいますえ~」

 

月詠は扇子を畳み、懐へしまうとおもむろに手袋を外し。

 

「それ~!」

 

「っ、なんの真似だ!」

 

刹那へと手袋を投げつけた。それはつまり。

 

「お嬢様を賭けて、決闘を申し込ませていただきますえ」

 

その様子を眺めていた周囲の人間は、少女を巡っての決闘だ、愛憎劇だなどと野次馬気味に囃し立て始めた。ハルナも、何やら面白そうなことになってきたとにやけ顔だ。

 

「うふ、うちもお仕事せんとお駄賃頂けないんどす。だから、決闘を断ると先輩がおっしゃるなら強行手段もあり得ますえ?」

 

「…………」

 

「改めて聞きますえ。受けて頂けますやろ?」

 

「……分かった」

 

「では、一時間後に橋のほうでお待ちしてますえ」

 

彼女の返答に満足し、笑みを浮かべたまま彼女は立ち去っていった。

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、あれってどういうこと?」

 

「あ、あまり話せるようなことでは……」

 

「このかに対して横恋慕? それともまさか刹那さんを巡る三角関係!?」

 

「ち、違いますよ!?」

 

ハルナからの怒涛の質問攻めに、刹那はオロオロとするしかない。先ほどまでの剣呑な雰囲気はそこにはなく、歳相応の少女らしい部分が表面に出ていた。

 

「ハルナ、あんませっちゃん困らせんで。あんましつこいと怒るえ?」

 

「えー、だってお堅いイメージの刹那さんからこんなラブ臭漂う話が出るなんて思わなかったし! そこんとこ、このかはどーなの!?」

 

「黙秘権を行使するえ」

 

テンション高めなハルナに、木乃香は口を閉ざす。彼女が何者で、刹那とどんな関係があるのか知らない木乃香は、内心穏やかではなかったが。そんな彼女の内心も知らず、面白そうにしているハルナ。

 

(どうも二人の仲がこじれてる原因がありそうな気がするのよねぇ。ここでそれが解決できれば、二人の仲は解消されるはず!)

 

尤も、彼女の場合はこのお祭り騒ぎを利用して、木乃香と刹那の距離を縮めようと考えての行動でもあったりする。なんやかんやで、彼女は友人のために一肌脱ごうとする人物なのだ。そして、何気に刹那の過去に関係する何かがあることをその嗅覚で嗅ぎつけかけていた。

 

(……私は、どうしたいのだろうか)

 

そんな彼女らをよそに、刹那は昨日の出会い、そして与えられた選択肢を思い返してた。姉についていけば、彼女と離ればなれになることはないだろう。きっと、孤独とは無縁の人生が待っている。

 

一方で、親友の木乃香をとるというのであれば、彼女とは敵対者となる。姉自らがそう刹那に言ったのだから。

 

(……このちゃんは、私の正体(・・)を知ったら、どう接するだろうか)

 

友人として今までどおりか、それとも拒否されて……。

 

(……いや、このちゃんはそんなこと言う子やない。それは分かっとる……でも……)

 

だが、人の心は移ろいやすい。どれほど中の良い者同士であっても、容易に引き裂かれることだって少なくない。

 

刎頸の交わりというものがある。互いに首を差し出してもよいとするほどの仲を意味し、そんな誓いをした趙の藺相如(りんそうじょ)廉頗(れんぱ)が由来の言葉だ。

 

そんな二人にあやかろうと、その50年後に張耳(ちょうじ)陳余(じんよ)という、秦代末期に反乱軍として戦った人物が同様の誓いを交わした。しかし、張耳が追い詰められた時に陳余は援軍を送ったが、秦の大軍に気圧されて見ているだけであった。その後、二人は仲違いし、ついには殺しあうような仲となってしまった。

 

誰であれ、心変わりになるような理由というものはある。それが、納得できるものであろうと、納得出来ないようなことであろうと。

 

(……私は、ずっとこのちゃんに隠しごとをしてきた。それを知って、私の正体を知れば嫌わない保証はない……きっと、裏切られていたと思うだろう……私だって、そう思う)

 

誠実さの欠片もなく、親友面をしていた自分に対する嫌悪感。騙していると分かっていながら、彼女に救われたことから離れたくないという気持ちのまま、護衛という立場まで手に入れて彼女とともに麻帆良までやってきた。

 

(……私は、誰が大切なんだろう……)

 

絶望から掬い上げてくれたが、姿を消して再び刹那を一人にした姉か。

 

孤独から救ってくれたが、自らが騙し続けている親友か。

 

その答えは未だ、見えない。

 

 

 

 

 

約束の時間。彼女らは指定された橋へとやってきた。その橋の上に、一人佇む少女の姿があった。月詠だ。彼女はギラギラとした目をしながら、恍惚の表情を浮かべている。これから起こる戦いに思いでも馳せているのであろうか。

 

周囲には、噂を聞きつけたのか野次馬の集団が押し寄せている。遠巻きから、痴情のもつれだの三角関係だの好き勝手言っているが、大したことではないと刹那は思考の外へと押しやる。

 

「うふ、お待ちしていました~」

 

「……一つ聞きたいことがある」

 

「ん~、うちの言える範囲で、お願いします~」

 

「……お前は何故、姉さんとともにいる」

 

刹那の言葉に、一瞬きょとんとした顔になる。しかし、言葉の意味を理解したと同時に、意地の悪い微笑みを浮かべ、言った。

 

「知りたいでどすか?」

 

「……ああ」

 

「実はぁ~、うちも先輩とおんなじ境遇なんですえ」

 

クスクスと笑いながら、そんなことを言う。一方で、刹那はその言葉の真意を掴みかねていた。一方で、悍ましいものを感じた木乃香達は凍りついて動けなくなっていた。

 

(ね、ねえなんかあの人、ちょっとやばくない……?)

 

(いえ、かなりやばい人物にみえるです。何か狂気を感じさせるような……)

 

(うち、あんな寒気のする人初めてみたわ……)

 

そんな彼女らの様子にも気づかず、刹那は考えこむような顔になっていた。

 

(同じ? まさか……いや、あんな邪気を発してはいても奴は人間のはず……)

 

「先輩が考えてること、分かりますえ。うちは人間どす、残念ながら」

 

「……まるで人間であることが嫌なように聞こえるな」

 

その言葉で、月詠の雰囲気が少しだけ変わる。先ほどまでの戦闘に対する高揚感や、飄々とした様子に混じって、何かどす黒いものが混じり始めた。

 

「うふ、うふふ。うちは自分が人間でなかったらと思うことはよくありますえ。人として生きれば、その理に縛られる……そんならうちの欲求は満たされへん」

 

「随分な話だな。貴様は人間でありながら、神鳴流でありながら魔を望むのか」

 

「最初は、そないは思わへんかったです~。けど、うちの前にあの人が現れて、そう望んでいくようになった」

 

思い出すのは昨日出会った時のこと。姉が見せた邪悪な気配と圧迫感。刹那の人生の中でもあれほど濃い死の臭いは嗅いだことがない。

 

「うちは嬉しかった。人間でありながらあれほど血の臭いをさせる人に出会えたことが。だから、うちはあの人について行ったんどす」

 

「…………」

 

「そういえば、先輩はあの人のこと、なんにも知らなかったみたいですね~。こちら側に来れば、あの人とずっと一緒にいられますえ?」

 

「そ、れは……」

 

「せっちゃん……」

 

刹那の揺れ動く心を感じ取ったのか、木乃香は不安げに声をかける。その体は、軽い恐怖によるものか震え、寒気をこらえるように縮こまらせていた。

 

「せっちゃん……あの人、なんか怖いんや……」

 

「お嬢様……」

 

木乃香を気遣い、心配そうに声をかける。そんな様子を見て、月詠はどこか苛立ちを含んだような声色になる。

 

「もぅ~、先輩はどっちにつくんどすか? まさか、姉さんを裏切る……なんてことはないですよね~?」

 

「……分からない」

 

威圧するように尋ねる月詠に対し、刹那は曖昧な返事を返す。その返答がますます月詠の癇に障ったようで。

 

「……そないな半端モンとは思いませんでしたわ。体が(・・)半端モン(・・・・)ならせめて意思ぐらいはマシや思っとったんですけど……」

 

「っ、貴様何故そのことを……まさか!?」

 

月詠の言葉に、刹那は驚愕の表情となる。彼女の秘密は、ほんの一部の人間にしか伝わっていない。だからこそ、いくら同門の出とはいえそんなことを知っている月詠に驚いたのだ。そして即座に、その情報の出どころを思いつき、更に驚愕する。

 

彼女は、今誰とともに行動をしているのか。

 

(そんな……まさか姉さんが……!?)

 

親友にさえ話したことのない秘密を、彼女がバラしたのだとしたら。そう思うだけで頭の中がグチャグチャとなり何も考えられなくなる。月詠は溜息一つ吐くと、小太刀を抜刀し、刹那に向けて構える。

 

「もうええどす。ここで結論も出せないようなら、味方にはおろか敵にもいりまへんわ。この程度で揺らぐ方やとは思いまへんでしたわ……」

 

月詠がついに抜刀したことで、周囲がにわかに活気づく。恐らくは、彼女が握っているのが模造刀か何かだとでも思っているのだろう。しかし、その鈍い光沢は間違いなく金属のそれ。それに気づいているのは刹那と、もう一人。

 

(ま、町中で抜刀するですか……!?)

 

夕映であった。何度となく本物の輝きを見たことのある彼女にとって、あれが本物か偽物かの区別ぐらいはできる。月詠が、魔法関係の人間であることも読んではいた。だが、まさかこんな人だかりの中で平然と抜刀するほど常識知らずな相手だとは思っても見なかった。

 

「貴女はあの人の敵にも、味方にも不要どす。せめて、その死に様でうちを愉しませてや」

 

瞬間。月詠が音を置き去りにしたかと見紛うほどの速度で刹那へと肉薄する。一般人から見れば、あたかも瞬間移動をしたかと勘違いするほどの一瞬。咄嗟に刹那は隣に立つ木乃香を突き飛ばし、夕凪を抜刀しようとした。しかし、この一瞬では重く長い野太刀を抜き放つことはできない。

 

ギィン!

 

「うふ、良い反応です~」

 

「き、さま……!」

 

鈍い金属音が響き渡る。刹那は、彼女の攻撃を受け止めるために刃を出すだけにとどめ、彼女の斬撃を受け止めた。観客たちは一瞬何が起こったのか分からなかったが、彼女らの戦いがいよいよ始まったのだと即座に理解し、歓声が沸き立つ。

 

「ふふ、うふふ……おしいわ~、先輩ほどの腕があればあの人の教えを受ければもっと(くら)く輝ける思うてたのに……」

 

「私は、貴様のようになる気は断じてないっ!」

 

「ええんどすか~? うちを否定するんは、姉さんを否定することと同じですえ? いえ、むしろ姉さんのほうが余程……」

 

「黙れっ!」

 

彼女の言葉に激高し、刹那は月詠の刃を押し返す。その勢いのまま、刹那は夕凪を抜き鞘を放り出す。少しの間、両者は睨み合うもすぐにお互いの距離を詰めた。

 

鳴り響く斬撃音。金属の(いなな)きは周囲の興奮をより大きく盛り立て、あたかも時代劇の殺陣のように切り結ぶ美少女二人にその目は釘付けとなる。

 

『すげぇ! こんなリアルな殺陣初めて見たぜ!』

 

『あのダイナミックな動き、何かCGでもあるのか!?』

 

『つーことはこれって映画の撮影? カメラ、カメラはどこだ!?』

 

「煩わしいわぁ……斬り捨てれば静かになるやろか?」

 

周囲の歓声に煩わしさを感じたのか、ボソリとそんな言葉を零す。そんな彼女を、刹那は厳しく窘めた。

 

「一般人に手を出すな。いかな狂人であろうと、暗黙の了解ぐらい弁えているはずだ。それとも、それさえ分からぬ程の畜生だったのか?」

 

「うふ、うちかて冗談で言っただけですえ。でも、先輩は一般人やないですから、殺したって構わんですよね~?」

 

「そう簡単に殺されてやると思うなよ?」

 

互いに鎬を削りながら、火花を散らして縦横無尽に駆けてゆく。先ほどまでぶれていた刹那も、頭を戦闘時の思考に切り替え、冷静さを保っていた。

 

「うふふ、うちは一般人に手は出しまへんけど……危害を与えなければ問題無いとも言えますね~」

 

「……何を言っている」

 

「こういうことです~。『百鬼夜行』~!」

 

彼女は懐から素早く札の束を取り出し、それを周囲にばら撒いた。それは徐々に変化してゆき、やがて形を成していく。

 

「なっ!?」

 

出現したのは、可愛らしい外見の有象無象の魑魅魍魎や低級な妖怪変化。それだけであれば、刹那にとっては脅威にもならない。だが、その数が尋常ではなかった。まさに、百鬼夜行を地でいくような膨大な数の妖怪共が、一般人へと襲いかかったのだ。

 

『うわっ! なんか来たぞ!?』

 

『よ、妖怪!?』

 

『こっちにくるぞ!』

 

妖怪たちは、次々と観客へと襲いかかりはじめる。とはいえ、やっていることは相手をすっ転ばしたり視界を塞ぐといった、迷惑行為でしかないので実害はほぼない。それでも、妖怪に襲われるなどたまったものではない。雪崩を打つように観客たちは這々(ほうほう)(てい)で逃げ出し始めた。

 

「うふ、これでようやく落ち着いて戦えますわぁ~」

 

「そんなことのためにこんな騒ぎを起こすとはな……思っていた以上だ」

 

「それよりいいんどすか? 大事なお嬢様が攫われてしまいますえ?」

 

彼女の言葉で、月詠の刃を止めながら木乃香達がいる場所を向く。そこには、妖怪に追い立てられて段々と遠ざかっているのが見えた。

 

「貴様、初めからこれが目的でっ!?」

 

「うふ、さあもっと愉しみまひょ? それとも、お嬢様を追いますか? だったら、姉さんよりお嬢様をとるってことどすなぁ?」

 

月詠に背を向け、木乃香を追いかけようとしたところでそんな言葉が投げかけられる。刹那はそれだけで体を硬直させ、動けなくなってしまう。

 

「どちらか選ぶなんて……私には……!」

 

「なら死んでしまいよし」

 

獰猛な笑みを浮かべた月詠の刃が、刹那の首筋へと斬りこんだ。


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