二人の鬼   作:子藤貝

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第四十四話 鬼神事変⑤

血まみれの腕を振り、こびりついた千草の血肉を落とす。フェイトは湖の水を使ってそれらを洗い流し、腕が水からあがる頃には大した汚れも見当たらなくなっていた。

 

「……さて」

 

見上げれば、そこには巨体を誇る鬼神の姿。リョウメンスクナノカミは復活したばかりのせいかその動きはかなり鈍いが、いずれは本調子に戻って暴れ始めるだろう。そうなれば、過去に封じられたせいもあって人に強い恨みをもつかの存在は間違いなく人が集まる場所、即ち京の中心地へと侵攻していくことだろう。

 

「どれぐらいの被害が出ることかな」

 

まるで他人ごとのように呟くフェイト。彼にとっては、リョウメンスクナノカミが暴れようがどうだっていい。彼の最優先事項は作戦の遂行だ。それだけが、今回の彼の使命であり目的。それを達成した今、リョウメンスクナノカミの動きを見張る以外にすることはない。有り体に言えば、手持ち無沙汰な状態となっていた。

 

(鈴音さんのところに戻るか? いや、たしかにあの激闘を見るのは僕が強くなるためにも有意義なものとなるだろうが、かえって邪魔になる可能性も否定出来ない。それに……)

 

何か、予感めいたものを感じていた。ここに誰かが来ると。

 

(いや、実力から鑑みてもあの数の鬼を抜けてこれるとは……)

 

脳裏に浮かんだ可能性を、即座に否定する。あれほどの数の鬼、それも質の高い妖怪が何匹もいるあの囲みを突破できるとは思えなかった。

 

(……何だ? 僕は期待をしているとでも言うのか……?)

 

ならばなぜ、自分は来ると確信めいた心持ちだというのか。モヤモヤとした疑問は、しかしはっきりとした実像を結ぶことなく彼に困惑を与え続ける。尤も、それが表情に出るほど彼は腑抜けてなどはいないが。

 

そして。

 

「……!」

 

湖とは反対側、その上空へと彼の視線は釘付けとなる。最初は、真っ暗な夜空が見えるだけだった。しかし、次第に流れ星が空を横切るのが見えてくる。いや、それにしては遅すぎるし、何より大きすぎる。

 

「……来た、のか」

 

飛来した物体は、人の姿をしていた。杖にまたがり、魔法で飛んできている。そして、それは湖へと到達する寸前で森へと消えていく。だが、消えたわけではない。しっかりと、気配が感じられる。それは再びこちらへと向かい、やがて森を抜け出てきた。

 

「お嬢様!」

 

「木乃香さん!」

 

現れたのは、三人の少年少女。

 

「ネギ・スプリングフィールド、君か」

 

「フェイト・アーウェルンクス……!」

 

時を越え、大悪党の生き写しの如き少年と、大英雄の息子が対峙した。

 

 

 

 

 

「チッ、やっぱもう復活してたか……!」

 

ここへとやってくる道程で、湖から光の奔流が見えた時点である程度察してはいたが、こうして間近で見てみるとその圧倒的な存在感がよく分かる。しかも、一見して大人しげだが、よくみれば今にも暴走しそうにも見える。

 

「天ヶ崎、千草……」

 

一方、刹那は祭壇に横たわっている女性を発見していた。天ヶ崎千草である。その体は真っ赤に染まっており、ひと目で血を流して倒れているのがわかった。そして、それを誰がやったのかもある程度察しがつく。

 

「貴様がやったのか……!」

 

刹那の非難するような言葉に、しかしフェイトは冷ややかな視線を向けるだけ。依然、彼の最大の興味はネギへと向かっているようだ。

 

「どうして、彼女は君の仲間だったはず……!」

 

ネギもフェイトが行ったであろうことに、困惑しながらもそう尋ねる。

 

「生憎、彼女は僕達組織の目的達成のため、一時的に組んでいただけだ」

 

返ってきたのは、余りにも無情な言葉。つまり、彼らは彼女を散々に利用するだけ利用し、目的を達したから殺したというのだ。その言葉に、珍しくネギは怒りを発する。

 

「彼女を、利用だけして捨てたのか!」

 

「見解の相違だよ。初めから、彼女は仲間でも何でもない。必要だから用いただけの駒だ。君は、使い終わったティッシュを捨てることもしないのかい?」

 

そう言ったフェイトが、更に口を開こうとした時。ネギは一息でフェイトの目前へと移動していた。力任せにフェイトを殴ろうと、ネギが拳を大きく振りかぶる。だが、その動作は余りにも素人臭く、フェイトはあっさりとそれを躱して彼に蹴りを叩き込んだ。

 

吹き飛んだネギは、しかし空中で杖によって姿勢を制御すると、しっかりと足で着地した。蹴りを受けて反射的に零れ出た唾液を拭うと、鋭い眼光でフェイトを射抜く。

 

「へぇ……」

 

フェイトは、そのネギの動きのよさに感心した。仮にも幹部である大川美姫を倒しただけはある。そして、その豹変ぶりにも目をみはるものがあった。普段やや頼りなさ気な、あどけない少年の顔はそこにはなく、明確な闘争の意志をその目に宿した憤怒の顔がそこにはあった。

 

「先生、いきなり突貫すんじゃねぇ。相手は格上だ、無闇な攻撃なんか当たらねぇよ」

 

「すみません千雨さん、頭に血が上ってしまって……けど、僕は彼を許せない……っ!」

 

「その点に関しては、私も同感だ。腸が煮えくり返りそうな気分だぜ」

 

千雨に窘められ、ネギが自らの短慮を反省する。だが、双方ともにその顔には依然として怒りが見え隠れする。

 

「ネギ先生、どうやらお嬢様はリョウメンスクナノカミの付近にいるようです」

 

剣を抜き、フェイトに対して構える刹那はそういった。つまり、ここを任せて救出を、と言っているのだ。しかし。

 

「刹那さん、木乃香さんの奪還は貴女にお任せします。僕は、彼を相手します」

 

「ですが……」

 

彼我の実力差は歴然だ。ネギ達は知らないが、相手はかの組織において幹部候補まで上り詰めた人物。対して、ネギはその組織の幹部を倒してはいるが、経験も実力も不足している。

 

「恐らく、彼の興味は僕にある。僕が向かおうとしても妨害されるでしょう」

 

「それに、桜咲の方が足が速いし小回りも効く。あのデカイ鬼が暴れだしても対応できるだろ。いざとなりゃ、先生の首根っこ掴んででも逃げるぐらいはするさ。態々本気で相手する必要もねぇしな」

 

「……分かりました、お二人とも気をつけて」

 

そう言うと刹那は、木乃香を救出するために離脱して湖の中心へと向かった。残されたのはネギと千雨、アルベール。そしてフェイトのみだ。

 

「いいのか? 桜咲を素通りさせたが」

 

「構わないよ、どうせ彼女では無理だ。それに……」

 

フェイトの言葉を遮り、湖の方から轟音が響き渡る。何事かと目を凝らしてみれば。

 

「うふ、抜け駆けはいけませんえ~先輩」

 

「月詠……!?」

 

離脱していたはずの、月詠の姿があった。

 

「嘘だろオイ、近衛の親父さんと一緒に消えたあいつがなんでここに……!」

 

「生憎、近衛詠春の抑えは一人ではないよ。もう一人と交代でこちらに来てもらった」

 

これで、少なくとも木乃香を救出するにはどちらか一方でも倒さねばならなくなった。

 

「……しゃあねぇ、先生いけそうか?」

 

「正直、僕では勝ち目はないでしょうね……けど、勝つ必要はないです」

 

「負けなきゃいい、か。それでもちょいと厳しそうだが……やるしかないか」

 

そう言うと、彼女はポケットからあるものを取り出す。それは、彼女がネギと契約を交わした際に手に入れたもの。仮契約カードであった。

 

「先生、頼む」

 

「……分かりました。『契約執行180秒間、ネギの従者「長谷川千雨」』!」

 

魔力の光が、ネギからのパスを通じて彼女へと降りかかる。それは千雨の体を覆うと、そのまま彼女を包み込むかのように留まった。

 

「力が湧いてくる……これなら、多少は無茶ができそうだ」

 

「くれぐれも気をつけてください、千雨さん自身は元は非力な体ですから、相手の攻撃なんて喰らえば死んじゃいますから」

 

「あいよ、せいぜい死なないよう頑張るか」

 

そう、彼女はネギの魔力を借りて肉体を強化したのだ。通常であれば、重い石さえ満足に持ち上げることができないが、今の彼女なら脆い岩石ぐらいなら蹴りで砕くことができるだろう。とはいえ、契約で強化できる時間は今は最大でも3分間。それ以上は掛け直す必要がある。なお、それを聞いた彼女は当初、どこぞの光の国の巨人を思い浮かべたとか。

 

「いくぜ!」

 

「僕達が相手だ!」

 

 

 

 

 

「くそっ、そこをどけ月詠!」

 

「うふ、やですえ~。せっかく先輩と心置きなく戦えるゆうに、どけるわけないですえ」

 

剣撃の音が鳴り響く。刃と刃、その鎬が激突し、火花を散らし合う。

 

「「村雨流、『時雨』!」」

 

互いに納刀し、瞬速の抜刀術で抜き放つ。互いの実力が拮抗しているためか、激突と同時に双方が反動で吹き飛ばされて湖へと落下した。だが、刹那も月詠も並の使い手ではない。気で足を覆って湖面へと着地すると、そのまま水飛沫を上げながら目標へと向かう。

 

「にと~連撃、斬岩けーん!」

 

「神鳴流、『斬魔剣』!」

 

巨岩さえ両断する太刀筋と、魔を滅する斬撃が交差する。またも、威力は互角。数瞬の鍔迫り合いを経て、刃を弾いて距離を取り、並走する。

 

「先輩は、やっぱりお嬢様をとったんどすな~、姉さんを裏切って」

 

「私は、私の守りたいもののために戦うだけだ!」

 

月詠の斬空閃と、刹那の斬鉄閃が虚空で激突する。息をつく間もなく、双方は再び急接近し、斬り合いを演じる。さながら、それは長き時を経て復活したリョウメンスクナノカミを称える舞、剣舞を捧げているかのようであった。

 

「先輩は決して、誰にも理解されることなく終わりますえ~」

 

「貴様にそんなことを言われる筋合いはない!」

 

「図星どすか、分かってるんでしょう自分が化け物の仲間だということを、お嬢様たちとは相容れない存在だと」

 

「黙れ!」

 

烈火の如き攻めで月詠へと肉薄するが、しかし有効打が与えられない。元々、月詠の用いる小太刀は防御に秀でた武器。村雨流の攻めの小太刀術を使っているとはいえ、彼女は小太刀本来の扱い方をよく理解して使っている。

 

「村雨にとー、『水垂れ髪』」

 

両手の小太刀で、五月雨を放つ。ただの連撃ではない、五月雨独特の緩急のついた突きが倍になって迫ってくるのだ。長く絡みつく髪の如き攻撃を、刹那は捌ききれないと判断して即座に離脱を図るが、それこそが月詠の狙い。彼女は連撃をやめて刃を交差させると。

 

「うふ、かかりましたわ。『旋風(つむじかぜ)』!」

 

刃を攻撃のためにして、交差した強烈な真空波を彼女へと放つ。刹那はそれを迎撃しようとするが、真空波が急にその形を変じた。

 

「何っ!?」

 

真空波が、まるでハサミの口が閉じるかのように、刹那の両側頭部へと襲いかかったのだ。一発の真空波を相手に考えていた彼女はほんの少しだけ対応が遅れ、なんとか頭部を屈めることによってそれを躱すも、完全に動きが止まってしまった。

 

「隙ありですえ」

 

故に、接近していた月詠の蹴りが彼女の腹部へとめり込む。勢いのついたそれは、容易に彼女を吹き飛ばして湖へと沈めた。飛沫が上がり、水が跳ねる中刹那は水底へと沈んでいく。

 

(強い……)

 

水の中で、そんなふうに考える刹那。さすがに、姉のもとで研鑽を積んでいただけある。どうあっても、地力の差が出てしまっている。

 

(私では、勝てないのか……?)

 

弱気な言葉で自らに問いかける。あの人と過ごしてきた年月も、経験も劣る。そんな自分に、勝てるものなど。

 

(……いや、違う)

 

ある。自分にはかけがえのないそれらがある。仲間が、戦友が、そして親友がいる。確かに過ごした時間は決して多くはない。しかし、それは優劣の基準とはなりはしない。素晴らしい経験と体験は、時として万の時間に優る。

 

『……刹那、お前は自分の守りたい者のために戦いなさい……』

 

(そうだ、私は……!)

 

薄れかけていた意識が、浮上していく。

 

 

 

 

 

「威勢だけはいいが、大したことはないね」

 

「くそっ……」

 

「はぁ、はぁ……」

 

一方、ネギ達はフェイトたった一人を相手に苦戦を強いられていた。いや、むしろ戦いというよりは遊ばれている感覚であった。

 

「『風精召喚、剣を執る戦友』!」

 

風精を召喚し、フェイトへと向ける。それに合わせて、千雨もフェイトへと襲いかかった。

 

「無駄だよ」

 

しかし、フェイトは冷静に彼女を迎え撃つ。素人丸出しの蹴りを受け止め、無造作に放り投げる。襲い来る風精は全て、独特の動きで肘や拳で蹴散らしてしまった。

 

「くそっ、カンフーかよ! こんなとこまでファンタジーしてんじゃねぇ!」

 

フェイトが用いていたのは、漫画の中で出てくるような中国拳法であった。しかし、その完成度は相当なものであり、単なる真似事の遊びでないことが分かる。事実、風精はそれで蹴散らされたのだから。

 

「障壁突破、『石の槍』」

 

「く、ぐぅっ!?」

 

障壁破壊効果を伴った先端の尖った石柱が、地面から突然に生えてくる。ネギはそれを

直撃するすんでのところでかわすが、脇腹を掠めてしまい血が流れ出る。

 

「大丈夫か先生!」

 

「はい、なんとか……」

 

絶望的な差。どれだけに雷撃を、風圧を、打撃を放ってもいなされる。魔法の質でも、接近戦でも勝てない。どう足掻いても、軽くあしらわれてしまう。まるで、災害か何かとでも戦っている気分であった。

 

(……拍子抜けだな)

 

相対するフェイトは、ネギ達の予想以上の弱さに退屈さを感じ始めていた。大川美姫を倒したと聞き、自分と同じぐらいの年齢でそこまでのことをやってのけたネギに、彼は興味があった。美姫は精神面が不安定であるとはいえ、古参のメンバーが多く、最近ではとんとあがったものがいない幹部へと昇進してみせた生え抜きだ。間違いなく、フェイトよりも総合的に実力がある。

 

それ故、彼はそんな彼女を倒したネギに、ある種の対抗意識を無意識の内に持っていた。上を目指して幹部候補まで上り詰めた自分と、同程度の年齢ながらその幹部を倒したネギ。ある意味、重ねあわせていたところがあったのだろう。

 

ついさっきまでは、それも鈴音によって心を折られたせいで鳴りを潜めていたのだが、あの殺意の嵐に怯えてなお、再び立ち上がったことで再度火が灯ったのだ。だからこそ、彼のその弱さにフェイトは困惑し、次第に興味を失い始めていた。

 

(多分、今のあいつは相当に退屈してるはずだ)

 

そして、それを一人見抜いているものがいた。千雨である。相手がどんな理由でネギに固執していたのかは分からないが、明らかに興味を失いつつある。ネギとの因縁があるのか、それとも単に戦闘狂なのかはどうでもいい。

 

(それだけ、油断してるってことでもある)

 

真正面から戦ってダメなら、搦手で攻める。だが、相手が万全ではそれも通用しない。策を成立させるのに重要なのは、何もそれ自体だけではない。相手をどのようにして平常心を乱れさせるか、そういった駆け引きも必要なのである。

 

「先生」

 

短く、千雨が目配せをしながらネギの方に短く語りかける。ネギは、それに黙って頷くことで返した。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイド、小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。時を奪う毒の吐息を……何を企んでるのかしらないけど」

 

フェイトは、二人が何かを画策していることに気づいていた。そして、いい加減ネギに対する失望が過ぎ、その策諸共に吹き飛ばしてやろうと考えた。

 

「これで終わりだ、『石の息吹』」

 

「っ、マズい!」

 

「石化の煙か!」

 

そう、フェイトが放ったのは関西呪術協会本部を全滅に追い込んだ、生物を石像に変える魔法の煙。それが、彼女らへと襲いかかった。

 

 

 

 

 

「まだやるんどすか? 先輩じゃ、うちには勝てませんえ」

 

「お嬢様が待ってるんでな」

 

水から上がり、再び対峙した刹那はなおも戦意が衰えていないことをひしひしと感じさせる。そんな彼女の姿に、月詠は苛立ちを覚えていた。

 

「ふーん、先輩はやっぱり姉さんのことはその程度にしか思ってなかったちゅうことどすか」

 

「いいや、私がここに立っていられるのは、こんなちっぽけな私を必要としてくれる人がいたからだ。そして、最初に私を救い上げてくれたのは、間違いなく姉さんだ」

 

「だったら……」

 

「だからこそ、だ」

 

刃を鞘へと収め、構える。村雨流が得意とする居合抜刀術、それを放つ魂胆だろう。

 

「私は、そんな姉さんを尊敬し、愛している。あの人にはいろいろなことを教えられた。知識も、他人とのふれあいの暖かさも、そして戦い方も。それを、大切な者のために使えとも言われた」

 

「…………」

 

「私は、私を必要としてくれた人のために、あえて姉さんにも立ち向かおう。私が私らしくあるために、あの人の教えに背かないために。そして大切な人を守るために」

 

「……なんやそれ。結局、姉さんを裏切っとることに言い訳しとるだけやないか……!」

 

激高する月詠。自分のただ一人の理解者であり敬愛する姉を刹那が裏切った、彼女にはそれだけで許せない理由になる。例えどれだけ刹那の気高い覚悟がそこにあるとしても、月詠には関係のないこと。彼女もまた、刃を鞘に収めて構える。

 

「もうええわ、姉さんを裏切るような奴に、生きる資格なんてないわ」

 

「悪いが、押し通る。私は生きて、皆の元へ帰らねばならん」

 

「そんなん許すわけ無いやろ! 死ね、死んでまえあんたなんか!」

 

月詠が刀の柄に手を置いたまま走りだす。同様に、刹那もまた走りだした。

 

「村雨流『時雨』!」

 

月詠の神速の居合が刹那へと迫り。

 

「村雨流奥義、『疾風(はやて)』!」

 

「なっ、それは姉さんの……!?」

 

風圧が、刃とともに月詠へと迫る。風圧と同時に真空波を乱発生させ、寸分たがわぬコントロールを以ってそれを集束、対象を細切れにする最強の飛ぶ斬撃。それは月詠の『時雨』を軽々と弾き飛ばし、彼女へと襲いかかった。

 

「きゃああああああああああああああああああああああああ!」

 

月詠へと斬撃の嵐が降りかかり、そのまま湖の彼方へと(いざな)う。そのまま、森へと落下していった。

 

「安心しろ、死にはしないさ」

 

最早聞こえるはずもない相手に、刹那は納刀しながらそう零した。

 

 

 

 

 

「……石像になったかな」

 

煙のせいで視界が悪く、どうなっているのかは分からないが、間違いなく魔法の餌食となったはずだ。ならば、最早勝負は決したも同然。

 

「さて、いい加減リョウメンスクナノカミを動かすとしようか」

 

復活のために魔力を利用した木乃香だが、同時にその制御も彼女の魔力によって為されている。今は彼女が祭壇にいるためリョウメンスクナノカミも動けないが、木乃香さえどけてしまえばすぐにでも暴れ始めるだろう。自分は、それをうまく誘導して京都の街へと動かせばいいだけ。

 

「……結局、歯応えもない連中だったな」

 

「バーカ、そういうのは仕留めたのを確認してから言えってんだよ」

 

「マヌケなやつだぜ! やーいやーい!」

 

「!」

 

突然の声に、思わず彼はそちらへ釘付けとなる。みれば、祭壇へと続く桟橋の上に、千雨の姿があった。肩にはアルベールもいる。石化した様子はない。つまり共に魔法が当たらなかったのだ。アルベールの嗅覚によって風の流れを読み、煙を回避していつの間にかフェイトの背後へと回っていたのだ。

 

「近衛は返してもらうぜ!」

 

「させると思うかい?」

 

始動キーを唱え、呪文を詠み上げる。ネギの姿はなく、恐らく煙に巻き込まれたのだろう。ならば、最早強化もできない彼女など的にしかならない。魔法を遅延させ、彼女を石の槍で貫くために飛び出そうとした時。

 

「っ! これは!?」

 

見れば、足元にいつの間にか魔法陣が敷かれている。彼は即座に飛び退ろうとしたが、しかし魔法のほうがコンマ1秒の差で早かった。捕縛効果の魔法陣によって、地面へと立ったまま縫い付けられる。そんなフェイトを見て、アルベールが意地悪く声を上げる。

 

「やーい、ひっかかってやんの!」

 

「こんなもの……」

 

「すぐに破れるって?」

 

「それだけの時間があれば、十分です」

 

千雨の言葉と、もう一人の声にフェイトはハッとなる。この魔方陣を敷いたのは、長谷川千雨ではない。ならば、これを仕掛けたのはもう一人の声の主。

 

「ネギ・スプリングフィールド……!」

 

ようやく晴れた煙の中から現れたのは、ネギであった。右腕は煙に触れたためか石化が始まってしまっているが、その手はしっかりと握りしめられ、魔法がかけられている。そう、千雨はあくまでも囮。わざと自らの無事を見せつけ、確実に仕留めるために魔法を唱えて無防備になる彼を拘束するためだった。全ては、この一撃を為すため。

 

「やれ、先生っ!」

 

これから起こることに対して、フェイトは即座に結論が出る。そしてそれを回避するため、拘束から抜けだそうとする。だが、拘束は思いのほか強く。

 

(まずい、抜けだせな……!)

 

「これで、終わりだ……!」

 

文字通り石と化した拳が、フェイトへと迫り。

 

「はあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

「が、はっ!?」

 

フェイトの障壁をぶち抜いて石化した拳が側頭部へと激突し、骨が軋む打撃音とともに彼を湖へと吹き飛ばした。フェイトは重い水音とともに着水し、浮上してくることはなかった。

 

 

 

 

 

「お嬢様、助けに来ましたよ」

 

リョウメンスクナノカミの真下。そこに安置され眠っている木乃香を見つめ、そう零す。封をされていた口や手足を開放し、彼女をゆっくりと持ち上げる。

 

「んぅ……」

 

「お嬢様、目を覚まされましたか」

 

持ち上げた途端に、木乃香が目を覚ます。寝ぼけ眼なせいかはっきりとみえないが、次第に視界がクリーンになってくる。

 

「せ、ちゃん……?」

 

「はい、私ですよ」

 

目の前にいるのが、自分の大好きな親友であるとわかると、木乃香はにっこりと微笑み。

 

「やっぱり、助けに来てくれた」

 

「お嬢様……いえ、このちゃんのためなら、私はいつだって駆けつけますよ」

 

「やーん、せっちゃんかっこええ~」

 

「こ、このちゃんくすぐったいわ」

 

木乃香を救出し、彼女のどこにも異常がないことを確認した刹那は、すぐにでもこの場から離脱しようと考えていた。しかし。

 

『グルルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

 

「くっ! 何故今になって活発化した!?」

 

「せっちゃん……!」

 

動きを封じていた木乃香がいなくなったことにより、阻害されるものがなくなったため、リョウメンスクナノカミが行動を始めたのだ。地響きのせいでろくに身動きも取れないため、このままでは逃げ出す間もなく二人は叩き潰されてしまうだろう。

 

(どうする、このままでは……)

 

そう考えていた時。一つの案が浮かぶ。だが、それと同時に刹那の顔が暗くなる。確かにこの方法なら逃げ切ることはできるだろう。しかし、それは自らが忌避し続けてきたもの。使えるかどうかも分からないものだ。

 

(……いや、今更怖気づいてどうする。私は、何があろうとお嬢様を守ると決めたはずだ!)

 

意を決して、彼女は目を閉じる。強く木乃香を抱くと、自らの背へと力を込める。やがて、制服の背から彼女の一部が現れる。

 

そう、彼女が忌避し続けた、真っ白な羽。それをはためかせ、彼女は一気に飛んだ。

 

「わわっ!?」

 

「しっかり捕まって、このちゃん」

 

生まれて初めて、その翼で空を飛んだ。まだぎこちなくはあるが、しっかりと姿勢を維持することができている。まるで、生まれた時から飛び方を理解していたかのようだ。

 

「すごいすごい! 飛んどる、せっちゃん飛んどるよ!」

 

無邪気に、木乃香は飛んでいることに興奮していた。そこに、彼女の翼に対する嫌悪も、侮蔑もなかった。

 

「せっちゃん、泣いとるん?」

 

「え?」

 

彼女の笑顔を見て、刹那は知らず涙を一粒流していた。その涙が、彼女の心にあったつかえを洗い流していく。もう、翼を疎む心はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

「ぜぇ、ぜぇ……」

 

「先生無事、か!?」

 

「だいじょ、ぶ、です……」

 

「大丈夫なわけ無いですぜ!? さっきより酷くなってるじゃねぇすか!?」

 

フェイトとの戦いに勝利したものの、その代償は余りにも大きかった。徐々に侵食する石化が彼を疲労させている。今はレジストできているため進行が遅いが、いずれは肺にまで達してしまうだろう。そうなれば、呼吸困難で死んでしまう。しかし、無理に動かせば石化した体が折れてしまう可能性もある。

 

「おい氷雨、石化を解除できる魔法とか知らねぇのか!?」

 

『生憎、私は魔法は基本たしなむ程度だ。石化解除の魔道具はあるにはある、麻帆良に、だが』

 

(くそっ! 分かってたはずだろ、先生が自分の怪我も厭わずに無茶をやる人だってことを!)

 

心のなかで悪態をつくも、しかし解決策はない。未だ、リョウメンスクナノカミも暴れたままだ。

 

「先生!」

 

「ネギ君!」

 

と、そんな一行の元へ木乃香を連れた刹那が合流する。二人はアルベールから一部始終を聞き。

 

「……せっちゃん、なんとかできひん?」

 

「私もこういった呪の類を解く術はある程度心得ていますが、さすがにこれほど強力では……」

 

「うーん……あ! うちの力ならどうやろ!?」

 

そう提案する木乃香になる程と刹那は思う。確かに、死にかけた刹那さえ癒やした彼女の力があれば、石化の力を打ち消せるかもしれない。

 

「しかし、お嬢様は力をコントロール出来ないのでは……」

 

「いや、できるようにする方法がありますぜ!」

 

アルベールによれば、仮契約をすることによって彼女の魔力を安定させ、それによって癒せるはずだと言う。また、うまくいけば治癒系のアーティファクトが手に入るかもしれない。

 

「しかし……それではお嬢様をこちらに巻き込むことに……」

 

「何いってんのせっちゃん、もう今更な話や。それに、うちも助けられてばかりは性に合わへん。今度は、うちが先生を助ける番や! ……で、何すればええの?」

 

「ああ、それなら……」

 

「キスっすよ、そりゃもうむちゅーっと!」

 

アルベールの言葉で千雨の仮契約の場面を思い出したのか、刹那は顔を赤くしてゆでダコのようになってしまった。いくら凛々しい神鳴流剣士でも、彼女もまた花も恥じらう女子中学生なのだ。

 

「なんや、そんなことか~。うちてっきり血とか必要なのかと」

 

「邪教の儀式じゃないんだからよ……って、え?」

 

「ネギ君、堪忍な~」

 

が、同じ思春期真っ只中の女子中学生であるはずの木乃香は、躊躇いもなくネギと唇を交わした。意識が既に朦朧しているネギは、木乃香の唇を何の抵抗もなく受け入れ、契約を交わす。刹那は、顔を更に真っ赤にさせて両手で覆いつつも、指の隙間からそんな二人を見ていた。

 

「パクティオー!」

 

契約の完了とともに、パクティオーカードが出現する。その少し後に、木乃香は口を離した。

 

「ぷはっ! ネギ君の唇、柔らかかったわ~」

 

「……すげぇ」

 

木乃香はアルベールからカードを受け取ると、アーティファクトを顕現させる。

 

「あ、これって……」

 

「まさか、治癒系のが出たのか?」

 

「うん、時間はかかるかもしれんけど、できると思うえ!」

 

既に、肺の当たりまで進行が進んでいる。急いで治癒をはじめなければマズいと判断し、木乃香はぎこちないながらもアーティファクト、『南風ノ末廣(ハエノスエヒロ)』を使って治療を始めた。

 

だが。

 

『グオオオオオオオオオオオオオオン!』

 

「げっ、こっちに気づいたのか!?」

 

暴走して湖で我武者羅に暴れるだけだったリョウメンスクナノカミが、ネギ達に向かって腕を伸ばし始めてきたのだ。

 

「くそっ、先生の治療で動けない時だってのに……!」

 

既に全員が満身創痍だ。あんな巨大な怪物と戦える体力は残っていない。

 

「私が行きます」

 

しかし、刹那は疲労した体に鞭打って立ち上がると、刀を抜いて構える。

 

「おい無茶するな! お前ももうボロボロだろ!?」

 

「もう、あれに太刀打ちできるのは私だけでしょう? なら、動ける者が動いた方がいい。大丈夫、私も死ぬつもりはありませんから」

 

そう言うと、目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。放てるのはせいぜいが一太刀。ならば、最高の一撃を。イメージしているのは、彼女が未だその背を追い続ける人物。己にとっての最強。虚構でもいい、自分を今最強へと重ねて、自分のできる最大の一撃を。

 

(思いだせ、あの時のことを――――!)

 

 

 

『……刹那。……貴女は、あの世界を見た……しかし『呼吸』をつかめていない』

 

『呼吸?』

 

『……この世の息吹。……石も、花も、人もしているもの』

 

『うーん、よくわからへん……』

 

『……それを読みきれば……』

 

『あ、あんなおっきな岩が……!』

 

『……斬れないものなどない』

 

 

 

(――――そうだ、あの世界を見た私なら……!)

 

意識をさらに奥深くへ、さらにさらに深く、深く。そして、それが底へと到達した時。

 

ドクン!

 

(っ、なんだ……?)

 

体の奥が、熱い。脈打つかのような感覚は、次第にその間隔を狭めていく。

 

(鼓動がやかましい……四方八方から聞こえてくる……!)

 

まるで石ころの一つ一つから、木々や草花の一本一本から聞こえてくるかのよう。

 

(これが、まさか……!?)

 

そして、前方に迫るものからもそれは聞こえてくる。そう、リョウメンスクナノカミだ。自分の中に感じる鼓動、その中でも一際大きなものが、リョウメンスクナノカミから聞こえる鼓動と同調していく。

 

そして、それが完全にシンクロしたその瞬間。

 

「っ、今っ!」

 

反射的に、彼女は上段から刀を振りかぶった。それは、リョウメンスクナノカミの手が彼女をわしづかみにしようかという瀬戸際であり。

 

「……止まった?」

 

唐突に、その動きが止まった。

 

ピシッ

 

やがて、停止していたリョウメンスクナノカミの額が小さく割れる。何かあるのかと警戒していた千雨であったが。

 

「……大丈夫です。もう、あれは動きませんよ」

 

刹那の言葉と同時、勢いよくそのひび割れから縦に線が走り。

 

 

 

リョウメンスクナノカミが、真っ二つに裂けた。

 

 

 

「嘘だろ……!?」

 

千雨は、呆然とそれを見ながらそんな感想を漏らした。あれほどの怪物が、まるで包丁でリンゴを両断したかのようにきれいに二つに分かたれていた。

 

「さ、桜咲がやったのか今の?」

 

驚愕している千雨が、そんなふうに尋ねる。しかし桜咲も困ったような顔をして。

 

「分かりません、私のような気もするけど、そうではない気もします」

 

千雨は再度湖の方を見やる。両断されたリョウメンスクナノカミだったものは、どんどんとその体を崩れさせていき、湖の底へと沈んでいく。アルベールは開いた口が塞がらず、木乃香もまた大きく目を見開いていた。

 

「何にせよ、これでもうあれは身動きが取れませんよ」

 

「……だな」

 

「はぁー、やっと終わったんスね……」

 

最後、リョウメンスクナノカミに何があったのかまではわからない。しかし、これで終わりだ。長かったこの夜の戦いも終わりなのだと。

 

 

 

 

 

「やってくれたね……」

 

そう思っていた、そんな時であった。

 

「フェイト・アーウェルンクス!? あいつ、湖に落ちて沈んでったはずじゃ……!」

 

水底へと沈んだはずの、フェイトの姿があった。彼は普段通りの無表情ではあったが、言い知れぬ静かな怒りを感じさせる。一難去ってまた一難とは、まさにこのことか。千雨と刹那は、なんとか迎撃体制をとろうとする。

 

しかし。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイド……地を呑む者よ、天を覆いて光を奪い、死者の都へ誘え! 『茫漠たる大地』!」

 

大地が持ち上がり、次いで乾いて砂粒へと変貌する。その巨大さは、リョウメンスクナノカミの4分の1程度だが余りにも規格外。

 

「潰れろ」

 

フェイトの言葉と同時に、それは彼らへと襲いかかる。

 

「やばい! 逃げられな……!」

 

巨大な砂津波が、森の木々諸共彼らを呑み込んだ。


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