二人の鬼   作:子藤貝

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第四十二話 鬼神事変③

「おらああああああああ! ネギでてこいやああああああああああああああ!」

 

「い、犬上小太郎!?」

 

飛び込んできたのは犬上小太郎であった。そういえばいなかったなと、今更ながらに思い出す刹那。てっきり、この部屋で石になっていると思っていたが、よくよく考えたらこの部屋には石になった者はいなかったと気づく。

 

実は、フェイトが用いた認識阻害によって彼女らは、小太郎の存在まで忘却していたのだ。皆が皆、小太郎が石になっているだろうと思い込んでしまい、そのままずっと意識の外に追いやられていたのである。

 

「ネギはどこやああああああああああ!」

 

「な、何があったんだ!?」

 

興奮状態の小太郎の様子に、さすがの刹那も圧倒される。そのまま呆然としていると、自分が吹き飛ばしたネギを発見し、胸ぐらをつかんでブンブンと振り回し始めた。さすがにマズイと判断した二人は、小太郎を慌てながらも落ち着かせようとする。

 

「お、落ち着くでござる!」

 

「落ち着いてなんかいられるかああああああああああああああああああ!」

 

「か、楓! 二人で抑えこむぞ!」

 

「りょ、了解したでござる!」

 

さすがの小太郎も、刹那と楓の二人がかりでは分が悪く、あっという間にネギから引き剥がされた。取り押さえられた時に少々暴れたものの、ようやく息を荒げながらも小太郎は落ち着きを取り戻した。

 

「……悪かったわ、怒鳴りこんだりして」

 

「いや……私こそすまん、痛むか?」

 

取り押さえられた時に、刹那にぶん殴られた頬を擦りながら言う小太郎。余りにも暴れるので落ち着かせるために刹那がおもいっきり殴ったのだ。おかげで、小太郎は正気に戻ったが。

 

「で、どうしたのだ一体。あんな声を荒らげて」

 

「っ! そうや! ネギのやつに伝えなあかんことがあったんや!」

 

そう言って立ち上がろうとした小太郎を、楓がどうどうと再び座らせる。

 

「ネギ先生に、伝えたいことだと? というか、お前どこに行っていたんだ?」

 

「石化の魔法で視界が埋まった時あったやろ? あん時逃げ出したんやけど……」

 

そうして、彼がこれまでしていたことを話す。

 

 

 

 

 

 

あの時何故鈴音が動いたのか。実のところ、最初から小太郎たちのことはバレていたのだ。片方は仮にも味方だし、奇襲されようとも未熟な彼では自分たちは倒せない。もう片方も、今朝までただの一般人だった人物。警戒するに値しないと放置されていたのである。

 

では、そんな彼女に心変わりをさせた原因はなにか。

 

(……読心のアーティファクト……これが原因か……)

 

彼女は読心によって自分の心を探られていることを察知したのだ。元来、読心術は魔法でもかなり特殊な部類に入る。相手が気づいてさえいなければ、一切を悟らせることなく対象の心を探ることができるのだ。だからこそ、一流の相手であっても十分に通用するのがその恐ろしさたる所以である。尤も、心を閉ざした相手にはさすがに通用しないし、一流の戦士は大抵そういった技能を体得しているものだが。

 

だが、彼女は心を探られていることに気づき、素早く彼らの背後へと回っていた。彼女は『あの世界』の光景が見えている。この世界の法則や、成り立ち方。そういったものが透けて見えるかの世界にどっぷりと浸かったせいで。つまり彼女の心は、向こう側に通じているような状態なのだ。

 

のどかのアーティファクトが不気味な文字で埋め尽くされたのはそのためである。すぐに鈴音が心を閉ざしたおかげで文字は消え去ったが、下手をすれば死の世界でもあるあちらと繋がってしまう可能性もあった。

 

だからこそ、彼女はのどかを危険と判断し、その刃を抜いたのだが。

 

鈴音の刃がのどかへと迫る直前。

 

タァン!

 

「……!」

 

一発の銃声が、状況を一変させた。正確無比に鈴音へと放たれてきた弾丸を、鈴音はのどかを殺そうとしていたその返す刃で弾き飛ばした。金属同士がこすれ合う甲高い音が響き、弾丸はあらぬ方向へと飛び去っていった。

 

その隙を、小太郎は逃さなかった。のどかの腕を掴み、強引に引っ張りながらその場からの脱出を試みた。

 

「逃すと思うかい?」

 

だが、それを阻む者がいた。フェイトだ。彼は終始小太郎の動きを観察しており、なにかあればすぐに対処できるようにしていたのである。魔法の始動キーを唱え、先ほど関西呪術協会でも用いた石化の煙を発生させる。

 

「こいつは……!」

 

その煙から感じる嫌な雰囲気で、小太郎はこれこそが人を石に変えた魔法だと気づく。

 

(ちぃっ!)

 

内心舌打ちしながらも、のどかを引きずるようにして森の深くまで逃げようとする。だが、のどかは腰が抜けてしまっているのか思うように動いてくれず、どんどん煙が迫ってくる。やがて、周囲が完全に煙で覆われていった。

 

「……逃げられたか」

 

煙が晴れるとそこには、小太郎とのどかの姿はなかった。後を追うべきか逡巡するが、まずは先ほど弾丸を放った何者かを探すことを優先すべきかと意識を切り替える。

 

(煙は既に彼らに追いついていた……今頃はどこかで石像になっているはずだ)

 

既に石像となって物言わぬ存在となっているだろう二人など後回しでいい。だが、こちらに気配を気取らせず、正確無比に狙撃するなど並大抵の者にできることではない。ならばどちらが厄介な存在かは明白だ。彼は優先すべき順序をしっかりと弁えていた。

 

 

 

 

 

「…………」

 

一方、狙撃された鈴音は周囲に気を張り巡らせていた。のどかのことで若干注意を逸らしていたせいもあるが、気配を読むことに長けた彼女でさえ直前まで気づけなかった隠形。それほどの相手となれば、鈴音でも万が一のことがあるかもしれない。よって、現状で最も危険な相手を潰すのが道理というもの。

 

「……出てこい」

 

微かだが、気配を感じた方へと言葉を投げる。暫し静寂が空間を支配するが、やがて呼びかけに応じるかのように何者かが木の影から姿を現した。夜の闇に紛れるよう真っ黒な外套を頭からすっぽりと被り、顔も目元以外は覆い隠されている。

 

「……さすがだな、最小限まで気も魔力も抑えこんでいたはずなんだが……」

 

感心したような言葉を吐く。が、あくまでお世辞程度にしか言っていないようだ。声色からして女性のようである。

 

「……僅かだが、お前から怒気を感じた……」

 

感じる視線から、ほんの僅かではあるが怒りや憎しみといった感情を、鈴音は感じとっていた。相手は軽く肩をすくめて嘆息する。

 

「やはり、貴様相手じゃどれだけ抑えようとしても漏れでてしまう、な……」

 

淡々としているように見えるが、相手の言葉の端々から感じる憎悪を鈴音はしっかりと読み取っていた。そして、相手が何者であるかに気づいた。

 

「……そうか。……お前か、復讐者(・・・)

 

「……ああ。この時をどれだけ待ったことか……」

 

そう言って、顔を覆っている布に手を伸ばす。現れたのは、日本の出身ではないことを端的に証明する濃い褐色の肌。そして黒い髪をストレートに伸ばし、切れ長な目元や整った目鼻立ちがやや日本人ばなれしていることを更に強調する。

 

だが何よりも印象的なのは、その鋭いというのも憚られる程の眼光。そのまま対象を射抜くかの如き錯覚さえ覚える絶対零度の瞳。

 

「数年ぶりだな……明山寺鈴音……!」

 

「……名前を捨てたことは知っているが、あえてこう呼ばせてもらう……久しぶりだな、龍宮真名」

 

3-Aのメンバーの一人、龍宮真名がそこにいた。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

少女の苦しげな吐息が、しんと静まり返った空間へと溶け出す。上気してほんのりと赤みを帯びたその頬は、どこか艶かしさを感じさせる。しかし、それを眺める少年の顔には影がさしていた。

 

「……なんで」

 

小太郎とのどかは、明かり一つ無い暗闇に覆われた森のなかにいた。あの時、石化の煙に追われて絶体絶命だった二人がどうやって生還したのか。

 

「なんで……俺をかばったんや……!」

 

「はぁ……ぅく……は……」

 

のどかが苦しんでいる原因、それは先ほどの逃亡劇によって息があがっているからではない。彼女の体が(・・・・・)段々と石に(・・・・・)なっている(・・・・・)せい(・・)だ。

 

彼女は二人共に煙に巻き込まれる寸前、小太郎を突き飛ばしたのだ。それによって、小太郎はわずかながらに煙より離れることができ、のどかを抱えることによって体勢を立て直して逃げ切ることに成功したのだ。

 

だが、のどかは足に煙を浴びてしまい、既に下半身が完全に石となってしまっている。

 

「なぁ、なんで……なんで俺を……」

 

「私、じゃ……どうせ逃げ切れなかった、から……」

 

腰が抜けてしまい、足手まといになっていたのどかでは、どうあがいても逃げ切ることはできなかった。だから、せめて小太郎だけでも逃げられるように突き飛ばしたのだ。

 

「小太郎くんは……私のために一緒に来てくれた……だから、私のせいで石にされちゃうのは、嫌だったの……」

 

「ドアホ! そもそも、俺の仲間のせいで姉ちゃんの友達は石になったんやぞ!」

 

「……小太郎くんは……やってない、から……あの人達とは、違うって……私、思った、から……」

 

小太郎はその言葉に目を見開いた。いくら自分が直接なにかやったわけではないといえ、仲間の手によって友人を石にされれば恨まれるのは当然だと思っていた。だから、小太郎は罪滅ぼしの意味で彼女の手伝いをしたのだ。

 

「恨んでない……て言ったら嘘になる、けど……それで、助けない理由には、ならない……」

 

小太郎が自分を助けたのは、たしかに負い目もあるだろう。だが、自分のためにここまでしてくれた彼を巻き添えにすることはしたくなかった。

 

「……アホや、ほんまモンのアホやで姉ちゃんは……」

 

知らず、小太郎は涙を流していた。幼い頃からこの裏の世界で揉まれ、孤独な一匹狼を気取って生きてきた。今回のように集団で行動することはあっても、別行動をして問題を起こすことはしょっちゅうだったし、助けあうなんてこともなかった。

 

温もりを知らずに生きてきた彼にとって、こうして誰かに優しく接されたことなどなかったのだ。

 

「大丈夫、だよ……きっと、せんせーが……助けてくれる……」

 

苦しさを押し殺して、にこやかな顔をするのどか。そんな彼女の表情に、絶望の色も陰りもない。

 

「なんで、そんなに信じられるんや……見捨てられるかもしれへんし、そもそもあんな化け物に勝てるわけが……!」

 

「……私の勝手な思いだけど……私にとってのせんせーは……ちょっとおっちょこちょいだけど……とても頼りになる人で……大好きな人、だから……」

 

二の句が告げなかった。彼女の優しさ、心根の強さ、そしてそんな彼女に信頼されている存在。どれも、小太郎が持っていなかったものだ。化け物に初めから勝てないと決めつけて逃げることばかり考え、心の何処かで怯えていた自分とは違う。

 

「……悔しいなぁ……」

 

心の底から、そう思った。昼間に戦って負けた時も、悔しさが胸をついてきたが、今はそれ以上のものがこみ上げてくる。一人のほうが気楽なはずだった。誰にも邪魔されず、大好きな戦いができると思っていた。

 

だが、彼女らの関係を見てそれが間違いだったことに小太郎は気づいた。自分がやりたいことばかりにかまけ、助けあうことの大切さを知らなかった。信頼の上に成り立つ絆を知らなかった。

 

これでは、本当に自分はただのガキではないか。

 

(俺が負けるのは、はじめっから決まってたことなんかもなぁ……)

 

羨ましい。妬ましさではなく、純粋な気持ちでそう思った。自分も、自分勝手をやめて千草らと連携すればこんな事態を招かなかったかもしれない。ネギに負けることもなかったかもしれない。

 

一人きりで、寂しい思いをしなかったかもしれない。

 

「……も、う……駄目みたい……」

 

いよいよ、のどかの石化が喉まで迫ってきていた。これ以上進行すれば、喋ることだってできなくなるだろう。

 

「……最後……私の我儘……聞いてくれない、かな……」

 

「…………」

 

「石に……なっちゃったけど……私の、アーティファクト……せんせーに、届けてあげて……」

 

のどかの足元に落ちていた、石の塊と化してしまったそれを拾う。そこには先ほどフェイトを読心した時の内容が表示されている。

 

「きっと……せんせーの役に……立ってくれるはず、だから……」

 

「……分かった。必ず届ける」

 

小太郎が力強く応え、首肯する。それに安堵したのか、彼女は薄く笑い。

 

「あ、り……が……と……う……」

 

完全に沈黙した。

 

「……」

 

無言のまま、小太郎はゆっくりと立ち上がる。そして上着を脱ぐと、それを彼女にかけた。

 

「必ず……必ず届けて、ネギを連れてくる……約束や……!」

 

彼の瞳に、決意の炎が灯った。

 

 

 

 

 

「宮崎さんが……」

 

刹那らが気絶していた間に、そんなことが起こっていたのかと二人は驚愕する。そして、小太郎がどうしてあれほどまでに興奮していたのか納得した。小太郎は義理堅い性格だ、彼女との約束を果たすために全力疾走してここまできたのだろう。それによって、一種のランナーズ・ハイになっていたようだ。

 

「んで、俺としてはネギにさっさと姉ちゃんを助けに行ってもらいたいんやけど……」

 

「……すまないが、今はネギ坊主をそっとしておいてやってはくれまいか?」

 

「……どういうことや」

 

怪訝な顔をする小太郎に、楓はネギを無言で指さして答える。先ほどは興奮していたせいで分からなかったが、見ればネギの顔にはすっかり生気がなかった。まるで、死ぬ一歩手前の病人か、幽鬼のようであった。

 

「な……!」

 

「先ほど、お主の仲間がここを襲撃した時……強烈な殺気を真正面から浴びて、心を折られてしまったのだ……」

 

「先生は元々戦いなんて殆ど経験したことがなかったんだ。にも関わらず、命のやり取りをするような戦いに巻き込まれたせいで心身共に限界だったのかもしれない……」

 

怯えきり、身を掻き抱いてまるで外界を拒絶するようにうずくまるネギ。その瞳には、昼間に戦った時に見えたあの輝きは微塵も感じられない。

 

「…………」

 

小太郎は、なにも言葉を発しなかった。ただひたすらに、ネギの姿をその瞳へ映し、見つめ続けていただけだ。そのまま彼は、ゆっくりとした足取りでネギへと近づいていく。

 

刹那と楓は無理もないと感じた、なにせ一度は彼を負かした相手が、こんな無残なことになっているとは思わなかっただろう。だから、茫然自失でなにも言葉が出なかったのだと二人は思っていた。

 

だが、それが間違いであったと二人はすぐに思い知らされた。

 

「この……バカ野郎がァッ!」

 

固く握りしめられた右手を、小太郎はネギに向かって強烈に振り下ろしたのだ。それは正確にネギの頬を捉え、鈍い打撃音とともに彼を吹き飛ばした。

 

「「なっ……!?」」

 

小太郎の突然の行動に、さすがの刹那と楓も驚く。直情的とはいえ、さすがの小太郎もあんな状態のネギに殴りかかるなんて思わなかったのだから。

 

「オイ……いつまで腑抜けた面晒しとるつもりや……ネギッ!」

 

「う、あ……」

 

ネギの襟首を掴みあげ、睨みつける。まさに怒り心頭といった様子で、ネギはその気迫によって何も喋ることができない。

 

「てめぇ、昼戦った時の根性はどこいったんや!」

 

「……めて」

 

「ちょっと脅かされた程度でグチグチと女の腐ったみたいな奴になって……!」

 

「……やめて……」

 

段々とヒートアップしていく小太郎に、なんとか抵抗しようと小声で抗議するも、それが逆に更に小太郎の怒りのボルテージを引き上げる。それに連れて、何も響かなかったはずの言葉の数々が、ネギの心を荒く抉っていく。

 

「そんなんだから……お前は……」

 

「やめてよ……」

 

「自分の生徒も守れずに奪われるんやッ!!!」

 

「っ! やめてって言ってるだろ!」

 

ついに我慢の限界を迎えたネギは、思わず小太郎を殴り飛ばしていた。だが、小太郎はそれに怯むこともなく、憎まれ口を叩く。

 

「ペッ、こんなへなちょこじゃあいつらに勝てるはずもないわ。俺に勝ったのも、所詮は偶然だったっちゅうことか」

 

「やめろ……」

 

「こんなんじゃ攫われたお嬢様も浮かばれへんなぁ……ま、そもそも頼みの先生がこんなんだからはじめっから希望なんかなかったんやろけどな」

 

「やめろっ!」

 

自分の情けなさをあげつらうかのような小太郎のいいように、苛立ちが増したネギは再び小太郎へと殴りかかる。だが、小太郎はそれを苦もなく最小限の動きでかわすと、お返しとばかりにカウンターをもろに浴びた。それをみた刹那は、さすがにこれ以上はマズイと思い止めに入ろうとするが、楓がそれを制する。

 

「楓っ、なぜ止める……!」

 

「落ち着け刹那。このまま、存分にやらせてあげるでござるよ」

 

「だがっ!」

 

「あれだけ無気力であったネギ坊主が、反撃をした……それだけネギ坊主を揺り動かすものがあったということの表れ。ならば、これ以上拙者たちが介入することはまかりならんでござる」

 

楓の言葉に、刹那は無言のまま引き下がる。そのまま、二人の一部始終を傍観することにした。ひょっとしたら、そう思わずにはいられず。

 

「君に分かるもんか! 頑張っても頑張っても、それが無力さを思い知らされることに! あんな、自分のすべてを否定されるような殺意の嵐を知らない君に!」

 

「ああ、分かるわけ無いやろ。そんな自分の情けなさを他人のせいにしてるような奴が何を吠えてようが、何も分からんわ!」

 

ネギの拳が、小太郎の拳がお互いに飛び交う。それを二人は防御もろくにせず行い、ノーガードで殴っては殴られを繰り返していく。

 

「姉ちゃんはな! お前を信じてたんやぞ! お前をいっちゃん頼れる人だって、大好きな人やって言うとったんや!」

 

「知らないよそんなの! 期待されることがどれだけ辛いか、君に分かるもんか! 先生になって僕より年上の人を守らなきゃいけないことが、その責任がのしかかってくることの重さが!」

 

「ハッ、そんな義務感じみたもんならはじめっから姉ちゃんらも願い下げやろな! 結局お前が仕方なくやってるだけやないか!」

 

「ああそうだよ! 僕はエゴの塊だ! 僕の事情のためにみんなを利用してるようなものだ! 罪悪感でいっぱいなんだよ! もう嫌なんだ、そんな僕に期待するような目を向けられるのが!」

 

先生という責務、知る人もいない異国にいる孤独、裏切られることの辛さ、信用できる人の少なさ。10歳の子供が体験するには余りにも酷な環境だ。それを、彼は自身の大人びた雰囲気でなんとかひた隠しにして頼れる人物像を築いてきた。

 

だが、所詮はそんな鍍金(メッキ)では剥がれ落ちるのも時間の問題であった。今朝の魔力暴走もその一端であったが、のどかによって抑えこむことができた。それが、鈴音との戦いで完全に溢れだしてしまった。もう、自分を偽ることもできなくなって怖くなった。

 

失望から白い目で見られることが恐ろしくなった。

 

「僕が見せていたのは僕じゃない、そんな僕の本性をみんなが知れば嫌いになるのは当然だ! みんなを騙してきたんだから!」

 

「それが、アホや言うとるんやッ!」

 

強烈な右フックを浴び、ネギは錐揉みしながら床を転がっていく。ネギは頬を抑えながら、顔だけを上げてキッと小太郎を睨みつけた。

 

「お前は、結局自分のことばっかで他のヤツのことを見てないやないか! お前、まさか自分のことを分かってない奴がいないと本気で思っとるんか!」

 

「そんなの……」

 

「いないなんて言わせへんで! 俺を昼に負かした時、お前は仲間と一緒に俺を倒した! あん時、お前は確かに信頼して戦ってたはずや!」

 

「それ、は……」

 

「眼鏡の姉ちゃんがいて、神鳴流剣士の姉ちゃんがいて、忍者の姉ちゃんがいて……。そんで読心師の姉ちゃんがいたやろッ!」

 

ネギは、先ほどの小太郎が話していたことを思い出す。いくら意気消沈していたとはいえ、彼の耳にはしっかりと届いていたのだ。もっとも、そのせいで変に期待をかけられていると思ったネギは更に塞ぎこんでいたのだが。

 

「読心師の姉ちゃんはな! 最後までお前を信じてたんや! 本当のお前を知ってて、それでも最後までお前のことを話してたんやで!?」

 

「のどかさん、が……僕を……」

 

『せんせー、大好きです……!』

 

思い出すのは、彼女の純粋な好意と柔らかな唇の感触。非力な一般人でありながら、こんな情けない自分のために戦う覚悟をしてくれた。こんな最低な自分を、好きだと言ってくれた。

 

「なぁ、頼む……もう一度立ち上がってくれ……でなきゃ俺が惨めでしゃあないんや……」

 

見れば、小太郎は涙を流していた。彼にとってネギは、自分を負かした男であり、己が唯一認めた好敵手であり。そして自分が持っていないものを持っている男だ。千雨のような頼れる仲間も、のどかのような信頼できる者もいない。

 

「俺が負けたお前がそんなんじゃ……俺は何なんや……!」

 

「小太郎くん……」

 

「自分勝手やって、仲間も何もいない俺は何なんや一体……!」

 

ネギと小太郎は、本質的にどこか似ていた。どちらも自分本位な考え方で、自分勝手なところがあって、しかし真逆であった。ネギには仲間が、小太郎には孤独があった。

 

「俺はな、逃げたんや……、あの化け物が怖くて逃げた……格上の俺に向かってきたお前と違って、俺は戦いもせず逃げた……!」

 

ボロボロと、小太郎は涙を流し続ける。視界がぼやけ、焦点が合わなくなっていく。惨めで、情けなくて、どうしようもなくて。戦いだけが生き甲斐だった自分が、戦いから初めて逃げた。その事実が彼の胸を容赦なく突いてくる。今にも、張り裂けそうな有り様だった。

 

「頼む、頼む……! 俺じゃあいつらには敵わへん……! 情けないやつやと思うやろけど、俺には無理なんや……!」

 

「でも、なんで僕に……」

 

「約束したからや……読心師の姉ちゃんに……!」

 

何もかも、戦いさえも放棄した小太郎だが、のどかとの約束だけは守り通したかった。自分では彼女を助けることはできない。だがネギならと、彼女が最も信頼していた男なら何とかしてくれると思ったから。

 

(何を、何をやっていたんだ僕は……!)

 

そんな小太郎の姿を見て、ネギの内にごく小さな、しかし確かな火が灯る。それは段々と勢いを強め、荒れ狂う(ほむら)となって燃え広がっていく。

 

「小太郎くん、僕……行くよ」

 

「……! ホンマか……? ホンマに……!?」

 

「これ以上、皆に情けない姿なんか見せられないし……何より、このかさんとのどかさんをこれ以上待たせる訳にはいかないから……!」

 

死への恐怖は未だある。歯の根が合わず、膝は震え、目眩すら起きそうな最悪の気分。それでも、ネギは立ち上がる。自分を支えてくれる人がいることを思えば、こんなもの屁でもないと空元気を出す。

 

「先生……」

 

「ネギ坊主……」

 

一部始終を見守っていた二人の方を見る。思えば、彼女らも随分と待たせてしまったと思う。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありません。楓さん、刹那さん」

 

「いえ、先生の調子が戻られたようで、私としては喜ばしい限りです」

 

「うむ。これで、あとは千雨殿だけでござるな」

 

「私がどうしたって?」

 

聞こえるはずの声にぎょっとした一同は、思わずそちらへと視線を移す。そこにいたのは。

 

「ち、千雨さん!?」

 

「おう、私だ」

 

先ほどまで身を縮こまらせていたはずの、長谷川千雨の姿があった。

 

 

 

 

 

『なぁ、お前はそれでいいのか?』

 

「…………」

 

『先生はもう立ち上がる覚悟をしたぞ?』

 

「……分かってるさ」

 

実は、千雨も先ほどの二人のやりとりを見ていたのだ。ネギが、自分を信頼できる仲間だと思って復活したことは嬉しい。だが、やはり千雨には再び立ち上がる勇気が湧いてこなかった。

 

「私は……どうしようもなく非力だ。先生ならできるかもしれないけど、私がいちゃ邪魔になる……」

 

『はっきりと言えよ、怖いんだろう? 鈴音さんが怖いって』

 

それらしい建前を述べても、氷雨は容赦なく事実を突き立ててくる。それが嫌になるほど正しいことに、千雨は自嘲の笑みを浮かべる。

 

「ああ、そうさ……私はな、もう嫌になったんだ……自分ごときが、あんな恐ろしい化け物に立ち向かえるはずがない、それを思い知らされてちまった……」

 

『……お前はそれでいいのか?』

 

「……何言ってんだ、お前にとっては好都合だろ? お前を倒した憎たらしい私が、こんな醜態を晒してるんだぞ?」

 

『フン、それは違うな。私にとって最も喜ばしいのは、自分の手でお前たちに苦悶の表情を浮かべさせることだからだ』

 

「そうかよ……」

 

心底どうでもいい、最早自分には関係のないことだ。そんな雰囲気が感じ取れた氷雨は、面白くなさそうであった。

 

『つまらん、欠伸が出そうなほどにつまらんな。お前がそんなところで止まっては困る』

 

「何を言おうが、もう私には関係ない話だ。もう、放っといてくれよ……」

 

『自棄にでもなったか? だがな、お前はもう舞台に上がったんだ。降りることは私が許さん。少なくとも、私がお前たちを殺すその時までは、な』

 

「勝手に決めるな、私はもうおり……」

 

『なら、お前にはもう平凡な人生も平和な時間も訪れはしないな』

 

氷雨の言葉に、千雨は僅かに顔を歪ませる。どうせハッタリだと思っているが、しかし何か胸騒ぎを覚えるものだった。

 

『お前、まさか私が弱ってるお前を狙わないとでも思ってたのか? とんだ馬鹿だな、笑いが止まらんぞ。言ったはずだ、今の状態は貴様の強靭な精神力によって成り立っていると。だが、心が弱れば精神も弱化する。そうなれば……』

 

後は分かるな? そう言っているような雰囲気に、千雨は薄ら寒いものを感じていた。もし、こいつに体を奪われればその後はこいつに好き放題される。クラスメイトをなんとも思わずに利用する奴だ、確実にそうなるだろうと。

 

「てめぇ……」

 

『ん? いっちょまえに怒ったか? 既にお前は降りるといったんだ、ならば邪魔な役者は早々に退場してもらうに限る。ダラダラと残り続ける大根役者など、喜劇にもならん。せいぜい私が有効活用してやるよ、先生を殺すためにな』

 

その言葉で、千雨は肌が泡立ち全身が冷えていくような錯覚を覚えた。いや、実際今の自分は真っ青な顔になっているだろう。

 

(先生が、死ぬ……? 私の、せいで……?)

 

思えば、孤独な人生を歩んできた自分がこうも賑やかな輪の中にいるのは、偏にネギとの出会いがあったからこそ。そうでなければ、今も自分は本来の自分を曝け出せる友も、信頼できる相手もいなかっただろう。

 

それを失うことを想像してしまい、千雨はとても怖くなった。あんな生き方に逆戻りしてしまっては、今度こそ自分は孤独に負けて怪物となってしまうだろう。そうなれば、最早鈴音らとともに生きていくしかない。それはとても甘美で、温もりを感じるだろう。しかし、千雨には耐えられない。

 

ネギとともに、正しさの中で生きる喜びを知ってしまったから。

 

「させるかよ……」

 

『ほぅ?』

 

「お前なんかに、好き勝手させてたまるかよ……ようやく見つけた、私の居場所をッ!」

 

『なら、どうするというのだ?』

 

なおも、挑発的な言葉を投げてくる氷雨に、千雨は悠然と言い放つ。

 

「てめぇら全員ぶっ飛ばして、私の平穏を手に入れてみせる」

 

『さて、できるかな? 非力な一般人でしかない君に』

 

「できるさ……私には先生が、共に戦える仲間がいる。ああ分かってたさ、もう私は一般人なんかじゃ無いってことを……!」

 

彼女が頑なに認めたくなかった、一般人であるという自負。それは、自分がかつてあった平穏の中へと帰ることができるかもしれないという淡い期待から。舞台を降りるといったのも、自分が非日常へと完全に逸脱することで、今の自分とは違う何かになってしまうのではないかという恐怖からであった。かつて、孤独の中で自分が人間ではない何かに思えてしまったあの恐怖のせいで。

 

「もう、私は躊躇わない。私もやるしかないんだ」

 

『……フン、ようやく元の調子に戻ったか』

 

千雨が調子を取り戻したことで、氷雨もいつもの皮肉めいた雰囲気へと戻る。

 

「お前、もしかして……」

 

『勘違いするな、私が殺す前にヘタれられるのは納得がいかなかっただけだ。それに、お前らはあの人達が探す英雄の候補だからな』

 

「……プッ」

 

『っ! 何がおかしい!?』

 

氷雨の言葉に、千雨は思わず吹き出してしまう。さすがにわけも分からずいきなり笑われるとは思わず、氷雨は思わず声を荒げる。

 

「いやまさか、現実でこんなテンプレ染みたツンデレが見れるなんてな! 誰得だよ!」

 

『ええい黙れ! 私の体があれば今すぐにでもその口を塞いでやるものを……!』

 

「ま、ありがとうよ。ようやく私も自分の大事なことがわかってきたし」

 

『……クキキッ、礼などいらんさ。いずれ、戻ったことを後悔させてやるんだからなぁ』

 

「ああ、楽しみにしといてやるよ」

 

 

 

 

 

「ってな具合だ」

 

「そ、そうだったんですか……」

 

小太郎とネギのやり取りのせいで、千雨のことなどすっかり頭から抜けていた一同は、まさかそんなことになっていたとは思わず驚き顔だ。

 

「つーわけで……これからまた頼むぜ、先生」

 

「はい! よろしくお願いしますね、千雨さん!」

 

互いにしっかりと手を握り合う。そこには、目には見えないが確かな信頼があった。

 

「あんたらもだ、桜咲に長瀬」

 

「僕達に、力を貸してください!」

 

二人に対して差し出された二本の手を、刹那と楓は笑みを浮かべて握り返す。

 

「勿論です!」

 

「無論、でござるよ」

 

「オレっちもやるっすよ!」

 

「ああ、少しだけなら期待してるぜ?」

 

「酷いっすよ姐さん!」

 

千雨の憎まれ口に、一同から笑いが起こる。ようやく、元の状態へと収まったことがアルベールは嬉しくて仕方がなかった。

 

「それから……」

 

ネギは、最後に少年の方へと歩み寄り。

 

「僕達に手を貸してくれないかな、小太郎くん」

 

「な……え……お、俺か?」

 

困惑気味の小太郎に、ネギは手を差し出す。

 

「君は、のどかさんのためにここまできてくれた。僕は、そんな君と一緒に戦いたい」

 

「ほ、ホンマに……? ホンマに俺と?」

 

ネギは無言で首肯する。知らず、小太郎は泣いていた。手を差し伸ばせば、掴み取れる。手に入らないと思っていたものが、共に戦える仲間が。

 

「勿論や……よろしゅうな!」

 

狂った歯車は、しかし再び噛み合って動き始める。更なる動力を得て、力強く。


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