二人の鬼   作:子藤貝

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己の生き方に迷い、道を踏み外した少女。
暗黒の中にあるのは絶望だけか、それとも……。


第五十話 ただ意味を求めるでなく

「……しぶといな」

 

【ウフ、ウフフ……】

 

対峙する二人。一方はほぼ無傷でありながら渋い顔をしている。もう一方は、傷だらけでありながら笑みを浮かべていた。

 

(想像以上にあの翼が厄介だな……)

 

刹那から生えている漆黒の翼、これが中々に面倒であった。ロイフェの大鎌は切れ味鋭いが所詮はそれだけの武器でしか無い。魔法によって鍛えられ、強化はされているものの、特別何かができるわけでもない。故に、漆黒の翼に攻撃を阻まれてしまう。

 

(成る程、ただ命を差し出しているわけではない、か)

 

少なくとも、ある程度の理性はあるらしい。今の状態になってから攻撃の鋭さはなくなり狂気に染まりきったかと思ったが、存外闘争の理念は失われていないようだ。

 

(……が、それだけのことだ。障害足りえるほどではない)

 

仮にも、彼は名うての大悪魔である。特殊な能力を有しているわけではないし、魔法が得意であるわけでもない。しかし、だからこそ己の腕一つで闘い抜いてきた自負がある。

 

「……ヘルマンが言っていたな、未来ある若者を殺すのは愉しくもあり、悲しくもあると」

 

数少ない友人の語っていたことを、ふと思い出す。既に彼とは10年近く話をしていない。もう一人の友人であるフランツも、悪態をつきつつもどこかもの寂しそうにしていた。出会いがあれば、必然別れも存在する。友人同士でさえそうなのだ、敵対する相手であればなおのこと。

 

「確かに、悲しいな。こんな化け物として最後を戦うというのは……」

 

久しくなかった強敵との戦い。それが、こんなにもつまらぬものとなってしまったことに、ロイフェは物悲しさを感じていた。

 

 

 

 

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 吹け、一陣の風! 『風花・風塵乱舞』!」

 

【フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ! 大気ヨ、その大いなる身を震わせ我が敵を弾ケ! 『風塵・烈風壁』!】

 

巨大な風が、暴れ狂いながら衝突する。しかし、一方はその威力をかき消され、もう一方はその風すらも飲み込んでより巨大化しながら吹き荒ぶ。

 

「くっ!」

 

魔法で打ち負けたネギは、その巨大な風圧から逃れるために杖にまたがって飛び上がる。コンマ数秒で、ネギがいた場所は凶悪な大気の圧力によって押しつぶされた。みれば、レンガ造りの床が落ち窪んでいた。

 

(凄い……僕の魔法そのものを飲み込んでより凶悪化してる……!)

 

冷静に魔法の特性を分析しつつ、同系統の魔法を用いるのは危険だと判断する。しかし、ネギの得意な魔法は風と雷、そして光だ。夕映が用いていた魔法から察するに、彼女の得意系統は風と雷であり、魔法の性質がかなり近しい。

 

(炎の魔法はそこまで扱えないし、下手なものじゃ風にかき消されるだけ……。水も風の結界で阻まれる可能性が高い)

 

ネギは魔法に関しては各系統のものはひと通り修めている。が、それはあくまで魔法学校で学んだ程度のものだ。禁書庫に入って盗み得た得意系統の上位魔法と違い、威力も即効性も格段に落ちてしまう。

 

【痛イ……苦しイ……!】

 

「アラ・オラ・ハーベル・イウカーリ。『眠りの霧』」

 

追撃を与えようと突貫してきた夕映に、氷雨が魔法で牽制する。無論この程度で夕映が止められるわけもなく、無詠唱の風魔法で吹き散らされてしまう。しかし、それによって一瞬だけ余裕ができたネギは、夕映から大きく距離を取ることに成功する。

 

「ラプ・ラ・ウェル・テセ・プラギュゲス。そちらばかりに気を取られるのはナンセンスね。『赤口の光芒』」

 

「ぐぅっ!?」

 

が、柳宮霊子は援護を行っていた氷雨に向けて、指先から赤い閃光を放つ。それは氷雨の肩を正確に貫通し、氷雨は痛みで声を漏らす。

 

「千雨さんっ!」

 

「私は氷雨だっ!」

 

ネギの言葉に、氷雨は反射的に答える。魔法で肩に水をかけて血を洗い流し、持っていた大きめのハンカチで傷口を覆う。

 

「今はたしかにそうですが、その体は千雨さんのです。なるべく被弾は避けてください」

 

「ハッ、わかってるさ。こいつが死んだら私も死んじまうからな、そっちもせいぜい消し炭にされないようにしろよ」

 

ネギの辛辣な言葉に、氷雨も刺のある言葉で返す。修学旅行で共闘したこともあったが、基本的にネギは氷雨のことをあまり信用していない。未だ組織に忠誠を誓っており、体を失ってなお自分を罠にはめようと朝倉和美に毒牙を剥いた。更に、今の状態になったのも、元はといえば千雨の肉体を乗っ取ろうとしたせいだ。信用などできるはずがない。

 

ネギは、自分の仲間や生徒に手を出すような相手には容赦などしない。氷雨を許したわけでも仲間と認めたわけでもなく、あくまで共通の敵がいるから共闘しているといった認識だ。

 

「あらあら、仲間同士で反目しあっていては、私達に勝つなんて到底無理よ。ねえ、夕映?」

 

【苦しイ苦しイ苦しイ苦しイ苦しイ……】

 

「……理性的な部分が少々抜け落ちているのが難点ね。そこはおいおい改良していくとしましょうか」

 

霊子は浮遊術で飛び上がると、手に持った本を開いて魔力を練り上げ始める。どうやら、あの本自体が魔法の発動媒体として機能しているらしい。

 

「さっきは軽傷で済んだけど、今度はどうかしら? 『友引の誘い火』」

 

燃え盛る炎が、人の腕のような姿を取りながら無数に襲いかかる。ぐねぐねと動くさまが、ネギには地獄への手招きのように見えた。

 

「『風楯』!」

 

「『水霊の御手』!」

 

ネギは風で形成された魔法障壁を、氷雨は水の帯で自分の周囲を覆った。直後に炎の腕が殺到し、ネギたちを焼きつくさんとする。

 

「数が多すぎる……!」

 

「チッ、障壁がもたない!」

 

障壁の防御力を上回る魔法の物量によって、ついに障壁が突破されてしまう。ネギは再び杖にまたがって上空へと逃れ、氷雨は水の魔法で地面を滑りながら後退した。

 

「芸の無い子ね。うかつに飛び上がるのは的になってくれと言っているようなものよ」

 

「しまっ……!」

 

「『先勝の風将』」

 

風で形成された戦士の長が、ネギへとカマイタチとなって襲いかかる。とっさに障壁を

張るものの、容易く破壊されてしまい右脇腹を斬りつけられてしまう。

 

「く、ぁっ!?」

 

「死になさい」

 

風将の追撃で杖から蹴り落とされ、勢いをつけて真っ逆さまに落ちていくネギ。しかし、彼は痛みの中でも冷静さを取り戻し、風の魔法で衝撃を和らげることに成功する。

 

「ぐっ!?」

 

だが、それでも勢いを殺しきることができなかった。ネギは反射的に腕で体をかばったが、代償として腕を痛めてしまった。幸い折れてはいないようだが、少なくとも打ち身にはなっているだろう。

 

(ほぼノータイムで、あれほどの魔法を連続して発動できるなんて……!)

 

発動された魔法の一つ一つが、桁違いに高度だ。威力こそ上級魔法には届かないが、恐るべきは魔法の操作技術。ただ攻撃力が高いのではなく、障壁突破や拡散、収束がうまく行われており、何倍もの脅威になっているのだ。そして、それを短い時間で的確に実行している。

 

(けど、おかしい……魔法実験で魔力をかなり消耗しているはずなのに、そんな風にはとても見えない。それに無詠唱の魔法であそこまでの威力が出るなんて……)

 

対抗策を考えるため、霊子との戦闘を分析していく中で見えた、微かな疑問。足りないはずの魔力をどう補っているのかと、あまりにも早い無詠唱。魔力量が途方もなく膨大であるならば、それを使って一気に自分たちを圧殺すればいい。しかし彼女はそれをしない。

 

無詠唱の方も不可解だ。彼女は始動キーさえ唱えていない。いや、始動キーを唱えている場合もあるのだが、そうでない魔法のほうが多いのだ。

 

(そうだ、そもそも夕映さんに魔力を流しながら命令をしているのに、自分の魔法を放つ余裕なんて普通ならあるはずない!)

 

少しづつ、ネギの中でピースが組み上がり始めていた。

 

 

 

 

 

「ネギせんせー……千雨さん……」

 

まただ、と宮崎のどかは心のなかで思った。また、自分は戦いの中で一人取り残されている。犬上小太郎との戦いでは、少なくとも読心術でサポートができていた。しかし、関西呪術協会の本山では、読心による貢献こそしたものの、殆ど他人だよりだった。

 

そして今。あまりにも激しい戦いのせいで、口を挟むことすらできない。読心自体はできているが、下手に言葉にすれば邪魔になりかねない。おまけに柳宮霊子を読心した内容が、あまりにも支離滅裂すぎるのだ。恐らく、読心を防ぐ魔法か何かを使っているのだろう。

 

これでは、役立たず同然だ。

 

(私……何でここにいるんだろう……)

 

親友を助けに来たはずだった。だが、道中は仲間におんぶにだっこ。そして彼女が持つ唯一のアドバンテージたる読心も、全く機能していない。終始、お荷物同然の状態だった。

 

(……夕映)

 

先程は、あまりの変貌ぶりに驚いて悲鳴を漏らしたが、徐々にのどかは夕映の今の姿に心を締め付けられるような気持ちになっていた。

 

(痛いって、苦しいって言ってた……)

 

それはまるで、怨嗟の言葉のようでもあり、同時に救いを求めているかのような言葉のようにも感じ取れた。彼女は今、苦しみの中で無理やり戦いを強いられているのだと。

 

(けど、私じゃ夕映は止められない……止めて、あげられない)

 

考えれば考えるほど、自らの非力さを嫌というほど感じさせるだけだった。何もできない、動けない。立っているだけがやっとで、そこからは足がすくんで動かない。我武者羅に、ただ飛び出せたらどんなに楽だろう。それならまだ、無理やり夕映に飛びかかることだってできるだろうに。震えが、止まってくれないのだ。

 

(私……私って……どうして……)

 

視界が歪み、視線を落とす。瞼の奥から湧きだしたものが、赤レンガの地面を濡らす。助けたいのに、戦いたいのにそれができない。ネギのように勇敢になれないし、千雨のように前に進むこともできない。ないないづくしだ。

 

しかし。動き始めた戦況は、殆ど蚊帳の外であったのどかでさえも例外ではなかった。

 

 

 

 

 

「チッ」

 

【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!】

 

悲鳴を上げながら襲い掛かってくる夕映に、氷雨は夕映の攻撃をかいくぐりつつ反撃をするといった状態が続いていた。今の夕映は、命令を下している霊子以外には無差別に襲いかかっている。霊子が言っていたとおり、理性的な部分が抜け落ちてしまっているためだ。しかし、その御蔭で氷雨は単調な戦い方となっている夕映相手に善戦できていた。

 

【『雷波・雷陣結界』!】

 

「しまっ……!」

 

しかし、どうしても地力の差が出てしまう。魔法の技量は相手のほうが圧倒的に上なのだ。なんとか騙し騙しでやってこれたが、一瞬で結界に閉じ込められ、電撃をもろにくらってしまった。

 

【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 苦しメェェェ!】

 

「ぐあっ!」

 

夕映の追撃の蹴りで吹き飛ばされた氷雨が、のどかの足元へと転がってきた。そして、それを追ってきた夕映が次いで降り立ってくる。

 

「夕映……」

 

【痛イ……苦しイ……!】

 

とどめを刺すつもりなのだろう。手に魔力を集めながら始動キーを唱え始めている。しかし、のどかにはどうすることもできなかった。

 

「ぐ、体が……!」

 

氷雨は、何とか立ち上がろうとするがうまく体が動かない。どうやら、先ほどの魔法に麻痺の効果があったらしい。

 

【お前モ……苦しメ】

 

一切の光を感じさせない暗黒の瞳がせせら笑う。まるで、人を傷つけるのが心底楽しいというかのように。人を苦しませることに喜びを感じているように。

 

(……ダメ。それは、ダメだよ夕映……!)

 

これ以上は、戻ってこれなくなる。本当に、もう手の届かないところまで堕ちてしまう。それが、のどかには恐ろしく感じた。親友が魔へとその身を落とすことに、たまらない悲しみを感じた。

 

【苦しメ、私と同じ痛みを知レ……!】

 

(動いて、お願い私の体! 動いて!)

 

ほんの少しでいい、ほんの少し走れるだけでいい。だから、この震えよどうか。

 

【死ネ】

 

「だめえええええええええええええええええええ!」

 

気がつけば、遮二無二飛び出していた。目の前には、風の刃が迫ってきている。だが、それがどうした。仲間の、そしてなにより親友の危機を助けられるなら、いくらでもこの身を差し出そう。彼女の胸を、ゆっくりと夕映の指先が沈み込んでいく。

 

世界が止まったような感覚。しかし、胸の中を何かがゆっくりと突き進んでいく感覚。そして、ほんの僅かだが感じた、暖かな温もり。

 

「綾瀬……貴様……!」

 

『何やってんだよ……!』

 

気がつけば、己の背から、赤黒く染まった腕が飛び出していた。それに気づくと同時に、鮮血が辺り一面へと飛び散る。

 

【……ア】

 

「ごめんね……ごめんね夕映……私、気づいてあげられなくて……」

 

【……メロ】

 

胸から、灼熱の感覚が押し寄せる。しかし、不思議と痛みというものはなかった。むしろ、とてもやわらかな温かささえ感じてしまう。いつの間にか、震えは止まっていた。

 

「ごめんね、ずっと独りにしちゃって……」

 

【ヤメロ……ッ!】

 

仮契約カードを取り出し、アーティファクトを呼び出す。この本は相手の心を読むための魔法具だ。ただそれだけでは、親友の闇を晴らすことはできない。だが、のどかは修学旅行の時に体験したあることを思い出していた。

 

それは、明山寺鈴音の心を覗き見た時。あの時は、自分のアーティファクトが侵食されていくことに恐怖を覚えたが、今思えばあれは向こうの世界とつながりかけていたせいなのではと、のどかは急に確信めいた思いを抱いていた。

 

「今、助けに行くから……!」

 

【ヤメロオオオオオオオオオオオオオオオオ!】

 

アーティファクトを開き、夕映の心を読心する。体が、心が深く沈んでいくかのような奇妙な感覚だった。

 

 

 

 

 

『人生に意味なんてない』

 

そう思うようになったのは、尊敬していた祖父が亡くなりしばらく経った後だった。ただただ生きることを享受するだけの人生がひどく空虚に思え、段々とバカらしくなってしまった。

 

『どうして、皆自分の生き方に対して何も考えないのですか』

 

祖父の死から、常に自分に問うてきた。生きることの意味、生きることへの理由。それを常々考えてきた。だが、一向に答えは出ない。周囲の人間は、馬鹿みたいに生きることが当たり前だと思考を放棄しているようにみえた。

 

『お祖父様……私は、どうしたらいいのですか』

 

疑問に思ったこと、不思議に思ったこと。時には辛く苦しいことがあった時にも、祖父は答えてくれた。しかし、今はそれはない。祖父に頼りきりであった自分は、独り立ちなどとてもできないほどに脆弱で、惰弱であった。

 

『……死ねば、分かるのでしょうか』

 

考えているように見えて、しかしどうしようもなく愚かしかった自分。色の抜け落ちた世界から、ただ抜け出したくて。私は滝壺へ身を投げた。そして出会ったのが、奈落の魔女。

 

『貴女、魔法を学んでみる気はない?』

 

魔女との出会いは、自分に衝撃を与えた。おとぎ話の中にだけ存在するものだと思っていた魔法が、現実に存在するということ。それらを学ぶ面白さ、楽しさ。私は魔法に触れている間だけは、人生の意味について考えずにいられた。

 

けれど、それは現実からの逃避に近かった。ただひたすらに考えないようにして魔法にのめり込み、思考することを投げ出した。

 

『あの……貴女も、その本読むの……?』

 

中等部に入って、私は新たな出会いをした。宮崎のどか、引っ込み思案で臆病な人物だった。最初は、遠巻きにこちらを見ていただけだったが、図書館島で本を読んでいる時に、彼女から話しかけられた。

 

他愛のない、ただ好きな本に関してお互いに話すだけだった。だが、不思議と嫌だとは思わなかった。まるで、ひだまりの中で語り合うかのような、ふわふわとした心地だった。

 

それでも、心を許せるわけでもない。ただ、暇をつぶして語り合える相手程度としか見ていなかった。それが、少しずつ変化していった。無表情が常だった、いや顰め面のほうが多かった自分が、少しずつ柔和な表情を浮かべるようになっていった。

 

それは、どこか嬉しくもあり、しかし恐怖でもあった。このままでは、どんどんと新しい自分に塗りつぶされてしまいそうで。大好きだった祖父のことさえ忘れてしまいそうで。

 

『もう、来ないでください』

 

『でも、私……もっとお話したいよ』

 

『……っ! だったら、貴女は人生の意義について考えたことはあるですか! 生きることの意味、理由を!』

 

当たり散らすように、喚くように言葉を叩きつけた。まるで子供のように、いや実際子どもとしか言い様がない幼稚さを露呈させて。

 

『うん、私もきっとわからないと思う』

 

けれど、彼女は。

 

『けど、死ぬことと同じように、私達は生きることも避けられない』

 

真剣に、普段のおどおどとした態度とは打って変わって凛とした顔で私に向き合った。

 

『私達は、こうして生きている。いつかは死んじゃうけど、それでもここにいて、考えて、喜んだり悲しんだり。そうして、私達は生きてる』

 

『……けれど、私はそこに意味を見出せないです。どうして、私達は生きてるのですか?』

 

『意味なんて考えちゃダメ。人生は、こうあるべきなんて決めつけちゃダメだよ。だって、私達はこうしたい、ああしたいって願って前に進んでるんだもん』

 

心のなかで絡みついていた何かが、ゆっくりとほどけていくのを感じた。

 

『人生に意味なんてない。だって、私達はそんなものがなくても生きていけるから』

 

『……は、はは……』

 

考えて見れば、簡単な事だった。矮小な己に人生という途方も無い巨大なものを当てはめようとしても、溢れてしまう。そうではなく、人生の中に自分はいて。好きに描いていくことができるのが人間なのだ。

 

『ゆえ、泣いてるの?』

 

気がつけば、頬に温かなものが流れていることに気づいた。ああ、ようやく自分は再び思考することができるのだ。人間らしく、自分の意志で。

 

『……ありがとう。私も、ようやく前に進めそうです』

 

 

 

 

 

 

(私のために向き合ってくれた、そんな親友を。私は裏切ってしまった……)

 

闇の中、綾瀬夕映は思考する。どこで、自分は道を違えてしまったのか。魔女との出会いか、親友との出会いか。或いは、それよりももっと前から。

 

(……もう、なにもかも遅いですね)

 

きっと、親友だった少女は自分のことを侮蔑の目で見るだろう。裏切られたという、怒りや悲しみで睨まれるだろう。きっと、もう元には戻れないのだ。

 

(とても、眠いです……)

 

暗い暗い闇の中、考え続けては自我が壊れ、再構築しての繰り返し。何度も何度もそうしている内に、彼女は疲れてしまった。もう、この闇に身を委ねてしまいたいと思うほどに。

 

(ああ、でも……)

 

叶うことなら。最後に一言、彼女に謝りたかった。すまないと、せめて自分の意志で言いたかった。

 

(……ごめんなさいです、のどか)

 

ゆっくりと、瞼を閉じる。もともと暗闇しかなかったため暗いままだが、それでも自分で目を閉じるというのはやはり違うものがあった。きっと、これから自分は誰でもなくなってしまう。自己という存在が闇に溶けて消えていく、そんな予感がした。

 

(……?)

 

ふと、何かが聞こえた気がした。

 

(だ、れ……こえ……?)

 

鈍っていく思考の中で、誰かの微かな声が聞こえた気がした。それが、自分のよく知る人物のもののように思えたが、幻聴だと思い再び眠りに就こうとした。

 

『……!』

 

(……っ!)

 

今度は、もう少しだけはっきりと。誰かの声が聞こえたのがわかった。しかし、ここは死人にしか来られない場所のはずだ。

 

『誰、だれなのですか……?』

 

『……ゆ……ぇ!』

 

段々と、声は大きくなってくる。いや、近づいてきているのだ。そして、それにつれてその誰かが何を叫んでいるのかがわかってくる。

 

『ゆ……え……!』

 

(私の、名前……)

 

ありえない、もう自分の名前を呼ぶのはあの魔女だけだと思っていた。しかし、この声は確かに知っている。忘れるはずもない、あの声。

 

『ゆえ……!』

 

(のど、か……?)

 

まだ、自分は未練たらしく幻聴などが聞こえてしまうのか。ありえない、もう彼女が自分の名を呼ぶはずなど。しかし、願ってしまう。そうあってほしいと、彼女は望んでしまう。

 

『ゆえー!』

 

『のどか……のどかーっ!』

 

声が、出てしまった。無駄なはずなのに、反射的に言葉が出てしまう。親友を呼ぶ声が、出てしまう。眠りかけていたはずなのに、いつの間にか立ち上がり、走りだしていた。

 

『ゆえーっ! どこーっ!』

 

『のどかっ、のどかーっ!』

 

求めてしまう、もう一度と。もう一度だけでいい、会って謝りたいと。どの面下げていうのだと自分でもわかっている。それでも、そうしなければならないと思ったのだ。

 

そして。

 

『ゆえっ!』

 

『のどかっ!』

 

二人は、ついに再開を果たした。

 

 

 

 

 

『ごめんなざい……ごべんな゛ざいのどがー!』

 

『ごめん、ごめんね。私、夕映がこんなにつらい思いをしてたのに、気づいてあげられなかった。自分のことばっかりで、夕映のこと全然分かってなかった……!』

 

涙を流し、互いにひしと抱き合う。あれほど不安であったはずの、親友に絶縁される恐怖は、出会った瞬間に吹き飛んでいた。

 

『そんなことないです、私は本当なら罵られたっておかしくないんです! 私は、私はのどか達を裏切ったです!』

 

『私だって、私だって同じだよ。夕映のこと、心のなかで疑っちゃった。私、夕映を信じてあげられなかった……。友達なのに……!』

 

そう言って、ポロポロと涙を流す。しかし、夕映は彼女の頬へと手を伸ばし。

 

『仕方ないです。疑うことは、誰だってしてしまうことですから。それが友達同士でも、例外であるはずがないです』

 

『ゆ、え……』

 

『むしろ、私は嬉しいです。私のために、涙を流してくれる人がいる……こんなに嬉しいことはありません』

 

心が、軽くなっていく。闇が、暗黒がこの世界から押し流されていくのを感じる。

 

『のどか……私は、あの魔女にずっと従い続けるだけでした。逆らう強さを持てない、とても脆弱な女です』

 

のどかの手をとり、視線を交わす。

 

『こんな、弱い私ですが……まだ、友達だと言ってくれますか?』

 

『……うん、うん! 私はいつだって、夕映と友達だよ……!』

 

涙を流しながら微笑むのどかに。

 

『……ありがとう、のどか』

 

感謝の言葉とともに、夕映もまた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「……ダメだ、もう助からないな」

 

『くそっ、くそがっ!』

 

「嘘や……のどか……目ぇ覚ましいや……!」

 

現実世界。のどかは既に呼吸が止まり、目を閉じたままピクリとも動かない。心臓マッサージを施そうにも、胸を貫かれたあとではかえって危険だ。応急処置として木乃香が治癒を行ってはいるが、もう助かる見込みが無い。いくら治癒のアーティファクトであっても、流れでた血を補うことはできないし、ここまで深手では治癒をされる側にも体力がいる。

 

「のどか、さん……」

 

のどかが胸を刺し貫かれたことを闘いながら見ていたネギは、夕映を魔法で即座に拘束し、彼女の胸から腕を引き抜いた。あまりにも無残な姿をみて一瞬呆然となったが、すぐに木乃香とともに治癒魔法をかけた。しかし、傷が深すぎて血が止まらず、もう手の施しようがなくなってしまった。

 

一方の夕映は、先程から不気味なほどに大人しい。目からはあの濁りきった漆黒は感じさせず、ただ目を見開いたまま微動だにしない。

 

「よそ見は厳禁だといったはずよ。『先負の戦斧』」

 

しかし、そんな状況でも霊子は追撃の手を緩めない。巨大な風の戦斧が形成され、彼らへと振り下ろされる。

 

「……『白き雷』!」

 

「っ!」

 

しかし、ネギは背面から迫り来る魔法に対し、白雷を以って拮抗する。戦斧は、予想外の威力の魔法によって弾かれてしまった。

 

「許さない……!」

 

(怒りで魔力が噴出している……感情の高ぶりで一時的にタガが外れたか)

 

「僕は、貴女を許さない……!」

 

怒りを顕にそう言うネギに、しかし霊子は冷徹に言い放つ。

 

「けど、彼女を刺し殺したのは夕映よ? 普通はそちらに怒りが向くべきではなくて?」

 

「夕映さんは操られているだけです。そして、そんな酷いことをさせたのは操っている貴女の他にない!」

 

「ならどうするの? 許さない? 言葉だけならなんとでも言えるわ」

 

そんな挑発的な言葉を聞くと同時、ネギは一瞬の内に霊子の眼前へと移動していた。

 

「光の精霊67柱……『魔法の射手・連弾・光の67矢』!」

 

光の帯を、怒りのままに解き放つ。

 

「『大安の大壁』」

 

しかし、霊子はそれを冷静に得意の結界魔法を展開して逸らしてしまう。それだけではない、逸らされた魔法がネギへと殺到していったのだ。

 

「くっ!」

 

ネギはなんとかそれをかわし切るが、既に霊子は次の攻撃を完了させていた。

 

「『赤口の光芒』」

 

「ぐぁっ!?」

 

赤色の閃光が彼の脇腹をかすめる。しかし、かすっただけでも強力な熱線である。服を燃やし、その下にある肌を焼いていた。

 

「所詮、貴方がどれだけ怒ったところでそんなものなのよ。魔法使いは常に状況を見極め、戦いの趨勢を観察することことが肝要だというのに」

 

続いて放たれた閃光が、今度は右足の太ももに直撃する。跨っていた杖でバランスがとれなくなり、地面へと叩きつけられる。

 

「う、ぐ……!」

 

「じゃあ、トドメといきましょうか」

 

彼の横へと降り立った霊子が、手のひらに魔力を集中させていく。

 

(呆気無い最後ね。やはり警戒しすぎただけか)

 

そんなことを思いながら、トドメの一撃を放とうとした時であった。

 

「…………」

 

今まで沈黙を保っていた夕映が、立ち上がりこちらへゆっくりと向かってきたのだ。

 

「あら、丁度いいわ。どうせなら貴女がとどめを刺してしまいなさい」

 

何の事はない、夕映の退路を完全に断ってやるつもりなのだ。親友を手に掛け、そのうえ自分の担任教師までも殺したとなればもはや彼女に居場所はない。そうなれば、あとは自分に従わせるだけだ。

 

魔力経路を通じて、彼女に魔力を渡す。そして言霊を用いて、魔力を拳へと収束させた。

 

「さあ、やりなさい」

 

ネギを殺すように、命じる。

 

拳は正確無比に顔面へ叩き込もうと振りぬかれる。

 

「歯ぁ食いしばるです」

 

主人であるはずの、霊子へと向けて。

 

バキン!

 

「か、は……!?」

 

魔法障壁を貫いて、霊子の顔に渾身のストレートが打ち込まれた。錐揉みをしながら彼女は吹き飛んでいき、地面を引きずっていく。

 

「フン、今までのお返しです」

 

鼻を鳴らしながら、しかし満足気にそう言った。一方のネギは、突然のことに驚きで目が丸くなった。

 

「あ、あの……夕映さん、ですか?」

 

「それ以外に誰だというですか、先生」

 

まるで憑き物が落ちたかのような、晴れ晴れとした顔だった。

 

「意識が、戻ったんですね……!」

 

「ええ、のどかのおかげです。のどかが、私の意識を引き戻してくれました」

 

その言葉に、ネギの表情が曇る。のどかは、既に夕映の手によって意識不明となっているのだ。それを言うべきか、彼は逡巡した。

 

「……夕映さん、のどかさんはもう……」

 

しかし、意を決してその事実を伝えようとする。

 

「何を言ってるですか、のどかならあそこで元気にしてるです」

 

「えっ」

 

見やれば、血まみれで倒れていたはずののどかが、上半身を起こしてこちらに手を振っている。

 

「私を助けるために、向こうの世界に意識を飛ばしてたみたいです。全く、相変わらず無茶をするですよ……」

 

「せんせー! ゆえー!」

 

「は、はは……」

 

めまぐるしいまでの状況の流転に、ネギは乾いた笑い声が漏れた。そして同時に、嬉しさもこみ上げてくる。のどかは無事で、夕映も取り戻すことができたのだから。

 

『やってくれたわね……!』

 

しかし、地の底から響くかのような恐ろしい声によって一同の背筋に冷たいものが走る。

 

「久々よ、こうしてクリーンヒットを入れられたのは……」

 

見れば、立ち上がってきた霊子から恐ろしいほどの魔力が渦巻いていた。結界魔法を得意とする彼女は、まともに拳を食らったことが殆ど無い。最も最近に食らったことがあるのは、せいぜい数年前に魔法世界最高峰の剣闘士から貰った一撃ぐらいだ。

 

「夕映、まさか裏切るなんてね……」

 

「従い続けるのはもうまっぴらです。今、私は貴女と決別する!」

 

「減らず口を……ッ!」

 

終始笑みを浮かべ、余裕を見せいていた彼女が初めて顕にした怒りの顔。これは、いよいよ霊子も余裕を崩さざるを得なくなっているということだ。

 

「……いいわ、見せてご覧なさい。全て、私が叩き潰してあげる……!」

 

「もう膝は屈さない……貴女の恐怖に打ち勝つです!」


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