二人の鬼   作:子藤貝

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絶望の果てに心を沈めた少女。
彼女の闇が、禁断の門を開く。


第四十九話 闇への門

沈む、沈む、沈む。意識が遠のいていく。心が、砕け去ってゆく。

 

(痛い……)

 

どこが痛むというのか。五体は満足で、目立つ傷もありはしない。そもそも、感覚が無い。目は見えず、耳は聞こえず、匂いもせず味もしない。あるはずの皮膚が何もかもを訴えず、ただ緩慢な意識だけが虚空へとばら撒かれているかのような。

 

(痛いよぉ……)

 

ならば痛むのはどこだ。どこが痛いというのだ、自分という存在さえ曖昧になっているというのに。目の前は真っ暗闇で、大地も空もない。ここには、何もなかった。何もないのに、自分はここにいて、意識があって、痛みを訴えているのだ。

 

(たす、けて……)

 

誰も居ないのに、助けを求める。どうして、ここには誰も居ないというのに何故。

 

(……ぁ……ああ……)

 

湧きいでる疑問から生じたそれを手繰る。自分が何者で、そして何があったのかを思い出す。思い出して(・・・・・)しまう(・・・)

 

(わたし、は……彼女を……皆を……裏切った……)

 

不明瞭であった意識の輪郭を縁取りし、再構成していく。薄汚いと己を罵り、蔑み、引き裂いた己を再び構築していく。それによって、彼女が抱いた感情は恐怖。許されざる己を何度目かの再生を行っていることを思い出したから。

 

壊し、直し、また壊す。ずっとずっと繰り返していた、それらを思い出して。

 

(いた、い……こ、ころ……が……)

 

痛みの源は、何度も引き裂かれた己が訴えていた。心の悲鳴が鈍痛となって彼女を(さいな)ませていたのだ。

 

(ア、アハハハハハハハハハハハハ!)

 

親友を裏切り、魔女に屈し、ただ己を嘆くだけであった愚かしさ。人としての自由意志など一切存在しない文字通りの人形。それを思い出し、再び彼女は狂ったように己を嘲笑した。既に狂う寸前であった。しかし、なおも壊れられない。その程度で彼女の心は圧潰するほどやわではないから。

 

意識の奥底で、綾瀬夕映は繰り返し続ける。いつ晴れるかも分からぬ闇の中で。

 

 

 

 

 

「……! よし、最後の段階に入ったわね」

 

柳宮霊子は、巨大なフラスコの中に収められた少女の姿を見て口角を上げる。

 

(いよいよ、私の埒外の世界が口を開く……)

 

それが、とても楽しい。愉しいのだ。愉快で仕方がない、今にも小躍りをしてしまいそうな程に。この世を構成する一要素たる魔法、それらを研究して100と余年。自らができることをし尽くし、危険な実験にも手を出した。しかし、それらももう殆ど自らを満たしてくれない。

 

(ああ、私も愚かね……自分の想定を超える世界を求めてしまうなんて……)

 

最早、どんな魔法実験も結果を予測できてしまう。理論などいくらでも見つけてきたが、真新しいものは何もない。この脳髄は、なおも未知と知識を求め続けているというのに。

 

生まれながらに、知ることと興味が尽きなかった。どんな些細な事でも徹底的に究明し、調べ尽くさねば気がすまなかった。やがて、それはどんどんと広い世界へと向かってゆき、未だ見ぬ世界に胸を焦がしたりもした。

 

(でも、もう駄目ね。私はもう、その程度では満足できなくなった……)

 

人の得られる知識が、世界が、神に与えられただけの領域ならば、あえてそれを踏み越えよう。人として外れすぎた進化の先、知の怪物となって進んでいこう。行く先に待つ闇に向かって、滅びが来たるその時まで歩み続けよう。

 

(……夕映)

 

自らがとった、最初で最後の弟子。興味本位で始め、次第に助手として扱き使うようになった。彼女にとっては、余りにも深く関わってしまった少女。孤独に進むと決めた己でさえ、何かを揺さぶられた日々。

 

(……今更ね)

 

そんな彼女でさえ、霊子は実験材料にしてしまった。心より、感情より、この脳髄を優先した。それが自分というものだ。知に飢え、知に乾き、貪欲に求め続ける。これがなければ、彼女は柳宮霊子として存在し得ない。否定することは、許されない。

 

「さあ……始まりよ」

 

今までの惰性を捨て、より心を擦り減らせ。感情など、下らないと罵り踏みつけろ。

 

決意とともに、彼女は実験装置のレバーを引いた。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

断末魔の叫び声が、フラスコの中の少女から吐き出される。同時、彼女の胸元から暗黒が広がり、侵食していく。

 

「満たされぬ生はうんざりよ。下らない茶番はもう終わり……」

 

 

 

「ええ、確かに茶番は終わりです」

 

 

 

瞬間、閃光が迸る。それはまっすぐにフラスコへと直撃し。

 

「っ!」

 

粉々のガラス片へと変えた。

 

「……やってくれたわね」

 

閃光の正体は魔法、それも『雷の暴風』であると彼女は即座に看破し、射出地点を睨む。そこには、いるはずのない人間が四人いた。

 

「はっ、こっちも散々な目に合わされたんだ。せいせいするぜ」

 

「ようやく、追い詰めさせてもらいましたよ」

 

「夕映に変なことせんといてや!」

 

「ゆえを……返してください!」

 

ネギ・スプリングフィールド一行であった。

 

 

 

 

 

「最後の罠……普通なら乗り越えられるはずがない。何をした」

 

元々、彼女の罠は殺傷能力は高くとも限定的な代物だ。結界魔法は高度なものほどフィールドを限定しなければならず、異界化させた図書館島地下内部では全てをカバーすることはできない。

 

だからこそ、後半には物理的な罠を多く配置した。これは、種類の違う罠を張ることによってより効果的に用いることも考慮してのことだ。この合わせ技によって、ネギ一行を分断して個別に抹殺するつもりだった。

 

故に、解せない。あの大穴はネギの杖でも二人ぐらいしか運べない。よって、そこに至るまでに二人以上いればネギともう一人以外は見捨てるしか無いはず。何より、大穴の中には数百本の矢が射出される罠があり、二人乗りで上空を飛べばかわせるはずがない。

 

「あんたは私らをうまく分断して、個別に殺すつもりだったんだろう? 確かに、それは私らも嵌められたさ。そして最後は、大穴で逃げ道を塞がれ絶体絶命だった」

 

「ならば何故……」

 

「これだよ、こいつで私らは九死に一生を得た」

 

彼女が取り出したのは、一見すれば何の変哲もないカード。しかし、霊子は知っている。あれがどういったものなのかということを。

 

仮契約(パクティオー)カード……!」

 

魔法具の一種であり、アーティファクトを自由に出し入れできる仮契約の証。そして……。

 

「こいつで、大穴の向こうに渡った先生が私らを呼び出した(・・・・・)ってことさ」

 

「成る程……仮契約カードの機能である従者の召喚を行ったわけか」

 

そう、仮契約カードは契約主の呼び出しによって従者を召喚することができるのだ。ネギは、アルベールの『誰も乗せる必要はない』という言葉によってそれに思い至り、急いで穴の向こうへと到達するために飛び立ったのだ――。

 

 

 

『先生、今回ばかりはマジでビビったぞ。私らに何も言わずに飛び去っちまうんだもんなぁ』

 

『見捨てられちゃったかと思いました……』

 

『うちも肝が冷えたえ』

 

『す、すみません。水流が迫っていましたし、急いでたせいで言いそびれちゃいました……』

 

『……まぁ、こうやって助かったんだしよしとすっか。うし、さっさと進もうぜ』

 

 

 

――まあ、何も告げずに飛び立ってしまったため、三人をかなり不安にさせてしまったのだが。

 

「氷雨の時はそんなものはなかった……となると修学旅行中に、か」

 

そう、彼女が犯したミス。それは、氷雨との戦いでの彼らを参考にした罠配置にしてしまったことと、彼らの実力を見誤ったこと。修学旅行中に得た新たな仲間や、力。修学旅行での戦いは、彼女の計算を狂わすほどに彼らを成長させていたのだ。

 

「だとしても、私の結界罠をどうやって……」

 

『そりゃ単純だ、こっちには茶々丸がいたからな』

 

その言葉とともに、後ろから茶々丸が現れる。先ほどまで、この周囲にある結界を破壊していたのだ。これによって、守られていたはずの実験装置に魔法が通用したのだ。因みに、彼女は大穴を自力の噴射ロケットで飛び越えていたりする。

 

「茶々丸……あの子の記憶ディスクは私預かりだったはず……」

 

「はい、確かにその通りです。ですが……」

 

『コピーがあったんだよ。そして、それを『黄昏の姫巫女』に渡されたのさ』

 

相当ご立腹だったようだぞ、と嫌らしく笑う氷雨。まさか、完全に沈黙させていたと思っていた存在が動いていたとは完全に想定外だ。

 

「フフ、序盤こそ私の思惑通りに動いていたけど……既に盤面は様相を変えていたのね」

 

実験のために外の様子をほとんど確認できなかったことで、彼女は盤面を見ていないまま駒を動かしていたも同然。そんな状態では、相手がどんな勝手をしても分かるわけがなかった。

 

「観念しな、あんたの実験はここで終わりだ」

 

『ま、実験装置がああなっちゃ続行はできないだろうが』

 

「夕映さんは、返してもらいます!」

 

追い詰められているはずの彼女。しかし、その顔から余裕は失われていない。

 

「確かに、実験装置は破壊された。けど、それが失敗とは限らないわ」

 

「……何?」

 

霊子は、割れたフラスコの中で座り込んでいる夕映の方へ向くと。

 

「さ、いつまで寝ているの? さっさと(・・・・)起きなさい(・・・・・)

 

そう言うと同時に。

 

彼女の背から、闇が噴出した。

 

 

 

 

 

「くっ!」

 

「焦りで剣が鈍っておるぞ!」

 

激突し、弾き、またぶつかり合う。互いの刃が鎬を削り、火花が極限の闘争を彩る。

 

(お嬢様や先生達が危険な目にあっているかもしれないというのに……!)

 

ロイフェの言葉が正しければ、この先には罠が待ち受けているはず。それも、彼が本命と言う程のものだ。恐らく相当に狡猾で、殺傷力の高いものだろう。

 

(まただ、また私は……!)

 

殿を引き受けたのは、彼女がロイフェとやりあえる唯一の人間だから。確かに、他の者ではこの大悪魔相手では勝ち目は薄い。しかし急ぎであるからとはいえ態々一人で戦わずとも、協力して撃破すればよかったのではないか。そうすれば、自分は彼らの危機にも対応できたはずなのでは。

 

(皆の危機に歯噛みするしか無いのか……!?)

 

修学旅行、あの修羅の夜。義姉に完全敗北し、木乃香を攫われた。そして、鬼神の復活のためにいいように利用されてしまった。あの時は、仲間とともに奪還できたが、今回はどうだ。あんな綱渡りが、そう何度も通用するはずがない。ならば、彼らは既に……。

 

(私は……!)

 

その時であった。彼女の胸の内から、何かどす黒いものがせり上がってきた気がした。

 

「ぐ、ぅ……!?」

 

胸元を押さえ、蹲る。彼女の急な変調に、ロイフェも思わず驚きで刃を止める。

 

(な、何だ……!? この、脈打つような感覚は……!)

 

心臓の鼓動ではない、何か別の脈動。それは段々と全身へ向かってゆき、彼女の全てを侵さんとする。

 

(い、しき、が……)

 

脈動はなおも大きくなり、うるさい程となっていく。対照的に、意識はどんどん薄らいでゆき、視界が闇を湛えていく。

 

「……一体、何が」

 

一方のロイフェは、刹那に起こっている異変をその目に刻みつけていた。彼女の背から翼が飛び出し、同時に闇が噴出したのだ。それは彼女の全身を覆っていき、どんどんとその白い翼を漆黒へと染め上げていく。長い年月を生きてきた彼でも、こんなものは初めて見る。

 

「……なにかマズい!」

 

一瞬、降り注ぐ闇の中から見えた刹那の目を見て、ロイフェは嫌な予感を覚えた。ゾクリと、その目を見た途端背筋を凍りつかされたかのような感覚に襲われたのだ。何かが起こる前にしとめる、そう決めて彼は刹那へと大鎌を振り下ろす。

 

ガギンッ!

 

「な、に……?」

 

しかし、彼の大鎌は艶のある黒によって防がれた。それは、刹那の真っ白かった筈の翼。闇に染まりきった彼女の一部であった。

 

(馬鹿な、いかな術であろうと我が大鎌を止めるほどの強度を得るなど……!)

 

彼の用いる大鎌は、名こそないが鋭い切れ味を持つ業物だ。だからこそ、柔らかな烏族の翼で防げるはずがないのだ。

 

「……」

 

一方、噴出していた何かが止まり姿を現した刹那。その全身は、暗黒に満たされたかのようにどす黒いものとなっていた。肌は暗褐色になり、白目と黒目が反転している。翼は艶のある黒に染まり上がり、何もかもが異なっている。

 

対峙し、互いに動かぬ二人。しかし、突如刹那は獰猛な三日月をその愛らしい顔に浮かべ。

 

【さア、殺し合いまショ?】

 

ロイフェへと、暴風雨のごとく飛び掛かった。

 

「ぬぉっ……!?」

 

先ほどまでの彼女とは似ても似つかぬ速度。それにロイフェは一瞬怯んだ。そのせいで彼女に攻撃の隙を与えてしまう。しかし、彼も歴戦の猛者。迫る凶刃を間一髪で後ろへと反り返ることで躱し、同時に彼女を蹴り飛ばす。刹那は、それを受け入れたかのように、地面を二、三度バウンドして転がっていく。

 

【ウフ、ウフフ。ああ愉シ、狂シ……】

 

しかし、起き上がるとケラケラと笑いながら立ち上がる。まるで戦闘狂、いやこれはむしろ戦いに狂い果てた修羅のよう。

 

(先ほどまでとは明らかに違う……)

 

彼女を見つめ、冷静に分析していく。アクシデントがあろうと、冷静に対処できねば死んでいくのが戦いというもの。ならば、今は何が起こったかをしっかりと見極めるべきだ。

 

(彼女本来の清廉で鋭い刃ではない、もっと獰猛で暴悪な剣だ)

 

死人の剣、それが彼の抱いた感想だった。死ぬことも恐れずただひたすらに斬って斬って斬り続ける。そういう剣が今の彼女のスタイルらしい。

 

「……下らん。つまらん奴に成り下がりおったな」

 

恐怖すらも従え、なおも死に少しだけ怯えながら拳刃を振るう。己の命をあえて差し出し、極限の中で拾い、奪う。それこそ戦士のあるべき姿。そこに、善悪も種族も関係ない。

 

だからこそ、彼は落胆していた。死を恐れないのは確かに脅威だ、差し出された命を無視してこちらの命を奪いに来る。だが、所詮は狂人の剣だ。一定以上の強者には、大して面白みもない剣でしか無い。

 

「これ以上、私の前で無様を見せてくれるな。貴様の相手を務める私が惨めになる」

 

これ以上、彼女が醜態を晒すなら容赦なく首を刎ねよう。先ほどの彼女であればまだしも、今の彼女であればそれは容易い。落ち窪んだ眼孔から覗く金の光を鋭くし、ロイフェは彼女へと襲いかかった。

 

 

 

 

 

「な、何が……!?」

 

夕映から突如吹き出した暗黒に、霊子を除く一同は驚愕を顔に貼り付けていた。闇は彼女へと降り注ぎ、次第に彼女を真っ黒に染めていく。

 

「実験はたしかに途中だったわ。けれど、一番重要な死の世界へ繋ぐこと自体は既に成功していたのよ」

 

「死の世界……!?」

 

それは、刹那から聞かされたこの世の裏側であるという場所。全ての命が向かい、去っていく場所だという。

 

「あの世界に行くには、肉体的には不可能。精神世界を通じて辿り着くしか無いわ。けど、だからと言って死んでしまっては本末転倒。だから、私は個人の持つ精神世界をあえて破壊し、つなげることを考案した」

 

「っ! 夕映さんを使って、世界をつなげたってことですか!」

 

精神世界というのは、謂わばその人間の自己そのもの。それを破壊するとなれば、相当な精神エネルギーを必要とする。恐らく、あの実験装置はそれを増幅させるためのものだったのだ。そして、破壊された本人は無事で済むはずがない。

 

「人の心を壊すには、強力な負の感情が必要よ。そして、その最たるものが『絶望』。だから、私は貴方達を利用して彼女に絶望を与えたのよ」

 

期末テストの時、図書館島で態々彼女を使ってネギたちをおびき出したのも、ロイフェと戦わせるのと同時に彼女に罪の意識を植え付けるため。手紙を使って夕映の正体をばらし、おびき寄せる罠を張ったというのも、彼女を有無を言わさず裏切り者として仕立て上げるため。

 

一番の親友であるのどかの前で、夕映を裏切り者であると認識させることで、それを彼女の心の奥底まで刻みつけるためだったのだ。

 

「なんて……なんて(むご)いことを……!」

 

「あら、何もおかしなことではないわ。何かを為すためには何かを差し出さねばならない。それは貴方達人間が行ってきたことと何が違うの?」

 

魔法も科学も、共に戦争の中で発展してきた。どちらも、兵器を生み出したものの副産物から今へとつながっているのだ。それによって、どれだけの犠牲者が出たことか。それは、否定しようもない事実といえる。

 

「いいえ、それは違います! 確かに争いのために生み出されたものによって、進んできた部分はあるでしょう。しかしそれは、誰かのために人々が努力をした結果でもあります!」

 

戦争を早期に集結させるため、故国に勝利をもたらすため、家族を戦火に晒さぬため。それが結果として最悪であったのであろうとも、過程にある思いを忘れてはいけない。そこには、人が苦悩し、葛藤した歴史が確かに存在するのだから。

 

結果だけを見て同じと判断すれば、そこにあるはずの真実が抜け落ちてしまうのだ。

 

「貴女は、自分の為だけに夕映さんを犠牲にした! 自分は何も差し出さずに、夕映さんにだけ対価を支払わせたんだ!」

 

「私も誰かを自分のためだけに踏み台にするような奴と、一緒にはされたくねぇよ」

 

霊子が行ったことは、私利私欲のために他者を利用したこと。それも、自身は一切何も差し出さずに。己の我欲を満たすため、そんなエゴのために夕映を利用したのである。だからこそ、ネギは怒っていた。

 

「ええ。確かに私は利己主義的だわ、けれどそれを恥じたことはない。そうでなければ、私は私でないもの」

 

彼女にとっては、知を求め続けるこの脳髄こそが己の象徴。それを維持するためなら、例え誰かを犠牲にしようとも構わない。だからこそ、『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』に入ったのだ。己の我を通すために、己が怪物であると自覚しているがゆえに。

 

「まあ、下らない問答はいいわ。もう終わったみたいだし」

 

「何……?」

 

気づけば、夕映から噴出していた闇は跡形もなくなっていた。しかし、千雨は夕映に何か変化が起こっていることを嗅ぎとっていた。それも、嫌な感じのものを、だ。

 

(何だ……この感じは……)

 

似ているのだ、あの宿敵に。かつて感じた、暗黒のクレバスを覗いたかのような身の毛もよだつような感覚。

 

「積もる話もあるでしょうし、あとは彼女に言いなさい。さあ、ゆっくり(・・・・)お話し(・・・)なさいな(・・・・)、夕映」

 

霊子がそう夕映に向かって言うと、彼女はゆっくりと顔を持ち上げた。

 

「え……ゆ、え……?」

 

のどかは、変わり果てた姿の彼女を見てそう漏らす他なかった。白目と黒目が反転した眼球、体は黒ずんでおり、髪も紫黒ではなく完全な黒。おまけに、体からは何か得体のしれない黒いオーラのようなものが立ち昇っている。

 

「てめぇ、綾瀬に何しやがった!」

 

「別に。彼女の絶望をキーとして向こう側につなげただけよ。ふぅん、こうなるのね……興味深いわ」

 

千雨へ言葉少なく返答するとともに、夕映を面白そうに見つめている。一方の夕映は、ネギたちの方をじっと見つめている。その目には、何の感情も感じさせない。

 

(何が起こってるんや……!?)

 

木乃香も、驚愕を言葉にできずにいた。先ほどの闇の噴出も驚いたが、ああも変容した親友の姿には、最早口をついて出る言葉さえなくなってしまった。

 

「さあ、存分になさい」

 

その言葉が合図のように、夕映は姿を消し。

 

「えっ!?」

 

ネギの直ぐ目の前へと肉薄していた。既に、右の拳が振りかぶられている。

 

「ぐぅっ……!?」

 

ネギはすんでのところで障壁を展開し、彼女の拳を受ける。しかし、それを拳は貫通して彼の腹を抉る。少女のものとは思えない速度と重さの乗った拳を受けたネギは、そのまま本棚へと激突した。

 

「先生っ!?」

 

「宮崎! 危ねぇっ!」

 

一瞬、ネギへと意識が逸れた次の瞬間。のどかの前に夕映が既に移動し、攻撃の準備を完了していた。反射的に千雨はのどかへと跳びかかり、二人共地面を転がってゆく。しかし、それが功を奏し夕映の拳を回避することができた。

 

「おいおい、いくらアクティブだったとはいえ、綾瀬ってこんなバイオレンスな奴だったか……?」

 

振り下ろされた拳は、彼女の非力さと相反してレンガで舗装された地面にひびを入れていた。

 

「ゆ、夕映?」

 

恐る恐る、のどかは夕映へと声をかけてみる。だが。

 

【……イ】

 

「えっ?」

 

【痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ……!】

 

「ひっ……!?」

 

目から、どす黒いコールタールのような液体を流し、ただ痛いとだけ連呼している。あまりの気味の悪さに木乃香は悲鳴を漏らしかけ、それでも何とか飲み込む。

 

「何なんだよ……何なんだよこりゃあ……!?」

 

千雨でさえ、悍ましいまでの寒気を覚える光景だ。しかし、それに怯えている場合ではない。夕映は明確に、こちらへと敵意を向けているのだ。

 

「そうよ夕映、全部吐き出してしまいなさい」

 

【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ!】

 

「っ! 魔法の始動キーか!」

 

ネギや魔法使いが魔法を使うときに始点とする言葉は、ある程度の韻を踏んでいる。千雨はそれを知っているからこそ、夕映が魔法を使う前に離脱を試みた。

 

【大気ヨ、その大いなる身を震わせ我が敵を弾ケ!】

 

「二人共逃げるぞ!」

 

千雨は、のどかと木乃香の手を引いて何とか逃げ出そうとするが、夕映の詠唱のほうが早い。

 

【『風塵・烈風壁』!】

 

本来は守りに用いられる風の結界が、その強度で上から迫ってくる。このままでは、地面と挟まれてお陀仏だろう。だが、二人の腕を強引に引いての走りでは、どうしても速度が鈍る。風壁は、ついに千雨の頭の上十数センチまで迫ってきた。

 

(まに、あわねぇ……!)

 

もう駄目かと目をつむった次の瞬間。

 

「『雷鳴の三叉!』」

 

直撃する寸前、三条の雷が千雨たちの上へと着弾した。それらは彼女らを押しつぶさんとする風の結界を強引に押し上げ、霧散させた。

 

「無事ですか、皆さん!」

 

先ほど吹き飛ばされていたネギが、魔法を放ったのだ。

 

「ああ、先生こそ大丈夫か?」

 

「幸い、障壁をすんでのところで張ったので威力はそれほどではなかったです。けど……」

 

千雨たちに合流し、夕映の方を見やる。相変わらず、無機質に視線を送ってくるが、やはり敵意だけは感じさせる。

 

「どうやら、強化の魔法と障壁突破を練り込んでいたようです。少なくとも、技量では僕と互角、いえそれ以上だと見て間違いないはず」

 

「先生より強い、か。まあ今さらな話だな」

 

「……そうでしたね」

 

いつだって、彼らが相手にしてきたのは格上だ。だからこそ、必死になって突破口を探し、戦ってきた。前を向き、相手を見据える。今は、それしかできないのだから。

 

 

 

 

 

(何だ、私はどうなったんだ……?)

 

宙に浮いた意識が、ゆっくりとまぶたを開く。見えたのは、あの銀の太陽が輝く世界。刹那は、再び死の世界に立っていた。

 

「馬鹿な……私は、死んだのか……?」

 

思い出すのは、ロイフェとの戦いの最中。謎の苦しさとともに意識が薄らいだ。あれがもし、ロイフェによる攻撃だったのだとすれば死んだというのも腑に落ちる。

 

『死んではおらんよ』

 

急な声に、思わず戦闘態勢へと移る。しかし、手元には愛刀『夕凪』は存在しない。神鳴流は武器を選ばないが、それでも得意な武器があるのとないのではやはり違う。

 

『そう身構えるな、何もせんよ』

 

「……貴様は何者だ、姿を見せろ」

 

『……悪いが、姿は見せられん。君は素質(・・)はあるが……まだ資格者(・・・)ではない』

 

「資格者……?」

 

『私のような存在は、資格を有するものでなければ見ることができない。だから姿を現せと言われても見ることはできんよ』

 

どうやら、相手は何らかの資格がなければ見ることができない存在らしい。声の感じから、以前京都で死にかけた際に聞こえたものとは別のようだ。

 

「それより、私はどうしてここにいるのだ?」

 

『門が開いたからだ。お前はそれに引きずられた』

 

「門?」

 

『どこぞの大馬鹿者が、この世界への道を無理やり繋げたらしい。おかげで、向こうでのお前はえらいことになっているぞ』

 

話を聞いてみれば、向こうの世界で誰かが此処への門を開き、道をつなげてしまったのだという。そのせいで、この世界に関わりがあった刹那が引っ張られてしまったらしい。

 

「では、やはり死んだのではないのか?」

 

『お前の魂は未だ死を迎えてはおらん、だからこの世界から飛び立つこともないからそのうち元の世界に戻る』

 

「そうか、それは安心し……」

 

『ただし』

 

何者かの言葉に安堵の言葉を漏らそうとしたが、それを遮るように相手は話を続ける。

 

『それは通常であれば、だ。今お前は向こうで開いた門を通じて共鳴してしまっている。それによって、現実のお前はお前自身の裏側……本来表に出るはずのない感情や意識で動いている』

 

「なっ、では今私の体は勝手に動いているというのか!?」

 

『左様。確かにお前自身ではあるが、ここにある意識とはまた別の存在。お前が有し、押さえつけてきた感情などだ』

 

それがロイフェと戦っている。経験や記憶などは共有されているため本人と遜色なく動けるらしいが、ある意味本能で動いてしまっているため予想もしない行動をしかねないらしい。このままでは肉体的に死んでしまい、ここにいる刹那も死を迎えてしまうという。

 

「何とかならないのか!? 私はまだ、死ぬわけにはいかないんだ!」

 

『人の生き死には誰にも決められぬ。それを決定づけるのは、不確定的であり確定的でもある運命によって決まってしまっているからな。この世界もあくまで世界を構築する要素の一つでしか無いとも言える』

 

「そんな……」

 

告げられた言葉に、項垂れる刹那。最早、仲間たちを助けに行くことができないかもしれないのだ。

 

『……とはいえ、今すぐ戻る方法もある』

 

「っ! 本当か!?」

 

『簡単だ、今のお前は肉体との繋がりが残っている。謂わば、こちらに引きずられたせいで意識が飛び出してしまった状態。そして、向こうでは押さえつけられていた意識に乗っ取られている』

 

曰く。乗っ取られている体を取り戻せればいいのだから向こうの刹那を再び押さえ込めばいいとのこと。だが、相手は刹那の本能そのものであり、勝つことは難しいらしい。

 

『かなり分の悪い賭けだぞ? 負ければ体の主導権を奪われる』

 

「それでも……私は戻らねばならないんだ」

 

『……キハハ、面白い。ならばやってみせろ! お前という存在を刻みつけてやれ!』

 

 

 

 

 

「夕映、もっと遊んであげなさい」

 

【苦しイ……痛イ……】

 

霊子の言葉を聞き、再び夕映が襲いかかる。しかし、今度はネギが彼女の拳を受け止め、逆に弾き飛ばした。

 

(身体強化での力は互角……けど、魔法は恐らく……)

 

【フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ! 来たれ風精、此処に集いて風を織リ、鋭き疾風へと姿を変えヨ!】

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 闇夜切り裂く一条の光、我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

【『障壁突破・風の槍』!】

 

「『白き雷』!」

 

風でできた鋭い槍と、闇を照らす白い閃光が激突する。魔法はそのまま相殺されたかに見えたが、複数放たれていた風の槍のうちの一つがネギの頬をかすめていった。

 

「やっぱり、魔法の技量は……夕映さんの方が上だ……!」

 

ネギにとっての最大の強みである魔法で、上を行かれている。だが、それでも絶望的なほどの差は存在しない。本当に、少々の開きがある程度。

 

(それにしても……夕映さんは魔力が多いんでしょうか)

 

先程の高度な結界魔法や、今の風の槍。どちらもかなりの魔力を必要とする魔法だ。元から魔力容量の多いネギはともかく、普通の魔法使いではあんなものを連射すればあっという間に魔力が尽きてしまうはず。

 

「っ! そうか、だから夕映さんは……!」

 

そこから、ネギはある一つの仮説へと辿り着く。

 

「貴女、夕映さんに魔力を渡してるんですね」

 

「……」

 

「そして、その魔力パスを通じて……夕映さんをコントロールしている」

 

そもそも、夕映がネギたちに襲いかかる時点でおかしかった。夕映にとって憎んでいるであろう相手は霊子なのだ、なのに何故彼女に従い動く。答えは、霊子によって操られているから。

 

「恐らく、魔力パスを通じて夕映さんの意識を縛り付けているんでしょう? そして、命令は簡潔に口頭で伝える……言霊(ことだま)ですね?」

 

「……へぇ、こんなに早く看破されるなんてね。確かに、私の言霊がキーになってるわ。つまり、私を倒せば彼女を止められる」

 

自らの種がバレても、なお落ち着きを見せる霊子。それも当然だ、いくらバレたからといっても彼女を操ることを止める方法などないのだから。唯一の方法、己を倒すなんて彼らにできるわけがないという自負がある。

 

「まあ、手管をバラしてしまった以上遊ぶのもやめにしましょうか」

 

油断はなく、確実に一手一手を進める。それが柳宮霊子の戦い方だ。これ以上、手加減してやる義理はないと、彼女は詰めの手に入る。

 

「夕映、戦いなさい(・・・・・)

 

【フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ! 来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!】

 

「さっきよりも高度の魔法……!」

 

【『雷の暴風』!】

 

轟と、すさまじい音を立てて荒れ狂う暴風が解き放たれる。先ほどまでとは密度も威力も段違いの一撃だ。

 

「『風花・風障壁』!」

 

とっさに、のどか達を守るために強力な対物魔法障壁を展開する。しかし、それでもなお障壁越しにビリビリと衝撃を伝えてくる。

 

「さっきまでのは、綾瀬に加減させてたってことか……!」

 

「ええ、だから言ったでしょう? 遊んであげなさいって。そして、本気で潰す以上は出し惜しみもなしよ。私も相手してあげる」

 

最後の、ダメ押しの一手。魔法においてはエヴァンジェリンと並び魔法世界最高クラスの魔女の参戦。魔法実験によって魔力をかなり消費してはいるものの、それでもその実力はネギたちの遥か上をいく。

 

「いえ、むしろ好都合です。貴女を倒せば、夕映さんは解放できる……!」

 

「氷雨、こっからは頼むぞ」

 

『チッ、また貧乏くじだな。まあいいさ、手伝ってやるよ』

 

それでも、彼女らの闘志は消えない。あの夜を経験し、一度は心が折れたからこそ、どんな怪物相手でも立ち向かえる。

 

「さ、行くわよ夕映」

 

【痛イ、苦しイ……】

 

「絶対に、負けてたまるもんか!」

 

「クキキ、吠え面かかせてやるよ!」

 

戦いの火蓋が、切って落とされた。


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