二人の鬼   作:子藤貝

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絶望から端を発した出会いと過ち。
絶望が再び足元を這いずり、少女を絡めとる。


第四十六話 絶望と友情と

思い出すのは、泡沫の記憶。世界のすべてが無価値に見えてしまっていたあの頃。生きているのか死んでいるのかも分からないほどに揺らいでいた私。

 

ある時何もかもが嫌になり、私は図書館島の滝壺へとその身を投げた。死の先にあるものが何か、ろくに考えもせずただこの灰色の世界から抜け出したくて。

 

『改めて御機嫌よう。自殺志願者さん』

 

『……なんで私を助けたんですか』

 

『気まぐれよ。誰しも人生の中でたまに起こすそれが偶然にも今日起こった。それのはけ口として貴女を助けたといったとこかしら?』

 

『そんな理由で……』

 

『理由を求めすぎるのはよくないわ、物事を探求する上での障害になりかねない』

 

滝壺の奥底、本来であればいくことのできない水中洞窟の先に私は押し流され、そこへたどり着いた。そこで私を助けたのが、一人の女性。つぎはぎだらけの、統一性のないカラーリングをした目に痛い服を着た人物。

 

『まあ、まずは紅茶でも飲んで体を温めなさい』

 

『っ!? か、カップが宙に……』

 

『ああ、貴女一般人だったわね。言っておくけど、これは手品でもなければ目の錯覚でもない』

 

『どういうこと、ですか……』

 

『端的に言えば魔法よ。信じるかどうかは貴女の頭に任せるわ』

 

常識はずれなことの多い麻帆良で過ごしてきた私でも、見たことのないような光景。非日常、非科学的なそれに、私は内心動揺と興味を抱いていた。

 

『ふぅん……少しだけ気分が浮き上がったわね。好奇心が湧いてきたってとこか』

 

『……っ!』

 

心の底を見透かすかのような、黒真珠の如き漆黒の瞳。吸い込まれそうなほどにそれに見つめられ、心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚に陥った。滴り落ちる汗の一滴一滴が冷たく、氷の粒が滑り落ちているのではないかと思えるほどに。

 

『……面白いわ。世界の全てに興味が無いと思いながらも、この世界に対して執着と未練を感じさせる二律背反(アンチノミー)……矛盾を抱え、悩み、死にたいほどに苦しく……されど死ぬことを怖がっている。それも死に対して怯えているのではなく、何かを喪失することへの臆病さから……』

 

ひと通り私を眺め終えたその女性は、立ち上がり私の方へと近づき、こう耳打ちをした。

 

『貴女、魔法を学んでみる気はない?』

 

これが、私の過ちの始まり。奈落の魔女との出会いだった。

 

 

 

 

 

「……んぅ」

 

けたたましい音に目を覚まし、夢から離脱する少女が一人。音の発生源である時計を見てみれば、何故か予定していた起床時間よりも早い。大方、朝に弱い自分のために同居人が時間をはやめて設定したのだろうと考え、欠伸を噛み殺しながら布団を抜け出す。

 

「……今日から授業でしたね……」

 

修学旅行が終わり、休みを挟んで本日から授業が始まる。憂鬱な気分になるが、しかし休んでばかりでは学業が疎かになる。部屋を見渡してみると、他の同居人二人の姿がない。

 

(……二人共、先に起きてどこかに行ったですかね?)

 

恐らくは、早く目が覚めて暇だった一人にもう一人が付き合わされているのだろうと想像しつつ、冷蔵庫から紙パックの飲み物を取り出す。

 

「……んー、ハズレですね。もう少し刺激的なのを期待したですが……」

 

彼女が評価を下したその飲み物の名はハッカ青汁。麻帆良学園限定で販売されている飲み物で、名前の通りハッカのすっとした喉越しと青汁の絶妙な苦さが入り混じったキワモノである。しかし彼女はそんな代物を表情ひとつかえることなく飲み干し、残った紙パックをゴミ箱に放り投げる。

 

「抹茶コーラのような奇跡の産物には、中々会えないものですね……」

 

想像もしたくないような名前の飲み物を例に出し、それに匹敵するような飲料に出会えないことに不満を表す。彼女はこういったキワモノ系の飲料をこよなく愛し、見かければ思わず手を出してしまうほどのマニアなのだ。

 

「……お腹が減りましたね」

 

今日の朝食の当番は同居人の一人だ。が、肝心のその人物がここにいないため自分で作る他ない。

 

「……まったく、ハルナ達はどこへ行ったですか……」

 

ため息を一つこぼしながら、彼女、綾瀬夕映は朝食の準備へととりかかることにした。料理は余り得意ではないが、簡単に目玉焼きぐらいなら作ることはできる。

 

「……って、卵の買い置きがないじゃないですか!」

 

尤も、その材料がなければ意味を成さないが。

 

 

 

 

 

「いやー、悪いね! 押しかけちゃった上に御飯まで貰って!」

 

「全くよ、少しは遠慮ってものを学びなさい」

 

「うひー、アスナは厳しいねえ。小姑みたい」

 

「誰が小姑よ!」

 

夕映が途方に暮れているその頃。ハルナとのどかはアスナたちの部屋にいた。何故彼女らがこんな朝早くからここにいるのかというと。

 

「あの、のどかさん……」

 

「す、すみませんせんせー……けど、もう少しだけ……」

 

原因は意外にものどかにあった。ハルナが朝食の準備を済ませた頃、のどかがいきなり飛び起き、そのままネギのいるアスナたちの部屋へと向かおうとしたのだ。どうも、先日の戦いからネギが石化する悪夢を見たらしく、不安になってネギのところへ向かおうとしたらしい。ハルナはのどかに付き合ってネギのところへやってきただけなのだ。

 

一応、押しかけた手前朝食の手伝いぐらいはしている、のどかだけだが。ハルナはのどかを眺めてニヤニヤしていただけである。

 

「はぁ~、ラブいねぇ青春だねぇ」

 

「なーにじじ臭いこと言ってんのよ。あんたも同い年でしょうが」

 

「あたしゃ他の人の恋愛事情には興味あるけど、自分のことはさっぱりだし?」

 

「花の女子中学生とは思えない台詞ね……」

 

尤も、そんなことを言っている彼女は既に中学生なんて年齢ではないのだが。

 

「ん? 今度は誰かしら?」

 

再びインターホンの音が鳴り、今度は一体誰だと思いつつ玄関へと向かう。

 

「どなたですか……って、朝倉じゃない。どうかした?」

 

扉を開けると、そこには朝倉和美の姿があった。いつもの様におちゃらけた雰囲気ではなく、顔は真剣そのものだった。

 

「……前のこと、先生に謝りにきたのよ」

 

先日の修学旅行。氷雨に誘導されたとはいえ、ネギの触れられたくない部分を探ろうとしたことには変わりない。だからこそ、助けてもらったことのお礼と謝罪を述べにきたのだ。

 

「あー……そういうこと。とりあえず入んなさい」

 

立ったままというのも何なので、とりあえず和美を招き入れるアスナ。入ってくるときも、いつものズカズカとした調子ではなく恐る恐るといった感じだ。やはり、先日の行いに後ろめたさを感じているのだろう。

 

「そういえば、夕映はどうしたん?」

 

「あ゛」

 

なお、木乃香の言葉でようやく夕映のことを思い出したハルナは、和美と入れ替わる形で急いで部屋を出て行った。部屋に戻ったあと、夕映に大目玉を食らうのは避けられなかったが。

 

 

 

 

 

「本当に、申し訳ありませんでした!」

 

ネギと対面し、いきなり深々と土下座をする和美。ネギはいきなりのことに面食らいつつも、あたふたとしながら顔を上げてくれとお願いする。

 

「い、いえ! あれは仕方がないこともありましたし……!」

 

「それでも、です。私は、自分で自分のあり方を曲げてしまったから……」

 

悪を暴く正義の記者を目指していたはずなのに、怪しげなペンダントに教唆されて人の本当に触れられたくない秘密に触れてしまった。本当なら、罵声の一つでも浴びせられたほうがまだましだった。だが、ネギはそれでも自分と向き合い、諭してくれた。だからこそ、今度は真正面からしっかりと謝りたいと思ったのだ。

 

「ネギ、素直に受け取ってあげたほうがいいわ。朝倉もそうしなきゃ踏ん切りがつかないだろうし」

 

「は、はぁ……じゃあ、朝倉さん」

 

「はい」

 

「僕からの宿題です。今度からは、ちゃんと人のことを慮って取材してくださいね?」

 

「……っはい!」

 

涙をにじませつつ、和美はネギと握手を交わす。今度こそ、道を誤らないために。

 

(ふぅん……大分精神的に強くなったわね。これなら、この先心が折れるなんてことは早々ないか)

 

一方で、そんな二人を覚めた目で見つつ観察しているアスナ。先日での戦いが、ネギを成長させたことをしっかりと確認しておく。彼女にとっては、あくまでもネギ達は観察対象でしかなく、仲間意識などこれっぽっちもないのだ。

 

「あ、そういえばネギ君。お手紙がきとったえ」

 

「手紙、ですか? 誰からだろ……」

 

木乃香から手渡された手紙は、エアメールではなく簡素な茶封筒。当然、日本に来て日が浅いネギには思い当たる人物がいない。が、便箋の表にはしっかりとネギ宛だと書かれている。ただ、宛先が書いてあるだけで送り主の名前などが一切ない。

 

「……魔法とかがかかってるわけじゃないみたいだけど……っ!」

 

魔法の有無を確認し、手紙を開くとそこには、大きな字でこう簡潔に書かれていた。

 

『綾瀬夕映は裏切り者である。証拠は、彼女の持つお守りだ』

 

「これは、一体……!?」

 

 

 

 

 

「手紙はしっかりと出したわね?」

 

「抜かりなく」

 

奈落の図書室にて、会話を交わす人物が二人。一人は魔女、もう一人は悪魔。魔女はこの奈落の主であり、悪魔はその魔女に従う従者だ。

 

「しかし、よろしいのですか? このまま実験を実行に移せば、組織との軋轢を生むやもしれませんが」

 

「問題ないわ。私はエヴァンジェリンと契約する際、ある程度自分の裁量で行動することを許されてる。あくまで、私は協力者なだけなのよ」

 

「……それで、あの『黄昏の巫女』が納得するでしょうか?」

 

「しないでしょうね。けど、私の行動をエヴァンジェリンが保証してくれているから彼女は動けない。彼女にとって、エヴァンジェリンは全てだから」

 

計画の障害になるであろう事柄を再度確認する。悪魔、ロイフェは爵位持ちでこそないものの、実力は確かな悪魔だ。しかし、そんな彼でもあの大幹部の少女相手では万に一つの勝ち目もない。それは目の前の主たる少女も同じこと。だからこそ、対策を講じるのは当たり前のことだ。

 

「ひとまず、これで障害となるものは殆どないわね」

 

「魔法先生とやらは、恐らくすぐには動けないでしょうな。組織とはえてしてそういうものですから」

 

恐らく、実験を実行に移し始めても魔法先生らは図書館島を封鎖して慎重に動こうとするはずだ。万が一にでも魔法がバレてしまうことは避けたいはずだし、魔法世界出身者がそれなりにいるためこちらの恐ろしさを知っている者が多い分、動きは鈍いだろう。

 

「ただ、それに縛られない人間達がいる」

 

「ネギ・スプリングフィールド一行ですか。確かに、彼らは少し厄介ですな」

 

仮にもエヴァンジェリンが目をつける英雄候補。それも、かつて大戦中に活躍し、なおかつ『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』と互角に戦っていた大英雄の息子だ。潜在能力は侮れないものがあるだろう。だが、それならそれ相応の対策をすればいいこと。

 

「友の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。正しいときには誰だって味方になってくれるわ」

 

数多くの本棚、その一つの前に立った彼女は懐から、古錆びた鍵を取り出す。そして本棚から一冊の鍵付きの本を抜き出し、その鍵で封印を解く。開かれた中にあったのは、インクによって紙に綴られた文字ではなく、掌に収まる程度の小石。

 

「真の友情は、過ちを犯した時にこそ試される。果たして貴女にそんな友はいるのかしらね、夕映?」

 

闇の中、これから起こることに対する愉悦で魔女、柳宮霊子は口元を歪ませた。

 

 

 

 

 

「うーん……」

 

授業が終わって放課後。ネギは夕映に手紙のことについて尋ねるべきか悩んでいた。もし裏切りが本当のことだとしても、今のネギはそれを気に病んだりしない。度重なる戦いが、彼を精神的に強くしているからだ。だが、もし本当は魔法のことも知らないような一般人なのだとしたら、迂闊に話を聞くのはマズい。

 

「どうすれば、確かめられるのかなぁ……」

 

のどかが持っていた夕映から渡されたというお守りには、確かに強力な魔法の残り香があった。恐らく、自分が魔力暴走を起こした時にのどかが無事だったのはこれが原因だろうとネギは推察する。が、これだけではやはり不十分。あくまで夕映がたまたまお守りを手に入れただけの可能性だってある。

 

「ん~? 先生何やってんの?」

 

「あ、椎名さん」

 

うんうんと唸っていたところに、ネギの生徒である椎名桜子がやってくる。手提げのかばんからチアリーディングに使うボンボンが覗いており、これから部活動に向かうところなのだろう。

 

「いえ、少々悩み事があっただけです。そんなに大したことでもないですから」

 

「ふーん……まあ、私には何を悩んでるのかは分からないけど、思い切って行動しちゃうのもひとつの手なんじゃないかな?」

 

そう言うと、彼女は鞄に手を突っ込んで、一本の鉛筆を取り出す。そして、それを強引にネギの手に握らせた。

 

「これ、私が使ってるコロコロ鉛筆なんだけど結構当たるんだよね~。もし悩みが解決しないならさ、こいつで選んでみちゃえば?」

 

「え、あ、あの……」

 

「それじゃ、私これから部活動だから。じゃーね!」

 

あたふたとするネギを置いて、桜子は駆け足で去っていった。

 

(あ、嵐みたいな人だなぁ椎名さんって……)

 

予想以上にアクティブな彼女に圧倒され、手渡された鉛筆を握ったまま呆然と立ち尽くすネギであった。

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

授業が終わり、一人帰途につく夕映。今日は珍しくのどかと一緒には帰っていない。と、いうのも彼女は今日霊子に呼び出されているからなのだ。恐らく、修学旅行中に起こったことを報告させられるのだろう。

 

「……のどか」

 

自分の一番の親友が、ついに魔法と関わってしまった。幸い、彼女は自分のように悪の魔法使いに関わったのではなく、常識は不足しているものの良識ある魔法使いであるネギと接点を持てたので大分違っているが、それでも危険な世界には相違ない。

 

(……これから、のどかは魔法を覚えていくのでしょう……そうなれば、私のことだっていずれ……)

 

気づかれてしまう。そのことに、胃が鉄球を放り込まれたかのように重たくなる。自分が、彼女らを裏切り続け、邪悪な魔女の手伝いをしていると知られれば、どうなるか。

 

(……拒絶、されるでしょうね……)

 

きっと、友人は自分を見限るだろう。のどかは優しい少女だ、過ちを犯しても許してくれる可能性はあるだろう。だが、今回ばかりは駄目だ。彼女のみならず、彼女の愛する先生まで裏切り、その好意を踏みにじってきたのだ。いくらのどかでも、許すことはできないだろう。そうなれば、あとに待つのは決別。

 

(嫌……嫌です、そんなこと……!)

 

崩壊する友情、冷めた目を向けられる恐怖。それらを想像して、夕映はどうしようもなく怖くなる。両手で己を掻き抱き、夏に向かって暖かくなっているにもかかわらず、寒さで震えるかのように小刻みに揺れる。

 

「夕映?」

 

不意に自分の名前を呼ばれ、反射的に声がした方向の真逆に飛び退る。かの柳宮霊子に魔法を学んだだけあり、こういった気配の察知などの戦いにおける重要な要素はそれなりに鍛えられているのだ。

 

「な、なんだのどかですか……びっくりしたです」

 

声をかけてきた人物は、悩みの中心人物でも会ったのどかであった。鞄を持っていることから、一緒に下校するために声をかけたと考えるのが自然だろう。

 

「夕映、一緒に帰ろうよ」

 

「す、すみませんのどか。今日はちょっと図書館島の方に用事があるです」

 

「え、でも今日は探検部はお休みだったと思うけど……」

 

「それ以外の用事です!」

 

そう言って、足早に去ろうとする。しかし。

 

「っ!? のどか、何を……!?」

 

「待って、私……聞きたいことがあるの」

 

のどかに腕を掴まれ、強制的にその場に留められる。のどかの突然の行動に困惑する夕映。対するのどかは、夕映に聞きたいことがあるのだという。

 

「い、急いでるんですのどか。話はまた今度の機会に……」

 

「駄目、今すぐにでも確かめたいことなの」

 

まっすぐこちらを見つめてくる彼女の視線に、夕映はどうしようもなく恐ろしさを覚えていた。もし、もし彼女が自分が隠していることを知ってしまったというのなら。

 

(そんな、そんなの嫌です……信じたくない……!)

 

逃げ出したい。ただひたすらに、彼女の頭のなかはそれでいっぱいになっていた。彼女から遠ざかりたい、嫌われたくないという裏返しの心。

 

「あのね、夕映は……」

 

(やめて、その先は……!)

 

聞きたくない言葉が飛び出すことを予測し、反射的に目を瞑る。

 

そして。

 

「せんせーのこと、どう思ってる?」

 

「…………はい?」

 

全くの予想外の言葉に、思わず素でそんな言葉が飛び出してしまった。

 

 

 

 

 

「成る程、私が先生に好意があるのか気になった、と?」

 

「う、うん。もし夕映が先生のこと好きだったら、どうしようって悩んじゃって……」

 

どうやら、のどかは夕映がネギに対してそういった感情があるのかが気になっていたらしい。もしそうだったとしたら、友人とは恋敵となってしまうため、関係がギクシャクしてしまうのではないかと危惧していたらしい。

 

「……少なくとも、私は今のところ先生に対して特別な感情は一切ないですよ」

 

「ほ、ほんとに?」

 

「人物としては好ましいですが、一人の男性として意識することはないです」

 

「よ、よかったぁ……」

 

親友と愛する人を天秤にかけるなど、のどかにはできない。最近は大胆になってきた彼女だが、元々根は臆病で優しい子だ。そんな彼女に、要らぬ心配をさせてしまったらしい。

 

「まったく、そもそも私はのどかの恋を応援するといったはずです」

 

「そ、そうだけど……もし夕映がせんせーを好きだったとしたら、私に遠慮してるんじゃないかって……」

 

「そんな心配はいらないです。さ、私も用事を済まさねばならないのでこの話はここまでです」

 

「う、うん。そうだね」

 

恐れていたことが現実に起こらず、内心ほっとしている夕映。そのまま、霊子のいる図書館島の地下へと向かおうとしたのだが。

 

「あ、いた! おーい、夕映さーん!」

 

「本当にいた……長瀬の言う通りだったな」

 

「フフフ、拙者の索敵能力を舐めてもらっては困るでござる」

 

間の悪いことに、今度はネギがこちらへ大きく手を振りながらやってきた。更に、長瀬楓と長谷川千雨が一緒にやってくる。正直、今はあまり相手にしたくないメンツだ。

 

「あの、夕映さん。少しだけ、時間をいただけませんか?」

 

「何でしょう? 私はこれから用事があるのですが……」

 

「まあ、ちょっとしたことを聞きたいだけだ。すぐ終わる」

 

何やら剣呑な雰囲気に、夕映は再び逃げ出したい気分になるが、先ほどのどかに阻止されてしまったことを考慮し、楓がいる時点でそれは不可能だろうと考え、話を聞くことにした。

 

「ええと、実は今朝僕宛に手紙が届いたんです」

 

「手紙、ですか?」

 

それが一体自分とどんな関係があるのか、などと考える。正直、話の内容が見えてこず、困惑気味の夕映。ネギはポケットから一通の封筒を取り出すと、中から便箋を取り出し、広げてみせる。

 

「…………え」

 

そこに書かれている内容に、夕映は石像のように固まる。石化の魔法によるものではなく、今度は思考が停止してしまって。

 

「簡潔に聞きます……夕映さんは、この手紙に心当たりはないですか?」

 

 

 

 

 

息苦しい。呼吸が止まってしまい、酸素の供給が止まり胸が詰まる。しかし意識ははっきりと冴えており、目の前の現実をまざまざと目に映す。

 

「し、らな、い……です」

 

なんとか声を絞り出して、否定の言葉を発する。しかし、それは余りにも弱々しい声だった。よりにもよって、のどかの目の前。親友の前で疑いをかけられている。その事実が、彼女から冷静さを奪う。

 

「そう、ですか。じゃあ、これについても聞きたいんですけど……」

 

そう言って、今度はポケットからあるものを取り出した。それを見た彼女は、再び呼吸が止まってしまう。のどかに渡したはずのお守りだ。何故、ネギがそれを持っているのか。

 

「このお守り、どこで手に入れたのか教えていただけませんか?」

 

「そ、れは……」

 

「宮崎から聞いてるが、これは綾瀬がご利益があるって渡したらしいな。絶対に肌身離さず持ってろ、とも言ったらしいが」

 

千雨の言葉に、心臓を杭で貫かれたかのような錯覚に陥る。言い逃れはできない、彼女は徹底的に洗い出すつもりだ。あのお守りの出処を。そうなれば、自分は。

 

「千雨さん、そんな問い詰めるみたいな言い方は……」

 

「私がこういう質だってのは先生もよく知ってるだろ。それに、こういうのはバッサリ聞いたほうが早い」

 

元々、軽い対人恐怖症を患っている彼女は、ぶっきらぼうな話し方が多い。それは、会話の受け答えがしっかりできるか不安なため。だからこういった言動になってしまうのだ。

 

が、相対している夕映にとってはたまったものではない。まるで自分の後ろめたい部分を詰られているかのような錯覚に陥らされてしまう。

 

「で、どうなんだ綾瀬?」

 

いよいよ以って、窮してきた夕映。視線は宙を泳ぎ、歯の根が合わずガチガチと音を立てる。喉の奥がカラカラになり、掌は嫌な汗でびっしょりだ。最早、逃げ場はどこにもない。のどかは何も言わないが、こちらを射抜くかのように視線を向けている。

 

(もう、もう十分です……例え嫌われてでも……真実を……!)

 

自棄になり、もう全てを話そうと決意し。意を決して、口を開く。

 

そのはずだった。

 

「あんまり私の弟子をいじめないで頂戴」

 

 

 

 

 

「っ、危ない!」

 

夕映を中心に、突如として鋭い岩の刺が無差別に生える。ネギはのどかを、楓は千雨を抱えて飛び退る。次々に襲いかかるトゲの数々を何とか躱し続け、やがてトゲの増殖が止む。気づけば、夕映から大分距離を離されていた。

 

「あら、全部避けたのね。さすがに英雄候補なだけあるわ」

 

「っ、貴女は誰だっ!」

 

見れば、先程はいなかったはずの何者かが、そこにいた。毳毳(けばけば)しいまでに派手な、原色の布切れを継ぎ接ぎしたような服を身に纏った怪しげな女性がいた。やせ細った腕に、青白い肌が一層不気味さを醸し出している。

 

「柳宮霊子。『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』のメンバーといえば分かるかしら?」

 

「なっ……!?」

 

「あいつらの仲間か……!」

 

氷雨や鈴音と同じ組織に所属している人物。それも、膨大な魔力を身にまとっていることから、相当にできる魔女だろう。

 

「柳宮霊子……もしやっ、『奈落の魔女』!?」

 

ネギのポケットから顔をのぞかせ、そんなことを言うアルベール。彼はネギと一緒に来ていたものの、夕映が一般人である可能性を考慮していままでポケットの中で大人しくしていたのだ。しかし、聞き覚えのある名前を耳にし、思わず顔を出したのである。

 

「カモ君知ってるの?」

 

「魔法世界でも超ヤバイやつですぜ! 魔法の知識とそれを扱う技量は世界最高峰だなんて言われてた人物でさ! けど、昔から人体実験をしてるとか黒い噂が絶えなくて、とんでもなく危険なやつだって言われてたんでさぁ!」

 

「へぇ、中々ものを知っているオコジョね」

 

魔法世界の事情は、中々詳しいものが入ってこない。まほネットでも情報が規制されている。それは、魔法世界を影から支配する『夜明けの世界』の指示によって、メガロメセンブリアの元老院が情報を意図的にシャットアウトしているためだ。尤も、そんな事実はほんの一部の者しか知らないのだが。

 

「ついたあだ名が『奈落の魔女』。深淵の底まで沈んだ人でなしって話でさぁ……!」

 

「フフフ、まあ確かに人をやめているようなものね。この体で、もう既に70年は生きているし」

 

「最近は姿を見かけないんで死んだって話もあったが……こっちの世界に来てたっつーわけか!」

 

「ええ。私はこの麻帆良学園の地下に居を構えていたわけ。そして……」

 

彼女は夕映の方へと近づき、その真横まできて静止する。

 

「私の弟子を使って上の様子を探っていたってわけ」

 

「……っ!」

 

「そんな……夕映さんが……!?」

 

「ええ。私の忠実な協力者よ。『桜通りの幽霊事件』の時も、操られていたふりをしていただけ。修学旅行中だって、私の命令であなた達を監視するために動いていた」

 

霊子の言葉から、ネギは今までの夕映の動きを重ねあわせてみる。すると、それがピタリと一致するようなフシが見えてくる。率先して図書館島の地下へと行こうとし、地下で悪魔に襲われた際は彼女だけ迷子になっていた。修学旅行でも、慎重に動いていたはずの自分たちの後をつけてきていた。余りにも、不自然な点が多すぎる。

 

「クソッ、あの手紙の内容は本当だったってことかよ……!」

 

「フフ、それはそうよ。だってあの手紙は私が出したのだもの。そうして彼女を囮に、あなた達を一網打尽にするつもりだったのだけど……さすがにそう上手くはいかなかったわね」

 

俯いたままの夕映。先程から一言も発することがなく、最早否定する材料は一つもなかった。皆、言葉も無い。ネギや楓は、図書館島の地下探検で一緒に苦楽を共にした仲であり、千雨は直接的な関わりはないものの、夕映を3-Aの中でも常識的なやつだと一目置いていたのだ。

 

「夕映……どうして……」

 

何より一番衝撃を受けていたのが、のどかであった。親友が、まさか悪の魔法使いの手下で、自分たちのことをずっと監視していた。その事実に、彼女は涙をにじませてへたり込む。

 

『おいっ、霊子!』

 

千雨のペンダントから怒声が響く。氷雨のものだ。突然相手の名前を大声で呼び捨てにしていることに千雨は少々驚くも、考えてみれば彼女も元々は組織の一員であり、面識があってもおかしくはない。しかし、そんな彼女がこんな風に怒鳴り声を発する理由がわからなかった。

 

「あら、そういえばいたわね。今は氷雨とか名乗ってるらしいじゃない」

 

『そんなことはどうでもいい! 貴様、なんで姿を現した!』

 

「フフ、エヴァンジェリンに命じられたことと違うって言いたいの? 生憎、私は組織に入る際、彼女と約定を結んでるわ。私の目的を達成するために、組織の目的と反発することをしても咎めないってね」

 

『だからといって……!』

 

「待て、氷雨。私も聞きたいことがある」

 

興奮気味の氷雨を宥め、今度は千雨が霊子へと質問を投げかける。

 

「柳宮とか言ったな、罠を仕掛けてまで私達を狙った理由は何だ? この学園なら、むしろ魔法先生とかを狙うべきだろ」

 

「物怖じしないその態度に敬意を評して答えてあげる。あなた達が一番厄介だと思ったからよ。仮にも幹部の一人であるその子を倒し、あの明山寺鈴音を相手取って廃人にもならずに生き残った。警戒するには十分な理由よ」

 

「だからといって、態々私達の前に姿を現すメリットなんかないだろ。それとも、その目的とやらのために必要だったのか?」

 

注意深く、慎重に相手の言葉の端々から推察していく千雨。戦闘はからっきしだが、こういった相手の機微を読むことなら彼女は得意だ。霊子もそれなりに驚いたようで、口の端を釣り上げ、喉を鳴らして笑っている。

 

「驚いたわ、これだけの会話でそこまで導き出せるなんて。貴女、なかなか面白いわね」

 

「そいつはどうも。で、そこのところはどうなんだ?」

 

「フフ、推察のとおりよ。まあ正確には、あなた達を仕留めるってことと、地上に出る必要があったってことの両方だけど」

 

そう言うと、彼女はいつの間にか手に携えていた本を開き。

 

「『(よこしま)なる者を妨げし(へき)よ……』」

 

次いで右手の人差指で天を指すと。

 

「『弾けよ』」

 

バキン!

 

その言葉と同時に、ガラスが割れるような音が一瞬だけ響いた。

 

「一体何を……」

 

見た感じでは、特に変化はない。しかし、なにか薄ら寒いものを感じる千雨。一方で、ネギは何かに感づいたようだ。

 

「っ! まさか、学園の結界を……っ!」

 

「ご名答。この学園に張られていた結界を破ったわ。これで、私の目的に一歩前進した」

 

麻帆良学園には、邪なものを退ける結界が張られているとネギは以前、近右衛門から聞いていた。それを破られたということは、目的は不明だが彼女が行おうとしている邪悪な何かを実行に移せるようになったということ。

 

(そうか、結界に直接干渉するために地上に出てきたんだ……!)

 

麻帆良学園の結界は強力だ。間接的な干渉では揺らがない可能性もある。だからこそ、確実性のある直接干渉を行うために地上へ出てきたのだとネギは推測する。霊子が再び本を開くと、今度は彼女の周りを砂嵐が吹き始めた。

 

「私は麻帆良の地下にいるわ。私の企みを止めたければ、たどり着いてみなさい」

 

「はっ、また私らを誘い出すための罠か?」

 

「いいえ。今度のは私の自信の現れよ。実力を確かめた今、もうあなた達の脅威がそれほどでもないって分かったし。もう万に一つも負ける要素は無い」

 

せいぜい足掻いて見せなさい、そう言い残して霊子と夕映は姿を消した。あとに残ったのは、呆然と立ち尽くすネギたちのみ。

 

「夕映……」

 

親友の名前を小さく呟くのどか。だが、それは虚しく風にかき消されてしまった。

 

 

 

 

 

再び奈落の底。夕映を連れて帰還した霊子は、一息つくために愛用の椅子へと座り、ロイフェに紅茶を出すよう命じる。

 

「彼らは、我々を追ってくるでしょうな」

 

「されど、彼らはここには入れない。実力がまだまだ不足しているから」

 

「成る程、彼らを危険な目にあわせないために、封鎖を行っている魔法先生によって妨害されるわけですな」

 

先ほどの結界破壊によって、既に魔法先生らに自分たちのことは知れ渡っているだろう。ならば、ネギたちから事情を聞いた先生らが図書館島を封鎖するのは目に見えている。そして、ネギたちの安全を確保するために図書館島に近づけさせないことも想像に難くない。

 

誰一人として、満足に行動ができない状態。これならば、己の実験の邪魔は誰にもされないだろうと満足気に笑みを浮かべる。第一、ここへ辿り着くには道筋を知っているか、或いは余程の幸運で見つけ出すでもなければ不可能なのだ。

 

(それに、辿り着いたとしてもそれはそれで好都合。邪魔の少ない状況で確実に殺せる)

 

常に状況がどう転がるかを予測し、次善の策を用意する。こういったところで、彼女は決して手抜かりはない。

 

(違う……私は……なんで、なんで声が……)

 

一方、暗い表情の夕映の頭のなかをグルグルとそんな思いが巡り回っていた。先ほどの会話、彼女は否定の言葉を吐き出したくても、何故か声が出せなかった。恐らく、霊子の魔法によって喋ることができなくなっていたのだろう。

 

必死な表情をしていても、同じく強制的に俯かされていた彼女の顔をネギたちが窺い知ることは不可能。まして、敵と相対していたのだからそんな余裕はなかっただろう。霊子に警戒して、距離を縮めることもない。完全に、霊子の掌の上だった。

 

(知られてしまった……のどかに……私の本当のことを……!)

 

絶対に知られたくなかった。この悪辣な魔女と協力関係にあったなどと。裏切られていたと知った時、のどかは静かに泣き崩れていた。それだけで、彼女の胸は張り裂けそうなほどになっていた。声に出せない悲痛な叫びが、ずっと心のなかで暴れまわっていた。

 

「親友に、知られちゃったわね?」

 

そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、霊子は彼女へ言葉の矢を打ち込む。

 

「……れ……せい、で……」

 

「聞こえないわ」

 

「っ! 誰のせいだと思ってるんですかッ!」

 

抱いていた深い絶望感が、急激に怒りへと変化する。この魔女のせいで、自分は親友を失う羽目になった。もう、後戻りもできないほどのところまできてしまった。

 

「貴女のせいでしょ?」

 

だが、霊子の冷徹な瞳が夕映を黙らせる。幾度となく刻まれた、恐怖。あの日からずっと、逆らえないままに服従させられ続けた絶対的な関係。

 

「貴女が自分で選択し、行動した結果。貴女は私に一切逆らうこともなく、まるで家畜のようにただ従い続けただけ。そんなの、貴女のせい以外の何だというの?」

 

自分で考えても逆らわず、反発せず、意見しない。それはもう、己がないのと同じだ。まるでマリオネットのように、吊られた糸のままに動くだけ。原因は確かに霊子にもあるだろう。

 

しかし、それを変えようとしなかったのは他でもない夕映自身の怠慢であり、敗北。彼女は、霊子に対する恐怖に負けたのだ。

 

「ぜん、ぶ……わたしのせ、い……」

 

「そうよ。貴女は、きっかけはなんであれ自分で親友を裏切り……そして自分すら裏切った」

 

壊れていく。世界のすべてがガラスが割れるように音を立てて。崩れ落ち、残ったのはどうしようもなく愚かな自分だけ。かつて、自分は違うと思い込んでいた愚者の姿そのもの。

 

「あ、は……アハハハハハハハハハハハハハ! ひ、ヒヒヒハハハハ……!」

 

心の均衡が崩れ、決壊する。全てが己のまいた種であり、その結果が実を結んだだけのこと。知者を気取り、愚か者である事実から目を背けてきた。その事実を突きつけられ、彼女の心はついに絶望で真っ黒に染まりあがった。

 

「そう、その"絶望"が欲しかったのよ……」

 

霊子は意地の悪い笑みを浮かべ、満足気に頷く。彼女を裏切り者に仕立てあげたのも、態々自らの姿を地上へと現したのも。全ては、彼女を絶望の底へと叩きこむため。

 

ネギたちは知らない。彼女の企みは既に、最終段階に入っているのだということを。夕映こそが、その鍵であるという隠蔽された真実を。

 

「これで、ピースは全て揃った……さあ、実験を始めましょうか」


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