一夜の悪夢が廻り出す。
鈴音は仮のアジトにて、一人瞑想をしていた。今回は、大川美姫(氷雨)の尻拭いのためにここにいる。彼女の妹分たちに関わりの深い場所であることもあって、思うところはあった。だが、それでも彼女は自らの為すべきことを見失うことはない。
――――鈴音は以前、エヴァンジェリンに組織の活動について尋ねたことがあった。
『……聞きたいことが、あります……』
『……どうした、鈴音?』
『……我々が、英雄を育てるのは……なぜですか……?』
『ふむ。大本の理由で言えば、以前言ったとおり我々を打倒できる英雄の出現を待つのに飽きた、といったところだが』
『……しかし、我々が育てた英雄が……我々を打倒できるとは……』
『思えない、というわけか』
いつの時代も、英雄というものは苦境の中から生まれるものである。その下地は、彼女ら『
その点、英雄を育て上げるということ自体は悪いことではない。しかし、それで彼女らのようなバケモノが打倒できるかといえば疑問が残る。やっていることはあくまでもマッチポンプであり、他者によって育てられた、いわば人工培養された英雄の中からでは、とても『赤き翼』を超えるような英雄が出現するとは思えなかった。
エヴァンジェリンはクスリと、妖しい笑みを浮かべると。
『鈴音、一つ聞こう。野生の木に成ったリンゴと、人の手によって育て上げられたリンゴ。どちらのほうが甘く、美味いと思う?』
そう言って、テーブルの上に置いてあったリンゴを掴むと鈴音へと投げ渡した。鈴音はそれを受け取ると、不思議そうな顔をした。
『……? ……なぜ、その質問を……?』
『関係有ることだからだ。で、お前の考えを聞かせてくれ』
『……当然、人の手によって育てられたもの、です……』
『何故、そう思う?』
『……人の育てたものは、品種改良されているし……美味しく食べられるように、管理する……から……』
鈴音の回答に、エヴァンジェリンは満足そうに口角を上げてゆっくりと頷く。鈴音は、投げ渡されたリンゴを口元へと近づけ、そのまま一口齧る。口の中に仄かな酸味と蜜の甘さが広がり、シャリシャリとした音が心地よい。
『そう、人の手で育てられたリンゴは美味い。それは、人類がそのリンゴを美味く食べるために費やした年月、技術、品種改良……様々なものが関わっているからだ』
『……でも、人間はそうはいかないはずです……』
『そうとも。思い通りにいくはずもない。理性を持ち、飼われることを嫌い、自由を求める。人間の本質にはそういった部分が多い。だからこそ、かつては革命が起こり王権を打倒したわけだ。抑圧された怒りに火がつくことによってな』
人間をコントロールすることは、未だ解明されることのない、複雑怪奇なる心を操ることでもできなければ不可能。エヴァンジェリンはそれをよく心得ていた。鈴音はエヴァンジェリンの言わんとしていることが、ようやくつかめた気がした。
『……もしかして……逆境……?』
『クク、相変わらず理解が早いな。そうとも、あえて我々が抗わせることによって、想像もつかないような方向へと向かう……それが狙いだ』
英雄候補となるものであれば、エヴァンジェリンらに従うことをよしとしないのは明白である。必ず、そのシナリオから外れようと足掻くはずだ。だが、それこそがエヴァンジェリンの狙い。
『人は自ら進む生き物だ。弱さを知っているからこそ向上心がある。自らの強みを活かし、武器を生み出して、より強大な獣に立ち向かった。自然界における弱者の立ち位置に我慢が出来ずにな。押さえつければ押さえつけるだけ、そこから抜けだそうと藻掻くはずだ』
『……自ら、反逆させることで成長を促す……』
『養殖された存在からの脱却。作られたものはやがて本物の輝きを手に入れるようになる。そう、お前が今食したリンゴのように』
かつて、まだ人がリンゴを育てていなかった時代。リンゴといえば野生のものを採るのが当たり前だっただろう。それを育てる者がいても、野生のものとさして変わりがなかったはずだ。むしろ、育て方も分からず矮小な実しかできなかったかもしれない。
しかし、今では人はリンゴを育てて食べる果実だと認識している。それは、人の飽くなき執念と費やした時間の結晶の賜であり、いつしか本物の輝きを手に入れるようになった。
『私は以前、復讐者を生み出した。私を殺せる光の中に生きる復讐者を。人の持つ執念は偉大だ、時に血反吐を吐く鍛錬も平気で乗り越えてみせる』
『私は人間を尊敬している。人間の持つ飽くなき渇望。それは弱さゆえの向上心の裏返しでもあり、我等バケモノには到底真似できないことだ』
『……では、我等の行っていることは……』
『徹底的に追い詰めていくことだ。よくあるだろ? 逆境に真の力を発揮する英雄譚やヒロイズム。我々はそれを用意し、逃げ道を塞いで追い込んでいく。そうすれば、英雄たりえる者はその機会をしっかりと活かしていくはずだ』
『……成程……』
「――――刹那。貴女は困難へと向かう道を選んだ……」
目を開き、独り言ちる。ゆっくりと立ち上がり、深呼吸を一つ。
「……だから、私は貴女に全力で応えよう……」
その目に、既に身内に対しての優しい光は、欠片も存在しなかった。
ネギ達は先行していた楓、そして刹那たちと合流した。千草と月詠は、人が増えてきたせいでこれ以上の作戦続行は無理だと判断したのか、いつの間にかいなくなっていた。そしてネギ達は今後のことについて話しあった結果、再び関西呪術協会の本部へと向かうことを決めた。
「あの……刹那さん」
「はい、なんでしょう?」
「夕映さんたちに黙って出てきてしまってよかったのでしょうか?」
再び神社へと向かう中、ネギが刹那に聞く。話し合いをしたと言っても、実際にはほんの数分言葉を交わして、お互いの無事の確認と今後の方針を決めただけであり、夕映たちに内緒で行動しているのである。
「3-Aの皆は好奇心旺盛ですから。下手に尻尾を掴ませればついてきてしまう可能性が高いかと」
「だな。これ以上一般人巻き込むわけにゃいかんし」
同意しつつ、千雨がのどかのほうへと視線を向ける。既に全く無関係な少女を巻きこんでしまっている。これ以上それが増えること自体まずいし、何より下手をすればお荷物が増える危険がある。身も蓋もない言い方だが、これ以上足手まといが増えるのが一番面倒なのだ。
「木乃香さんは……やはり知ってしまったんですね?」
刹那に負ぶさって寝息を立てている木乃香をみやる。刹那から、彼女が秘めていた力が解放されたことは聞いていたのだが、どうやらそれで疲労したらしく眠ってしまったらしい。ちなみに、小太郎も楓の背中でよだれを垂らしながら眠っている。一応過激派に関与する人物として捕虜扱いなのだが、緊張感の欠片もなかった。
「はい。……でも、私はこれでよかったと思います。お嬢様が知っていようと知るまいと、その力や血筋を狙う輩が絶える訳でもありません。ならばいっそ、お嬢様にも知っていただいたほうがよろしいかと」
しかし、刹那の顔には若干の陰りがあった。尤もらしく言ったが、ようは自分が木乃香に自らのことを知ってもらいたいがための方便でしかないと思えたからだ。仲違いが、そして自らの死がきっかけという偶発的なものとはいえ、彼女は木乃香にこれ以上隠し事をせずに済むことが嬉しかったのは事実だった。
「……気に病む心配はないぜ? 学園長もいずれ近衛に魔法のことをばらす算段だったらしいしな」
そんな刹那に、千雨が助け舟を出す。実は彼女、修学旅行の前日にガンドルフィーニ先生からこっそりと話を聞いていたのだ。というか、学園長のことを誤解しないでやってほしいという思いから、彼から話しかけてきたのである。
『学園長は、立場上ああやって本音を表に出さないようにしてらっしゃる。だが、本当は誰よりも生徒の無事を願ってらっしゃる人だ。本来なら、彼女の平穏を守るためにあえて魔法のことを教えていなかったが、今度の修学旅行を通じて魔法のことを木乃香ちゃんにバラすつもりらしい』
『……いいのか? そういうのは普通極秘事項だろ?』
『ハハ、しかし学園長は他言無用とはひとことも言っていないからな。話したところで大した問題ではないさ』
『ふーん、先生はもうちょい頭の固い人だと思ってたんだが』
『心外だなぁ。私も娘がいる身だ、頑固なだけでは娘に見せる背中がないからな』
「むむ、あの新田先生並みに堅物なガンドルフィーニ先生がそのようなことを……」
「私らも、先生らに見守られてるってことなんだろうよ。確か、引率できてた先生の中にも魔法関係者の先生がいるって学園長から聞いたぞ。さすがに名前までは聞けなかったが、おかげでこっちの用事に集中できる」
あくまでも、一般生徒を陰ながらに守ることが役割であるらしいため、ネギたちとの関係性を疑われてはまずいため秘密ということになっているらしい。とはいえ、そういった存在があるからこそ、ネギたちは他のクラスメイトたちに関して神経をとがらせる必要がない。非常にゆとりを持って行動ができるのだ。
「それは初耳でござるな……。というか、ひょっとして麻帆良学園にはそういった教員方が大勢いるのでござるか?」
「つーか、魔法使いが一般人に混じって通える学園ってのが元々の創立理由らしいぞ」
「思いっきりファンタジーのど真ん中に住んでたわけね、私達」
そんな話をしている内に、関西呪術協会の入り口である神社の前までやってきた。相変わらず、千本鳥居が不気味だ。
「……今度は罠とかねぇよな?」
「慎重に進むことに越したことはないでしょう。注意しつつ行きましょう」
刹那の言葉に一同は頷くと、千本鳥居の向こうへと進んでいく。やがて、先ほど交戦した場所へと辿り着き、周囲を見渡しつつ誰も居ないことを確認して更に進んでいく。
「階段だ……」
「この石段の先に、関西呪術協会の本部があります」
見上げるほどに長い石段が姿を現す。この先に、目的地があるのだという。
「勘弁してくれ……私はインドア派なんだぞ、こんな長い石段登りきれる気がしねぇ……」
「後もう少しです。頑張りましょう」
既に体の節々が痛いのに、これ以上さらに運動をさせられるのかと辟易としている千雨を刹那が激励する。結局、千雨はゼイゼイと息を切らしながらも登頂に成功するのであった。
「これが関西呪術協会本部……」
「ぜぇ、ぜぇ……山の上に、こんなでけぇ建物が、あったのか」
石段を登り切ったその先。そこには荘厳な雰囲気の門と、その向こうにかすかに見える大きな木造建築があった。
「結界で本来の姿を隠しているのですよ。仮にも神秘を扱う総本山、公にするわけにはいかない場所ですから」
「なるほど……」
楓が納得しつつ、うちの隠れ里みたいでござるな、などと周囲に聞こえないよう小さく呟いた。ようやく息が整った千雨が、門を眺めてきょろきょろと見回す。
「んで、これどうやって入ればいいんだ? そもそも、どうやって家主に来訪を告げりゃいい?」
「インターホンとかはないわね……」
「それならば心配には及びません。結界を超えた時点で、向こうはこちらを感知しているはずですから」
刹那の言葉を肯定するかのように、いきなり木造の門が音を立ててゆっくりと開きだした。驚きつつも、楓は臨戦態勢をとり、ネギも杖を構えておく。
そして開いた扉の先の光景は。
「「「お帰りなさいませ、木乃香お嬢様!」」」
「へ?」
「おろ?」
大勢の巫女さんによる、出迎えであった。
「あら、お嬢様はお休みでしたか……。申し訳ありません、このように騒がしくしてしまってはかえって迷惑でしたね」
「いえ、お嬢様が実家に戻られるのもかなり久々のことですから、皆さんが心待ちになさるのは当然かと」
「うふふ、ありがとうございます。長は、本殿の方にてお待ちですよ」
巫女さんの一人と会話する刹那。その光景を見て、改めてここが木乃香の実家なのだと認識した。
「あら、そちらがお嬢様の担任の……?」
「あ、はい。3-A担任のネギ・スプリングフィールドです」
「クラスメイトの長谷川千雨だ。こっちのでかいのが長瀬楓」
「でかいのは余計でござる、千雨殿。それから、拙者がおぶっているのは関西呪術協会の者でござる。襲撃された故、こうして捕虜扱いとして連れ立っておるでござる」
「まあ……やはり内部で強行手段に出てしまった者がいましたか……申し訳ありません、我々も睨みをきかせてはいたのですが……」
申し訳無さそうな顔をする巫女服の女性。聞けば、彼女はこの関西呪術協会の総本山を守護する巫女であり、巫女らを取り纏める人物らしく、所属している者の中から独断専行が起きないよう網を張っていたらしい。
が、如何せん人手が足りなかったらしく、本来ネギ達を迎えに行くはずだったのだが、不穏な動きをしているものらの対処に追われて手が回らなかったのだとか。
「組織というものは大変でござるなぁ……」
「こういった内部事情をお話しなければならないこと、真にお恥ずかしい限りです。……あの、ところで……」
一礼して詫びた後、巫女服の女性は楓たちの後ろを指差し。
「そちらの方々も、お知り合いでしょうか?」
背後の門、その影になっている場所を示した。
「む?」
よく見れば、そこには何者かの影がくっきりと映し出されており、誰かがいるのが明白であった。一瞬、潜んでいた刺客かと一同は疑ったが。
「たはーっ! バレちった!」
「全く……むしろ今まで気付かれなかったことの方が驚きです」
「ゆ、夕映さんにハルナさん!?」
そこにいたのは、修学旅行5班のメンバーである綾瀬夕映と早乙女ハルナであった。
「いやぁ~、まさか木乃香の実家がこんなでかいとこだったなんてねぇ!」
「驚いたです。学園長の孫娘という時点で、良家の娘といった気はしていましたが」
奥の本殿へと案内されるネギ達一行に交じるハルナと夕映。まいてきたと思っていたネギ達だったが、実はこっそりと後をつけられていたのだ。普段であれば気づいたかもしれないが、今回は戦闘後の疲労によって勘が鈍っていたらしく、誰も気づくことがないまま尾行を許してしまったのだ。
(……のどかが心配で、つい魔法で探知してしまったです……迂闊に使うなと言われていたのに、反省せねば……)
尤も、そもそも彼らをどうやって発見したのかといえば、夕映が探知魔法で居場所を特定して追ってきたせいなのである。どちらにせよ、後をつけられていた可能性は高いだろう。
やがて、案内をしていた巫女服の女性がひとつの障子戸の前で立ち止まると。
「此処から先は、お嬢様に関係する方のみをご案内する手はずとなっております。申し訳ありませんが、おふた方はこちらの客間でお待ちくださいませ」
「ええっ! 私達木乃香の親友ですよ!」
まさかの待機を言い渡されたハルナは驚きつつも反論する。
「今回先生方をお招きしたのは、お嬢様に関する大事な話なのでございます。ご友人とはいえ、事情を知らない方を、残念ながらお連れするわけには……」
しかし、相手の女性の真剣な目つきと物言いに、さすがのハルナも分が悪いと感じて渋々了承した。一方の夕映は特に反論することもなく、先に障子戸の向こうへと消えていった。
「何も知らない娘達に、血なまぐさいお話など聞かせられませんからね」
ウインクをしつつ、そうネギ達に言った。どうやら、アドリブで彼女らを遠ざけたようだ。先ほどまでのやりとりをみて、二人が関係者ではないと察したらしい。ネギは軽くお辞儀をして謝意を示しつつ、再び彼女の後をついていった。
「ゆえ吉~、なんであんなあっさり引き下がったのよ~」
「家庭の事情にホイホイと首を突っ込むのは無粋だからです」
一方で、客間に通されたハルナは不満気であった。親友に関連する話からのけ者にされたこともだが、夕映があっさり引き下がったのも気になったのだ。が、夕映から返ってきた返事は至極もっともな話であり、ようやくハルナも納得はしたようだ。
「まー、色々と家庭の事情があるのかもねぇ……」
(……それ以上のものがあるのですよ、ハルナ。のどかも関わってしまった以上、貴女までこちらに来る必要はないです。こんな、危険と死が隣り合わせの世界なんかには……)
夕映の真意は、その胸中にのみしまわれ、ハルナに届くことは決してなかった。
案内された広い部屋にて、一同は用意されていた座布団に座ってくつろいでいた。木乃香もようやく目を覚まし、久々の実家の雰囲気に懐かしさを覚えていた。
「えー! 刹那さん昔は泣き虫だったの!?」
「せやで~、それでうちがしょっちゅう慰めとったんや」
「こ、このちゃんそれは……!」
彼女らの昔話で盛り上がっていると、襖の開く音がした。
「すみません、お待たせしました。少し外に出払っていたもので……」
入ってきたのは、長身痩躯の特徴的な服装をした男性だった。神社の宮司が身につけているようなその白い服に、やや痩せぎすな顔。人当たりはよさそうな雰囲気だが、しかししっかりとした威厳というものがかいま見える人物だった。
「父様ー!」
木乃香がそう言いながら彼のもとへと駆け寄っていく。刹那以外のメンバーが唖然とする中、男性のところへたどり着くとその胸の中へとダイブした。
「ハハハ、大きくなったな~このか!」
「久しぶりやー! けど父様、ちょっと痩せたんちゃう?」
「仕事が忙しくてね。食事の方を疎かにしてしまっていてねぇ……」
「ちゃんと三食、食べるように手紙で言うたやろに~!」
「ゴメンゴメン、このふぁ、いふぁいいふぁい」
男性の頬を両手でグニグニとこねくり回す木乃香。相手の男性も、特に嫌がった素振りはない。ようやく木乃香から解放された男性は、一同のもとへと歩み寄り。
「刹那君、任務ご苦労だったね。木乃香と仲良くやってくれていたようで安心したよ」
「お久しぶりです、長。ご健勝のようで何よりです」
「それと、すまなかった。親友同士だというのに気を遣わせるようなことをさせてしまって……」
「気になさらないでください。私が無理を言って頼んだことでもありますから」
「そう言ってもらえると助かる」
親しげに会話を交わした後、今度はネギの方へと向き直った。
「初めまして、とは言っても君とは二度目の出会いになるかな?」
「え、ええと……?」
「おっと、自己紹介がまだだった。僕は近衛詠春、関西呪術協会の長にして、近衛木乃香の父親です」
目の前にいる男性が、目的の人物であることを理解したネギは目を丸くし、次いで慌ててお辞儀をする。
「こ、ここここんにちは! ぼ、僕はネギ・スプリングフィールドです! 麻帆良学園中等部3-A担任で、それで刹那さんと木乃香さんの担任で……!」
「ハハハ! そう畏まらんでください。とはいえ、一応は重要な面会でもあるわけですから、居住まいぐらいは正してお話しましょうか」
そう言うと、彼は部屋の上座に相当する場所へと上がり、そこに座布団を敷いて座す。一同も、それに習って座布団に正座で座り直した。なお、未だ眠りこけている小太郎は部屋の隅に放置されていた。
「それでは、改めまして。僕がここの総責任者である近衛詠春。君は、関東魔法協会から派遣された大使ということでよろしいかね?」
「は、はいっ! 本日は、と、東西の友好をより深めるために親書を持参した次第です!」
そう言って彼は懐から親書を取り出す。ネギは立ち上がって詠春へと近づいてゆき、手渡した。詠春はそれを受け取ると、親書を開いて読み始めた。
その内容は以下のとおりだ。
『拝啓 関西呪術協会の長 近衛詠春殿
昨今の魔法世界における不穏な動き、そして暗躍する『夜明けの世界』の動向がこの頃見え隠れしております。関東でも既に幹部クラスの者が姿を現しており、何かを企んでいることは明白。また、関西の方でも最近妙な動きがあるとの噂を伺っております。
関東と関西は昔からいがみ合う仲ではあれど、今は日ノ本を脅かす者共に立ち向かうが先決。図々しい話ではございますが、過去の確執は今は一旦置いておき、東西力を合わせて脅威に立ち向かうべきかと存じます。色よい返答を、お待ちしております。』
更に同封されていたもう一枚の紙には。
『 こちらは親書ではなく、個人的な手紙として書かせてもらうぞい。
婿殿、自分の部下ぐらいしっかり統率せい。それと、木乃香には魔法のことを話すべきじゃ。いよいよ彼奴らが動き出した今、知識もないままでは木乃香があまりにも危険じゃからの。
残念じゃが、木乃香に平穏な暮らしは与えてやれん。なれば、せめて危険を少なくしてやるのが儂ら大人の務めというもの。そしてそれができるのは父親であるお前にしかできんことじゃ。くれぐれも、木乃香を頼んだぞ。』
(はは、こりゃ手厳しい……しかし親の務め、か……思えば、僕は逃げていたのかもしれないな。木乃香を幸せにしてやれるかが不安で……馬鹿なやつだよ、全く……)
溜息を一つ吐く。手紙の内容に対してではない、情けない自分を自嘲してのことだ。こうもはっきりと、木乃香に平穏はないと言われてしまえば、さすがにショックもある。だが、それは想定してしかるべきもの。彼女は英雄だの何だのと呼ばれるこの中途半端な自分の娘であり、今は亡き妻のやんごとなき血を受け継ぐお嬢様なのだから。
「はい。確かにお受け取りしました。我々関西呪術協会は関東魔法協会との連携に対して好意的に考えてます。後ほど、正式な場でもって話し合いに臨みたいという旨の手紙をお渡しします。とにかく、ネギ・スプリングフィールド君、お疲れ様でした!」
「あ、ありがとうございます!」
こうして、ネギはついに親書を届けるという大任を成し遂げたのであった。
「なるほど……事態は大分複雑な状況になっているようだね……」
今までに起こったことや、それを実行していた人物らの特徴、名前を告げると詠春は腕を組んで苦い顔をする。そして木乃香の方へと顔を向けると。
「このか……真実を知る勇気は、あるかい?」
暗に、これ以上踏み込めば戻れないぞと告げる。たとえ愛する娘であれど、中途半端な意識でこの世界へと足を踏み入れさせるつもりはないのである。
「……うち、知りたい。せっちゃんが嘘つかんといかんなら、うちが知らなあかん。これ以上、知らないままはいやや……!」
木乃香の強固な意志を感じ取った詠春は、少しの間目を閉じ。やがて目を開くと。
「……分かった。ならば話そう、お前の出生にまつわることを、その秘密を」
彼は語りだした。それは木乃香にまつわるあらゆる魔法関連の秘密。父がかつて魔法世界の英雄であったこと。関西の魔法関連を取り仕切る組織の長であること。祖父もまた魔法使いであり、関東の長であること。
そして木乃香の内に眠る膨大な力、その血筋。それを狙う輩がいることと、関西と関東がどうして確執が深刻化したか。それに木乃香に流れる血筋が関係していること、現在もそれによって溝は深まるばかりなのだと。
「お義父さんを責めないであげてくれ。あの当時、関東と関西は一触即発の状態だった。それをうまく収めるには、どちらかが折れるしかなかった。従うしかなかったんだ」
「……気にしてへん。うちにとっては、おじいちゃんはおじいちゃんや。それにしても、うちが魔法使いの娘だったやなんて……それでせっちゃんの傷が治ったんやな……」
「このかはどうやら治癒師としての適性が高いようだね。お母さんも、昔は治癒師として活躍していたんだよ」
「母さまと同じ……」
幼いころに亡くなった母のことを思い出す。もう朧気にしか思い出せないが優しく、芯の通った強い女性であったことは覚えている。思えば、怪我をしても母が魔法の言葉を唱えればたちまち怪我が治っていた。あれも、母が魔法によって怪我を治してくれたからだったのかと納得した。
「お母さんはお義父さん……近衛近右衛門方の一人娘でね。近衛家は昔から影に日向に日ノ本を守護してきた一族なんだ。元々は藤原の一族に名を連ねる公家だったんだけど、いつしか陰陽師と似たような役割を持つようになった影響から、そういったことを取り仕切るようになったんだ」
その歴史は古く、平安の時代から脈々と受け継がれてきた血筋なのだという。近衛家は陰陽師、治癒師、呪術師、占術師などの優秀な人材を数多く排出しており、それらの功績から関西では最も強い力を持つ血筋の一つなのだ。
「はぇ~、うちほんまもんの占い師の家系やったんか……」
木乃香も趣味で占いをやったりするが、不思議と当たることが多い。占いは所詮占い、当たるも八卦当たらぬのも八卦と特に気にしてはいなかったのだが、まさかご先祖様が本物の占い師とは露とも思っておらず、酷く驚いた。
「そして僕は、そういった要人を陰ながら守護してきた流派、神鳴流を修めている。僕自身、その神鳴流における宗家の血筋である青山家の出なんだ」
「あ、せっちゃんがつこうとる剣術の流派やろ?」
「はい。私がお嬢様の護衛として同行できたのも、近衛家と繋がりの大きい神鳴流の剣士であったことも大きいですね」
「神鳴流は、昔から妖魔や妖怪変化を退治してきた魔を退ける退魔師の流派でもあるんだ。だからこそ、どんな状況でも対応できるようにあらゆる武器を使いこなせるようにしている」
「それ故、『神鳴流は武器を選ばず』という理念が存在しているのですよ」
やや胸を張っていう二人。刹那の神鳴流の師は、実は詠春であり、まさに似たもの師弟だった。
「しかし……いよいよ出張ってきたか、『夜明けの世界』め……」
「確か、魔法世界の犯罪組織だよな? あんたら英雄が戦ってたっつー」
「……む、その話を誰から?」
「学園長からだよ。私も先生も、そいつらにつけ狙われてる身だ」
確認するように千雨が詠春へと尋ねる。まさか彼女から魔法関係の話題が出てくるとは思わず驚き、尋ねる。そして返ってきた言葉に、詠春はある意味納得したらしい。
「ああ、そうか。ナギの息子であるネギ君なら、奴らが英雄候補として選んでもおかしくないか……。そして君も、その若さからは想像できないくらい肝が座っている。奴らが求める人材としてはピッタリだろうね」
「千雨ちゃん達も大変なんやなぁ……これからはうちもそうなるんやろけど」
「そういった脅威からお嬢様を守るのも、私の役目です」
「やぁん、せっちゃんかっこええ~!」
刹那に飛びついてもみくちゃにしている木乃香を尻目に、ネギは詠春に質問する。
「学園長からお聞きしたんですが……長さんは父さんと友人同士だったというのは本当ですか?」
「そうだね。僕とあいつは腐れ縁でもあり、親友でもあり、互いに高め合う仲間でもあった。魔法世界での大戦のときは、一緒に暴れまわったものだ。まあ、若気の至りってやつだね」
遠い日を懐かしむかのような顔をする詠春。やはり、かなり親しい人物だっただろうことが伺え、ネギは父の死に関して聞くことにした。
「あの……僕の父さんが死んだっていう話なんですけど……」
「……ああ、知っているのかい。彼が死ぬことになったちょうど少し前、僕は関西呪術協会の長になるため『赤き翼』を脱退して日本に戻っていたんだ。……今でも時々思うよ、僕があの時彼のそばにいてやれたら、死なずにすんだのかもしれないって……」
詠春は悲しみの表情を浮かべて話しだした。そこには、どこか後悔と葛藤を抱えているような、血を吐くかのような苦しみが見え隠れしていた。それをみて、ネギは学園長の言葉を思い出した。父の最後の戦いのとき、メンバーはほとんど抜けてしまっていたのだと。
「……長さん。実は、僕の父さんについて話したいことがあるんです」
「……? しかし、ナギは君が生まれる以前に死んでいる。恐らく、君が知っていることなら僕も大体は把握して……」
「父さんは、生きています」
ネギから放たれた衝撃の言葉に、詠春は少しの間固まった。今、彼はなんと言った。
「6年前、僕は父さんに会ったんです」
「そんなはずは……だってナギは既に死んで……!」
「……僕がまだ4歳の時、住んでいた村を悪魔が襲いました。その時、父さんがやってきて、助けてくれました。その時、僕にこの杖をくれたんです」
背負っていた杖を手に取り、詠春の前に掲げる。詠春は震える手でそれを受け取ると。
「確かに、あいつの杖だ……海に消えた時、一緒に行方がわからなくなったと聞いていたが……」
それが、魔法世界ではなく旧世界に存在する。それも、彼の息子が手渡されたと言っているのだ。これは、信憑性のあるかなり有力な証拠だろう。
「そうか……あいつ、生きてやがったんだな……ハハ、殺しても死なないようなやつだとは思ってたが、そうかそうか……!」
天を仰ぎ、片手で顔を覆いながら笑い出す。だが、隠しているはずの顔を伝って、一筋の線が流れ落ちた。彼はひとしきり笑った後、腕で顔をゴシゴシと拭くと、笑顔を浮かべながらネギの手をとった。
「ありがとう、ネギ君……君が来てくれて、本当によかった……!」
「い、いえ。僕は何もしてません。僕だって、父さんのことが聞きたくてきたわけですから」
「それでもいい、ナギがまだ生きてるって知れただけで十分だ……ありがとう……本当に、ありがとう……!」
腹の底から沸き上がってくる歓喜を抑えきれず、感極まった詠春は嬉し泣きをしながらネギを強く抱きしめた。
「いや、すまなかったね。とんだ醜態を晒してしまった」
ようやく平常に戻った詠春は、居住まいを正してネギに詫びる。ネギは慌てて、気にしていないと言ったのだが、結局詠春の詫びを受け取るという形で収まった。
「それにしても、ナギが生きていたとはなぁ……もしや、アルの奴は知っていたのか? だとすれば秘密にしていた理由は……」
ぶつぶつと独り言を呟く詠春。しかし、すぐに意識を切り替えたのか、再びネギ達に視線を向けた。
「ひとまず、君たちを労うのが先だったね。長い道のり、本当にお疲れ様だった。今日はもう遅いし、帰るのは明日になさい」
「えっ、けど私らはホテルが……」
「帰りに襲撃されてはたまらないだろう? 既に、うちの術者が君たちの姿を模した式神を作ってある。それを向かわせるから、そっちのほうは安心してくれ」
変わり身を既に手配しているあたり、さすがに手早い。やはり彼は組織の長なのだと、ネギは理解した。
「『夜明けの世界』は狡猾だ。特に夜陰に紛れて行動されては、こちらも動きを掴めないからね。聞けば、かの『狂刃鬼』もこちらに来ているかもしれないらしいから、気が抜けないよ」
「『狂刃鬼』?」
聞きなれない単語に、千雨は首を傾げる。何やら物騒な言葉だが、一体何を指しているのかが分からない。
「『夜明けの世界』、その大幹部の一人だよ。通称『狂刃鬼』、組織でも随一の剣士だ」
剣士という言葉に、刹那が反応する。もしやと思い、刹那は詠春に尋ねてみることにした。
「長……もしやその人物の名は、明山寺鈴音という名前では……?」
「なっ!?」
思わぬ人物から飛び出た言葉に、詠春と千雨は目を丸くする。特に、千雨の驚きようは大きい。詠春も言葉を詰まらせたが、すぐにその眼光は鈍い光を放ち、切れ味するどい目つきとなった。
「刹那君、それを一体どこで知った……? 魔法世界の事情を知らない君が、何故彼女の名を知っている……」
殺気を纏い、威圧するような言葉で尋ねる。一線を退いてなおこの迫力と圧力。かつての英雄は今だ健在のようである。しかし、刹那もそんな気合に気圧されることなく口を開く。
「その人は、私の姉です」
衝撃的な言葉に、さすがの詠春も言葉を失った。張り詰めていた空気は霧散し、沈黙が部屋を支配する。
「そう、か……君の育ての親は、彼女だったか……」
「申し訳ありません、隠し立てするつもりはなかったのですが……」
「いや、自分を育ててくれた人物が、まさか悪の大幹部などとは思わないだろう。気にすることはないさ。……それにしても、彼女とはこんなところまで因縁がつながっているとはね……」
「因縁、ですか……?」
詠春の言葉に、刹那は何かを感じ取っていた。姉の、自分が知らない何かが分かるような、そんな気がして。
「前に言ったが、君には兄弟子がいる。才能豊かな人物で、かつては『赤き翼』のルーキーとして活躍していたほどだ。しかし、そんな彼も昔は色々と思い悩んでいる時期があってね。そんな彼に助言をし、鍛えた人物がいたんだ」
「そ、それがもしや……」
「明山寺鈴音だよ。彼女と出会ったのは偶然だったらしいが、色々と大切なモノを学んだと言っていたよ」
まさか姉が、会ったこともない兄弟子とそんな関係にあったことに刹那は驚く。それを聞いていた千雨は、意外と世間というものは狭いものなのかもしれないなどと考えていた。
「ああ、ネギ君は会ったことがあると思うけど、タカミチ君とも関わりがあったんだよ。なにせ、うちの弟子とタカミチ君は同じ『赤き翼』に所属し、そのメンバーの弟子であり、友人同士だったからね」
「タカミチが!?」
ネギは驚きのあまり大きな声が出てしまう。タカミチとは村にいた頃からの知り合いなのだが、彼もまた『狂刃鬼』と関係のある人物だったとは思ってもみなかった。
「……ということは、刹那君は彼女から剣技を学んだことが?」
「あります。姉さんが使っていたのは、神鳴流ではなく村雨流でしたし、教えられたのは基本的な技術や技ですが」
「やはり村雨流、か……」
複雑そうな顔をする詠春。なぜ、村雨流という流派に対して苦い顔をするのか。刹那は気になって聞いてみることにした。
「あの、長は村雨流を知っているのですか……?」
「……知っている。いや、むしろ僕は刹那君以上に関わりがある、村雨流とはね」
「それは一体……」
「村雨流は、かつて神鳴流と双璧をなした流派なんだ。僕は、かつての村雨流当主とは旧知の仲だったんだよ」
「えっ……!?」
姉と師。彼女にとって尊敬するその二人がこうも密接な関わりがあったのはさすがに予想外だった。因縁というものは、こうも収束するものなのかと。
「前に話したことがあったね、奈良には神鳴流と双璧をなす流派があったと。それが村雨流であり、それを現代まで受け継いできたのが明山寺家だったんだ」
その成り立ちは古く、神鳴流と同じく関西を長く守護してきたらしい。しかし他流派との真剣勝負を常に持ちかけ、その技を盗んでいたことから嫌われており、特に神鳴流とは仲が悪く、そのせいで京都と奈良は昔から折り合いが悪かったらしい。
「……しかし、村雨流の宗家たる明山寺家が、ある日突然滅びたんだ。一族尽く皆殺しにされ、放火されたらしい」
「そう、だったんですか……」
だから、奈良の勢力が弱まったのだと刹那は理解した。神鳴流と互角の流派ともなれば、その影響はたしかに大きいだろう。そして、それが滅びた時も。
「実はね、関西と関東の仲が悪化したのは、ここにもあるんだ」
「それは一体……」
「明山寺家は、元々既に断絶する寸前だったんだ。平和な世がやってきて、魔を退ける神鳴流とは違い、あくまで殺しの技術として発展していた村雨流は、最早世に必要とはされなくなってしまった」
だから明山寺家は、村雨流の技や秘伝の数々を神鳴流へ手渡し、村雨流をその代限りで途絶えさせるつもりだったらしい。実際、明山寺家と青山家はその代では既に良好な仲にあり、話し合いもスムーズにいっていた。いずれは、奈良も別の家にまとめ役を譲り、家を解体するはずだった。
「そんな時、明山寺一族が皆殺しになった。明山寺家はね、実は関西と関東を隔てる防波堤のような役割も担っていたんだ。折しも、関東側は魔法世界での戦争のせいで日ノ本から人員を寄越すように本国からせっつかれていた状態だった。そんな時に、その防波堤役がいなくなってしまったせいで……」
「関西側にも要求をしてきたんだろ? 従わなければ攻めるって脅して」
千雨が詠春の言葉を継いで話す。詠春はそれに頷き、話を続けた。
「そうだ。仮にも奈良は当時大勢力を誇った一派だったから、その頭がいなくなったせいで関西は大混乱。そんな時に、火事場泥棒のように関東から人員を寄越せと言われたせいで、対処が遅れてしまったんだ。このままでは
「そんなことがあったのか……」
「そんなこともあったせいで、関西は関東に対して強い恨みを抱いている。あまりにもタイミングが良すぎて、未だに明山寺家を襲ったのは関東の輩だと言われているんだ」
詠春が言い終えると、沈黙が部屋を支配する。空気が重く、淀んでいるかのようであった。しかし、ネギは気になることがあった。それは。
「長さん……明山寺の人は、全員亡くなったんですか?」
「……ああ。当時、明山寺家では定期的に行っていた一族の召集で全員が揃っていたらしい。焼かれてしまったせいで遺体の完全な特定はできなかったが、遺体の数と一族の数がほぼ一致したらしい。それに、家を出ていた者達について聞いて回ったが、全て召集の手紙が届いて奈良へ向かったと話していたそうだ」
「けど……だったらなんで、『狂刃鬼』は存在するんですか? 彼女も、明山寺の人ですよね?」
そう、一族尽く根絶やしになったというのならば、なぜ彼女は存在するのか。まさか、明山寺の名を騙ってるのかと聞けばそれは違うと詠春は言う。
「彼女の名前は、当時の村雨流当主の娘と全く同じだった。それに彼女が有している刀、紅雨は刀身が紅い珍しい代物で、二つとないものなんだ。あれも、歴代の村雨流当主が受け継いできた由緒正しきものだ」
「身元はある意味保証されてるってことか」
偽物でもなく本当に一族の人間。だとすれば、彼女はどうやって生き残ったというのだろう。
「……まさか……いや、ひょっとしてそうだとすれば辻褄は合う……」
千雨は、今までのことから類推して、ある一つの仮説を導き出していた。しかし、本当にそうだとするならば、まさに彼女は『狂刃鬼』の名に恥じない悍ましい人物だろう。
「千雨君は、気づいたみたいだね。そう、明山寺一族を皆殺しにしたのは」
明山寺鈴音、彼女なんだよ。
「……そろそろ、動くべき」
「ですねぇ~、うちも今から楽しみやわぁ……」
関西呪術協会本部のある、とある山。その木々の間に、彼女らはいた。
「ほんとうに大丈夫なんやろな、月詠? 助っ人ちゅうから期待してたけど、まだガキやんか」
千草が不満げにそういう。鈴音は外見的にかなり幼い。12,3歳ほどの容姿で成長が完全に止まってしまっているのだから仕方がないといえば仕方ないが。
「千草はん、この人はうちの大事な人や。……あんまコケにせんでもらえます?」
一見すれば普段と同じ、ほわほわとした笑顔を見せる月詠。しかしそれを向けられた千草はおもわず小さく悲鳴を漏らした。あまりにも、凶悪なものを秘めたその笑みをみてしまったから。
「わ、悪かったわ……そんな大事な人とは思わなかったんや……」
「うふ、分かってくれたならええんや。それと、姉さんは千草はんより年上ですえ?」
「と、としう……!?」
ある意味最も衝撃的な言葉に、千草は言葉を失う。まさかこんなおぼこい娘っ子が、20代前半の自分よりも歳上なのだというのだから驚くのも無理は無いだろう。
「にしても、本部に入られてしまうなんてなぁ……あの結界、抜くのは相当苦労しそうや」
本部に到着される前に何としても木乃香を確保しておきたかったのは、本部にはられた強固な結界があるためだ。これを破って襲撃するなど、相当の人員を集めなければならない。しかし、関西呪術協会本部には優秀な術師が大勢おり、監視の目をきかせているため過激派の殆どが縫いとめられてしまっている。完全に手詰まりであった。
「大丈夫だよ、千草さん」
背後からかけられた言葉に振り返る。そこにいたのは。
「なんや、新入りか」
白い頭髪に、制服のような、真っ白の服装が特徴的な少年であった。彼は、イスタンブールから留学してきた人物で、関西の過激派と手を組んでいる者でもあった。実際、彼の手引によって様々な支援を受けることができ、月詠を雇えたのも、こんな少人数で行動できるのも彼の功績が大きい。
「大丈夫て……あんなぁ、あんたは知らんと思うけどこの結界はちょっとやそっとじゃ破れへんのや。何重にも重ねがけされた、強力な結界なんや」
「大丈夫、僕に任せてくれればいい。千草さんは、お嬢様を攫うことに専念してくれればいい」
無機質なその声色に、千草は少々不気味なものを感じていたが、これ以上打つ手がない今、彼に賭けるしかないと悟り。
「……大言壮語やと思うけど、今はできることもない、か。しゃあない、あんたに任せるで」
夜の闇がゆっくりと、音もなく忍び寄り始めた。