二人の鬼   作:子藤貝

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第三十九話 修学旅行三日目(夜)②

魔法世界(ムンドゥス・マギクス)某所。薄暗い室内に、一つの明かりが灯っていた。そのすぐ横には、少女がソファに座りながら分厚い装丁の本を読んでいた。金髪碧眼の美しい少女の名はエヴァンジェリン。魔法世界を今なお恐怖の虜とする稀代の大悪党だ。

 

「入るわよー。ねぇ、元老院の方から手紙が来てるけど」

 

そんな彼女がいる部屋へ、燃えるような紅い髪の少女が現れる。(ニィ)と呼ばれる彼女は、厳密には人間ではない。そもそも、元はエヴァンジェリンと敵対していた組織に所属していた者だ。

 

「放っておけ。どうせ金の無心だろう。奴らめ、私達の後ろ盾を使うのはいいが、最近は調子に乗りすぎているきらいがあるな……手のかかる奴らだ……」

 

「ふーん……金なんて所詮紙切れなのに、なんでそんなに執着するのかしら」

 

「人間社会では万能の引換券だからだよ。あればあるだけ、欲しいものが手に入る」

 

「けど、買えないものとかもあるんでしょ?」

 

「世間の大馬鹿者は、愛だの友情だのを尤もらしく言う時の方便にしているがな、そんな曖昧で抽象的なものはそもそも買うだけ無駄だ。愛情が裏返れば憎しみに、友情は愛情によって亀裂が入ることも多々ある」

 

そういったものを、エヴァンジェリンはよく見てきた。かつて迫害され続けてきた日々、自分を愛しているといった男は懸賞金目当てに目の色を変えた。友人だと思っていた者も彼女が吸血鬼だと知ると距離を置いた。

 

「じゃあ、貴女はお金で買えない重要なものは何だと思うの?」

 

「クク、それを私に聞くのか」

 

彼女はソファから立ち上がると、この部屋の唯一の光源である古めかしいランプを持ち、本棚の方へと歩み寄る。すると、その近くで影が揺らめいた。風で火が揺れたわけではない。窓もないこの室内に風が吹く事などあり得ないからだ。

 

「さて、どう返答したらいいものか……」

 

ランプをかざし、本棚の横にあるガラスで出来た壁面を照らす。いや、ただの壁ではない。その向こう側には仄暗い水底があった。何匹もの魚がゆらりと泳ぎ、時折光に反射してその眼がギラリと光る。

 

そして、その中には大きな影があった。それはじたばたと激しい動きをしており、まるで人のような姿をしていた。いや、実際にそれは人であった。

 

「ほぅ、まだまだ元気じゃないか」

 

満足気にエヴァンジェリンは嗤う。彼女がそちらをランプで照らせば、その全貌が明らかになった。

 

『ゴボ、ガボァ……!』

 

(あらわ)となったのは、人間であった。それも、上等なスーツに身を包んだ初老の男性。しかし彼は苦悶の形相で泡を吐きながら無茶苦茶に暴れていた。よく見れば、彼は水の中にいるにもかかわらず、一切の水中用具を身にまとっていない。

 

「おーおー、魔法で酸素の減少を軽減してやっているとはいえ、暴れるほど元気とは。年寄りのくせに活きがいいじゃないか、クク」

 

「活きがよくても、こんな気持ち悪い魚は食べたくないわね」

 

「どうせ煮ても焼いても食えん奴だ。だったら、せめて水槽に入れて鑑賞したほうが余程有意義というものだろう?」

 

そう言って、彼女は巨大な水槽のガラスを叩く。男はエヴァンジェリンの方へと必死な顔で近寄ると、ガラスを叩いて何かを言おうとしている。尤も、水の重さに邪魔されて満足にガラスを叩くこともできていないが。

 

「まったく、私に隠れて勝手なことばかりしおって。お陰で英雄候補が二人も減ってしまった」

 

「あーあ、余計なことしなければ今も議員として不自由なく生活できたのにね」

 

男はメガロメセンブリア連合の元老院議員であった。元老院は、エヴァンジェリンら『夜明けの世界』が裏から糸を引いており、その資金を裏金として提供しているのも彼女らの仕業だ。これによって、元老院は腐敗が進み、そのほとんどが実質『夜明けの世界』の協力者という有り様だった。

 

だが、彼らはあくまでエヴァンジェリンにとっては多少役に立つ程度の駒だ。彼女の鶴の一声でいつの間にか議員の首がすげ変わるなんてことも珍しくない。この男も、そんな切り捨てられた一人だ。彼は税金を一部の地域で過剰に徴発していたのだが、それがバレそうになり、証拠を隠滅するために村を焼き払ったのだ。

 

しかし、その村にはエヴァンジェリンが目をつけていた英雄候補がおり、その少年二人も炎に巻き込まれて死んだことによって、エヴァンジェリンにバレてしまった。

 

その結果が、彼女にこうして弄ばれるという結末であった。

 

「安心しろ、そう簡単には死なんよ。その冷たい水底でゆっくりと頭を冷やすぐらいの時間は十二分にあるさ」

 

『ゴボボボボ……! ガボ、ゴボ……!』

 

彼女にとって、この男も元老院の他の議員も同価値でしかない。等しく、彼女のペットなのだ。バケモノに媚びへつらい、従うことに何の疑問も抱かない輩などそもそも人間として扱うつもりは全くない。彼女は人間は尊敬しているが、ペットを尊敬するような特殊な性癖はないのだ。

 

だから気まぐれで殺すこともあれば、同じく気まぐれで地位を釣り上げてやることもある。結局、元老院も彼女のさじ加減ひとつでどうとでもなるおもちゃ箱でしかない。

 

「クク、そうやって生に執着しているところは人間味があっていいなぁ。実に愛らしいぞ」

 

躾のなっていないペットなどいらないと、こうして水槽に入れて鑑賞していたわけだが、死の間際の足掻きというものは誰であれ必死さがあって彼女は好きだった。そこには、彼らが忘れていた人間の生存本能が透けて見えるからだ。彼女は、そういった人間らしさが堪らなく愛おしく感じるのである。

 

やがて、魔法の効果が薄れたのか段々と男の動きが緩慢になってゆき、ついに抵抗らしい抵抗をしなくなった。

 

「よかったな、最後ぐらいは人間らしく死ねたじゃあないか」

 

慈愛の眼差しを向けるエヴァンジェリン。死んでしまえば、最早彼女にとってはペットではなくなる。死人を支配することはできないし、最後まで生きようと藻掻いた存在をそれ以上辱めるような真似を彼女はしない。

 

「弐よ。先ほどお前は私に聞いたな、金で買えないもので重要なものとはなにかと」

 

そう言って彼女は振り返る。ランプの明かりに照らされた彼女の髪は、美しくも怪しい輝きを放ち、その笑みはどこか恐ろしさを掻き立てるものであった。

 

「私にとって買えないもの。それは"人間性"だよ」

 

「"人間性"?」

 

「人間の本質的な部分、人間を人間たらしめるものだ。それは主観的、客観的なものに分かれるし人によって千差万別だろう。だが、我々バケモノにとっては意味が少々異なる。弐よ、お前が人間らしいと感じるものは何だ?」

 

突然の質問に、弐は暫し黙考する。やがて答えが出たのか、彼女は顔を上げて言った。

 

「戦ってて楽しいところ、かな?」

 

「お前にとっては"闘争"か。なるほど、人間は古来より戦い、争い、勝利し敗北してきた。"闘争"もまた"人間性"、本質の一つといえるな」

 

「けど、はっきりいって貴女が戦いなんてものに価値を見出すとは思えないんだけど」

 

今までの彼女の所業や、それらを実行するために画策したことを見てきた彼女には、どうにもエヴァンジェリンが求めているものが戦うことではないと直感的に分かっていた。

 

「そうだな、私も"闘争"は好ましいが戦う事自体を求めているわけではない。先程も言ったが、"人間性"は人によって千差万別だ。お前が欲するのが"闘争"でも、私が同じわけではない。以前同じような質問をセプテンデキムにしたが、あいつは"創造と破壊"と答えたぞ」

 

「へぇー。まあ、セプテンデキムらしいといえばそうなのかも」

 

「我々バケモノにとって、思いつく"人間性"は各々が欲するものが反映されやすい。いわば鏡のようなものだ。だが、それはどんなに欲しても手に入ることはない。我々は人間ではないし、人間のようであっても確実に違いが生まれる」

 

弐の求める闘争も、相手となる人間がいなければ実現はしない。セプテンデキムの創造と破壊も同様に、人と同じような創造性や破壊性を得ることはできない。

 

「じゃあ、貴女にとっての"人間性"ってなんなの?」

 

質問を最初の方へと引き戻す。そこまで"人間性"に対して執心している彼女が、そこに求めている本質とは何なのか、弐は気になった。

 

「そうだな……言うなれば、"命"か」

 

彼女の言葉に、弐は拍子抜けした。てっきり壮大な答えがくるとばかり思ったのだが、まさかどこぞの慈善団体やらが声高に唱えるものと同じとは思わなかったのだ。

 

「えぇ~、そんな陳腐なものなの? 命なんて、お金で買えるじゃん」

 

命は、実際金で賄える。医療一つとっても、高い金を出せば病を治せる薬が手に入るし、高度な手術を受けられる。つまり治せる手段を金で買っており、婉曲的に命を買っているようなものだ。もっと最低な言い方をすれば、人身売買のように命の売買など古来から人間は伝統的に続けている。白人種による黒人奴隷や植民地化などがいい例だ。

 

「私が言っているのは、そんな個数で数えるようなものではない。命は生命の根幹だ、命があって生があり、思考が、知慧が、心がある。まさに全ての源とも言えるだろう」

 

「けど、それだったら人間だけじゃなくて生き物全般に言えるんじゃ?」

 

「そうだ。弱肉強食の理念が自然界にあるように、命はそれを持つもの全般に共通だ。だが、人間は命に対して他の生き物以上に真摯であり、しかし蔑ろにしている」

 

人が死ねば、葬式をあげ、手を合わせるのが人間だ。それは同族である人間以外に対しても行っている。時には、フィクションの中の人物にさえ手を合わせるほどである。

 

一方で、人は糧とする以外にも己の快楽や嗜好のために命を奪うこともある。そこに善悪を当てはめておきながら、無自覚に、残酷に命を奪う。

 

「命に対する二面性。ここまで矛盾した生き物を私は知らない。我々バケモノも人間に近しいが、我々は同族を迫害しない。同じ境遇を知っているせいもあるし、そもそも数が少ないという理由もあるがな」

 

彼女らバケモノは、いわば人間という種から生まれ落ちた突然変異。別の進化を遂げた人間という種に近しい別種だ。それは人間とチンパンジーという、全く異なる種の別れ方ではなく、同じであって本質を違えるという、いわば互いが邪魔な関係。

 

だからこそ、そういった異物を取り除こうとする。周囲と異なる存在を迫害するのも、そういった生存本能に従ったものでもあるのだ。いうなれば、癌細胞と、それを攻撃する正常な細胞との関係に近い。

 

「人間は敵である我々がいながら同族も殺すし、我々のような存在さえ迫害できる。かと思えば、哀れみや慈悲を与える奴だっている」

 

「そう考えると、人間って意味がわかんない奴らだね」

 

あまりにも矛盾している。だからこそ、弐はよくわからないと表するほかなかった。

 

「だがな、いざ自らの存亡が関わってくると、面白いように豹変する。その脅威に抗おうと、立ち向かおうとするのだ」

 

「? それって普通じゃない? だれだって死にたくはないだろうし」

 

「だが、おかしいとは思わないか? 同族さえ容赦なく殺す存在が、その危機のために団結するんだ。動物は危機が迫っても、本来敵対する存在と一緒になって立ち向かうなんてことはせんだろう?」

 

「そういえば……」

 

「その最たる存在が英雄だ。どうしようもない危機を打破するために、人間の中から生まれ落ちる特殊な存在。最後まで諦めず、立ち向かい続ける人間」

 

それは主に、人間同士の戦いの中で生まれてきた。人間は本質は同じでも互いにいがみ合い、分かれる。それが意見の違いや住む場所の違い、あるいは単純に男や女の関係からの発展。そうして敵が生まれるわけだが、それが国同士などの巨大なものとなった場合、それに対抗するべく人間の中から英雄が生まれでた。

 

"命"に対して、ここまで様々な側面を持つ生物などいない。これは人間に近いバケモノであるエヴァンジェリンらでさえ当てはまらない。なにせ、彼女らは元々が強すぎて危機があろうと英雄のような存在が生まれないからだ。

 

「そして今度は、我々バケモノが生まれた。人間にとっては生存競争における近すぎる隣人であり、まさに不倶戴天の敵だ」

 

「あ、もしかして英雄を求めてる理由って……」

 

「打倒し、打倒されるためだ。これは我々バケモノと人間の生存闘争であり、喰らい合いだ。ならば、英雄という人間の生存本能の象徴と戦ってこそ、我々の存在意義が増す。奴らが正義なら、我々が悪なのだ。戦うのは必然といえる」

 

人間が声高に正義を叫ぶのであれば、バケモノは悪だ。そもそも、彼女らバケモノは人間の負の部分、悪の側面から生まれでたのだから、その本質は間違いなく邪悪だ。

 

彼女らはそれを享受し、人間との敵対を望んでいる。種の存亡を賭けた戦い。まさに自らを肯定するための戦いだ。悪で在り続ける限り、人間とは違う存在なのだと裏返しに肯定できる。

 

「確かに、そう考えると"命"も"人間性"って言えるかも」

 

「私はかつて、鈴音に言った。我々という悪を打倒できる英雄を探そうと。私の魂は未だ人間で、鈴音も肉体的には人間だ。だからこそ、我々バケモノという脅威を打倒するために英雄に討ち滅ぼされることを、どこかで望んでいる」

 

「じゃあ、私達はいずれ負けるのが決まってるってこと?」

 

「それは分からんよ。私の中の人間が勝つか、あるいはバケモノが勝つかまでは分からないさ。我々が英雄を打倒し続ける限り、な」

 

だがそれは、永遠につづく英雄との戦いでもあるということ。終わることなき生存戦争。その終焉は、英雄に打倒されることでしか訪れないことを、彼女は理解していた。そして、同じくそれを理解しているであろう従者に思いを馳せる。

 

(鈴音、お前の為したいように為せ。たとえお前の妹が敵となろうとも、それは仕方のない事だ。人と我々では、必然的に相容れることなどないのだからな……)

 

 

 

 

 

一方、旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)では。

 

「そう、ですか……姉さんが……」

 

「君が気に病む必要はないさ。彼女は、言うなれば人から逸脱してしまった存在。いわばバケモノだ。彼女にとって、身内でさえ殺すことに躊躇はなかっただろう」

 

場を沈黙が支配する。刹那の育ての親に当たる彼女の姉が、まさか人ならざる存在で、『狂刃鬼』と呼ばれていたなどと。何より、自分の本当の身内を皆殺しにしていたということにショックを受けていた。

 

(……うちも、姉さんにとっては大した関係でもなかったんかな……)

 

そう考えてしまい、気が滅入る。だが、そんな彼女の手を、横に座っていた木乃香の手が掴む。

 

「大丈夫、せっちゃんがお姉さんに見放されるゆうんなら、うちがそばにおるよ」

 

「このちゃん……」

 

そうだ。彼女に自分の秘密を明かすと決めた以上、既に後戻りはできない。姉のことは今でも尊敬しているし、大事な人だと思っている。だが、それで悪の道に走ることは、彼女にはできない。まして、自分の親友を、裏切るなどできるはずもなかった。

 

「……長。私は、お嬢様に私の秘密について話そうと思います」

 

「……そうか。君が決めたのならば、止めはしないよ」

 

「それと姉のことに関して、私の生い立ちについてもお話しようかと」

 

彼女の言葉に、詠春は目を見開いた。これまで、詠春が尋ねても頑なに話そうとしなかった、彼女がここへとやってくる以前のこと。

 

「本当にいいのかい? 僕もその話には興味があるが……これまで君が決して、詳しく話そうとしてこなかったことだろう?」

 

「……実は、それは姉さんに言いつけられたからなんです。姉さんのこと、それに関する私の過去について、決して他言するなと」

 

「そうだったのか……」

 

「ですが、既にここの皆さんは姉さんのことについて知っています。ならば、既にこの約束は破ってしまったも同然ですから」

 

そう言うと、彼女は制服の上着を脱ぎ始めた。突然のことにネギが慌てふためき、のどかがネギに飛びついてあたふたしながら両手で目隠しをした。

 

ブレザーを脱ぎ、シャツ姿になると、彼女は背を少し丸めて俯く。その様は、まるで何かを背中から弾き出そうとしているかのようであった。

 

バサァ!

 

はためきの音とともに、白が空間に溢れだした。

 

「これが、私の秘密です……」

 

彼女の背から(あらわ)になったのは、真っ白な一対の翼であった。

 

 

 

 

 

(これが、せっちゃんが秘密にしてたこと……)

 

真っ白な翼を見て、木乃香は暫し目が釘付けとなった。幼い時から一緒に風呂に入ったりなどはしていたはずだが、背中に翼などなかったはずだ。それは学園に来てからも同様で、彼女の背中を洗ったことだってある。

 

「普段は、背中に折りたたんでしまっているんです。だから、お嬢様が知らないのも無理はありません」

 

ただ一人、詠春だけは彼女の秘密を知っていた。そして、それを木乃香に話さなかったのも、刹那がいずれ木乃香に明かしてくれることを願っての事だった。

 

「私は……烏族と人間の間に生まれました……」

 

刹那は、ぽつりぽつりと話し始めた。烏族の里に生まれた彼女は、しかし人間の母と烏族の父の間に生まれ落ちたことで嫌われ者だった。母は刹那を産んですぐに亡くなり、父も刹那が物心ついた頃には死んでいたため身よりもなかった。

 

だが、彼女が最も忌み嫌われた理由はその翼にあった。

 

「烏族では、白い翼は忌み子の証なのです……」

 

彼女は、生まれながらに真っ白な姿をしていた。白い頭髪、翼。そして瞳は紅い色をしていた。父が存命の時は、刹那を守ってくれていたのだと、幼いながらも何となく理解していた。しかし、父もいなくなった刹那は、ついに里から追放された。

 

「その後、私はあてもなくあちこちをさまよい続けました……そんな時、姉さんに会ったんです」

 

 

 

 

 

『……おなか、すいたなぁ……』

 

空腹でついに動けなくなり、刹那は地べたに倒れ伏した。雨まで降り始め、刹那を冷たく濡らしていった。まるで、世界から早く死ねと暗に言われているような気分だった。

 

(……うち、うまれてきちゃあかんかったんかな……)

 

死が近づいてくる。意識が段々と遠退き、世界が反転していく。

 

(とうさま、かあさま……)

 

沈んでいく。どこまでもどこまでも。

 

『……どうしたの』

 

不意に、声がした。それによって少しだけ意識が近づいてゆく。

 

『だ、れ……?』

 

『……貴女、一人……?』

 

女性の声だった。うっすらと見えたのは、紫の艶やかな着物に、雨水を反射して黒曜石のように輝く髪。そして、吸い込まれそうなほどに暗い闇を湛えた瞳。

 

『うち、ひとりぼっち……なの……』

 

『……そう』

 

『しんだら……とうさまとかあさまにあえるかな……』

 

そうであれば、自分は一人ぼっちではなくなる。それだけが、彼女に残された最後の希望であった。だが、もう姿もまともに見れない相手が、絶望を彼女へと言い放つ。

 

『……死んでも、貴女の父と母は、そこにはいない……』

 

彼女の言葉を最後に、刹那は意識を手放した――――。

 

 

 

『こ、こは……?』

 

目を覚ますと、そこには不思議な光景が広がっていた。空は重く黒ずみ、銀の太陽が怪しく光り輝いている。彼女が立っている場所は、地面ではなく水が広がっていた。しかも、それは真っ赤な色をしており、鉄の匂いがぷんと鼻を突く。

 

『これが、あのよなの……?』

 

あまりにも、殺風景で何もない。本で読んだあの世は、天国であれ地獄であれいかにも人が大勢いるかのように描かれていた。だが、これではあんまりではないか。生きていても一人で、死んでからも一人なんて。

 

『あのひとがいってたこと……ほんとうだったんだ……』

 

死の直前、女性が言っていたことを思い出す。確かに、父も母もここにはいない。それどころか、人っ子一人もいないのだ。何故、彼女はそのことを知っていたのか。彼女は、実は死神だったのではないか。

 

『ひぐ、えっぐ……さびしいよ、とうさま、かあさまぁ……!』

 

ついに、刹那は精神的に限界を迎えた。最後の希望であった死後の世界でさえ、彼女を慰めてはくれなかった。ならば、自分はどうして生まれ、死んだというのだ。

 

『うぅ、ぐす……』

 

蹲って泣く。泣き続けて、泣き続けて。涙は全然枯れてはくれない。ポタリポタリと、紅い海に雫が吸い込まれていいく。波紋が広がり、消えていく。その繰り返し。誰一人いないここで、一人ぼっちで続いていく。

 

また一滴が落ちた。だが、今度は波紋が消えない。

 

また一滴落ちた。今度はさらに波紋が広がっていく。

 

また一滴、また一滴。どんどん雫で波紋は増えてゆき、波打っていく。

 

『……? な、なにこれ……!?』

 

気づけば、水面はざわめき立ち、波紋が無数に広がっていた。やがてそれらは水面を波立たせ、どんどんと強くなっていく。

 

『わぷっ!?』

 

巨大化した波が、刹那に飛沫を上げて襲いかかった。

 

再び意識が遠のいていく。死んだというのに、今度はどこへいくというのか。

 

やがて飛沫が治まると、そこにはもう刹那の姿はなかった――――。

 

 

 

『ん……あ、れ……?』

 

目を覚ますと、先程までの不可思議な世界はなく、冷たい地面が確かにそこにあった。いつの間にか雨は止んだらしく、水たまりが雨が降っていたことを静かに主張しているのみであった。

 

『うち……いきてる……の……?』

 

死んだのではなく、夢でも見ていたのか。そんな気分になるが、しかし夢にしては妙にリアルで、現実味があった。自分の顔をぺたぺたと触ってみるが、しっかりと感触がある。どうやら、こちらも現実のようだ。

 

『……貴女が見たものは、本物よ……』

 

後ろから声がし、振り返ってみるとそこには大きな岩に腰掛けている何者かがいた。よくよくみれば、その格好は自分が意識を失う直前に見た人物と同じだった。艶やかな紫の着物は雨のせいか濡れ湿っており、髪も水気を帯びていた。その顔は、一切の感情を感じさせない無表情。

 

(もしかして、ずっとうちをみてたの……?)

 

しかし何故。身寄りもない、こんな忌み子の自分をどうして。そもそも、先ほど見た光景をどうして知っているのか。どうして、あれが本物だと知っているのだ。女性は立ち上がると、刹那へと近づき、何かを取り出した。

 

『……食べる?』

 

手に握られていたのは、ビニールラップに包まれた白いもの。握り飯であった。

 

『……いいの?』

 

『……お腹、空いてるでしょ?』

 

刹那は女性の手からそれをひったくると、貪るように食べ始める。さまよい続けて3日間、まともな食事も取れなかった彼女の胃は、強烈に食事を求めた。雨のせいかボソボソに冷えきっていたが、構わず食べ続ける。

 

あっという間に、握り飯は彼女の腹へと消えていった。女性は、相変わらず無表情のまま彼女を見つめていた。

 

『……なんで?』

 

『…………』

 

『なんで、うちをたすけてくれなかったん……しにそうやったのに……』

 

食事をくれたことは素直に感謝している。だが、そもそも食事を持っていたのならば何故餓死寸前であった自分を助けてくれなかったのか。

 

『……生きるか死ぬかは、その人の気力次第……貴女は本当に死ぬ寸前だった……。……私が手助けをしても、死んでいた……。……だから、貴女が生き返ったことに、驚いてる……』

 

刹那は、実際に一度死んでいたらしい。しかし、彼女の話では生き返ったのだという。

 

『……貴女があの世界で、輪廻へゆくのかを見ていた……』

 

『みていたって……あのよを、みてたってこと……?』

 

『……私には、あの世界が見える。……でも、生と死の営みは私には変えられない。……それができるのは、あの世界のモノだけ……』

 

先ほどまで、ずっと岩に腰掛けて自分を見ていたのは、そういうことだったのかと刹那はようやく得心がいった。

 

『……貴女はまだ、あの世界に行くべきではない……だから、生きている……』

 

女性はそう言うと、彼女へと手を差し出した。

 

『……まだ生きたいなら……一緒に、来る……?』

 

『え……?』

 

『……一人は、寂しい。……寂しいのは、怖いよ……?』

 

呆然とした。まさか、一緒に来るかなどと言われるとは思わなかったのだ。里では常に邪魔者扱いで、同年代からも嫌われていた。人から優しくされた経験などないに等しく、唯一の肉親であった父もそっけない態度を取る人物だった。

 

不意に、ポロリと涙が零れた。

 

『……ええの? うち、いっしょにいってもええの……?』

 

『……私は、貴女を拒絶しない。……貴女と共にいる』

 

『……うぇ、うえええええええん!』

 

もう、限界だった。初めて他人に受け入れられた喜びで、刹那はただひたすらに泣いた。彼女が泣き止むまで、女性は刹那を抱いて頭をなでた。人肌の温もりが堪らなく愛おしい。そのせいで、更に刹那は涙を流した。

 

『ぐす、ひっく……』

 

『……貴女、名前は?』

 

『……せつな』

 

『……刹那……か……。……今日から、貴女は桜咲刹那よ』

 

桜散る儚き一瞬。しかしその一瞬の如き満開の桜の美しさ。後に自分の名前の由来を聞いた時、彼女は刹那にそんなものを感じて名づけたらしい。今度は反対に、刹那が女性に名前を聞いた。

 

『おねえさんの、おなまえは……?』

 

『……鈴音。……明山寺鈴音』

 

いつの間にか晴れ渡っていた空は、夕焼けで真っ赤に染まり、二人を同じ色で照らしていた。

 

 

 

 

 

「あの時、あの人に出会っていなければ……きっと今の私はいないでしょう」

 

鈴音との出会い、そして自らの体験を語った刹那は、どこか懐かしむような顔をしていた。彼女にとっては、あの日から人生が始まったといえる。世界から拒絶されていると感じていた彼女が、誰かに初めて受け入れられた日であったから。

 

彼女に憧れて、無理を言って髪を黒く染めてもらい、黒目のコンタクトをつけた。彼女とお揃いでありたいと、自分の容姿が嫌だった刹那が願ったから。

 

「かぁ~っ! 刹那の姐さんも、大分苦労してたんすねぇ~」

 

刹那の幼少期の話を聞いて、アルベールは感極まって男泣きをしていた。ネギも、うっすらと涙を浮かべている。どうにもこの二人は涙もろい質らしい。彼女の翼を見ても、元々知っていた詠春も含めて一同は嫌な顔一つしていない。せいぜい翼を広げた時に驚いた顔をした程度だ。

 

だが、彼女にとってはその中のたった一人のことだけが気がかりだった。親友であり、この秘密を打ち明ける最も大きな要因である一人の少女の反応が。

 

「……お嬢様、いやこのちゃん。これが、うちの秘密や。こんな忌まわしい翼を持つうちやけど、このちゃんと一緒にいたいいう気持ちは本物なんや。けど、このちゃんがうちのこと、受け入れられないってゆうんなら、うちはこのちゃんから離れる」

 

決意の篭った目で、刹那は木乃香へ言った。もう、彼女に秘密を持つのはやめたい。これ以上、親友の心を裏切るような真似はしたくなかった。だから、彼女がこの翼に忌避感を覚えるのならば、潔く自分は身を引こうと考えていた。

 

木乃香はしばらく黙していたが、やがて立ち上がると刹那へと近づいてゆき。

 

「ふぇっ!?」

 

刹那の背から生える翼に触れた。感触を確かめるように、彼女の白い翼を撫で触る。

 

「こ、このちゃん……?」

 

「やーん、もふもふしとる~!」

 

困惑している刹那をよそに、木乃香は興奮気味に刹那の翼を触り続ける。ついには、そのまま顔を埋めてスリスリと頬ずりを始めた。

 

「あっ、このちゃん、くすぐったいよぉ」

 

「もうちょいやけ、ちょいやけこうさせてや~」

 

木乃香の行動に、一同はぽかんとしたまま動けなかった。先ほどまでの暗い雰囲気はどこへやら、完全に木乃香の独壇場と化していた。ようやく満足したのか、木乃香は白い翼から離れ、刹那が解放される。

 

「このちゃん、怖くないん? うち、半分は化け物なんよ? しかも、烏族でさえ忌避するような忌み子やよ?」

 

恐る恐る、刹那は木乃香に聞いてみる。正直、こういった反応が来るとは思いもしなかったせいで、それなりに混乱していた。

 

「やけど、せっちゃんはせっちゃんや。うちと幼いころから一緒に遊んだ友達で、うちのこと守ってくれる大切な人。それは変わりないんや。せっちゃんは、うちのこと嫌い?」

 

「そ、そんなことない! うちもこのちゃんのこと大好きや!」

 

「んふふ、うちもや。せっちゃんのこと大好きやもん、この気持は変わらへん。それにその翼、とっても綺麗や」

 

「きれ、い……?」

 

「うん! 天使みたいやわ~!」

 

『……刹那、貴女がどう思っていようと、私は貴女の翼は綺麗だと思う。……いつか、私以外にもそれを分かってくれる人が現れるはず……』

 

この翼を綺麗と言ってくれたのは、今まで敬愛する姉ただ一人であった。だからこそ、彼女にとって姉はとても特別な存在であった。

 

そして今、親友もまたこの翼を嫌うことなく綺麗だと言ってくれた。それは、彼女のことを本当の意味で受け入れてくれたということに他ならず。

 

「そっか……うちの大切な人……ようやく見つけられた……」

 

「せっちゃん、改めてよろしくな?」

 

そう言って、木乃香が手を伸ばしてくる。視界が滲んでよく見ないが、それでもしっかりと彼女の手を握り返す。伝わってくる暖かな感触が、これが現実なのだと伝えてくれる。

 

(姉さん……うち、ようやく見つけたよ……大切な人、大切に思ってくれる人を!)

 

こうして、二人の少女のあいだにあったわだかまりは完全に消え去った。互いにすれ違ってきた思いを打ち明け、二人の絆はより強固なものとなって。

 

 

 

 

 

だが、悲しいかな。それで終わらないのが世の常。

 

「仕込みは終わったよ。鈴音さん」

 

準備を整え終わった白髪の少年が、鈴音に報告する。既に関西呪術協会の本部がある神社のすぐ近くへと、一同はやってきていた。

 

「……ご苦労様、フェイト」

 

少年、フェイトへ労いの言葉をかける。彼女は手近な木へと近づいていくと。

 

リィン

 

清涼な鈴の音が響く。そのすぐ後に、彼女の前にあった木が無骨な丸太へと姿を変えた。引退しているとはいえ、かつては彼女ら『夜明けの世界』と戦った英雄の一人がいるのだ。彼女も、久々の強者との戦いに備えていた。

 

「これなら、勝てるかもしれん……!」

 

その様子を眺めていた千草が、もしかしたらという思いを抱く。木乃香が関西呪術協会の本部へと入ってしまったためやむをえないのだが、たった四人で総本山とも言える場所へ乗り込むなど正気の沙汰ではないと考えていた。だが、鈴音から感じる常人ならざる雰囲気に、これならばいけるのではないかと感じたのだ。

 

「うふふ、先輩とまた斬り合える~楽しみで楽しみでしゃあないわ~」

 

月詠もまた、刹那との再戦を心待ちにしていた。恐らく、もう彼女は迷いも完全に吹っ切っているだろう。つまり、文字通り一切の憂いなく本気で殺り合えるのだ。

 

「月詠、お嬢様の奪取が最優先だってことを忘れてへんやろな?」

 

そんな彼女を、半ば諦めながらも注意する千草。とはいえ、この戦闘狂が人の言うことをしっかりきくとは思っていない。あくまで、彼女は抑え役や撹乱役として動いて貰う予定だ。

 

「……始めようか」

 

開始の合図と同時に、神社を覆う大結界が消滅した。

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