二人の鬼   作:子藤貝

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翼の剣士は、己に打ち勝てるか。
若き英雄候補は、老獪なる魔女を読みきれるか。


第五十一話 裏の裏

「では、とどめといこう」

 

時間は少し遡る。刹那とロイフェの戦いは佳境に入ろうとしていた。

 

【アハ、動けなイ……】

 

いくら厄介な漆黒の翼があったとしても、対処できないわけではない。防御を突破できないならば、相手がガードできない状況を作り出せばいいだけの話であった。ロイフェは防御の隙間から少しずつ斬りつけ、出血を強いて動きが緩慢になるのを待ったのだ。

 

目に見えて動きが悪くなったところで、影で縛り上げることで動きを完全に封じた。刹那はもがいてはいるものの、抜け出せる気配はない。血が減ったせいで力が出ないのである。翼も影の拘束によって封じられており、完全に無防備だ。

 

「正気であればこの程度、容易く気づけたであろうに。実に惜しい……」

 

本能に任せ、命を投げ捨てた戦い方では傷も痛みも考慮しない。だからこそ、少しずつ体の自由が奪われていくことにさえ、今の刹那は気づけていなかった。正気であれば、その狙いを即座に看破できたであろうことがロイフェには容易に想像できた。故に、惜しいと感じてしまう。

 

それでも、主人の命令はロイフェにとって絶対である。見逃してやるつもりも、正気に返るのを待つつもりもない。彼は大鎌を構えると、その落ち窪んだ眼孔から覗く黄金を鋭く光らせた。

 

「せめてもの情けだ、一撃で首を落としてやる」

 

魔力が大鎌に充填される。刃は鋭さを増し、黒く変色していった。彼が唯一得意としている影の魔法でコーティングしているのだ。それも、ただ纏わせるのではなく影を染み込ませている。これならば、翼でガードされてもそのまま貫通して斬り捨てることができる。ただし、ロイフェ自身の魔法の腕が低いため、戦闘中に維持するのは難しいという欠点もあるが。

 

「さらばだ」

 

別れを告げ、ロイフェは大鎌を振りぬいた。

 

 

 

 

 

暗黒の中、刹那は自身と全く同じ姿をした存在と対峙していた。いや、厳密には少しだけ姿が異なる。髪は雪のように白く、瞳は黒ではなく赤。服装も、刹那の白いシャツ姿と相反するかのように黒い衣服を着ている。

 

【何故邪魔をすル、私はお前そのものなのニ……!】

 

怒りを隠すでもなく、刹那をにらみつけるもう一人の刹那。その瞳には憎悪が満ち満ちており、今にも刹那に飛び掛からんばかりの怒気を発している。

 

『それはお前が勝手なことをするからだ。私がお前なら、お前も私のことが分かるはずだ』

 

対する刹那は、ただ真っ直ぐにもう一人の自分を見据えていた。その瞳には鋭い光が宿っており、相対する自分に睨みを利かせている。

 

【うるさイ! 本当ハ、あの人と一緒に行きたかったくせニ!】

 

『それはお前のほうだろう。お前は確かに私だが、私とは違う』

 

【あの人に会いたくてどれだけ涙を流しタ!? 手を伸ばせば届いたというのニ!】

 

『あの人はもう、昔とは違う! 私にやさしく微笑みかけてくれたあの人はもういない!』

 

【嘘ダッ! あの人への未練を捨てるためにそう思いたいだけだろウ!】

 

相手は自分が押さえ込んでいた心。姉に捨てられたと思い涙を流した自分であり、彼女と再び過ごしたいと思っている自分なのだ。言っていることは自分自身が心の奥底に封じ込めたものばかり。

 

【悔やんでいるのだろウ!? あの人の手を振り払ったことヲ! 長年探し続けテ、ようやく出会えてうれしかったはずダ! なのに何故!?】

 

『確かに、私も完全に気持ちを断ち切れたとは思っていない。だが、それでも私はお嬢様のために戦うと決めた。今更お前がでしゃばるのは筋違いだ』

 

自分を大切に思ってくれる人のために剣を振るうという、姉との約束。彼女はかつての姉との約束を違えるつもりはなかった。たとえ、それが自分の心が相手でも。何より、木乃香を裏切るなど彼女は絶対にしたくなかった。

 

『私にはもう、かけがえのない仲間がいる。親友がいる。それだけで、私が留まるには十分すぎる』

 

光が満ちていく。現実へ、世界が回帰を始めていく。

 

【おのレ……おのれおのれおのれおのレ……ッ!】

 

『失せろ! この体は私のものだ、お前ごときには渡さない!』

 

【おのレエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!】

 

もう一人の自分が、闇の中へと霧散していった。

 

 

 

 

 

【忘れるなヨ……私はお前自身なんダ……私からは逃げられないということヲ……!】

 

 

 

 

 

大きく振りかぶられた大鎌が、真横一文字に振りぬかれる。それは正確に彼女の(うなじ)へと差し込まれ、容易く首を切断した。

 

はずであった。

 

「……ほぅ」

 

数瞬後、大鎌を振り切ったロイフェの眼前に首なしの死体はなかった。あるのは、そこに彼女がいたという証拠である血痕のみ。

 

「正気に返ったか、神鳴流剣士」

 

「おかげさまでな」

 

みれば、先ほどまでの狂気は鳴りを潜め、再び凛とした清涼な空気を纏っていた。しかし、出血のせいで呼吸に乱れが見え、やや顔も青白い印象を受ける。

 

「よくぞ戻った。己の狂気に呑まれた愚か者は数多く見てきたが……再び立ち上がってみせた者は数えるほどしかないぞ」

 

「随分と嬉しそうだな、せっかく殺しきるチャンスだったというのに」

 

「何、久方ぶりの闘争に吾輩も少しだけ浮き足立っているだけの話よ」

 

闘い、争う。人によっては野蛮であるというだろう。しかし、同時に抗いがたいほどの魅力を持つ。それが大規模であれ小規模であれ、命を懸けるか否かであれ、だ。

 

古くから悪魔は、人との比べあいを何より好む。それは知恵であったり、信仰心であったり、単純に強さであったり。人間を相手に様々なことを競うのが、悪魔にとっての悦楽であった。

 

ロイフェもまたその例外ではない。むしろ、ロイフェはそういった傾向が強い悪魔なのだ。

 

「その傷、卑怯とは言うまい? 意識外でも戦っていたのは貴様なのだからな」

 

「丁度いいハンデだ。むしろ、手負いの私に負けるほうが恥ではないのか?」

 

「フハハハハ、ほざきよるわ!」

 

仕切り直しとばかりに、ロイフェが大鎌を構えなおして襲い掛かり、両者の刃が激突する。しかし、かちあったのは一瞬であり、刹那は滑り込ませるようにして刃を沈ませ、大鎌を弾きあげた。

 

「むぅっ!?」

 

「神鳴流、『斬魔剣』!」

 

がら空きになった懐に、白刃が襲い掛かる。下がって躱すのは不可能であると判断したロイフェは、逆に刹那の方へ前進した。多少のダメージは覚悟し、振り回している腕を弾いてダメージを抑えつつ、懐に入ることが狙いだ。

 

刹那の愛刀である『夕凪』は、刃渡り三尺、90cmを超える野太刀だ。非常に間合いが広く、殺傷能力も申し分ないが、一旦懐へと入られると不利になりやすい。剣士はインファイトが苦手であるが、大太刀はその重さと取り回しの長さが仇となって余計に不利が目立つのだ。

 

「ちぃっ!」

 

懐へと入られることを嫌った刹那は、反射的に下がることでロイフェを引きはがすことに成功する。しかし、同時に距離が開いたことでロイフェを浅く斬るだけに終わってしまう。

 

「驚いたぞ、出血多量の状態で吾輩の刃を弾いてみせるとは」

 

「なに、体の調子が妙にいいのでな」

 

そう言う刹那の表情は確かに余裕がうかがえる。しかし、その肌は血の気が失せて未だ青白い。

 

(一時的な気分の高揚で、不調を感じなくなっているようだな)

 

いわゆるランナーズハイのような、一種の興奮状態となっているのだろうと、長年の戦いの経験からロイフェは分析した。この状態なら、ある程度の苦痛は緩和され、継続して戦うことが可能だろう。

 

(恐らく、長続きするものではないな。早めに決めなければ……)

 

一方の刹那も、今の自分が苦痛を感じにくくなっていると理解していた。同時に自分の状態が、長続きはしないであろうことも。脳は脳内麻薬の一種でによって、苦痛の緩和や鎮痛を行ったりすることができるという。しかし、その許容範囲を超えれば、脳を守るためのリミッターが働き、気を失ってしまうのだ。

 

か細い蜘蛛の糸が、ピンと張りつめられた状態。少しでも気を緩めてしまえばあっという間にその糸は切れてしまうだろう。そうなれば、待っているのは地獄への逆戻りだ。もう今度は、帰ってこれる保証はない。

 

(長時間の勝負はこちらが不利……一気に片をつける……!)

 

刹那は、静かな所作で刀身を鞘に納めて瞑目する。

 

瞬間、世界が静寂に包まれた。

 

 

 

 

 

周囲の雑音がすべて無に帰し、相対する悪魔の気配だけが肌を通して感じられた。

 

(斬魔剣は、有効ではあるが速さが足りず届かなかった……)

 

魔を断つ斬魔剣は、悪魔であるロイフェには非常に効果的だ。しかし、どうしてもスピードで一歩届かない。ロイフェはその大柄な体格に似合わず、非常に素早い。刹那との戦闘に真向からついてこれるのがその証拠だ。

 

(時雨では、速さはあるが威力が足りない)

 

速さであれば、刹那が扱う技の中では時雨が最も速い。先ほどの斬魔剣は不意をつけたため肉薄できたが、恐らく村雨流の高速抜刀術でなければロイフェには防がれてしまう。しかし、悪魔であるロイフェ相手では、時雨は有効打になりえない。

 

(ならば……)

 

その双方の弱点を補い合う。即ち村雨流と神鳴流、かつて京の守護の双璧を担った流派を合成するのである。村雨流は一時期貪欲に他流派の技を吸収していたため、神鳴流の技術も取り入れた技もいくつか存在する。よって可能といえば可能かもしれない。

 

しかし、それは長い年月をかけて己の流派のものとして昇華させているからだ。異なる流派の技を、この土壇場で一つの技へと昇華させるなど、正気の沙汰ではなかった。

 

(私に、できるか……?)

 

正直刹那にも、できるかどうか不安しかない。それでも、今できなければならないのだ。

 

(やってみせる……いや、やらねばならないのだ!)

 

感じてとっていた気配が動く。ロイフェが静止している刹那へ向かってきているのだろう。刹那もまた、目を閉じたまま気配へ向けて急駛(きゅうし)した。

 

「『日食の影(エクリプス・アンブラル)』!」

 

ロイフェの言葉と共に刃が迫るのを感じる。このままいけば、頭から唐竹割にされてしまうだろう。

 

ならばもっと速く、もっと力強く。

 

「村雨……神鳴流……!」

 

全力で、すべて断ち切る勢いを以て抜き放て。

 

「『月時雨』!」

 

 

 

 

 

「フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ!」

 

「ラプ・ラ・ウェル・テセ・プラギュゲス」

 

「『風塵(フランテ・アレーナム)烈風壁(ガーレウォール)』!」

 

「『砂塵(プルヴィス)濁流壁(トゥルビデ・フルミネウォール)』」

 

詠唱破棄された魔法が二つ。一方は空気が圧縮された暴風、もう一方は砂塵を捲込んだ荒れ狂う濁流だ。本来であれば、自身を守るために発動する結界魔法であるそれらが、圧倒的な殺意を以て激突した。

 

弾かれた暴風は上空へと逸れて岩壁を削り、濁流はレンガ造りの地べたを濡らす。驚くべきは、その双方がほとんど周囲に影響なく掻き消えたことだ。それは互いへと放たれた魔法を、自身の魔法によって上手に威力を殺した結果からくるものであった。

 

(力の扱い方が分かる……死の世界に繋がっているから、ですかね?)

 

本来の彼女であれば、魔力不足で霊子の魔法を逸らせなかっただろう。だが、今は魔力の効率的な扱い方が感覚的に理解できている。たった少しの魔力で、霊子の魔法に喰らいつけているのだ。

 

いや、むしろそんな状態の夕映と、弱体化してなお互角に戦える霊子の方が異常なのかもしれない。

 

「……魔力が半減以下というのに、やるですね。もう少し弱体化してると思ったですが」

 

「貴女に魔法を教えたのは誰だと思っているの? 死の世界に接続したせいで頭のねじが抜けたのかしら?」

 

「逆に言えばあなたの手の内も、私は知ってるということです。どこまで私に教えたと思ってるんですか」

 

師匠と弟子、綾瀬夕映と柳宮霊子の関係を一言で表せばそれに尽きる。霊子は魔法世界最悪の魔女の一人であると同時に、魔法使いの中でも最高峰の腕を持つ魔女でもある。そんな彼女に数年間鍛えられたとあれば、いやでも実力はついてくるもの。

 

「……手伝いのためとはいえ、余計な力をつけさせすぎたか」

 

「後悔は先に立たないものですよ。まあ、不測の事態を嫌う貴女がそういったことに布石を打たなかったのは完全に失策ですが。実に貴女らしくないです」

 

彼女の性格からすれば、万が一でも裏切られた時のために、自分の脅威となるような実力は付けさせないはずだ。しかし、夕映は彼女に追いすがれるだけの実力を有している。いくら死の世界と接続してしていることを差し引いても、間違いなく一流クラスと言えるだろう。

 

「弟子なんてとったのは初めてだったからよ、次に活かせばいいだけの話」

 

「これ以上私のような被害者を増やされるのはごめんです。貴女はここで終わりですよ」

 

「随分と大口をたたく……私の支配下から逃れたからといって調子に乗りすぎね」

 

そう言うと、霊子は再び魔法の触媒である本を開き、魔法を唱える。

 

「『友引の誘い火』」

 

腕を模した炎が、夕映を再び死へと招かんとうねうねと動きながら襲い掛かる。夕映は、風の魔法でそれらを吹き飛ばし、地面を滑るように飛んで囲いから抜け出した。

 

(まただ、詠唱もないのにあれほど高度な魔法を……)

 

先ほどまでの霊子との戦闘で疲弊していたネギは、夕映に戦いを任せて体力の回復に努めていた。本当であれば、意識を取り戻したばかりの彼女に戦いをまかせっきりにするのは嫌だったし、すぐにでも戦線に復帰したいのだが、相手が桁違いの怪物となればかえって足手まといになりかねないため彼女の厚意に甘える形となっていた。

 

そうして休みながら彼女らの戦いを眺めている最中、夕映と霊子の戦いを見てネギは再び違和感を感じていた。どう考えても、霊子の魔法が尽きなければおかしいレベルで魔法が放たれているのに、一向に霊子には疲れの色が見えないのだ。

 

(今は夕映さんに魔力を供給していないとはいえ、さっきまで倍の魔力消費をしていたのに魔力が尽きない……?)

 

ネギのように桁はずれに魔力が多いとしても、さすがに筋が通らない。もうネギでも気絶しかねないほどの魔力消費なのだ。これではまるで。

 

「霊子の奴め、底が見えないな。これじゃあ初めから魔力を用いていないようにしか思えんぞ」

 

(魔力を……使っていない……?)

 

ふと、ネギは氷雨の言葉を頭の中で反芻する。ピタリとはまったピースが、徐々に他のピースをくみ上げるための呼び水となるかのように、思考が組みあがっていく。

 

(魔力を自分のものではなく、あらかじめ用意していたものを使っていたのだとしたら……!)

 

不自然に感じていた事柄が、線となって繋がっていく。ただ魔力をストックしているのであれば、あれほど短い時間で魔法というレスポンスが返ってくるはずがない。だが、魔法そのものを引き出しているのだとすれば。

 

答えを導き出したネギは、杖にまたがると勢い良く飛び上がり、夕映へと大声で言った。

 

「夕映さん! 彼女は、柳宮霊子は恐らく魔法を(・・・)ストック(・・・・)しています(・・・・・)!」

 

「へぇ……」

 

ネギの言葉に、霊子は感心したような声を漏らす。

 

「よく看破できたわね、私もだいぶ注意を払っていたはずだけど」

 

「いくら貴女が僕より圧倒的に熟練している魔法使いとはいえ、あれほど短い時間で高火力の魔法を連発できるのは怪しいと思ったんですよ。第一、あれだけ魔法を放てば実験で魔力を相当に消耗しているあなたは、あっという間に魔力が枯渇しなければおかしい」

 

「それだけ? まさか、そんな弱い根拠で断定したのかしら?」

 

だとすれば、彼女にとっては唾棄すべき推測である。魔法使いとは常に、論理的に物事を見定め、組み立てるものだと考えているからだ。戦闘においては直観も確かに大事ではあるが、確たる証拠もなしに断定するのは愚かの極みであると彼女は思っている。

 

「いえ、それはきっかけにすぎません。ポイントは、貴女が徹底して詠唱や始動キーの省略を行っていたこと、貴女が得意としている魔法。そして夕映さんを操る際にも使用していた、言霊です」

 

「……面白い、答え合わせといきましょうか」

 

 

 

 

 

「まず、なぜ魔法を連発できたのか。これは貴女は魔法そのものを何らかの媒体に封印しているからです。貴女が得意とする、結界魔法を用いて。多分、その魔本が媒体ですね」

 

「結界魔法、ですか」

 

結界魔法は、本来何らかの基点を敷いて空間に干渉する魔法だ。熟練すれば霊子や夕映のように空間ごと叩きつけるという荒業で攻撃に転用もできるが、基本的には空間歪曲、或いは幻覚との併用などによる拠点防衛などに用いられる。

 

そして、結界魔法にはもうひとつ用途がある。それは、空間ごと内部に存在するものを封じるといったものだ。強大な魔や、危険地帯へと変貌した土地などが周囲に影響を及ぼさぬよう、或いは侵入を防ぐために用いられる。例とすれば、修学旅行でネギたちが閉じ込められた『無間方処の咒』がそれに近い。

 

「魔法を唱えるには、第一に始動キーが欠かせません。自身が魔法を唱えるうえでの起点とするものですから、魔法がぶれてしまいます」

 

そう言いながら、ネギは指を立てる。続いて、もう一本指を立てて話を続けた。

 

「第二に、詠唱を破棄すればそのぶん威力も落ちる。いくら貴女が魔法使いとして最高峰の実力を有しているとはいえ、その前提を覆すのは不可能に近い」

 

「そうね、魔法としての密度も威力も格段に落ちてしまうわ。仮にも(まじな)いだもの」

 

「だからこそ、貴女が始動キーすら唱えずにあれほどの魔法を連発できたのが引っ掛かった。僕は最初、それらを補う何らかの技法があると疑いましたが、それなら唱える必要がないのに、始動キーを唱えた魔法を挟む理由がない」

 

ですから、とネギは一呼吸を入れ、さらに話を続ける。

 

「僕はこう考えました。始動キーを唱えている方は現在練り上げた魔法で、そうでない方が封じてある魔法なのではないか、と。そう考えれば、貴女の行動に筋が通る」

 

「ブラフ、とは考えなかったのかしら」

 

「それも考えましたが、魔法使いの戦いは状況判断が最も重要です。僕たちを叩き潰すことを確実にするために貴女が参戦しているのに、わざわざそんなことをする必要性がない。まして、魔力を大幅に消費している今の状況ならなおのこと」

 

霊子の口角が、僅かに上る。この少年は、この年齢で魔法使いの戦いが本質的に何たるかということを理解しているのだ。エヴァンジェリンらが期待をかけるのも頷けると、内心で彼に対する認識を上方修正する。

 

「それに貴女は盤石に手を打ってくる人です。最後の奥の手になるであろう自前の魔力をわざわざ消費してまで、ブラフを作るとは考えにくい」

 

では、なぜ彼女はそんな真似をしたのか。

 

「理由は単純です、貴女は魔法をストックしているという事実を隠しておきたかった。瞬発的に魔法を放つことができる理由、それを隠しておくだけで大きなアドンバンテージです。まして、魔力が減っていることを考慮すればなおさら」

 

「隠し続けるために態々自前の魔力を消費するかしら? 先ほどの言葉と矛盾するわよ」

 

奥の手である残りの魔力を消費しては意味がない、そう指摘する。先ほどまで夕映にも魔力を与えていたのだから尚更だ。

 

「そうですね、それでは本末転倒です。やる意味がないし、貴女の目的がますます見えてこなくなる。だからこそ僕は騙され(・・・)そうになった(・・・・・・)

 

「…………」

 

ピクリと、霊子の眉が動く。初めて、彼女の表情から笑みが失せた。

 

「貴女の本当の狙いは、僕たちの思考を誘導することだった。いくらストックしている魔法と詠唱魔法を交互に放っても、違和感はぬぐえない。そんなことは貴女が想定しないはずがない」

 

「つ、つまりどういうことッスか、兄貴?」

 

アルベールは、ネギの話しについていけずちんぷんかんぷんといった様子である。相手の手の内を読むことを狙った思考の連鎖に、頭がパンクしそうだった。

 

「地上で邂逅した時と同じだよ、いかにもそうであると相手に思わせるんだ。自分でたどり着いたと思ってしまえば、それが正解だと思い込んでしまう。そうやって、本当の目的を隠すんだ」

 

「あ、ああ! 夕映の姐さんを悪党に仕立て上げようとしてたあれっスね!」

 

あれもまた、ネギ以外のほとんどが夕映が敵側であると信じて疑わなかった。霊子の恐ろしいところは、その老練な手管と、それを実現する思考誘導の巧みさだ。どんな秀才、天才相手でも有利に立ち回れる。いやむしろ、優秀な人間ほど彼女の掌の中に納まってしまう。

 

「そう、本当の狙いは魔法のストックを隠そうとしているように見せかける(・・・・・)こと。二重の隠蔽を行なっていたんです」

 

前提条件がひっくり返れば、矛盾に満ちた不可解な行動が一本の線へとつながっていく。魔法のストックも、それをわざと匂わせる行動も、本当に隠したいことから意識を逸らすためのブラフ。

 

「魔法をストックされている事実を知られたところで、貴女にはなんのダメージもない

ですからね、せいぜい少々のアドバンテージを失う程度です。その程度では実力差はくつがえりませんし」

 

魔法をストックしておくという常識はずれな技法も、彼女にとってはせいぜいその程度。本命を隠すために用意した餌にすぎない。

 

「多分、夕映さんへの魔力供給もその魔本に組み込んでいましたね?」

 

「……ええ。魔法を分解しながら与えていたわ。まだ実験段階のものだから、実験に使っていた夕映にしか使えない方法だけど。で、そうまでして私は何をしようとしたのかしら?」

 

挑発的に、再び笑みを浮かべながらそう返す。思考誘導に失敗してもなお、自信に満ち溢れている。それは、彼女は自分が何をしようとしているのか看破されるなどあり得ないという自負であった。

 

「そこで、最後のポイントである言霊がキーになります。特定の意味を付与することで簡潔な呪文として用いることができますが、その分魔法詠唱のように融通がききません」

 

夕映を操っていた時のように、単純なワードで結果を引き出せる利点はあるが、その分命令の内容が単調になってしまう。具体的なことを細かく行うのには不向きなのだ。

 

「貴女が本当に隠したかったのは、その言霊を戦いの中で仕込んでいたこと。それを悟られないようにするために」

 

「…………」

 

ぴくりと、霊子の眉がまた微かに動く。

 

「貴女が言霊に設定しているのは、貴女の始動キー(・・・・)だ!」

 

 

 

 

 

「……想定外だわ。まさかそこまで勘づくなんてね。どこで気づいたのかしら」

 

「何故封じてある魔法を使わなかったのかではなく、詠唱をなぜ行わなければならなかったのかと考えたんです。理由が不明瞭すぎますからね」

 

そこから、ネギは詠唱そのものになにか秘められたものがあるのではないかと考え、夕映を操る際に霊子が使用していた言霊に思い至ったのだ。

 

「そこからは簡単でした。始動キーであれば、戦闘中でも無理なく唱えられる言霊にできるし、詠唱を行う方の魔法であれば戦闘中でも無理なく始動キーを扱える。何度も詠唱ありの魔法を使用していたのは、言霊である始動キーを唱えた回数が重要になっているからです」

 

「…………」

 

「貴女は用意周到すぎました。完璧に意図を隠しきろうとするが故に、僕が思考の裏を読もうと考えるのを許してしまった。徹底しすぎたんです」

 

皮肉なことに、完璧を期するが故、ネギに付け入る隙を与えてしまった。彼女の性質そのものが失敗へと繋がってしまったのだ。他でもない、彼女の誇りとするその脳髄が故に。

 

「……正解よ。ただ、少しだけ間違っているわ。封じていた特定の魔法の名称を、一度以上唱えることも条件に含まれている」

 

既に、彼女の顔からは余裕を伺わせる笑みは完全に抜け落ち、代わりに無表情が貼り付けられていた。

 

「想定以上の優秀さね、ここまで私の思考を看破したのはあのいけ好かない古本以来だわ」

 

いや、よく見れば苛ついたかのような、ほんの少しだけの顰め面が見て取れる。目尻は吊り上がり、鋭い視線へと変わっていた。

 

「だからこそ今、確実に仕留める必要が出てきた」

 

そう言うと、霊子は手に持っていた本を開くと。

 

「ラプ・ラ・ウェル・テセ・プラギュゲス」

 

始動キーを、唱え。

 

「並行解除、『仏滅の必滅』」

 

最後の鍵を、解き放つ。

 

「『終末の笛(シビルス・デ・フィニス)』」

 

瞬間、図書館島が大きく鳴動を始めた。

 

 

 

 

 

「な、何が起こっている……!?」

 

地響きとともに大地が大きく揺れ、氷雨は地面に這いつくばるように倒れ込む。木乃香やのどかも同様だ。ただ二人、宙に浮いていた夕映とネギだけはその難を逃れていた。

 

「一体何を……!?」

 

夕映の言葉に、霊子は恐ろしいほどに凄惨な笑みを浮かべていた。今までの仏頂面や笑みなど、自分を覆い隠すための仮面だと思わせるようなほどの笑みを。

 

「私が魔力不足を想定していないわけ無いでしょう? だから、予め用意しておいたのよ。あなた達をまとめて葬れるように結界を」

 

「……! まさか、図書館島内部を覆っている異界化の結界!?」

 

「ご名答。あれこそが、私の最大の切り札。結界内部の生命を無差別に圧殺する空間制圧魔法よ」

 

そう、ここは霊子の用意した結界によって異界化している。即ち、彼女が空間内を掌握しているも同然なのだ。謂わば、彼女の胃袋の中に入っているようなもの。先ほどの揺れは、結界が再起動したことによって振動したためだ。

 

「か、体が重い……!」

 

「起き上がれへん……!」

 

「予め指定した座標内に、圧力をかけながら結界は狭まっていくわ。レジストできないと重力が増したように体が重くなり、やがて磨り潰される。さっきあなた達が破壊した結界には、その座標指定を行うための役割もあったのよ」

 

言霊を用いた手順を予め用意したのは、この魔法そのものが大規模であり用意に時間が掛かるから。どれだけ短縮しても1時間は唱え続ける必要がある超高難度なもののため、戦闘中に詠唱を行えるはずがない。故に、準備が必要だったのである。

 

それならそんな面倒なことをしなくても、ストックにしておけばいいと思うだろう。しかし、封じられる魔法はせいぜいが中級から上級程度の魔法のみ。そして空間魔法は、そもそも通常の魔法のように封じることができないのだ。実験で魔力が減るため高威力の魔法を放つのも難しいことも考えれば、確実性に欠ける。

 

「用意にだいぶ手間取ったけど……その分殺傷能力は折り紙つきよ」

 

この魔法を使用した理由は単純に、彼女が使用する魔法の中で最も殺傷能力が高く、確実性があるからだ。どこにも逃げられず、空間そのものが回避不能の凶器。どう足掻いても死は免れない。

 

「本当なら夕映を回収してから使いたかったけど、まあいいわ。別のを用意すればいいだけのこと」

 

「うぐっ!?」

 

やがて、ネギの体もミシミシと音を立て始める。それはつまり、骨や筋肉の軋んでいる音が聞こえてきているためであり、レジストの限界を超え始めているということ。このままでは、全員圧殺されてしまう。

 

「結界を破壊しないと……!」

 

「ですね……!」

 

ネギは霊子に背を向けて、一目散に飛び上がる。夕映もそれに続き、縮小したことにより天井から降りてきた結界へと攻撃を加えるべく詠唱を始めた。

 

「来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!」

 

「来れ地の精、風の精。茫漠たる大地を巻き上げ旅人を葬る砂塵の嵐を成せ!」

 

「『雷の暴風』!」

 

「『砂漠の熱風』!」

 

雷を纏った旋風と、砂塵を纏った熱波が結界へと襲いかかる。しかし、直撃してなお結界はゆらぎ一つ起こさない。やがて旋風は虚しく掻き消え、熱波は虚空へと溶けてしまう。

 

「くっ、堅すぎるです……!」

 

「普通の攻撃魔法じゃ破壊できない……!?」

 

「もう遅いわ、あと少しで結界は縮小し切る。誰一人として逃がしはしない。第一、あなた達で破壊できるほど脆くは……」

 

そう言って、はたと彼女は気づく。戦いと夕映への言霊による操作、そして結界を起動させるための詠唱に気を取られていて気づかなかったが、よくよく見れば、最初と比べ一人足りない(・・・・・・)

 

「……気づいたみたいだなぁ? 私の従者が(・・・・・)居ないことに(・・・・・・)

 

「まさか……!」

 

ビシッ!

 

結界が、奇妙な音を立てて突如ひびが入る。やがて、それは結界全体へと波及していき、恐るべき威圧感を放っていたその姿は無残なものへと変貌を遂げた。

 

「ネギ・スプリングフィールド! 綾瀬夕映! 今だ!」

 

「っ! 『白き雷』!」

 

「『風の槍』!」

 

白雷と槍の投擲が結界へと激突する。すると、先ほどの魔法を受け付けなかった結界が、今度は音を立てて崩壊を起こした。

 

「……馬鹿な……!?」

 

「生憎だったな、こっちには結界魔法への対策があったんだ。忘れてたのか?」

 

そう、この結界破壊の立役者は茶々丸だ。彼女は本来氷雨の魔法具を用いた遠距離戦闘をカバーするための接近戦主体であるため、霊子との戦闘には参加させず、密かに結界を破壊するように氷雨は指示していたのだ。

 

「最も、本当は帰り道を確保するためだったんだがな。備えあればなんとやらだ」

 

「多分、ちょい意味ちゃうと思うえ」

 

ケホケホと咳き込みながらそう言う木乃香。幸いにも、肉体に大した影響が出る前に結界を破壊することができたらしい。

 

「よくも……やってくれたわね……!」

 

底冷えするような声で、氷雨を睨みつける霊子。当然だろう、彼女にとっては奥の手中の奥の手を潰されたのだ。もはや、勝負はどう転ぶかわからなくなってしまった。彼女にとって、最も迎えたくない状況になってしまったのである。

 

「まず、貴女から殺してあげるわ……! 赤口の」

 

ストックしている魔法を放とうと、魔法の名前を唱えようとした時であった。

 

キィン!

 

「っ!?」

 

突如、彼女へと何かが飛来した。障壁によって金属音を響かせながら弾かれたそれは、霊子の意識を少しだけ逸らすこととなった。

 

「今です! フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ!」

 

「しまっ……!」

 

「『障壁突破・風の槍』!」

 

その隙を、夕映は逃さなかった。障壁を貫通する風の槍は、目論見通り霊子の分厚い障壁をガラス細工のように砕き。

 

「か、はっ!?」

 

彼女の腹へ、深々と突き刺さった。

 

 

 

 

 

『終わった、のか……?』

 

夕映の魔法をモロに食らった霊子はそのまま落下し、ピクリとも動かない。嫌な空気も霧散し、静寂が辺りを包んでいる。

 

「終わった、ですか……」

 

「いえ、油断できません。ひょっとして気を失ってるふりを……」

 

「その心配はございません」

 

「うわっ!?」

 

突然、自分の横から別の誰かの声が聞こえてビックリするネギ。

 

「意識反応なし。ネギ先生方の勝利です」

 

「ちゃ、茶々丸さん!?」

 

声の主は、茶々丸であった。いきなり現れた理由は分からないが、恐らく結界破壊を終えたので戻ってきたのだろう。

 

「びっくりしたー……、脅かさないでくださいよ……」

 

「申し訳ありません。ハカセにつけてもらった光学迷彩を用いておりましたので」

 

『なんつーもんを追加してるんだ、あのマッドサイエンティスト』

 

自分の常識を疑うような茶々丸の言葉に、千雨は麻帆良が改めて常識はずれな場所だと再認識すると共に、氷雨と入れ替わる。

 

「そういえば、さっき飛んでいったのって……」

 

先ほど霊子に飛んでいったものが何なのか気になり、地面を調べてみる。すると、一本の金属棒が落ちていた。いや、それはただの金属棒ではなく、先端が鋭く尖った投擲武器であった。

 

「これって……もしかして」

 

「いやはや、間に合ったようで一安心でござるよ」

 

「!」

 

今度は茶々丸とは別の声が聞こえた。顔を上げ、声のした方を見てみると。

 

「ただいまでござる、ネギ坊主」

 

「か、楓さん!」

 

ここに来る途中ではぐれてしまった、長瀬楓の姿がそこにはあった。ところどころ服が擦り切れてしまっているが、目立った傷はないようだ。

 

「無事だったんですね!」

 

「おお、元気でござるよ。そちらも皆、無事……ではなさそうでござるな。しかし、生きていてくれてよかったでござるよ」

 

そう言ってポンとネギの頭に手を乗せ、よくやったでござると労いの言葉をかけながら、彼の頭を優しく撫でた。

 

「それにしても、今までどうしてたんだ?」

 

「うむ。拙者、水流に流されそうになりながらもあの迷宮を何とか脱出したでござる。しかし、道が複雑化しているせいで迷ってしまい……ずっとあちこちを走り回っていたでござるよ」

 

「そうだったんですか……」

 

「そんな折、凄まじい地鳴りがしたゆえ何かあったのではと思い奔走していたら、茶々丸殿に出くわしたんでござる」

 

茶々丸に道順を聞いた彼女は、全速力で走って一足先にここへと辿り着き、霊子へと手裏剣を投擲したのだ。これによって霊子は完全に不意を突かれ、夕映の魔法をかわせなかった。

 

「せっちゃん、大丈夫やと思うけど……やっぱり心配や」

 

「安心するでござるよ、木乃香殿。刹那は強い、きっとあの化生の者も倒しているでござる」

 

「こっちには主人がいるんだ、あいつも降伏するだろうよ。なんにせよ、これでようやく終わりだ」

 

「ええ。あとは他の先生達に彼女、柳宮霊子を引き渡すだけですね」

 

だが、その気の緩みが油断を誘った。

 

『そういう訳にはゆかぬ』

 

「!?」

 

突如、地面から影が伸び広がった。そこから、あのロイフェが姿を表したのだ。先程よりもボロボロの姿ではあるが、爛々と輝く不気味な眼光は健在だ。

 

「悪いが、この方を連れては行かせん」

 

「っ! てめぇ、桜咲をどうした!」

 

ロイフェがここにいるということは、刹那に何かあった可能性が高い。千雨はそう思い至りロイフェへと問い詰める。しかし、ロイフェの返答は冷淡なもので。

 

「さて、な。自分の目で確かめるがよい」

 

そう言うと、気絶したままの霊子を掴み、再び影の中へと戻っていく。

 

「くっ、逃がさぬでござる!」

 

いち早く飛び出したのは、楓であった。他のメンバーは激戦により満身創痍であったし、この中で最も素早く動けるのが楓だったからだ。

 

だが。

 

あと少し、手が届くといったところで。

 

「そん、な……」

 

ロイフェと霊子は、影の中へと消失した。


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